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 ルークが熱を出した。最近までバチカルを離れていたので、長旅の疲れがあったのかも知れない。それも、熱が下がり次第またベルケンドへ出掛けるらしい。ルークに付き添う時間に空きが出来たのをこれ幸いと、ガイはヴァンを訪ねた。
 ヴァンがファブレ公爵家へ来る度に、ガイが彼に報告をするのは日課になっていた。ヴァンはローレライ教団からの客人扱いで、バチカルの宿の一部屋を、王室名義で長期借り切っている。結果的に、ヴァンは公爵家に訪問する以外は大体王城か宿にいることになる。そんなヴァンを、ガイは空き時間を見つけて訊ねていく。報告は勿論、数少ない友人として彼を訪ねる。そうしていつも、報告とは名ばかりの愚痴と、ローレライ教団の動向、そして他愛のない話をして別れる。
 いつものように部屋は窓から出る。足がつかないように、ガイなりに気を遣ってのことだ。お陰で窓の下の芝生は、大分踏み均されている。この季節、まだ日は高い。窓が閉められるのを見届けてガイはその場を後にした。
 屋敷に戻ると、丁度夕食の支度をしているのか厨房から良い匂いがしてきた。部屋に戻る前に公爵子息殿の機嫌を伺いに行くことにする。そこでメイドと出くわした。
「ガイ!ルーク様をお見かけしなかった?」
「え……」
「見てないのならいいの」
 そのままメイドは走り去って行く。ルークの部屋を覗き、ガイは納得した。寝台がもぬけの殻だった。
 ルークの脱走癖は今に始まったことではない。しかもそれは大体は無断外出に留まり、それも日課をこなしてから出掛ける、という慎ましやかなものばかりだった。その上大方の外出先は許婚との逢引だという。節度を弁えたものばかりで、ガイに言わせれば面白みに欠ける。だが、今回のような面白みをガイは求めていたわけではない。何も熱を出しているときくらい大人しくしていて欲しいものだ。
 管理不行き届き如何で他の使用人共々、散々執事にお叱りを受けた頃、中庭の隅で蹲って倒れているルークが発見された。後でよくよく調べて見ると、塀沿いに子供一人が何とか出入り出来る程度の小さな穴が掘られ、隠されていたのが見つかった。
 騒ぎが漸く落ち着いた頃、ガイは部屋を訪ねた。暗がりの中に、今度はちゃんと部屋の主が寝台に横たわっていた。
 寝台に備え付けの椅子を引き寄せて座った。見下ろす顔は、白いのに頬だけが赤らんでいる。唇は乾燥して破れている箇所からは血が滲んでいた。伏せられた目元に落ちる睫毛の陰が隈を一層濃く見せて、酷くやつれて見えた。
 手を伸ばし、頬に触れる。熱い。甲で撫でるようにして、そのまま首筋へ滑らせた。
 絶好の好機、と思えなくもない。このまま、殺してしまえばいい。後先を考えなければ、それは酷く容易いことのように思えた。
 ルークの睫毛が震える。薄く目が開かれ、覚束ない様子でそれでも視界にガイを見止めると、ぎこちない笑みを浮かべた。
「良、かっ……たぁ、ガイ……いて、くれて」
 そしてガイはルークの意図を理解した。愚かだ、と思った。それが、ルークに向けられた罵倒だったのか、自身に向けられたものだったのかは判らない。ただ一つ判るのは、ルークの今回の馬鹿げた行動の理由は、ガイにあるということだった。
「ガイ?」
 何も知らない、馬鹿な子供なのだと思う。ガイの過去も、自分の立場も、父親のしてきた事も、何も知らない馬鹿な子供だ。その愚かさに、苛立つ。
 ガイは顔を覆った。
「ガイ……泣いてるの?」
 言葉が出ない。ルークの言うような涙は出なかった。いっそ泣ければ良いのに、と思った。
 罪悪感などという言葉に逃げたくなかった。けれど、ルークを目の前にするといつも思う。彼が自分の嘘を見抜いてくれれば良い。
「ガイ……ごめんね」
 掠れた声でルークが言った。手が伸ばされたが、ガイは身体を逸らして遠ざかった。彼が上体を起こし、顔を覆うガイの手に触れる。
「ごめんね」
「何を」
 思わず口走る。そして途端に後悔した。だが、まだ止められる範囲だ。
 ガイは言い掛けた言葉をそのままに立ち上がろうとした。
「ガイ!」
 思った以上に強い力がそれを阻む。縋りつくようにして、ルークが腰周りに腕を回して離さない。こんな時は振り向いて、背を擦りながら諭してやればいい。それが判っていながら出来ない。いつもなら簡単にやってのけられることなのに、とガイは唇を噛んだ。
 ルークの想いなど、知りたくなかった。ただの仇の息子と使用人でいたかった。このまま憎ませてくれない彼が憎かった。
「だったら、言ってみろ」
 止まれ、と思う。言えば濁流のように、無様な本音を曝け出すだけだ。判りきっていること、何故問うのか自分でも解からない。
 ガイを見上げる双眸は不安そうに揺れている。
「言ってみろ」
「ガイ……」
「言ってみろよ!」
 突き飛ばすようにして、ガイは彼の腕を振り払った。ルークは寝台に投げ出される。起き上がる気力はもうないようで、それでも視線だけはガイの方に向けられていた。
「ごめ……な、さ…ガイ…、ガイ……」途切れがちなルークの声が届く。
「そんなに言うなら言ってみろ!」
 目頭が熱い。誰か、こんな馬鹿げた事を言おうとしている自分を止めてくれたら良い。けれど今ここにいるのはガイとルークだけだ。ヴァンもペールもいない。自分を止める者は誰もいない。
「お前の罪は何だ?言ってみろ、お前の罪を!」
 言い放ち、部屋から出て気付く。泣いていた。恐らく、自分の罪すら解からない愚かで無垢な子供を哀れんでの涙ではない。ただ、行き場のない怒りに支配された自分が情けなくて涙が出た、のだと思う。
 そして、ガイに何を言われても結局彼は泣かなかったのだ。



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最終更新:2008年10月08日 01:03