2006年05月30日(火)00時56分-穂永秋琴
子は怪力乱神を語らず。(『論語』述而)
1 路上画虎
各務原の仲原健作は、美術学校の学生である。虎の絵が得意で、常々友人に「俺が描いた虎はみな画布から飛び出て人を食うのだ」と言っていた。ある日、仲間たちとの飲み会の帰りに、泥酔して高速道路の柱に虎の絵を描いた。虎は飛び出てこなかった。仲間たちがからかうと、彼は言った。
「これは虎、俺は大トラ。こいつは俺を恐れて出てこないのだ」
仲間たちは笑った。
のちに岡崎の会社員宮村孝義がここを通った。彼は虎の絵を見てつぶやいた。
「俺もこの虎のように力があったならなあ。所詮俺は会社にこき使われる馬車馬にすぎんのさ」
すると、すぐさま虎は壁から飛び出してきて彼を噛み殺し、駆け去っていった。
稲稲子が評して言う、この話は豪放を称え諦観を拒絶するものである。世の中には小心の者で、他人のの悪戯の餌食となって終わりを迎えることがいかに多いことであろうか。
2 蜘蛛水管
海津の中竹小学校の校庭には、すでに使われなくなった水道管が放置してある。水が通らなくなってから久しく、乾いたまま顧みられることがなかった。
ある日、ここに通う小学五年生の高原敏文が、放課後友人たちとこの水道管のそばで遊び、戯れにこの蛇口をひねったところ、水管から小さな赤い蜘蛛が大量に這い出し、排水管へ流れ込むように押し寄せていった。ぞっとして蛇口を閉じると、蜘蛛たちは出てこなくなった。
この話は、筆者の友人であり、その場に居合わせた原村明則から、筆者が親しく聞いたものである。
稲稲子が評して言う、この話は水道その他行政によって提供されているサービスに、いかに危険が潜んでいるか、そして我々がいかにそれに気付いていないかを諷したものである。
中国の古典志怪小説の文体模倣、のつもり。思いついたらまた書くかも。
『子不語』は清代の詩人・袁枚が著した怪奇小説集。この掌編集のタイトルの『現代子不語』は、『現代の『子不語』』と『現代っ子は語らず』をかけている。
あと各話の終わりに稲稲子の評をつけてみた。これは『聊斎』流。