2006年08月29日(火)21時27分-緋夜叉
青虫。私達を呼ぶなら、それが適当であろう。成虫になれば、チョウになる、ほど良い感触の、あの緑色の虫だ。決して、芋虫とは呼ばないでほしい。いくら私達が、ずんぐりむっくりな体型をしているとはいえ、やはりそこは譲れない。
私達は何処とも知れぬ畑の、あるレタスの葉で生を受けた。このレタス畑は、とても広大で私達の存在などちっぽけに見えてしまうほどの大きさであった。
私達は、最初1センチにも満たなかったと思う。生みの親も、なかなか良い場所に生んでくれたらしい。場所が悪ければ、葉から転げ落ち、アリ達の朝ご飯になるやも知れない。私達の中には、運悪く孵化した直後に地面に落っこちて、アリに連れ去られた者もいた。
ここでの生活は、食と住にとりわけ困ることはなかった。レタスはあり、定期的に水も降る。そしてどいういうわけか、私達の天敵が近くにいなかった。これは、非常に喜ばしいことであった。私達は何の不自由もなく生活し、何ヶ月かして、3センチほどまで成長した。もう、人生の山場は超した辺りである。
しかし、私達の日常は突然、ある男によって脅かされるようになった。おそらく、カマキリやトリなどの天敵よりも、たちが悪いと思う。
私達は、その男の行為をレタスの葉の隙間(葉を囓れば、簡単に覗き穴を作ることが出来る)から初めて見たとき、体毛が逆立ち、お尻の縮む思いをした。男はレタスに付いている私達を見つけると、指で軽くつまみ、地面に落とし足で踏ん付け、簡易棺桶をつま先で掘って作り、そこに死体を落とし、軽く土で埋め、名もなき墓標を作るのだ。
男は、3日に一度、決まって朝に一人ずつ(なぜか男は一人以上殺さなかった)レタス畑霊園に埋葬していった。お陰で、地面を引き摺るような、男の足音を聞く度、私は一時的な便秘になった。
このように私達は、常に命の危険に晒されていたのだが、一応3分の2ほどは生き残っていた。さすがに私達もバカではないので、なるべく葉の裏に隠れるようにしたり、レタスの芯付近で隠れたりしていたのだが、男は葉の表面に私達がいないことを悟ると、葉の裏側を調べるようになった。そして、見つかった者は、レタスにしがみつくのだが、男の力に負け、精一杯の声で遺言を言い残すのであった。
ある者は、死にたくないと言って死に、ある者は、恐怖に声が出せぬまま死に、ある者は、罵声を男に浴びせながら死んだ。ただ不思議なことに、どの者も決まって、レタスの葉が破れるような音をたてて死んでいった。
男は必ず一人見つけ出し、殺していくものだから、男が来る朝は常に死んだようにじっと隠れ、足で土を掘るような音がして、足音が完全に収まるまで決して表には出なかった。以前、男の足音が消えたので、表に出てきたところを捕らえられた者がいたのだ。男は、私達が出てこないかと、その場でしゃがんだまま待っているときがあるのだ。
ついに全体数が3分の1まで減ったある日、とある若い青虫(つまり青々虫)がとんでもない決意を口走った。
「もうここから出るぞ!おれは、こんな場所よりもっと安全な場所に行くんだ!」
私達は説得を試みた。長生きしている分、ここで生きる方がより長生きできることを、経験的に学んでいたからだ。
「ここより良い場所なんてないよ。」
「いや、ここほど危険な場所はない!」彼は完全に頭に血が昇っていたようだった。青い体が、とても青々しく見えた。
「でもね、男に見つからなければ生きていけるんだから。」
「じゃあ、あの男の手で殺されるのを待つ気か!」体毛を逆立てながら「おれは、こんな自分で選べない人生なんてまっぴらなんだ!あんたらは、まだいいさ。おれよりかは長生きしているんだからな!」
「長生きするのも……大変なんだよ。」
「うそつけ!あんたらは、つい最近まで温々とそのレタスの葉で暮らしていたくせに!おれは生まれたときから、あの男の恐怖に晒されていたんだぞ!」
「嘘と聞こえるかも知れない。でもね、本当なんだ……。」
「そうだ……長生きするのは大変なことなんだ。」
「あんたも、歳を取ればきっとわかる……。」
「あんたらじゃ、話にならないね!このままじゃ、年取る前に、男に踏み殺されるのがおちさ!」
