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恋愛マニュアル

2011年08月30日(火)18時26分 - るり

 

 先生が少し気だるげな様子でわたしの前に現れた時、わたしは、なんらかの甘い期待のこもったこの妙な感覚に気づかないわけにはいかなかった。なぜなら、彼らだったらきっとそうしただろうから。そういうわけで、わたしは彼らに陶酔しきっていたので、わたしも当然そうすべきだという観念に囚われていた。しかし先生自身もまた、――その描写をわたしは意図的に避けるが――じゅうぶん魅力のある人だったように思う。だからあの時のおなかのちょっとよじれるようなときめきが、彼らのものなのか、それとももとよりわたしの内側に潜んでいたものだったのか、わたしには分からない。
 ところが、まもなくわたしが幻滅せざるを得なかったという事実が、わたしと彼らとの明らかな差異を示していた。先生は五十分の授業のあいだ、にこりとも笑わなかった。無表情のまま、低い、あるいは甘い、そして聞きようによっては嫌味っぽい声で、この出来の悪い生徒を叱咤しつづけた。さらになかなかわたしの名を覚えられなかった。覚えようともしていなかった、と言う方が恐らく正しい。先生は「だから、あー……米津さんは、」と教習原簿を逐一開いてわたしの名を確認し、最後には「君は」と言って名前を呼びすらしなかった。
 思えばわたしは彼らと違って、陽光の降り注ぐ浜辺にいるのでもなく、眺めのよい丘の上の別荘にいるのでもなかった。わたしに必要なのは、古ぼけた自動車教習所の片隅にいる自分という存在を、正しく認識することだった。そしてまた、毎時間無作為に割り当てられる教官のうち、あのちょっと素敵だけれどいじわるな先生が二度と担当になりませんようにと祈ることだけだった。


 ただどうしてか具合の悪いもので、わたしが再び先生と顔を合わせるのに長い時間は要さなかった。それバイトだテストだサークルだとかこつけて早くも不登校になりかけていたわたしは、久々の教習所で久々とは思われないその姿を見て、がっくりと項垂れた。もちろん、胸の奥で。
 相変わらず上達しないわたしの運転技術を批判しつづける先生と二人きりの車内で、わたしは何度も息の詰まるような思いをした。一度、見苦しくない程度に左折できた時にこっそり先生を盗み見ると、しかし先生は腕を組んで窓の外を眺め、なにも言わなかった。わたしは少なからずがっかりした。
 終業のチャイムがそつなく鳴り響く。車を停め、やっと解放されると胸の奥で安堵のため息をつくと、そこで「ちょっと」と先生に呼び止められた。
「米津さんはね、運転中の視野が狭いんだよ。いつも手前ばっかり見てるから、まっすぐ車が進まないでしょ。それとギアチェンジが遅い。もう全部で七回も乗ってるんだから、これくらいはすんなりやってほしいんだよね。あとは、右左折の時の減速が不十分なこと。助手席で見てるとひやひやするんだから。特にこの三点。いいかい?」
 わたしは下を向いて、先生が指を折って難点を挙げるのをただ頷きながら聞いていた。先生の顔を見るのは恐ろしすぎた。
「……でも全体としてはすごく上達したよ。はい、よく耐えました」
 驚いて目を上げると、教習原簿をわたしに差し出しながら、――そこに確かに嫌味は含まれていたのかもしれないが――先生は薄く笑っていた。そして、「耐えました」? わたしは頭がぐらぐら揺れるのを感じた。それは、慣れない五十分間の運転にだろうか。それとも先生の嫌味に、だろうか?
 わたしが後部座席から荷物を取り出すあいだ、先生はぼんやり空を見上げながらわたしを待っていた。わたしはわざとゆっくり荷物をまとめた。ここしばらく息を潜めていた彼らが、急ぎ足でわたしの表の方へ駆け上がってくるのが分かった。わたしは鞄を肩に掛けると、まっすぐ先生の方を向いて、可能な限りの笑顔で「ありがとうございました」を言った。なぜなら、彼らだったらきっとそうしただろうから。先生は少し面食らったような顔をして、わたしの顔をしばらく見つめていた。


