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ソラオイビト 前編

2006年05月01日(月)13時12分-ばーねっと

 

 空は人外の領域である。
 いつどこに居ようとも見上げれば空はそこに在る。しかし、手を伸ばせば届きそうなほど近くにあるにも拘らず、そこは何処よりも遠い場所だった。ある詩人は空を翼在るモノの聖域と詠った。そこは地を這うものには決して辿り着けない場所であり、見えずとも確かに存在する「断絶」――天と地の境界を越えることが出来るのは翼という名の免罪符を持つモノだけである、と。
 ただ、例外として一部の人間は魔術という手段によって聖域を侵すことには成功している。だが、その者達ですら、出来たのは侵すことだけであり、空は未だ聖域――人が到達し得ぬ領域で在り続けている。
 そんな領域の下を一人の青年が歩いていた。
 歳は二十代後半。髪の色は黒。やや細めの体躯を外套で覆い、色白な顔に眼鏡を掛けており、どこか学者然とした雰囲気を持った青年である。
今、青年が歩いているのは森の中に作られた小道である。ただし、整備はほとんどされておらず、足元は枯葉で埋まり土の色さえ見えない。
森は静かだった。
 暖かな頃は緑をその身に纏っていたであろう木々も、今はその葉を散らし、裸になった表皮に寒風を受けていた。日暮れが近いということもあるだろうが、緑の木々に寄り縋っていた小さな命達も鳴りを潜めており、そこに在るのは茶色の木々だけだった。
 首都とは随分な違いだ、とその風景を見ていまさらながらに青年は思う。
ふと後ろを振り返ると遠くには村が見える。彼が今滞在している村である。
エルトという名を持つその村は辺境にしては大きく、また生活基盤も確かなものを持っている。首都の周辺と比べれば劣るものの、辺境の村としては異様なほどの繁栄ぶりと言える。
 その理由はこの村の伝統にある。エルトは古くより工芸の発達した村であった。そのため自力で作りえない品を求めるとき、周囲の村の人々はエルトへとやってくるのが常であった。それによって生じた人の流れは、工芸品の対価として食料や材木、鉱石など様々なものをエルトにもたらし、エルトの人々は自らが誇る技術でそれを加工することで生計を立てていたのである。古くは物々交換から始まったであろうその循環は、辺境まで貨幣が浸透した現在でも途切れることは無く、伝統は高い技術力とともに脈々と受け継がれている。
 要は彼と同じ、技術者の村なのである。似たような人種が多いと居心地がいいのか、長期間にわたって彼はこの村に滞在している。
(同じ、といっても僕の場合は過去形がつくんでしょうけどね)
 心地よさを感じている自分を戒めるように、手に持つ透明な箱を見ながら青年は心の中で自嘲気味にそう呟く。
 それは魔術機関(エンジン)と呼ばれる代物の一種だ。そしてこれを持ち主に返すため彼はこうして歩いている――修理の終わったこれを。
 クレスト・イドスというこの青年はかつてこの国の首都で魔術機関の技師をしていた。
 魔術機関とは、人の意思によって発動され、様々な現象を引き起こす魔術を、簡単な操作をするだけで使用することが出来る機構のことを指す。平たく言えば、人の代わりに魔術を発動する便利な道具といった感じだろうか。
 その機能は武器として使えるようなものから日常生活の役に立つようなものまで多岐にわたる。また、使用するために特別な訓練を必要とする魔術と異なり、操作方法さえ分かれば誰でも使用できるという極めて使い勝手の良い代物でもある。
