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 その日は朝からよく晴れた。早めに一人宿を出てアルビオールの整備をしていたところ、後ろから声を掛けられた。そこに居たのはアッシュだけで、漆黒の翼の姿は見えなかった。それを不思議に思っていると、アッシュは彼らをケセドニアに送り届けて欲しいと言った。
「アッシュさんは?」
「先にグランコクマで降りる。奴らはその後でいい」
 暫らくして漆黒の翼がやって来た。いつも通りの気さくさで、髭面のウルシーがギンジに朝の挨拶をした。ギンジも笑顔で返す。それはギンジが彼らと、そしてアッシュと行動を共にするようになってから繰り広げられる変わらない日常の一つであるように思えた。だがそのウルシーがアルビオールに乗るとき、アッシュに目配せをした。アッシュは彼の視線になど気付いていないかのような無表情で地平を睨んでいた。結局ウルシーは心なしか気落ちした様子でアルビオールに乗り込んだ。ウルシーだけではない。ヨークもアッシュとは視線を合わせようとしない。ノワールは特にアッシュを意識しているようでもなかったが、その無関心に違和感を感じた。皆何かが可笑しい、とギンジは思った。アルビオールに乗って、その僅かな違和感は確信へと変った。いつもなら何かにつけては騒ぎ出す漆黒の翼が、今日に限って皆一様に黙り込んだまま何も話そうとしないのだ。気まずい沈黙の中、元から口数の少ないアッシュだけがいつもと変らない様子で、窓枠に頬杖をついたまま目を閉じている。あれは寝ているな、とギンジは思った。いつもと変らない彼の様子だけが浮いていた。
 その後グランコクマでアッシュを降ろすとすぐにケセドニアに向かおうとしたギンジに声が掛けられた。
「ちょいと待っとくれ、ギンジ坊や」
 操縦席の背もたれに手を掛けるようにして、ノワールがそこに立っていた。
「えっと、何ですか?」
「このままケセドニアに向かうんだろ?少しばかり遠回りしちゃくれないかい」
「それは構いませんけどアッシュさんとの約束の時間もあるし、あんまり遠くには……」
「別に何処へ行こうってわけじゃないのさ。ただ、きっとこれが最後だろうからねぇ」
 そしてギンジは通常よりも遥かに時間を費やして彼らをケセドニアに送り届けた。その長い飛行時間の中で彼がアッシュから解雇されたのだということを聞いた。数少ないアッシュの今までの口ぶりから察するに、今日明日にはあのレプリカ大地へ突入する筈だ。
「アッシュの旦那、もう戻ってこないつもりなのかも知れないよ」
 別れ際にノワールから言われた。ギンジは何も言葉を返すことが出来なかった。
 上空からグランコクマを見下ろすと、港にアルビオール二号機が着水しているのが見えた。機内には恐らく妹が残っているのだろう。きっとルーク達と会って情報を交換しているのだな、と思った。そうなると時間が掛かるかも知れない。港に入ることはせず、グランコクマから少し離れた街道沿いに着陸した。そのまま十分もしない内にアッシュが現われる。入り口を開いて間もなく、彼は操縦席の後ろに腰を下ろした。そこが彼の定位置だった。
「遅かったな」
 欠伸を噛み殺しながらアッシュが言った。
「アッシュさん、今来たところじゃないですか」
「約束の場所にお前がいなかったから時間潰してた」
 それだけ言うと彼は黙った。何か続く言葉があるものだとばかり思っていたギンジは、そんな彼の様子を不審に思い振り返る。彼は腕を組み、目を閉じていた。寝ているのではない、とギンジはすぐに気付いた。眉根にはいつもより深く皺が刻まれている。こんな風に彼が何かに耐えているのはよくあることだ。そしてそれは出会った頃に比べて頻度を増しているように思える。何か悪い病気なのかも知れない。ギンジは前に向き直りアルビオールを離陸させた。そう長くない付き合いの中で、彼が詮索を嫌うことを知っていたからだ。
 特に行き先は聞いていないので、あてもなく空を飛んだ。高積雲が夕焼けに照らし出され黄金に輝いている。
「綺麗ですよ、アッシュさん」返事は期待せずに声を掛けた。
「そうだな」
 発作が収まったのか、期待していなかった彼の言葉が返ってきた。
 ギンジがこれからのことを訊くと、矢張り彼は明朝早くにレプリカ大地――エルドラントというらしいが、それに突入を試みて欲しいと言った。
「ケセドニアにマルクト・キムラスカ両軍の陣営が展開されるようだが、主戦力はアルビオール二号機で送り込まれるあいつらに限られるだろうな」
「ノエル達も明日エルドラントに?」
「恐らく」
「ならオイラ達もその攻撃に便乗した方が安全じゃないですか?」
 アッシュは答えない。レプリカであるルークと行動を共にすることを渋っている彼だから、この提案はのめないのかも知れない。
