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キノコ勇者・10~

2005年04月30日(土) 17時57分-木組

 

どうやって説明しようだとか、そもそも信じてもらえるのだろうかとか、そんなことは食事を始めたらすっかり忘れてしまった。強制リンゴ・ダイエットをさせられていた身体は、久しぶりのまともな食事を前にして、その摂取のためにかつてない力を発揮したのだ。
 がつがつがつがつ。
 同じ食卓を囲むシャンピニオンとトリュフォーの目が、なんだかいつもと違うことにプルは気づいていない。
「おー。なんかー、プルが初めてかっけえーなー」
「…いや、かっこいいか? 野生に戻ってるぞ?」
「あうあうあうあ」
「しかも、なんか涙流してるし。食いながら泣くなよ」
「オラも負けねぇべよー!」
「うわ!? てめえ、食べかすを飛ばすな! 対抗してんじゃねえ!」
「ああ、プルがあんなに元気に…」
「こっちでも泣いてるし! いや、あんま感動的なシーンじゃねえだろ!?」
「あんなの、わたしの知ってるプルじゃないわ…」
「あんたもかよ!? いや、気持ちはわかるが…」
「んぐんぐんぐんぐぬうあ」
「んらー!」
「あーもー、落ち着いて食え!」
 やたら風通しのよくなった家に、トリュフォーの怒鳴り声が響いた。
 そんな、朝の風景。

◆(穂永秋琴)

「結局のところ」と、トリュフォーはひとりごちた。「私の考えは、甘かったというわけだな」
 日はすでに東を去り、南へ達しようとしていた。トリュフォーと、プルと、シャンプの目の前には、漫画的に積み上げられた皿が重層の塔となってそびえている。食いながらでも話はできる――わけはなかった。久しぶりの(まともな)食事を前に人格が変貌してしまったプルアロータスには、味覚だけしか残っておらず、視覚聴覚ほかの全ての感覚は麻痺してしまっていた。話などできなかった。
 それでもようやくこの頃、プルのフォークの動きがゆるやかになってきた。トリュフォーは希望を見出した。プルはその皿を平らげると、ようやく「ふう~」と嘆息し、「ごちそうさまでした」と幸福感に溢れた声を出し、そのまま――。
「寝るんじゃねぇ!」
 戦士の力量で投げつけられたフォークは、あやまたずプルの額をはっしと撃った。柄のほうだったから良かったものの、叉のほうだったら傷は頭蓋に達しただろう。と言っても、プルにとってはいずれでも変わらないだろうが。
 余談は措いて、「あう!」とプルが悲鳴を上げた。
「あうじゃねぇ。わざわざ飯を食い終わるまで待ってやったんだ。さあ話せ。さあさあさあ」
「えっとぉ~……なんのことでしやうか?」
「とぼけるなよ。どうやって燃え盛る祭祀殿から、司祭を背負って無傷で脱出できたか……最初にそう聞いただろうが」
「あぃ~?」
 あんまり腹が立ったから、手にあったナイフを眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。――とは、後でこの時のことを語ったトリュフォーの談である。
「酒を飲んだわけじゃねえだろう。酔っ払いのふりをするな!」
 額を抑え、涙目になって自分を見るプルに、やむなくトリュフォーは続けて問うた。
「どうやって火を消した? 魔法でも使ったのか、それとも――」
 ――この少年相手ならば、いきなり本題へ切り込んだほうが良いだろう。
「それとも、聖魔剣リシーサの力か」

 不幸な人間が最も強く望んでいることは何か。幸福、と答える人は人間観察が足りない。さらなる不幸、と答えるのはごく一部の被虐趣味者だけだ。正解は、「愚痴を言うこと」。
 プルは尋ねられた。
 プルは語った。
 プルは語り続けた。
 プルはとうとうと語り続けた。
 プルは千言万語を尽くして語り続けた。
 日はすでに南を去り、西の果てへと向かっている。しかしトリュフォーは、プルの主観的とはいえ細に入り微に入った話のために、ことの経緯をはっきりと理解したのだった。
「オメェ……苦労したなぁ……」
 同情に満ちた言葉を貰って、プルは涙が溢れてくるのを感じた。
「しかしすまねぇが、まだ随分の間、苦労してもらわにゃならん」
 泣く子も黙る。
「王城へ来な。友達も、剣もつれてだ。有無は言わせねぇ」

◆12(木塚百川)

 本当に、有も無もいわせてくれなかった。
 夜が明けたとたん、戦士を自称する全身鎧男はプルとシャンピニオンを引っ立て、村を出立してしまったのである。両親は起きておらず、ただ早くから起きだして水を汲みにいっていた姉が、大慌てで弁当を持たせてくれた。
 しかし……なんで自分やシャンプを王城に連れて行こうとするのだろう?
 半分寝ているシャンピニオンの手を引っぱりながら、プルは戦士の後ろを歩いている。頭に浮かぶ疑問は、すべて目の前の鎧戦士に関するものばかりだ。
 名前はトリュフォーだと教えてくれたが、それだけだ。何をしている人なのか、何をしに来た人なのか。自分たちをどうするつもりなのか。――どんな人物なのかは、多少わかったような気がするが。
 ゆるやかな下り坂を、3人は歩いていく。両側は木々が茂っているものの、もう森の中ではない。よく整備された、街道である。まあたまに木の根が道を横切っていたりするけれども。
 街道は静かだった。もちろん、雀だの烏だのは鳴いているし、靴が土を踏む音も聞こえる。でも、他にある音といえば、戦士の立てる金属音くらいか。
 プルの数歩前を歩む幅の広い背中は、鈍く光る甲冑に鎧われており、革のベルトで槍がくくりつけられている。左腕には丸い盾、腰には大振りな短剣。頭から爪先まで武装したその姿は、どうみてもただの戦士ではない。兜をかぶり、面頬を下ろし、その表情は陰になっていて分からない。 
 ようするに恐いのだ。おかげで、これまで浮かんだ疑問の数々は、なかなか言葉にすることができなかった。
 一方のトリュフォーのほうは、彼は彼で考え事をしていた。
 村の火災で遭遇した獣たちのことだ。うちの一頭が、明らかに奇妙だった。頚骨を粉砕されてなお生きていたのだ、奇妙という表現では穏当すぎるかもしれない。
 まさか仕留めそこねたということはない。現に首はねじまがり、口からは血を流していたではないか。間違いなく息の根は止めた。なのに死ななかったということは――
「魔道か……?」
 呟きはフェイスガードにさえぎられ、こぼれることはなかった。

 トリュフォーら一行は街道を北進しているのだが、彼らからほんの半時間ぶんほど先行した街道上に、別の一行の姿があった。鎧戦士と少年と帯剣した少年という取り合わせも珍しいが、こちらはその上を行っている。5人連れなのだが、2人が獣人、1人が巨漢、1人が通常体型の男で、最後の1人は少女だった。しかも一番偉そうに見えるのが、その少女なのだ。
 少女以外の4人は、『常闇の終末団』という秘密結社の構成員だった。
『常闇の終末団』。選りすぐられた少数の精鋭から成り、それでいて活動範囲は国際的。ある時は国家元首や大首長たちの傍らに音もなく現れ、いくつかの要求を告げて去る。従わなかった権力者は、翌日死体となって発見される。またある時は富裕な商人の倉庫から一夜にして財宝を奪い去り、さらにある時は深窓の姫君を鮮やかに掠め去る。誰もが彼らの存在を知っているが、誰もその所在は知らない。その名は畏怖の代名詞なのだ。
 とまあ、『常闇の終末団』は、そういう組織を目指しておととい結成されたばかりであった。
 それがまさか結成初日、最初の標的に返り討ちに遭おうとは……。
「く、くそ。何かが間違っているとしか思えん」
 首領になって3日目の男は、思わず声に出してつぶやいた。するとすぐに頭上から、「莫迦め。間違っておるのは、貴様らの了見であろ」と、少女の声。
「い、いやあ。嫌だなあ、聞こえてました? これはとんだお耳汚しを」
 振り向いてへらへら笑ってみせる男に、少女は続けて、
「輿が傾いておる」
「はいはいただいま……こらレッドブル、しゃがんで歩け。お前はただでさえでかいんだから」
 隣の巨漢の右足を、左足で蹴っ飛ばす。蹴られた巨漢レッドブルは腰をかがめつつ、泣き声で、
「兄貴ぃ。おれ、もう我慢の限界だぁ。いつまでミコシなんか担いで歩かにゃならねえんだよぉ」
「……言うな。これも試練だ。野望のために一時雌伏しているだけなのだ。だいたい俺は兄貴じゃない、ブラックフィクサーだ。そう呼べと言っただろ、確かおとといくらいに」
 首領は言って、左肩に乗っている丸太を担ぎなおした。もう2日も担いだまま歩いているので、食い込んでいてかなり痛い。
 レッドブルは納得しなかったらしい。ちらちら輿上の少女に目を走らせつつ、
「なあ兄貴、こないだは油断してやられたけど、あんなガキ、不意を突けばなんとでもなるんじゃねえか?」
「フィクサーだっちゅうに。しかし……ガキ相手に不意打ちというのはアレだが、考えてみるべきか……」
 首領は唇を噛んだ。そもそも、相手を子供とみて襲いかかったあげく強烈な魔法の一撃でのされ、『何でもする。何でもしますから見逃して。あ、そうだ、旅をしておいでですか。でしたら御輿を作りますから、担がせてください』などと頼み込んだのは自分なのだが、それは無視だ。
「あの~」
 振り向いて、恐る恐る首領はお伺いを立てた。
「ちょっと休ませてほしいというか、休憩なんかさせてくれたら幸甚これに勝るはありませんのですが」
 少女は輿にすえつけられた椅子に座り、足を組んで頬杖などついていたが、
「勝手にするがよい」
 トパーズ色の瞳をつまらなそうに細めると、言い捨てた。
 輿を街道脇に下ろし、自分たちは木陰に集まって、『常闇の終末団』は4つの額をつきあわせ、相談を始めた。ブラックフィクサー、レッドブル、ブルーシャーク、イエローパンサーをそれぞれ自称する変な4人組は、できるだけ雑談を装いながら、少女を抹殺する手段を講じた。ときどき少女のほうに目をやったが、少女は椅子に座ったまま、面白くもなさそうに空の鳥を目で追っている。
「とにかくだ、あの赤い髪のガキをぶっ殺さにゃ、おれたちの自由はねえんだ」
 レッドブルの意見に、反論はなかった。4人は襲撃の手はずを打ち合わせ、固く握手して、立ち上がった。
 休憩は30分ほどで終わった。トリュフォーら一行が少女の一行と遭遇するまで、あと5分ほど。そして『常闇の終末団』が名前どおりの末路を辿るのも、ちょうどそのくらい経ったころである。


