『リゾナンターΧ(カイ) -epilogue』







暗闇に包まれた部屋に、12のモニターが僅かに光をもたらしていた。
しかし、時が経つにつれその光は一つ、また一つと消えてしまう。
やがて全てのモニターが沈黙し、部屋から光が失われた。

なるほど、そういう結果に終わりましたか。

リクライニングチェアを傾け、部屋の主である白衣の女性は呟く。
「ベリーズ」と「キュート」がリゾナンターたちと相見え、そして敗北するまでの全ての経過を、彼女はその瞳に、そして「叡智の集積」と呼ばれし頭脳に焼き付けていた。

当然の結果か。それとも誤算か。
彼女にとってはどちらにでも取れたし、またはどちらでもなかった。いや、それ以前にどちらでもいいことだったのかもしれない。
いずれにせよ、答えはない。
闇に溶け込むような眼鏡のレンズだけが、部屋の外から漏れ出す小さな光を反射していた。

何の前触れも無く、その光が大きく増す。暗かった部屋は、瞬く間に光によって白日の下に晒された。

「こんな暗い場所で何やってるんだか」

ノックもせず部屋に入ってきた侵入者は、あきれ返ったような言葉を白衣の女性 ― 紺野博士 ―に投げかけた。その表情は妹を見る姉のようでもあり、理解できないものを嘲笑うようでもあり。

「見ての通りですよ。あの子たちの奮闘ぶりを観察していました」
「で、結果は?」

黒コートの女性、「氷の魔女」の問いかけに、紺野はくるりと椅子を回して正対した。

「残念ながら、リゾナンターたちの実力のほうが上回っていたようです。やはり『擬似共鳴』はあくまでも擬似。本物の共鳴には及びませんでしたね」
「擬似…ああ、あのべりっ子たちのことね。あんたも残酷なことするねえ」


意地の悪い笑みを見せる「氷の魔女」。
残酷、ですか。紺野は心外だ、といった表情を見せた後に、

「私はただ、契機を与えたに過ぎません。力を最大限まで引き出せるかどうかは、彼女たち次第でした。それは『キュート』たちも同じ。ただ、結果はともあれ、次に繋がる良いデータは得られましたが」

と付け加えた。

「それってさ、ぶっちゃけ体のいい実験だよね。うわぁ、趣味悪」
「どう捉えていただいても構いませんよ。実験は、科学という世界において必要不可欠のものですからね」
「ふうん」

言葉では相槌を打ちつつ、実際は理解できないものとして明後日のほうに投げ捨てる「氷の魔女」。
そして先ほどまでの話題を他所に、意味ありげに部屋の中をうろつき始める。

「ところで。何の用でしょう。まだ結果が出たばかりなので、次回の会議には少々早すぎるような気がしますが」
「…さっき、『黒の粛清』がうきうきしながら出てったんだけど。音痴な鼻歌歌いながら。それはもうきしょいくらいに」
「ああ。きっと『敗者』を狩りに行ったんでしょう。確かこの前お会いした時に、勝手に話を進めあってたみたいですから」

包み隠すことなく、紺野は言った。
相手が一方的に決めたことに対し、隠し立てする義理は彼女にはない。
だが、散りばめられたキーワードに気づかないほど魔女の嗅覚は鈍感ではなかった。

「てことは、『勝者』は『赤の粛清』が狩るわけだ」
「そのようですね」

紺野の答えを聞く前に黒い外套を翻し、部屋を立ち去る「氷の魔女」。
扉が閉められ、再び闇が部屋に満ちる。それがまるで合図であるかのように、紺野はチェアから立ち上がった。
闇を泳ぐようにして歩き、扉が開くとともに光の向こうへと消える。
主がいなくなった後の部屋には、反応のないモニターが静かに深い闇を映し出していた。




一台の護送車が警視庁を出たのは、夜も深まった時のことだった。
PECT(exceptional power corresponding team)。文字通り、法を犯す能力者に対する警視庁の切り札とも言うべき存在。
しかしあくまでも隊員たちは普通の人間。組織に属さないはぐれの能力者ならいざ知らず、巨大化したダークネスのような組織に対しては、有名な怪盗三世に対する中年刑事のような役割しか望めないのが現状だ。