 教習所場内を車が行き交うのを、わたしは文庫本を片手に談話室の中から眺めていた。ずっと欲しかった本を、すぐそこの古本屋でこの前見つけたのだ。ぼんやりと、彼らのことを思った。それから、知らず、31号車を眺めていることに気づいて、慌ててわたしは目を伏せる。
 冴えない日がつづいた。教習所へ通うのはじつに億劫ではあったが、それでも叱られたり煽てられたりしながら、なんとか仮免許を手にするところまでは漕ぎついた。


 仮免許検定後、最初の授業は応急処置に関する三時間連続の講義だった。わたしが指定された第四教室に足を踏み入れた時、そこには誰もおらず、蒸し暑かった。ぐるりとその小さな教室を回って窓を開けていると、奥の部屋へ通じる扉が開いた。
「あ」
「お」
 見れた顔ではなかったに違いない。それはつまり、わたしがなんの恥じらいもなく目を輝かせ、頬をほころばせてひと月ぶりに対面する先生を見上げていたということだ。ただその一瞬ののちにはわたしも我に返り、「荷物は……」と口ごもった。先生は僅かに口角を上げて、教室の後ろの戸棚を指し示した。
 数人の生徒を前にして、先生は朗らかに授業を進行させた。時には、昨年の冬に通りすがりの幼稚園児の集団の目の前で滑って転んだことまで面白おかしく話し、わたしたちを笑わせた。
 ひとしきり話し終えると、先生はテレビに映像を流し、教室の隅の机に腰掛けた。周りの生徒たちが昭和の時代に制作されたものと思われる古ぼけたビデオを居眠り半分に眺める中、わたしは密かに先生の様子を窺い、そして驚いた。生徒たちの教習原簿に判子を押す先生の横顔は、ひどくやつれて見えた。
(この人の帰りを、優しく温かく待っている人は誰なのだろう?)
 ふっと湧いて出たその問いは長らくわたしを苦しめたし、当然のことながら、この種の疑問の解決策は見当たらなかった。しかし考えてみれば、そもそもわたしは先生のことなどなにも知らなかった。年齢も、住所も、休日になにをして過ごしているのかも。彼らだったらきっと、そんなことには構わなかっただろう。ところがわたしはそうではなかった。この時、ふくふくとしてろくな悩みもないわたしと、先生とのあいだには、明らかな厚い隔たりがあるように思われた。


 そのすぐ翌日、受付で指示されたのが31号車だったので、わたしはそわそわして談話室でも落ち着きなく過ごした。予鈴が鳴ると、平静を装って談話室を飛び出した。
 わたしが後部座席にすべて荷物を置ききったところで、背後に人の気配を感じた。振り向いて「よろしくお願いします」と頭を下げると、先生も「よろしく。米津さんは……」と言って、わたしが手渡した教習原簿を開き、「お、今日が初の路上運転か。頑張れ」と目を柔らかく細めた。
 授業は概ね快適だったと言ってよい。先生は時々「ちょっと、ギア見すぎだよ」「車間距離が狭いな」「ほら、制限速度オーバー」と注意もしたが、言葉に棘はなかった。むしろ軽く冗談まで飛ばして笑った。
「ここまで来たら、もういっそ家に帰りたいよねー……帰ろうか?」
「そうですね。じゃあ、次の交差点を左折でいいですか?」
「うん、だぁめ。僕が首になっちゃう」
 わたしも笑った。笑いながら、赤信号で停止した時、ギアの確認をするようなふりをしてそっと先生を見上げた。その横顔に、昨日のような色濃い疲労は読み取れなかった。それはわたしを安堵させると同時に、少し寂しくもさせた。理由は分からなかった。
 たった五十分間の長旅を終え、車のエンジンを切ると、わたしはぐったりとハンドルに顔を伏せた。「生きて帰ってこれた……」というのは思わず溢れた本音だった。しかし先生は声を上げて笑ったのち、「僕と一緒に乗ってて、死ぬわけないでしょ」と言う。
「でも、運転手はわたしですよ」
「大丈夫、死なないよ。僕はプロやもん」
 そうきっぱり言い放つ先生の自信には明確な根拠もないように思われたが、わたしにとってはもう、そんなことはどうだっていいような気もした。先生がそう言うのなら、きっとその通りだった。
 終業のチャイムはとっくに鳴り終えていた。


