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晴れた日は柄の長い傘を持って・1~9(加筆修正・まとめ版)

2005年03月13日(日) 01時51分-木組

 

 晴れた日は嫌いだ。何故って、雨はいつだって晴れた日に降り始める。

「なによそれ。ていうか、どっちかって言うと曇りの日にじゃないの?」
 光原はそう言った。
「晴れた日に雲が集まってきて、それで雨が降る」
「…風が吹けば桶屋が儲かる、みたい。じゃあ、曇りは嫌いじゃないの?」
「最初から曇りなら、ハラハラしなくてすむから。もちろん雨でも」
「なによそれ」
 光原はそう繰り返した。水知は苦笑する。
 空を仰ぐ、今のところ、雲ひとつない空。それを、困ったように見つめる。
「要するに、雨男ってやつ?」
 空を見上げる水知をさらに見上げて、光原は――どちらかといえば楽しそうに――そう聞いてきた。しいて否定する気もなく、水知は答える。
「鋭い」
「こんな日に傘持ってるの、雨男か天気予報に恨みがある人間くらいでしょ」
「水をかぶると正体がばれる奴かもしれない」
「六月は登校拒否ね」
「他人と違う人は、余計な苦労をするものさ」
「経験者は語る?」
「雨男だからね」
 何の気なしに手のひらで傘をまわすと、光原はすごいねと感心した。雨男の特技というのは、傘の扱いくらいだ。まったく役に立たなさそうなものだが、手持ち無沙汰な登校時の友くらいにはなるようだった。

 雨男。100パーセント望んでいないタイミングで雨を降らせることができる、稀有な能力の持ち主。新しい靴を履いた日、包装が紙袋の本屋で買い物をした直後、遠足の類は当然のこと、ありとあらゆる絶妙に不幸なタイミングで雨が降る。
 なかでも、傘を忘れた日の雨天率はほぼ100パーセントで、水知の外出に傘は欠かせない。この能力を利用すれば砂漠を緑に変えられるんじゃないかとも水知は思うのだが、降れと思うと降らないのでおそらく無理だろう。つくづく不都合なことだ。

  水知が光原と話したのは今日が初めてだった。そもそも入学して二日目、言葉を交わした生徒のほうが少ない。初日の昨日は、同じ教室にいてでさえ、どこか牽 制するような雰囲気に包まれていて、積極的に話しかけてくる生徒はいなかった。だから、どういうものであれ、気安く話ができるようになるきっかけというの は尊いものだと水知は思う。そしてこの場合、そのきっかけというのは、始業時間をとっくに過ぎ、乗客が他にまったくいないバスに乗り合わせたこと、であ る。寝坊は三文の得、だかなんだか。
 さておき。
 バスから降りても、高校まではまだ十分近く歩く必要がある。走れば五分もかからないのだろうが、二人とも少しでも早く行こう、という考えはまったく持っていなかった。そんな考えが浮かぶくらいなら、そもそも入学二日目に遅刻したりはしない。
 いずれにせよ、傘回しのネタが尽きた時点でも、まだ三分の一ほど行程が残っていた。水知の隣では、光原が感心したように拍手を続けている。
「や、すごいなぁ雨男」
「一年三六五日、ずっと傘持ち歩いてれば自然にできるようになるもんだよ」
「んー、邪魔だからいや」
「そら残念」
 肩をすくめ、傘を持ちなおす。最後にやったのは、指先に傘をたたせるというシンプルなものだった。
「ねえ、もっと他にはないの?」
 光原嬢、傘回しがいたく気に入ったらしい。単なる暇つぶしで覚えたんだからそう種類はないのだけど、と水知は断ったのだが、光原は目を輝かせて完全に鑑賞モードにはいっている。やれやれ、と水知はひとつため息をついて、傘の握る部分に手をかけた。
「ん、例えば」
「例えば?」
 ばさっと傘を開いて光原の頭上にさしてやる。怪訝な表情を見て、水知はにやりと一笑い。いや、当人としては爽やかな微笑のつもりだったのだけれど。
「例えば――突然の雨に困惑している女の子に、傘をさしてあげたりとか」
 光原、天を見上げると、雲の浮かぶ青空はいつしか青の浮かぶ曇り空に変わっている。ぽつぽつと泣き出す雨の声。今のところ、まだ傘は不要だけれど、おそらく学校に着くころには――。
「ああなるほど、雨男」
 大きく頷いて、光原はひとり納得した。

 ところが学校に着いてみると、二人とも濡れ鼠になっていた。なんのことはない、あっという間に土砂降りと化した雨と、唸り轟く風の前に水知の傘はあまりに小さく――まして二人で使えばますます小さく、傘たる役目を果たせなかったわけだ。
 水知はハンカチで額を拭った。光原を見やると、彼女は鞄についた水滴を払い落としている。ふと目が合った。
「ねえ、もっと他にはないの?」
 水知、眼を見張って、
「いや、この状況でまだ言いますか――まあ、どうせやるつもりだったから良いけど」
 傘の柄を取り、回転をかけて地面を突く。それは誰もがやることで、屋内に入るとき傘の水滴を落とそうというだけのことだ。しかし、水知は年季が違う。一度地面を突いただけで、傘の水滴はあらかた落ちてしまった。玄関口に小さな水溜りができる。
光原は目を丸くした。
「――それ、どうやってやるわけ?」
「傘にあわせた速度で回転を加え、しかるべき高さから地面に突き立てる。それだけ。コツをつかめば誰にでもできる」
「いや、普通できないって」
「まあ練習は必要だね。コツをつかむのに十五年、どんな傘でもこなせるようになるまで三十年かかった」
「って君は高校生でしょうに」
「精神と時の部屋」
「それはちょっと古い、って言うか今日びの小学生には通じないよ?」
「ゼネレエション・ギヤツプといふやつだね」
「――いつの人?」
 とてもじゃないが、目下遅刻中の人間の会話ではないと思う。


