実際に手に取るのはそれが初めてだった。感触を確かめるように丁寧に、柄から鞘へ手を滑らせる。施された細工の一つ一つに指を這わせる。引き抜くと青白く透ける刀身が姿を現す。遠い故郷の空を思わせる、澄んだ青色だ。途端に手が震える。こんなことは馬鹿げてる、と思いながらガイは声を上げて泣きたくなった。
「良かったですね」ジェイドが言った。
その言葉がガイに向けられたものだったのかルークに向けられたものだったのか、それは判らなかったがその曖昧さが嬉しかった。剣を鞘に収めながらルークの方を見ると、満面の笑顔が返ってきた。
「ありがとう」
ルークは無言で首を振った。それでもガイはもう一度感謝の意を口にした。
ファブレ公爵家のエントランスを飾っていた宝刀は、七年という月日を経て漸く本来の主であるガイの手に戻った。この剣があったからこその、ガイの七年だ。この剣が全てを奪われたガイに絶望以外のものを与え続けてくれていた。この剣を一度で良い、手にする日がどうか訪れる事をただ願っていた。そしてその日は唐突にやってきた。
「悪いんだけど、ちょっと時間貰えないか」
公爵家を出ようとしたところでガイは言った。扉に向かい掛けていた一同が振り返りガイを見る。
「それは別にいいけど……どうした、ガイ?」
「いや、ペールに見せてやりたくて」
手にした剣に視線を落として言う。本当はもう一人この剣を見せたいと思う人間がいるが、それは叶わない。
「そっか……そう、だよな」
「じゃあ、私達は先に下で道具の買出しをしているわ」
「ああ、悪いな」出て行く彼らの背中を見送りながらガイは言った。
扉が閉まる。一人残されたガイは人影のないエントランスの中央にある柱を見上げた。そこにはもう何のしがらみもない。ガイは踵を返すとエントランスを出た。
ペールと共用で使っていた部屋に入ると、目的の人物を容易に見つけた。廊下を歩きながら中庭を眺めたが、姿がなかったのでここだろうと思った。ペールはガイが入ってきたことに気付くと深く一礼した。
「荷物、纏めてたのか」
「はい。私の最後の主は今までもこれからも、ガイラルディア様ただお一人です。貴方様がマルクトへ戻られると言うのでしたら、私もまたマルクトへ参りましょう」
ファブレ公爵家へ復讐の為に近付くとガイが言い出したときに言ったのとまるで同じ調子で、ペールは言った。その様子が可笑しくてガイは笑った。同時に泣けた。泣くつもりは少しもなかったのに、途端に涙が出た。
「ガイラルディア様……」少し困ったようにペールが声を掛けてくる。
「いや、何でもない。ごめん……本当に何でもないんだ」
言葉とは裏腹に、涙は止め処なく溢れてくる。こんな風に泣いて、子供じゃ在るまいし格好悪い、とガイは思った。
「それより、これ」
誤魔化すように顔を逸らしてから手にしていた剣を鞘ごと突き出したので、その仕種は酷くぶっきら棒なものになってしまったかも知れない。だがペールもまた突き出されたその剣を見るなりその目は驚愕で見開かれ、感嘆の声が漏れた。震える手が、そっと鞘に添えられる。
「公爵が、返してくれたんだ」
「そう、でしたか……そうでしたか、そうでしたか!」
彼は何度も頷きながらそう言った。その様子はまるで自分にこれが夢ではないのだ、と言い聞かせているようだった。そしてそんなペールの言葉を聞く内に、漸くガイも本当の意味でガルディオス伯爵家にあの宝刀が戻ったのだということを理解した。
「良かった、本当に良かった」ペールの声は震えている。
「ありがとう、ペール」
言いながら過ぎるのは再会したときに見た、剣を見上げるヴァンの横顔だ。彼にも剣を見せたいな、とガイは思った。きっと彼はペールと同じように、一緒に喜んでくれたに違いない。
「この剣を見せたい人間がもう一人おりますなぁ」ペールの言葉にガイは相槌を打つ。「仇の息子であったとはいえ、あの方もまたガイラルディア様の身を案じておられた」
「あの方?……ヴァンのことを言ってるんじゃないのか?」
「おお、そういえばフェンデのせがれも居りましたなぁ」
「待ってくれ。あの方ってのは……」
「かつてのルーク様ですよ」
「アッシュ、か?」ガイの問いに、ペールは頷いた。
何を心配されることがあったのか、とガイは考える。誘拐前だというのなら、当時アッシュはまだ十にも満たない子供だった筈だ。ガイの出自は徹底されて隠蔽されていた。ただの戦災孤児ならば終戦から間もないあの頃は珍しくない。ガイの他にも何人かの戦災孤児が使用人としてファブレ家では雇われていた。やがて人の上に立つよう教育された人間とはいえ、全ての戦災孤児にそのような同情を寄せることなどあの歳の子供にできるとは思わない。或いは実年齢より遥かに聡明であった彼ならそれも在り得たかも知れないが、それでもそれだけの慈愛の精神を発揮するのなら何かしらガイの耳に入っていても可笑しくはない筈だ。だがそんな話は聞いたことがない。だとすると、考えられる可能性は一つだけだ。それは相手がガイだったからこそ、アッシュ――当時のルークは気に掛けた。何故ガイでなくてはならなかったのか、その理由も最早一つしかない。
「何で……アッシュは俺の正体を知ってたのか?」
「いいえ、それはないでしょう。色々訊かれはしましたが、確信に触れるようなことは何も……」
その言葉に愕然とする。
「違う!」ガイは叫んだ。「あいつは気付いてた」
テオルの森でナタリアから聞いた話が不意に思い出される。ナタリアに対するものと、ガイに対するものとのアッシュの言動の食い違い。それはつまり、ガイとナタリアにとってはどちらも真実であり、そしてアッシュにとってはどちらも嘘なのだろう。それと同じだ。ヴァンと接触してからガイに起きた些細な変化に、彼は気付いていたのだろう。何気ない会話を装って情報を聞き出し、周到にガイとヴァンの関係に行き着いた。そしてそれは彼にとって酷く容易いことだったのだろう、とガイは考える。
生まれてすぐに死の預言(スコア)を詠まれ、その預言故に父親には突き放され、母親は何も見えていない。彼の子供時代は孤独だった。その一端はガイにもある。彼を仇の息子と決め付け、決して彼と打ち解けようとはしなかった。そして彼は誰にも本当の姿を見せず、陽の光の届かない暗闇に身をひそめる道を選んだ。彼の自制心を嫌いながら、誰よりもそれを強いてきたのはガイでもあったのだ。彼は誰も彼もが自身の手の届かないところへ行くのを恐れた。だから本音を押し殺し顔色を窺い、そんな術ばかりを身につけた。そんな彼がガイとヴァンの関係に気付いたとき、何を思ったのだろう。誘拐されるまでもなく、初めから彼の居場所はそこにはなかった。後にも先にも退けない暗闇だけがお前の居場所なのだ、と彼をそこへ突き落とした者達の中には間違いなくガイも含まれている。
「俺は、馬鹿だ……」ガイは呟いた。
気付いたところで今更どうにもならないことなのだというのは解かっていた。彼がガイの身を案じ誘拐事件の一切から遠ざけようとしてくれていたときですら、ガイの頭には憎悪と打算しかなかった。