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吉原秘帳 参

2011年10月02日(日)18時35分 - 雪緒

 

 一つ、二つ、三つ。
 万寿は歩きながら数える。前と後ろを囲むように揺れる殺気の塊は自分達の様子をうかがっている。ゆらゆらと揺れる提灯は行く先を頼りなく照らしていた。月光もない道はわずか先までしか見通すことができない。けれどそれがいい、万寿はあえてこの道に誘い込んだ。人通りもなく、更に視界の悪いこの路地裏に。
 結局尻拭いか、と万寿は手元の文を眺める。
 狸爺、もとい紅楼から渡されたものであるが、情報の出どころは恐らく他の六花衆であろう。
まったくたかが一つの街を回すためだけに、幕府よりも複雑かつ念入りな仕組みを維持しているとは呆れてしまう。しかももとは単なる遊女であった万寿自身が実行部隊を担っている。随分と、奇妙なものである。
 立ち止まり、顎に軽く手を添えて考え込むような仕草をした。
 さて、どうしたものか。
 頷いて緩やかに笑った。
 「万寿さん」
 ついていた下男が不思議そうに万寿の方を見遣った。訓練したものとそうでない者と、こうした小さなところで違いは明確に表れる。しかし戦場においてはその命運すら左右する大きな違いでもある。
 殺気が弾けた。
 深々と降る雪の中で、漆黒の羽織が翻った。万寿はすでに鯉口を切っている。鞘から漏れ出た鋼が、ぎらりと提灯の火を反射した。ふう、と息を吐くと同時に抜き打たれた刀は既に鮮血を纏っている。雪煙の中で、身の丈をはるかに超える男が伏した。
 「早々にこの場を立ち去ってください。戦えぬ者を守りながら戦う程つまらないものはありません」
 ぽたり、と豊かな黒髪から血の滴が伝い落ちた。青白い顔は血色の濃い化粧をし、その中で蒼い程の銀色の瞳が輝いている。それを間近で見つめる下男は、ごくりと唾液を呑みこんだ。
 「ここは間もなく地獄になりますゆえ」
  背筋が凍る程に美しいとは正にこのことか、下男は呼吸すら忘れて凝視する。携えた人殺しの道具は少女の美しさをさらに引き立てている。その異様さ、吉原に仕えて久しい彼にも万寿は他の揚羽と一線を画している。
 「二度は言いません」
 「へ・・・へぇ」
 「去れ」
怯え切った下男を眺め、くっと刀を強く握った。万寿も自分が他の揚羽からも、六花衆からも異なる扱いを受けているのは知っている。それを知らぬ程万寿は幼くはない。
 はっ、と息を吐いて施行を断ち切るように向かってくる浪人の身に刃を沈めた。生々しい悲鳴が上がり、鼻につく鉄錆の臭気が雪を染めた。しかしその上に新たな雪が落ちるものだから、斑模様になって上等な打掛のように美しくなった。
 「一時ののち私が戻らねば他の揚羽を呼んでください」
 下男は真っ青な顔で一礼した。浪人と万寿、どちらに対する恐怖かはもはや考えるまでもない。
 「御武運を、万寿様」
 まったく、提灯がないと視界が悪い。雪明りがぼう、とわずかばかりの距離を照らしているだけだ。けれど気配で容易にその数を知ることが出来る。二人斬ったが万寿の周囲にいる浪士の数は二十は下らない。どれだけ仲間を呼んできたのだろう。そう考えると気分がよかった。
 「てめぇが六花衆の揚羽か。まだ小娘じゃねぇか」
 「殺すのは惜しいなぁ。腕と足の腱を切ってやれば売れるんじゃぁねぇか」
 「油断するなよ、ナリは小娘だが容赦のねぇ鬼姫だぜ」
 興を削ぐな、と万寿は野卑な言葉を聞きながら思う。不快感がせり上がり、敵を前に万寿は自分の顔から笑みを消した。浪士達は自分の変化に気付いただろうか。恐らく答えは否、である。
 「この人数じゃぁ勝てねぇぜ、お嬢ちゃんよぉ」
 ちっ、と小さく舌打ちをした。
 万寿を見下した仲間がこの刀に斃されているというのに、まだ普通の女のように見ている。妓楼に居る羽虫の方がまだ危険に対する学習能力がある。
 はぁ、と刀を握った手に吐息を吹きかけた。そして家屋を背にして刀を構え直した。闇雲に斬りかかって無事なのは最初だけだ。これからは打ちかかってくるのを待って返さなければならない。しかも初太刀で。
 ぐっと口元を引き締めた。腹は決まっている。この人数では運が悪ければ嬲り殺しだ。
 「どなたからでも、お相手いたします。ねぇ、浪人様方」
 けれどただで死ぬつもりはない。いやむしろこんな男達の相手をして、死ぬなんて真っ平だ。体を汚されることさえも赦せない。汚されるならば舌を噛んだ方がましである。
 迫る白刃を払うと、一刀のもとに斬り伏せて駆け出した。


