アットウィキロゴ

receiving your mail

2006年04月18日(火)23時14分-エーミール

 



 
receiving your mail /presented by aimiele


 電車で揺られながら、膝の上においた学校指定のかばんを探った。固い感触。できるだけ抑えたつもりだったけど、少し顔がにやけてしまったのかもしれない。
 ――わたしの携帯電話……
 目と同じ高さに持ってきて、横のボタンを押した。薄い数学の教科書くらいの厚さ。柔らかなパールホワイト。ボタンを押すと、サブディスプレイにライトが灯った。今日の日付が表示される。
 メールは来ない。まだ誰にもアドレスを教えていないから。そもそもわたしにアドレスを教える友達がいるのかというと、首を傾げなければいけない。でも、一人くらいいるはずだ。教室でぽちぽち携帯をいじっていれば、
 「あ、携帯買ったんだ。アド教えてくれない?」
 そんなことを言われるかもしれない。そうすればもう放課に独りで机に突っ伏していなくてもいいし、帰り道独りでとぼとぼ歩かなくてもいい。
 誰が一番にメールをくれるのだろう。電話はあんまり好きじゃない。学校と同じようにどもったり、つまったり。いつしか相手は飽きてしまう。メールならそんな心配はない。文面を何回も推敲して、好かれるような文章を作ればいいのだ。
 降りる駅までまだ二駅ある。
 「I'm waiting for you」
 制服の胸ポケットに入れたMDからイヤホンが伸びて、両耳からわたしを癒してゆく。高校に入る前から、苦しいことがあるといつも聞いていた優しい歌。何回お世話になったかわからない。
 英語の歌詞だった。当時中学生だったわたしは辞書を駆使して、ぎこちない直訳をつくりあげた。いまではもっとなめらかな訳ができる。アコースティックにのるように流れてくる歌声はわたしの心によく響いた。
 「I'm waitng for you」
 まるで今のわたしを歌っているようだった。曲もきれいだけど、歌詞の意味を知ったときは驚いた。こんなにもわたしに合ってる歌があるなんて……
 「――you forgot saying good-bye to me」
 幕が閉まるように曲は終わり、電車のガタンゴトンが甦った。急に押し迫る現実感。奥のほうでうるさく喋る同じ学校の子や、音の悪い車内放送。
 慌ててリピートボタンを押した。イントロが始まるまでの雑音の時間は永遠にも思えた。聞きたくなくても聞こえてくる笑い声。
 もしかしたらわたしのことを……? 
 そんなことはないとわかっているが、脊髄反射でそう考えてしまう自分がいる。イヤな汗を背中に感じた。
 やっと曲が始まった。今まで何度も聞いてきた、絶対にわたしを笑ったり、さげずんだりしない詩。まだ半分夢の中の頭をゆったりとした歌声に預けた。
 「I just want to be with you」
 曲の向こうにアナウンスが聞こえた。降りる駅。うちの高校の生徒たちはいっせいに立ち上がり、自動扉の前に並んだ。
 少し遅れてわたしも立つ。その拍子にかばんのポケットから携帯が転げ落ちた。綺麗に掃除された床を滑り、見知らぬ生徒の靴にぶつかった。
 その人はイヤな顔一つせず、優しい笑みを浮かべて携帯を拾ってくれた。
 「はい。この携帯、君のだよね」
 「あ……」
 すみません、その一言は口の中に残ったまま。緊張して、頭が真っ白になって、何をいったらいいか分からない。とりあえず差し出された携帯を奪い取るように返してもらい、そのまま何も言えずにうつむいてしまった。携帯に残ったほんの少しの温もりが、そんな態度のわたしを非難しているよう。
 扉が開き、生徒が吐き出されていく。さっきの人も何事もなかったように出て行った。そんな中、一人だけわたしは携帯を見つめて突っ立っていた。
 怪訝な目でわたしを見る人がいて、ぎこちなくホームへ降りる。流れるように生徒は改札へ向かったのだろう、もう人はいなかった。
 携帯を持つ手が震えている。
 『reserving your mail』
 赤や緑にランプが点滅し、画面には紙飛行機がこっちに迫ってくる。
 誰にもアドレス、教えてないのに。
 こんなメール来るはずがないのに。
 やがて点滅は終わり、着信メロディーとともに震えた。
 『you got a mail 未読一件』
 ほぼ反射的にメールを開いた。
   
