2006年09月30日(土)21時39分-りな
10
「一緒に来てほしい」
耳障りな外国訛りの日本語が聞こえ、肩に軽く手が置かれた。私はもちろん、無視して通り過ぎようとする。どこの誰かは知らないけれど、立ち止まる必要があるとは思えない。キャッチセールスか、宗教勧誘か、あるいはもっと悪いものかも。
だけど私は結局立ち止まらないといけなくなった。肩をしっかり掴まれていたから。仕方なく顔を上げた私の目に映ったのが長身の黒人で、彼の手には不釣り合いに小さな銃が握られていたから。理由はこれで十分。
まず私がしたことは、ヘッドホンを外すことだった。ちょっと不良くさいラップメタルが遠のくと、とたんに周りの世界が近くなる。私は目の前の男と目を合わせた。彼は視線をそらさなかった。先に視線を落としたのは私だった。
促されるままに路駐されていた車に乗る。あまりに非現実的なシチュエーションに、正常な思考などどこかに吹っ飛んでいた。もともと私には正常に思考する習慣などなかったが、これはまぁ一種の表現技法だ。車の窓から見えるのは、変な料理屋。閉鎖されたガソリンスタンド。割れたガラス瓶。雨に溶けたタバコの吸い殻。
何だか映画みたい。私は電信柱に向かって、へらっと笑いかけてみた。運転席の扉がバタッと閉まり、車が夜の街に滑り出す。
9
「あのぉ、トイレ行きたいんですけど?」
走り出してから十分。これで車を止めたら、この男、大バカである。何かを期待したわけじゃない。ただ沈黙の重みに耐えられなかっただけ。男は前を向いたまま、私を無視した。つまらないが仕方ない。私は男を観察し始める。背筋を伸ばしてハンドルを握る姿はどこか不自然で、木の人形のようだ。よれよれの黒シャツには、二個しかボタンが残ってない。裾の切れたジーンズ。季節外れのビーサンは砂で汚れ、履き古されてぺたんこになっている。割れた親指の爪から血が出ていた。
もう一度声をかけようと口を開いた私を、男は手で制した。正確に描写するなら、顔面を平手で殴られた。不意打ちにぼーぜんとしていると、男がしゃべり出した。
「お前は人質だ。俺が国に帰るまでつきあってもらう。」
直後私は吹き出した。あまりに滑稽だった。自分の置かれた状況も、男のまじめくさった口調も、ダサい台詞も。高校の文芸部のガキだって、もっとマシな台詞を書く。
狂ったように笑いが止まらない私を、男は不思議そうな目で見ていた。そんな彼を、私はかわいいと思った。
8
いつの間にか私は眠っていた。外はもう暗くなり、車は見覚えのない道を走っている。小さな音でかかっている曲は去年ヒットしたアイドル歌手のたりぃ恋のウタで、聴き取れたリリックの途方もない甘さに私はまた笑い出しそうになった。あまりにミスマッチだ。
しばらく考えたが、曲名は思い出せなかった。
彼は私の方をちらりと一瞥しただけで、また視線を前に戻した。私は懲りずに話かける。
「何から逃げてるの?」
意外にも答えが返る。たぶん彼も退屈していたんだろう。
「人を殺した。後ろの席に金がある」
「何人?」
彼は二本、指を立ててみせた。多すぎず、少なすぎず、といったところか。
「で、そのお金持って国に帰れるとか、マジで信じてんの?」
ちょっと軽蔑口調になった。
「二人まとめて殺されるよ。別にわたしは構わないけどね」
平静を装いつつも明らかに混乱している彼に、私はふわっと微笑みかける。
7
「国に家族がいる。わたしの国は、とても貧しい。そしてわたしの家族はとても貧しい。」
「病気の奥さんと腹空かせたガキが十人。」
不愉快な沈黙。冗談は通じないらしい。かといって不機嫌になるわけでもなく、彼は淡々と話し始めた。独身であること。物心ついたときには父親はいなくなっており、さらに留守がちな母親に代わって弟の世話をしてきたということ。
よくできたいい話じゃないか?しかし信じろと言うのは難しい。
「そんなに家族を大切に思ってんなら、どうして殺人なんかできたんだろうね?たいてい誰にだって家族はいるんだし。」
半ば自分に問うような感じで口に出した。男は黙っていた。「大切な人を守るためだった」とか、そのテのくさいことを言われたらたまらないので、話題を変えることにする。
「もしも無事に国に帰れたら、私が結婚してあげる」
彼は驚いたようだった。そして、お前には家族がないのか、会えなくなってもかまわないのかと私に訊いた。
「両親も姉も、みんな死んだの。昨日。」
私が殺したとは、言わない。
6
