風が騒いでいた。
昨日の夜から窓を叩き、まるでだれかを呼んでいる気がした。
だからというわけではないけれど、こんな早朝に屋上に出てみた。
風が騒いでいた。
喧しく叫んでは走り抜けていくその姿はなんとなく、カッコいい。
はためいて揺れるシャツの音も嫌いじゃない。
風が騒いでいた。
やっぱり私は、呼ばれている気がした。
両手を広げて胸一杯に息を吸い込む。
夏の匂いを運んできた朝の風は心地良い。
一歩、前に踏み出してみる。
背中を押されるように体が前に動き、いつの間にか、柵にまで到達していた。
この柵を越えたら―――なんて昔のことをボンヤリと思い出す。
ああ、そんなこともあったね。っておばあちゃんみたいだと笑った。
柵を握り締める右手が震える。
怖いのだろうか。
恐れているのだろうか。
そこに在る、闇を?
そこに在る、死を?
いや、違う。
「……まだ、早いよ」
恐れているのは、弱い自分だ。
「諦めるには、早すぎるよ」
そう呟くと、一歩後ろに下がった。
風が体を押すが、それに抗うように振り返り、入口へと歩く。
髪が靡いて鬱陶しい。
ふとその気配に目を開けると、そこには息を切らせた彼女が立っていた。
一瞬だけ目が泳いだ気がするが、私の目を見てなにかを悟ったのか、困ったように笑った。
「なんか、視えた?」
「いえ……ただの、杞憂です」
彼女はそう言うと私に歩み寄り、右手をぎゅっと握った。
少しだけ震えている彼女の手は確かに温かくて落ち着いた。
「風が、啼いてたんで……」
そうして彼女は少し寂しそうに微笑んだ。
杞憂という意味が分からないんだけど、と聞くことはバカバカしいからやめにしておこう。
とりあえず、心配してくれてることは分かったから、それで良いや。
「風が呼んでた気がしたけど、違ったみたい」
私はそれだけ言うと、彼女といっしょに屋上を後にした。
―――まだ、すべてを諦めるには早いから
未来に抗う叫びのように、風が啼いた。
最終更新:2012年07月12日 20:03