 この手紙を受け取った人、ボクと友達になりませんか? 別に怪しい者ではありません。ただお話がしたいだけです。イヤだったら無視してもかまいません。ボクはひとりぼっちです。だれか、話し相手になってください。
 
 授業中、メールを打ってる同級生がどうにも理解できなかった。しかし今のわたしにならば分かる。まさにその状態だからだ。
 黒板に殴り書きされる無数の三角形には何の興味もない。興味があるのはこの携帯の先にいる、ひとりぼっちの誰か。わたしによく似た誰か。
 先生はもう携帯をいじっている子を叱りつけたりしない。もう諦めているんだろう。教室を見渡すと、クラスの半数がメールを打っていた。
 両手でケイタイを持ちながら、机の下でメールをたどたどしく打つ。
 『あなたは誰なのですか?』
 転送。紙飛行機が見知らぬ誰かの元へと飛んでゆく。
 このメールがここまでわたしの中にストンと収まるとは思わなかった。『怖い』とか『不審だ』とか思う前に、『待ったかいがあった』という気持ちが先走る。
 ――わたしに手を差し伸べてくれる、誰か。
 返事を待っている時間がたまらない。どんな返事を返してくるのだろう。嫌われはしないだろうか。それとも、すごく好意的なメールが返ってくるのだろうか。
 ピコピコと液晶が点滅して、紙飛行機が帰ってきた。好奇心とちょっとの怖れを抱いて、中央のボタンを押す。
 『ボクはスティール。君は? 友達になってくれるの?』
 たぶんハンドルネームなのだろう。
 スティール、スティール…… 口の中で呟いてみる。
 『スティールさん、でいいでしょうか。わたしは望(のぞみ)といいます。はい、お友達になりましょう。わたしも話し相手が欲しかったんです』
 ハンドルネームなどもっていないわたしは、とりあえず本名を名乗った。
 送るとちょうどチャイムが鳴り、ケイタイから顔を上げて、慌てて礼をした。先生が教室から出て行くのを確かめてから、椅子に座ってケイタイを握りしめる。
 スティールさんは何を思って、わたしなんかにメールしたのだろう? 
 ふと携帯に目を落とすと、未読メールが入っていた。
 『望さん。スティールに「さん」なんかつけなくてもいいよ。っていうか敬語にならなくてもいい。うん、友達になってくれるの?うれしいな』
 ――わたしが人に喜ばれるなんて。
 あの歌詞を思い出した。
 「I'm waiting for someone who needs me」
 ――わたしはずっと待っていた。スティールを。
 いつのまにか放課は終わっていた。
 
