2012年02月14日(火)10時09分 - すばる
Bitter Valentine
私はその日、恋をしてしまいました。二組と合同で行った家庭科の調理実習、そこでその人と出会ってしまったのです。凛とした、整った顔立ち、くっきりとしたひとえに、透き通るような黒の瞳、真ん中わけの髪は目にかからない程度に長く、それに隠れた眉はやや細い。それ全部が、直球ど真ん中ストライク。完全に、一目惚れでした。
その人は器用にジャガイモの皮をむいています。私はそれを見ていて、危うく自分の指を切ってしまうところでした。慌てて自分の仕事に集中しようとするのですが、どうしてもその人の方に意識が飛んでいくのです。気が付けば、私だけ作業が大幅に遅れていて、グループのみんなに大変な迷惑をかけてしまいました。でもそんなことでしょげている場合ではないのです。何とかして、彼とお近づきになる方法を考えなくてはなのです。
しかし私は、彼の名前すら知りません。好きなタイプとか、メルアドとか、知りたいことはそりゃあ山ほどありますが、何よりもまず、大前提からしてなっていないのです。なんてこと考えていたら、いきなり恋のキューピットが囁きました。
「結城ー、そっちの鍋そろそろいいんじゃねえの?」
彼と同じ班の男子の声です。がやがやとうるさい家庭科室の中の、それは一つの物音だったけれど、ずっと彼を見ていた私の耳にはまるで自分に向かって言われているようなほどはっきりと聞こえました。その声で彼は振り返ります。そうです、彼の名前は結城なのだそうです。思わぬ形でその名前を知った私、さらに結城君の方を見ていたのですが、その間を友達の手が遮ったのは言うまでもないでしょう。
調理実習の次の日の昼休み、私は二組の教室を廊下から見ていました。教室内には十数人の生徒がそれぞれにグループで弁当や購買のパンを食べていましたが、そこに結城君の姿は見えません。たぶん学食にでもいっているのでしょう、しかしこれは、どうやら来週の作戦を変更しなければならないようです。そうだ、なら帰りに教室から出てくるのを待って、声をかければいいんだ! 思いついたら、イメトレも兼ねて、その日の放課後結城君が帰るところを見てみることにしました。
これをしておいて、本当によかったと思います。なぜなら、その日私のクラスのホームルームが遅れたから。そうです。こっちのクラスのほうが先に終わるとは限らないのです。しかも結城君はその間に帰っちゃったみたいで、教室の前で待ってみたけどその日は結局一度も姿を見られませんでした。もし本番でこんなことになってしまったら、もうどうしようもありません。破滅です。一日でも遅れてしまっては意味がないのです。しかしそれまでにはまだ三日間、考える時間があります。その間に、何かいい手を考えなければなりません。
しかし、まだと言っているうちにそれはもうになり、とうとう数えることもできなくなってしまいました。すなわち、バレンタイン当日。結城君にチョコを渡すための作戦は、まったく思いついていません。下駄箱の中や、机の中に入れておくことも考えてはみたものの、そもそも結城君は私と会ったことないわけで、そんなの見つけたところで、だれ? となるのは目に見えています。すなわち出たとこ勝負。何とか結城君を見つけだし、チョコレートを渡さなくてはなりません。というわけで昼休み、授業が終わるのと同時に飛び出し、隣の教室に駆けつけます。それとほぼ同時に、クラス内からガタガタという椅子を引く音が聞こえてきました。どうやら二組は今授業が終わったところ、それなら結城君も、教室内に必ずいるはずです。幸いにも扉は開いていて、私はそこから首を伸ばします。先生が黒板の前を通り過ぎ、今座ったばかりの生徒たちが次々に立ち上がります。ですが、結城君がどこにいるのかわかりません。そもそも男子は、もちろん女子もですが、みんな制服を着ていてややこしいです。それに彼を見たのは調理実習のときの一度きり、ほんとにちゃんと顔を覚えているのかといわれると、なんだか不安になってきました。それでもめげずに探すのですが、そうしている間にも、こっちの扉からもあっちの扉からもどんどん人が出ていってしまいます。その顔を全部チェックすればどこかにいるはずなのですが、人波に押されてうまくいきません。結局とうとう、昼休みに結城君を見つけ出すのは諦めなくてはいけなくなってしまいました。しかし私は、その時になってようやく思い至りました。どうして今まで気づかなかったんだろうと不思議に思うくらいなのですが、何も長い休み時間じゃなくてもいいのです。ですがそのことに気が付き、早く五限目の授業が終わらないかと思っていると、時間はなかなか過ぎてくれません。いつもより長く感じた午前中の授業を乗り切ったばかりだというのに、昼休み、そして最後の関門である五限目はそれ以上に時間が長く感じられました。しかもこんな時に限って苦手な英語だなんて! ああ、天はどれほどの試練を私に与え賜うのか。
でも私は、困難に打ち勝った。特に残り五分はそれだけで一時間分だったけれど、何とか乗り切り、隣の教室に突撃する。そして、もう見つからない、なんて落ちはこりごりだったので、トイレに行く気なのか教室を出ようとする男子を捕まえました。
「すみません。ちょっと聞きたいんですけど、結城さんって、どこにいますか?」
