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「だからさぁ、昨日の試合がチョー面白かったんだって。坂本選手がめっちゃカッコよくて」
べちっ。
「…て言うかタケってニワカだよね。イケメン選手のことしか話さないし」
べちっ。べちっ。
「うほっ!うほうほうほうほっほ!!」
べちっ。べちっ。べちっ。
「出た!かななんのゴリラのまね!じゃあめいも物まねやる!!」
べちっ。
べちっ。べちっ。
重たい緩慢な音が、部屋にこだまする。
音の主は、部屋の隅で座り込んでいる人物であることは間違いない。
その状況を、部屋を共にしている少女たちはまるでなかったもののように扱った。
いや、そうすることしかできなかったと言ったほうが正しいか。
艶やかだった髪は乱れ張りを失い、かつて怜悧な輝きを保っていた瞳は目の前の壁を見ているようでまったく見ていなかった。
なのに、手先だけは緩やかに一つの動作を続けている。
拾い掴んで、投げる。また拾い、掴んで投げる。
その度に投げられた「それ」は含んだ油で壁を汚してゆく。
彼女が投げているのは、唐揚げだった。
皿に盛られた唐揚げを、ひたすら壁に投げつける。
そんなことを、ずっと繰り返していた。
彼女の後輩たちは。無視しているのではない。そのあまりの不気味さ、不可解さに目を逸らしているだけなのだ。
証拠に、交わされる会話もどこか上の空のように部屋に響きわたる。
虚ろな少女 ― 和田彩花 ― を筆頭とする能力者集団「スマイレージ」。
彼女たちは警察の対能力者部署に所属しつつ、共同生活を送っていた。拠点に関しては、
「ただいまー、ってあやちょまた唐揚げで遊んでるの?食べ物は粗末にしちゃだめでしょ」
部屋に入るなり躊躇無く彩花に話しかけた福田花音。彼女が都度”見つけて”くれるので不自由は無かった。
「ふ、福田さん」
「なに?まだあんたたち『あれ』に慣れてないの?」
「慣れるって言ったって、ねえ」
互いに顔を見合わせ、困惑した表情を浮かべる四人の少女たち。
日がな唐揚げを壁にぶつける行為に耽っている光景に慣れろというのもまた、無理な話だ。
「メンバーの半分がさ、ぶっ殺されたんだよ。こんな風になってもしょうがないんじゃない?」
まるで他人事のように、花音は彩花のほうを見る。
相変わらずべちゃべちゃと唐揚げを壁に向けて投げているその姿は、狂気を通り越して哀れですらあった。
スマイレージのオリジナルメンバーだった小川紗季は、止むことのない爆発によってその体を塵に変えられた。
同じく、前田憂佳は高出力の爆撃で心臓をくり抜かれた。もちろん、その頃彩花自身も全身に酷い火傷を負い意識を失ってはいたが。
二人の最期を知った途端、彼女の心は限界を迎えてしまう。
もちろん彼女たちと幼い頃から共に過ごしてきた花音もショックがないわけではない。
ただ、心のどこかでこんな日が来るかもしれないことを予想していたのかもしれない。そう言った意味では、花音は割り切っていた。
彩花は。花音とは違った。
右も左もわからぬ能力者の卵の集団において、彩花に光を見出した憂佳。
彼女と同じように、彩花もまた憂佳に希望の光を見ていたのだ。
彩花が親友として大事にしていた少女が永遠に喪われると、依存はさらに強まった。
それが、いきなり。何の前触れもなく、奪い去られてしまう。
足場を見失い、そして自分自身をも見失ってしまうのに時間はかからなかった。
「あー、一人が大丈夫な性格でよかったぁ、よかったぁ、よかったぁ」
彩花は壊れた機械のように、何度も同じ台詞を繰り返す。
手を差し伸べたいのに。
二人の仲間を見殺しにし、その上で最後の一人が底なしの闇に落ちてゆくのを皮肉に笑むことしかできない。それが何故なのか、花音は知っていた。
この子を助ける事ができる人間は、もういない。
かつて彩花に光をもたらした少女は、先の戦いにおいて命を散らしてしまった。
つまり、闇に沈み天に掲げた手を引き揚げることのできる人間はいなくなってしまった。もちろん、自分にだってそんなことはできない。
だから、諦めるしかない。しょうがないねと強がって見せるのが精一杯。
「で、これから和田さんのことはどうすんですか」
「ん?タケ、知りたい?」
「え、ま、まあ」
面倒くさい女だ、と思いつつも話を振られた短髪の健康優良児 ― 竹内朱莉 ― はそれを口にはしない。
「腕のいい精神潜行者(サイコ・ダイバー)に頼んでるんだよね。ま、ちょっと、って言うかかなり値は張るみたいだけど」
「いくらくらいなんですか、それ」
眉を下げつつ恐る恐る訊ねる少女 ― 中西香菜 ― の前で、花音が何本かの指を立ててみせる。うわ、ほんまですかそれ。細目を
見開いて驚く香菜を見て、おかめが般若になった、と毒舌を吐く勝田里奈。
もちろんのことだが。
腕のいいサイコダイバーに依頼したなんて嘘だ。いや、正確に言えば既に頼んでいたのだ。それも、一人二人などという生易しい数で
はなく。
だが、自称「腕のいい」能力者たちは彩花の内面を覗き込むとすぐに顔を青ざめさせた。それでも一応中を見たのだから、と図々しく
報酬を要求した輩は花音の隷属の洗礼を浴び、今頃どこで何をしているのかもわからない。
それではなぜ、花音は後輩たちに気休めに過ぎない嘘をつくのか。
花音は、答えを自分の中に思い描くことはしない。思い描いたが最後、それが描いただけのものに終わりそうな気がしたからだ。
「あのぉ、福田さん」
「どうしたの、めい」
一言目から既に言いにくいけどやっぱ言っちゃおうかな、そんな空気を出していた。
だが、田村芽実は眉毛を斜め45度にしてはっきり口にする。
「新垣さんに、頼むわけにはいかないんですか?」
「…無理」
間髪入れずの即答だった。
彩花はスマイレージにとってなくてはならない存在。それは十分承知している。
けれど、それだけはありえない。
目の前で花音のプライドをずたずたにした、あの高橋愛の盟友に救いを求めることなど。
「新垣なんかより、腕のいいサイコダイバーは腐るほどいるんだから。あんたたちは安心して吉報待ってなよ」
花音は、自らそんなことを口にしながらも、知っていた。
相手の精神下に潜行し、最小限のリスクで相手を救うことの出来る能力者など、そうはいないことを。そして。
新垣里沙が、その数少ない能力者の一人であるということも。
それでも。
花音は一度決めたことを曲げるつもりなど、毛頭無かった。
投稿日:2014/08/04(月) 23:57:59.41 0
最終更新:2014年08月05日 07:00