 「just waiting. only waiting. andandwaiting for you」

 スティールへ飛ばした紙飛行機はいつも数秒で返って来た。遅くても10秒とかからない。よっぽどの暇人か、それほどわたしを大事に思ってくれてるのか。
 ――後者だったらいいな。
 浮かれた気分をそのままメールに打つ。
 わたしだったら絶対に口に出して言えないこと。どもってしまって、つまづいてしまって、相手は去っていく。わたしにはもっと伝えたいことがあるというのに。
 メールに頼らなければいけないわたしは失格者?
 きっとそうじゃない。
 わたしという存在がわたしでいられる条件、それがきっとスティールで、彼とのメールのやりとりなんだろう。暗闇の底で遥か高みの光を求めていたわたしを突然どこからともなく救い上げてくれた。
 『スティールは学生さん? それとも働いてる人?』
 いざ敬語を使うなと言われても、そう簡単にはできない。まあ、だんだんと慣れていくしかないだろう。
 すっかり見放された黒板には、情報処理といういまいち存在意義のわからない授業が繰り広げられていた。気の弱い先生がどもりつつも、人工知能について語っていた。まったくもって興味がなかった。
 『ボクはどちらかというと働いてる人かな。 望は?』
 働いてる人。たったそれだけのことなのに、すごく立派な仕事のように思えてきた。それにしても、働いてるのにわたしなんかとメールしてて大丈夫なんだろうか。
 『わたしは高校に通ってます』
 『高校生かぁ。ボクは学校に行ったことがないんだよ。どう、楽しい?』
 今の日本に学校に行ったことのない人なんかいるのだろうか。それともわたしの知らない教育システムがあるとか、それとも記憶喪失かなにか。
 いや、メールは日本だけじゃないはず。もしかしたら学校に行けないような貧しい国から、ってそんな人たちはケイタイ持てないわけで。そもそもこんなに日本語うまくないって。
 そんなことよりも問題は、このメールになんて返すかだった。
 学校ではいつもひとりぼっちです、なんて書いて嫌われないだろうか。暗い奴と思われたりしないだろうか。わたしお得意の後ろ向き思考が頭の中を駆け巡る。
 『まあまあ、かな』
 嘘はつきたくなかった。でも本当のことも言えそうになかった。
 『勉強とか大変じゃない?』
 特に勉強は大変だとは思わない。家に帰るとやることがなくなり暇なので、成果の出る暇つぶしくらいに考えていた。だから良くもなく悪くもなく。
 『辛くはないよ。スティールの仕事は? 大変?』
 サラリーマンっていう雰囲気じゃない。もっともメールをすると人格が変わるなんて話を、隣の女子達から盗み聞きしたことはある。いや、むしろ聞こえるような声で話しているのが悪いのだ。わたしは決して盗み聞きしようと思ったわけではない。話の輪に入りたかったわけでもない。
 『大変って言ったら、きちんと頑張って働いてる人に失礼かな。でも楽な仕事ってわけでもないよ』
 あまりに人に聞かれたくない仕事なんだろうか。
 『スティールはどんな仕事をされてるんですか?』
 ドキドキしながら待っていたら、「ここテストに出るぞー」という先生の声が聞こえて、わたしは完全コピーマシンと化した。黒板に書かれている内容を、意味がわからなくてもただ書き写すだけ。分からない単語はあとで考えればいい。いつもは真面目に授業を受けているわたしが、こんな不良なことをするとは昨日までは夢にも思わなかった。
 ようやくチャイムが鳴って、先生は無言で教室を去っていった。彼はいつもそうだった。決まってそのあとで女子達の笑い声が生まれる。わたしはそんな様子をいつも無表情で眺めている生徒だった。
 『新着メール 未読:一件』
 焦る心を落ち着かせて中央のボタンを押した。そこにはこう書かれていた。
 『秘密』

