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 規則正しい振動に身体を揺らされながら窓の外を眺める。タルタロスが走り出してからそう時間は経っていない。外は相変わらずの雨だ。タルタロスへ連行される直前、ルークの後ろからアニスが走ってくるのが見えた。彼女が雨に濡れて風邪などひかなければいいな、とイオンは思った。洗面所は数分前から閉ざされたままになっている。雨音に混じり、時折苦悶に呻く声がする。
 鮮血のアッシュの顔は導師であるイオンも初めて見た。彼は師団長ではあったが、その任務の特殊性から公の場には決して出ることはない。そう聞いていた。だが特務師団はイオンが生まれるより以前に、オリジナルイオンが半ば押し切る形で設立したものだと聞いている。問題は任務の特殊性でなく、師団そのものにあったというわけだ。
 艦内に入るとすぐにシンクは管制室に向かい、そのままアッシュにこの部屋まで連れられて来た。廊下を歩く二人は終始無言だった。既にイオンはルークと同じ顔をしている彼の正体に、一つの確信を抱いていた。それをアッシュに確認したかった。けれど前を歩く彼の背中は全てを拒絶しているようで、イオンは口を開くことが出来なかった。当たり前といえば当たり前だろう。彼らにとってみれば道具でしかないレプリカに真実を打ち明ける必要などない。
 その後この部屋に通され、彼はそのまま出て行くものだとばかり思っていた。だが彼はいきなり備え付けの洗面所に駆け込み、そして出てこない。それが彼と同じ顔を持つあのルークへの嫌悪感から来る行動だったとしても、それまでは平静を保っていた筈だ。
 断続的な呻き声が収まり蛇口の水音が止まると、漸くアッシュが洗面所から出てきた。その顔が蒼白なのは、雨に打たれ体温を奪われたからだけではないだろう。ルークと同じ顔をして、けれど浮かぶ表情は全く別のものだ。感情らしい感情はそこになく、疲れた男の顔をしていた。頬に張り付いた前髪を掻き揚げながら、彼は机の脇の椅子に腰を下ろした。
「大丈夫、ですか?」
 男は答えない。まるでそこにイオンが存在してなどいないように黙り込んでいる。それはヴァンやモースといった、イオンが導師のレプリカであることを知る人々がとるものと同じ態度だった。だからイオンはそこで、彼はオリジナルイオンと面識があったのだろう、と思った。そうでなくてもルークとの関係を推察するに、彼がフォミクリーと深い関係がある人物であることは疑いようがない。きっと彼はレプリカを憎んでいるのだろう。居た堪れなくなって、イオンは視線を床に落とした。こうした人からの態度には慣れていたが、それでも実際レプリカから何らかの犠牲を被った人間を前にすると、掛ける言葉を失ってしまう。すると彼が顔を上げ、イオンの方へ視線を向けてきた。ルークと同じ、深い秘色色の双眸だった。
「久しぶりに間近で見たから……驚いた」
 彼の声は掠れていて聞き取り辛かった。発した言葉もイオンに向けられたものというよりは、殆ど独り言であるかのように聞こえた。だがそれ以上に驚いているイオンは、言葉を返すことを忘れて立ち尽くす。
「座ったらどうだ?……体力が劣化してると聞いている」
 促されて、イオンはそのまま彼の言葉に従って正面の椅子に腰を下ろす。彼とは机を挟んで向かい合うかたちになった。彼のその言葉で、矢張りイオンがレプリカであることを知っているのだな、と思った。アッシュは頬杖をついて、髪を弄っている。たまにルークがする仕種だった。イオンはぼんやりと、彼の濡れそぼった髪から雫が落ちるのを見ていた。二人の間に沈黙が流れる。
「何か訊きたいことがあるんじゃねぇのか?」突然アッシュが口を開いた。
「え」
「歩いて来る途中、何か訊きたそうにしてなかったか?」
 気付かれていたらしい。戸惑うイオンを見て、彼が吹き出して口元を押さえた。この部屋に入ってから彼が見せた、初めての感情らしい感情だった。
「悪い。被験体(オリジナル)と全然違うのが可笑しかったんだ」
「似ていませんか?……それは、困まりますね」
「僕は彼の代わりなのに」イオンが呟くと彼の笑顔が退いた。
「それより、何が訊きたい」
 彼の言い様はイオンの問いを半ば予想しているようだった。
「はい。僕が訊きたいのは……」
 言い掛けて、言葉に詰まった。イオンが訊きたいのはルークとアッシュの関係についてだった。恐らくはどちらかが被験体(オリジナル)でどちらかがレプリカなのだろう。コーラル城での一件を考えると、二人ともレプリカであるという可能性は低そうだった。だとしたら目の前のこの男が被験体(オリジナル)である可能性が高い。だが、どの面を下げてレプリカであるイオンが彼に「ルーク」の名を出せるだろう。行動を共にしていた彼がルークなら、この男もまたルークだ。それでも詰まった言葉の先を続けなくてはならない。