 しかし、魔術機関は旧世界の『遺物』であり、その数は決して多くは無い。そこでこれを研究・解析することでその模造品を作り出そうという計画が立ち上がった。多くの魔術機関技師がそれに携わり、何年にもわたって研究は続けられた。
 だが、研究はあまり進展しなかった。何度も何度も失敗を繰り返した後、研究者達はその原因が魔術に関する知識が不足しているいう結論にたどり着いた。魔術機関に関しての知識だけでは無理だと理解したのである。
 ならばその知識を得よう、と彼らは魔術大国である隣国に協力を求めるよう進言した。が、魔術機関の技術が流出するのを忌避した彼らの指導者達はそれを良しとはしなかった。
 それでも一部の者たちは諦めなかった。クレストもその中の一人である。彼らは秘密裏に隣国と接触を図り、彼らの技術と引き換えに魔術に関する知識を得ようと画策した。だが、その計画は実行される前に明るみに出ることとなり、結果、計画に関わった者達は全員、技師としての資格を永久に剥奪された。
 魔術機関を扱うものにとって技師資格は必須のものである。故に資格を失った者達は裏の世界に足を踏み入れるか首都を出て行くかのどちらかを選ぶしかなかった。そして裏の世界でやっていくコネも度胸も無かったクレストは後者となった。
 もう二年以上前の出来事である。自分は間違っていなかったはずだとクレストは今でも思っている。彼はただ研究者として真実にたどり着き、それを人々の役に立てたいと思っていた。それが自分の成すべきこと、成せることだと信じていた。だが、それは裏切られ、クレストは自分の無力さを思い知らされた。
 その後、彼は様々な場所を転々とした。今思えば、何かを求め彷徨っていたのかもしれない。資格を失ったときに感じた、それとは別の何か大事なものを失ってしまったような喪失感。自分はきっとあのときに失った何かを取り戻そうとしてこんな遠くまで来てしまったのだ。
 靴が規則的に音を立てながら落ち葉を踏み潰していく。沈んでいく思考を元に戻すため、軽く息を吐き、前を見据える。そろそろ目的地が見えてくるはずだった。
 見えたのは人影らしきものだった。結構な距離があったが向こうもこちらを見つけたらしくまっすぐに―― 一本道なのだから当然だが――こちらへ向かってきた。クレストも同様に歩き続ける。待ちきれなくなったのか途中から相手は走り出した。
 人影は灰色の髪の少年だった。古びた大きすぎるローブ――明らかにサイズが合っていないそれは小さな頃からの少年のお気に入りらしい――を引きずらないように注意しながら走ってくる。
「思ったより速かったじゃん。」
 近づいてきた少年はクレストの隣に立ち止まって並ぶと、歩調を合わせて歩き始めた。
「まあ、待たせたら悪いですからね。それにしても随分遠くまで迎えに着てくれましたね、ロイ。家まで後どのくらいあるんです?」
「いやぁ、クレストが道に迷ってないか心配でさ。」
「一本道なんだから迷うわけ無いじゃないですか」
「いや、どうかなあ。」
 二人で軽口を叩きあいながら歩いていく。気遣いを必要としない言葉から察せられるがこの少年とクレストは友人いうべき関係であり、また仕事仲間でもあった。十代半ばの少年と仕事仲間というのも妙な感じではあったが、実際同じ雇い主のところで働いているのだ。他に呼びようがない。
「まったく、それが酒の席を断ってまで約束を守ろうとした人間に対する言葉ですか」
「ああ、親方ね。別にいいじゃん、酒ぐらい。っていうか、何であんなもの皆して飲みたがるんだろ?」