 「I want to know you much more」

 『fragilってどういう意味の単語だっけ?』
 予習プリントを家でやり忘れたわたしは、どうしてもこの単語がわからず先に進めなかった。辞書は重いから持ってないし、電子辞書を買うほど裕福じゃない。ケイタイだけでも奇跡だったのだ。
 『fragil:形・1)壊れやすい、脆い、儚い・2)体質などが虚弱な、かよわい。名詞でfragility。どう、解決した?』
 スティールの回答はカンペキだった。辞書をそのまま写したような内容。たった一分たらずでここまで調べられるだろうか。そうでないとしたら、スティールはとてつもなく頭がいい人ということになる。
 『ありがとうございます。ついでにもう一つ。正統カリフ三代目って誰でしたっけ?』
 ついつい遊んでしまう。悪いことだとは思ったけど、わたしの好奇心は疼きだしたら止まらない。プリントに書き込むことも忘れて、わたしの知っている一番マニアックな問題を出してみた。
 『ウスマーン(位:645~656)コーランの編纂をした人だね。ウマイヤ家の出身で、同族を優遇したことから不満を買って暗殺される』
 言葉を失った。
 『すごい! すごいですよ、スティールさん』
 頭がいい人を見ると、ついつい敬語調になってしまうのはわたしだけではないはずだ。それどころか尊敬の念まで抱いていた。
 『お役に立てて嬉しいよ。もう他に質問はない? なんでも答えてあげるよ』
 ふとテストのカンニングに使えるなあ、とか思ったけど、スティールに失礼だからそんなことは絶対にしないだろう。そもそもそんな勇気はわたしにはないんだし。
 ただわたしの好奇心が一つだけ質問することを望んでいた。
 『スティールは一人でいること好き?』
 どうしてこんな質問をしたのか、自分でもわからなかった。何かを試しているわけでもない。純粋に聞きたかった、わたしによく似ている人に。
 メールを受信して、中央のボタンを開くとき、かつてないほど鼓動が速くなった。期待しているのだろうか、このわたしが。
 『ひとりぼっちはあんまり好きじゃないな。だから望に手紙を送ったんだ』
 やっぱりスティールはわたしだった。
 ひとりぼっちは寂しくて、辛くて、哀しいけれど、仲間で集まろうと思っても集まることのできないような人種。人に触れることを切望しているんだけど、いざ手を繋ごうとすると震えだすような人。
 でも、わたしは一人じゃなかった。
 『ありがと』
 久しぶりに笑顔というものを作れたような気がした。
 「雨宮ァ、あんたもソレ、やってんの?」
 学校で名前を呼ばれることがあんまりないもんだから、反応が遅れてしまった。振り返ると、わたしの携帯を覗き込むようにクラスメイトが後ろに立っていた。名前なんか憶えてない。化粧バリバリの濃い顔で睨みつけていた。
 「……ソレ?」
 勇気を振り絞り、言えたのはそれだけ。
 ハッ、腰に手を当てて、彼女はわたしを見下した。
 「ネクラだねえ。そんなもん相手にしたって意味ないってことに気づかないの? それともこいつのほうが居心地いいのかなあ? 雨宮ちゃぁん? にやにやしちゃってぇ」
 けなされる意味が分からずに黙っていると、彼女は鼻を鳴らして廊下に出て行った。そこで何事もなかったように他の女子と話し始めた。バカみたいな笑い声が廊下に響いていた。
 『スティール、ごめんね。また愚痴を聞いてくれる?』
 じっと見つめていたわたしに気がついたのか、皺になりそうなイヤな顔を彼女は浮かべた。
 「バッカじゃないの?」
 廊下から聞こえる声は、なんかわたしのことを言ってるように思えた。
 怖くて震えている手の中でケイタイが小さく震える。
 『なに? なんでも聞いてあげるよ。独りで抱え込むと、ろくなことないよ』

 ―まっ、いいか。

 「I'm hurt」

 『友達?』
 からのメールはいつもすぐに返ってくる。
 『そう、友達。スティールは多いほう? わたし、一人もいないんだよ』
 帰りの電車はいつも独りきりだった。それももう慣れたことで、いつものように耳にはMDが流れている。
 ――I'm waiting for you
 わたしはずっと待っている。
 マナーモードにするのを忘れていて、向かいの乗客に睨まれた。
 『友達はいっぱいいるよ。日本中にね。でもその中の誰一人として、親友ではないんだ。うわべの言葉で話してる。相手も、ボクも。だから君にメールした。本当に話せる相手が欲しかったんだ』
 教室でクラスメートに囲まれて、楽しげに話しているスティールが思い浮かんだ。でもその表情は仮面。吐き出される言葉は嘘。
 ――なんだか……
 『友達たくさんいるんだったらいいよ。わたしなんて一人もいない。親友もいないんだ。友達がいる分、スティールのほうが幸せだよ! 友達がいて苦痛だなんて贅沢以外の何物でもない』
 ――ちがう、こんなことをいいたいんじゃないよ。不幸自慢なんかしたくないのに……
 この世に言葉なんてなければいいのに。そうすればきっとスティールとだってわたしの本音で話せるんだろう。でもメールができなくなってしまう。
 そんなくだらないことを考えている間に一分が経った。
 『そうだね。ごめん、望のことも考えないで。弱音を言っちゃいけないね。うん、がんばるよ』
 ――あっ……
 やってしまったと思った。いまこの瞬間、スティールはわたしに対して仮面をかぶった。そう確信した。
 わたしとスティールを繋いでいた危うい距離がますます広がってしまった。しかもスティールは笑顔のまま、わたしに優しさを見せたままで。わたしもスティールの言うところの、うわべの友達の仲間入りを果たしてしまったわけだ。
 ――さっきの言葉はちがう、誤解だ、そんな意味じゃない。
 しかし、どうちがうんだ、と問われて答えられる自信はどこにもなかった。だからメールを返さない。返せなかった。
 卑怯と罵られてもいい。そんなことよりただ、スティールとの距離がこれ以上広がってしまうことが怖かった。
 ケイタイのライトが七色に光った。ちょうど下りる駅に着いたから、ケイタイ片手にホームへ降りた。まるで朝、初めてのメールをもらったときのように。
 そこにはこう書かれていた。
 『望は幸せってなんだと思う? 友達がたくさんいること? それともたとえ一人でも親友と呼べるヒトがいること? それとももっとほかの事? 知りたいな』
 スティールはどこまでも優しかった。話題を変えてくれていることくらいわたしでも分かる。他ならぬわたしの、よくわからないメールのせい。
 幸せ。
 長くわたしには関係のなかった単語だった。望なんて名前をもらいながらも、いつまでたってもこの世界に望みを見出せずにいたのだ。
 ヒトと話せば、まずまちがいなく傷つく。傷つかなくても、相手は飽きて去っていく。それを愚直に繰り返し、消耗して、諦めた。そんなわたしに幸せとは何かという質問を投げかけるほうがまちがっている。だけど――
 だけどたった一つだけ、頭の片隅に思い浮かんだ。そしてそれが幸せだという確信を得るのに時間はかからなかった。ここに不安を抱きようがない。疑いようがなかった。
 電子の紙飛行機はちゃんとスティールのもとに届いただろうか。
 『それはスティールとメールを打っていることだよ』