◆13(藤枝)

 男たるもの――と、プルの父は言った。守るべきもののために戦うのが務め、と。
 その守るべきものは人によって様々だ。父にとっては、自分の妻や子供、つまり家族だった。
 そして、戦い方も人それぞれだ。父にとっての戦いは、家族を養い、共に生きること。
 だとすれば、今自分の目の前にいる二人はとても男らしいと言えるだろう。今の彼らには、守るべきものと、戦いがあるのだから。
 だが、である。
 だがしかし。
「・・・ちょっとやりすぎなんじゃあ・・・」
 プルは目の前で気絶して口から泡を吹いている『盗賊ども』に、同情を禁じえることは出来なかった。

 相手が悪かった――その一言で片がつくのであれば、まさにそうなのだろう。『常闇の終末団』の不幸は、ともあれ全てこの少女から始まったのである。
「・・・それが結論か」
 輿の上で、少女は如何にもくだらないといった口調で呟いた。
「言より武で解決とは愚かしい限りよ」
「何とでも言いやがれ! このクソガキ!! どの道もうテメエは死ぬんだからな!!」
 余裕綽々で、リーダであるブラックフィクサーは己の策の成功の喜びを噛み締めた。その手には剣が握られ、その切っ先は少女の喉元に突きつけられている。しかも残る三人も、己の得物を少女の周囲全方向から突き出していた。
 策略とはこうだった。まず、少女を油断させるために食事の準備が出来たと偽り、少女が輿を降りようとした瞬間に武器で身動きを封じる。卑怯も何も、それぐらいしか勝ち目が見出せなかったのだ。だが思ったよりも計略はうまくいき、こうして少女を刃で取り囲むことが出来たのである。最早逃げ場も無い。動けばその瞬間に一突きだ。
「さあ泣き喚いて命乞いをしろ! そうすれば助けてやるかもしれんぞ?」
「いや、あとは金だな! 有り金全部出しな!」
「俺は二、三発殴らねぇと気がすまねぇな!!」
 既に勝利を確信した四人は、口々に鬱憤晴らしを叫びながら得物で少女をつついた。だが少女は全く物怖じすることもなく、
「阿呆どもめが」
と呟くのみであった。

 次なる不幸は、時間と相手であろう。
 もう少し早ければ、もしくはもう少し遅ければ、ということはよくあることだ。
「なま、トリュさ」
 ぶすっとしたまま相槌しか返さないこの鎧男トリュフォーに対して、シャンプは何の気兼ねも無く親しげに呼びかけた。
「あん?」
 背の高い無愛想な男に、見下されたかのように睨み返されれば、普通は驚くなり怖がるなりするだろう。実際、関係の無いプルの方がビクリと肩を震わせるほどの威圧感だった。だがシャンプは朗らかに、
「あれ、何だべやーな?」
と左側の森を指差した。暫し、トリュフォーは足を止める。これ幸いと、プルも、足の速い二人に追いつくために小走りになっていた足を止めた。
「・・・何にも、見えない、けど?」
 息を整えながら、プルは彼が指差す方向を見た。木が生い茂っているだけで、何も目新しいものは無い。
「あるじゃねぇか。木が」
 目を細めながら、トリュフォーがそう混ぜ返す。
「別に珍しかねぇ――」
 ふいに、言葉が止まった。
「おい、ちょっと待て、ありゃ・・・」
「ど、どうしたんです?」
「誰かいっぺ」
 言うが早いか、シャンプは驚くプルを残して森の方へと飛び込んだ。続いてトリュフォーが後を追う。
「え? え? え、え、え?」
 プルは何が何やら分からないが、こんなところではぐれては大変と慌ててその後ろに従った。だがそこは森ではなく、すぐ隣にあった山道であった。自分達が歩いてきた獣道よりも、多少は整備されていてずっと歩きやすそうな道。
 と、そこで目にしたものは――

「テメェらそこで何してやがるッ!!」
 トリュフォーは、開口一番そう叫んだ。あまりにも大声で叫んだので、隠れていた獣や鳥達が慌ててばさばさと移動するほどであった。ともかく、彼は怒り心頭といった様子で目の前にいる『盗賊ども』を睨み付けた。
 幼女相手に、大の男が四人がかりで武器を突き付けている――傍から見た場合、どちらが被害者に見えるかは言うまでも無いことだった。せめて彼女が、子供でなければ。だが、それは言っても仕方が無いことだ。
 トリュフォーは叫んだ。
「ガキ相手に大の大人四人がかりかよ!?」
 『常闇の終末団』が驚きから立ち直るよりも早く、彼は槍を構えていた。卑怯は彼の嫌うところ、ましてやそれが子供相手となれば怒りは収まらない。
「オメェら、そこ離れッ!」
 一方のシャンプも、剣こそ構えてはいなかったものの、素手で熊を倒すその一撃をいつでも繰り出せる構えで立っていた。
「なっ、アンタら、一体何やってんだよ!!」
 無論、プルも例外ではなかった。力も何も持たないものの、彼にも信念はある。それは子供相手に武器を振り回すことを良しとしない信念である。
「そこの君、動いちゃダメだよ! 大丈夫、すぐ助けるから!!」
 もっとも、プルが言うまでも無く、『常闇の終末団』の注意はほぼ全て彼ら三人組に集まっていたので、少女が動こうが動くまいがいきなり刺される状況ではなくなったことは確かである。
「んなッ、何だお前らはッ!!」
 ここで、『常闇の終末団』はどうすべきだったか。
 全ての元凶はこの少女なのだと弁明すれば、多少は彼らの感情も和らいだだろうか。否、それは言っても誰も信じはしないだろう。第一、何故そんな状況下に陥ったかについて言えば、非は彼らのほうにある。
 では逃げるのはどうか。それは足の速さにもよるが、慌てて逃げ出せばとりあえず痛い目を見ずにすんだのではないだろうか。つまり、これが最良だったと思われる。
 だが、彼らが採ったのは最も悪い方法だった。それは、
「邪魔するなら容赦しねぇぞ!!」
と言って、武器を手にそのまま怒り狂う鎧の戦士に襲い掛かるというものであった。

