JRAの元騎手、元調教師。二冠馬ミホノブルボンを鍛え上げたことで有名。

自身の持つ調教理論(≒インターバルトレーニング)と合致した坂路コースでの調教をいち早く取り入れ「坂路の先駆者」などと呼ばれる。食道がんを患い、ミホノブルボンのダービー制覇からちょうど1年後に死去。没後に出版された著書『鍛えて最強馬をつくる』でJRA馬事文化賞を受賞。

誤解されがちであるが、「素質(特に先天的なスピード能力)以上のものは造れない」というのも戸山の持論である。ハードトレーニングはあくまでその馬の能力を限界まで引き出すための手段であった。

また小島貞博?や小谷内秀夫など、厩舎に所属する騎手の起用にこだわったことでも知られる。その他の門下生に鶴留明雄、森秀行ら。

既に他界しているため本人が主体となって登場することはないが、いわゆる“戸山式トレーニング”はハードトレーニングの代名詞としてしばしば登場する(主に年表?ニュース)。森秀行調教師についても同様。


<外部リンク>
戸山為夫(ウィキペディア)
鍛えて最強馬をつくる(Amazonによる書籍紹介)

<関連>
森秀行

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最終更新:2006年10月11日 07:07