 「I'm crying」

 吹き抜ける空が見下ろす。
 マンションの非常階段から見上げた空は、ビルに切り取られないままの色、形。深呼吸をして、身体を入れ替えるのが日課になっていた。学校で黙ったままでいるわたしから、やっぱり黙ったままだけど生きているわたしへ。
 あるときふと見つけた唯一の居場所は、非常階段の柵を越えた屋上だった。
 ここなら誰にも声をかけられない。だから何も話さなくても生活していけるのだ。ここほどわたしに合っている場所はないだろう。
 『わたしね、いつもマンションの屋上で息抜きしてるんだ』
 いつもカラスが一羽いる。大きな親分みたいなヤツ。友達だ。
 『見晴らしがいいんだろうね。望の携帯電話って写真撮れる? よかったらそこからの写真、送って欲しいな』
 ドキドキしながら昨日は説明書を夜遅くまで読んでいた。その努力がいまここで発揮されようとしている。
 どこを撮って送ろうと悩んだ。
 都会だからと、諦められた灰色の空。
 下には夕暮れの街。正面には電波塔とか、高いビルとか。映らないように角度をつけると、こんどは屋上のアンテナが映ってしまう。
 ――昔はそんなんじゃなかったんだけどな。
 田んぼがもう少しあった気がした。ザリガニ取りにはまった思い出がおぼろげながらに残っている。
 パシャっと間抜けな音がした。
 『画像処理保存中』の表示が消え、画面いっぱいに無彩色の空な映っていた。きわどいバランスで人工物が映らないようにしたのだけど、それでもなんだかこの空も人工物のような気がちょっとだけした。
 『こんな感じ。ちょっと今日は曇ってるね。どう、スティールのいるところは晴れてる?』
 カラスの親分が飛んでいった。夕御飯の時間なのだろう。
 これでわたしの視界には生き物がいなくなった。本当に誰にも気を使わなくていい。たしかにそうなのだが、どこか虚ろなものを感じる。これじゃヒトとしていけないんじゃないかって、頭の片隅で考えてしまう。
 でも……
 ――人を避けていても、やっぱりわたしは生き物に触れていたんだ。
 欲しい物を欲しいといえない、ひねくれた子供みたいだった。
 スティールからの返事が届いた。
 『北緯××度、東経○○度、日本国、△△県、**市、##町、五番地七号、東小ビル四階は明石標準時PM5:31現在において、雲量八、曇り、湿度79%、風向き東南東に1m/秒、降水量0㎜/hでございます』
 変な人がいたものだ。
 『つまりそれは、曇りってことだよね?』
 『まあ、そういうことだね。でも写真きれいだよ。ボクのいるところからじゃ、こんなに大きな空は見ることはできないからね、ちょっと羨ましいな』
 非常階段の柵を背もたれにして座り込みながら、スティールのいる△△県の方角を眺めた。この向こうにスティールがいる、そう思うと不思議な気分になった。 現実にいるスティールというものが違和感しか与えない。メールを打てば、すぐ返してくれる便利な友達、そんなふうに見ている自分がいるのかもしれない。
 『東小ビルには屋上はないの? あるなら絶対登ったほうがいいよ。いいリフレッシュができるよ、きっと』
 ビルの四階に住んでいるということは、なにか仕事でもやってるのだろうか。それもサラリーマンとかじゃなくて、もっと素敵な仕事。そう、探偵とか。
 『わかった。今度登ってみるよ。ちょっといま、雨が降ってきたから』
 △△県で雨が降ってるなら、そろそろこっちに来るだろう。
 でも、ここから動きたくなかった。もっとスティールのほうを向いて、お喋りがしたかった。
 こんなことを望んでいた自分に驚いた。