 プルは、鎧戦士に槍で殴られ、少年の大剣でどつかれ、息も絶え絶えで横たわっている『盗賊ども』に向かって祈りの印を結んだ。大口を叩いた割には手も足も出ずに瞬殺された彼らに、かける言葉が見付からない。
「え、と・・・とにかく、もう大丈夫だから。うん、ちょっと、その、怖いかもしれないけど・・・」
 プルは、ともかく自分の後ろに庇っていた少女に笑いかけた。この惨事を見て、恐怖のあまり泣き出すのではないかと思ったのだが、その少女は平然とした顔付きで自分を襲った輩の成れの果てを見ていた。
「えーと、君、何処から来たの?」
「知らぬ」
 即答され、プルは笑顔のまま固まった。幼い子供の声に似つかわしくない、威厳溢れる口調、と言うか生意気な言い方である。聞き間違いかと、プルがもう一度口を開こうとした瞬間、
「っはっはぁ!! 油断しやがったな!!」
 いつの間にか背後に忍び寄っていたらしい残党が、プルの喉元に短刀を突きつけていた。
「プルっち!」
「プルーア!」
 戦闘担当の戦士と少年が同時に振り返る。
「おっと動くなよ!? 『常闇の終末団』ブラックフィクサーを怒らせちまった罪、命で償ってもらおうか!! とくればそうだな、武器を捨てろ!!」
「卑怯だぞ!!」
 言いながらトリュフォーは顔をしかめた。少女を取り巻く暴漢どもを一掃し、プルが彼女を連れて距離をとっていたのが仇となった形だ。飛び込むには少々、遠過ぎる。
「何とでも言え!! さあこの男の命が惜しくば武器を捨てろ!!」
「んの、とっとめ――」
「やめとけ、シャンプ」
 今にも駆け出しそうなシャンプを制し、トリュフォーは無言で槍を手にしたまま腰を下ろした。こずるい悪党ほど、こういった局面になると何をしでかすか分かったものではないのだ。だとすれば、武器を置いたふりをして相手の隙をうかがうしかない。一方のシャンプはというと、悔しそうな顔をしてドサッと武器を放り投げた。場慣れしているわけではなさそうだ、とトリュフォーは思ったが、ともかく視線を聞いたことも無い盗賊団の男に戻した。
「いいか、動くなよ!」
 ブラックフィクサーは強気にそう宣言しつつ、プルの首を抱えたままじりじりと前進した。武器さえなければ何とかなるだろうというわけだ。
 だが。
「誰ぞ忘れておらぬか?」
 地獄の使者の声がした。そう、真の敵は乱入してきた三人組ではなく、この悪魔のような少女なのだ。うっかりとはいえ、それを忘れ去っていたことでブラックフィクサーの勝機は粉々に打ち砕かれて消滅した。
「ま、待て待てこれを見ろ! こっちには人質がいるんだぞ!!」
 慌てて振り返り、脇に抱えた少年プルを盾にする。あまりにも勢いよく動いたので、プルは半回転した状態で首を絞められる格好となってしまった。短刀はといえば、今や全く無意味な方向へと突き出されている。
「ぐえ・・・」
「こいつがどうなっても――」
「構わぬ」
 少女は冷酷にそう言い切ると、
「どうせ赤の他人じゃ。お主の好きにせよ」
笑った。プルが必死になって目で訴えたが、少女はころころとおかしそうに笑いながら顔をトリュフォーとシャンプの方へと向けた。
「もっとも、そなたらにとってはそうもゆかぬようじゃが・・・それはわらわの介さぬところ。かようなことに首を突っ込むほうが悪いのじゃよ」
「んなっ!? お、お前に人の心ってのは――」
 思わずブラックフィクサーがそう叫んだが、答えはそっけないものだった。
「無い」
 少女は閉じていた右手を開いた。背を向けた相手に向かってトリュフォーが駆け出すよりも早く、火の玉が宙を舞った。
 魔術だ。しかも――“詠唱無し”の。
 トリュフォーが思わず足を止めた横を、シャンプが勢いよく走り抜けた。
「プルっち、危ねいよ!! 当たってまぅも!!」
「ふん。誰に向かって口を利いておる」
 少女が軽く指を動かすと、火の玉はまるで生きているかのように飛び回って、背を向けて猛スピードで走り去るブラックフィクサーを直撃した。と同時に火の玉は勢いよく爆ぜ、一瞬にして彼を炎で包み込んだ。
「ぎゃあああ!! 熱い熱いっ!! た、た助けて・・・」
「ふ、命を奪おうとした相手に命乞いか。そんなものをこのわらわが受け入れるとでも――」
「ダメだぁッ!!」
 叫びながら、シャンプは少女の正面に立つと彼女の肩を押さえた。
「何であれ命を無駄に奪うちゅーはよかねっこつだっも!! そん、オメェの気は済むかいよ!? だってもそれは許さんね!!」
 シャンプが早口でそうまくし立てるのを少女はうるさそうに聞いていたが、
「のけ」
とだけ呟くと、火の玉を出したとき同様に上空に水を出現させると、まるで滝のように降り注がせて消火した。まるで自らの意思ひとつで全てを動かせるのだと言わんばかりに。そしてあたかもそれが、当たり前であるかのように振舞っている。
 だがトリュフォーは、気付いていた。彼らの中で最も戦い慣れしており、なおかつ魔道についての知識を有するからこそ、気付くことが出来た。
 彼女の、いや、今この世界に起こりつつある、異変に。

「・・・てか、『常闇の終末団』、でしたっけ? 傷、治してやらなくても良かったんじゃないです?」
「ん? ああ、まぁ・・・これで懲りたろうと思ってな」
 あの後、トリュフォーはとりあえずもう二度と目の前に現れないという条件付きで、彼らの傷を簡単な治癒魔法で治したのだ。その真意をプルが聞いてみると、彼は、
「ま、それに少々やりすぎたかという気もしたしよ。それにあの程度の輩はとっ捕まえたところで一銭もなりやしねぇよ・・・ってどうした? 私の顔に何かついてんのか?」
「いや・・・意外とトリュフォーさんて優しいなー、って」
「んなわけねぇだろ。気持ち悪ぃ」
と言って彼はプルに背中を向けると、それから、と言葉を継いで振り返った。
「私に向かってですます調で喋んじゃねぇよ。あと、さん付けもやめろ。私がオメェのこと呼び捨てにしてんのに、丁寧に返す必要はねぇだろ」
「そんなもんですか?」
「そんなもんだ」
 とりあえず、無愛想で怖い一直の人だというわけではなさそうだとプルが少しほっとしていると同時に、一方の少女は、
「・・・これで満足であろ?」
と目の前に座っているシャンプに向かって皮肉を言った。自分を襲った『常闇の終末団』とかいうのが無事と知って不満そうに口元を歪めている。が、
「ん! オメェ、優しな」
彼はというと、嫌味を言われたことも気付かずに少女に向かってにっこりと笑いかけていた。そんな彼を見て、少女は頭を振りながら、わざとらしく笑顔を作ると、
「そもそも、わらわは助けを求めてなどおらぬ。あの程度ならばわらわ一人で片せたものを、頼みもせぬのにわらわを助けたふりをされとうないわ」
「けんどれ、オラが助けてぇ思たからそーしたまでんこつよめ。気にすんないや」
「・・・言葉の裏を読めぬ奴じゃな」
 少女はあまりにも邪気の無いシャンプの顔を一瞥すると、ハッキリとした口調で言った。
「わらわが言いたいのは、お主らが邪魔だった、ということじゃ。もう一度言おうか、お主らは、邪魔以外の何ものでもないわ」
「知っとぉよ。だども体が勝手に動いちめーのめ。仕方あんめー」
 あっけらかんとそう返すシャンプに、少女は一瞬あっけにとられたが、
「お主、莫迦じゃろ」
と呟いて溜息をついた。

 マッタンゴー王国は、世界屈指の巨大都市らしい。らしい、というのは、プルにとっての世界はランプテロミス村の近辺だけであり、都市といえば今自分達が向かっている『ムーランの町』だけだからだ。だからトリュフォーが言うように、夜でも街道が明るくて人が溢れているとか、数え切れないほど様々な商品を売っている店が立ち並んでいるとか、都市の反対側まで行くのに一日以上かかるときもあるとか、そんなことは信じられないのである。
 トリュフォーが言うのはおそらく本当なのだろう、何故ならば彼は実際にそこに何度も行ったことがあるというのだから。本物を目で見て、都市の感じに触れているのだから間違いはない。
 だとすれば楽しみではある。一生に一度でもそんな都市に入る機会は訪れないだろう。何といっても――何も威張ることでもないし、実を言うとかなりショックだったのだが――プルの村は地図に載っていないのだから。
 問題はその遠さだ。季節が一巡するほどまで遠くはない、とトリュフォーは言っていたが、逆を言えば季節が変わりかねないほど遠いということだ。一体、次に村に帰れるのはいつになることやら。
 ただ、そういった中心の方の都市は辺鄙な地と違って交通も便利で、それと魔法とかいうものによって移動を短縮出来たりもするらしい。それに期待したいところだ。