 正直、ギンジはアッシュとルークの関係についてそう深くは知らない。ルークが最近世間を騒がせているレプリカだということと、その被験体(オリジナル)がアッシュだということくらいだ。
 普通に考えれば彼らの間にある確執は計り知れないものがあるだろう。特に一度外殻大地降下を終え一段落ついたところで帰った妹の話を聞くに、アッシュはルークに自分の居場所を奪われたのだという。話を聞くだけならアッシュはルークを憎悪していても仕方がないし、そんなアッシュにルークは負い目を感じているものだとばかり思っていた。だからアッシュとこうして行動を共にするようになって不思議に思った。
 本人を前にしているときこそレプリカに対して憎しみ露わに怒鳴りつけているが、いざ彼らと別れ一人になると至って彼は平静だった。ときにはある種の清々しさすら感じさせることもある。それが彼の機嫌が良い証だと気付くのに、そう時間は掛からなかった。
「いや」間を置いて漸く返された彼の言葉は矢張り否定的なものだったが、続く言葉に虚をつかれた。「砲台を一つは潰しておきたい」
「ほ、砲台って……アッシュさん?」
「軍からの援護だけじゃ万全とは言えない。こっちで確実に一つは潰しておくべきだ」
「潰すって言っても、アルビオールには殺傷能力のある音機関は搭載されていませんよ?」
「だが仕掛けるのを知ってて黙ってるタマじゃねぇ」
 だからといって何も自分がその役割をこなす必要があるだろうか、とギンジは思って黙り込んだ。不意に頭上を影が過ぎる。顔を上げると逆さまになった彼の顔がそこにあった。
「ひ、飛行中は座ってて下さい」
 慌ててギンジが言うと、彼は口の端を吊り上げた。
「お前なら出来るだろ?」悪びれた様子もなく彼が言うものだから、思わずギンジはうな垂れる。「前見て操縦しろって」
 頭を叩かれた。結局、ギンジは彼の提案した無理難題を受け入れることになった。了承したギンジを前に、彼は然も当たり前だとでも言うように頷いた。
「解かりましたよ、もー。オイラがやれば良いんですよね、やれば!」
 それなら今日は宿には泊まれない。暗くなる前にはエルドラントの死角に着陸しなくてはならない。
 一通りの説明と作戦の提案を終え、満足そうなアッシュを恨みがましい目で見つめる。ギンジの視線に気付いて彼は首を傾けた。
「上機嫌だな、と思っただけですよ」
「まぁな」当然のように彼が言う。
 漆黒の翼と別れ、身体は得たいの知れない何かに侵され、しかも明日は文字通りの最終決戦であるというのに、あまりに普段と変らない彼の様子に僅かばかり苛立ちを覚える。
「ルークさん達と、そりゃあもう楽しい会話でもしたんでしょうねー」
 無意識に避けていた話題を出した。ギンジはともかく、漆黒の翼は彼の前でレプリカの話題には極力触れないようにしていたからだ。
「まぁな」さっきと同じ調子で彼は言った。「もうすぐ、終わるしな」
「終わるって、今回の一件が、ですか?」
「そいつも」
 穏やかな声音は逆にギンジの背筋を凍りつかせた。別れ際にノワールが言った言葉が思い出される。
「他に、何が終わるんですか?」
 答えは返って来なかった。だからギンジは確信した。ノワールの言っていたことは現実になる。きっとエルドラントへ送り届けたが最後、彼はもう戻ってはこないのだろう。
 ギンジは操縦桿を強く握り締めた。引き返すなら今しかない。レプリカであるルーク達と行動を共にするとは思えなかったので、ギンジさえ彼をエルドラントへ近付けなければ済む話だ。そんなギンジの密かな決意に気付いたのかそれは判らないが、背後でアッシュが口を開く。
「妄執、かな」
「え」
「終わるもの」彼が笑った。
「誰の、ですか……?」
 自分でも驚くぐらい静かに、ギンジは彼に問うていた。背後では静かに彼が頭を振る気配がした。だからそれ以上何も言えなかった。だが、一つ別の決意を固める。
「アッシュさん」呼びかける。「オイラ、絶対アッシュさんを無事エルドラントに送り届けますから」
 辺りは夕闇に包まれ始めていた。滅紫の空に、そこだけ刳り貫いたような丸い月が浮かんでいる。
 アッシュは言葉を返さない。構わずギンジは一人で喋り続けた。
「それで、オイラ待ってますから。でないとアッシュさん、帰るとき困るでしょう?だから待ってます。それで、ちゃん二人で帰りましょう」
 必死だった。喋っている内に鼻の奥が痛くなる。目の奥は熱い。泣くな、とギンジは思った。それでも一度涙が零れると、後は堪えようがなかった。格好悪い、そう思った。
「そうだな」後ろで彼が独り言のように囁いた。「帰りたいな」
 約束は強要出来ない。それが嘘になることをギンジは知っていたからだ。



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最終更新:2008年10月12日 15:11