無事にケセドニアに入港すると、レプリカルークの監視は引き続きガイに任せて別れた。
負傷したアリエッタを宿に置いて、ヴァンは外へ出た。部下から何かしらの連絡が入る筈だった。暫らく賑わう街の中を歩いていると、路地裏からヴァンを呼び止める声がした。そのままそちらへ足を向ける。暗がりに仮面を付けた少年の姿が浮かび上がった。
「大まかな話は船の中でアリエッタから聞いている」
少年が口を開く前に言った。彼は皮肉を込めて肩を竦めた。
「何故このようなことになったのだ?」
「さぁ?本人に直接訊けばいいんじゃない。街から離れたところにタルタロスを待機させてる。あの馬鹿もそこだよ」
アリエッタはシンクとディストに任せ、ヴァンはケセドニアをキムラスカ側に抜けた。
キムラスカに続いているとはいえ、ザオ砂漠を渡るという選択をする者は少ない。荒涼とした砂漠を歩く。
以前この砂漠を訪れたのは、もう七年も前だった。その時はまだ幼かったアッシュを連れ、キムラスカからこのケセドニアを目指して歩いたのだった。
シンクから言われた場所に差し掛かると、崖の死角に隠れるように停止したタルタロスが見えた。艦内に入ると、すぐにラルゴが報告に現われた。
「リグレットはもうアクゼリュスへ向かったか」
「はい。アッシュは右翼デッキの下の部屋におります。監視に兵を立てているので行かれればすぐに判るでしょう」
タルタロス襲撃の際、アッシュがレプリカに攻撃を仕掛けたという報告を受けていた。アッシュとレプリカルークの接触は全くの偶然で、導師確保の作戦から彼を外したリグレットの判断は正しいと言える。被験体(オリジナル)とレプリカのこれ以上の接触は避けるべきであった。何より、アッシュにアクゼリュス崩落の預言(スコア)にレプリカを使うことを隠しておかなくてはならない。だが結局ヴァンはその使い道をアッシュに打ち明けることになった。
カイツールでアッシュと合流する、そこまでは良かった。そして、カイツールに着いたヴァンが見た光景は今まさにレプリカに斬りかからんとするアッシュの姿だった。ガイを初めとする他の連れには背を向けていたものの、一人孤立し倒れるレプリカに剣を向けている。咄嗟にその間に入り、振り下ろされた剣を受け止めた。間近に彼の顔が在る。忌々しげに歪められたその表情は、けれどヴァンの突然の介入にも然して驚いてはいないようだった。
ヴァンの言葉に、彼は舌打ちひとつ残して従った。レプリカはガイに任せカイツールを抜けて暫らく街道を南下している途中、アッシュと合流した。
「どういうつもりだアッシュ」
「あんたもな」ヴァンの問いに彼はすぐさまそう返した。
そこで彼をこれ以上欺き続ける事は不可能なのだと悟った。ヴァンはレプリカを犠牲にアッシュに降りかかる死の預言を覆すことを打ち明けた。話の途中、彼は驚いたような表情を見せた後すぐに眉根を寄せたが、結局最後までヴァンの話を聞いていた。そして一通りヴァンが説明を終え言葉を切ったところで、不満そうな態度を隠そうともせず口を開いた。
「で、アクゼリュスの住人はどうなる?」
「預言(スコア)通り、街もろとも魔界(クリフォト)の泥の海に呑み込まれるだろうな」
彼の問いは半ば予想していたものだった。預言(スコア)の成就にアクゼリュスの消滅と英雄の死は欠かせない。
ヴァンの目的はそう遠くない未来に起きる破滅からの、人類の解放と救済だ。だが人々には星の記憶が刻み込まれ、回避することは容易ではない。その為の準備を推し進めてはいたが、実行に移すには時が早すぎた。その上ローレライ教団には預言(スコア)を盲信するモースという障害が残っている。そんな大衆を欺く為、全ての準備が終わるまで、大衆の目を欺かなくてはならない。ユリアの預言(スコア)は滞りなく成就され続けているのだという証拠が必要だった。その為、レプリカを使いアクゼリュスを崩落させる。結果、そこに住む一万の人々は預言通りに死ぬ。ヴァンの計画が実行に移されれば何れ死すべきオリジナルに、情を動かされることはない。
だが、年若いアッシュはそうは行かないだろう。だからこそヴァンは計画の全容を彼に打ち明けることを躊躇ったのだった。
「だが、これも預言(スコア)を覆す為には必要なことなのだ……判るな、アッシュ?」
念を押すように、ヴァンは言った。
「ふぅん……」
興味が失せたとでも言うように、アッシュは気の抜けた相槌を打って顔を背けた。彼の意外な反応に目を見張る。
「まあ、それで預言(スコア)が覆るなら俺は何も言う気はない……何だ?」
「いや、意外だっただけだ。お前がそのような物言いをするとは思わなかったからな」