 そもそも魔法は何なのかと、唯一そういう知識を有しているトリュフォーに尋ねたところ、
「――ともかく、魔法、魔術、魔道、全て名称は違うが根源は同じ、そして用途が別だ。要はこの世界にある大いなる力を借りて様々な奇跡を起こす力だと思え。己の思い描いたものを現実となすものだ。簡単に言っちまえばな」
と言われた。十回ほど同じ質問を繰り返したので、詳しい説明を諦めたとみえる。
「傷を癒し、自身に利をもたらすものが魔法だ。私が使えるのはこれだな。そしてそのチビ――」
「ルスラじゃ」
「――ルスラが使えるのが、おそらくは魔術だ。相手を傷付け、不利にする。あの火の玉や水もそうだろう。で、魔道ってのが禁忌の領域。具現化させた力、つまりは精霊だとか魔人だとかだな、そういったのを使役したり、相手を操ったり、己を怪物と化したり――様々だ。かつての『魔衆』や『アマニタ』が好んで使ったと言われるが、その強大すぎる力は時としてコントロールが効かねぇとかいう噂だ。暴走するんだと。ま、今となっちゃ誰も見たことはねぇだろうがな」
 ここで、どうやったら魔法を使えるのかとプルが七度目ぐらいになる質問をしたので、
「才能だ。見たところ、お前はかなり努力しねぇと無理だな」
というあいまいな答えが返ってきた。最初はもっと細かい説明だったのが、既に面倒になったらしい。
「だが一つだけ言えるのは、どれも『詠唱』が必要だってことだ。呪文を詠むことによって、人間は魔の力を使えるようになる。中には・・・ったく説明しづれぇんだが・・・詠唱無しにする方法もあるっちゃあるがな。回復魔法、補助魔法、低級魔術、もともと呪文が短いのが主だな。呪文を暗記して心に留め置けば・・・って言っていいんだか・・・ともかく、面倒な手順を踏めばそういったことも可能になる。私も二、三そういったのがあるからな。するとここで気になるのが――」
「わらわのこと、であろ?」
 地図から視線を上げないまま、先程助けた少女ルスラはさらりと言ってのけた。
「話し振りからするに、わらわが火球を操ったり水を降らせたりすることは異質とみえる」
「そうなるな」
 トリュフォーは腕組みをしたまま暫し黙っていたが、
「だが何故かは分からない」
「そうじゃ」
 ルスラは事も無げにそう返した。
「何も覚えてないから?」
 プルが続いて尋ねるも、
「覚えておらぬし、思い出せぬ。事によっては忘れたのやも知れぬな」
 彼女の答えは変わらなかった。

 彼女によれば、今に至る全ての記憶が無いのだという。特に気にも留めなかった、というのが凄いのだが、過去も、出身地も、目的も、そして己の名前も覚えてないのだと。
 つまりは記憶喪失なのだと。
「じゃによって、魔術云々の仕様が如何と言われても皆目見当もつかぬ」
「けど名前は――」
「あ、それオラが言ったんも。いー名じゃめー? むかすのスゲー人の名っぺんよ」
「うむ、良き名じゃな。気に入っておるよ」
 地図で地名を見ればもしかしたら出身地が分かるかもしれないと、トリュフォーが渡した地図の上を指であちらこちらへなぞりながら、ルスラは悲しみの全くこもらない声で、
「別にお主らが気に病むことでもなかろ」
と言った。暫く沈黙が続いたが、シャンプが明るい声でこう笑った。
「でぇじょーぶだぁ、きっと見付かんよべ。オラたちがついとぉもんよ! 一緒に行けば良かんべ」
「あ、そうだよ一緒に行ばいいんだ! ひょっとしたら旅してる途中に見付かるかも!」
「わらわは――」
 ルスラは驚いて顔を上げたが、プルはルスラの言葉も耳に入っていないらしく、
「トリューも・・・?」
「いいんじゃねぇの。けどその分食い扶持が増えるぞ」
「平気平気! 何とかなるって」
「待てい。わらわは断るぞ。お主らのような能天気な輩と一緒とあっては――」
「じゃー決ぃまりよな! よろしゅうなん」
「・・・」
 この後、一人で行くよりみんなで行く方が楽しいじゃないかという結論が出るまで散々言い合い、ルスラが折れた。普通は一緒に行こうと提案する方が折れるべきなのだが、子供を残して行くのは心配だという思いが強くあり、それに押し切られる形でルスラが諦めることとなった。
「このお人好しの莫迦どもが。どうなっても知らぬぞ」
 ルスラはそう言い捨てると、もう一度地図をなぞる作業に戻った。とりあえず今夜から料理は四人分作らなきゃね、という声と笑い声が頭に振ってくる。
 思わず溜息が漏れる。
 記憶が無いのは不安ではない。
 だが――記憶が失われてなお、彼女には一つの思いが残っていた。
 それは、『自分は一人であるべき』という決意じみたもの。それでも、今は――
「言っても、聞かぬであろ」
 そう呟いて、ルスラは見覚えの無い地名が並ぶ地図から、顔を上げた。

「・・・・・・ともかく、王都へ向かう」
 結論は、それだった。
「目的は、ひとまずは三賢者の一人エメティカの手掛かりを得るため、だな。プルーアとシャンプにとっちゃあ探し人。でもって、ルスラには記憶の手掛かりとなるかもしれない存在だからな」
「捨て置けと言っておるに――」
 ルスラがそう呟くと、聞き逃さなかったシャンプが、
「それ言わんめー。な?」
また、あの笑顔である。ルスラも苦笑しながら、
「阿呆らしくて言う気も失せるわ」
の一言で済ませる。
「で、トリュフォー、お主は何のために王都へ向かう」
「・・・言えねぇな。機が来れば話す――かもな」
 興味津々といった風に喜ぶプルを制するために、トリュフォーは意地悪く最後の言葉を付け足した。
「ま、目的は違えど行き先は同じだ。そうと決まればもう行くぞ。出来れば今日中に、ムーランの町に着きてぇからな」
 それを聞いて勢いよく立ち上がったのがシャンプ、それからあからさまに嫌な顔をしたのがプルである。そんな彼らを見て、「徒歩か」と呟いて頭を振ったのがルスラ。返事を待たずに歩き始めたのがトリュフォー。
 こうして、奇妙な剣の縁に囚われながら、旅は続く。
 王都までの道のりは、まだまだ果てしなく遠い。


<おまけと見せかけて実は長い会話文>
「あーあ、ショックだなぁ・・・村が載ってないなんて」
 プルは割と新しそうな地図を隅々まで見渡してから、がっくりと肩を落とした。
「そんな辺境なんだ・・・ムーランの町が端っこに点のように見えるけど・・・」
「まぁ、西の方は森ばっかりだから、あんま整備が進んでないんだろ。王都はずっと東、でもって少し北だ」
「こん、でっけぇ真ん中のヤツだぺか?」
「ふん、世界の中心に国を描くとはな。大した威信だ」
「そこは詳しく書かれてるのになー・・・川までくっきりと」
「そんなものじゃろて。所詮、目の届く範囲しか分からぬのだからな。ということは、この地図は王都で書かれたものか」
「地図地図~」
 トリュフォーの肩に、ずっしりと三人分の重みが加わった。後ろから地図を覗こうとしているらしいのだが――
「重いんだよ! 広げるからどきやがれ!!」
 地図がそんなに珍しいのか、とトリュフォーは思いながら地図を伸ばした。
「でもこうして見ると世界って広いんだって感じがしない? 誰かこの街を全部みた人がいるのかなー、なんて」
「おるやもしれぬな」
「何とか都・ま・つ・た・ん・ご・棒」
「王都だよ、王都。しかもそれ『マツタンゴ棒』じゃなくて『マッタンゴー』だから。あれ? ルスラどうかした?」
「・・・いや、何でもない。にしても、一大帝国じゃと思ってな。さぞや歴史ある国なのじゃろう」
「歴史、ねぇ・・・あんまり考えたこと無いな。よくお父さんがさ、ムーランの町に出稼ぎに言ったお土産に古い本とか買ってきてくれて読むんだけど、あの英雄譚って本当の話?」
「大体はな。私もよく読むが、あれはいいぜ」
「ほーう。なかなかに面白そうじゃな」
「その本に載ってた地名を探そうと思ってるんだけど、見付からないなーと」
「そんな昔の地名が載っておるわけ無かろうよ」
「ムーラン、ムーラン、どっこかや~・・・西は――」
「地図の上が北、右が東、だから王都よりずーっと左にぽつんと。これじゃない?」
「いや、名前が無いから別の町やも。トリュフォー、これが最新の地図なのかえ?」
「・・・ああ」
「? トリュー、どうかした?」
「でぇじょぶけ?」
 暫くの間。
「オメェら、知らねぇのか」
「知らぬ!」
「いや、ルスラはともかく・・・何を?」
「・・・ルスラ」
「ん? 何ぞしたのか、神妙な顔付きをしおって」
「・・・お前の故郷、は・・・」
「どこぞには、あるじゃろうな。そりゃ」
「・・・だな」
 また暫くの間。
「トリュさ、何か――」
「あー、何でもねぇ。もう行くぞ。こんな場所で地図なんて見なくても、さっさと町に着いて、それからじっくり見りゃいいだろ」
 言うが早いか、トリュフォーは地図にかじりつく三人を無視して地図を引っこ抜いた。
「あっ、地図・・・」
「まだわらわが見ておったのに・・・」
「め・ら・の・何とか何とか、地方?」
 三人が恨み言を言うよりも早く、トリュフォーは地図を畳んで歩き出す。
「おい、歩かねぇなら置いてくぞ!」
「もう少しゆっくり歩いて欲しいんですけど!」
「男なら我慢しやがれ!」
「わらわは女じゃ! しかも子供じゃぞ!?」
「喋れるなら元気じゃねぇか。シャンプなんか私よりも早いぞ」
「ぽぽぽわぽー」
「ってこら、道が違う! そっちじゃねぇぞシャンプ!!」
「ぎゃあー!! この状況で走るんですか!! ありえねー!!」
「うーむ・・・やはり一人のほうが良かったのやも・・・」
 結局、この日はムーランの町まで走りました。もう、足が動きません――by.プルアロータス。


◆14(黒)