  カツ、カツ、カツ……と靴音が響く。高校が上履きやスリッパを用意してない理由ははっきりしていて、老朽化した校舎を綺麗に保つ必要がないからだ。泥の足跡を残しながら、一組の男女が歩いていく。遅刻届を求めて、職員室へと向かっていく。入学二日目にしての遅刻、説教は免れない。――いや、ことによると呆れられるかも。さすがに愉快な気分はせず、二人の会話も途絶えがち。水知の手にはもちろん傘が握られている。この校舎には、傘立てすらない。
 休み時間を知る者には信じられないほど、授業中の校舎内は静寂だ。それもまた、会話がはずまない理由の一つ。
 窓を見れば、薄い雲から太陽の光が染み出している。ところがその雲は、信じ難いほど強烈な雨を降らせている。向こう側に見える、南校舎がかすんでいるほどだ。この北校舎三階の職員室で遅刻届を受取ったあと、南校舎四階の教室まで行かねばならない。それもまた、憂鬱の原因。
 職員室の前へ来た。
「レディ・ファーストで」
「卑怯者」
 光原はちょっと笑って、職員室の扉を叩く。
「失礼しまぁす」
 彼女ごしに扉は開いた。前の背中に続いて、水知も室内に足を踏み入れる。
 薄暗い。
 そして、コーヒーの匂い。室内の様子は、扉を開けていきなり立ちはだかっていた壁のせいで、何も見えなかった。光原にもそうだったようで、しばらく彼女は無言で立ち止まってから、
「あれ。暗いね水っち」
 といまさら言った。水知は黙っていた。わずかに空気が流動する。
「……何これ?」
 光原は目の前の壁に疑問を持ったらしい。壁を覆っている布をひっぱったり、押してみたりしているようだ。さすがに水知は忠告してみた。
「なあ、上を見てみたら? たぶん正体がわかるんじゃないか」
「上? ……おわ! え? 何? 何あれ水っち何か見てるよこっち!」
 もちろん承知している。立ちはだかっていたのは壁ではなく、常識外の体躯を誇る巨漢だった。黒いズボンに黒い学ラン。あとはシルエットなのでよくわからないが、顔のあるあたりに二つ、炎玉めいた輝きがゆれている。一応人間らしい。
 後退る光原に押されるようにして、水知は廊下に出た。巨漢もぐっと腰をかがめて扉をくぐると、水知の前に仁王立ちする。はさまれた光原はしばらく去就に迷っていたようだが、やがて水知のすぐ横に移動した。
 日のあたるところに来ると、巨漢の様子も分かった。要するに、昭和の学生みたいな格好をしているのだ。足には高足の下駄を履いていて、このせいで身長がよけいに高くなっている。背には何か太いマキを背負っていた。
 男は水知の傘を一瞥すると、手でごつい顎をなでつつ、口を開いた。
「貴様、義の心を何に懸ける」
 水知は目を瞬かせた。見かけ以上に唐突な問いだ。とりあえず、普通に返答する。
「はい?」
「失ッッ格ッッ!」
 一呼吸の間も置かず、巨漢は叫んだ。その背から黒い何かがほとばしり出る。ほとんど反射的に、水知は光原を抱きかかえ、窓際に飛んだ。
 轟音、激震。
「ひゃわあ!」
  胸の下で、光原の声。何か超重量級のものが廊下を砕いたようで、砂っぽい灰煙が辺りをつつんでいる。水知は左腕を緩めて光原を解放すると、右手に握った傘をゆっくりとおろした。ついで、倍近い長さになっていた柄を、元の長さに収納する。
「…いや、あんた何者だよ? 思わず反撃しちゃったじゃないか」
この傘はスイッチひとつで柄の部分から尖った先端が飛び出すようになっている。基本的には柄を長くするためのものだが、奇襲の武器にもなる。ので、避けようとして思わず「打ち込んで」しまったが、手ごたえがなかったことからして相手に怪我はないだろう。
 予想通り、煙が収まった後には、やはり巨漢がたたずんでいた。右手に巨大な番傘を握っている。背負っていたのはこの番傘だったのだ。
「やるな。その傘の腕は認めてやる」
 学生服姿の巨漢はそう言い、あごをなでていた手で頬に触れた。わずかに裂けた傷口が、黒っぽい血を流している。
「ただの条件反射だ。ていうか、あんたあれか、流行の学校狙い通り魔? いや、あまりにも流行って言葉から遠い外見ではあるけどさ」
「ふ……ははははは!」
 あきらかにわざとらしいタイミングで巨漢は哄笑すると、くるりとこちらに背を向けた。
「我が名はライデン! 雷電豪助!」
「…通報していいよね、これ」
傍らの光原に相談する。かくかくと、壊れた人形のような動きで答えを返してくる彼女。どうやら、かなり驚いているらしい。
そんな水知たちのやり取りを、ライデンとやらは豪快に無視してくれた。
「われが何者か?――知れたこと! 今年で16になる、貴様のクラスメイトよ!」
「んが」
 突っ込もうとして失敗し、水知は変な声を上げた。脇では光原も同じような表情をしている。今日の出来事がトラウマになるんじゃないかと、水知はちょっと心配した。
 その間に、雷電は大またで歩み去ろうとしていた。と、足を止め、振り返る。
「忘れていた。遅刻は重罪、厳罰を覚悟しておけと、担任殿の伝言じゃ。ではな」
「伝言ならもっと穏便にしてくれ……」
 粉々に飛び散ったタイルの上にたたずんで、水知はつぶやいた。
「厳罰って何なの、厳罰って……」
 やはり同じような表情で、多少は回復したらしい光原もつぶやく。二人とも、職員室に入るつもりはすでに失せていた。

 ◆

 同時刻、同学校の何処かにて。
「…そうですか、ご苦労様です」
「マスター、遂に動き出しましたね」
 断っておくが、ここは学校内である。朝にしてはやたらと暗いとか、怪しげな雰囲気がバリバリ醸し出されているのは、演出効果(暗幕)の成せる業である。
「雨宮水知…まさか、“あれ”の正等後継者がここに来るとはな」
「好都合ですね」
「いや」
 マスターと呼ばれた人物は、暫く押し黙っていたが、こう続けた。
「楽観視は出来ぬ」
「光原ハル…ですか」
「それも、ある。が――」
 言うや否や、マスターは傍に立ててあったビニール傘を掴むと、壁に向かって投げ付けた。ドガッという鈍い音と共に、傘が壁に半分以上めり込む。
「――外したか」
 驚き、立ち上がる幹部達。だが、マスターは彼等を手で制すると、
「追うまでもない」
「しかし…」
「今は、“雨衣”に構っている暇など無い。彼奴等とはいずれ決着をつけねばなるまいが…」
 間。
「…やらねばならぬことがある」
 幹部達は頷くと、気配も無くそこから消えてみせた。各々、自分の役割を果たさなければ、全てが水泡と帰してしまう。彼等がここにいる理由、そして叶えなければならない夢。全てはそのために捧げたのだから。
ランベ・リューア。夢を同じくするものが掲げた、それが彼らの組織。
「どう動くか、見ものだな」
 無論、学校は勤勉の場であるので、よい子は真似してはならない。



 一方そのころ、水知と光原は、
「雨宮水知さんと、光原ハルさんね」
 また変なのと遭遇しているのであったりする。げんなりとしてお互いに顔を見合わせる。
誰?、と尋ねる気力はとうの昔に失われてしまっていた。
 いや、その格好が凄い。まず、そのスラリとした体。男性諸君ならば誰もが目を奪われ、女性ともあれば誰もが羨むような素晴らしい3サイズの持ち主である。出るところは出て、引っ込んでいるところはしっかりと引っ込んでいて、それでいて全体のバランスが取れている。髪は烏の濡れ羽色というか、闇のように黒 く、それでいて艶があり、それをゆったりと腰の辺りまで伸ばしている。そしてさらに。性別年齢に関係なく、彼女を見た人は全て目をハートマークにしてしま うだろうという群を抜いた美貌。まさに神々しさのあまりに後光が射して来そうだと、彼女を一目でも見たことがある者は口を揃えてそう言うという。
 なのだが。
 ――何故に合羽なのだと。ブレザーでもセーラー服でもなく、河童と同じ音の、カッパなのだと。
  そう、彼女が着ているのはカッパだった。しかも、ビニール製の黒い安物だ。それどころか、フードを被っているため、さらにカッパが体のラインを消してし まっているため、顔は見えないは寸胴に見えるはで、せっかくの美貌も台無しというかドブに重しをつけて投げ捨てているようなものだった。もっとも、ぱっと 見た限りでは、はっきりとその正体が分からないといえばその通りなのだが。にしてももったいない。
「……」
「……」
目の前の人物に対して何を言うべきか、それともこれは夢なのだと信じ込むよう努力すべきか、二人は迷っていた。本当にどうすべきか分からない。と、目の前の彼女は口を開いた。
「はじめまして」
鈴が転がるような可愛らしい声。無論、二人の耳には全くといっていいほど聞こえてはいなかったのだが。彼女は続ける。
「そして――」
 言うが早いか、彼女はカッパの合わせの間に手を滑り込ませると、笑ってつぶやいた。
「さよなら」

