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フィクションo(サツマイモとかかと落とし)

2006年09月30日(土)00時31分-鴉羽黒

 

 
 *

 昼休みも終わり、人もまばらな午後1時過ぎの大学食堂。
 過ごしやすい日々が続く十月の初め、不意に夏を思い出したかのような日差しから逃れようと、稲沢吟はその扉を開けた。
 適当な席を探しながら、吟は木曜日に三限のあいている友人は誰がいたかと思い出そうとする。その吟の視界の端、窓からさんさんと日光が照りつけている角の席に、墨でも垂らしたような黒い山ができていた。何となくぐったりしたオーラが漂っている。そしてもって、ある種の一定のリズムで――例えば呼吸のリズム、だ――その山は上下していた。
 吟は無言でその山に近づき、
「猫でも死に体は人に見せないもんだぜ」
 半ば呆れた色の声をかける。
「猫は嫌い」
 山の中腹あたりが盛り上がって、二つに割れた黒い滝の隙間から死んだ魚のような眼が覗いた。山が喋る。
「…誰かと思ったら、稲沢じゃないの」
 心底嫌そうな声だった。
「相変わらず50メートル先からでも一瞬で判別がつくな紫野川」
「相変わらず体育教師風味ね稲沢」
 吟は上下ともジャージ着用だった。しかも右胸に『矢文大陸上部』とロゴすら入っている。なお、『矢文大』は『矢門文科大学』の略称だ。
「このあと部活なんだよ」
「しかも暑苦しいわ」
「仕方ねえだろ、こんなに暑くなるとは思ってなかったんだ。・・・大体、服装のことで紫野川にとやかく言われたくねえぞ」
 遠目に見たときから吟には分かっていたが、紫野川はいつもどおりの黒尽くめな格好をしていた。吟からは上半身しか見えないが、下半身に黒のミニスカートと黒のブーツを身に纏っているのは想像に難くない。ニーソックスだけが紫色をしているのも、だ。
 紫野川は、顔の造形だけならば美人の類に入るだろう。だからそんな奇抜なコーディネートであっても隣に並ぼうとする男は後を絶たなかった、入学して半年くらいは。紫野川玄子の真の問題はその中身にあり、一つの例をあげてみると、言い寄ってきた男の一人が著しく紫野川の機嫌を損ねたことがあったのだが、あろうことか紫野川はその男にカカト落としを見舞った。ミニスカートで。偶然その場に居合わせていた稲沢は、とりあえず「それお前パンツ見えたんじゃねえの」と忠告したが、紫野川の返答は「いいの、もう忘れてるだろうし」だった。紫野川のカカトは記憶を飛ばせる威力らしい。
 閑話休題。
 一般的な意見だと思われる吟の発言を、紫野川は不満に思ったらしい。唇を尖らせて紫野川が言う。
「わたしのは、輝く個性よ」
「今にも消え入りそうに見えるけどな、主に命の灯火とかが」
「失礼ね相変わらず失礼ね」
「二回言うな」
 吟は悪態をつきながらも、とりあえず紫野川の向かいの席に座る。こんな奴でも、食事に話し相手もいないよりはマシだとの判断だ。
 紫野川も特に文句を言う様子もなく、テーブルに寝かせていた身体を起こす。長い髪をのけた奥の眠そうな眼が、自分の寝ていた場所を思い出すように辺りを見回した。
「…あれ、城崎くん、いないの?」
「城崎なら西洋詩文学だ。…いつも一緒にいるわけじゃねえよ」
 城崎の不在を告げたとたん不満そうに顔をゆがめた紫野川に、吟は抗議の一言を加えた。
「ぶーつまんなーい」
「キャラに合わない気持ち悪い却下」
「失敬ね相変わらず失敬ね」
「二回言うな。あと相変わらずは余計だ」
 紫野川に言い寄る男がいなくなったのは、当の紫野川本人が稲沢の友人である城崎にぞっこんなことも原因の一つかもしれない。もっとも、城崎本人はそのことに気づいていないが。そういうのもお約束なんだろうか、などと稲沢は思ったりする。
