2006年11月06日(月)22時14分-鴉羽黒
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サンプルケースが一つしかないので判断しづらいのだが、一目惚れのきっかけが右手である、というかむしろ右手に一目惚れした、というのはやはり変なんじゃないかと思う。
それを受け入れてしまっているのだからまぁ、僕自身がとやかく言うのも間違っているかもしれないけれども。
「キヨウ、手が止まってる」
僕の手に惚れた彼女が、非難がましい口調で言う。
秋晴れの午後、ゆるい日の差す研究室の一角。遅れてきた台風のようなレポート課題のためにノートパソコンに向かう僕、それを彼女――朽紅円香が横から見つめている、そういう状況。
「止まったんじゃなくて、終わったんだよ」
マドカが僕を見ていたのは、別に僕がサボらないように見張っていた、というわけではない。正確には、僕の両手を見つめていたのだ。よくわからないが、キーボードを打つ手の動きがどうしようもなくイイらしい。
課題の完成を告げられた円香は、だから喜ぶでも祝福するでもなく、逆に不服そうな表情になる。
「あら、つまらない」
「戦いを終えた恋人を、少しはねぎらってほしいんだけど…、まあいいや、お茶でも淹れるよ」
そう言って席を立つ僕を――、ではなく僕の手を、名残惜しそうに見送る円香。
右手も左手も好きらしい円香だが、特にお気に入りなのは右手らしい。持ち主の僕にさえ両手の違いなんてわからないのだが。
というか実を言えば、しわだらけで骨張っている自分の手を、僕はどうしても好きになれなかった。老人みたいだと思っていたし、人に見られるのも嫌だった。だから円香の言い分は僕にとっては全く思っても見なかったことで、そう言う点で僕は円香に救われたんじゃないかと思う。まあ、それはちょっと大袈裟だけれど。
「さて、これでよし」
研究室に配属されたあとの一番の利点は、ただでお茶が飲み放題と言うことである。
二人分のお茶を淹れて戻ると、円香はじっとこちらを見上げていた。
何となく妙な気配を感じつつお茶を机に置くと、お礼も言わずに円香はいきなり口をつけた。
僕の右手に。
「――うわ、なにする!?」
「…んっ」
たっぷり10秒は手の甲を吸って、円香はようやく口を離した。
「なにって、ねぎらいよ?」
赤い口唇に指をはわせ、円香は妖しく微笑んだ。
「…どこの地方の習慣だ。――って、うわ」
みると、手の甲にくっきりと、赤い口紅の跡がついていた。おまけに、吸われたところが赤くなっている。
口紅の方は洗えば消えるだろうが、後者の方はしばらくはこのままだろう。
「…どうすんだ。こんなの、人に見せれないぞ」
「あら、いいじゃない」
僕の非難を気にすることもなく、円香は得意げに微笑む。
「だって、キヨウの手は、わたしだけのものだもの」
少なくともそれは、何のムードもない真昼の研究室で言う台詞ではなかったが、
「もちろん、他のカラダもココロも全部、よ」
続く円香の言葉に、僕はついに赤面した。
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最終更新:2012年12月31日 23:12