 空気の破裂するような音が、あたりに響いた。

「――とりあえず、教訓としては」
 右手の一振りで傘を収めながら、水知はため息混じりにつぶやく。
「通学が楽だからってだけの動機で高校を選ぶのは、間違いだってことかな」
 光原はまだ現実に着いて来られていないようだ。大きな目を白黒させながら、目の前の黒合羽と、水知の傘――それに、廊下に散らばった針のようなものに視線をやっている。
「楽すぎて油断して遅刻はするし――じゃなくて。なにかな、校風が致命的なものでないかって、よく考えたらとても重要だと思う。死活問題だ」
「…なかなかやるじゃないの」
 黒合羽の声には驚愕が混じっていた。
「針乱れ投げとどっちがすごいかっていったら、微妙だと思うけど」
 彼女が合羽の中から取り出したのは、裁縫に使うような針を一回りも二回りも大きくしたようなもの――それの束だった。一瞬後、一斉に投擲された無数の巨大針を、水知は傘を開く風圧で全て吹き飛ばした。
「み、水っち! 足!」
 我に返った光原が悲鳴を上げた。水知の制服のズボン、その脛あたりから、ありえないものが生えていた。鈍く光るそれは、水知の右足を貫いているように見える。
 水知は言う。
「…飾りさ。最初からついてたよ?」
「え、そうだっけ? 意外と斬新なデザインだね」
「ほら、私立だから」
「あー」
 朗らかに笑いあう二人。
「――違うでしょう!?」
 黒合羽が苛立った声を上げた。その右手には、再び針が握られている。
 光原の顔が強張る。
水知は煩わしそうに視線を向ける。
「現実逃避したい気持ちはわかるけれど、もう少し正確に今の状況を把握したらどうかしら? あなたの傘さばきが尋常じゃないのはわかったけれど、それでもその娘をかばいながらでわたしに敵うほどなのかしら? しかも、右足を負傷している」
 注意が自分に向いたのに満足したのか、嬉しそうに黒合羽は言った。
「状況――状況、か。遅刻の手続きに職員室に向かったところ、やたらでかい自称クラスメートに襲われたが彼は実は伝言係で、まあようやく開放されたと思ったら、今度は謎の合羽女に襲われました、と――」
 ごくごく冷静に状況らしきものを述べてみて、水知はなんだか泣きたくなった。あまりにも現実味がない。しかし残念ながら、右足が訴える痛みはどうつくろっても現実のそれだった。
「…一応言っておくけれど、奇術研究会に入りたいのなら実力を見せるべき相手は僕らではないよ。とりあえず冷静になって放課後まで待って、それで改めて部室を訪れるといい。まあ君のその技をもってしてならばまず間違いなく合格だろう。ただ、この高校に奇術研があるかどうかは知らないけれど」
「何を言ってるの? あなた馬鹿?」
「穏便に事態が収まるパターンがほかに思いつかなかったんだようるさいな」
 水知としても言ってみただけだったので、黒合羽の冷静なつっこみは不本意だった。
 色々と諦めて、水知はため息をついた。
「はぁ…まったく、ホントにこんなことが起こるなんてさ」
 小さくつぶやいた言葉は、黒合羽には届いていなかっただろう。だが、光原には聞こえていたらしい。小さく驚いたのが気配でわかる。
「水っち、わかってたの? もしかして日々暗殺者に狙われてるとか?」
「…まさか、違うって。僕は一介の高校生だし、誰がこんなこと想像できるのさ」
 自嘲気味に笑い――水知は、傘を構えた。
「あら、やる気みたいね。面白いじゃないの」
 そのセリフを言い終わるや否や、黒合羽は再び針を投擲してきた。
「遅いよ」
 再び響く破裂音――続いて金属の落下する音。
 今度こそすべての針を吹き飛ばして、水知はにやりと笑った。
「不意打ちでなきゃ、そんなの当たらないさ――」
「知ってるわ」
 声は、目の前から聞こえた――黒合羽は、一瞬で間合いを詰めてきていた。その右手に、細い板のような武器を持って。
「――っ!」
 先の投擲は単なる目くらましだと気づき、舌打ちする間もなく、閉じた傘を構えた。光原が小さく悲鳴を上げた。
 構えた傘に衝撃を感じ、水知の右足が激痛を訴える。それでも、受けきったと思った水知の左肩口が裂けた。
「うあ、なんだ…?」
 再び間合いを取った黒合羽が持っていた板のようなものは、針をいくつもつなぎ合わせたような武器だった。水知は頭の冷静なところで、マシンガンの弾があんな風な感じだったな、なんて思っていた。
「雨霧・戎。鞭のようにしなるこの武器から逃れるすべは無いわよ?」
 勝ち誇ったような声で、黒合羽が言う。
「くそ、次から次へと、びっくり攻撃ばっかり仕掛けてきやがって…。ホントに奇術研入ったらどうだよ?」
「あら、まだそんな生意気な口が利けるのね。まったく、礼儀ってものが無いわ。大体私、二年生よ先輩なのよ? ネクタイの色が違うでしょ?」
『見えねえよ!』
 水知と光原は、異口同音に叫んだ。
「はあ、まあ、いいわ」
 飽きた、といった感じで黒合羽が言う。
「そろそろ授業終わっちゃうし、終わらせることにするわ」
「あ、そういえば授業中だったっけ…」
「教室棟にすら行けてないんだけど、まだ」
 光原が思い出したようにつぶやき、水知が苦笑しながら言う。
「残念ねえ。あなたたち、教室にすら行くことは無いわよ」
 いやな感じに笑いながら、黒合羽は雨霧なんとかを構える。
「やれやれ。…光原さん、ちょっと下がっててな。ていうかまあ、逃げていいや。いい加減ホントに終わらせないとまずい。痛いし」
 唐突にそんなこと言われ、戸惑う光原をよそに、水知は再び傘を構えた。
「それじゃ、さよなら」
 先に動いたのは黒合羽だった。三メートルはあった間合いを一度の踏み込みで縮めると、雨霧を縦に振り下ろした。
 金属の激しくぶつかる音が、廊下一帯に響く。必殺の気合を持って放たれた一撃は、しかし水知の傘によってはじき返されていた。
「どれだけしなろうと、切っ先さえ受け止められれば怖くは無いってことだね。もう少し長いと厳しいけど」
 軽い声で水知は言う。
「そんな、無茶区茶よ――!」
「もっとも、そりゃ切っ先のほうが斬撃は“重い”んだけどねー」
 吐き捨てるような台詞とともに一瞬動きを止めた黒合羽だったが、すぐに二撃、三撃を放ってきた。
 二撃目を同じようにはじき返した水知は、横凪ぎの三撃目に対し、突くと同時に傘を広げた。これは一瞬視界が悪くなるのが欠点なのだが、確実に当たると思える状況ならば問題は無い。
「――くっ!」
 風圧を受け、よろめく黒合羽。すかさず、水知は傘を閉じて構えなおした。
先ほど構えとは違い、右手に持った傘を地面にほぼ水平に構え、左手を傘に添えている。切っ先は黒合羽に狙いを定めており、明らかに突きを狙っている構えだった。
「“それじゃ、さよなら”」
 空を斬る音が駆け抜ける。回転を加えられた高速の突きはしかるべき位置に収まり、結果として黒合羽の体は吹き飛ばされた。
「雨宮流・散水――ま、弱めにしたし、死にはしないさ」
 水知は言葉をかけたその先には、切り裂かれた“黒合羽”――そしてその中から、制服を着た女子生徒の姿がのぞいていた。しかも美人だ。その上、それでも威力が強すぎたのか、制服まで破れてはいた。
「………ぅぁ」
 思わず顔を赤くして見とれる水知の頭に、ばこんと衝撃。
「…保健室から、応急セットもらってきたんだけど。いらないみたい?」
 振り返ると光原が、なんだかすごい笑顔で水知を睨んでいた。
 そこで、授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。
「あー…、厳罰が――」
 思わずため息を突き、気が抜けたと同時に、水知の意識は急激に沈んでいった。


 水知はぱちりとまぶたを開けた。目に飛び込んできたのは白い天井――ではなく、それよりやや手前にある巨大な顔だった。とっさに状況がつかめずに、目線を下げ、高ゲタを確認する。それから再び、そろそろと目を上げる。長大な距離を泳いだ目が、再び巨大な顔に止まる。
「うわっ、雷電豪介!」
 雷電は眉をひそめる。明らかに機嫌を害した様子だ。
「うぬ、人を呼びつけにするとは無礼な。怪我人でなくばただではすまぬところだぞ」
 怪我人、という言葉に水知の記憶がよみがえる。確か黒合羽の女との戦いで――。
 うっ、とうめいて、水知は頭を抱えた。世界がぐらぐらと揺れる。
「無理はせぬほうが良いぞ。脚の傷はともかく、頭に受けた鈍器の一撃は、常人であれば死に至るほどのもの」
「……そうか、光原の救急箱による一撃が響いたのか」
「ん、なんだそれは?」
「いや、こっちの話だ。それより、状況を確認していいか」
「うむ」
「ここは保健室――だよな。時刻は四時半、ってことはもう放課後。僕が気を失ったのは一限終了のころだから、かれこれ六時間以上寝てたわけか」
 雷電はいちいちうなずく。
「結局、今日は授業に出れなかったなァ」
「明日は一日中起立して授業を受けるのだな。その程度の罰は覚悟しておけ」
 ――僕の責任じゃない。水知は泣きたくなったが、この漢に涙なぞ通じるまい。
「で、なんであんたはここにいるんだ?」
「俺は保健委員だ」
「――なるほど。で、光原さんは」
「さっきから居るんだけど」と光原の声が聞こえた。水知はあたりを見回す――すると、雷電の影に小さな――光原はそれほど小柄ではなかったはずだが――非常に小さな少女の姿が見える。光原である。
「――光原さんはなんでここに?」
「保健委員だからよ」と光原は答える。
「言い忘れていたが、貴様も保健委員だからな」と雷電が付け足す。
「…はい?」
「貴様が学級会をさぼったので、人員不足の保健委員にまわされたのだ。異議は認めぬそうなので、そのつもりでいるように、とのことだ」
「人員不足って何だよ、と言いたいところだけど、まあ異議なんか挟むつもりはないよ」
「物分りが良いな」
「人生、諦念が肝心のようだし」
「結構。では今日はもう帰っていいが、保健室教務殿が向こうにおられるので、挨拶をしておくように」
 そう言って、雷電は保健室を出て行った。


