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 ローレライ教団総本山ダアトは住人の殆どが教団員で占められている。旅客や参拝客の為の宿こそ設けられてはいるが、居住区は教会内にある。似たような部屋と道とが延々と立ち並ぶ中、ティアは自分が迷子になったことを自覚した。こんなことならユリアシティで大人しくしているべきだった。
 久しぶりに兄に会えたのが嬉しかったティアは、一日だけという約束でダアトに連れて来てもらった。そして案内された兄の部屋で、会議が終わるまで大人しくしているようにと言われた。けれど滅多に来ることの出来ない外殻大地は、幼いティアにはあまりにも魅力的に思え、探究心を抑えることが出来なかった。その結果が迷子だった。
 ティアの兄はローレライ教団の幹部だ。異例の昇級らしく、敵も多いと聞く。だからこそ、いつかは自分もローレライ教団に入団し、兄の助けになるよう努めよう、そう考えていた。こんなところで迷っている場合ではない。これでは助けになるどころか、逆に足を引っ張ってしまう。そう考えるとティアは迷子の心細さもあいまって、涙が込み上げてくる。とうとう堪えきれずにティアは泣き出した。だが今は、慰めてくれる大きな手も、優しい歌もない。
 暫らくそのまま、途方に暮れて歩いていると前方に人影が見えた。ローレライの教団服を着ているようだがその影は小さい。ティアと同じか、気持ち大きいくらいだ。
 立ち止まって見ていると、その人影は辺りを気にするようにしながら歩いている。仲間だ、とティアは思った。向こうもティアに気付いたようで驚いたようにして立ち止まる。そしてティアの顔を見て明らかに困ったような顔をした。
「迷子?」
 思い出してしまった。言われて、止まっていた涙がまた溢れそうになる。それだけではない。誰かに会えた、という安心感に拍車が掛かった。相手は益々困ったような顔をする。
「え、ちょ、泣かないで!」
 こんなところにはとてもではないが、誰も来る様子はないというのに相手は焦った様子で周囲を気にしている。よくよく見ると、年頃もティアと同じくらいだ。
 髪は帽子の中に纏め上げられていて何色かは判らなかったが、目は綺麗な緑色をしていた。発光するセレニアの花粉が照らす葉の色に似ている。口調から察するに恐らくは少年だろう。子供用の教団服は男女差があまりなく、相手も中性的で整った顔立ちをしているものだから最初は判断しかねた。
「迷子なんだね?」訊かれたもののしゃくり上げるティアは返事に詰まる。
「頷くか首振るかしてくれればいいから」
 尤もな指摘にティアは一瞬息を詰まらせた後、ひとつ頷いた。自分とそう年も変らないだろうというのに、ちょっと偉そうだな、と思った。
 少年はティアの返答に逡巡しているようだ。それから何事かを諦めたように溜息をつく。
「判った。礼拝堂までは連れてってあげる。後はそこにいる教団員に行き先を伝えれば良いよ」
「でも、知らない人とあんまり喋っちゃ駄目って……兄さんが」
「兄さん?」
 言ってからティアはしまった、と思った。教団内での兄の地位を思うと、ティアは微妙な立場だ。誰が信用できて誰が信用できないか、それも判らない。相手が子供だからといって、易々と口の端に乗せるべきではなかった。
「兄さん、って?」案の定、追求される。ティアは口を開かない。
「あのね、口止めされてるんです、って言った時点で大体の見当ついちゃうものなんだけど……だったら最後まで言っちゃいなよ」
 少年は呆れているようだったが、ティアはそれでも頑として何も言わないでいた。ただ首を左右に振るだけだった。
 彼の言うことは矢張り尤もで、ティアは自分が恥ずかしくてならなかった。恥ずかしくて情けない。そんな考えばかりが頭の中を支配していて、ただ頭を振ることしか出来なかった。何も言わずにいることが唯一のティアの抵抗だった。
「解かったよ。まあ、それじゃあもう何でもいいから、ついておいで」頑ななティアの態度に、少年は少し困ったようにして笑った。
 それから四つ折りの紙を取り出すと、それを広げる。気になったティアが覗き込むと、紙には見取り図のようなものが描いてあり、幾つかの数字と時間がぎっしりと書かれていた。ティアの視線に気付くと、彼は今度は年相応の悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「真似しちゃ駄目だよ?」言って、また紙を折りたたんでしまう。
 歩き始める彼の後をティアは少し迷ってから、結局ついて行った。少年の足取りに迷いはなく、気付いたときには礼拝堂前にまで来ていた。
「じゃ、僕はここで」
 そう言うと、彼は階段を降りて教会の扉へ向かう。
「あ、りがとぅ」ティアが言うと少年が振り返った。拍子に帽子から紅い髪が一房だけ流れて、それが綺麗だった。
「どういたしまして」
 背を向けて歩き出した少年に、同じようにティアも背を向けて、そして途方に暮れた。礼拝堂の前まで案内してもらったのは良いものの、誰に話しかけて良いのか判らなかった。
「後十分くらいここにいれば良いよ」
「え」
 振り返ると階段を降りたところで少年が帽子を直しながら言った。
「会議が終わって、礼拝堂も開くから」
 その言葉を聞いて、彼は自分が思っているよりずっと大人なのかもしれないな、と思った。
 いなくなった少年の言葉通り礼拝堂の前で待っていると、暫らくして扉が開いた。中から何人かの教団員が出てきた後に、ティアは漸く会いたかった人物を見つけた。
「ティア?」
「兄さん!」
 驚いた様子でいる兄に駆け寄って腰に手を回して抱きつく。
「ティア、何故ここに……」
「ごめんなさい。部屋で待ってろって言われていたのに……」
「全く……まあ、過ぎたことを言っていても仕方がない。ここでずっと待っていたのか?」
「迷子に……なりました」
 なるべく悪いと思っているように、なるべく可愛らしく聞こえるように、ティアは言った。兄は言葉を失った。
「でも、親切な男の子がここまで連れて来てくれたのよ」
「何か用があったみたいで、すぐに行ってしまったけれど」それを伝えると兄の顔が少しだけ険しくなったように感じられた。
 少しの力を込めて、兄はティアを押し遣る。何だろう、とティアは思った。すると礼拝堂から白い法衣に身を纏った少年が出てきた。ティアより少し年下に見えた。線が細く少女のような印象を受ける。口元には物腰の柔らかい微笑がたたえられていた。
「ヴァンの妹さんですか?」
 兄は何も言わない。何事かを考えているようだ。そんな兄の態度に少年は気を悪くしたような素振りは見せず、ただ笑みをひそめた。
「例の部屋へ向かいます」兄が言うと、少年は僅かだが眉根を寄せた。
「分かりました。僕も行きます」
 兄の言葉に頷き、近くにいた兵にティアを部屋へ案内するよう指示を出した。不安になって兄を見上げる。
「心配するな、すぐに戻る」
 そうとだけ告げると、兄は足早に立ち去った。少年もその後に続く。自分もついて行きたい、とティアは思った。けれどこれがティアと兄との距離であるということもまた事実だった。
 言葉通り、兄はすぐに戻って来た。その顔にはもうあのときのような険しさは感じられなかった。そのことに安心しながら、それでもティアは思う。あの刹那に垣間見た顔もまた、兄の一面なのだ。ティアの知らない兄の顔なのだ。



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最終更新:2008年10月09日 02:01