街の出入り口を塞ぐようにして、用意した一個小隊が陣形を組んでいるのが見えた。報告を受ける。被害は思っていたよりずっと少ない。ルークの言葉の裏付を取る為にガイのことを訊ねてみたが、そのような少年を見た者はいないようだ。ヴァンは取り敢えず安堵の息を吐いた。だがこれで終わりではない。まだルークの確保が残っている。
兵にルークの居場所を教えると、ヴァンはその場に残った。彼らがルークを連れて別の大陸に到着したところで、押さえるふりをすればいい。
降りしきる雨の中、街は灰色に沈んでいる。吐き出される蒸気が、足元を霞ませる。鼻筋から伝った雨が口の中に入った。
兵への指示は既に終わった。先に港で待機を、そう思って振り返ったところで足が止まる。
灰色の世界に、尚昏く落ち窪んだように浮かぶ紅い像がそこにあった。雨に濡れた顔は陶器のように薄ら白い。軽く小首を傾げるようにして、しかし視線は足元に描かれる波紋に注がれている。
「だから」
雨に消え入りそうな程小さな囁きだったというのに、彼の言葉は確かに耳に届く。
「信用出来ないんだ、貴方は」
悟る。全て聞かれていた。彼はあの後すぐに自分を追いかけて来た。そしてヴァンと兵とのただならぬ内容の会話を聞く羽目になった。
立ち尽くすヴァンの前で彼は相変わらず視線を落としたまま、けれど小さく笑った。気だるそうにやっとヴァンの方を見る。
「お前を失うわけにはいかぬのだ」
馬鹿の一つ覚えのようだ、とヴァンは自身が口にした言葉を胸中せせら笑う。ルークは何も言わない。ヴァンもまた、先に続く言葉を見つけられずにいる。
背後からひとつ分の足音が聞こえた。
「主席総長!指示された場所に目的の人物の姿は……」
最後まで言い切る前に、それを制する。事態を察したらしい兵が、ヴァンの前にいるルークを捕らえようとするのも止める。捜索に向かった他の兵を引き上げさせるよう命令を下すと、兵は立ち去った。
また二人だけが、雨の中に取り残された。
「ルーク、私と共に来い」
手を差し出す。ルークはその場から動かない。向けられた視線にも揺るぎはない。
ヴァンは歩を進める。ルークは動かない。
あと少し手を伸ばせば触れられる程、二人の距離は縮まった。
「ルーク」
名前を呼ぶと、それが合図だと言わんばかりに手を振り払われる。射抜くように鋭い視線で、睨み上げられた。
「信じさせてくれなかったクセに……」
搾り出すような声で、ルークは言った。言葉を失う。
「全部、嘘だったクセに!」
つかみ掛かられ、胸を叩かれた。元の身長差から、彼はただヴァンに縋っているようにしか見えないかも知れない。子供だから、力も弱い。それでもルークはヴァンの胸を叩く。
「私には、お前が必要なのだ……ルーク」
どうあっても、無理矢理連れ去る他はないように思えた。出来るだけ優しく聞こえるよう、ヴァンは同じ言葉を繰り返す。ルークは両手を打ち付けたまま頭を大きく振って言った。「違う違う違う!」
「違う?」
雨の中、二人だけで世界が閉じていた。無彩色の世界に、昏い焔が揺れている。
涙と雨で濡れた顔を見下ろした。泣き腫らした目が、こちらを見上げた。
「どうせ嘘なら騙し通して!本当の事になんて気付かせないで!最後まで貴方を信じさせて…」
ルークの言葉が詰まる。最後の方の言葉は、小さくてよく聞き取れなかった。ただ、彼の絶望だけはよく伝わった。それはヴァンの裏切りにだけでない、自身を取り巻く全てに対する絶望の言葉だった。
ルークが離れる。いつも抱きついては照れ隠しに、すぐに離れるのと同じ仕種で離れた。
「貴方が信じられない」
そう言ったルークは笑っていた。懸命に、笑顔を作ろうとしているようにも見えた。唇が、雨に凍えているわけだけでなく震えている。
「だから、ごめんなさい」
死の預言(スコア)と、信じていた者全ての裏切り。揺らぐ足元に立ちながら、彼は明確な意志と声でそう言った。迷いはなく、落ち着いた口調だった。
「貴方と一緒には行けません」
ヴァンと同じに、彼も先ほどと同じ言葉を繰り返した。だが、そこに込められた決意は明らかに先ほどとは違うものだった。
頭の片隅、冷静な箇所が問う。まだ行けるか。押し切って騙しとおせるか。嘘に嘘を重ねられるか。その合間に、過ぎる別の意図。衝動のような、感情。下手な言葉を並びたてるよりもただ、その手を引いて、そして――。
ルークを抱き寄せた。
「来い」
腕の中のルークが動揺しているのが分かったが、抵抗はされなかった。
「行けません、何処へも」
「私と共に来い」
「僕は……信じられない、から」
「それでいい」
止まっていたルークの涙がまた溢れ出す。そういえばこんな事になるまで、ヴァンは彼の泣き顔を知らなかった。そんな当たり前のことに今気付いた。
復讐の為、利用する為、そんな理由でばかり彼を見ていた。その為に近付いた。その為に、生きてきた。なのに、その全てを振り払い、振り切るような衝動に駆られる。ただこの哀れな子供を、ここではない何処かへ連れ出したかった。こんな事は間違っている。だが今だけでいい。復讐も思想も画策も差し置いて、ただ彼の為に何か出来ることはないか、そればかりが頭を支配する。
小さく震える肩を抱きながら思った。何故、自分はこんな時代に生まれついたのだろう。
「今度こそ騙し通す。だから、もう一度私を信じなさい」
本当のことは何一つ言えないまま、ヴァンは用意した言葉の中に、本心をほんの少しだけ忍ばせて、告げる。
「私がお前の、居場所で在ろう」
頬を両手で包み込むようにして、ルークの顔を覗いた。彼は言葉を返すことはしなかった。ただ真っ直ぐにヴァンを見詰めた後、一度だけ頷く。
雨で張り付いた前髪を退けてやると、ヴァンはその額にひとつ、口付けた。