「やあ、水知君。二日目にして大暴れだったそうだね」
 保健室教務・紫電為右衛門の最初の言葉はこれだった。だが水知はまたしてもこの男の異相のために度肝を抜かれた。そもそも保健室教務というのは、優しいお 爺さんでなければ、アウトローなおねーさんだと相場が決まっている。しかしこの紫電はどちらでもなかった。容貌からは年齢をはかることができない。わずか に薄くなった頭髪、額に刻まれた皺――少なくとも三十以上には間違いないが、四十か、五十か、はたまた六十、七十なのか、まったく検討がつきかねた。さら に異様なのは、雷電よりはわずかに劣るもののかなり長身と、それと同じくらい長い身体の横幅だった。この男と廊下ですれ違うことができるだろうか。
「こっちから喧嘩をふっかけたわけじゃないです」と、水知はやっとそれだけ言った。
 紫電為右衛門は破顔一笑した。…不気味で滑稽な笑顔だ。
「ここは一見、エリート進学校――だが風紀は外見ほどヤワではないぞ。気をつけなさい。さもなければ、君も、早くも見つけた君のガールフレンドも、五体無事で卒業できんかもしれんでな」
「それ、入学案内に載せとかないと詐欺ですよ」
「あの、わたし別にガールフレンドじゃないんですけど」
「はっはっは」
 豪快に笑う保健教諭を前に、水知たちは頭を抱えた。


「やれやれ…。散々だったなぁ、しかし」
「ホントだねー」
 帰り道。街頭の明かりを頼りにして、水知たちは歩いていた。雨はすでに止んでいて、ところどころに水溜りができている。完全防水の靴をはく水知は気にしなかったが、光原は水溜りを避けるのに苦心しているようだった。自然、光原は足元を見ながらの会話になる。
「高校選び、絶対失敗したと思う…」
「あはは。あの人たちは特殊な部類のヒトだよ、きっと」
当然というか、話題は謎の男女のことに向いていた(雷電も謎に入れられている)。
「でも、水っちってすごいね。あの変な先輩、やっつけちゃったんでしょ? 強いなぁ」
 きらきらした目を向けてくる光原に、水知は苦笑を返した。
「一応、訓練はしてるからさ。…まあ、実践することになるとは、正直あんま思ってなかったけど」
「あんまってことは、少しは思ってたんだ? そういえば、さっきもなんかわかってた風だったよね?」
思いがけず、言質を取ってくる光原。参ったな、と水知はつぶやいた。
「まあ、別に隠すようなことでもないからいいんだけどさ。笑わないでよ?」
「笑わない笑わない」
 そう言いながら、すでに光原は笑顔満開ではあったけれども。
「十五の誕生日の時にさ。これ、もらったんだ」
「その傘を?」
 右手に持った傘を見る。持ち始めてからはまだ一年と経っていない、黒光りする一見普通のコウモリ傘。だが、まっすぐな握り、そこから飛び出る隠し柄、その他さまざまなギミック。この傘には、単に雨具としての役割を果たすには不要な機能が隠されている。
「仕込み傘、“雨月”。どこぞの職人に特注で作らせたんだとか、そんな話を父さんがしてたけど。なんでこんなのいるのさ、って話だよな」
 水知は自嘲気味に笑いながら言ったのだが、光原は素直に感心していた。
「へー…。仕込み傘って、刀とか出るの?」
「いや、それ銃刀法違反だから。あくまで傘は傘だよ」
「なんだ、つまんないの」
「どんな展開を期待してるのさ…」
 からからと笑う光原に、思わず水知はため息をつく。
「まあ、とにかく。なんでこんなのいるのさって、実際に父さんにも聞いたんだ。そしたら、必ず必要になるって、真剣な目で言われた。それがつまり、今日みたいなことだったのかなってさ――」
 そこまで言って、唐突に水知は光原に頭を下げた。
「――ごめん、光原。だからきっと、光原は関係なかったはずなのに、巻き込んじゃったんだ」
 突然のことに目を丸くしていた光原は、けれどすぐに微笑んだ。
「そんな、水っちが謝ることじゃないよ。わたしは怪我もなかったしさ。どっちかって言うと、楽しい高校生活が送れそうでよかったよ?」
「た、楽しいですむかなぁ…?」
 拍子抜けしたような気分で、水知は言う。
と、光原は両足をそろえ、水溜りを思いっきり踏んだ。盛大に水しぶきを上がる。
「うわ、なに?」
「ま、危なそうだったら、またそのときは守ってよ、水っち♪」
「いや、♪って…」
 光原も光原で相当変わってるな、と水知は思った。それでも、今日一日で会った変わり者たちの中で、光原だけは会えてよかったかな、なんてことも思ったりはした。

 ◆

 雨は止み空は晴れ、闇の中に半輪の月が浮かぶ。だが高校のいくつかの部屋には、なお明かりがともっている。――保健室もまた、その一つ。
 不気味な夜の保健室。座っているのは帰ったかと思われた雷電豪介と紫電為右衛門、立っているのは人体模型があるばかり。
 重苦しい沈黙。それに耐え切れず、二人は同時に口火を切った。
「叔父上」
「甥よ」
 それから、また沈黙。やがて為上衛門が口を開く。
「甥よ。……いよいよ……拮抗が崩れるときだ」
「承知しております」
「敵は早くも第六衣・雲原を繰り出してきている。さすがに水知君にはかなわなかったようだが」紫電は咳払いを一つして、続ける。「第三衣・秋水、あるいは裏雨衣の相手となれば、今の水知君には荷が重い」
「幸い、第一衣は南米、第二衣は中国へ修行に出ており、向こうの戦力は手薄な状態です。こちらも震電加奈子が不在とはいえ、俺と閃電三十郎とで雨衣を抑え、後継者・水知の身を守ることはできます」
「そうか――そうだな、大丈夫だろう。震電加奈子が帰還し、四電家の当主が揃った後、攻勢に出る。おそらくは国際傘道連盟の力を借りることとなろう」
「その日には、俺も雨衣討滅のため、全力で傘をふるいましょう」
 月が傾いていく。豪介はさすがにこの場を離れ、家へ帰っていく。時刻は夜十時、良い子は補導される時間帯だ。為右衛門はしばし黙考していたが、やがて彼も帰り支度を始めた。
 保健室が空になり、蛍光灯が消える。やがてその漆黒の闇の中で、人のつぶやく声が聞こえた。
「雷電君も気の毒に。傘連中(ランベ・リューア)の目的が、我々雨衣打倒にあるなどと思い込まされているとはね。所詮、マスターも我々と同じ穴のムジナだというのに。紫電先生も相当な食わせ物だな」
  人体模型がかたかたと動く。心霊現象――ではない。中に人が入っていたのだ。背は低く痩せ型、顔立ちは驚くほど端正だが、その顔が背丈に比べ大きすぎるため、女性ファンは少ない(およそ3.5頭身であろう)。これぞ雨衣第四衣・蜃楼。その名の通り変幻自在の術を使う、忍の末裔だ。
「しかし任務は任務だ。消えてもらうよ――紫電先生。そして雨宮君、次は僕が相手だ、楽しみにしていたまえ」
 顔だけ見れば、どんな女性も悩殺されてしまうようなスマイルを浮かべ、蜃楼は闇の中で一人笑っていた。