 ムーランの町につくころにはもう日も暮れていて、「ふん、意外と近かったな」とのたまったトリュフォーと、それに同意した他二名を人間じゃないとプルアロータスは確信するにいたった。彼には宿屋を探す体力も残っていない。
「…なさけないのう、おぬし」
「………ぁぅ」
 呆れたような――というか呆れ百パーセントなルスラの言葉に反論する気力も、もちろんない。
「それにしても――なんだか、やけに静かじゃないか?」
「夜は静かなもんだっけー」
 トリュフォーは怪訝そうにそういうが、シャンピニオンは全然気にしていないようだった。
「しかしな…地図にも載らないような辺境とは違って、まあここだって十分辺境なんだが一応は地図にある“町”なんだぞ? 真夜中ってわけじゃあないんだ」
「ふむ…確かにそうじゃな」
 トリュフォーに同意したルスラが、あたりを見渡す。
 四人がいるのは、町にはいってすぐの広場だ。こういう場所の周りには商店が並んでいるのが常で、ここムーランの町も例外ではなかった。規模は小さいが、一通りの店はそろっている。
 問題なのは、そのいずれもが閉まっているということだった。なにせ、明かりが灯っていない。
「宿屋まで、というのは少しばかり妙だの…」
「だろう?」
「ふむ――おいプル」
「…はひ?」
「悪いんだが、休息は延期だな。少し町中を見て歩くぞ」
 もちろん、プルには抗議の声を上げる余力も残ってはいなかった。

 ◆15(秋琴)

「だげんど、なんでみんな閉じこもってるのかわがんねべ」
「うむ、賊や獣の気配もないしの」
「そもそも住民がいなくなってしまったのか、いるのに閉じこもってるのか、それも分からんな」
 三人はすでに広場を抜け、町の端まで達していたが、店舗も民家も、明かりが灯っている場所は全くなかった。寂寞とした町にかかる半輪の月の光が、かえって不気味さを増している。
「さて……これからどうすんべ?」
 シャンプの問いに、トリュフォーが答えた。
「一旦戻って、宿屋のドアを叩いてみるべきだろう」
「返事がなかったら、野宿すんのかや?」
「わらわは厭じゃ」とにべもなくルスラが言う。
「厭ったってな……」とトリュフォーが困惑する。
「ドアを壊して勝手に休めばよかろ。主がいないなら、文句を言う者もあるまいて」
「野宿なら、プルも文句を言うべ」
 シャンプがそう言うと、はっとしてトリュフォーはあたりを見回して、少し驚いた表情を浮かべた。
「プルアロータスはどこに行った?」
 これを聞いて、シャンプも唖然とした表情を浮かべる。ルスラが言う。
「疲れておるようじゃったからの。どこぞで座って休んでおるのであろ。道なりに戻っていけば拾えるじゃろう」
「……とにかく戻るか」
 ところが入り口の広場まで戻っても、プルの姿はなかった。
「あいつ、手間をかけさせやがって」とトリュフォーは苛立つ。「誘拐されたりしてなきゃいいが……」
「捜しに行くべ」
「おう。私は町の北のほうを捜してみる。シャンプ、お前は東だ。ルスラは……」
「わらわは行かぬ。面倒じゃからな」
 ベンチに据えられたその腰を動かすのは、百人の力でも不可能だったろう。
「いや、しかしお前一人置いて行くわけにはいかねぇから」
「賊も獣もいないのじゃから、問題はあるまい。もし何かあっても、小僧と違って自分の身は自分で守れるわ。幸い今夜はそれほど冷え込まないようじゃし、ここで待っておるよ」
 無理に納得した表情でトリュフォーは引き下がると、シャンプに合図して町の空虚の中を駆けて行く。舗装した道から二人の足音が高く響く。ルスラは空を見上げた。小さなコウモリが一匹、星の海をゆっくりと渡っていた。

「いたか」
「いねえ」
 広場に戻ってきて顔を合わせたシャンプとトリュフォーの、最初の会話はこれだった。トリュフォーはさすがに疲れた表情でベンチに座りこんだ。
「……おいルスラ、ひょっとして戻ってきてねえか」
 相手を見ずにかけた言葉に、返事はなかった。今度はシャンプがあたりを見回す。その表情を見て、トリュフォーは思わず自分の額をぴしゃりと叩く。
「畜生、何をやってるんだ私は……」

◆16(百川)

 話は少しさかのぼる。
「悪いんだが、休息は延期だな。少し町中を見て歩くぞ」
 街の入り口から数十歩ほどの位置にある、小さな広場。木造平屋の小さな家屋が、いくつもぐるりとそこを囲んでいる。軒並み木戸が閉まっていて人の気配はなく、疲労困憊したプルアロータスの喉からこぼれる息遣いだけが、夜の空気をそよがせていた。
 そこに響いたのが、トリュフォーの容赦ない休息延期宣言だった。
 プルは涙目になって小刻みに首を振ったが、鎧男にも他のメンバーにも伝わらなかったらしい。男と少年、そして少女の三人は、街の奥へと通りを歩き出してしまった。金属の触れ合う音と固い土を踏む音が、だんだん遠ざかっていく。
(うう……せめて水でも)
 幸い、見回すとすぐに井戸が目に入った。よろめきつつ、プルはそこに歩み寄ったが。
 がっしりした石組みのその井戸には、がっしりした分厚い木の蓋がかぶせられ、がっしりした鎖が掛けられていた。鎖にはプルの両手サイズの巨大な錠がぶらさがっている。気が抜けて、プルは膝を折って井戸にもたれかかった。
(よく考えりゃ当然だよな。開けっ放しにしてたら誰かが落ちるかもしれないし)
 プルの村でも、持ち回りで井戸番を決めて井戸を管理していたのだ。水は諦めることにして、プルは先に行った三人を追うことにした。
 もし彼が執念深く井戸の蓋をこじ開けていれば、そこの異変に気づいたかもしれない。が、彼にはそんな力は残っていなかったし、なによりはぐれまいとする気持ちのほうが強かった。
 トリュフォーの持つ明かりが、かなり先のほうで揺れている。がちゃがちゃいう音もずいぶん小さい。プルは疲れた脚に気合を注いで、走り始めた。
 と。
 前の光が、あっという間に小さくなり、消えた。音も途絶える。プルは驚いて足を止めた。
 猛然とトリュフォーたちが走り去ったように、プルには見えた。
「え……ちょ、ちょっと?」
 反射的に追いかけようとして、プルはたたらを踏んだ。明かりがなければ走るどころではない。鞄を探って、火打ち石と松明を入れた麻袋を取り出す。実家で補充したものだ。石を打ち合わせるプルの手つきはぎこちなく(何回も指をはさんでしまった)、火花も弱々しかったが、松明に巻いた布はよく油を吸って乾いており、直に炎を燃え上がらせた。
「こういうときに魔法が使えると便利なんだけど」
 ルスラのように炎が出せれば、指を傷だらけにする必要もない。シャンプの剣だって、確か光るし。トリュフォーも魔法が使えるみたいだし、何より彼が持っているランタンは精巧な細工が施された魔法の品で、何もしなくても光るのだ。
 その三人の姿はどこにも見えない。彼らに追いつくべく、燃え盛る松明を片手にプルが足を踏み出した、そのとたん。
『べろん』
 プルの精神野に、そんな音が響いた。
 十歩ほど先の地面がまくれあがったのだ。土の地面だったはずのそれが、安っぽい敷物みたいに。
「え? な、何?」
 どんどんまくれあがる地面に足をとられ、プルは引っくり返った。手から松明がすっぽ抜けたが、それどころではない。左右を見回すと、右の家も左の家も、見える範囲でぐにゃりとゆがんでいた。まくれた地面は大きく上へ伸びていく。自分が袋の底にいるような錯覚をプルは覚えた。
「ふふん、捕まえた」
 やけに可愛らしい声が降ってきた。プルは頭上を振り仰いだが、もうそこに空はなかった。

