2006年10月18日(水) 19時34分-鴉羽黒
*
「牛食いてぇ」
放課後、角嶋紳治が一言目に発した言葉はそれだった。
「…この暑さで頭がやられたのか?」
そう言う僕も、額の汗を拭う。もう九月になったとはいえ、八月の熱気がすぐに引いていくわけでもなかった。まあ、紳治がうんざりする気持ちは分かる。放課後になっても一向に太陽が沈む気配がないというのも、優雅な帰宅部員としては嫌な光景ではある。七月に比べればマシだが。
「でも、シンジの場合は季節を問わず三日に一回は牛食いたいって言ってると思うけど」
礼が、笑いながら言う。どういう原理なのかしらないが、礼はいつも周囲の熱気をまるで感じさせない。大体どんな環境でも平然としている。まさか、マイペースな性格のせいというわけでもあるまい。
「うるせー。あー、にくー」
机に突っ伏してうなる紳治を無視して、僕はさっさと帰り支度を済ませる。と言っても、例によって図書室に向かうのだが――
「待てコーヒ」
「ヒロヒだ」
「こうしよう。これからゲーセンに行って、俺が勝ったら焼肉おごるってのはどうだ」
「いやどうだもなにもねーよ」
指摘すべき点が多すぎて、なにから手をつけていいのか分からない。
「コーヒが勝ったら缶コーヒーおごってやるから」
「単価が違いすぎるだろ」
「でもくくりとしては好物にはいるんだから、平等かも」
「レイの言うとおりだ」
これ以上付き合いきれないと判断した僕は構わず席を立とうしたが、ふとあることに気づいた。
「…なあ、なにで勝負するんだ?」
「ん?」
自分から言い出しておいて考えていなかったのか、紳治は首をひねった。
「そだな、俺がいつもやってる格ゲーでいいだろ。イーグル・バンプ。コーヒもできるよな?」
「ああ、たしなむ程度にはな」
「え? 確かイーグルって――」
「ちょっと静かにな、レイ」
何か言いかけたレイの口を、僕はさりげなくふさぐ。
「じゃ、決まりだな!」
僕のその行為を特に疑問を持たず、張り切って席を経つ紳治。
どうやら、僕の含み笑いには気が付かなかったようだった。
「んじゃ、僕は部活に行くけど――コーヒ、ほどほどにしたげなよ?」
「なんのことだ?」
苦笑する礼に手を振り、僕と紳治は教室を後にした。
灼熱の日が降り注ぐ外に比べて、ゲームセンター・『バリスタ』の店内はまさに天国だった。空調が効きすぎるくらいに効いて、数十分の移動でかいた汗も、すぐにひいていく。
もっとも、こうやかましくてタバコ臭い天国と言うのも嫌だが。
「…で、何本勝負だ?」
よほど腹が減っているのか何かしらないが、紳治は脇目も振らずに一直線にイーグル・バンプの筐体に向かった。運良く対戦できる台が開いていたので、さっそく席につく僕と紳治。
「金がない。100円の一発勝負だ」
「今のうちに両替しておいたほうがいいぞ」
コイン投入。通常ならこれから一人用のモードが始まるのだが、すぐにコインを入れた紳治が乱入してくる。
「――コーヒ」
イーグル・バンプの筐体ごしに、紳治が話しかけてくる。
「なんだ? まさか、いまさら辞めるとかいいださないよな?」
「まさか。ふふふ、楽勝だと思っているだろう、コーヒ。お前、このゲームすげー上手いらしいからな」
その言葉に、僕は少し驚く。僕はバリスタにはほとんど来たことがないし、そのことは紳治も知っているはずだった。
「…なんだ、知ってたのか?」
だが。家庭用ゲーム機が普及しているこの時勢、イーグル・バンプがプレイできるのは、なにもゲームセンターに限られない。数ヶ月前に家庭用ゲーム機版のイーグルバンプが発売され、僕はそれをやりこんでいたのだ。以前うちに来たことのある礼はそのことを知っていたが、紳治は知らないはずだった。
「前、レイが話してたからな」
考えてみれば別に口止めをしておいたわけでもないので、そう驚くようなことでもない。
「で、それでもなお挑むってのか。いいだろう」