翌朝。
 私立天晴学園高校の、北棟三階二年甲組。つまり二年の成績上位者並びに特待生たちが選び出されたりつまみ出されたりして集う教室にて。
 朝の8時。5人ほどの暇で勤勉な学生が自習していたり仏頂面の日直が黒板を拭いていたりするのを尻目に、窓際の席で何やら沈思している少年がいた。蜃楼遥である。
 沈思というより、眠いだけなのだが。
 ぱっと見は郷愁に駆られる流浪の王子といった表情で窓の外を眺めていた蜃楼の耳に、聞きなれた声と耳慣れないセリフが飛び込んできた。
「ちょっと、そこの奇面組」
「誰が奇面組かっ!」
 思わず叫んで振り向くと、クラスメイトの少女が立っていた。ひっつめおさげに丸メガネ、英和辞典を抱いている。少女は蜃楼の剣幕にもまるで動じず、
「じゃあリアルコナン君」
 と言い直した。蜃楼は口をへの字に曲げると、椅子に座りなおし(今までは膝立ちして外を見ていたのだ)、無理やり足を組んで少女を見上げた。
「珍しいね、雲原君。まともに学校に来たのは一週間ぶりくらいじゃないか。昨日もすぐ帰ったし」
「忙しいのよ。それよりあんた、あの丸いの片付けてないじゃない。おとといあんな大見得切っといて、何やってたの?」
「ああ、あれか」
 蜃楼はうなずいた。意味もなく右手を挙げ、人差し指を左右に振る。
「だって夜だもんな。10時過ぎだぜ。眠くなるし用務員さんは門を施錠しちゃうし紫電先生はフェラーリだから追いつけないし人体模型は胃が見つからないし。帰って寝たんだけど、夜更かししたせいでまだ眠いんだよね」
 しゃべっているうちに、こちらを見下ろすメガネ越しの視線がだんだん冷えてきているのを感じて、蜃楼は口を閉じた。
 第六衣の少女は、紺色のブレザーに包まれた肩を大きく落として嘆息した。
「全く……いつまでもガキみたいな生活サイクル送ってんじゃないわよ。ただでさえコマが足りないんだから、多忙なあたしの分もあんたが――」
 視線を腰のポケットに落として、雲原は文句を中断した。軽く舌打ちしてから携帯電話を取り出す。
「何? いま学校だって。ロケ? 聞いてない。全然。木田さんは何て?」
 話しながら、雲原は蜃楼に“来てるよ”と口だけ動かし、背を向けた。
「繋がらない? マジ? バラエティはやだって言ったのに……いいよ、一時間目終わったらこっちから掛ける。あ、ケガはたいしたことないから」
 雲原の声を後ろに聞きながら、蜃楼は背伸びして外を見下ろした。見えるのはグラウンドだ。正門からぞろぞろと、生徒の列が入ってきている。目を凝らすと、雲原が知らせてきたとおり、中にターゲットの少年の姿があった。
 自分より奥にいたのによく分かったな、と思いつつ、蜃楼はバッグを漁り、雨合羽を引き出した。ぐるりと周囲に視線を走らせて、注目されていないことを確認する。
 何気ない足取りでベランダに出て、そこでも周囲を確認して――
 ひとつ短く呼気を残して、蜃楼遥は宙に躍った。


 朝。
 定刻通りに学校に来るのは何て気分がいいのだろう――と、睡眠不足でやたらとテンションが高くなってしまっている水知は、
「これで今日は遅刻しないな!」
 と、何十回目かの既にハルにとってはお決まりとなってしまったセリフを投げかけた。ハルも、最初のうちは驚きと感心を織り交ぜた真っ当な返事を返していたのだが、もうそろそろつらくなってきたのか、「そうだね」と生返事を返すのみであった。
 それから、ハルは水知の方を向いてこう言った。
「水っち、大丈夫?」
「大丈夫って? 何が? 決まってるだろ、雨は昨日に降りつくしたし、周りには同じ学校の勤勉なる生徒達がいっぱいいるし、時間はまだ8時前! 何の不安があろうか、いや、無い。反語だ!」
 空元気を振り回す水知を見て、ハルは溜息をついた。心配をかけさせまいとわざと明るく振舞っているのだろうが、それは逆効果というものだった。否が応でも目に付く彼の目の下の隈は濃く、袖口から覗く手にはいくつもの傷がこしらえられていた。
「…ともかく、授業中に寝ないように」
「自信は無い! が、努力はする!」
言いながら、水知は思った。
 そう、授業。
 楽し――くはないが、高校といえば授業だ。如何に私立といえども、授業を受けなければ進学は難しい。入学したてで本格的な授業が始まっていないとはいえ、昨日は丸ごと授業に出れていない。
 だが、今日はそんな悩みは無用だ。
 時計の針はまだ授業開始前の朝の休み時間を指してすらいないし、当然授業開始五分前に鳴る予鈴の鐘の音もまだ聞こえない。
 そして彼は今、学校の白い門を通り抜け、敷き詰められた砂利を踏みしめながら校舎へと向かって――
「水っちぃー!」
 向かって――
「あれ?」
 水知ははっと我に返り、辺りを見渡した。青い空、湧き上がる白い雲。そして遠くにそびえる白亜の校舎――
「って何で俺、グラウンドに?」
 そこは、私立『天晴(アマハレ)』高校が誇る、野球児から熱血先生まで御用達の、巨大グラウンド(水はけバッチリ)の、しかもド真ん中であった。そこにぽつねんと、水知は自分が突っ立っているのに気付いたのである。
「もぉ~、どぉしたのよぉー!!」
言いながら駆け寄って来るハルを見て、
「来るなッ!」
水知は叫んだ。ハルは足を止め、「え? え?」と不思議そうに辺りをきょろきょろと見回している。
  一瞬、水知の視界を黒いものが横切ったのが辛うじて判った。あれにこんなところまで運ばれてしまったらしい。それも気付かぬうちに。いや、昨日から一睡もしていない上に動き詰めで体中は痛いわ眠いわアクビは出るわ涙で視界がにじむわで、一輪車に載せられてガタガタと野路を走られたとしても気付かなかったかもしれないことに対しては全く弁明の余地は無いのだけれども。
 だが昨日の夜に、写真でしか見たことが無い自分のひいじいちゃん(生きてることすら知らなかった)がわざわざ自宅を訪ねて来て、有無を言わさずに傘の特訓を始めた以上、やはり何かあるとは思ってはいたのだ(無論、徹夜したのはそのためだった)。
 嫌な予感はしてたんだ――と、水知は諦めたようにため息をついて、傘を構えた。避けられるに越したことは無い。
「で? 俺に何の用? 言っとくけど、俺は一般的な学業に励む男子学生であって決して有名人でも何でもな――」
   シュ ン
 挨拶代わりの一撃を傘を広げて防ぎながら、水知は叫んだ。
「だからぁ! 俺は恨まれるようなことは何もしてないって!!」
「知らずとも良いことはある」
 黒い影は像を残しながら水知の周りを飛び交っている。そして言った。
「そしてその方が幸せだ」
「黒合羽に襲われて死ねとか言われるのが幸せ? ふざけるなよっていうかさっきからちょこまかと、堂々と姿を現して名を名乗れ!…それから逃げるから」
 ふん、とひとつ鼻を鳴らし、影は動きを止めた。
「このような何も知らぬものに頼らればならぬほど落ちぶれるとは哀れだな。いいだろう、どの道始末すれば同じこと」
女性のハートを鷲掴みにして放さないようなセクシーヴォイスで、『それ』はそうのたまった。
「我が名は第四衣・黒合羽『空蝉』だ」
 間。
 間。
 間。
 え、なにこの人? 寝てないからってこんなもの見てんのかな俺――by.水知。
 そして。
「ふっ、驚いて声も出ないようだな」
(え? 喋った!? ハイスクール奇面組!? それともリアルコナン君? それともSD? そうか夢か、きっとウトウトしてるんだ俺、早く目覚めないと!)
  そこにいたのは、黒合羽を着たギャグ体型の――おそらく、いや、きっと――人間だった。人語を理解する高性能三頭身ロボという考えもあるが、現段階のテク ノロジーではそれはまず無理だろうということで。水知は、おそらくはこの相手は人間だろうという結論に至った。すなわち、三頭身人間。しかもアンバランスに超美形。
 水知が口をパクパクさせているのを勘違いしてか、それは前髪を麗しく掻き揚げ――ようとして失敗した。手が短くて届いていないのだ。ともかく、その黒合羽は言った。
「悪いが、君には消えてもらおう。出来れば自主的にお願いしたいと言いたいところなんだが、どうもそうはいかなくてね――」
   バキッ
「な!?」
「もっとも、君もそうするつもりはないようだけれども」
 黒合羽は、見かけによらず素早い反応で、水知の一撃を片腕で止めた。しかも怪力だ。ピクリとも傘が動かない。
「放せ黒合羽三頭身」
「黒合羽『空蝉』だ。それは困る。せっかく君の“唯一”の武器をこうして掴んでいるんだ、はいどうぞと返すわけが無い」
それはもっともだな、と水知が頭の片隅で思いながらスイッチに手をかけると同時に、
「甘い」
声がして、水知の手に激痛が走った。思わず手を開きそうになり、水知はとっさにもう片方の手で傘を掴み直した。

