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 仄暗い闇の中に、濡れた白い肌が浮き上がっている。張り付いた髪が蘇比色をしているのは、被験体(オリジナル)に比べ外見が劣化した所為だろう。だが、それ以外は多少能力の安定性を欠くものの被験体(オリジナル)と変らぬ性能だ。
 新な名として「ディスト」という偽名を与えられたばかりの男は、弾き出された数値を見て、満足気に頷いた。世界初の完全同位体――それも、生物レプリカ、複写人間が完成した。それは長年にわたる夢がまた一つ、確実に近付いた証だった。
 完成したばかりのレプリカを残し、ディストは自身の直属の上司にと、導師からあてがわれた男のところへ向かう。恐らくは被験体(オリジナル)についているだろう。
 完全同位体を生み出した人間の被験体(オリジナル)は他に事例がない。身体にどのような異変がいつ起きるとも知れない。特に、ディストと共に研究に携わり、フォミクリーを発案した男の提唱したビックバンを考慮すると、出来るだけ目を離したくはなかった。机上の空論と言われようと、それを言ったのがあの男とあっては易々と無視は出来ない。
 導師を初め、そのことはヴァンにも言っていない。専門的な話になるということと、何れコンタミネーション現象により統合され、レプリカが失われることを考えると、これ以上の研究資金の提供が望めなくなる恐れがあるからだ。ディストとしてはそれは何としでも避けたい。
 案の定、ヴァンは被験体(オリジナル)の少年についていた。軽くノックをして入ると彼がこちらへ振り返る。被験体(オリジナル)の意識はまだ戻っていないようだった。
「フム、比較的良好そうですね」
 部屋の中は薄暗く、実際のところは判断はしかねたのだが、年下の上司になめられるのは癪だった。
「なかなかの出来栄えですよ。流石、この華麗なる天才ディスト様の所業、といったところでしょうか」
「そうか。だが、身体機能の刷り込みは不完全なのだったな」
「こればかりは。導師のレプリカ作成にあたってはもう少し巧く行くと思いますよ。それに脳の学習機能の方は完全に被験体(オリジナル)と同一ではありませんからね」
「今からでも充分取り戻せるでしょ」ディストが言うと、彼は満足そうに頷いた。
「で、どうします。早速レプリカをご覧になられますか?地下の装置に繋いだままですが」
 昔、幼馴染だった少年にもそんな問い掛けをしたことがあった。何かを作る度に、ディストはそれを少年に見せた。すると少年はまるでディストの粗でも探すようにして、作品に対して文句ばかりを言う。しかもそれはとても太刀打ちなどできないような正論ばかりで、結局ディストは言われたことを正すしかない。けれど、それを正して他に何もなくなると、彼はディストを褒めてくれるのだ。ディストはそれが嬉しかった。
 少年は幼い頃のディストにとっての神も同然だった。あの忌まわしい事件が起きるまでは、それは揺るぎのないものだった。
「いや、報告を先に聞こう」
「では場所を移しましょうか」
 忌まわしい事件、それ以来ディストは神を喪った。神を他に、ディストの言葉に耳を傾ける者はもういない。
 部屋を出るヴァンに続く。被験体(オリジナル)の少年一人を部屋に残す。扉が閉まる際、改めて少年を見る。あの事件のとき、ディストもディストの神も、あの少年とそう変らない年だったのだということを今更思い出した。
 場所を変え、ヴァンと二人きりになった。広間を出てすぐの庭は荒れ放題で、人の手が入らなくなって久しい。途中で錆びた鉄格子に指を引っ掛け、血が滲む。
「それで、どうするのですかヴァン謡将?私としては被験体(オリジナル)、レプリカ共々手元に置いて、経過を見たいのですが」
「途中不具合が出て来たとあっては貴方も事でしょう?」ヴァンの背中に問い掛ける。
 実際は、ビックバンの兆候を観察したいというのが本音だった。それを悟られないよう、どうにかして被験体(オリジナル)とレプリカの両方を引き留める手立てはないものか、と思案する。
「レプリカはキムラスカに戻す。あれは預言(スコア)を欺く為の代用品に過ぎぬ」
「試験作とはいえ、使い捨てにするには随分と高価な代物ですね」
「どうせお前の目的はフォミクリー研究だろう。その内、嫌という程生物レプリカを作らせてやる」
 背中を向けているのでヴァンの表情はよく判らない。だが、恐らくは笑っているのだろう。