彼の決意は固かった。数百グラムでも何かが上に乗っかれば、すぐに中身をぶちまけてしまうほど弱く柔らかい体を、何度も大きくくの字に曲げながら、皆の反対を押し切り一人で旅立った。夜に出発したため、彼の姿はほとんど確認できなかった。私達は見えなくなった彼を見続けていたが、突然カラスの鳴き声が聞こえたので、咄嗟にレタスの中に隠れ、葉の中で彼の身を案じていた。
次の日、同じく青々虫が一人、私達の説得も空しく、意気込んでここを抜け出した。その次の日も。そうして、流れ出るように毎日青々虫が出ていき、仕舞には年寄りしか残らなくなった。
私達は、レタスの葉の中で、どうしたものかと、話し合った。
「どうする?若いもんがこの畑にいなくなってしまったぞ。」
「どうするもこうするも、出て行ったんだからしょうがないさ。」
「でも、それじゃあこの畑で私達が死んだら、全滅じゃないか!」
「まあ、落ち着きなさいな。若いもんは、一度はカッとなって出て行くもんだけど、外で何とか生き延びて必ずチョウになって帰ってくるもんさ。やっぱり、生まれた畑で卵を産むのが一番だからね。」
「でもよ、外に出て行った若者が全滅したらどうするんだ?」
「そんときは、他の畑からチョウが来るのを待つだけさ。なあに、ここは良いレタス畑だからな。」
「来てくれるかな。」
「ああ、きっと来るさ。それまで、私達もなんとか生き延びよう。」
「そうだな……。大変だが、わしらにはそれしかないしな。」
私達は、黙って少し早い昼食を取った。
そろそろ日差しが最も厳しくなる頃、昨日出て行ったはずの青々虫が、もの凄い形相で(この場合、格好と言えば妥当だろうか。綺麗なくの字ではなく、ヘビがのたくったようなくの字だったものだから、私は当初、小さいヘビと勘違いしてしまった)帰ってきたので、私達は慌ててレタスから降りた。彼は皆が共有して飲んでいる溜池に、頭から突っ込み、5人分ぐらいの量をいっきに飲み込むと、やはり飲み過ぎたらしく、しばらく葉の上でぐったりとしていた。
私達は、彼が慌てて帰ってきた理由を、あれやこれやと詮索し始めた。
「鳥か何かに見つかって逃げ帰ったんじゃないのか。」
「いやいや、それでは戻ってくる前に、ぱくっと食われちまってるさ。」
「じゃあ、何なんだい?」
「やっぱり、恐ろしくなって帰ってきたんじゃねえのかい。外は、おれたちが生きるには広すぎるからよう。」
「広すぎるったって、ここも生きるには十分広いさ……。」
「そうだよなあ……。」
気付けば、私達は下を向いていた。この土には全体の5分の4ほどの、私達が埋まっているのだ。いつ自分たちも、この霊園に仲間入りするか分らない。私達は、絶えずお尻を棺桶に突っ込んだまま、生きている。
こうして、議論は男に放り投げられたように消え去った。そして、銘々が静かに朝ご飯を食べ出した頃、彼が意識を取り戻した。
私達は、朝ご飯を中断し、急いで彼の周りに集まった。見渡せば、総数6名であった。
「おれは見たんだ。」彼は水でふくれた腹を重そうに引き摺りながら「出て行った連中の死体を……。みんな死んでいた。」
私達は、彼等がなぜ、どう死んだかよりも、彼等が死んだという事実に、安堵とも落胆とも取れぬ溜息をついた。
「そうか……みんな死んだか……。」
「3日前に出て行ったやつは、一番活気のある奴だったな。」
「そうだな……。」
「だから、外は危険だといったのに。」
「どうやって死んだのかな。」
「死体があるってんなら、やっぱ踏み殺されたんだよ。」
「踏み殺されるって、やっぱり男にか?」
「いや、子どもや犬だってあり得るな。あいつらは、わしらを食うわけもなく、おもしろ半分に殺すんだ。」
「それなら……あの男だって……。」
彼は大袈裟に体をうねらせ「あいつらは……たぶん車にひかれたんだ。道路の端で、完全にぺちゃんこさ。体も……一部はアリに持って行かれちまってた。」そのままレタスの壁を出て「おれは外の世界なんざ恐くねえ。だけどよ、あいつらの死体が、おれの行く先にぺったりとくっついていたんだぜ。まるで、道をふさぐ壁みたいによ。あいつらの死顔を見ていたら、急にこの事を語り継がなきゃいけない気がしてよ。だから、急いで帰ってきたんだ。」彼の体毛は少し赤みが差しているように見えた。私達は、少し頂点を通り過ぎた日の光で、目がくらんだ。
そして次の瞬間、彼の体は、宙へと高く舞い上がった。私達は自分たちの目を疑った。青虫が、そんな芸当が出来るわけがない!