「そう言っているうちはまだまだ子供ですね」
「酒を飲まなくても大人にはなれるって。これだから根暗は」
「誰が根暗ですか、誰が」
「まあ、今じゃだいぶマシになってるけどなー。来たばっかの頃はそりゃあもう――ん?」
 不意に頭上から降り注いでいた光が一瞬遮られた。二人が反射的に見上げてみると、一羽の大きな鳥が空の彼方へと飛び去っていくところであった。足の代わりに翼を力強く羽ばたかせ、人には届かぬ聖域を我が物顔で駆けていく。
 その様子を見て、ふと先ほど村で聞いた噂話を思い出してクレストは口を開いた。
「そういえば、この辺りで『怪鳥』を見たって話を聞いたんですが」
「怪鳥? ナニそれ? どんなの?」
「なんでも、翼が四枚ある、首の無い大きな鳥の化け物らしいとか」
「翼が四枚……、首がない……大きな鳥……」
「心当たりは?」
「無い。本当に無い。全然まったく無い」
「いや、そんな全力で否定しなくてもいいんですけど。だいたい首が無いなんて鳥じゃないでしょう」
「そうそう。噂は噂」
 そう言って、ロイはほんの少しだけ眼を逸らした。が、クレストは気付かなかった。
「しかし、本当に変な噂ばかりですね。クリストフさんに関しては」
 クリストフ――本名ライル・クリストフというのはロイの保護者の代わりをしている老人のことである。このクリストフ老人だが、数年前にロイを連れて村に現れ、何を思ったか村はずれの森の中に家を建て、あまり村に姿を見せずにそこで暮らしているらしい。そのため村人には気味悪く思う者もおり、彼についてのあまり良くない噂がいくつも存在している。もっとも、ロイに言わせればそれらはすべて根も葉もないものであるらしいのだが。
「……なんだよ。クレストも疑ってんの?」
「いえ、そういうわけでは」
 と、甲高い鳴き声とともに、再び頭上を影が遮った。どうやら先ほどの鳥が戻ってきたらしい。足の代わりに翼を力強く羽ばたかせ、人には届かぬ聖域で踊るように旋回する。
 クレストが頭上で行われる見せつけるような舞踏を眺めていると、不意にロイが口調を変え、妙なことを言い始めた。
「ところでさ、クレストって空を飛びたいって思ったことあるか?」
「飛びたい? 空をですか?」
 赤に染まりつつある空と舞いつづける鳥を見上げたままどこか曖昧な物言いでロイは言葉を続ける。
「えーと、なんていうかさ……ガキの頃、そう、ガキの頃。そんなこと考えなかったか?例えばさ……自分の背中に翼があって、それで空を飛べたら楽しいんじゃないか、とか考えなかった?」
 クレストは少し考える。正直に言えば子供の頃の記憶などろくに残っていない。だが、考えたことが無いとは言い切れなかった。
 それはきっと現実という限界を曖昧にしか知らない幼き子供たちが皆抱く幻想の一つだ。クレストとて恐らくは例外ではあるまい。
「そうですね……。考えた……かもしれませんね。」
「そっか。うん、やっぱそうだよな」
 ロイはその答えを聞くと空の彼方へ飛ばしていた視線を戻し、小さく笑った。どこか満足そうであった。
 気付けば目の前にやや大きめの小屋が見えていた。いや、小屋というより家と表現したほうが正しい。村の中にある建物と遜色の無い出来である。
 そして玄関であろう扉の前に拵えられた階段に白髪の老人が座っている。ロイが元の明るい口調に戻って老人に言う。
「ただいま、爺ちゃん!」
「おお。お帰り、ロイ」
 そして
「ようこそ我が家へ。クレスト君、だったかな」
 『変人』と噂される老人はそう言ってクレストを迎え入れた。