 底の知れない男だ、と思う。物腰柔らかくにこやかに、けれど決して自身の本心は覗かせない――幼馴染のあの男を思い出す。ヴァンがディストにとっての新たな神に成り代わるなど決してあり得ないことだったが、それでももう少し、自分の研究如何を差し引いても、この得体の知れない男の理想だか思想だかに付き合ってみても良いかも知れない。
「それでは、レプリカを見せてもらおうか」ヴァンが言う。
「へ?」
「レプリカだ。出来ているのだろう。……キムラスカにやる前に一度確認しておきたい」
「ああ、はいはい確認ですね」
「誰も見ないとは言ってないだろう」
「わ、分かってますよ!」
 背中越しに、こちらを見るヴァンは矢張り笑っていた。馬鹿にされた、と思った。しかもこんな、随分と年下の子供にだ。
 広間を抜け、書斎だったであろう場所の奥に作った地下へ向かう。そこにフォミクリーの装置が安置されている。踊り場から丁度地下のほぼ中央を見渡せる。そこで、ディストは目を見張った。
 レプリカが立っている。
 そんな刷り込みはしていない筈だった。今回は完全同位体の理論を確立させることに重きを置き、刷り込みは次の機会に回した。まだレプリカは言葉を発することは愚か、立つことすら儘ならない筈だ。なのに、装置の前には赤い髪の色の子供が立っている。
「ルーク!」
 動けないでいた横で、大きく身を乗り出してヴァンが叫んだ。金縛りが解けたように、ディストは現実に引き戻される。赤い髪の子供が振り返った。
 泣いている。
 思った次の瞬間、部屋全体の音素(フォニム)が震えた。ヴァンの顔に焦りの色が浮かぶ。何を、と言おうとした瞬間子供が手を振りかざした。見たことがある。昔、幼馴染が譜術の発動のときに見せていたのと同じ動きだ。装置を壊す気だ。
「やめなさ……」
 ディストが言い終わるより先にヴァンが踊り場から飛び降りた。突然降った影に、けれど子供は躊躇なく腕を振り下ろす。その先にはフォミクリー装置とそして、横たわるもう一人の少年がいた。
「ルーク!」
「やっ……!」
 ヴァンに腕を掴まれたところで、急速に部屋の中の音素(フォニム)の密度が薄れていく。それでも尚ヴァンの腕から子供は逃れようと暴れていた。ディストは装置が無事なことと、もう下へ降りても安全だということを確認して彼らに近付いた。
「被験体(オリジナル)の方でしたか。全く、このクソガキ」
 もう少しよく考えればすぐに判ることだった。混乱していたとはいえ全く動けなかったのが恥ずかしい。
 ディストの悪態を子供は特に気にした風でなく、ただヴァンを睨み上げていた。蚊帳の外だった。
「何なんですか……これは」
 子供の声は怒りや悔しさといった負の感情で震えていた。けれどそこには何故か、憎しみといったものは感じられなかった。
「お前を手元に置くにしても身代わりがいる。その為のレプリカだ」
 その言葉に、子供は若干の冷静さを取り戻したように見えた。ヴァンもそれに気付いたのか、掴んでいた腕を解放する。
「嘘。最初からこれが目的だった」
「半分は」
「――そう」
 子供はそう言ってヴァンの横をすり抜けた。そこでやっとディストの存在に気付いたように足を止め、全身を一度観察するように見た後、露骨に嫌そうな顔をした。ディストに初めて会う人間は大体こんな顔をする。それから、興味をなくしたように目を逸らすと、肩越しにヴァンに言う。
「今度はもう少し巧くやって」
 その言葉に、ヴァンが微笑む。それはディストが見たことのない、優しいものだった。
「努力しよう」
 その答えに満足したのか、子供は前を向く。その時、子供もまた微笑んでいた。ヴァンからは恐らく見えなかっただろう。諦めにも似た、そんな力ない微笑だった。そんな笑顔を、昔何処かで見たことがある気がする。
「部屋に戻ります」子供は告げるとそのまま階段を上がって行った。
「物分りが良いというか……変な子供、ですねぇ」
 ヴァンから返事はなかった。慣れていたので、ディストは特に気にしなかった。
 不意に、子供の諦めにも似た笑顔の意味に思い当たった。それは、ディストの幼馴染が生物レプリカの研究を諦めることを決めた時に見せた、あの笑顔と同じだった。忘れもしない、それはディストの神が死んだ瞬間だった。



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最終更新:2008年10月09日 01:59