 「I wish you'd need me some day I wish you'd want me some day」

 ぽつぽつとアスファルトに黒い点々が生まれた。
 どれだけ座っていたのだろう、夕日はもう沈もうとしている。
 どれだけ話していたのだろう、電池はもう切れかかっていた。
 携帯電話が温まっていることに気がついた。これがわたしの温もり。まだ持っていたもの。スティールが思い出させてくれた。
 ――雨、強くなってきたな。
 立ちくらみがした。
 わたしの部屋は6階。屋上から階段を二階分降りなくてはいけなかった。その間もスティールは話しかけてくれた。わたしの愚痴を聞いてくれた。
 『ねえ、ボクと話していて楽しい?』
 かばんから鍵を取り出して、部屋に入った。真っ暗だ。向こうに窓から漏れる橙色が見えた。玄関の電気をつけて、靴を脱ぐ。
 「……ただいま」
 電池のゲージがあと一本しか残ってない携帯を握り締めて、自分の部屋へ向かった。机の上にはメモが一枚。何て書かれてるかはだいたいわかってる。そんなことより充電器。携帯をセットして、ライトがつき、充電中の表示が出る。
 ――間に合ったぁ……
 電源が切れてしまったら、スティールとのつながりも同じように切れてしまう、なんていう脅迫観念みたいなものがあった。だけどもう大丈夫。充電しながらでもメールは打てる。
 『うん、もちろん。たぶん生まれてきて一番楽しかったよ』
 よくよく思い返すとここ一ヶ月でまともに会話した想い出がないことに気がつく。学校では当たり前のように話さないし、家に帰ったところで母が帰ってくるのはわたしが眠ったあとだ。朝も挨拶するほど仲がいいわけではなかった。
 台所の電気をつけて、冷蔵庫を開けた。牛乳と、昨日のサラダと、肉と、それだけ。炊飯器には米が水に浸かっていた。
 『よかった。ボクも望と話しているときが一番楽しいよ』
 自分の部屋の椅子に座って、窓を眺めた。強くなってきた雨は、窓ガラスに斜線を引く。ガラスにはケイタイを眺めながら、にやついている女の子の顔があった。
 なんとなく嫌な気分がして、カーテンを引いた。
 『スティールは音楽でどういうのが好き?』
 かばんの中から、小遣いを貯めに貯めて買ったMDウォークマンを取り出して、イヤホンを耳にはめた。いつものあの曲が流れ出した。
 ――スティールも好きだったらいいな。
 いつしかそんな希望も抱けるようになっていた。
 『う~ん、あんまり音楽知らないんだ。何かお勧めとか、ある?』
 「待ってました!」、そんなことを言ったかどうかは知らないが、猛スピードでメールを返した。
 『Waiting for you って曲がいいよ。わたしもう二年聞いてる。なんてったって、歌詞がいい。スティールも一回聞いてみるといいよ』
 そう、わたしはこの曲をずっと聞いている。この曲だけを。
 同世代の女の子が好むような曲はどうも性に合わなかった。とりあえずきれいそうな、聞こえのいい言葉を並べただけの歌詞。夢を持て、君を愛してる、過去を振り向くな、そんなキーワードが氾濫している。
 その中で唯一、ラジオで偶然聞いたこの曲は異彩を放っていた。
 「I'm waiting waitng for you」
 この歌詞の主人公は自分からは動こうとしない。わたしのように、
 ――あなたを待っている。
 そのあとに続く言葉も、願い、祈り、そんな類。
 隠そうとしない自分の弱さ、当時のわたしはそこに惹かれた。
 『わかった。今度聞いてみるよ。きっととってもいい曲なんだね』
 一和音の陳腐な音で、炊飯器がわたしを呼ぶ。
 冷蔵庫から昨日のサラダを出して、塩をかけた。ご飯をよそい、テーブルについた。もちろん携帯を横において。無音というのもなんだから、TVをつけた。