 先生は卒業検定も担当していたので、週に三度ある卒業検定日の午前中は忙しかった。そういう朝、わたしと先生はよく受付で出会った。「おはようございます」とわたしが首を傾げると、「おう、おはよう」と先生は薄く唇の端を吊り上げた。
 それ以外では、わたしの授業は先生が受け持つことが多かった。いつも「では31号車にお乗りください」と受付嬢に指示されることは快感だったが、しかし、わたしは決まって素知らぬ顔で31号車のそばに立って先生が現れるのを待ち、先生が来たのを見て初めて気づきました、といったふうに笑顔で頭を下げるのだった。先生は先生で、毎回授業の頭ではわたしを初めて出会う生徒かのように扱った。ところが先生がもうすっかりわたしの名前を覚えたことも、わたしは知っていた。


 車道の中ほどに、可哀想に、ピンクのマスコットが落ちていた。わたしが緩やかにハンドルを左に切ると、まもなく、かたんと車体が揺れた。先生は「あ、今、米津さんがとどめ刺したよ」と言って、はははと笑った。
「え!」
「そのまままっすぐ進めばよかったのに。あぁほら、ハンドル戻して。この角度で進んでいくとあそこの電柱で助手席が潰れるからさ」
「……先生ごめんなさい」
「え!? 嫌やぁ、殺さんといて。頼むよ米津さん」
 わたしたちはまた声を上げて笑った。わたしは先生と同乗した授業の回数をこっそり指折り数えた。そして恍惚として、「あの、わたしじつは」という言葉はするすると口から流れ出た。
「最初、ずっと先生のことが怖かったんです」
「怖かった?」先生は訝しげにそう言うと、思い出したように教習原簿を開いた。「本当や、仮免の前に二回一緒に乗ってる。そうかぁ、怖かったかぁ……」
 先生はなにも覚えていなかったのだろうか。
 わたしはすべて、今でも克明に記憶しているのだが。
 それは心に暗い影を落としたが、先生が半ば身を乗り出すようにして「そんなに? 本当に?」と尋ねるので、わたしはおかしくなってふふふと笑った。
「それはもう、本当に。だからわたし、先生が担当になりませんように! ってお祈りしてたくらいです」
 でも今は、先生が担当だって分かると、それだけでもうドキドキして嬉しくてじっとしていられなくて、――わたしは胸の奥で言葉のつづきを紡いだ。その行為は、そしてその言葉自体が、わたしを幸福にした。
 わたしは幸福だった。