護送車の中には、麻酔薬を打たれ昏睡している「ベリーズ」「キュート」のメンバーたちが収容されている。
万が一のことを考え、護送車の中にはPECTきっての戦闘のプロが数名同行。
護送車の前後には、能力者が脱走した場合を想定し化学兵器を搭載した装甲車が伴走していた。

「警視庁の精鋭部隊が、これじゃただの運送屋だな」

護送車を運転している中年の男が、遠い目をしてぼやく。
助手席にいる、若い男が追随するように大きくため息をついた。

「しょうがないっすよ。あの現場見ました?あんなの、うちらの手にはとても負えませんって」
「確かに。あそこまでの破壊力は、ダークネスの幹部クラスでもないとそうそう出せないな」
「それが後ろでお寝んねしてるガキんちょの仕業だってんですから。参っちゃいますよ」

卑屈な笑みを浮かべる若い男の頭上に、唐突に中年の拳骨が降り注ぐ。

「あってえ!」
「見てくれで判断するんじゃない。現に、彼女たちを制圧したリゾナンターたちもお前の言うような『ガキんちょ』なんだからな」
「まあ、そうっすけど…」
「あいつらは、俺たちとは違う。あいつらは」

対向車のヘッドライトが、中年の男の顔を仄かに照らす。

「バケモンだ」

三台の車は都内を通過し、隣県の丘陵地に入っていった。
警視庁が所有する「能力者矯正施設」はその更に奥、人里離れた山村に存在する。

「それより先輩、知ってます?お偉方の肝いりで新しく作られた対能力者部隊の話」
「リゾナンターのOGの助言を参考にして編成された、あいつらのことか」

中年の男が渋い顔になる。
どうしたんすか、と言いたげな若い男の顔を見ることなく、呟いた。

「もしその部隊が本格的に始動したら、俺たちは長い夏休みを貰える事になるな」
「は?なんすかそれ」
「お払い箱になるってことだよ」

次のカーブを曲がろうと、中年の男がサイドミラーに目をやった時のことだった。ミラーが、激しく明滅したのだ。
思わずバックミラーを覗き込むと、後方についていた装甲車が大破、派手に炎上している光景が視界に飛び込んできた。

「敵襲!?」
「バカな、ロケット砲でもびくともしない車だぞ!!」

しかし現実に事は起こっている。
前方の装甲車に合図を送ると、急ブレーキで停車した車両からぞろぞろと武装した隊員たちが飛び出してきた。
襲撃相手がどんな装備を持っているかはわからないが、これだけの人数がいれば成すすべもなくなるはず。
現地到着が最優先任務。武装隊員が炎上した装甲車を取り囲むのを確認してから、中年男はアクセルを強く踏み込む。
轟音を上げて道路を走行する車、だが次の瞬間、男は信じられないものを目にすることになる。

「先輩!先輩!!」
「何だ、つまらんことなら後にしろ」
「ひっ、人が!人が!!」

後輩のあまりの逼迫した声に、思わず横を見る。
女が、車の横を走っていた。嬉しそうに。
いくつもの男の生首を抱えながら。全部が、男の見知った同僚たちのものだった。

暗闇に溶けそうな黒い肌をした女と、目が合う。
その女は嬉しそうな顔をして、口を動かした。

い・た・だ・く・わ・よ

次の瞬間、女の姿が消えた。
女が何者かは知らないが、戴かれる可能性があるとしたら護送車の中の能力者たちだ。
中年男は車載マイクで、収容スペースの「戦闘のプロ」たちに呼びかける。

「敵襲だ!速やかに応戦せよ!!」

速やかに車を停め、後方のドアを開け放つ。
中にはいくつもの海外の戦争を潜り抜けてきたと評判の、傭兵経験の豊富な隊員が武装して待ち構えている。
万一のことを考え、運転席に後輩を残して自らも車を降りる男。その間、いくつものうめき声を耳にし、一抹の不安を感じる男を待っていたのは。