 殺人に始まり、選挙、事故、とくだらないニュースが流れてゆく。どこかで見たことのあるような人たちが踊り歌っていた。強い人たちのための歌を。わたしには眩しすぎる。それでもスティールと一緒なら、楽しめるようになるのかな、なんてふと思った。
 かみなりが鳴った。唸り声のような響きを上げて、街を震わせる。どこかに落ちたのかな、そう思うほど大きな音がした。
 ふとテレビの「特集 スパムメール・出会い系サイトの被害」というテロップが目に入った。キャスターが言うには、突然来た見知らぬメールには決して返事を出してはいけないのだそうだ。それがそのアドレスの存在を証明してしまうから。
 わたしの中で違和感がもやもやと蠢いていた。そして、ふと、気づく。
 突然来たメール。
 『話し相手になってもらえませんか』
 考えたくもない考えがわたしの中を駆け巡る。つかまえようとしても、するりと逃げ、頭の中で暴れまわる。イヤだ、考えたくない。
 『あなたは誰なの?』
 打ち込むが、すぐに消した。そしてまた打ち込む。
 『わたしはバカを見てるだけなの?』
 違う、こんなことが言いたいじゃない。
 うまい言葉が見つからなかった。スティールを傷つける言葉ばっかり。わたしには分かっている。スティールはそんな目的でメールしたんじゃない。でも、一抹の不安は出逢った状況というものを吸ってどんどん大きくなる。抑えきれなくなるほどに。
 
 「you're my ……」

 かみなりが鳴った。
 雨足はますます強くなり、暴風に怯える窓ガラスはさっきからうるさい。
 『すごい雨だね。STEELのほうはどう?』
 ――あなたは誰?
 ランプが七色に光り、陳腐な着信音が鳴って、震えて、わたしにSTEELからのメールを知らせる。それだけがわたしのすべてだった。それだけを待っていた。
 △△県の天気はひどいの?だとしたら、あんまり遠出はしないほうがいいよ。そうだね。CDを借りるのは明日にしたほうがいいかもね。その代わり、今日はずっとメールで話そう。STEEL……
  携帯はまだ光らない。
 そういえば今日は誰にもいじめ、受けなかったよ。STEELが守ってくれたのかな? きっとそうだよね。ありがとう。
  携帯はまだ鳴らない。
 STEEL? メール届いたよね? いつもなら返事すぐにくれるのに。寝てるのかな。お風呂に入ってるのかな。できれば、もう少しわたしに付き合ってほしいな。それとも、わたしのこと、嫌いに……
  携帯はまだ震えない。
 
 ボクはひとりぼっちです。誰か話し相手になってください。

 見たこともない顔なのに、みなれた笑顔が脳裏に浮かんだ。
 ――わたしもひとりぼっちだよ。STEEL、話し相手になってよ。
 
 ボクのほうこそ、友達になってくれてありがとう。

 あの言葉は本当なの? 返事をしてよ。ちがうよって、一言だけでも。
 暗い部屋が一瞬光に染まり、そしてまた暗転する。雨の音だけが、何事もなかったかのように一定のリズムを刻んで窓を震わせていた。
  お世辞にも上手とはいえないわたしの歌声は、ごうごうと降りつける雨の音に容易くかき消された。
 きっとメールもそんなふうにしてSTEELのもとに届かないんだろう。そんなことをふと思った。わたしはどこかで諦めていたのかもしれない。
 
 陳腐な電子音が鳴り、画面には『you got a mail』の文字が、
 ――STEEL!
 携帯が震えた。同じように震える手で、ボタンを押した。STEELのアドレス。間違いない。そう、お風呂に入ってたとか、本に夢中になってたりとかしてたんだ。嫌われたわけじゃない!