「今日は5号車と38号車にお乗りください」という受付嬢の言葉にわたしは耳を疑った。教習原簿を受け取り、談話室に向かって歩いていくと、遠くに31号車の窓拭きをする先生が見えた。今日は運が悪かったなと思った。
 しかしそれが三度もつづくと、さすがのわたしも心配になった。「今日は15号車です」と指示されたのち、わたしが階段を駆け下りると、先生はちょうど談話室の隣の職員控室から出てくるところだった。わたしは不意に彼らのことを思い出して、似合わない、つんと澄ました顔を取り繕った。それからたまたま出会ったふうを装って先生に挨拶をしようと近寄ると、しかし、先生はわたしのことなど目に留まらない様子で通り過ぎていった。
 背筋の凍るような思いがした。そこでわたしはやっと、わたしの考えが安易に過ぎたことに気づいた。それに、先生の倦み疲れたようなあの横顔! わたしは泣きそうだった。
 問題はいくつかあった。不用意にわたしが口にしたあの言葉を、先生がどう受け取ったのか。そして先生がわたしの担当にならなくなったのは、先生の意思によるものなのかどうか。であるとすれば、それまでわたしがずっと先生と一緒にいられたのは――。ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情を、わたしはただただ持て余した。そのまま先生に尋ねられたのなら、どれだけ楽だったか知れない。しかしわたしは臆病だった。一番恐ろしい可能性を考慮すると、もうにっちもさっちもいかないのだ。つまり、――先生が、なんとも思っていないという可能性。先生がいつもわたしの担当になっていたのも、そしてならなくなったのも、ただの偶然という可能性。先生は怒ってはいない、しかし、あとはただわたしのことを忘れていくだけという可能性――。
 残りの授業数はあとたった二回だった。


 そして一週間家でじめじめと悩みつづけた末にやっと教習所へやって来たその日、日付のところに「40」、「32」と記された教習原簿を片手に、わたしは絶望的な思いで立ち尽くしていた。
 最終授業、32号車の担当の老教官は、どこかよそで溜め込んできた不満の捌け口を生徒の中に見出しているような人物で、わたしとはどうも相性が悪かった。わたしの運転についてぶつぶつ文句を言いつづける老教官の隣で、わたしはぼんやりと先生のことを考えては、また注意力散漫だと叱りつけられた。
 わたしはこの五十分間について、またあの老教官について、多くは語りたくない。ただその授業時間が半分も経たぬうちにわたしは限界に達した、と言っておく。最悪だった。それでなくてもわたしはいっぱいいっぱいだったのに。
 マジでムカつく、このクソじじい、と、彼らだったらきっとそんなことは言わないだろうにという考えが浮かぶ前にそう思った。それから、初めの頃は先生も――しかし愛情と責任をもって――わたしを叱ってばかりだったと思い出した。先生は確かに怖かった。ところが先生の授業ののち、そのつどわたしの運転技能が格段に上達したことも事実だった。先生はすごいのだ。だって先生は、プロだから。
 でも先生は、わたしを見限った。
 他でもない。わたしの不用意な発言のせいで――。
 気づくとわたしはぼろぼろと泣いていた。度重なる叱責のために泣いているのだと隣の老教官に思われるのは癪だったので、顔を背け、歯を食いしばった。それでも涙は止まらず、もしかしたらと祈って小綺麗に整えてきた化粧の上を滑り落ちていった。惨めだった。とても、とても。


 その翌日、卒業検定日の朝、半ば覚悟していたことではあったが、受付に先生の姿はなかった。それでもどこか期待を捨てきれずにいたわたしは、階上の第二教室へ入り、黒板に貼られた名簿に先生の名前がないことを認めると、がっくりと項垂れた。もちろん、胸の奥で。
 担当になった検定員の説明もほとんど耳に入らず、じっさい検定が始まってからもそれは同じだった。卒業検定なんて、落第してしまえばいいのにと思った。しかしわたしの運転は無難に上手だった。検定員も、特に問題になるようなことはなにもないと言った。そののちの卒業式とは立派なのは名ばかりで、事務手続きを二、三済ませると、わたしたちはもう解散を命じられた。他の生徒たちは嬉しそうに急ぎ足で帰っていった。