 昨日の夜(もしくは今日の夜明け前)に現れた、ひいじいちゃんの声が蘇る――よいか水知――曾祖父は言った。
 ――明日からお前の学校生活は今までとは一変するだろう――と。
いや、もう昨日からなってたけど。とはいえ、水知はそんなことは口に出さず、ただ黙って床に突っ伏していた。体中痛くて動けなかったし。曾祖父はそんな瀕死の曾孫を無視して非情にも続ける。
 ――生き残りたくば、傘を極めよ。決して手放す出ないぞ。さもなくば――
 まぁ、アレだ。ここで『お前は死ぬ』とか言われれば、格闘漫画の見すぎだと祖父を心の中で一笑することも出来ただろう。だが、曾孫である水知が聞いたのは、それよりもずっとずっと恐ろしい言葉だった。
 ――責任を取り、男らしく自決して果てよ――

「傘で死ねるかぁ!!」
 叫び、水知は力の限り傘を跳ね上げた。驚いたように、三頭身は手を放して距離をとる。
「…成る程、戦い馴れしていないとはいえ、さすがは血筋だな。こちらも全力でいかせてもらおうか」
言うが早いか、黒合羽の姿が消える。
「消えた?――うわ!!」
思わず警戒態勢を解いていた水知の手に、再び衝撃が走った。しかも今度のは手で抑えきれるようなものではない。くるくると放物線を描いて傘は飛んで行き、遠巻きに戦いを見守っていたハルの数メートル後ろに深々と突き刺さった。
「!」
 考えるよりも早く、水知は走った。今のは敵が身を隠しながら何らかの攻撃で武器である傘を弾いたのだとか、あれがよく忍者が使ってくる分身の術なのだろうかとか、考える余裕は無かった。
 死んでたまるか!
 それが、今の水知の全てだった。
「ぬうおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
「え? あ…」
 鬼のような形相で自分の方へと突っ込んでくる水知に大いに驚きつつ、ハルもまた事態を悟った。
(この傘!?)
 普通の傘のようにも見えるが、仕込み傘だと言う話は昨日聞いていた。同時に水知唯一の武器で、それがここに刺さっているということは、水知はピンチだということだろう。
(た、助けなきゃ…!)
彼女は地面に斜め45度でさながら封印の剣のように刺さっている傘に手をかけた。伝説の剣ならばともかく、傘ならば抜けないことは無いだろう。
「水っち! 後ろ!!」
 水知の後ろに黒っぽい影がちらりと見えた。慌てて彼がフェイントをかけるのが見える。ハルは言った。
「大丈夫、待ってて今抜くから!」
 もう何が何やら分からなかったが、ともかく傘は抜かねば、とハルは体を斜めにして全体重を傘にかけた。特注というだけはあって、ハルの全体重をかけても折れる心配はなさそうだった。
 ところがその瞬間。
   ザシュザシュ ザシュ
 嫌な音がしたので、ハルは目を開いた。するとそこにまた信じられない光景が広がっていた。
 傘 in 針の檻。
  ほんの一瞬の間に、傘を掴んでいたハルに掠り傷一つ付けることなく、何処かで見たことがあるような巨大な針が、傘の柄や骨を押さえて動けなくしてしまった のだ。傘にも傷がついていないところがステキなところなのだが、ともかく傘が針に囲まれて余計に抜けなくなっていたのは事実。
 もういや、と投げ出さなかったのが彼女の偉いところだろう。というかその前に、投げ出せるほど冷静になれなかったのかもしれない。
 ハルは今度は目標を変え、傘を囲むように刺さっている太い針状の物体を抜き始めた。

 よくやった、と黒合羽『空蝉』こと蜃楼は心の中で呟いた。負け犬ではすまないという負けん気か、もしくは手芸部部長の意地か、いずれにせよ第六衣・黒合羽『月針』を名乗るだけはある。助かったというまでもないが、戦局が有利に働いたことは認めるべきだろう。
(ナイス雲原!)
 今の攻撃に気付いたところで、相手方に何も出来ないのは明白だった。予鈴前の教室の窓辺には一般の生徒もたむろしているし、何よりも雲原の姿は戦闘時と通常 時で全く異なっている。たとえ先日の戦いで顔を見られていたとしても、あの眼鏡っ娘があの『月針』だとは思いもよるまい。
「勝負あったな!」
 蜃楼は傘に駆け寄ろうとする水知の前に立ちはだかった。
「く・・・」
「ふっ、予備の武器も持たない君に、勝ち目は無いのだよ」
 如何に実力が優れようとも、雨衣とランベ・リューアの決定的な違いがここにあった。
 雨衣は『防具』である黒合羽を破られれば戦闘不能となるが、ランベ・リューアにはリタイアという言葉は無い。
 反面、ランベ・リューアには『武器』である傘を失えば戦えなくなるという欠点がある。無論、雨衣は武器を豊富に所有しており、幾つか失っても全く勝負に支障は無いのだ。
 ということは、今この状態で水知が勝利するには、蜃楼の黒合羽を引き剥がすしかない。
 だが、蜃楼には勝機があった。『空蝉』と呼ばれる所以でもある卓越したスピード。これを見破ることが出来るのは、ランベ・リューアのマスター『嵩宮蛟丸 (かさみや みずちまる)』や、『紫電為右衛門』ぐらいのものであろう。ランベ・リューア四天王でもまず無理だという自信があった。
 要するに、将来有望な戦士であろうとも、戦い馴れしていないこの状況で負ける気はしないのだ。
 しかも頼みの綱である傘は、雲原の『飛耀針』によって完全に封じられている。女学生一人の力で抜くことが出来るような代物ではない。
「さて…念仏を唱える時間ぐらいは差し上げてもいいが、どうする?」
 にっこりと、蜃楼はとろけるような笑顔で、優雅に、そしてアンバランスに、笑った。

 絶体絶命とはこういうことなんだな、と水知は思った。絶体絶命なんて言葉は、ゲームぐらいのものだよと思っていた頃が懐かしい。
 文字通り、体が絶え、命が絶える。まさしく、そんな状況だ。
 思えば儚い命だった。
 幼稚園、小学校、中学校と平穏に進学し、高校は親に進められたのもあって進学校の「天晴高校」に入った。入試も簡単ではなかったから勉強もしたし、ようやく合格通知が来たときには信じられない気持ちと嬉しい気持ちで大喜びした思い出がある。
 それから入学式で先輩の激励の言葉の時に先輩が噛んで失笑が起こったり。
 入学生の言葉の時に今度は入学生代表がセリフをポカして大爆笑されたり。
 それから一緒のクラスになった光原ハルと偶然仲良くなったり。思い出にするには惜しすぎることだ。
 そしてそして、せっかく彼女と仲良くなったかと思いきや、ガタイのデカイ同級生に一括されたり、遅刻したけど授業に出ようと思ったら謎の黒合羽の女生徒 (しかも先輩)に襲われて撃退したけど怪我をして保健室に運ばれたり、気を失ってる間にいつの間にか保健委員にされていたり、ついでに厳罰が増えたり。俺のせいじゃないのに。
 ああそうだ、厳罰。
 さすがに死んだら厳罰も受けられないなー、っていうか厳罰って何だろう? 一時間廊下でバケツ持って立ってるのとか? 後ろで立って授業とか言ってた気もするな。まさか空気椅子で授業しろとか?
 最後の思い出が、よりによって、『厳罰』――そんな男子高校生はそうはいまい。
(僕の人生って…)
 まじめに、泣きたくなってきた。

