香月 幸太郎(かづき・こうたろう)教授


専門:宗教心理学・儀礼構造分析

松茸大学文学部教授。
“信仰とは、心が偶然うっかり行ってしまう動作である”という独自理論を提唱し、宗教心理学の枠を飛び越えて「行動と信仰の隙間」を研究している。

彼の研究対象は「なぜ人は無意識に手を合わせるのか」。
初対面の学生にまで自然とお辞儀してしまうあたり、教授自身が最も興味深い被験者である。

◆信仰行動のはじまり

香月は幼少期から「おまじない」を収集していた。
“テスト前に鉛筆を転がすと合格する”
“朝起きて猫を三回撫でると幸せになる”
――そんな民間レベルの信仰を、ノートにびっしり書き溜めていた。

大学では心理学を学ぶが、教授に「分析対象が全部かわいいね」と言われ、逆に宗教心理学の道に進むことを決意。
卒論のタイトルは『祈りの動機における無意識的痒みの役割』。
審査員たちは意味が分からなかったが、タイトルの語感が良いので満場一致で通過した。

◆講義 ― “信仰の手順書”

香月の講義は、一見すると自己啓発セミナーのようだが、内容はかなり精密である。
冒頭の挨拶が「皆さん、今日も信じてますか?」。
学生が「はい!」と返すと、「では今の“はい”の構造を解剖しましょう」と始まる。

彼の定義では、信仰とは「行動と意味のすれ違い」。
たとえば、教室に入るとき靴を脱ぐ、レポートを両手で渡す――それらすべてが「小さな儀礼」。
授業ではそれらを“無意識の宗教的動作”として分析する。

学生たちは身の回りの行為を観察してレポートにまとめるが、内容は「おにぎりを三角に握るときの信仰構造」や「トイレの鏡の前でため息をつくときの祈り性」など、だいたい日常のどこかが神聖化されている。

◆ゼミ ― “ミニチュア儀式研究”

香月ゼミでは、毎年“新しい儀式を開発する”という課題が出される。
学生は思い思いの信仰行動を提案する。
「机を三回叩いてから勉強すると集中できる」
「カフェラテの泡が消えるまで願いごとを唱える」
「エレベーターの“閉じる”ボタンを押さないことで慈悲を学ぶ」など。

それらの中から特に社会的影響力がありそうな儀式が選ばれ、“松茸大学新儀式登録会議”に提出される。
審査は厳しく、教授が一つ一つの行動に心理的根拠を問う。
「なぜ三回叩くの? 二回では足りないの?」
「その泡、君はどこまで信じているの?」
学生は答えに詰まり、最終的に「感じているだけです」と言うと、教授は微笑んで「合格」。

◆研究室 ― “儀礼の標本棚”

香月研究室の壁一面には、“行為の化石”が並んでいる。
学生が提出した儀式の記録を、実際の道具ごと封印して展示するのだ。
棚には「卒業前に黒板を触る手」「三秒だけ祈るペットボトル」「お願いされたホチキス」など、
意味が分かるような分からないようなモノが整然と並ぶ。

中央の机の上には、「お辞儀の骨格模型」がある。
人が頭を下げる角度と心理的屈服率の相関を計測するために作られたもので、スイッチを入れるとモーターで90度礼をする。
来客があると教授が「彼も信仰しています」と紹介する。

◆人柄と逸話

香月は温和で、どんな話題でも宗教心理学に持っていく。
学生が「先生、恋愛相談してもいいですか」と聞くと、「愛とは“信仰が二人分”ある状態です」と答える。
学生が「それ、重くないですか」と返すと、「信仰に軽さを求めないように」と微笑む。

講義の最後には必ず「信じる力の筋トレを忘れずに」と締めるため、隣のスポ健学部の学生からも人気が高い。

学内の噂では、学園祭の模擬店で“祈りの屋台”を出したことがあるらしい。
通行人に「おみくじを引くより、今この行為を信じてください」と言いながら、ただ立っているだけ。
それでもなぜか賽銭が集まったという。

◆現在の研究 ― “信仰の無意識構造”

現在、香月教授は「信仰の伝染過程」をテーマに研究を続けている。
SNSの“いいね”ボタンを押す行為を「現代儀礼の最小単位」として分析し、学生たちには「毎日10回“いいね”を押すと心が柔らかくなる」と指導している。

最近では“デジタル参拝プロジェクト”を立ち上げ、オンライン上で「拝みやすいUI」を研究中。
クリック回数に応じて祈りの深度を可視化するシステムを開発しており、ベータ版を試した学生は「謎の達成感がある」と語った。
教授は満足げに言う。

「儀式は古びない。形を変えても、人は何かを信じたいままだから。」
最終更新:2025年11月04日 17:17