 井伊しかけ毛氈なしの雛まつり 真赤に見へし桜田の雪

 万延元年三月三日、水戸・薩摩の十八士が江戸城桜田門外にて大老井伊直弼の首級を上げた。
 対立派への大弾圧を行った大老が一介の浪士らの手に掛かって殺される。それも最も強固なはずの江戸城の外門において。その事実は約二百六十年政権を維持した強固な地盤が、すでに腐りきっていた証明するに足ることであった。
 そしてこれを機に天誅と言う名の暴力行為が政治的に正当化され、流行り始める事となった。幕末は更なる政治的混沌を孕み、幕府の威信はますます転落していく。
 この事件を後に桜田門外の変と言う。


 肌を切るような寒気が道場内に吹き込んでいた。
 「寒っ」
 青年は、はあ、と掌に息を吹きかけた。真っ白な呼気はさして手を温めてくれない。
 それでも四半時の後、がたがたと立てつけの悪い扉が開かれたときには青年の体は十分に温もりを持っていた。冬の寒気にも負けずしなやかに動き回る青年の姿に、入ってきた男は目を見張った。いかつい顔立ちをしているが、青年に向けるまなざしは優しい。
 「こんなところにいたのか、宗次郎」
 「えぇ、若先生。内弟子とはいえ私は剣術修行だけをしているわけにはいきませんし」
 沖田宗次郎はちょっと肩をすくめた。
 お世辞にも美男子とは言えまい。けれど黒目勝ちの目と湛えた自然の笑顔が愛嬌のある顔に見せている。しかし幼い顔立ちの反面、剣才に恵まれて間もなく免許皆伝となる。そしてその暁には師範代となるであろうと言われている。
 「お前は偉いな」
 若先生、と呼ばれた男はそんな宗次郎の頭を撫でた。一回り大きな手に撫でられる心地良さにきゅっと目を細めた。この時間が幼いころから何よりも好きだ。
 「そんなことありませんよぅ。九つのときからお世話になっている身です。食べさせてもらっているだけでもありがたいのに剣術の修業をさせていただいて。若先生には感謝してもしきれません」
 木刀を構えてひゅっと振った。
 「私はもっと強くなりますから」
 若先生は少し困ったように笑った。ここのところ宗次郎が強くなるたびにこんな顔をする。理由を知らずとも、それをあえて聞かぬのが尊敬する先生に対する宗次郎の気遣いだった。
 「それより若先生、今日は随分早いですね」
 「目が冴えて仕舞っていな。よし、俺もやるか」
 しかし、四半時も立たぬうちにすぐに二人の稽古は終わりを告げた。軋んだ音を立てて数人の男達が道場内に駆け込んで来た。みな道場で生活している者達である。普段宗次郎と気安く雑談し、稽古している兄貴分達が珍しく酷く緊張した様子をしているのが見て取れた。
 「勝っつぁん、江戸に行くぞ」
 「待て、話が見えん」
 「大老が暗殺された。場所は江戸城、桜田門外だ」
 道場内に緊張が走った。すぐに出ていこうとする若先生の背を眺めていると、共に行くかと声をかけられた。若先生が農民の身分でありながらも将軍に仕えることを夢見ているのを知っている。日々遅くまで他の兄貴分達と談義している。一度も参加したことはないが。
 「いいえ、私は残ります」
 宗次郎は首を横に振った。興味がなかったのもある。けれどそれ以外の理由からも宗次郎は行く気が起きなかった。なおも何かしら躊躇いを残す若先生を促す。
 「若先生、行ってください。私は朝ごはんの手伝いをしなきゃいけないんです」
 「ったく、呑気な奴だ。ま、宗次郎が来ても何もできやしねぇな」
 溜息をつく兄貴分達を見送り、一人になった宗次郎は深く溜息をついた。笑顔はその顔にはなく、深い憂いの表情があった。素振りを再開しながら、今日の朝餉は一時は遅れるだろうと思った。
 


本当はネタだけならずいぶんと先までできていたんですが・・・色々あって清書がめんどくさくてやっていませんでした。近々、四も出せると思います。どこまで続くんだろう・・・。

とりあえず次回はもっと出番が増えると思います。沖田宗次郎とゆかいな(?)仲間たち。

あといい加減怖い話も書かなきゃ・・・。
最終更新:2013年03月25日 01:13