彼は地面へ吸い込まれるように落ちてゆき……水風船が割れる音がした。
私達は互いに体を寄せ合い、レタスの壁の中でぶるぶると震えていた。
男はレタスの葉を悠々と持ち上げ、5人の私達を眺めていた。
私は今でも覚えている。私達を食べないかわりに、私達を二人くっつけたような口。腐った葉のように黒ずんだ眼。
男は口の端を、洗濯ばさみで吊上げたように歪めると、再び葉を下ろし、去っていった。
私達は、寿命が2ヶ月縮んだ思いで、その場に横たわっていた。しばらくして、遅くなった昼ご飯を少しずつ食べ始めた。レタスは、腐った味がした。
その日の夜、私達は互いに別々のレタスで寝ることにした。遠くの方で、誰かのすすり泣きが聞こえてきた。私達は、悲しいという感情がないから、きっとどこかの蝉でも泣いているのだろうと思った。
次の日、私は足元が大きく揺れて、慌てて眼を覚ました。地震でも起きたのだろうか?私は覗き穴から、恐る恐る外を見た。
あろう事か、レタス畑は私の前からどんどん遠ざかって行くではないか!私は叫んだ!おうい!一体どうなっているんだ!何でレタス畑が離れていくんだ!
私達が叫んだ。離れているのはあんたの方だ!
正面にはレタス畑が見えず、見たこともない風景が広がっていた。下を見ると、レタス達が小さく見え、私達は点でしか見えなかった。レタスは宙に浮いていた。どうやら、本当にこちらが移動しているらしい。
「おうい!あんた達はどうするんだ!」
「わしらはここで待つだけさ!達者でな!」
「ちゃんと、チョウになって戻って来ておくれや!」
「どんなチョウになるか楽しみだ。」
「ああ、楽しみだ。」
私は、眼下で見上げる私達から別れの言葉を受け、レタス畑を去った。別れは突然と言うが、どうやらその通りのようだった。私は急な旅立ちに、お尻の縮む思いがした。
食事もろくにできないほどの揺れが収まり、ゆっくりレタスから顔を出すと、周りにはレタスが山ほど入っていた。山は大きな段ボール箱に収まっていた。
私のいるレタスは、山の頂上付近に位置していたため、圧死は何とか免れることが出来た。
箱のふたは開いていた。頭のずっと上で、カラスがしきりに鳴いていた。私は箱から抜けだし、畑に帰ろうとしたが、突然上が暗くなったので、葉の中に隠れると、再び上下に揺さぶられた。誰かが箱を持ち上げて移動しているようだった。男のような足音が聞こえた。
漠然とした不安がこみ上げ、私は力の限り叫んだ。
――おうい!誰かいないか!
叫び声は、段ボール箱に染み込むように消えていった。もちろん、返答はなかった。
仕方なく、私はレタスの葉の中で、どうやって水を確保するか考えた。しばらく考えるとお腹が減ってきたので、遅い朝食を取った。排便は昨日までに比べれば、幾ばくか回復したが、やはり出は悪いままであった。腹は少し張っていた。
箱のふたが完全に閉まり、その後は、揺れが小さいときや大きいときや、まちまちであった。しかし、凍えてしまいそうなほど、寒くなった。この気温が尋常でないことはすぐに分ったが、それが何のために行われるのかは分らなかった。ただ、体を丸めて耐えた。
私はそろそろ水を飲みたくなっていた。しかし、ここにはレタスしかない。そして、夜みたいに辺りは暗かった。
私は、水分を何とかレタスで補おうとしたが、逆効果だったようだ。繊維を消化するために、一層の水分を欲した。ああ、寒い……。何でここはこんなに寒いんだろう。私は故郷のレタス畑を思い描いた。私達はうまく生き延びただろうか?それとも死んでしまったのだろうか?