 そして今、わたしは受付前の長椅子に腰掛けて、玄関先で送迎バスが出発していくのを濁った心で見過ごしている。二度と戻ることのないように誓いを立てて皆が卒業していくこの教習所から、しかしまだわたしは去ることができない。わたしはとぼとぼと談話室へ降りて行き、表に面した席で文庫本を広げる――なんだって手引き通りにはいかないもの――。両耳の裏が激しく脈打っていた。無性に口も渇いていた。時間が刻々と過ぎていく。わたしは手にした文庫本を開いては閉じ、閉じては開いた。
(落ち着け、わたし、落ち着け)
 終業のチャイムがわたしの背筋を伸ばす。続々と教官や生徒たちが戻ってくる中、先生は遠くで31号車を車庫に入れている。談話室の外へ、わたしは自分を放り投げた。指先の震えを抑えながら、わたしはすれ違う何人か顔見知りの教官に自分が卒業する旨を伝え、一方教官たちはわたしを祝福した。
 先生が車庫から出てきた時、既に多くの教官は職員控室に、生徒は談話室に収まっていた。談話室の出入り口前で居心地悪く立っていたわたしは、ゆったりとした足取りで通り過ぎていく先生の横顔を見て、それから彼らのことを思って、腹を決めた。このまま家に帰ってすべてを忘れたら、もしかしたら私は幸せになれたかもしれなかった。しかしいいかげんな理由で幸福になるよりも、正当な理由で不幸になっていた方が、まだましだった。
「先生……」
 しかし先生はわたしに見向きもしない。わたしは先生の方へ駆け寄りながら、おなかのぎゅうっとよじれるような感じを覚えた。
「先生、池山先生――!」
 ほとんど泣きそうになりながら三度目にその名を呼ぶと、先生はぴたりと立ち止まった。振り向いた時、先生は気苦労かなにかのために曇った顔をしていた。目の下には隈があった。どこか焦点の合わない瞳でこちらを漠然と見つめるその視線に、わたしはびっくりしてうつむく。
「あのわたし、卒業検定に合格したので」
 先生はなにも言わない。
「もうここには来ないから」
 そっと目を上げる。
「だから、その、先生にはお礼を言おうと思って」
 そこで、初めて先生は微笑んだ。「いやいや、そんな……」と少し顔を背けて、再びわたしの方に向き直った時、それはいつも通りの先生だった。「米津さんが頑張ったからだよ」
 それから、先生はわたしを見つめて静かに話した。わたしは先生が笑った時、上顎に八重歯のあることに気づいた。たぶんこれまで、運転席から、助手席に座る先生ばかり見ていたから気づかなかったのだろう。わたしたちはお互いに相手の横顔しか見たことがなかったのだ。しかし今、こうして――……わたしには、なんだかそれが格別な大発見であるかのように思われた。
 わたしはずっと仮免許証の写真が気に入らなかったことを話し、先生は教習所の庭で収穫された南瓜をお裾分けにもらったことを話した。二人きりの授業の時もそうだったように、もっと話したいことももっと聞きたいこともすべて他のところにあった、けれど、わたしにとってはもう、そんなことはどうだっていいような気もした。先生はまっすぐわたしの目を覗き込むし、わたしはそれをそのまま見つめ返す。それでじゅうぶんだった。
「……じゃあ、そろそろバスが来るので」と、わたしはぶらぶらさせていた両手を後ろに回して言った。「先生、どうかお元気で」
「米津さんも、安全運転で。……まあ君のその性格なら大丈夫だと思うけどね」
「どういう意味ですか、それは?」
 先生は「さあ?」と言うと、大袈裟に肩を竦めて悪戯っ子のように笑った。わたしは鞄を肩に掛け直し、もう一度まっすぐ先生の方を向いて、可能な限りの笑顔で「ありがとうございました」を言った。そして踵を返して走り出す。なんとなく、先生が見送ってくれているような気がした。しかしそのまま送迎バスに飛び乗ると、わたしは、膝を抱えて泣いた。

     了


  ○ ○ ○

 本日めでたく運転免許を手にできましたので、記念に一作あげさせていただきます!☆

最終更新:2012年12月22日 00:58