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無題

2005年03月06日(日) 20時08分-伊吹

 

カラン、と音を立てて床の上にボールペンが転がった。
「あ。ごめん」
通りすがりに制服の袖を引っかけて落としたそれを、祐二はあわてて拾い上げる。小さな羽根のかたちの飾りが付いた、ピンク色の可愛らしいボールペンだ。持ち主である隣の席の女生徒は読んでいた本から顔を上げて、いいえと笑った。
「拾ってくれてありがとう」
「あ……うん。なんか、変わったペンだね」
祐二がそう言ったのには、他意はない。ボールペンといったら黒いのかせいぜい青しかつかわない彼にとって、女の子の持つピンクのボールペンが物珍しく見えただけのことだ。
けれど、隣の席の少女は嬉しそうに答えた。
「あら、分かるのね」
「えっ?」
「それね、ちょっと特別なボールペンなの」
大切な秘密を打ち明けるように、小声でささやいて少女は笑った。綺麗な、ひどく魅力的な笑顔だった。こんなに可愛い子このクラスにいたっけ、とわずかに脳裏をよぎった違和感は彼女の次の言葉で吹き飛ぶ。
「書いたものが現実になるのよ」
試してみる? と言われて、祐二はつりこまれたように頷いた。書いたものが現実になるボールペン、そんなものがあるわけがないと、普通なら笑い飛ばすところだったが……なぜか、そういう思考は祐二の頭に浮かばなかった。ただ彼女の言うがままにペンを握る。
「絵をかくの? 言葉で良いの?」
「どちらでも。そうねえ、言葉の方が、面白いことになるわ」
言われて祐二は、ちょっと考える。何を書こうか。手近なネタを探して彼の視線はなんとなく、彼女の机のうえをさまよう。
広げたままの、なにか戦争の話らしい本――戦闘機の挿絵でそうと知れた――、やはり広げられたノートに書かれた数式。机の隅には、愛嬌のあるカエルの絵の入った筆箱。
『蛙』
彼女が差し出したノートの隅に、試しに書いてみた。
インクの色は黒で、太さも普通だった。とくに、変わった風には見えない……そう思った次の瞬間。
「うわあっ!?」
机からわき出るように、ひょっこりとカエルが現れた。筆箱のカエルの絵とおそらく同じ種類の、ちいさなアマガエル。見ているとそれは一息に机を飛び降りて、床の上をぴょんぴょん跳ねながら遠ざかっていった。幸い誰かに踏まれそうになったりもせず扉に到達して、見えなくなる。
「うわ……すごい」
「面白いでしょ?」
目を輝かせる祐二の反応に、満足げに彼女は笑う。熱心に祐二は頷く。
「こんなの初めて見た。どこで手に入れたの?」
「おばあさまにいただいたのよ。ほら、他にも試してみたら?」
ちょうどその時、チャイムが鳴った。次の授業の開始だ。席に戻らなければ、と顔を上げかけた祐二の動きを、少女は片手で制した。
「いいじゃない。もっと遊びましょう」
そうだね、と祐二は頷いた。少し考えて、今度は蛙の文字の上に、時計、と書いてみた。
なんの変哲もない祐二の文字がノートの上に残る。数秒の間。そして、机の上にどこからともなく、ころん、と現れたのは……。
「あれ? なんか、想像と違う」
ちいさな金の時計だった。丸くて鎖がついていて、たぶん懐中時計という奴だろう。
祐二の脳裏にあったのは、さっきのチャイムで連想した、教壇の上にかかっているはずの壁時計なのだが。首をかしげる彼の反応に、くすくすと少女が笑った。
「そう、それが言葉の面白いトコロよ。時計って言葉でくくれるものはいっぱいあるでしょう。だから、具体的にどんな時計が出てくるかは、分からないのよねーえ」
「へえ……。でもそれじゃ、思い通りのものは出せないって事?」
「ちょっと無理かしら。銀色の可愛い時計って書いたところで、やっぱりイメージ通りのものは出てこないしね」
「そっか……。言葉って難しいんだね」
真面目な顔でうなずく祐二に、少女は楽しげな笑みを見せた。
「そうねえ。でも、言葉ってとっても面白いのよ? たとえば……そうだ」
ふと、手元の本に視線を落とす。先ほど祐二が何かの戦争の本のようだと思ったのは当たっていたようで、本の表紙には『太平洋戦争の惨禍』と書かれていた。
「この本はどうかな。タイトル、書いてみて」
「え?」
そんなことしても、本がもう一冊出てくるだけじゃ……そう思ったのは一瞬で、すぐに気づく。『太平洋戦争の惨禍』なんて、さして捻りもないありふれたタイトルだ。そう、同じタイトルの本などいくらでもありそうな。となると、この本そのものが出てくるとは限らないわけで……ひょっとしたらそういうタイトルの新聞記事とか、意外に漫画なんか出てきたりするかもしれない。
そう考えると面白くなって、祐二は言われるままにペンを滑らせる。
『太平洋戦争の惨禍』
……数秒が過ぎた。何も起こらない。机の上には何も出てこないし、ノートの文字にも変化はない。
「あれ?」
壊れたのかな――
そう思った祐二の耳を、ふいに爆音がつんざいた。
息をのみ、彼は上空を振り仰ぐ。挿絵で見たような、戦闘機の腹が黒い影となってひらめいた。すぐ、真上に。
いつの間にか周囲は焼け野原で、あちこちに火の手が上がっている。逃げまどう人影と悲鳴。それらの光景を意識にとめる余裕は、彼にはなかった。
ただ、戦闘機から雨のように降り注ぐ何かが……爆弾が……光り、轟音を発して、そして……
熱なのか痛みなのか分からない、ただ途方もない衝撃を受けたのを最後に、祐二の意識は消え去った。

「……モノじゃなくても出てくるのが、コトバの面白いトコロなのよね」
誰もいない教室で、少女はひとり笑う。
くすくすと、楽しげな忍び笑いはひとしきり、静かな空間をふるわせて。それから彼女は首をかしげた。
「でも、案外あっけなかったあ。つまんない」
くる、とあたりを見回す。並ぶ机、教壇、黒板、窓から差す光と床に落ちる影。そういった全てのものが、「教室」の一語で用意されるのだから、言葉というのは本当に便利だ。
ただ、そこで過ごす生徒達の姿はない。教室という言葉には、ふつう生徒までは付随しないもののようだ。
だから、彼女はノートにペンを滑らせる。
「こんどは女の子にしよっと」
高校生、由香里。2つの言葉を少女は綴る。直後、机の真横に一人の高校生が現れた。全国の高校に通うたくさんの『由香里さん』のうちの、不幸なひとり。
「あ」
由香里は足下のボールペンに気づき、すぐに拾い上げた。
「落ちたよ。可愛いねこのペン」
「ありがと」
少女は満面の笑みを、由香里に向けた。


  水組お題小説。使用お題は「ボールペン」「蛙」「金の時計」です。
オチが読みやすすぎるなーと反省。でも(推敲を除けば)1時間強で仕上げた代物なので、まあこんなもんでしょう(待て

毎度の事ながら、タイトルが思いつかない……

最終更新:2013年06月12日 21:23