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 マルクトの死霊使い(ネクロマンサー)の指揮下だったとは思えないほどの、最小の犠牲でタルタロスの制圧は終了した。神託の盾(オラクル)側の被害はラルゴが負傷した他、数名の死傷者が出るに留まった。タルタロス内の乗組員は証拠隠滅を踏まえ、見つけ次第殺すよう命令してある。今回の奇襲作戦には前もってヴァンから全てを一任されている。その判断で問題はないだろう。だが、問題は別にあった。導師の確保が今回の主立った任務だった為、シンクは作戦に加わっていない。何か不具合が起きた場合にのみ、合流するという算段だ。その合流が予想外に早まりそうだった。
 甲板に出たところでリグレットは目的の人物を見つけた。風になびく銀朱の隙間に見え隠れする横顔は忌々しげに歪められている。
「アッシュ!」
 風が強く、叫ぶようにリグレットは声を張り上げた。不愉快である様子を隠そうともしない眼差しをアッシュが向けた。
「今回の作戦からお前は外れろ」
 風に煽られる髪を片手で押さえながら、用件だけ告げる。彼は舌打ちをひとつして顔を逸らした。
 タルタロスには彼のレプリカが導師や死霊使い(ネクロマンサー)らと共に同乗していた。辛うじてアッシュの顔は死霊使い(ネクロマンサー)に見られるに留まったが、またいつ接触するとも限らない。遠ざけてしまうのが一番だとリグレットは考えた。それ以上に、アッシュはこともあろうかレプリカに攻撃を仕掛けた。
 彼には隠されているが、あのレプリカにはキムラスカを欺く為の、オリジナルルークの替え玉として以上の役割があるからだ。それはアッシュの死すべき預言(スコア)を覆す為の生贄だ。今ここで失うわけにはいかない。いつまた彼が激情に駆られレプリカに剣を向けるとも知れない。アッシュを作戦から外す理由はそこにもあった。
「俺なしで上手くやれるのかよ」
「タルタロスの制圧、導師の確保……主立った任務は終了した。幸いラルゴの傷も浅いと聞く。シュレーの丘の解呪が済み次第シンクとも合流する予定だ。戦力的な問題はないだろう」
 暫らく彼は納得のいかないような顔をして黙り込んでいた。しかし肩の力を抜くと同時に、溜息をひとつ吐くと眉間の皺が薄れる。
「何でレプリカがここにいやがる?」
「私も詳しくは……だが、先程閣下に確認をとったところ、どうやら突発的な事故であるようだ」
「突発的、ね」
「閣下もこちらへ向かっておられる。だが、我らと閣下の繋がりを悟られるようなことはあってはならない。特に今レプリカルークはあの死霊使い(ネクロマンサー)と共にいる」
 言葉を選びながらアッシュに伝える。ヴァンの命令で、彼にアクゼリュスの崩落にレプリカを使うことを気取られないようにしなくてはならない。
 アッシュはリグレットの言葉に一瞬、眉を顰めた。そして何事かを思案するように口元へ手を遣る。
「どうした?」不安が過ぎり、リグレットは問うた。
 アッシュは何でもないように顔を上げると、自分の言葉を確認するようにひとつ頷いてから口を開いた。
「死霊使い(ネクロマンサー)をまだ始末してねぇのか」
 そういえばアッシュはあの男に顔を見られている。
「ディストが渋っている……」
「あの屑」忌々しげにアッシュが吐き棄てた。
「だが、放っておくわけにもいかねぇだろ。あの道化野郎の話が本当なら、死霊使い(ネクロマンサー)殿は俺と『ルーク』の関係に気付く筈だ」
「或いは、もう気付いているかも知れんな」
「ディストの言うことなんざ無視しろ。とっとと殺しちまいな」
 そう言ってアッシュは柵に重心を預けて空を仰いだ。彼の言うことは尤もだ、とリグレットは思った。
「確かにあの男は危険人物だが、その分こちら側に引き込めば益も多い。幸い封印術(アンチフォンスロット)で譜術は封じられている……ディストの意見はさて置き、死霊使い(ネクロマンサー)の処分については閣下からの指示を仰ぐかたちになるだろう」
「甘いな」彼の言葉は嘲笑と共に吐き出された。だがそこには挑発的な響きは含まれておらず、自身の意見を否定されたことに対する皮肉ではないように思えた。だからリグレットも聞き流した。
