「召喚と錯覚における信仰的現象の比較考察」
――しいたけを呼ぶ呪術の試行とその心理的再現性――
提出者:本田 マラカス(民俗宗教学科・呪術伝承コース)
指導教員:榎本 静 教授
要旨
本論文は、「しいたけを呼ぶ呪術」という試みを通じて、
信仰・錯覚・共同認識の三要素を比較・分析したものである。
私は呪術の本質を“現象そのもの”ではなく“それを信じる構造”に見出した。
すなわち、呪いは再現されるものではなく、共有されるものである。
本研究では、呪文儀式・群集心理・視覚誘導を組み合わせ、
観測者が「しいたけが現れた」と錯覚する状況を再現。
その過程を通じて、「信じられる錯覚」は宗教儀礼と同等の心理効果を持つことを確認した。
第一章 呪術と現実のあいだ
呪術の起点は「誰かが見ていた気がする」から始まる。
この曖昧な視線の交錯こそが、信仰の萌芽である。
私はしいたけを“神の媒介”と仮定し、祈祷の形式で召喚を試みた。
結果として、しいたけは物理的に現れなかったが、
観察者のうち7割が「確かに香った」と回答した。
これを私は“嗅覚的顕現”と定義する。
第二章 呪文構造の再現実験
呪文「しいたけ、来たけ」は、音韻的に“落語的リズム”を持つことがわかった。
笑いを誘発する音の連続は、集中を阻害する一方で、
場の空気をゆるやかに変化させる効果を持つ。
実験中、呪文を唱える学生の笑いが連鎖し、
その最中にひとりが「落ちてきた!」と叫んだ。
実際には誰かの袖からしいたけが転がっただけだったが、
全員が一瞬だけ“それが本物だ”と信じた。
呪いとは、その一瞬の共有を指すのかもしれない。
第三章 心理的錯覚と共同創造
本研究の核心は、信仰は一人では成立しないという点にある。
しいたけ召喚実験は、その失敗こそが成功だった。
人は「信じたふり」を通じて、実際に信じるようになる。
観測者が望む現象を、術者が“起きたことにする”――
この共同作業こそ、呪術の実体である。
私はこれを「共犯的信仰構造」と呼ぶ。
つまり、呪術とは世界と相談しながら現実をでっち上げる作業だ。
その結果、しいたけは**「呼ばれた」ことにされた**。
結語
本研究の目的は、しいたけそのものの召喚ではなく、
“信じる行為が現象を生む”という構造の再現にあった。
実験の最終日に、私はすべてのしいたけを焼いて食べ、
参加者全員に「召喚の供養」として振る舞った。
そのとき、誰かが言った――
「この味、ちょっと神聖っぽいですね」
私は静かに頷いた。
呪いは、信じられた時点で完成する。
そして今も、私の袖にはしいたけの香りが残っている。
神は現れない。
だから、人間がしいたけを出す。
最終更新:2025年11月02日 06:11