 と、水知の命が風前の灯という、通常では有り得ないようなことだが現実に起こっているので仕方が無いことが起こっているその時。
「させないよ」
声がした。水知が怪訝な顔付きになる。
「誰だ」
慌てず落ち着いたまま、蜃楼は振り返った。微妙に聞き覚えのある声だ。
まさか――と思っていると、そこにいたのは、予想通りの人物だった。
 スラリとした長身は身長170cm強。その指先一本一本まで洗練された優雅な立ち振る舞いに、蜃楼に負けず劣らず整った端正な顔。見事な八頭身に、学校指定の黒い男子用学生服に身を包んでいる。が、
(大正時代!?)
 そう水知が思うほど、その学生服はいかにも大正風だった。学校指定の学生服の上に、白いマントを羽織っているのだ。男らしいというよりは中性的な雰囲気を醸し出しているその人物は、だが、蜃楼の良く知る人物だった。もっとも、それは親しいと同義ではない。
「…久しぶりだな、雲原豪姫」
 蜃楼は嫌味を込め、わざと相手の本名を言ってやった。ふん、と相手は鼻を鳴らしてから口を開く。
「自らは本名を明かさぬくせに、相手の本名は言うんだな、『空蝉』」
 くっ、と蜃楼は唇を噛んだ。
 雲原ゴウキ。
 あの第六衣『月針』こと雲原勇姫(くもはら ゆうき)の双子にして、ランベ・リューア四天王の一角を担っている。通称『パラソレイユ』。奇術研究会の部長だ。
「ならば、パラソレイユの方がいいかな? それとも、奇術研の部長とでも?」
「お好きにどうぞ」
 言いながら、相手はさり気無く蜃楼と水知の間に割って入った。
「何しに来た?」
「学生が学校に来るのは当たり前だろう?」
 そうだよなぁ、と水知は心の中で頷いた。完全に置いていかれている感じだが、今下手に動くと大変な気もしていた。
「それに…妹が来ているのに兄である僕が来ないのはおかしいだろう? 可愛い妹の勇姫に君みたいな虫がつくのは耐えられない。寧ろ一緒にいると思うだけで嫌だね。勇姫に相応しい男なら僕を倒してその実力を示してもらいたい」
(兄バカ!?)
 思わず、水知の口があんぐりと開いた。遥か後方で、ハルが同じく呆れているのが感じられた。ここまで言い切るのはすごい。
「相変わらずのシスコンぶりだな」
「そりゃあ双子だから当たり前だろう」
(関係無いと思う!!)
「だからクラスが別になったんだろうよ」
「構わないよ。毎日家で会ってるんだから…まぁ、最近は忙しくてお互いに学校に来れないしね。皆と違って学校じゃないと勇姫に会えないわけじゃないし、まぁ寂しくないといえばウソになるけれど」
「だったらもう来ないでもらおうか」
   バシッ
「そうはいかない」
 水知が驚くよりも早く、ゴウキの手に一本の傘が現れていた。その白い傘で見事に相手の一撃を止めている。
「な…!?」
「驚いたかい? 防がれるなんて、君らしくも無い」
 ふわりと傘を回転させながら、ゴウキは笑った。
「虚を付いての一撃なら予測出来るんだよ。何処を狙うのかも、いつ狙うのかもね」
 言って、乙女の瞳をハートマークに変えてしまいそうな笑顔でゴウキはピッと姿勢を正した。
「ランベ・リューア『パラソレイユ』、伊達に四天王を名乗っているわけじゃないよ」
 息をつく暇も無く、蜃楼はゴウキに撃ちかかった。が、やはり鉄壁の守りを誇るパラソレイユには効果は無かった。
「ちっ、次から次へと…」
 変幻自在、そして消失自在の傘の守りはゴウキにしか出来ない。さすがは奇術研部長だ。
「どうした? さっきまでの威勢が無いじゃあないか」
 右手から青い傘を出したかと思えば左手から黄色い傘を出し、両方消えたかと思えば青と黄色の二色傘が現れる。マジックとしても超一流の腕前だが、それを守りに使うところが何とも言いようが無い。
 だが、弱点はある。
 蜃楼はふっと溜息をついた。まさかゴウキ相手に弱点を突く戦いを強いられるとは思いもよらなかった。
「! 後ろ!」
 立ち尽くしたままの水知が叫ぶと同時に、黒い影がゴウキの後ろに舞った。
「マジシャンは背後を取られれば負けだよな! もらったぞ!」
   バスッ
「聞いてなかったのか? 虚を付いての一撃なら予測出来ると言っただろう?」
 だが蜃楼の一撃は、またもや突如として現れた赤い傘に防がれていた。しかもゴウキの真正面だ。
「しまった! 体を…」
「そう、回転させた。悪いけど…僕はもう以前の僕じゃあないよ。部長だからね」
 笑顔のままゴウキはそう言うと、ぽーんと赤い傘を放り投げた。と同時にその影からもう一本赤い傘が現れる。
「そして、これで形勢逆転だ」
 ゴウキは新たな傘を肩にかけて構えた。投げられた方の傘はふわっとそのまま水知のところまで飛んで行き、見事に彼の手に収まった。
 二対一。
「さあ、どうする? 『空蝉』?」
 答えは決まっている。いかに第四衣といえども、四天王と水知を同時に相手をするのは分が悪過ぎた。
「……」
 蜃楼は音も立てずに、消えた。
「豪姫(ごうき)! この借りは必ず返すからな!」
 風に乗って、そんな声が聞こえてきた。
 同時に、
   キーンコーン カーンコーン…
 予鈴が、鳴り響いた。
「返せるものなら返してみろ。今度遭ったら本名言うぞ、このSD黒合羽」
 憮然としてそう返すと、ゴウキは、さて、と水知の方を振り返った。その横には、ようやく針の檻から開放された“雨月”を持ったハルがあっけに取られて立ち尽くしている。
「お初にお目にかかる、雨宮君」
 思わずハルが頬を染めるのを見て、水知はムッとしながら赤い傘をゴウキに突っ返した。間近で見れば見るほど、見劣りしているのがはっきりさせられてしまう美貌の持ち主だ。
「俺達、授業があるんで」
「そうはいかないよ」
   ガッ ズルズルズル・・・・・・
 逃げる間もあればこそ。水知はこの超美形パラソラーにがっしりと首元を掴まれてしまったというかそのまま引き摺られてしまった。
「ちょ、ええ!? 授業は!? また厳罰アップ!?」
「そんなもの、学期末試験で満点を取るだけの話だろう? 今はそれどころじゃあない。マスターに――ランベ・リューアの主(マスター)『蛟丸(みずちまる)』に一刻も早く会ってもらわなければならないんだから。さ、急ぐよ」
 満点なんて無理だー!と叫びながら傘ごと連れ去られてしまった水知の姿を呆然と見送りながら、ハルは、
「何とか誤魔化しとくから! あとノートも取るから心配しないで!!」
と、声を掛けたのであった。