SSS(Steel Service System)からのお知らせ
 このたびはスティール無料体験キャンペーンに参加いただきありがとうございました。
 お客様が購入された携帯電話の常設機能として、わが社は大変失礼ながらスティールのプログラムをあらかじめ設定してありました。当然、最初のメールで拒否されたお客様にはメールを送りつけておりません。
 スティールの最後のメールを受信したということはあなたはSSSを気に入ってくれたのだと思います。つきましては製品版のダウンロードをオススメいたします。下記のURLにアクセスしてください。月/300円(税込)で利用することができます。
 スティールの無料体験はURLにアクセスして規定の手続きを済ませれば解除できます。ただし有料版とはちがい、記憶はリセットされた状態でメールが届くことになります。
 あなたのスティールライフが限りなく幸せなものになることを、我々は心より望んでおります。  
 『キミとお話がしたいな』
                    SSS 東小ビル四階:トライエス

 
 
 「still I'm waiting for you」

 ガタンゴトン、
 軽い振動にあわせて、かばんにつけたキーホルダーが揺れた。制服の胸ポケットから伸びたイヤホンは両耳に。
 ――わたしはずっと待っている。
 「おはよう」
 振り向いてみたが、それはまったく違う人に向けられたものだった。
 誰かさんのせいで希望なんてものを思い出してしまった。『もしかしたら……』そんな考えがいつもつきまとう。
 電車を降りてホームから学校まで、生徒の流れに乗って流れていくわたしがいる。まわりでは楽しそうな話が聞こえるのに、ひとり無言を守り、無表情で歩いていく。
 ふと、耳に入った。
 「ちょっと知ってる?昨日スティールがリセットされたんだよォ。せっかく二週間かけて惚れさせたのに~。ちくしょう。わたしの時間を返せって」
 「え~、それだったら裏ワザ知ってるよ。たった一日で惚れさせるワザ」
 「マジ? 教えてよ。ちょっ、本気で教えて?」
 「そうか、リサもついにネクラの仲間入りかあ」
 「それだけはカンベン!」
 ――何も、聞こえない。

 正弦定理も、ありがたい講義も、なにもかもが頭に入らない。何をみんなバカみたいに生きてんだろ、一番後ろの席からそんなことを思う。
 徹夜明けの痛い目をこすりっぱりわたしもノートをとる。
 最後のメールを受け取ってから、携帯は開いていない。開く必要もないと思った。よく考えれば、わたしにはメールをくれるような友達などいないのだから。
 この世界の人間は誰も、友達にはなってくれない。誰もわたしを好きにはなってくれない。はじめからわかっていたこと。
 誰もわたしを待っていてくれたりはしない。
 滲む視界でノートの端っこに歌詞を書きなぐった。逃避にも思える言葉の羅列。それでもわたしを照らすには十分すぎるほどだった。
  ――good-bye I said to my friend
 口の中だけで呟く。
 教室に着信音が鳴り響いた。集中している生徒は迷惑そうに後ろを向いて、寝ている生徒は何事かとまわりを見渡した。先生が咳払いを一つしたのを見て、ようやくみんなの視線がわたしに向けられていることに気がついた。
 『you got a mail』
 「あっ、あの。すみませ……」
 音が鳴り止んだのを確認して、みんなは黒板のほうへ向きなおした。
 先生の投げやりな授業が続行される中、携帯を持つ手が震えていた。ディスプレイが涙で濡れる。
 
 この手紙を受け取った人、ボクと友達になりませんか? 別に怪しい者ではありません。ただお話がしたいだけです。イヤだったら無視してもかまいません。ボクはひとりぼっちです。だれか、話し相手になってください。

 わたしもひとりぼっちだよ。
 友達になりましょう。
 わたしのスティール。


昔書いたヤツで、知り合いの中で一番評判の良かった作品です。
なかなか文藝サークルに出会えないので(苦笑)、こそこそと自己主張。
20日には是非会いたいと思いますw

最終更新:2012年12月30日 09:54