私のプランとしてはこうです。まず彼に居場所を聞き出す。そして休憩時間のあわただしさにまぎれてこっそり教室内に忍び込み、接近する。ところがあろうことか、そのいかれた男子は私の言葉を聞くや否や大声でその名前を呼んだのです。ああ、そんな大声を出したら教室中に聞こえちゃうじゃないの。そしたら私が結城君にチョコレートを上げたってことが、学年中にばれてしまう。そんなのは恥ずかしすぎる。それに、まだ心の準備もできていないのに。ですがそんなことは向こうにとってはお構いなしなわけで、すぐにでもやってきてしまいました。しかもそれは、私にとってあまりにショッキングな再会でした。というのも、とうとう会えたその人は、スカートを穿いていたのです。
こうして、私の恋は終わりました。
Sweet Valentine
バレンタイン。姉の夏樹は好きな人にあげるのだとブラウニーをせっせと作り、妹の冬美は女友達と交換するのだとチョコクッキーをせっせと作る。二月十二日、日曜日のことである。しかしその日を待ってそわそわするのは何も女性ばかりではないことを、だれもが知っているだろう。これはお菓子業界の陰謀だなんて嘯いたりしていても、やっぱりそわそわする。そんなわけで秋彦も、下駄箱から上履きを取り出すとき、机から教科書を取り出すとき、ちょっぴりどぎまぎした。もちろん結果は惨敗、そもそも彼女持ちじゃなかったら、たとえもらえたとしてもどうせ義理チョコなのだ。そんなことを考えていたのだが、移動教室のとき、秋彦は誰かに呼び止められた。
それは、クラス章からするに隣のクラスの女子、どこかで見たかもしれないショートカットでいかにも活発そうな顔の女の子である。別に彼女のことが好きなわけじゃないのに、すこし薄ら暗い階段の踊り場に二人きりでいると、ドキドキする。
そんな彼女が、リボンで彩られた小さな箱を差し出す。
「あ、あの、私の、四組の西口美香って言います。それで、その、これ、私の作ったチョコレートケーキです。手作りのやつなんであんまり、全然おいしくないかもなんですけど。それで、あの、もし今、付き合っている人とか、いないんでしたら……ご、ごめんなさい。いきなりチョコなんかもらっても、困りますよね。」
そうして彼女は、呆然とした秋彦のもとから逃げるように去っていった。
いったいもらえてもどうせ義理チョコだなんて考えていたのは誰だったか、秋彦は次の授業の間、呆然としたまま過ごした。あんなふうにチョコをもらうのは初めてだった。どう考えても義理じゃない。でも、いったいどうしたらいいんだ。なんて答えたらいいんだろう。秋彦の頭の中はすでに混沌としていたが、昼休み、さらに別の女子が、彼に声をかけた。
今度は五組のその女子は、さっきとは対照的な、さらりとしたロングヘア、清楚で利発そうな、そんな子だった。
そんな彼女が、丁寧にラッピングされた包みを取り出す。
「えっと、これ、私が作ったトリュフです。昨日頑張って、徹夜で作りました。って、なんでそんなこと言ってんだろ、私。あ、私は山根って言います。あの、それで、ですね。これ、高城君に渡していただけませんか?」
最後の一言でなんだと落胆する秋彦。彼女はそれに、これ一応田中君にも、と言って包みを渡す。友人への本気の思いと、確実な義理をもって戻ってきた彼が仲間に笑われ、また慰められたことは、言うまでもない。
義理チョコなんていったい誰が考えたんだと、欲にまみれた悪友の開けた苦味を口にしながら、秋彦はポケットに隠した小箱を思う。だけど、それもはたして本当に本気なのかと、疑わずにはいられなかった。友達に無理やり渡させられたのかもしれない。それとも、ドッキリなのかもしれない。もしもそれが本当にそうであって、それに引っかかったりなんかしたら、自分はなんてばかなのだろう。冷静な時の彼ならばそんなことは考えたりしないだろうに、一度泥沼の思考にはまってしまった秋彦は、むしろそうに違いないと思ってしまっていた。
家に帰ってからも、秋彦には小箱を開けるのが躊躇われ、机の上に置いたままいくらか考え込み、揚句それを放置したままリビングに向かう。するとテーブルの上には、余ったのだろう、クッキーがいくらか皿に盛られていた。ついこの前も余ったチョコレートを食べたし、これではありがたさもなにもあるまいに、やはりチョコはチョコなので、口にすると、昼間のそれと同様わずかに苦く、しかし基本的には甘い。だからこそチョコレートなのかと思いつつ、しかしチョコレートは量に対し腹が膨れやすいということをすっかり忘れていた。
夕食を食べ終わった後、秋彦は三度、その小箱と対峙していた。さすがに彼も冷静さを取り戻し、これがたぶん本物なんだということも理解した。そうするとこれまで自分がその思いを忌避してきたことに対し罪悪感を覚え、ついでや余り物に先に手を出してしまったことを後悔した。そうして、意を決したようにリボンをほどく。もう腹の中に入るスペースはないように思えたが、今日中に食べなくては悪いような気がする。
なかには、食べやすいように切られたケーキがきれいに並べられていた。口に入れると、やはり、甘さと、わずかの苦さが口に広がる。込めた思いと甘苦の比率は関係ないんだなと思いつつ、それでもそのチョコレートは、今日食べた中で一番おいしかったように思えた。
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せっかくなのでバレンタインネタ書いてみました。