 静まり返った街の一角。
 つい先刻までプルがしりもちをついていたはずの場所に、今は別の人物が立っている。
 少女だった。背はプルよりも低いが、手も足も細く体も華奢なため、ひょろ長い印象がある。首、両手首、腹部、両足首のそれぞれにぼんやりと光る玉飾りをつけているので、明かりがなくてもその容姿はよく分かる。
 巨大な鍔付帽子の下にある丸い瞳は、自らの放つ光を映して輝いている。帽子からあふれ出た髪が肩をすべり、華奢なそれを夜気から守るように包み込んでいる。裾の広がったドレスを纏ったその姿は、ケースから抜け出した花嫁人形のようだった。右手に一抱え以上もある袋をぶら下げていて、それがやや不自然である。
 彼女の名は、かつてプルを襲った魔剣士グラシリスであれば知っていた。魔衆パンセリナ。美形をこよなく愛する、性悪魔女の片割れである。
 彼女は手にした袋をそっと撫で、呟いた。
「さ・て・と。早いとこ帰って、この子可愛がったげないと」
 パンセリナの足元を風が巻いた。と、次の瞬間その足は地面を蹴って、身を高々と舞い上がらせた。
 誰かの家の古ぼけた屋根板を蹴り、さらに舞う。優雅な跳躍を数度繰り返して、パンセリナの姿は教会横の時計塔の上に舞い降りた。
 ムーランの中央広場から少し外れたところに建つこの時計塔は、ムーラン最大の建造物である。その尖塔は街のどの場所からも見ることができ、よく目印にも利用される。時計の上には鐘があって、修道僧が決められた時間に鐘を鳴らすことになっている。
 その鐘楼に、今は三人の人影があった。一人はやってきたばかりのパンセリナで、もう一人はパンセリナと同じような背格好の少女(ただしかぶっているのは巨大な鍔無し丸帽子)、もうひとりはプルと同じような年ごろの少年だ。いずれも魔衆で、少女がパンセリナの妹であるヴィローサ、少年が姉妹の「愛の奴隷」カフス。ヴィローサは横目でじろりと姉を見やり、カフスは狭いスペースに胡坐をかいて何やら瞑目している。
「姉さま、体のぴかぴかは消してくださらない? 勇者の一行に気づかれてしまいますわ」
 視線はそのままに、ヴィローサが言った。よく見るとその視線は姉ではなく、姉の手にした袋のほうに注がれている。
「大丈夫だって。もう捕まえてる。そうでしょ、カフス?」
「ええ、もう一人が別の檻に入りましたよ」
 パンセリナの問いかけに、少年が答えた。目は閉じたままだ。
「さっき三人が三手に分かれました。で、檻で一人になったほうをテレキアが包みに行ったとこです」
「一人って、残ったのは男の子? それとも戦士?」
「……女の子です」
 カフスの答えに、パンセリナとヴィローサの二人ともが落胆した表情を作った。パンセリナのほうは露骨に舌打ちして、
「そいつは殺しちゃおうよ。テレキアにはそう言っといたっけ?」
「言わなくたって、彼は殺しちゃうんじゃないですか……あ、今ちょうど女の子のいる空間を切り離しましたから。テレキアが戦闘に入ります」
 ヴィローサがおっとりとうなずいて、
「では、わたくし達も残りの二人を捕まえに参りましょう。カフスさま、動いても空間は維持できますか?」
「いや、動くとちょっと……ていうか『さま』付けはやめてくださいよ。なんか僕が偉いみたいじゃないですか。どうせ実質は奴隷なんですから、呼び方もそれなりにしてくれればいっそ諦めがつくのに」
「まあカフスさまったら、難しいことを仰ってわたくしを悩ませるのですね」 
 ヴィローサは右手の甲で涙を拭いつつ、左手でカフスの頭をわしづかみにした。胡坐をかいたまま少年が持ち上げられる。ヴィローサが怪力なのではなく、魔法で少年の体重を減らしているのだ。呪文の詠唱がないのは、これがヴィローサの手袋に仕込まれた術だからである。
「よし、じゃあ行こう。カフス、術解くんじゃないよ。解いたらあたしと溶岩風呂だからね」
 パンセリナが袋を持ち上げた。綿でも詰まっているかのように軽々と扱っているが、その口を少しでも開ければ、騒ぎ立てるプルの声が聞こえてきたことだろう。人間丸ごと一人を片手で持ち運べるのは、単にパンセリナが怪力だからである。
 床を蹴る音が二つ鳴り、三人(正確には四人だが)は夜空に飛び出した。

 パンセリナたちが塔を離れるわずかに前。
 広場のベンチに腰かけて頬杖をつきながら、ルスラは夜空を見上げていた。
 最初は飛んでいるコウモリを追っていたが、すぐに飽きて今度は星を読み始めた。十二宮全ての星座を占い終えてから、自分の星座が何だか分からないことに気づいて、それも止めた。「昔の知り合い座」だの「馬鹿軍団座」だのとでたらめに星座を作るのにもやがて飽きて、とうとう単に星を眺めるだけになったのだ。
 周囲がずるりとめくれあがったのは、その時だった。
 崩れたカーテンのように星空がずれ、下ろした視線の先では地面が波打ち始める。広場の中央に立っていた変な爺さんの彫像も、こんにゃく製ででもあるかのように震え始めた。
 腰をあずけていたベンチもぐしゃりと潰れてしまい、ルスラはしりもちをついてしまった。
 それでもルスラは頬杖をついたまま、つまらなそうに半眼を夜空に向けていた。
「……怖がらねえな?」
 遥か頭上から低い声が降ってきたとき、ようやくルスラはトパーズ色の瞳を動かした。
 背にコウモリの翼を生やした大柄な影が、翼を羽ばたかせて舞い降りてくる。ルスラの瞳は闇を通して、その姿形を見通した。
 全身が長い毛に覆われている。四つの目と耳まで裂けた口は、影が通常の生物ではありえないことを示していた。めりはりの効いたシルエットは、発達した筋肉の存在をうかがわせる。
「魔族か」
「そうさ。テレキア様よ。悪いな嬢ちゃん、味見させてもらうぜ」
「断る」
 抑揚のない声でルスラは即答した。つまらなさそうに頬杖をついたままで。頭上のテレキアが油断したとすれば、そのいかにも戦意なさげなところを見たからだろう。ルスラの頭上数十センチの虚空から撃ち出された火炎球に、テレキアは反応できなかった。
 夜空に紅蓮の花が咲いた。悲鳴は破裂音にまぎれてかき消えた。テレキアは頭から墜落し、広場の彫像に激突した。
「ぐ……ガ……っ!」
 しかし、死んではいない。両腕をバネにして跳ね起きると、敵意に満ちた四つの瞳をルスラに向ける。
「ガキが……魔術使いとはな。大人しくしてりゃいいものを……!」
 火傷を負った腹部を左手で押さえつつ、テレキアはルスラににじり寄った。ルスラのほうは頬杖をついた姿勢を崩そうとしない。それが勘に障ったらしく、テレキアは歯茎までむき出しにして叫んだ。
「生きたまま八つ裂きにしてやるぞ。目玉をえぐり出して口に詰めてやる。それが嫌なら泣き叫べ! どうせ助けはこねえがなァ!」
「……獲物を前にサディズムを垂れ流すようでは、大物にはなれぬぞ」
 ルスラが笑みを浮かべた。
「それに、腹を押さえたまま強がってもらわれてもな。憫笑には値するが」
「ほざけ!」
 テレキアの右拳が彫像に叩きつけられた。破砕音を響かせて、彫像が崩れ落ちる。破片は一切なかった。見かけはそのままで内部だけ砕けたような、奇妙な崩れ方だった。
「俺の言葉をはったりだと思うな。いいか、貴様は――」
「閉鎖空間にいるというのだろう。とうに知っておるわ」
 テレキアの台詞を横取りして、ルスラは続けた。
「星の動きがなくなった時点で、空間ごと隔離されたことには気づいておった。あとは何といったか、マジックアイテムの中に、内部を周囲の風景に擬態して獲物を誘い込む大袋があったろう、あれを使って我らを包みこみ、捕獲完了だ。そうであろ?」
 テレキアは目を見開いたまま答えなかった。驚愕のためである。妙に動じない相手だと思っていたが、袋の仕掛けまで全て見通されているとは思わなかったのだ。
 ルスラは笑みをさらに深くした。
「術者の能力は低くはないが、高くもない。全ての家が閉じられておるのは、内部まで作っていないからであろうな。今も周囲の家の戸は閉ざされておる。我らがまだ隔離空間内におるということであって、多少は派手にやってもよいということだ。
 テレキアとやら。貴様はやはり二流だ。何のためにわらわが解説なぞしておると思う?」
 ルスラの周囲にいくつもの拳大の火球が生まれた。光に照らされたルスラの髪が、扇状になびいて真っ赤に輝く。テレキアもようやく相手の時間稼ぎに気づき、両腕で顔面を防御した。
「遅い」
 無数の軌跡が闇を切り裂いた。複数の軌道は、しかしただ一点に集中する。その中心でテレキアが吠えた。両腕を激しく振り回し、飛来する火球を叩き落としていく。驚異的な動体視力と反射神経だった。全ての火球はテレキアの拳に迎撃され、標的の直前で炸裂して四散していった。
「馬鹿め、この程度で俺様を倒せると思うなァ!」
 テレキアは突進した。もはや火傷の痛みは感じていない。一跳躍で間合いを詰める。焼け爛れた拳を振りかざし、叩き込む。ルスラの小柄な体はひとたまりもなく吹き飛び、民家の木戸に激突した。
 テレキアは間をおかずに追撃した。殴った感触がおかしかったことに、彼は気づいていた。おそらくは魔法による防御だろう。だがそれも関係ない。防御ごと叩き潰せばいいのだ。
 ルスラが何事か叫び、雷撃を放ってきた。電気の鎖が全身に絡みついたが、テレキアは咆哮してそれを消し飛ばした。すかさず左拳を叩き込む。ルスラは右に跳んでそれを避けたが、追撃で放った左回し蹴りがその背を捉えた。
 手ごたえありだ。振り向きざまに放たれた火球も、テレキアは弾き飛ばした。もはや彼女の魔術攻撃では自分は倒れない。そう確信したテレキアは、ほとんど防御無視の構えから右拳の一撃を叩き込んだ。無数の光弾がテレキアを撃ったが、どれも大して痛くはなかった。鳩尾を殴られたルスラのほうは、宙を舞って民家の壁に叩きつけられた。彼女はそのままうずくまる。
「へっ……どうだ、クソガキ。てめぇの攻撃魔術なんざ、効きゃしねえよ――」
 テレキアは言葉を切った。
 ルスラが笑っている。笑いながら、彼女は立ち上がった。
「……?!」
 テレキアは四つの目を細めた。なぜだか彼女の背が高くなっているように見えたからだ。いや、実際に高くなっている。腰まであったはずの髪が今は背の中ほどまでしかない。それに大きめだった服もぴったりと体に合っている。
「そうそう、忘れておった……」
 若干ハスキーになった声で、ルスラが笑った。
「わらわはこの姿でないと、ろくに攻撃魔術が使えぬのだったわ」
 昂然と立つその姿に、テレキアの攻撃によるダメージはまるで見られなかった。テレキアは呻いた。その直後、テレキアの翼を火球が撃ちぬいた。
「ぐっ……」
 四つの目を持ってしても、影さえ見えなかった。
「さて、久方ぶりの運動だ。鈍った腕を元に戻さねばな」
 ルスラが笑った。何度目の笑いだか、テレキアは覚えていない。だが、これが彼の見る最後の笑いになりそうだった。