高速を走り出した車の中で、私たちは黙りこくっていた。カーステレオから流れ出す音楽は、陰鬱な二人の逃亡者には明るすぎるBGMだったが、だんだん気にならなくなってくる。大あくびをしたせいで、目が涙でいっぱいになった。前を走る車のテールライトの明かりが滲んで、輝いて見える。退屈しのぎにやたらあくびを繰り返してあちこちの光を滲ませていたら、頬を伝った涙が乾いてかぴかぴになった。ひどい顔になっているに違いないが、そこまで気にならない。はっきり言ってもはやどんなことも気にならなくなっている私は無敵だった。
「ねえ」
隣の彼がちらっとこっちを向く。前と違って厳しい表情をしなくなっていた。
「おなかすいた」
じゃあ何か買おう、と言った彼に、ふざけて抱きついてみる。
彼が一瞬嬉しそうな顔をしたように見えたのは、目の錯覚だろうか。
5
彼は人気のないサービスエリアで車を止めた。小さな銃は運転席の下に滑り込まされた。確かに、私を殺すのに武器はいらないだろう。彼はすばやく車を降りると、前を回って助手席のドアを開けてくれた。逃げないための配慮、だったのかもしれないが、こんなことは初めてな私はどきどきした。
一人ですたすたとトイレに向かう私を、彼は止めなかった。
車に戻ると、彼は車に寄りかかるようにして待っていた。完璧なタイミングでドアが開けられ、私は大いに満足して席につく。車の中には、湯気を立てているコーヒーの紙コップとサンドイッチの包みが二つずつ、あった。並んで座って、それらを黙々と片づけていく。ぎくしゃくした緊張はいつのまにか解けていて、当事者である自分自身にさえ、二人の関係がよくわからなくなってきていた。
「私が逃げたらどうするつもりだったの?」
笑いを含んだ声で尋ねる。
「信用してたんだと思う」
少し間を置いて、続けた
「いや。それでもいいかもしれないと、思っていたのかもしれない」
どうして逃げなかったのか、とは訊いてもらえなかった。
4
車が走り出してすぐに窓を大きく開けたが、彼は何も言わなかった。信用されていると実感するのは気分がいい。どうして昨夜、自分があんなにすべてに対して否定的な気分だったのか、考えてみてももう思い出せなかった。
「全部消してしまいたかったんだ。めんどうなもの、全部。消しゴムで消すみたいに」
ぼんやりと独り言を言っていた。彼には聞こえなかったみたい。
でも、どうしても消えないものがあって。
嫌なことを思い出しそうだったので、少し眠ることにした。
3
思いの外ぐっすり眠ってしまい、目を覚ますと朝日が昇りかけていた。車は高速をおり、どこかの山道を走っている。この先に飛行場でもあるのだろうか?ふと疑問に思ったが、別に訊いてみるつもりはない。この道の先に何があるかなんて、はっきり言ってどうでもよかった。
「あのさぁ」
訊いてみたかったけど、躊躇していたこと。
「彼らを殺したとき、どんな感じがした?」
彼ら。私にとっては名前を与える価値すらない脇役。彼らの人生は失われたが、実際、それがどうしたというのだろう。問題は、目の前の男が彼らを消したということで
「そうだな」
そう。私が知りたいのはこの迷っている男に印が、ある種の傷が残ったかどうかということだ。私に残ったのと同じ傷が。
かなり経ってから、答えが返る。
「こわかった」
私は目の前の男を抱きしめたいと思った。
2
会話は途切れたが、気まずい感じはしない。
窓からはいる光の量が増えてきた。
日の出を見たのは久しぶりだ。少しずつ明るくなっていく周りの景色を見ながら、私はぼんやりと考え事をしていた。
ふと視線を感じて運転席に目をやると、彼が黙って右側の窓を指差していた。はるか下に、ずっと広がる森が美しい緑に輝いている。彼にそっと身体を寄せた。私に向けられる彼の視線は、優しくあたたかい。そっと顔を近づけて彼の耳たぶを甘噛みしてみる。そうして力の抜けた彼の身体を横から押さえつけるようにして、私はハンドルを思い切り右にきった。
1
真っ白のガードレールは薄く脆かった。車体が宙に跳ぶ。開け放たれた窓から洪水のように冷たい空気が流れ込む。私は声をたてて笑った。隣に目をやると、彼は口を開けて超音波の悲鳴を発していた。超音波だから音は聞こえない。無声映画。そうね、彼なら主役を張れるわ。
でも、主役は私。
それにしても、道で捕まえた人質の女の子が殺人犯の自殺志願者である確率って、どの程度のものなのかなあ。
0
そんなことを考えながら私は目を閉じ、最後の衝撃を待った。
新しいのを書く時間がしばらく取れそうにないので
この夏、高校の文藝部誌に投稿した作文を少し直して載せました。
締切りと合宿がかぶったので
移動中のバスの中でケータイ作文。
他の文章を選んだ方がよかったかもしれませんが
「100%ノリと勢い」なところがとても私らしいので。
次はもっとマトモなのを書きます。