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月の夜に~Trial~

2006年08月06日(日)01時45分-彩希晶

 


 大ピンチだ。これじゃ家に帰れない。
 俺が心の底から絶望したのは夜8時。これでもかというくらいの照明がいくつも照らす教室の中。手には紙切れ。この紙切れが全ての原因。これによって、今日俺が家に帰る難易度が当社比で80%増量した。
 紙自体が問題なんじゃない。問題なのはそこに書かれた文字だ。無機質な印刷の上から書かれた赤い文字。
 「4」
 別に「死」とかけた呪いでもなんでもない。字のまんまの意味、「4」だ。その下に、丸がひとつと、その他にいっぱい並んでいるものがある。
 「V」
 別に勝利を意味する「Victory」ではない。形のまんまの意味、「ピン」だ。つまり、今の状況を簡単に言うとこうだ。“テストで4点とった”もちろん100点満点のテストだ。こういうわけで、今日、俺は家に帰れなくなってしまった。
 どうしてだろう。あんなに勉強したのに。1週間も前からテスト勉強を始めたのに。
 俺は試験中の毎日をよく思い出してみた。
 学校から帰る。お菓子を食べる。ゲームをする。勉強する。休憩する。ゲームをする。夕飯食べる。休憩する。勉強する。休憩する。テレビを見る。ドラマで泣く。風呂に入る。勉強しようと思って漫画見る。寝る。
 なぜだろう。一日に3回も勉強してるのに。いや、2回だったか? まぁいいや。済んでしまったことをとやかく言っても仕方ない。今は目の前の現状と戦うことだけを考えなければ。


 塾が終わった。他の友達はほっとした表情で帰っていく。教室の電気を消さなけりゃいけないから、俺も続いて教室を出た。
 1階のホールを出た階段に俺は座り込んだ。
 どうしよう。帰れない。どうしよう。だって4点だぜ? どうしよう。帰れない。
 考えても考えても、答えは出ない。
 友達の家に転がり込んで一晩だけ止めてもらおうか? いやいや、そうしたらそこのおばちゃんに、家に電話されるだけだ。
 このままどこかへ逃げ出してしまおうか? いやいや、逃げるったって一体どこへ行こうってんだ。
 俺の無駄な思考回路は、突然の腹の悲鳴で途切れることとなった。それはそうだ。腕時計を見れば時計は9時過ぎを指していた。学校から直接来たので給食以来何も食べてない。
 しょうがない、とりあえずコンビニにでも行くとするか。俺は立ち上がった。

 塾は駅前の5階建て集合ビルにあった。まわりに同じようなビルがいくつも並び、空は狭い。外に出て上を見上げても、都会の明るさが相まって星はひとつも見えない。ただ、大きな満月が向かいの低いビルの真上から照らしていた。白い大きなまんまる。ああ…なんだか大福が欲しくなってきた。
 自転車に乗ってちょっと行くとコンビニがある。よく帰りに寄って、そこでお菓子を買ったりする。歩道の違法駐輪に紛れて自転車を止め、ドアの前に立ってポケットに手を突っ込んだそのときだった。チャリンという音がいつもより妙に心細い。俺は恐る恐るそれを握り締めて取り出した。
 4円。


 今日は4という数字にとことん運が無い。公園のブランコに揺られて、俺は腹の虫と戦った。ちくしょう。家に帰ればご飯が待ってるというのに。あんな点のおかげで帰るに帰れない。かといって金も無い。
 ふと見上げれば、公園の木の上に明々と輝く満月。今の俺の状況を見て笑っているように思えてしかたなかった。フンだ、お前なんかに何がわかるか。じろじろ見てんじゃねぇ。
 すぅっと夜風が抜けた。それに身を任せるように、俺も前後に揺れた。鎖で繋がった俺とブランコの影も、俺の後ろでゆらりと揺れる。
 風に乗って、何処からともなくいい匂いが流れてきた。後ろを振り向くと、公園横の道路にラーメンの屋台が止まっていた。酒に酔ったオヤジと店主のジジィが何やら楽しそうに話している。もちろんそいつらの間には、ホカホカと湯気を立てるラーメンが当たり前のように置かれている。店に掛かった値段札を見ようとしてやめた。何処の世界に4円で食えるラーメンがあるというのだ。
 はぁ……あと1円あれば5円チョコでも買えるのになぁ。世界では多くの子供が貧困で困っていて、そしてそいつらの為に多くの人が数円単位で募金をしているという話を学校の総合授業でやった。そしてその場で行われた募金活動に、俺は100円募金したことを思い出した。ちくしょう……100円あれば小さなパンでも買えるじゃないか。あぁ……誰か俺に募金してくれないかな。世界中じゃなくたって、こんなに身近に困っている少年がいるんだぞ。
 また俺は見上げた。今度こそ本当に月のヤツが俺のことを笑っているように見えた。いいや、絶対笑っている。笑っているに違いない。
「笑ってんじゃねぇよ!」
 ブランコから飛び降り、そう叫んで俺は小石を月に向かってブン投げた。小石は放物線を描いて飛び、そのまま木の上端に飛び込んだ。同時に何かの鳥が木から飛び立ち、そしてそいつから何やら小さな影が放たれ、それは俺に向かってきた。

 ビチャ

 ついてない時はとことん付いてないものだ。月明かりで浮かび上がる俺の白い服に、不自然な形でシミが着いてしまった。ティッシュで拭いても、跡が残った。これは月のヤツの仕返しか。
 ……もういいや、帰ろう。これ以上外にいたら何があるか分かったもんじゃない。

 街灯の少ない住宅街の道を、ゆっくりと、最遅ギアで俺は自転車をこいだ。漕ぎながら、俺は考え事をしていた。
 どうやって見せたら一番怒られずに済むだろうか……怒られる前に、せめてご飯だけは……
 テストはなかったって嘘をつくか? いやいやそんな今更できるわけがない。予定は母さんも熟知している。
 嘘のテストを作ってそれを見せようか? ダメだ、そんなの簡単に見破られるに決まってる。
 正直に話そうか。
 ……

 そうだ、正直に話せばいいのだ。正直に話せば、母さんもきっとそんなに怒らないに違いない。正直に、“4点取ってしまいました、ごめんなさい!”って頭を下げて、その上から怒鳴る母親なんているだろうか? いいや、いないだろう。いないと言ってくれ。
 満月、お前もそう思うだろ?
 相変わらず月は上から俺を見下ろしていた。不思議と今度はなんだか同意してくれているように見えた。月のヤツ、なかなか物分りがいいな。
 よし、見てろよ月! 正直に言って、そして見事切り抜けてみせるからな。おいしいご飯を食べて、温かい風呂に入って、そんでもって寝る前に、何事もなかったかのようにお前に顔を見せてやる。勝ち誇った俺の顔を!

 俺は勇んで自転車を庭の奥に停め、そして勢い良く玄関の扉を開けた。
「ただいまっ!」

「こんな時間までどこをほっつきまわってたの! あれだけ真っ直ぐ帰るように言ったのに! ちょっとこっちにいらっしゃい!」
 轟く雷鳴の向こうから、今度こそ本当に月の笑い声が聞こえた。
 


月の夜に第二弾です。
 

最終更新:2012年12月30日 11:52