一人の女の前に、血を流して倒れている屈強な男たちの姿。
全員、喉元が切り裂かれ、絶命していた。

「大の大人が、女一人に情けないわねえ」

黒のボンテージ姿の女は、ハイヒールで倒れた屍を踏みつけながら下卑た笑みを見せる。
その顔に、男は見覚えがあった。

「お前は…『R』か?!」
「だからさぁ。そういう未成年犯罪者みたいなイニシャルで呼ぶの、やめてよ」

気持ちの悪いしなを作る「R」こと「黒の粛清」。
PECTの指導部だけが目を通す事のできる極秘ファイル。男は、とある偶然からその一部を盗み見ていた。
ダークネスの幹部として名を連ねる、粛清人の写真とともに。

「なぜだ、お前のような大物が護送車の中の連中なんかに」
「なんかに、じゃないわよ。その子たちはあたしの大事な『プレゼント』だもの」

言っている意味がわからなかった。
だが確実なのは、このままでは能力者たちが奪われてしまうということ。

本能が、男が手にした拳銃の引金を引かせる。
数度の破裂音。まともに銃弾を喰らったはずの女が、にっこりと笑顔で掌を差し出す。その上には、ひしゃげた鉛の弾が。

「おい!車を早く出せ!!俺を置いていっても構わん!!」

もちろん、能力者の中でも桁違いな実力を持つ幹部の人間に、自分がまともに戦えるとは思わない。
発砲した隙を伺い、運転席の後輩に不意打ちの急発車をさせるつもりの行動。だが。

「あたしがそういう抜け道をそのままにしておくとでも、思った?」

「黒の粛清」の底意地の悪い、笑み。
男は悟る。運転席の後輩は既に始末されていることを。

「安心して。あんたたちのお仲間たちも全員、始末しておいたから。じゃあね」

放たれる強烈なエネルギーを身に受け、男は自らの全身が破壊されてゆくのを感じながら消えていった。

「さてと。ここからは、メインディッシュよね」

Dr.マルシェから一方的に取り付けた「約束」。リゾナンターと対決した「ベリーズ」「キュート」のうち、「敗者」の粛清は自らに。

「黒の粛清」の中では、既にどうやって彼女たちを始末するかの複数の案が浮かんでいた。
すやすやと寝ている中、いきなり心臓をひと突きにするか。
四肢を切断してから、そのあまりの激痛に歪み泣き叫ぶ顔を楽しみつつ命を奪うか。
普通に起こした後、少しずつ痛みを与えその過程を楽しむか。


うふふ、決めちゃった♪

最後の選択肢に魅力を感じた「黒の粛清」が、嬉々として護送車の中に入る。
が、そこには招かざる先客がいた。

「お久しぶりです。先輩」
「あ、あんたは!!」

そこには、「黒の粛清」のよく知る人物がいた。
かつての、敵対組織のリーダー。そしてかつての、同胞が。

「マメ…何でこんなところに」
「懐かしい呼び方ですね。でも、今は昔を思い出してる暇なんてないんです。速やかに、手を引いていただけますか?」

新垣里沙。
急遽上司に呼ばれ、能力者の護衛の命を受けていた彼女。
だが襲撃者が「黒の粛清」だったのは、想定外と言っても過言ではなかった。
それは「黒の粛清」にしても同じこと。ただし。

「よくもあたしの前にのこのこと姿を現せたわね…この裏切り者!」

相手にとっては、千載一遇のチャンスに映ったらしい。
裏切り者の始末は、粛清人の最も得意とするところだ。

「大人しく退いてはくれないみたいですね」
「あんた、私に勝てるって本気で思ってんの?」
「・・・負けませんよ」

格下に見ていた相手からの、挑発。
ダークネスの幹部の中でも極端な負けず嫌いでとにかく熱くなりやすいことで知られる彼女の性質、それに火を点けることはあまりにも容易い。

「誰に向かって口きいてんのよ!!」

想定した通りの、猪突猛進。
里沙は皮手袋から垂らしたピアノ線を前面に張ると同時に、精神干渉の触手を伸ばす。
が、精神干渉に関しては早々に諦めざるを得ない。

「バカじゃない?あたしとあんたの実力差で、精神干渉が効くとでも思った!?」

防御ラインとでも呼ぶべきピアノ線の結界が、次々と破壊されてゆく。
得意技の強烈な念動力は健在というわけか。
こちらに向かって突っ込んでくる「黒の粛清」に対し、距離を大きく取り念動力の圏外へと里沙は身を動かす。

