アットウィキロゴ

 
※暴力描写があるので、苦手な方は飛ばして下さい。




 雷の音がした。曇天を背に聳え立つ城は、長らく人の入った気配がない。
 ワイヨン鏡窟の資材は既に全てフェレス島の施設に搬送されている。コーラル城には元々フォミクリーの装置以外は重要なものはない。万一ここから証拠が出たとしても、今更それがヴァン達の計画の妨げになるとは考えにくかったが、矢張りフォミクリー装置だけは完全に機能を停止させておく必要がある。
 本来ならディストを寄越すのが妥当だったが、彼はケテルブルクで拘束されたと報告を受けた。リグレット、ラルゴ、アリエッタもロニール雪山に出向いる。シンクを喪った今、ヴァンが自由に動かせる手駒は確実に減った。そして何より、アッシュ――ルークの裏切りがある。だが何も失ってばかりではない。計画もまた確実に成果を上げている。
 瘴気障害(インテルナルオーガン)に臓腑が引き攣るのを感じながら階段を降りる。計画を前にヴァンにとっては自身の命など二の次だった。フォミクリー装置のコンソールパネルの前に立つ。パスコードを入力すると装置が起動する。装置は七年前に見たのと同じ緑色の光を放っている。ここでレプリカルークは生まれた。それは預言に軋みが生じた瞬間だ。だが、まだだ。この程度の歪みであれば、預言は容易くその軌道を修正するだろう。それでは意味がない。
 ディスプレイに浮かぶ文字の羅列を、機械的に目で追う。そして全ての指示を記入し終え、装置を停止させようとしたときに気付いた。何者かが装置にアクセスした形跡がある。それもほんのついさっきだ。ヴァンは装置が完全に機能を停止させたことを確かめると、階段を駆け上がった。
 城はもう何年も前に放棄されている。ヴァン達が多少手を加えているとはいえ、人目につくような変化はない筈だ。灯りはなく、黴の臭いと潮の香りが混ざり合って鼻に届く。吹きさらしの窓から雷の光が入り込み、一瞬城の中が明るくなる。間を置かず、大きな音がした。また暗闇に戻った廊下を歩く。
 七年前にもこの廊下をヴァンは歩いた。まだ試験段階だったあの頃は、レプリカ情報をただ抜き取るにしても、今のように手軽には出来なかった為、被験体(オリジナル)もフォミクリーの装置に掛ける必要があった。慣れない生活に戸惑う幼いルークを、ますます怯えさせるであろうことをすまなく思った。そして不安そうな彼の手を引いて、この廊下を歩いた。突き当りには扉が在る。ヴァンは立ち止まり、扉を開いた。
 部屋の中には男が立っていた。赤い髪が流れる背中はヴァンが見慣れたものだった。同時に血に濡れた剣を下げたまま立ち尽くす、小さな背中を思い出す。あの頃とは何もかもが遠い。
「来ると思った」ヴァンに背を向けたまま彼は言った。「ワイヨン鏡窟では世話になったな、ヴァン」
 雷が鳴る。振り返る彼の髪の色が鮮やかに照らし出された。ヴァンの姿を捉えると、無感動に双眸が細められる。
「傷の具合はどうだ?」
 笑顔を作りながらヴァンは問うた。
「おかげさまで」彼が笑う。
 窓に雨粒が叩きつけられる。向き合って対峙する。彼を連れ去ったあの日の再来だ、とヴァンは思った。仄昏い中に、彼の顔だけが異様に白く浮き上がって見える。
「アッシュ、私と共に来い。私にはお前が必要なのだ」
 差し出した手に、彼が応じることはなかった。静かな目でただそれを見つめているだけだ。
「アッシュ」祈るような気持ちでヴァンは言った。
 彼は強く拒絶する様子も見せず、ただ力なく頭を振った。
「アッシュ、私と共に来い!」
 思わず荒げた声に、彼は今度は激しく頭を振ってみせた。そして耳を塞ぐようにして俯く。
「行けるか!」彼が叫んだ。
 顔を上げて彼はヴァンを睨んだ。そのまま手を振り払われる。
「俺は言った、騙し通せって!今度こそ騙しきれ、もっと上手くやれっつっただろ!なのにあんたはそれをッ」
「アッシュ、それでも私にはお前が必要なのだ!」
「はっ、あんたはいつもそればっかだな」彼は自嘲めいた笑みと共に言葉を吐き捨てた。
 ヴァンは言葉を失う。
 儘ならない。何もかもが儘ならない。ヴァンが求める大切なもの全てはこうしてヴァンを拒絶する。どんなに手を伸ばしても振り払われる。ガイもティアもルークも、この手からすり抜けていく。
 二人の間には、そのまま沈黙が流れた。雨音が煩わしい。