 位相のずれた同じ場所でルスラが激闘を繰り広げているとも知らず、ムーランの入り口広場にて、鎧男と勇者の二人は途方にくれた面持ちで首をかしげていた。自分たちが何かの罠にはめられつつあることは察していたが、それがどんな罠なのかが分からないのだ。
「プルはともかく、ルスラのほうは普通にさらわれるようなタマじゃなさそうだからな。魔術だか魔道だか、そういったもんが働いているんだろうが」
「んなら、どーすればええっぺ。気配もねえど」 
「ああ、それが妙なんだが……」 
 鎧の傷み具合からも分かるとおり、トリュフォーは歴戦の勇士である。強烈な敵意や殺気でなくとも、人の気配は探ることができるのだ。それなのにここの家ときたら、探っても死者の棺桶みたいに空っぽなのだ。そもそも明かり一つ漏れてこないというのは、いくらなんでも異常である。窓を覗いても真っ暗なのだ。
「まさか夜逃げしたわけでもあるまいし……止むを得んな」
 トリュフォーは自らのザックから天幕用の麻縄を出すと、端をシャンプに放った。
「不恰好だが仕方ねえ、こいつを腰に巻いとけ。さっきは何事もなかったが、念のための命綱だ」
「あいさ」
 互いに縄を腰で結わえると、「さて」とトリュフォーが腕を組む。
「拠点を確保するぞ。ルスラじゃねえが、戸を叩き破ってでも入るぜ。誰かいりゃ情報が聞きだせるだろ」 
「いねがったら?」
「不任意に部屋を借りる」 
 堂々と言い切ると、トリュフォーはランタンを掲げなおして歩き出した。引っぱられるようにシャンプがついていく。縄を片手で握り、視線は油断なく左右に走らせて。
 立ち並ぶ建物のどれが宿泊施設なのか分からなかったので、トリュフォーは適当な一軒に目星をつけた。二階建ての建物だが、看板が出ているのと、石造りの二階建てだったこと、木戸の前の地面が他よりも踏み固められていることで、見当はつく。
 トリュフォーはランタンを差し出してみたが、看板まで光は届かなかった。木戸を叩いてみる。
 一度叩いただけで、トリュフォーは手を止めた。
 こめかみがぴくりとひきつる。
「こいつは……」
「どっただ?」
 後ろからの問いかけに、トリュフォーは無言で縄を引っぱった。やってきたシャンプに「触ってみろ」と石壁の継ぎ目を指し示す。
 言われるまま、シャンピニオンは壁を撫でた。そして気づいた。
「なんだあ? ぺたんこだべ」
 石を組んでできているはずの壁面には、立体感というものがなかった。質感も妙で、布越しに触れているような感覚があった。
「変だろ? おまけに木戸の向こう側、なんか詰まってやがるぜ」
 トリュフォーは建物の窓に歩み寄った。ちょうど彼の目の高さにあるその窓は、ガラスがはめ込まれているだけで覆いはなかったが、その内部はランタンを差し出しても暗いままだった。光は全く通らない。
 トリュフォーの両眼が、目庇の奥で細められた。ぱちりと音がして、背のスピアランスが外れる。回した左手でそれをつかむと、トリュフォーは槍の石突を窓ガラスに叩き込んだ。
 ごん。
 およそガラスにあるまじき音を立てて、槍は撥ね返された。
「おらがやってみっぺ」
 肩越しの声に、トリュフォーは半歩脇にしりぞいた。代わりに進み出たシャンプは、魔剣を両手で構え、輝きを放つその刀身を勢いよく窓ガラスに叩きつけた。
 今度は弾かれなかった。耳が痛くなるような高音を発し、窓ガラスに亀裂が入った。同時にその周囲の壁が、大きく震える。
「な、なんだと?」
 震えるというより、はためいたのだ。風をはらんだセイルのように。異変を察知したトリュフォーは思い切り縄を引いたが、それよりも早くシャンプは飛びのいていた。と、同時に――
「あーあーあー。間に合わなかったじゃない」
「ダメですわカフスさま。あの程度で術をお解きになっては」 
 二つの声が降ってきた。「無茶言わないでください」と、三つ目の声がやや遅れて降ってくる。
「ハンマーで頭殴られたかと思いましたよ。集中できるわけないじゃないですか」
「袋まで破られちゃったし……あ、もしかしてもう会話筒抜け?」
「ですわね」
 振り仰いだ二人の視線の先には、屋根の上に佇む三人の影。異様に大きなかぶりものをしている二つの影が目を引いた。
「誰だてめェら!」
 叫びつつ、トリュフォーは飛び退った。右手はランタンを投げ捨て、腰に差した短剣を抜き放っている。縄を切られたシャンプも飛び離れ、剣を構えて頭上をにらんだ。 
「誰だなや!」
 影たちは顔を見合わせたようだ。顔と顔を近づけて、何やら話し始める。
「どうしますの?」
「うー、やっちゃいたいけど……」
「相手は勇者ですよ? そもそもまともじゃ勝てないからこんな姑息な【ごん】」
 人影の一人が殴り倒された。
「ま、いいわ。ヴィローサ」
「ええ」
 二つの人影が屋根を蹴った。鍔付き帽子と丸帽子。鍔付きのほうは右手に殴られた人物、左手に大きな袋のようなものをぶらさげている。
 身構える二人の前に、おそらく少女であろう二つの影は音もなく降り立った。鍔付き帽子の体のあちこちが光を放ち始め、周囲がやや明るくなった。
「女……」
 トリュフォーは呟いた。目の前の二人は、帽子の形以外は驚くほどよく似ていた。華奢でか細いお嬢様といった風情だ。が、内面が外見どおりでないだろうということは薄々分かる。恐らくは――
「仲間を攫いやがったのも、てめぇらの仕業か?」
「この人間のこと?」
 鍔付き帽子が左手の袋を持ち上げて見せた。
「これはあんたの仲間じゃないわ。あたしたちのよ。悪いけど」
「ほざけ。返してもらおうか。二人ともだ」
 トリュフォーの声音は怒りを孕んで低く、迫力に満ちていた。山賊風情ならそれだけで逃げ散りそうな雰囲気だったが、鍔付き帽子の魔女は形のよい唇をつり上げて、喉の奥で笑い声をたてた。
「なァに、対等のつもり? 身の程知らずは嫌いだな、あたし」
「そうですわ。まあ……わたくしは剥製でも構わないのですけど」
 丸帽子が意味のわからない相槌を打つ。トリュフォーは苛立ちを隠そうともせず、
「黙れガキども。魔道使いだかなんだかは知らんが、子供は年相応に寝小便の心配だけしてりゃいい。大人しく袋の中身を渡してもらおうか」
 交渉を通り越して挑発と化しているその台詞に、双子の魔女だけでなくシャンプまで顔を引きつらせた。鍔付き帽子に首をつかまれている少年が、
「ああ、鎧の人。あまりこの人たちを怒らせないほうがいいと思いま【ごき】」
 何やら忠告しかけて首をひねられる。鍔付き帽子は低い笑い声を上げた。
「くふふっ……いじめ甲斐がありそうじゃ・ない・のっ!」
 右手を一振りする。まばゆい輝きが彼女を中心に炸裂し、その場の全員が視力を奪われた。トリュフォーも集中は解かずに目をかばったが、その耳に何かが弾ける音が届いた。
 目をあけると、風がまぶたを撫でていった。この街に入ってからはじめての風であることに、トリュフォーは気づいた。シャンプが足元を見て、
「あ? なんだべこりゃあ」
 声をあげる。それも道理で、通り一面、白い布で覆われていた。建物にも大きな布の切れ端が引っかかっている。
「そいつは今までお主らが入っておった袋の残骸じゃ」
 声は帽子二人組の後ろから聞こえた。
「なかなか滑稽じゃったぞ。道の真ん中に巨大な袋が鎮座しておる光景は」
 小柄な少女。帽子たちよりさらに背が低い。何か丸い物を手に持っている。
「ルスラ!」
 シャンプが嬉しげに叫んだ。振り向いた帽子二人が舌打ちの音を立てる。
「あのケダモノ、しくじったね」
「だらしのない。所詮はコウモリですわ」
 手厳しい評価を下す二人に、ルスラは手にした球状の物体を投げつけた。液体を撒き散らしながら飛んだそれは、鈍い音を立てて地面に転がった。シャンプが鼻を押さえて顔をしかめた。漂ってきたのは血臭だったのだ。
「何の真似よ」
 かつての仲間の生首を足蹴にして、鍔突き帽子が問いかけた。ルスラは肩をすくめ、
「残ったのがそれだけだったのでな。バロメーターにちょうどよいので持ってきた。どうもわらわを甘く見ておる節があるゆえ」
「ムゴいですねえ。もう帰りましょうよ。正面衝突は不利ですって」 
 息を吹き返したらしい少年が訴えかける。鍔付き帽子は頬を膨らませ、
「ちぇっ、じゃあ収穫はこの子だけ――」
 語尾は爆音に包まれてかき消された。前置きもなく、ルスラが数個の火球を放ったのだ。不意を突かれた鍔付き帽子の左手と袋の口に、火球群は命中した。同時に、
「――熱ちあちアチゃちゃちゃちゃ!」
 聞き覚えのある悲鳴があがり、煙の中からプルが転がりだしてきた。背中が燃えている。
「こ、このサル……!」
 ルスラに向けて怒声を上げたものの、鍔付き帽子は攻撃を仕掛けようとはしなかった。丸帽子が彼女のドレスの裾を引き、こう告げたのだ。
「姉さま、もう朝ですし、帰りませんこと? わたくし血の臭いを嗅いだせいか、気分がすぐれません」
「あーもー……こんなときに朝だなんて。しかたない、カフス、寝なおすから付き合いなさい」
「え? 抱き人形なら僕じゃなくても【ぎゅ】」
 脱力した少年を抱えなおすと、鍔付き帽子の魔女は憎憎しげにトリュフォーを指さして、
「覚えときなさいよ。今度遭ったらマッパに剥いてやるんだから」
「手足と頭は鎧のままの方が萌えますわ。それではごきげんよう」
 捨てゼリフを残すと、魔女たちはそろってシャボン玉が弾けるように消滅した。
「……なんだったんだ、結局」 
 ざわざわと野次馬が集まりつつあるのを感じつつ、トリュフォーは吐き捨てた。ルスラが「新手の道化ではないか」と言いながら歩み寄り、転がっているランタンを拾い上げる。その傍らに、シャンプのジャイアントスイングで鎮火したプルが、黒焦げになって引っくり返った。