 とりあえず、城崎がいるといないのとで紫野川の口の悪さがだいぶ違うことくらいが、吟に直接関係のあることだった。
「城崎くんを連れてない稲沢に、どんな存在価値があるって言うの?」
 いまだ不満顔の紫野川を無視して、吟は持ってきた弁当を開くことにする。たいしたものは入っていないが、一応吟は自炊していた。
「………」
 弁当箱を開くと、何故だか紫野川の動きが止まった。
「…どうした?」
 吟の問いに、紫野川はお腹で答えた。吟は眉をしかめる。
「行儀が悪い」
「やかましい」
「…もしかしてとは思ったが、紫野川、お前また食ってねえのか」
 紫野川についてのもう一つの補足は、万年金欠だということだった。
「一応言っておくが、いくら日のあたる場所にいたって、人間は光合成できねえぞ」
「失礼ね地の底まで失礼ね。今日はちゃんとお弁当持ってきてるわよ」
「地の底ってなんだよ。…じゃあなんで行き倒れてるんだ?」
「…えたのよ」
「なに?」
「…間違えたのよ!」
 紫野川は恥ずかしそうに叫んだが、どうも要領を得ない。
「弁当箱を間違えたのか?」
「だから! ふかしたお芋と生のままのお芋を間違えて持ってきたっつってんの!」
 紫野川の悲痛な(?)叫びは閑散とした食堂に、さながら秋空に響く雷鳴のように響きわたった。
 同時にたたきつけた紫野川の弁当箱(というか弁当袋)から、ごろごろとサツマイモが転がりでた。一見して分かる、畑から採ってきたままのサツマイモだった。
「…あほだろお前」
 周囲の注目を集めていることに頭痛を感じつつ、稲沢は呟いた。
「やかましいもうほんとやかましい」
「なんで生とゆでたので間違えるんだよ」
「急いでたのよ朝。あと、ゆでたんじゃなくてふかしたのよ」
 どうでもいい間違いを訂正してくる紫野川。
「ていうか百歩譲って間違ったとして、それ以前になんで弁当が丸ごとサツマイモなんだよ。原始か」
「実家から送ってきてたくさんあるんだからいいでしょ! ていうか今下宿に他に食料がないの!」
 金がないとは聞いていたが、紫野川の暮らしぶりは稲沢の想像を超えているようだった。
「それに、サツマイモを甘くみないで。栄養価、結構高いわよー?」
「…なぁ、なんでそんなに貧しいんだ? 『べにがらす』のバイト代、そんなに安くないだろ?」
 吟は紫野川のバイトしている店の名を挙げた。大学に程近い居酒屋で、料理も美味いし酒の種類も多い。毎晩常軌を逸するほど忙しい代わりに、それなりの報酬は得られるバイトのはずだった。
「お金はね、世をぐるぐる回るものなの」
「要するに無駄遣いか」
「先行投資と言ってちょうだい」
「まあ、なんでもいいけどな」
 吟はゆでもやしに箸を伸ばした。酢醤油を垂らしただけのシンプルな味付けのおかずは、吟の口に入る寸前に、しかし動きを止めた。
「…なんだよ?」
 紫野川が稲沢の手をつかんでいる。
「世界の子供の飢えを前にあなたは何もしないと言うの?」
「世界じゃないし子供でもねえだろ」
「がるるるる」
「…野生を剥き出しにするな」
 眼を血走らせている紫野川は、油断すると今にも箸ごともやしに噛み付きそうな勢いだ。やれやれどうするかと吟が内心で溜息をついていると、
「なんかにぎやかな一角があるなぁと思ったら、やっぱり稲沢達か」
「ん、城崎か」
 のほほんとした笑顔で、城崎が現れた。
「え、城崎くん!?」
 慌てて獲物をつかんでいた右手を離す紫野川。その野生は一瞬で消えていた。見事だ。
「言っておくが、にぎやかなのは紫野川だけだ」
 譲れない点なので、そこだけは指摘しておく吟。