「俺は……必要ないと思う」彼が静かに呟いた。「貴方の世界に、俺の居場所はない」
 静かに彼はヴァンを見上げてくる。こんな静かな彼の表情をヴァンは初めて見た。
「貴方が目指してるのはレプリカの世界で、俺は預言(スコア)に縛られたオリジナルだ」
「関係ない」
「関係あるだろ」
「お前は預言(スコア)から解放された。違うか?」
「違う。預言は何処までも俺を追ってくる。アクゼリュスが崩落したって、あのレプリカを犠牲にしたって同じことだ」
「だが私は……!」
「私は?」彼の顔が歪む。「お前が必要だ、ってか?」
 ヴァンは手を伸ばした。彼が身を退くより早く両手で肩を掴む。勢いと痛みで彼は顔を顰めた。
「私はお前を救いたいのだ、ルーク」
 その言葉にルークは酷く驚いているようだった。だがヴァンは長年言えなかったことを、漸く言えた気がした。
「もう遅い」ルークの声は震えていた。
「そんなことはない」
 ヴァンは彼を引き寄せて抱きしめた。だがルークはそれを拒絶し、強く胸を押して突き放した。
「今更何血迷ったこと言ってやがる?もう遅ェんだよ!何もかも遅い!もう遅い!もう遅い!もう遅いんだ!」
 金属音が響いた。抜いた剣を真っ直ぐに向けてくる。だが彼には殺気はなく、寧ろ追い詰められ激情に駆られての行動であるように思えた。
「貴方が俺を繋ぎとめるから、俺は何処にも行けない。貴方が何度も何度も繋ぎとめるから俺は……!」
「繋ぎとめる。お前が私の許に戻るというのなら、何度でも私は繋ぎとめる」
「そうやって、貴方が俺を化け物にした!」
 言葉を失った。彼が何を言っているのか解からない。その言葉は鮮血のアッシュという二つ名を指しているとも、超振動のことを言っているとも取れたが、彼の必死の叫びはもっと深いところに根差している気がした。そしてその深淵はあまりに深く、ヴァンの手は届かないのだということに気付いた。ヴァンはその事実に愕然とした。
「そんな貴方に、俺が救えるものか」まるで止めでも刺すような物言いだった。
 落ち着きを取り戻した彼が剣をしまう。だがきっとその剣で斬りつけられた方が万倍マシだっただろう、とヴァンは思う。
 裏切られた。アクゼリュスの崩落のときも、ベルケンドで再会したときも思わなかったそれを、今確かに自覚した。外は相変わらずの嵐で、雨音と潮騒が頭を支配する。
 赤い髪を翻して彼がヴァンの横を通り過ぎた。部屋を出ようとドアノブに手を掛ける。ヴァンを置き去りに、部屋を出て行こうとしている。ヴァンは彼の二の腕を掴んだ。ルークが振り返る前に、その横っ面を張り倒した。突然の出来事にルークは体勢を崩すが、腕を掴んだままのヴァンが倒れ込むことを許さない。
「ヴァン、あんた……」ルークはあまり驚いていないようだった。
 落とした視線を持ち上げると、ゆっくりとヴァンに向ける。彼の掻き揚げた前髪が一筋顔に落ちかかった。先に続く言葉を待たずに、ヴァンは拳を振り下ろす。彼は膝をつき、腰を折った。掴んだ二の腕が勢いで滑り、手首のところで掴み直した。ルークは自由になる方の手を床につき、上半身を支えている。大理石の上に、鮮血が滴る。見下ろすヴァンから表情は窺えない。俯いたままでいる彼の頭に空いている方の手を伸ばし、鷲掴みにする。髪の毛の一筋一筋が指に絡んでよく馴染んだ。そのまま引き寄せて無理矢理に立ち上がらせる。抵抗なのか彼は僅かばかり身を捩ったが、力任せに岩壁に叩きつけたところ苦悶の声をひとつ上げて大人しくなった。
 儘ならない。先程浮かんだのと同じ言葉がまた頭を擡げた。この化け物を生み出したのがヴァンだとして、何故こうも儘ならない。その苛立ちと共に、内なる声が叫ぶ。この儘ならない化け物を支配しなくてはならない。だから、拳を振り下ろしたのだと思う。ヴァンの紡ぐ言葉はどれも悲しいくらいに無力で、この化け物を繋ぎとめることも支配することも叶わない。
 途中で手首を逆手に取られる。振り解こうと鷲掴みにしていた頭を床に引き摺り降ろす。それでも彼の手は外れずにいたので、無防備な腹部に蹴りを叩き込んだ。手が外れ、彼は仰向けに倒れた。
 二つ分の荒い息が雨の中に響いている。彼の鼻からは血が垂れ流れていて、唇にも血が滲んでいた。ヴァンは彼の傍らに片膝をつき、鼻血を拭ってやった。



/

最終更新:2008年10月12日 03:27