第1話「出会い」



 僕が聖杯戦争のマスターとして自覚を持ったのは11年前だった。
 6歳になった時、僕は祖母から魔術の指導を受けるようになった。
 森本・神谷・ジャクソン――この3つの魔術師の家系、いわゆる御三家により、この地に聖杯戦争というシステムが生まれた。
 どんな願いでも叶えるという”願望器”、それが聖杯だ。
 それを巡って7人のマスターがサーヴァントを使役して戦い、殺しあう聖杯戦争。
 サーヴァントは、主に7つのクラスに分けられている。
 剣士、弓兵、槍兵、騎兵、魔術師、暗殺者、狂戦士。
 それぞれのクラスという器に、一騎当千の英霊を召喚し、殺し合うのだ。
 そして、最後に勝ち残ったマスターが聖杯を得るという寸法だ。

 最初に行われた聖杯戦争は130年前らしいが、失敗に終わったらしい。
 それから、10年単位で行われたり、行われなかったり。
 まあ、そんな事はどうでもいい。
 昔話なんて、僕には関係ないからな。
 僕の名は、神谷一樹(かみや いっき)。
 魔術師であり、今回行われる聖杯戦争のマスターの一人である。

「一樹、そろそろ時間じゃが……お前の事だ。抜かりは無いと思うが……」

 携帯電話越しに、祖母の声が聞こえる。
 僕は、実家から数キロ離れた古びた家屋のリビングのソファでくつろいでいた。
 この空き家は神谷家の所有物であり、山の中腹に人目に付かないように建てられた。
 我が家の所有する山なので、人目に見つかる事もなく、この山も魔力の集う場所――いわゆる霊脈であり、魔術師の工房としてはうってつけである。
 この聖杯戦争の間だけは、この空き家を寝床にする事にしている。

「どうした……? 一樹よ……まさか、怖気づいたのか?」

「いえ……両親を失った、分家である僕を引き取り、育てていただいた御恩……。
 今こそ、御婆様にお返しできると思い、感慨に耽ってしまいました。申し訳ありません」

「フン、見え透いた世辞は良いわ。
 魔術師としての知識・技術をはじめ、お前にはこの聖杯戦争で生き抜くのに十分な教育をしてきたつもりだ。
 森本の小僧は腑抜け、ジャクソンは海外で行方不明になったと聞く」

 森本は同級生だ。
 余り喋った事はないが、成績は中の上。
 クラスの中でもそう目立つ方ではない。
 運動神経も余り良い方ではないだろう。

「ええ、ですが、油断はしないつもりです」

 そう、油断などない。 
 僕は決して負けるわけにはいかない。
 聖杯は必ず手に入れる。

「うむ、その通りだ。注意すべきは、外部勢力の魔術師であるが……予定通り、お前のサポート役としてフリーの魔術師を傭兵として雇ってある」

 傭兵か……金で雇ったという人間がどれ程役に立つか分からないが、利用できるのならばそうしよう。

「なるほど……有難い限りです。
 御婆様、そろそろ召喚の儀式に取りかかろうと思うのですが……」

「おおそうか……では、武運を祈る」

 携帯が切れると、僕はゆっくりと溜息を吐いて、折りたたんだ携帯電話を胸ポケットに入れた。
 ……そういえば、学生服のままだったな。
 着替えるか……。




 そして、僕はサーヴァント召喚の儀式を行った。

 予め、祖母に教わった通りに行い、光と共に現れた男が魔方陣の中心にあぐらをかいて座っていた。


『サーヴァント、ライダー、召喚により参上した。
 ……まずは問おう。お前が俺のマスターか?』

 ライダー……騎兵のサーヴァントか。
 若い男だった。
 20代半ばから30くらいに見える。
 東洋人の顔つきで、おっとりした福耳の目立つ男だった。
 英雄とは程遠い、優男といった風貌である。

「僕の名は、神谷一樹。聖杯戦争のルールに従い、君を召喚した」

「何だ、ガキじゃねぇか……へぇ、ほぅ」

 むっ……。
 いきなり、ガキ呼ばわりか。
 つま先からてっぺんまで、値踏みの視線を向けてきた。
 舐められてるのか。
 こういう場合はマスターとサーヴァントの力関係をしっかりさせておくべきだよな。

「……ガキだって? おい、ライダー、僕を馬鹿にしてるのか?」

『おっと、すまねぇな。俺は田舎育ちの礼儀知らずでよ。
 気に障ったんなら、謝るぜ、なぁ?』

 屈託なく頭を下げるライダーに、僕は思わず面喰う。

「いや、まぁ……いいけど……」

『おっと、名乗りが遅れたが、俺っちの名は劉備、字名は玄徳! よろしくな、あんちゃんよ』

 劉備玄徳……中国三国志の英霊か。
 …………あれ?