僕のキャラクターは選択済みだ。いわゆる主人公キャラで、面白みはないが、バランスがいい。
「家でやるのとゲーセンでやるのでは勝手が違うって話だ。そもそも、コントローラーじゃないんだぜ?」
自信満々にそういう紳治が選んだのは、ガタイのでかいパワータイプのキャラだった。なんというか、性格そのままのような気はする。
「一応言っておくけど、今はゲーセンと同じスティックでできるコントローラー、売ってるぞ」
そしてもちろん、それを僕は持っている。
「…なんだと?」
試合開始、中略、試合終了。
「コーヒー、一本な」
二本先取の試合で二連勝してのストレート勝ち、だった。当然僕の、だ。
「………まだまだ勝負はこれからだぜ!」
安い捨て台詞を吐いて、紳治が両替機に走った。
数分後。
「二本目だな」
「…知ってるか? 千円札はな、十枚の百円玉になるんだ」
さらに数分後。
「いくらなんでも、そんな一度に何本も飲めねえぞ」
「………」
そろそろ諦めたかと思いきや、しばらくして紳治は無言でまた乱入してきた。選んだのも、さっきまでの同じキャラクター。
「やれやれ…、金ないんじゃなかったのか?」
最後に徹底的にシメておくべきかと、僕は速攻で勝負を決めにかかった。紳治の操るキャラの体力はぐんぐん減っていき、体力バー残りわずかを示す赤色に点滅しだしたその瞬間、しかし異変は起こった。
「うお」
画面上で、僕の操るキャラが吹っ飛んでいる。ピンチにしか出せない超必殺技を直撃させられたせいだ。
「…まあ、いい」
僕はすぐに体勢を立て直させ、わずかに残る紳治の体力を削り落としにかかる。
しかし、紳治のキャラクターの動きは、それまでとは次元の違うものだった。スピードの遅いキャラのはずなのに、すんでのところで僕のキャラの攻撃は当たらず、ガードされ、最後の一撃がどうしても決まらない。これはまずいんじゃと思ったときには、もう僕の操っていたキャラクターは地に伏していた。一試合目、KO負け。
「…どういうまぐれだ?」
だが、二試合目はもっとひどかった。まるで人が変わったかのような紳治の操作に僕は全く付いていけず、瞬く間に体力ゲージが点滅する。そしてこのままでは、あと数秒でその点滅も消えるだろう。
(………どうする?)
紳治の操るキャラが、トドメの一撃を消えようと不気味に近づいてくる。ほんのわずかな攻撃でも勝負は決まるだろうから、多分一番確実で隙のない攻撃をしてくる、と思う。だが、やることがわかっていれば、カウンターでさっき紳治にやられたような大技を返すことも可能、か――?
(…いや、それだと負けるな)
どういう奇跡なのか分からないが、彼我の実力差は絶対である。後手に回ってはだめだ。
「攻めてやる…!」
僕は前進を選んだ。
そのあとの数瞬の動きは、僕もよく覚えていない。
ただ結果として、僕の繰り出した超必殺技は相手の体力の半分近く奪い、同時に繰り出された弱パンチによって僕のキャラはノック・アウトされた。
一矢報いたとはいえ、僕の完敗だった。
「ふふん、どうだ。賭けはオレの勝ちだな」
背後から、紳治が勝ち誇った声で話しかけてくる。
「…阿呆か、さっきから僕の方がもう何勝もしてるだろ――」
言いかけて、ふと違和感を覚える。
「紳治、なんでお前そんなとこに――」
「これで、焼肉おごってもらえるんだろ?」
「な――」
振り返ると、知らない女性が筐体に寄りかかって笑っていた。どうやら、今僕が戦ったのはこの女性のようだ。
「…いや、誰です? てか、ここの店員さん、ですよね?」
見たところ僕よりも背の高そうなその女性は、バリスタとロゴの入ったエプロンをしていた。名札もしていたが、名前の部分はよく見えない。
「そーだ。しかし、レディに誰何するときは、まず自分から名乗るべきじゃないか?」
誰何なんて単語、小説の中でしか見たことがないんですが。なんとなくだが、この人は変人の部類に入れていい気がする。初対面から失礼とは思いつつ。