「この後、私はシュレーの丘へ導師を連れて行く。お前も別のデッキからタルタロスを降るといい。カイツールで閣下と合流し、後は閣下の指示を仰げ」
「カイツール……」
 呟いて彼は黙り込んだ。風で落ちかかってきた前髪を掻き揚げながら、視線を落とす。睫毛の陰で、秘色色の眼が昏く落ち窪む。
「どうかしたのか」
「いや……コーラル城が近いと思ってな」
 そこはかつて彼の父親が所有し、今は放棄されたファブレ公爵家の別荘だったという城だ。そして、ヴァンがディストにフォミクリーの装置を用意させた場所でもある。アッシュのレプリカはそこで造られたという話だ。先程のレプリカへの襲撃を思えば、彼にとっては忌々しい場所であるのは間違いだろう。
「閣下からのご命令でない限り、あそこへは近付くなよ」
 本当はもっと気の利いた言葉の一つも掛けてやりたかったが、結局突き放した言い方しか出来なかった。それに、今でこそフォミクリーの公に出来ない実験はワイヨン鏡窟で行われているが、コーラル城の装置も未だに生きている。彼が好んであまり良い思い出のないその場所へ近付くとも思えなかったが、釘を刺しておくに越したことはない。
「ん、解かってる」アッシュは気のない返事をした。それから思い出したように顔を歪める。「誰が行くか、あんなところ……」
 取って付けたような物言いだ、とリグレットは思った。
 彼は時折このような物言いをすることがあった。何処か上の空で別のことに気を取られていると、曖昧な返事を返した後にそんな風に付け加える。恐らくリグレットの他に彼のそんな些細な癖に気付いている者はいないだろう。だがそんなリグレットでさえそれ以上の彼の思惑は計り知れないでいる。
 アッシュは特務師団長となり、階位を与えられていないにも関わらず数々の功績を上げて来た。そしてついには六神将の一人として名前だけは知れ渡るようになった。
 アッシュは最初の頃こそ環境の変化に戸惑っていたのかなかなか砕けた話をすることもなかったが、役目をこなす内にリグレットを初めとする、事情を知る何人かとは徐々に打ち解けていった。だが、それでも矢張り彼は常に一線を引いている。打ち解けたように見えて、その視線は常に油断なく鋭い。ヴァンにすら、本心を打ち明けてはいないのだろう。まるで取り囲む全ての世界に敵愾心を抱いているようだった。恐らくそんな風にしか生きられない理由はヴァンから聞かされたオリジナルルークの家庭環境を思うと、彼の過去にあるのだろう。
 王家の監視下で兵器として管理され、父親からは愛情らしい愛情を与えられず、母親はそんな父親に気付かない。その上定期的な超振動の実験だ。ヴァンは預言(スコア)を覆す為、アッシュを連れ出しレプリカを造ったが、それ以上にそんな環境から彼を救いたかったのだろう、とリグレットは考えている。しかしそれは結果的に、何処かでまだ親の愛情を信じていたアッシュの居場所を奪うことにもなってしまった。これもまた彼の傷になってしまった。ヴァンもまた、そのことに対して未だに葛藤を抱いているようだった。
 彼が誰にも本心を打ち明けることができず、屈折してしまうのも解かる気はする。それでも神託の盾(オラクル)に入ってからの彼は、周りの機嫌を伺って自分を作ることはないようだった。それは彼にとってもヴァンにとっても幸いと言えるだろう。
 そのまま、また彼は思案に耽るようにして遠く地平線を見つめていた。オリジナルルークには彼を肯定するものも、信じられるものもない筈だ。少なくとも、そう思い込んでいても仕方がない筈だ。それでも真っ直ぐな彼の視線を見ていると、そんな迷いや鬱屈とは程遠く、何かを吹っ切っているような潔ささえ感じさせる。
 何もかもを奪われた彼の信じるものがヴァンの理想だったら良い。アッシュの横顔を見つめながらリグレットはそんなことを思った。
 タルタロスはセントビナーを過ぎたところで停止し、リグレットと導師の他、神託の盾(オラクル)兵を二名降ろしてまた発進した。結局、リグレットが同志としてアッシュと会話をしたのはあれが最後になった。



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最終更新:2008年10月11日 03:40