思ったことをそのまま口にすると、アッシュは苦笑した。それは昔から変らないヴァンの知っている笑顔だった。
「そこまで甘く見られてたとは……もう少し自分の弟子を信用しろよ」
「すまなかった」
その後タルタロスから離れる必要のなくなった彼に、もう一度艦に向かうことを命じて分かれた。彼は納得したのだとばかり思っていた。だがその後カイツール港はアリエッタの襲撃を受け、そこにはアッシュの影が見え隠れした。レプリカルークをコーラル城へ誘き出し、そしてフォミクリー装置の存在が知られることとなった。当人や同行する妹はともかくとして、イオンのレプリカである導師と音機関好きのガイ、そして何よりあの死霊使い(ネクロマンサー)は絡繰りに勘付いたかも知れない。その首謀者がヴァンであることまでは探り当てるに到らないだろうが、それでも事態は拙い方向へ動いている。装置を完全に廃棄しておかなかったことが今になって悔やまれた。
階段を降りて廊下を暫らく進んだところに、神託の盾(オラクル)兵が立っていた。ヴァンが近付くと敬礼をし、そのまま扉の前から退いた。触れた取っ手は冷たい金属の感触をヴァンに返してきた。
部屋の中はタルタロスの他の多くの部屋と同じ造りだ。丸窓からは蒼穹が覗いている。差し込む光以外、室内に明かりはない。寝台に腰掛けたアッシュが深く頭を垂れている。まるで祈りでも捧げているようだった。扉を閉めると、アッシュが顔を上げた。近付いて見下ろす。彼は視線を彷徨わせた後、結局窓の外へ向けた。
「心外だ」彼が呟いた。
「何を考えている……死霊使い(ネクロマンサー)ジェイドがレプリカに同行していることを知っていながらコーラル城を使うなど……」
「俺はとっとと片を着けろとリグレットに言った。いつまでも放置してる奴が無能なんだろ」アッシュは相変わらず窓の外を見つめながら言った。「知ったことかよ」
「そのことを差し引いても、お前の勝手な行動に因って計画が明るみに出るところだった……いや、相手はあの死霊使い(ネクロマンサー)だ、何かしら勘付いているだろう」
「ッ別に!勘付いたところで、とっとと計画を実行に移ちまえば手も足も出せねぇだろうが。何だったら、アクゼリュスの崩落に巻き込んで始末しちまえばいい」
彼はヴァンの方を向き、一息にそう言った。必死の表情に、ヴァンは自分も母に言い訳をしたときこんな顔をしていたのだろうか、と場違いなことを考えた。
「まあ、いいだろう……だが危険な橋を渡ってまで何故あの城を使った?」
「他に適当な場所がなかったからな」
「ディストにレプリカの同調フォンスロットを開かせたそうだな」
「ああ。これでいつでもあのレプリカの様子を監視出来る。わざわざあんたの大事なご主人様を、見張りにしておく必要もなくなるってわけだ」そう言った彼の顔からは先程までの激情は失せ、薄ら笑いすら浮かんでいた。「単純な行動なら、あいつの動きを制限することだって出来るぜ?」
レプリカルークが初めてヴァンの技を使いこなせたときに見せたのと同じ、得意気な表情を浮かべてアッシュが言った。
いつの間に彼はこんな表情をするようになったのだったか、ヴァンには思い出せない。屋敷にいた頃の彼はいつも控えめに笑っていた。アッシュになってからは、その内面も少しずつ外に出るようになった。ならばこんな表情のひとつもまた、彼の抑圧され続けた一面に過ぎないのだろうか、と考えた。
「確かに危険な橋ではあったが、渡る価値はあっただろう?」
「そうだな」
それでも違和感を拭いきれず、ヴァンの返した言葉は抑揚を欠いていた。そんなヴァンを見上げて、彼はすまなさそうな顔をして視線を落とした。
「あの城を勝手に使ったのは悪かった」
「そうだな、せめて一言断りを入れてからにして貰いたかった」
「計画を聞いて……少しでもあんたが動き易くなればいいと思ったんだ」
彼は今度は不機嫌そうに言った。それを聞いて、ヴァンはこれ以上アッシュを責めることが出来なくなった。言うべき言葉を見失って、そのまま長い溜息をついた。
「わ、悪かったって……んな落ち込むなよ」
「落ち込んでいるわけではない」
それでもヴァンの手は自然と眉間に当てられた。バツが悪そうにアッシュが覗き込んでくる。ヴァンは眉間から手を離すと、そのまま彼の頭に乗せ、数度調子をつけて叩いた。
「お前が馬鹿だと思っただけだ」
「なっ、ばっ……ガキ扱いすんじゃねぇ!」
ヴァンの手をかわすように立ち上がると、アッシュは顔を赤らめながら後退った。そんな彼の反応はレプリカと矢張り同じだったが、先程のような不快感は感じなかった。あまりに彼が慌てるものだから、それが可笑しくて笑った。