アットウィキロゴ

 

 

 朝の空気は前日の雨を孕み、少しの湿気を含んでいた。陽は昇りきっておらず、周囲は薄暗く霞んで見える。雨露の残るうばらの葉に指を滑らせながら、人気の無い中庭を一人歩く。それはファブレ公爵家で庭師として仕えるようになってからの、ペールの日課だった。
 暫らく庭の中を歩き、朝食を摂ろうと厨房へ向かう途中、公爵子息であるルークを見掛けた。ペールには気付いていない。恐らくはペールの日課と同じように、彼もまた日課となっている朝の礼拝に向かうのだろう。
 多くの王族がそうであるように、ファブレ公爵家もまた敬虔なローレライ教団の信者だ。ダアトとの親交はマルクト以上に盛んで、近年ではローレライ教団の詠師が訪問するまでになった。それが、かつて自身と共にガルディオス家に遣えていたフェンデ家の長男であるヴァンデスデルカだったというのは、偶然とはいえよく出来ている。彼と再会してからというもの、主人は以前の明るさを幾分取り戻したかのように思える。
 ルークはそのまま玄関にまで行きかけて、気付いたように足を止める。エントランスに飾られた剣を見上げて微動だにしない。その剣は、かつてペールが主君と仰いだ、ファブレ公爵に討ち取られた主の物だった。それを、主君の仇の息子が見上げているのは、忌々しくも奇妙な光景であるように思えた。
「ペール」ルークが名前を呼ぶ。
 気付かれているとは思っていなかった。
「何でしょうか、ルーク様」少しの驚きを押し留めて返事をする。
「ペール……父上に仕えるようになって何年だっけ?」
「そう、ですな……かれこれ四年と少しばかりになりますか」
「そっか」
 ルークは視線は相変わらず剣に向けたまま、口元を手で覆った。僅かだが視線が細められ、一拍置いて一瞬伏せられる。理知的な光がその瞳には宿っている。幼いながらも、未来の統治者としての品格のようなものが漂っているようにすら思えた。
 そして視線はペールに向けられた。そこには近寄りがたい雰囲気はなく、年相応のあどけない笑顔がある。
「この剣、僕が物心ついた頃からあるんだ」
 彼の指す方に何があるのか解かっていながら、それでも自然に剣の方へ視線が向かう。
「ペールなら、どういう謂れのものなのか知ってるんじゃないかな、って思ったんだけど」
 仇の息子である彼の何気ない一言は、ペールの中に燻ぶっている残り火のような復讐心を煽るには充分だった。
 彼に罪がないことを解かっていても、幼くして全てを奪われた主人を思うと、この少年の発言はペールの神経を逆撫でする。それでも、矢張り幼い主人のことを思うと、その怒りもまた押し留められる。
「ホド戦争の折の戦利品だというお話ですが…残念ながら私がこちらにお仕えするより以前からありましたが故に…」
 語尾を濁らせる。
「ふーん」ルークは言った。
「この剣がどうかされましたか?」
 ペールの問いにルークは答えない。視線を再び剣に向ける。
「ガイって」
 彼がその名を出したのは、思いついたような唐突さだった。その名を聞き、ペールは困惑する。それが面に出ないように、彼の先に続く言葉を待った。
「ペールと一緒に来たんだよね、確か」
「ええ。先のホド戦争の際の戦災孤児です」
「そう……ガイはこの剣がホド戦争に縁のあるものだって知ってたのかな」
「何故そうお思いになるのです?」
 答えに詰まり、問いに問いで返す。彼はそんなペールの曖昧な返答に気を悪くした様子もなく、けれど少し困ったように笑う。
「見てたから」
「そう、ですか」
「きっと知ってたんだろうな」
 言ってから彼は自分の言葉を確認するようにして一度頷いた。眉根を寄せて辛そうな、けれど何かを諦めるような笑みで剣を見上げている。
「ルーク様?」
「ガイ、辛かったろうね」
 幸福の中に常にある、何も知らない子供はそう呟いた。抑揚のない声だったが、そこには先程のような無神経さは感じさせず、ペールの心に響いた。
 そのまま二人、物言わずただ剣を見上げていた。沈黙を破るようにメイドがエントランスに入ってくる。
「ルーク様!まだこんなところにいらっしゃったのですか?」
「あ、いけない」言いながらも、ルークは大して悪いと思っていないように見えた。
 メイドに謝りながら公爵に口止めを頼む彼の姿は微笑ましい。そしてメイドが立ち去るとルークは改めてペールに向き直る。
「呼び止めちゃって、ペールもごめんね。でも、ありがとう」
「いいえ」そう笑顔で答えて、扉をくぐる背中を見送った。
 肩口に、鮮紅が揺れている。その後姿に、懐かしいものが込み上げる。仇の息子に心動かされるようなことなど、あってはならないのだと解かってはいても、彼はまだ六歳の少年だった。
 そんな彼を自分達大人の復習劇に巻き込もうとしている。幼い主君のことを思えば、と自身に言い聞かせてはみるが、一度脳裏に過ぎった思いを払拭することは、そう簡単にはできそうになかった。



/02

最終更新:2008年10月07日 01:07