そんなことを考えながら、私は深い眠りに落ちた。
頭の上がとても眩しくて(太陽とは違って……暖かみのない光だった)私は眼を覚ました。凍える体を何とか上下に揺さぶりながら、穴を覗くと、そこには不可解な光景が広がっていた。
あの男のような――しかし、雰囲気は異なるようだ――男ではない男がたくさん歩いていた。私は、早くここから抜け出すべきだと思った。これは、青虫の直感というやつである。
しかし、先程まで何とか動いた体が石のように動かなかった。体が冷え切っていたことと、水を飲んでいなかったことが原因だったようだ。それに、私の寿命もそれほど長くないと感じた。
死ぬならこのレタスの葉が良いと思い、そのまま私は葉にうずくまった。
突然、レタスが揺れだした。私は眼をつむった。周囲で何やら音があっちにいったり、こっちにいったりしていたが、私は夢見心地で聞いていた。
どのくらい時間が経ったのであろうか。葉が突然大きく揺られ、安眠を妨げられた私は、ゆっくりと眼を開けた。外は、思いの外明るかった。
「ねえ、ねえ、お母さん!見てほら、青虫だよ!」
私は掌に乗せられた。どうやら、レタスの葉の上では死ねないらしい。
「あら、ほんとね。」
「この虫ってモンシロチョウになるんでしょ?」
「さあ……こんな色の悪い虫は、きっとガの幼虫よ。早く捨ててきなさい。」
「はあい。」
私は掌に乗せられたまま、何処かへ移動した。其処は音で埋め尽くされたような場所であったが、私にはとても遠くの方で聞こえた気がする。
「でも、飼いたいなあ……。」
私は、体を執拗に撫でられた。それが、お尻近くにきた辺りで、私はあまりの気持ちよさに、数日溜まったフンをその場で排出した。
「うわっ!!」
掌から突然放り投げられ、私はとても堅い場所に背中から着地した。その衝撃で、私は耐え難い苦痛に身もだえた。
そして、逆さまになった視界の先から、車がもの凄い速さで近付いてきた。
――ああ、いたい。いたい。
それが、私の遺言であった。不思議と痛みはなかった。それほど、背中の痛みが大きかったのだろう。夢を見るように、意識が途絶えた。
気付くと、私は魂となって、車にひかれた自分を見下ろしていた。私の体は、丸々と太った芋虫みたいに、地面にへばりついていた。私は、不思議と声を上げて笑いたくなった。すると、周りにはいつの間にやら、私達が集まっていた。私達は、いつの間にやら、チョウになっていたようだった。
「とうとう死んじゃったか。」
「おや、あれが車にひかれた青虫の姿か。芋虫のようだね。」
「ほんとだ。とても青虫には見えないね。」
「それにしてもここは、何にもないね。」
「うん、尖ったものばかりだ。花一つないな。」
「ここじゃ、生きていけないよ。」
「おや、みんないるじゃないか。レタス畑にいた私達も死んだのかい?」
「ああ、そうさ。あの男に踏み潰されてしまったよ。」
「とっても痛かったね。」
「わしなんか、中途半端に踏まれたから、生き埋めだったさ。」
「じゃあ、私が一番最後に死んだんだね。」
私達は笑った。そして、美しい花の咲くあのレタス畑へ帰った。
レタス畑では、いるはずのない青虫を懸命に探している男がいた。
私達は、男の前で自慢の羽を見せびらかしたり、男の周りで輪になって歌をうたった。
私達はレタス畑でいつまでも歌い続けた。なぜなら、私達はチョウになって、故郷に帰ってきたのだから……。
初めまして。途中参加する、緋夜叉と申します。他大学からこちらの大学の院に来まして、現在M1、と年齢は高めですが宜しくお願いします。