2006年11月09日(木)00時13分-Κ
勝手に使って、ごめんね。
あと、集会のとき話した、「オタクは差別されているか?」という問題だけど、やはり「差別」という言葉が引っ掛かる。基本的に「差別」ってのは「自分では選べない境遇(肌の色、国籍、性別、セクシャリティ、ある種の宗教)が原因で不当な扱いを受けることだと思う(本当に自分で選んでいないかどうかは微妙なところがあるけど、大筋で認めてよい仮定だと思う)。あと、被差別者が発言力等の面で、社会的弱者であることも必要だと思う。となると、いわゆる「オタク」はどちらにおいても、当てはまらないようにぼくには思える。「オタク」は自分で選んでなるものと考えているし、オタクの発言力がないというのも、これだけ市場を作り上げておいて何を言う、ってかんじだよ。
ぼくが特に気に入らないと思っているのは「差別」という言葉を選択したときに、自然に発生する「ぼくは弱者なんだから保護してよ」という軟弱なニュアンスだ。自分で「オタク」の生き方を選択しておきながら何を言う。イヤならオタクやめればいいじゃん。大概の人は自然にオタクをやめちゃうんだからさ。
それでも不当な扱いがいやならいい言葉がある。「弾圧」だ。この言葉に現れている関係は、「強者」と「弱者」ではなく、単なる「主流」と「傍流」だ。我々は主流が面白くないから、傍流に移っただけで別に弱者じゃない。軟弱者はいきやすい道を選ぶが良い!
オタクよ、捨ててきた生き方に未練を残すな。オナニズムを忌避するな。生身に欲情するならミミズにだってだきるわ! オナニーをするのはサルやイルカなどの一部の高等種族にしか許されていないのだぞ。オナニーはもう代替手段ではない。オナニズムは生き方だ。思考能力を持つとは「私」を発見するということで、「私」を発見するということは「独我論」を発見するということだが、オナニーは人を否応なく独我論者にする。独我論的に考えるなら、セックスとは、二人の(相手の存在を究極的には知りえない)二人の(虚空に浮かぶ)主体が、互いに互いを器具(件おかず)としてオナニーしているに過ぎないではないか!
オタクはくだらないものに血道をあげている、という意見があるかもしれないが、下らないのは百も承知だ。そのくだらないものに一生をかける覚悟を思い知れ! 覚悟に勝る財産なし! 世の中の役に立つものなんてクソ食らえ! 大体、韓国ドラマだってアニメとおんなじくらいくだらないわ!
「記号に欲情している」、という人もいるが、動物ってのはすべて記号に欲情しているのだ、そして人間も例外ではない。はやってるドラマを見れば分かる。アニメに勝るとも劣らない記号の山じゃないの。もしオタクが普通の人間と違うところを言えといわれれば、それはその記号の驚くべき幅と可変性だ。この高度情報化されたライフスタイルが、我々を有機的構造に狭く制限された現状から解き放ち、次のステージに導くのだ!
実際、引きこもりは人間の次の進化かもしれないではないか。「一人で生きてるんじゃないぞ」という馬鹿もいるが、一人で生きられないから散々苦労してるんじゃないか。一人で生きられたら、どれだけ楽か。それがいま実現しようとしているのかもしれない。これが人間の次の姿なのか? 輸送網と情報網の発達により、我々は初めてそんな金持ちでなくても引きこもれるようになって来たのだ。未来はもうすぐだ。親に迷惑かけずに引きこもる方法をみんなで考えようではないか。
オタクよ、立ち止まるな。我々をなんだか気持ちの悪い未来へ導いてくれ!
という夢を見ました。
最終更新:2012年12月31日 23:17