「…管原浩灯です。知ってそうですが、コイツの連れです」
「よろしい。――私は、永森だ。下の名前はもうすこし親しくなってから教えてやろう」
できればそんなフラグは立てたくない。そしてよく見れば名札にはフルネームが書かれているようだが、あえてはっきり見ないことにする。
「見れば分かるだろうが、ここでバイトしてる。そして知らなかったようだが、ソイツがあんまり下手なくせに常連で来るから、まあ顔見知りくらいにはなった花も恥じらう十九歳だ」
若さを強調しているような言葉だったが、高校生の僕らは当然年下だ。
「…シンジ、そんなに常連だったのか?」
「夏休み中に暇だったから、ずっと来てたんだよ。部活も一日中やってるわけじゃないしな」
その金があったら焼肉くらい食えたんじゃないのか。
「とにかく、俺の勝ちだぞコーヒ。焼肉おごれ」
「だからなんでだよ。結局シンジは負けっぱなしだっただろ」
「ふふん。俺の人脈の勝利だ」
「…言ってて情けなくないか、それ」
「…少しな」
言って、うなだれる紳治。ついでに腹の音までなっている。
「…すみませんキラさん、せっかくアドバイスしてもらってたのに。情けないっす」
「おーよしよし、まあよくやったよ。前よりは上手くなってた」
そんな紳治の頭を、慈母のようになでる永森さん。紳治はキラさんと呼んでたが、それが下の名前だろうか。
ということは、紳治はそれなりに親しくなっているということか。
「光栄っす」
少年のような笑顔を見せる紳治。僕には、なんとなく紳治が尻尾を振っているイメージが浮かぶ。
…何となく、読めてきた。
「ほら、これやるから。腹は膨れないだろうけど、気休めにはなる」
そういって永森さんは、エプロンのポケットからキャラメルを取り出した。紳治が感激した様子でそれを受け取る。
「…角嶋が頑張ったおかげで、八月の売り上げも上がったし」
「騙されてるぞシンジ」
「冗談だ、怒るなよコーヒくん」
「ヒロヒです。シンジの呼び方に惑わされないでください」
「言いにくいし、ヒロヒって」
「まあ、それは認めますけど」
というか、紳治は「角嶋」なのに、なんで初対面の僕を名前で呼ぶかな。
「角嶋からキミの話は聞いてたから、ちょっとからかってみただけだよ」
「敬語やめていいですか?」
この場合は、妙なことを吹き込んだ紳治に怒るべきなのかもしれないが。
「あはは、冗談が通じないなー、管原くんとやら。まあ、お近づきのしるしにこれでも食べな。落ち着くぞ」
言って永森さんが差し出したのは、やはりキャラメル。昔からある、懐かしいデザインのあれだ。
「…別に、怒ったりしたわけじゃないですけど」
渋々とそれを受け取り、僕はキャラメルを口に入れた。途端、甘い香りが口の中に広がる。
「…まあ、よく知ってる味ですけど、うまいです。ありがとうございます」
「キャラメル一つで礼を言うことはないさ。しかしまぁ、素直じゃないなぁ、管原くん」
「ほっといてください」
そこそこに自信のあるゲームでボロ負けすれば、誰でもこうなると思う。
…まあ、紳治に負けないくらい情けないか、僕も。
「カフェインの摂り過ぎでちょっとおかしんですよコイツ」
「ほっておけ阿呆。牛人間め」
「牛が好きだからって牛人間と言うのはおかしいな、コーヒ。むしろ牛を食うわけだから、あれだ、肉食動物。荒ぶる獅子」
「イノシシの間違いじゃないか?」
僕と紳治のやり取りに、永森さんが声をあげて笑う。
「角嶋といいキミといい、最近の北高は面白い奴が多いみたいだな」
紳治と一緒にされるとは、実に心外だ。
それはともかく、永森さんの言葉にピンと来るものがあった。
「…永森さんは、北高の卒業生なんですか?」
「ん? ま、似たようなモノだ」
微妙に歯切れの悪い永森さんの言葉に、ちょっと引っかかるものはあったが、それ以上追求はしないことにする。
「じゃあ、先輩なんですね。永森先輩」」
「ん、そうなるのかな」
