松茸大学 初代学長 榎本茸吉(えのもと・たけきち)


――真理は、時間よりもゆっくり発酵する――

幼少期 ― 森の声を聴く子ども


榎本茸吉は、霧深い山あいの集落に生まれた。
幼いころから植物に話しかける癖があり、家族は「また木と相談してる」と笑っていた。
しかし茸吉は真剣で、「木はうなずいた」と記録まで残している。
このころから、彼にとって“研究”とは“対話”だった。

建学の原点 ― 「教育とは発酵である」


戦後、榎本は「人間の知性も、ほっとけば発酵する」と主張。
弟子たちは「腐るのでは」と心配したが、彼は「温度管理次第だ」と譲らなかった。
こうして松茸大学の前身“発酵学舎”が誕生した。
初期の授業は菌の培養と読経を交互に行うという奇妙なもので、
学生の中には「どちらが講義でどちらが祈祷かわからなかった」という証言も残る。

大学設立時に掲げた理念は今も有名だ。

「松茸のように稀少で、香り高く、時々見つからない人材を育てる。」

教授として ― 「授業という名の沈黙」


榎本の講義は、静寂そのものだった。
黒板の中央に松茸が置かれ、「観よ」とだけ言い残して一時間が過ぎる。
学生たちは真剣に観察を続け、なかには「呼吸のリズムが変わった」と報告する者もいた。

後年、ある学生が日誌にこう書いた。

「先生は言葉を使わずに、私たちの考える香りを聴いていた。」

榎本は結果よりも熟成を重んじ、失敗を“別の成功の匂い”と呼んだ。
実験が腐っても怒らず、「まだ酸味が足りない」と評価をつける。
彼の成績表には“芳香”“やや刺激臭”“熟成中”の三段階しか存在しなかったという。

晩年 ― 「発酵する哲学者」


晩年の榎本は、もはや自然と一体化していた。
研究ノートには「風が今日は機嫌悪い」と書かれ、
学生は「天気の報告ですか?」と尋ねたが、彼は「論文だ」と答えた。

山を歩きながら語る講義では、毎回テーマが違う。
「人生とは何か」と問われた翌週には、「冷蔵庫とは何か」が議題になる。
どちらも発酵の話で終わるのが常だった。

彼の晩年の記録に残る言葉はこうだ。

「急ぐ知は乾く。待つ知は、やがて香る。だが放置すると謎の液体になる。」

最期と継承 ― 「静かなる熟成」


晩年、榎本は実験室で静かに息を引き取った。
机の上には乾燥した松茸と、彼の最後のメモが残されていた。

「この香りは、まだ途中だ。」

葬儀では教え子たちがそれぞれの研究瓶を棺に供えた。
しばらくして、瓶のいくつかが膨張し破裂したため、以後大学では「葬儀中の発酵禁止令」が制定された。
彼の命日になると今も校舎のどこかで微かに温かい匂いがするという。
学生たちはそれを“先生の再提出”と呼んでいる。

遺産 ― 「思想はいまも菌糸のように広がる」


榎本の理念は今も大学の空気の中に息づいている。
現学長・難波壮介は、師の思想を受け継ぎつつ、たまに瓶の前で寝落ちしている。

学生たちは締切を過ぎても「まだ発酵中です」と報告書に書き、
教授陣は「匂いが出てきたら提出しなさい」と返す。
こうして松茸大学の学問は、今日もゆっくりと熟成を続けている。

「真理は発酵する。香りが立つまで待て。」

教育とは、時間をかけて放置する芸術である。
― 松茸大学 初代学長 榎本茸吉
最終更新:2025年11月02日 18:37