  色々とあきらめて、水知は大人しくゴウキのあとについて歩いていた。隙を付いて逃げだそうとは(何度も)思ったのだが、化かし合いでマジシャンに勝てる道 理もなかった。しなくていい怪我を意味なく増やして、水知は旧校舎の廊下を歩いていた。どうも、ここは部室棟になっているらしい。とはいえ、
(美術部や生物部はわかるけどさ、光学部とか黒魔術部はおかしいだろ…? うあ、今イス格闘部ってあったぞ!? 異種格闘、じゃないよな…)
 本格的に高校選択を誤ったと嘆きつつ、これから連れて行かれる場所に更なる戦慄を覚える水知だ。なんとなく、傘を握り締めて警戒態勢をとってしまう。
「――さ、入りたまえ。ここがランベ・リューアの拠点だ。粗相のないようにな」
 階段を二階ほど上った階の一番奥、その部屋の扉を指し示すゴウキ。恐る恐る、水知は掲げられた札を読む。
『天文研究会』
(…意外と普通ですね?)
「…なにをしている?」
 拍子抜けというかあっけに取られた水知を見かねて、ゴウキは水知を扉の奥へ蹴り入れた。
「――って、なにすんですか!?」
「マスター、お連れしました。雨宮水知本人です。こんなですが」
 慇懃に礼をしながら、ゴウキは言った。水知の抗議には耳も貸さない。
「ていうか、人を無理やり連れてきておいて言うセリフですか、それ…」
 ホコリを払いながら、水知は立ち上がった。そして、気づく。
(暗い、ぞ…?)
 天文部の部室は真っ暗だった。元が教室である以上、窓がないということはないはずなのだが、そこには寸分の光もない。背後の扉の隙間から、わずかな光が漏れるのみだ。ゴウキは、部屋の奥の闇に向かって話しかけている。
「…うむ。よくやった、ゴウキ。下がってくれていい」
「は? しかし――」
「いいのだ。少し二人で話がしたい」
「…わかりました」
 一礼して、ゴウキは消えた。扉の開いた音がしないあたりが恐ろしい。
 真っ暗な空間に、水知と“マスター”のみが残される。いや、この状況ならば何人潜んでいてもおかしくはない。話の流れからして、ここは水知にとっての敵陣ではないはずだが、警戒を解けるような状況でもなかった。
「そう、気張らんでもよい。傘を持つ手が、震えているぞ?」
(――! なんで、そんなの見える…?)
 自分の手元すら、水知には見えていないのだ。
「そう、驚くな…。天文部というのは、そういうものだよ。夜目が利くのだ」
(んなわけあるかってば…!)
 声に出して突っこむ余裕もなく、水知はただ冷や汗を流した。この状況は、絶対に、危ない。なにかある。悲しいことに、ここ最近の悪い予感は、的中率120パーセントだ――要するに、予想よりも2割り増しで悪い結末ばかりに迎えられている。
「まあ、よい。とにかく――見極めさせてもらうぞ」
「――っ!?」
 突然、暗闇の教室に光が差した。思わず目を覆うと、一瞬後に、そこは宇宙になっていた。
(天文部だから、で済む光景じゃないぞ…!?)
 足の下の床の感触すら疑うような光景が、目の前に広がっている。足元――の、さらに下には地球があり、後ろには火星、木星、土星…、と続いている。
 そして、水知の目の前。輝く太陽を背にして、一人の男が立っていた。中肉中背・銀縁眼鏡で、額に雷傷もなければ横幅もでかくないし、まして三頭身でもない。ある意味今までで一番安心できる風貌だ――ここまでは。
 異様なのは、天晴高校の制服の上に陣羽織のようなものを着ていて、両の手に30センチ定規くらいの折り畳み傘を持っていることだ。
「構えよ」
 威圧感を伴った声が、空間に響く。それでも水知は、一番慣れた構えを反射的に取った。
(ち――、やっぱりこうなるのかよ…!?)
 確実に今までの誰よりも強い、そんな気迫をびりびりと感じながら、水知は内心で舌打ちした。
「嵩宮蛟丸、参る――!」
 言うや否や、蛟丸が踏み込んできた。
 二刀流が相手とあっては、水知は防戦に回るわけには行かなかった。手数で確実に押し切られる。
「この――!」
 間合いを詰めすぎるのを覚悟して、水知は一歩を強く踏み出した。ギリギリの間合いで、突き上げるように傘を繰り出す。狙うのは、相手の傘だ。どちらかでもすっ飛ばしてしまえば、こちらが断然有利になる。
「ふ…っ!」
「く!?」
 重い手ごたえがして、水知の傘が止められた。蛟丸は、短い折り畳み一本で、水知の傘を受けとめていた。
「隙だらけだぞ」
 柄を引っかけるようにして持ったもう一方の傘を、蛟丸は横に薙ぐ。
 受け止められた傘に体重をかけ、水知はそれをすれすれのところでかわす――
(“引っかけるように”…? ――だめだ!)
 避けたと思った瞬間、折り畳み傘が伸びた。倍近いリーチになったその一撃をかわせるはずもなく、水知は衝撃を感じた。一瞬後、見えない壁にたたきつけられる。
「これが、嵩宮流の真髄だ――が、さすがに気づいたか。ダメージを最小限に抑えたようだな」
「うるっさいよ、このやろ…」
  リーチが長くなったとはいえ、傘は傘だ。鈍器に変わりないため、打撃の内側に入り込んでしまえば、たいしたダメージはない。だがそれでも、その一撃は折り たたみ傘には似合わない重さではあった。吹っ飛んだのは半分はわざとだったが、壁にぶつかってしまったのは計算外の威力のせいだった。
「では、もう一度行くぞ」
 いつの間にか、両方の傘の柄が伸びていた。引っかけるような持ち方は変わらない。そこから繰り出される、遠心力を伴った打撃の脅威は、今さっき知ったところだ。
「ふん…、伸びるんなら、こっちだって負けちゃいないさ」
 奇襲は通じない――水知はそう感じて、隠された柄を伸ばした。豪介のときは打ち込んで使ったが、本来は傘を槍のように使うためのものだった。
「……!」
 水知が“傘”を構えたとたん、蛟丸の表情が厳しいものに変わった。先ほどにも増して、強い気迫を感じる。
「この理不尽な展開への怒り、悪いけどあんたに向けさせてもらうからな…!」
 かつてカツアゲにきた不良たちを一掃するときに威力を発揮した、必殺の構えをとる水知。傘先を斜め下に、伸びた柄の中ほどを左手で持ち、柄の先端に右手を添えている。
「そんなもの――懐に踏み込めば!」
 蛟丸が踏み込む。その踏み込みの勢いで、小宇宙が震える。水知との間合いが、一瞬でなくなる。
「――ぁぁあああっ!」
 短く一歩を踏む。そして最初と同じように、蛟丸の傘に合わせ、水知は傘先を振り上げた。ガキンという音とともに、やはり重い手ごたえを感じる。だが――
「ぬ…!?」
「同じことをすると、思うなよ――!」
 左手を支点にして、てこの原理で傘を大きく跳ね上げる。そのままの勢いで傘を頭上で旋回させながら、左足を軸に体全体を回転させる。
「この――っ、“秋雨払い”!」
 生み出された暴風が荒れ狂い、蛟丸を吹っ飛ばした。
「はあ、はあ…。これ、疲れるんだからな…!」
 とどめを狙って、水知は追撃をかけようとする――だが、意思に反してその足は動かなかった。
「…な、に……?」
 遅れてきた鈍い痛みに顔をゆがめ、水知はガクリとひざを付いた。その視線の先で、蛟丸がムクリと起き上がる。受身を取っていたようで、たいしたダメージもない様子だ。
「五撃入れた。まだまだ、隙だらけだな」
「うわ、なんですか、そりゃ…」
「――だが、それで止まると思った」
「…え?」
「最後まで技を出し切り、しかもこの威力。…見事です」
 ばさりという衣擦れの音がして、水知の周り、惑星と星に囲まれた世界に切れ目が入った。そこから、白い光が差し込んできている。
「………まさか、暗幕?――と、スクリーン? いや、無理あるだろ…?」
 呆然とする水知、そこに蛟丸が歩み寄ってきた。
「やはり、あなたは正統後継者のようですね。試すような真似をして、申し訳ありませんでした。お許しください」
 唐突に丁寧なしゃべり方になると、蛟丸はひざまずき、頭を下げた。
「……は?」
 水知はといえば、困惑するばかりではあった。

(続く)
 



 

  さりげなく矛盾する点とか出てきてたんで、まとめて修正しました。つきましては、水知・ハルの帰宅シーンが追加されてるんで、木組の人はできれば読んでおいてください。設定とかは掲示板に上げておきますが。
 それと、これに更新はしないでください。穗永さんの続きか更新されてるほうに続けていく、という方向で。(黒)
 

最終更新:2013年06月12日 21:24