先輩と呼ばれて少し気恥ずかしそうに頬をかく永森さん。
「あんまり慣れないな、その呼ばれ方は――」
「――永森、サボるな!」
そのとき、サービスカウンターの奥から、別の店員が永森先輩に声をかけてきた。騒音でうるさいので、叫んでいるようだ。
「――すぐ戻る!」
叫び返す永森さん。あまり深刻そうな感じではないので、同じバイトの人だろうか。
「稲沢は融通が利かないからな…。こうすることが売り上げアップにつながると言うのに」
「やっぱり騙されてるってシンジ」
「冗談だ。まあでも、真理だろう? お客さんは大切にしないとな。だからって別に、キミらが金づるにしか見えてないと言うわけではないさ。どうせなら友人になってしまったほうが楽しい。そうだろ?」
真面目に返れると困る。僕はたじろいで、もごもごと返事を返す。どうも、この人は苦手だ。
「それに、いくら儲かろうが、バイトの収入には関係ないしね」
「まあそりゃ、そうすね」
肩をすくめてみせる永森さん。
「さて、そろそろいい加減稲沢が怒るな。仕方ない、戻るか」
「おつかれさまっす」
すかさず姿勢を正す紳治。…下士官か何かか、お前は。
「それじゃ、またな二人とも。管原くんも、たまには顔を出せよ」
「次は勝ちますよ」
「あっはっは」
笑い飛ばしたよこの人。
「では、次に会うときまで忘れるなよ。私の名前は、永森キラだ」
「え?」
思わず聞き返した僕に構わず、永森さん――永森キラは颯爽と店の奥へ消えていった。
下の名を教えるのはもうすこし親しくなってから、ではなかったのか。
「なんか、一定時間背の高いことと胸がでかいことに対する指摘をしないことが親しくなる最初の条件らしいぞ。どっちも気にしてることなんだってさ」
紳治が神妙な顔で言う。なんだそれは。
しかしそれなら確かに、そもそも紳治は余裕で永森さんより背が高いし、色気より食い気だから後者の指摘はしないだろうが。
「俺、結構危なかったような…」
初めて見た時に、女性にしてはずいぶん長身だなとは思っていたのだ。胸に関しては、まあ、面と向かって指摘する奴のほうが珍しいと思う。
「…ん、待てよ」
最初に指摘しておけば、余計なフラグを立たせずに済んだような気がする。
「……まあ、いいか」
人脈はあって困ることもないだろう。紳治の言葉ではないが。
「…はぁ、相変わらずカッコいいぜキラねーさん…」
溜息をつく紳治。
「シンジ、まあ止めはしないけど、部活休むのは程ほどにしとけよ。あと、金を使うのもな」
「大丈夫だ。キラねーさんが入ってるのは、平日だと月・火・木だけだ」
リサーチ済みらしい。
「……お前がそんな奴だとは知らなかったよ、シンジ」
「なんだよー、いいだろファンになるくらい。コーヒだってまた来たくなったろ?」
そんなことない、と即答はできないあたりが悔しい。完敗したイーグルのリベンジはしなければならない。
僕は無言で出口に向かう。紳治も僕について店を出る。
「……次はレイもつれてくるぞ」
「なんでだ?」
「シンジと一緒くたに面白人間扱いされたのが納得いかない。こうなったらレイも巻き込む」
そう答えると、紳治は嬉しそうに笑った。何となく腹立つ。
「…まあいい、とりあえず缶コーヒーはおごれよな。一本でいいから」
僕は近くにあった自販機を指差して言った。だが紳治は、
「無理だ、もう金がない」
「お前な。…じゃあ明日の昼な」
「へいへい」
「――おーい、管原コーヒ!」
歩き出したところで、背後の『バリスタ』から声がした。振り返ると、奥に戻ったはずの永森さんが外に出てきていた。
「だからヒロヒだって言って――」
「言い忘れてたが、今度来たら焼肉おごってくれよなー!」
それは冗談じゃなかったのかよ。
「…シンジ、やっぱり次はお前だけで行け」
当分ここには近寄るまいと、僕は沈む夕日に誓った。
なぜって、一朝一夕の特訓では、あの人には勝てないだろうからだ。
*
最終更新:2012年12月12日 21:29