「…今回は、あなたを倒すのが目的じゃない。足止めができれば十分ですから」
「今回は?足止め?」

「黒の粛清」のこめかみに、痙攣が走る。
里沙の言葉が、二重の意味で彼女を刺激したのだ。

「構成員風情が、幹部のあたしに向かって『足止め』ですって?!」
「・・・あたしも、あれから成長しましたから」
「だったら、あんたの命で証明してみせなよ!!」

言いながら、「黒の粛清」が里沙に向け掌を翳した。
強烈なエネルギーが、里沙の身に迫る。

そんな、ここまで届くの!?
ピアノ線を張り巡らせ、防御の体勢を取った里沙を、容赦なく念動力の衝撃が襲い掛かる。

まるで腹部を思い切り抉られるような感触。
骨は軋み、内臓がひしゃげる。蹲った里沙は激しく嘔吐した。


こつ、こつ、とヒールの踵がアスファルトを打つ音。
気がつけば、「黒の粛清」は里沙の目の前までやって来ていた。

「どう?これがあんたとあたしの実力差よ、マメぇ」
「くそっ!えいっ!」

追い詰められた里沙は苦し紛れに、道路脇の砂利を掴み、投げつける。
だが「黒の粛清」は避ける事さえせず、顔を凍りつかせている。

「現実がわかった途端に悪あがき?滑稽ねえ。でもいいわ。すぐに終わらせてあげるんだから!!」

手に込めた念動力を、尻餅をついたままの里沙に向け叩き込もうとしたまさにその時。
里沙が、ありえない速度で後退した。
いや、後退したのではない。何かの力によって高速に後ろへと引っ張られているのだ。

「言ったじゃないですか。足止めできれば十分だって」

里沙は。
「黒の粛清」と交戦している間に、運転席の死体にピアノ線を絡ませ操り人形のようにして車を発車させたのだ。必然的に、里沙の体は車とともに移動することとなる。

「甘いわね。あたしが車の速度なんかに遅れを取るわけが…な、なによこれ!!」

そしてもう一つ。
里沙が苦し紛れに投げつけていたように見えた小石にも、ピアノ線が巻きついていた。
あくまでも緩く纏わりつかせていただけのそれは、「黒の粛清」が動くと同時に激しく絡みつき、体を締め上げる。

「確かにあたしがあなたと渡り合うにはまだ早いかもしれません。けど、『足止め』程度ならできたみたいですよ、先輩」

遠ざかる里沙の姿。
しかし「黒の粛清」の瞳の黒い炎は消えてはいない。

「確かにあんたを舐めてた。いいわ、あたしの『取っておき』を見せてあげる!!」

言いながら、両拳を固める。
拘束していたピアノ線が、ぎりぎりと体に食い込む。
鋭い線が皮を裂き、肉に食い込もうとしている。だが、ピアノ線自体も内からの抵抗に対し限界を迎えようとしていた。

そして。「黒の粛清」の昏い力が一気に燃え上がったように里沙には感じられた。
これは。この力は以前どこかで感じたことがある。いや、忘れるはずもない。
この力の出し方は、まるでジュンジュンの…

ぶつっ!!

何かを切断するような大きな音。
絶叫とともに「黒の粛清」が倒れて地面を転げまわっていた。
片足から、おびただしい量の血が噴出している。

里沙の奥の手。
「黒の粛清」の足首と、車をピアノ線で結びつけておいたのだ。
しかも、時間差で線の長さが限界に達するように。
体の拘束が破られた時の、あくまで最後の手段だったのだが。