「失敬ですわね」
 切り替えがうまくいっていないのか、微妙におかしな口調になっている紫野川。
 二人の反応に城崎は笑い、
「冗談だよ。入り口からでも、紫野さんの服ってすぐ分かるから、それでさ」
「ありがとう、光栄よ」
 満面の笑顔でそれに応える紫野川。
 同じ言葉でも吟が言うのと城崎が言うのとでは、紫野川のリアクションは全然違うようだ。
「…どう、これが先行投資の成果よ」 
 得意げに吟を振り返る紫野川。先行投資というのは、主にその黒や紫の服飾を指すらしい。
「…分かったから、その邪悪な笑みをやめろ」
 紫野川は笑顔(邪)のまま吟に向かって中指を立て(もちろん城崎に見えないように)、邪気を消した笑顔を城崎に向けた。
「でもどうしたの? 城崎くん今講義中だって、バカ沢は言ってたのに」
「毒舌が抜けきれてないぞ紫野川」
 乱れた髪を直しながら、紫野川は必死にしなを作っているようだった。吟の考えでは城崎相手にその攻め方は多分間違っているのだが、いちいち教えてやる気にもならない。
「詩文はどうした。今の時間じゃなかったか?」
「あー、あれ休講だったよ。講義室で本読んでたんだけど、気づいたらとっくに講義開始時間過ぎてるのに誰もいなかった」
「あほだろ」
 吟は呆れたが、紫野川は身体を後ろにひねって、「そういうとぼけたところがいい…!」などと一人で呟いていた。正直怖い。
「あほばっかだな…」
「うえー、稲沢また弁当持参か。マメだなぁ」
「お前もたまには作れよ」
「自炊で生き残るためには味覚の破壊が必須用件だなと悟ったんだよ、僕は。――じゃ、なんか買ってくるから」
 そう言って注文カウンターに向かおうとした城崎だったが、紫野川の前になにも置かれていないことに気づいたらしい。
「あれ、紫野さんもまだ買ってなかったん?」
「いや、紫野川はあほだから芋を――」
「ううんちょっとダイエット中で食べてないのおほほ!」
 紫野川のかかと落とし(弱)が、テーブルの下で稲沢に直撃していた。
「へえ。でも、そういうのあんまりよくないと思うよ? 紫野さん別に太ってるわけでなし」
「その辺は女性の事情なのよ」
「そか、そりゃなんか大変そうだね」
 紫野川の意味不明な言い分を、城崎は信じたらしかった。吟はこの友人の思考回路が、時々理解できない。というか、いつか詐欺師に騙されるんじゃないかと危惧している。
「決意を頑なにするために、昼ごはん代も持ってきてないのよ」
 嘘を塗り固める紫野川。ただし、お金を持っていないと言う点は正しい。
「はぁ、すごいなー」
 そしてどこまでも疑うことを知らない城崎。ところが、その城崎が最後に言った一言が、紫野川の眼の色を変えた。
「――ま、でももしダイエットやめる気になったんなら言ってね。僕バイト代入ったばっかし、いっそおごってあげてもいいくらい――」
「ぜひよろしくおねがいしますっ!」
 紫野川は椅子を蹴っ飛ばす勢いで立ち上がった。
「え、あ、いいの?」
「しっかり食べて健康を維持しないとね! お礼にサツマイモあげるわ!」
 そのままの勢いで、困惑する城崎を小脇に抱え、紫野川はさっそうと注文カウンターへ向かっていった。
「…やれやれだぜ、まったく」
 後に残された吟は、舌を打ってそう呟いた――ようやく開放された、痛む右足をさすりながら。

 そんな感じの、おおむね日常的な風景ではあった。

 *
 


 筋がないとかオチがないとかいうのは承知なんですが、まあ、雰囲気的なものを楽しんでいた炊ければとりあえずよし、です。

 何気にNを飛ばしてるのはそっちが行き詰ってるからだったりします。
 

最終更新:2012年12月30日 12:45