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個性論

2006年04月19日(水)18時45分-虚楽士(略)

 

 皆さんこんにちは。今日は、ちょいと個性について語ってみます。。

 個性とは個人を個人たらしめる特徴の事ですが、では個性はどこから生まれるのでしょうか。まぁ色々な意見があると思いますが、とりあえずその個人が受けた経験、というのが個性の形成に関係している、というのは無難な考えでしょう。
 
 では、ある事象Aがその人の個性形成に係わるという形で考えを進めてみましょう。この時注意すべきは、同じ事象Aであっても人により受け止められ方が違う、という事です。事象Aが起こると、ある個人はその時々の価値観等の個性に基づいてそれを捉え、受け止めます。そしてその個人が事象Aに全く感心(個性に含まれる)が無い場合を除いて(除かずとも)事象Aはその個人に何らかの影響を与え、個性の形成に多少はあれど一役買うでしょう。ここから考えると、ある事象Aによって新たな個性が生まれるとした時、それには事象Aと、その個人がその時迄に形成していた個性が影響する、と考えられます。あとはどんな事象が起こるか、それに気付くか否か等の運があります(勿論それにもその個人の言動や視点といった個性の要素が多少は関係してきます)。もう少しまとめると、この場合個性に影響するのは事象Aや運といった外的要因と、内的要因である個性(その時迄に形成されたもの)の2つになります。

 次に、他のパターンで個性が形成される例を考えてみましょう。例えば思いつき。これは完全にその時迄に形成された個性の賜物…と思いつつ、そうではありません。何かをきっかけに思いつく、という事が多々ある事から分かるように、こちらも事象や運といった外的要因が絡んできます。では、他の例を…

 もう宜しいでしょうか。新たな個性の形成における要因を外的要因と内的要因に分けるなら、それは必ず両者共に存在し後者は前者の解釈に影響を与え、そして後者は常に個性(その時迄に形成されたもの)に言い換える事が出来るのです。以前の個性に基づいた外的要因の影響が加わる事によって新たな個性が形成される、と言い換えると分かり易いでしょうか?

 さて、これで以前の個性から新たな個性が形成される所は扱いました。後は個性の生誕について触れれば、帰納法的に個性の形成についてを網羅する事ができます。

 今回は、生命無くして個性無し、は火を見るより明らか、という訳で、個性は生命の誕生と同時に生まれる、と考えましょう。すると個性の大元は単純明快、両親からの遺伝と、強いて言うなら我々が胎児として母体内にいる時に母親が受けた何かの影響があるやもしれませんが、まぁこれも多少強引に両親から引き継いだものの中に入れることができます。

 すると結局個性というのは外的な要因+遺伝で成り立っている、という事が分かります。そう、そこにその個人の意思は無い…いえ、無いと言うと語弊があります。本人の意思は以前の個性に含まれるのですが、その以前の個性は少し前には?新たな個性であった訳で、するとやはり個性=外的要因+遺伝となってしまうのです。更にいうなら遺伝も外的要因に含める事が出来ます。両親から始めて遺伝を時代をさかのぼる方向へ辿って行くといつかは人類(或いは生命体等か?)の誕生に行き着くわけですが、それは外的な要因の賜物以外の何者でもないものですから。つまり、個性というのは外的要因だけで決まるのです。

 さて、そんな個性ですが、それでも個性を大切にしろ、という議論が根強くあります。元を辿れば個性というのは全て外から与えられたものなのに、です。最近は個性重視の行き過ぎか、学級崩壊や凶悪事件が頻発しています。文部省のゆとり教育はものの見事に失敗しました。果たして、個性はどれほど尊重されるべきなのでしょうか。

 それについては私が明確な答えを示そうとは思いません。ただ、個性=外的要因である事が個性の重要性になんら影響を与えるものでない事はこの場できちんと述べておかなければなりません。個人によって受けた外的要因は全て異なり、その差異は一定の尊重は受けるべきですし、更に言うなら個性とは個人を個人たらしめる特徴そのものの事で、その重要性は起源等には何ら影響を受けないものなのですから。

 最後に一つだけ。この文章の内容の科学的根拠等は一切ありません。あくまで読んで楽しむものとして執筆したものです。御注意を。
 
 以上、虚鏡の楽士の他愛もないお遊びでした…。


こちらでははじめまして、虚楽士(略)と申します。宜しくお願いします。
テンシャン山脈さんにくっついて極々稀に来ていた工学部の2年生です。見ての通り略称のPNですが、こちらではこれで通したいと思います…

最終更新:2012年12月30日 09:55