「ちくしょう!!覚えてなさいよ!!!!」

転げ落ちた足首を切断口に当てながら、絹が裂けるような高音で喚く「黒の粛清」。その傷口は白い煙を上げながらも、信じられない速さで繋がってゆく。

甲高い恨み節を遠くで聞きながら、護送車の天井に無事着地した里沙は改めて相手の底知れぬ実力を実感する。

「黒の粛清」は能力を二つ持っている?
まさか。「ダブル」だなんて、ありえない。どちらにせよ。
あたしはまだまだ、強くならないといけない。

「黒の粛清」の姿が見えなくなってからも、里沙はいつまでも暗闇の彼方を見つめ続けていた。





投稿日:2013/04/16(火) 13:17:03.05 0


★★


赤い。
赤い夕陽が地平に沈み、融けゆく。
病院のフェンスの縁に器用に腰掛けながら、彼女は目に滲む赤を黙って見つめていた。

「やっぱりここか」

声がした。
声をかけたほうの彼女には、振り向いた相手が強く射す夕陽のせいで切り絵に見えた。
切り絵の黒から、ひらひらと夕陽に似た色の赤いスカーフが靡いている。

「…『勝者』のご褒美。もらってるとでも思った?」

黒いコートを羽織った、ゴシックロリータの服装の女は、首を横に振る。

「あんたの性格、知ってるから。あいつらが回復するまで待ってるつもりでしょ?」
「さっすが永遠の相方、よくわかってる。だってさ、100パーの状態じゃないと、戦っても面白くないじゃん」

組織を代表する、二人の粛清人。
粛清を楽しむところに共通点はあるものの、そのベクトルはまるで違う。
「黒の粛清」が相手の恐怖や絶望を好むのに対し、彼女は強いものを打ち負かすことに興味を持っていた。

「さすがは戦闘狂」
「そうだよ?あたしは戦うためだけに作られた、ロボットだもん。ガーピー、ガーピー、アナタノオナマエ、ナンテーノ」

わざと平板な発音を作り、おどけてみせる「赤の粛清」。
「氷の魔女」は笑わなかった。赤い夕陽、作られた”ロボット”。そのキーワードは嫌でも、ある一人の人物を想起させるからだ。

「ダークネスの幹部なんて、どいつもこいつも闇に心を食われたロボットみたいなもんじゃん。能力者のためのパラダイス、なんて言葉に踊らされて規則正しく動いてるだけのフラワーロック」

「赤の粛清」は機械じかけの玩具のように、首を左右に揺らす。
まるで、そんなことはどうでもいいとばかりに。

「氷の魔女」と「赤の粛清」。
組織の幹部に昇格したのは、ほぼ同時だった。
コンビを組んで任務に当たった事も一度や二度ではない。そんな長い付き合いの中で、魔女は粛清人の病的とも言える強い執着に気づく。

i914。
ダークネスが生み出した人工能力者の最高傑作でありながら、組織を裏切り脱走した最大の「失敗作」。
「赤の粛清」は、その失敗作にとにかく拘った。
「氷の魔女」が二人の間にあった出来事を知ったのはそれからすぐのことで、そうして彼女は「赤の粛清」が強さというものに執着する理由を理解するのだった。

恐らく。
i914と「赤の粛清」がまともにぶつかりあった場合。
片方は間違いなくこの世から消滅し、そしてもう片方もそれに近い末路を迎えるだろう。
「氷の魔女」はその予想に確信に近いものを感じていた。

「けど…ロボットにだって、失いたくないものはある」

半ば独り言に近い魔女の言葉には答えず、粛清人は、

「ねえ、夕陽がなんで赤いか知ってる?」

と聞いてきた。

「さあ?」
「夕刻の赤い光は、古代の神話で太陽の流している血として例えられて来ました。昼に我々に恵みとして与えられる光を生み出すために、太陽は血を流し、苦しんでいるという神話です」
「…そういうことか」
「そういうこと」

まるでどこかの受け売りのような言葉に、気のない返事をする「氷の魔女」。
逆に、流れ出る血や苦しみをどうすれば止められるか。そんなわかりきった問いに答える意志もなければ、権利も持ち合わせていなかった。

「スペードは剣で、ハートは心臓」
「何それ」
「そのまんまの、意味だよ」

訝しがる魔女を尻目に、「赤の粛清」は夕陽の向こうの遠い過去に思いを寄せる。
はるか昔に交わした約束。
約束は、果たさなければならない。

スペードは剣で、ハートは心臓。

その言葉を口の中で転がすように、粛清人はもう一度だけ呟いた。




投稿日:2013/04/17(水) 22:57:21.32 0


★★★


ダークネスの本拠地。
メイン棟から離れた場所にひっそり建っているのが、研究棟。
ダークネスの中でも科学部門を統括する紺野博士と研究員以外は立入る事すらままならない、まさに「叡智の集積」の中枢だ。