「いや待て! お前戦えるのか!? 戦えるイメージないぞ!?」

『まあ、そう焦んなよ。おめぇが呼んだのが俺っちなんだ。
 おめぇが優秀な魔術師なら、きっと俺は優秀な英霊だと思うぜぇ?』

 ヘラヘラと笑うライダーに対し、僕は不安を隠せなかった。
 いや、だけど、三国志の劉備っていえばこの日本でもかなりの知名度がある。
 英霊の知名度の高さは、英霊の強さに比例するという。
 ならば、それなりに強いのかもしれない。

『ところで、あんちゃん。
 まずは、聞いておかないといかん事がある』

 ライダーは改まった風に言うと、立ち上がる。

「何だ?」

『聖杯戦争っていやぁ、聖杯に何か願いがあって参加するんだよな?
 おめぇは、聖杯に何を望むんだい?』

 ……まぁ、当然の疑問である。
 戦う理由か……。

「ライダー、君は一国の皇帝まで上り詰めた男だ。
 そんな君には分からないかもしれない。
 ……僕は聖杯になど興味は、ない……聖杯に望みなんてないんだ」

 ライダーは顔色を変える事なく僕を見ていた。
 僕の話を聞いてくれていた。

「……恐らく、君は聖杯に何かしらの望みを持って召喚に応じてくれたんだろうけど。
 僕には、聖杯に望みなんてないんだ。これを見てくれ」

 俺はシャツを脱いで、自らの上半身を晒した。
 身体中に張り巡らされた魔術刻印。
 投薬によって、神経や内臓系の破損は割とひどい。

「僕はもともと大した魔術の素養があったわけじゃなかったらしい。
 だが、僕の家系――魔術師の家系で後継者となる人物は僕しかいなかった。
 しかもただ魔術師としての血を継げばいいわけじゃない。
 神谷の魔術師として、聖杯戦争に勝ち残れる魔術師じゃないとダメだった。
 僕は、祖母の魔術の実験体となり、鍛錬や投薬などによりそれなりの魔術師となったらしい。
 だが、僕の身体はボロボロだ。僕の叔母にあたる人間も僕と同じ境遇だったらしい。
 だが、僕が勝って聖杯を手に入れなけば、僕みたいな子供がまた出てしまう。
 僕の祖母はそういうヤツだ。だから、僕は聖杯を手に入れる。そして僕はこの負の連鎖を断ち切る」

『そうかい。んで、あんちゃん、おめぇは連鎖とやらを断ち切って何がしたいんだ?』

 したい事……?
 僕のしたい事……?

「兎に角、祖母から自由になりたい」

『それで? 自由になって何がしたい? 夢は無いのか?』

 夢……?
 夢か……。
 そんな事考えた事なかったな。
 そう考えると、何とも寂しい若者なのだろう自分は。

 そういえば、祖母の所に行く前……。
 小学校に入った時の頃、優しくて面白おかしく授業を行う担任教師に憧れた事があったな……。

「そうだな……学校の教師とか?」

 ……?
 って、何を言ってるんだよ、僕は!

「いや――」

 僕は自分の馬鹿な発言の訂正をする為に口を開いた。
 だが、ライダーの奴が思わずニンマリと笑うので、僕は呆気にとられることになった。

『そうかい! ならば、俺はおめぇのその夢の為に戦おう!』

 言い切るライダー。
 僕はまだ呆気にとられていた、
 そして、何とか絞り出した言葉。

「ライダー……お前の望みは!?」

 そう、ライダーの望みだ。
 僕の望みだけ聞いて、終わりってんじゃ割に合わないぞ!
 僕にこんな恥ずかしい目に合わせておいて!

『俺か? 俺も別に聖杯自体に望みなんてねぇさ。
 別にあんちゃんみたいに立派な望みがあるわけでもねぇ』

 ライダーは言う。
 聖杯に興味がないと。
 立派な望みじゃないと。
 どういう事だろうか……。
 嘘をついているようにも、腹に何かを隠しているようにも見えない。

『ただよ。老いて、死ぬ直前……いや、死んでからもこう思うんだよ。
 老いて思うように動かなくなってくるとさ。
 若い頃……まだ国とか関係なしに馬鹿やってた頃みたいにな。
 また兄弟三人で馬鹿みてぇに大暴れしてぇなぁ~ってな』

 少年のように屈託なく笑うライダー。
 僕はそれがとても眩しく見えた。

「リビングの方へ行こう。
 聖杯戦争の開始までしばらく時間がかかる。
 これからの事を打ち合わせしよう」

『ああ、いいぜ、まあ楽しくやろうや』

 ライダーの表情は思いのほか明るい。
 これがこれから殺し合いを行う者か、と疑いたくなるほどに。
 だが、よくよく考えれば、劉備は一国の皇帝にまで上り詰めた男だ。
 人の命、ましてや敵の命なんて屁にも思っていないかもしれない。
 覚悟が足りないのは僕の方かもしれないな……。
最終更新:2015年10月12日 22:57