「さ、さっきの、貴方のそっくりさんについてです!」結局混乱の窮みに達したイオンが何とか見つけた上手い言い様がそれだった。
 絶句したアッシュを目の前にして、そこで初めて自分の発した言葉の間抜けさに気付く。顔が熱くなるのを感じた。
「すみません!他に言い様がなくって!」慌てて言い繕おうとするが、結局言い訳らしい言い訳は出てこなかった。
 一人慌てるイオンを前に、アッシュはそのまま机の上に突っ伏した。片腕で頭を抱え込むようにして、額を机に擦りつけながら肩を震わせている。
「そっくりさんか……まあ、確かにそうだな」苦しそうに彼が言った。
 イオンは自分の素の言動で、誰かがこんなにも感情を動かすところを見たのは初めてだった。増してや彼はイオンが導師のレプリカであることを知っている筈だ。彼の反応そのものを嘘だとは思わない。だが不思議だった。
「貴方は……レプリカ、ですか?」
「そう思うのか、導師?」
「貴方が被験体(オリジナル)なら……レプリカとういう存在そのものに嫌悪感を示すと思います。僕も、レプリカですから」
 それ以外に考えられなかった。思ったことをイオンが言っても、彼は表情を崩すことはしなかった。
「何れ判る」そう言ってアッシュは笑った。
 結局、イオンの問いに彼は答えらしい答えを返すことはしなかったが、問いそのものを否定することもなかった。それはつまり、その問いが的外れではないということを示していた。この男はルークと関わりがある。そして、それはフォミクリーに因って?がっている。それだけ判れば良かった。
 アッシュが席を立つ。イオンも立ち上がり掛けたのを、彼が手で制した。
「このままザオ遺跡へ行く。あそこはセフィロトだからな」
 彼との会話で少しだけ軽くなった気持ちがまた重く沈んだ。セフィロトへ導師であるイオンを連れて行く理由は一つしかない。
「ダアト式譜術を使う前に奴らが来るか、こればかりはな……」
「奴ら?……ルーク達、ですか?」言ってからしまった、と口を押さえる。
「何故、彼らが来ると?」
 誤魔化すように言葉を続けた。彼らは六神将がイオンにダアト式封咒を解放させることを目的にしていることに勘付いていたとしても、セフィロトの正確な場所までは把握していない筈だ。
 イオンの問いに、彼は背中越しに顔だけを向けてきた。
「俺の『そっくりさん』に情報を流す。少なくとも導師護衛役(フォンマスターガーディアン)くらいは来るだろ」
 完全同位体同士であるならば、そうした交信が可能だという実験結果があるとは聞いていた。それが人間同士でも出来るのか、自分以外のレプリカの存在も知らなければ、被験体(オリジナル)も既に亡いイオンには判らない。そしてそれ以前に彼の言葉は、仲間である六神将への裏切りを匂わせている。
「何を……貴方は、六神将なのに……」
「徒党を組んじゃいるが、何も一枚岩ってワケじゃねぇってことだ。結局はどいつもこいつも、好き勝手に動いてるだけなんだからな」
 何でもないように彼は言った。それから扉に向かい掛けていた身体を、もう一度イオンの方に向けて言った。
「勿論、それは主席総長殿も例外じゃない」
 言い残して彼は部屋を後にした。一人残されたイオンはその言葉の意味を考える。彼の言葉は何かの忠告だったのだろう。そして、その言葉の意味するところを考える。
「ヴァンを、信用するな……?」
 思わず口にしたその言葉に心臓が早くなった。今さっき初めて顔を合わせた彼の言葉を、こうも容易く信じそうになる。ヴァンはイオンの出生を知る数少ない人間の一人だ。彼に言われるままにイオンは導師を演じてきた。それはイオンがヴァンを信じていたからだ。だがイオンの出自を知るということは、あの悍ましい禁術に関わっているということでもある。そんな男を本当に信用できるのか、イオンの内なる声がそう囁き掛けてきた。考えてみればイオンはヴァンの思惑を何一つ知らすにいる。何故、禁術に手を出してまでイオンを造ったのかも分からない。そこまで考えて、何かが引っ掛かった。
 在り得ない、即座にその考えを否定する。だが可能性は少なかれある。何故ならヴァンの部下にはあのアッシュがいるからだ。七年前の誘拐事件、ルークとアッシュ、そしてそれらに関わっているのがヴァンだとしたらどうだろう。イオンはヴァンを信じきる自信がなかった。
 いつの間にか雨も疎らになり、やがて上がった。雨の上がった空は、けれど相変わらずの鈍色だった。



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最終更新:2008年10月11日 03:47