メイン棟にある幹部の部屋に勝るとも劣らないレベルのセキュリティが施された、実験室。
紺野はそこに向かって、歩いていた。
「彼女」が目覚めたとの報告を受けたのは、つい数時間前。リゾナンターと「キッズ」の戦いを見届けた後、すぐに「彼女」に会う
ことに決めた。

実験室の扉を開けるや否や、数人の研究員が出迎える。

「Dr.マルシェ。お待ちしてました。『彼女』は、そこに」
「ありがとう」

紺野が研究員の指したほうを見ると、数人の白衣の男に囲まれた少女を確認することができた。
切りそろえた前髪に、伏目がちな大きい瞳。
華奢な体を、病院着のような白い衣服が包んでいた。

あれが、そうなのか。
遠目では、どこにでもいるただの少女にしか見えない。
だが、紺野は本能で感じていた。あの少女こそが、自らが作り出した最高傑作であることを。

「…は、どうかね?」
「だいじょうぶです」
「…ということはないかね?」
「それは、わかりません」

レポート用紙をめくりながら、やりとりの詳細を書き写してゆく研究員たち。
その後ろでは、ファインダーが彼女に狙いを定めている。ありとあらゆるデータは数値化され、そして紺野の元に届くことになって
いた。
少女は大人たちに取り囲まれるという異様な光景の中にいながら、まったく動じない様子で質問に答えている。これは期待できそう
だ。紺野は研究員の一人に声をかけ、そして少女の目の前に立った。


「はじめまして、お嬢さん」
「はい。はじめまして」

肩にかかるくらいの長さの、黒い髪。
儚げな顔をした少女は、

やはり、どことなく似ている。ⅰ914に。
近くで少女を見た、第一印象。それもそのはず。彼女は、前任者が残したi914のデータを元に作られたのだから。
紺野はダークネスを去って行った少女に思いを馳せる。

「これから、あなたが生きていくために。我々は、最大限のサポートをしていこうと考えています。だから、あなたにも我々の手伝
いをしてもらう。交換条件というやつです。それは、わかりますよね」

少女は、小さく頷く。
その瞳には、一片の疑いすらない。
彼女もまた、本能で悟っているのだ。目の前に現れた女性が、自分を作り出した「生みの親」であることを。

紺野は、少女の小さな肩に手をかける。
そして眼鏡の奥の瞳で、強く訴えかけた。

「あなたには、力がある。素晴らしい力だ。力は、在るべき場所に流れなければならない。太陽が、力強く大地を照らすように。そ
して。闇が、夜の静寂を満たすように」
「でも、どうすれば」
「道は。先輩たちが示してくれます。最初は、その道標を頼りに歩いていけばいい。今度、先輩のみなさんにお会いすることになる
と思いますよ。それまで、この白衣のおじさんたちの言うことをよく聞いていてくださいね」

それだけ言うと、踵を返す紺野。
研究員の一人が、怪訝そうに声をかけた。


「もうよろしいんですか、Dr.マルシェ」
「ええ、十分です。お披露目、いや会議の日が楽しみになってきましたよ」
「は?それはどういう」
「いや、こちらの話です」

紺野は上機嫌だった。
少女と交わした数回の言葉のやりとりだけで、これから実行することになる計画のすべてを脳裏に描き出していた。
犠牲は決して小さくはない。けれど、得るものも大きいだろう。そう確信していた。

「あの」
「まだ何かありますか?」
「今回の素体の呼称についてですが」
「ああ、そのことですか」

紺野は少し考え、そして。

「今の時期は桜が綺麗に咲いてますから、『さくら』というのはどうでしょう」
「え…しかし通例では素体にはアルファベットと数字で」
「呼び名を簡素にすることでしか効率化を図れないのは、凡百の人間です。そういう名前をつけたいのなら、どうぞご自由に」

白衣を翻し、実験室を出る。

計画は動き出した。もう、誰にも止められない。

紺野の夢は、少しずつ、けれど確実に実現しようとしていた。
ただそれは、彼女自身のみぞ知ることなのだが。


                    --完--



投稿日:2013/04/21(日) 10:03:34.42 0














最終更新:2013年04月22日 02:58