 夕食はクリストフ老人の手による豪勢なものだった。本人によれば、客人がこの家を訪れるのは久しぶりらしく、腕によりをかけて作ったということらしい。実際、料理の味は年季が入っていることもあってか申し分の無いものだった。
 村から離れたところに住み、村にもあまり顔を出さないため『変人』と呼ばれているクリストフ老人であったが、話してみれば気さくな人物であり、また相当の博識の持ち主でもあるようであった。
 その夜は予想通りではあったが、ロイによるクレストへの質問攻めとなった。どうも辺境の人々は首都に対して何らかの理想を持っているらしい。ロイが、首都に住む人は、皆金持ちで何の不自由も無く暮らしているんじゃないか、と聞いてきたときには流石に苦笑を禁じ得なかった。穏やかな時間が流れ、夜は何事も無く更けていく。


 深夜。
 無音の闇に包まれた廊下に足音がかすかに響く。足音の主たる人影は壁に手を着きつつ、何とかまっすぐ進むことに成功しているようだった。
 灯りを持ってこなかったことをクレストは後悔していた。つい先ほど唐突に目が覚めた彼は、便所へ向かい用を足してきたところである。たいした距離ではないと高をくくって持ってこなかったのだが、どうやら失敗だったようだ。だいぶ慣れてきたとはいえ頼りない目を凝らしながら来たときと同じ道を通ってあてがわれた部屋へと戻っていく。
 と、角を曲がったとき彼の目にかすかな光が見えた。彼の進行方向左側の扉よりわずかな――周囲が完全に闇に覆われているからこそ見える程度の光が隙間から漏れている。
 ――それは好奇心、いやどちらかというと出来心だった。特に理由も無くクレストはその扉に手をかける。鍵はかかっていないようだった。ゆっくりと開く。
 扉の奥に見えたのは下り階段。光はその先から漏れている。どうやらこの小屋には地下室があるらしい。
 出来るだけ音を立てないよう、クレストはゆっくりと階段を下りていく。
 地下室の入り口と思われるそこはガラクタで埋め尽くされていた。厚めの木の板や金属の棒、荷車の車輪らしきものや何か既視感のある複雑な外見をした塊などが、ランプの光に照らされあちこちに散らばっている。ある程度の分類はされているようだが、それでも決して整頓されているとは言いがたい状態である。
 周囲を見回すと、左側に扉が見えた。足元に注意を払い、ガラクタを避けながら扉へと向かう。扉の先にも光がある。音を立てないように慎重に扉を開く。――そして目の前に現れたものを見てクレストは固まった。
(船……? いや、違う……?)
 彼の目の前にある船のような物体は、普通の船とは明らかに異なった形状をしていた。
 何よりも特徴的なのは二枚の板のようなものだ。小型艇のような形をした胴体の上方と底面に一枚ずつ船そのものの全長と同程度の板が取り付けられている。また、胴体の先端には円錐の底面に針葉樹の葉を二対貼り付けたような風車のようなものが付いており、その後ろには座席と思われる窪みがある。さらに、脚立の両脚の先に車輪を取り付けたような形状をしたものによってその胴体は持ち上げられていた。
 それらすべての特徴は船としての用途、すなわち水の上を進むということにおいておよそ不必要――いや、むしろ邪魔でしかない代物だった。それはすなわちこの物体が船ではない別の代物であるということを意味している。だが、だとしたらこれはいったいなんだというのか。
 その船のようなものの下――取り付けられた車輪の辺りに一人の老人が居た。この部屋の、ひいてはこの小屋の持ち主であるその老人は、クレストの存在に気付いたらしく困ったような――本当に困ったような顔をしていた。互いに眼が合うも言葉は交わされず、微妙な沈黙が起こる。
 そして、しばらく続いた沈黙は船もどきの陰から現れた第三者の、聞き覚えのある少年の声によって砕かれた。
「爺ちゃん、こっちはいいよ――ってクレスト!? 何でここに!?」
「……それはこっちが聞きたいですよ」
「はぁ……。ロイ、また鍵を掛け忘れおったな」
 少年は驚愕に顔を引きつっており、老人のほうを見やると、その表情は困惑を通り越して苦笑いへと変化していた。
「まあ、こうなってしまったら仕方が無いのぉ。クレスト君、これが何だか気になるんじゃろう?」
 そして返事も聞かず、老人は顔を後ろにあるそれへ向け、言葉を紡ぐ。その様子は招かれざる客に語るにもかかわらず、どこか誇らしげであった。
「これは地を這うもののための紛い物の翼。空という名の聖域への扉をこじ開ける無骨にして奇怪たる一人乗りの箱舟。その名も、飛行機械『スカイチェイサー』。――もっとも、まだ試作だがね」


 サークル賞用のブツ。実は前回間に合わなかったモノだったり。そのくせ今回も間に合うかは微妙。
まだ書き終わってないんで後からいろいろ変わる可能性が大(特に夕食あたりはいくつか追加する予定)ですが、最近何も上げてないので一応投下しておきます。
気が向いたらツッコミのひとつでもしてやってください。
 

最終更新:2012年12月28日 23:33