 続く。


◆17(藤枝)

 ムーランの町は、快晴。太陽も上がり始め、人が往来を慌しく行き交っている。
 そんな眼下の光景を見るのも飽き、ルスラは窓から目を離した。その視線の先で、ベッドの上で寝息も立てずに睡眠を貪っているプルの姿があった。
 悪夢が付け入る隙が無いほど、彼は眠っていた。知らぬ人間が見たならば、覚めぬ眠りの呪いについていると思ったことだろう。だがそうではないことを、ルスラは知っている。
「今日ぐらいは、好きなだけ寝かせといてやれ」
 彼女の配下、もといお供のうちの一人、トリュフォーが部屋を出る前に彼女にそう言った。プルーアも疲れてるんだろ、と彼は言ったが、あのくらいで疲れたなどとは情けないとルスラは思っている。魔衆に捕まりかけたぐらいで前後不覚に眠りこけるとは笑止千万だ。無論、彼女はプルの疲労の原因が昨夜の事件にあるのではなく、ランプテロミス村からムーランの町までの強行軍にあることを知らない。
 だがそれにしてもよ、とルスラは思った。少々寝すぎではあるまいか?
 プルを除く三人が宿で朝食を取り、トリュフォーとプルが出かけてから一刻ほどが経過していた。それだけ眠ればもう満足であろう、とルスラはそう決めた。もうこれ以上は、彼女の決して長くは無い堪忍袋の緒が切れる。
「おい、プル」
 各々の呼び名は好きなようにする――という紳士協定に基づき、ルスラはお供の三人を呼び捨てにすることにした。子供のくせに年長者を呼び捨てか、とトリュフォーは文句を言ったが、実力者が敬意を払われるのは当然、よって彼らの危機を救ったルスラがそんな些細なことで注意される必要は無いのだ。渋い顔付きで引き下がったトリュフォーの心中はどうであれ、この性悪幼女の言い分にも一理はあった。
 というわけで、彼女はあまり役に立たなさそうな少年に向かってそう呼びかけると、
「起きられぬならば手伝おうぞ」
無邪気な笑い顔のまま、空中に小型の太陽のような光球を一つ、浮かび上がらせた。

 おそらくは、動物的な勘、なのだろう。プルが死んだように眠りこけていたのに、突然飛び起きたのはおそらく、自身を守ろうとする防衛本能のなせる業であろう。文字通り、彼はベッドから飛び起き、そのまま床に頭から落下して目を開けた。
「ぁう・・・」
 低い視線のまま、彼は少女を見上げ、ぎこちなくそう口を開く。
「ル、ルスラちゃん・・・それ――」
 言いかけて、やめた。言うまでもなく、彼女の傍らに浮かんでいるのは、光の玉だ。問題はそれをどう使うのか、ということだったが、まさかこの明るい室内を照らすためというわけではあるまい。わざわざ少女の口を煩わせるまでもなく、その用途は察しがついてしまった。
「何ぞある」
「いえッ、な、んでも・・・はは、もう、朝なんだ、よね・・・?」
「見て判らぬのか」
 確認するまでもなく、この明るさは朝に決まっている。今まさに彼に球をぶつけんとしていたルスラは、おおよそ子供に似つかわしくない不機嫌さ丸出しの口調で、
「ふん、起きられるのならばさっさと致せ。手間をかけさせおって」
と、のたまった。将来が楽しみなほどの可愛らしい顔付きが、一層そのアンバランスさを際立たせている。
「何を呆けておる。さっさと動かぬか」
 言い終わる前に、プルの顔面に冷水が浴びせかけられた。驚いて完全に目が覚めると同時に、濡れた顔に容赦なく布がぶつかる。息苦しいと感じる間も無く、プルは上着とベルトとズボンの猛攻を顔面で受け止めた。
「わらわが別な物をぶつけとうなる前に、早う仕度をする方が身の為じゃぞ」
 少女の手にあるものを確認する前に、プルは文字通り、死に物狂いで服を着替えた。それこそ、瞬きをする間の出来事であった。

「朝っぱらから――何でこんな目に・・・」
 朝が弱い、というのは自他共に認めるプルアロータスの欠点である。毎朝毎朝、姉が弟であるプルを起こすために鍋とおたまを打ち鳴らすその轟音は、村人達にとって定時を継げる鐘の音のようなものだった。司祭様が言うには、このおかげで一回鐘を鳴らす手間が省けたとか何とか。ともかく、プルは早起きが出来ないのだ。
「朝、とな」
 耳聡くルスラはプルの独り言を聞きつけると、
「まだ寝惚けておるのか。この刻にようもかような世迷い事を口に出せたものよ」
と、一枚の紙から目を離さずにそう嫌味を言ってきた。
 言い訳を返そうとして、ここでようやくプルは、時刻がもう朝ではないこと、そして残りの二人の姿が見当たらないことに気が付いた。
「あはははは・・・ちょっと寝すぎたかも?」
 返事は無かった。呆れて物も言えないといったところだろう。
「えっと、ルスラちゃん、あのさ」
「ん」
「トリューとシャンプの姿が見えないんだけど」
 答えを返す代わりに、ルスラは後ろ向きのまま、手にしていた紙を彼に向かって放り投げた。彼女の手から離れたそれは、少しだけ飛んでぼとりと彼女のすぐそばに落ちた。抗議の目でルスラの背中を見つめてから、プルは紙を拾い上げた。
「何これ」
 ルスラが折り紙代わりに遊んで妙な折癖がついてしまった紙を苦心して広げつつ、プルは聞いた。が、返事は一言。
「知らぬわ」
「いや見てたでしょ、今」
「見ることと解ることは別じゃ」
 危うく破りかけた紙を戻しながら、プルはもっともなことかも、と思い直した。ややあって、
「何か書いてあるようじゃったが」
という答えが返ってきた。広げ終わってみると、それは手紙のように見える。ということは、だ。
「・・・ルスラちゃん、もしかして読めな――」
「悪いか」
 疑問を口に出した瞬間、切り裂くような一言が飛んできた。
「べべ、別に悪くないけど・・・意外というか、何というか」
 言葉の次に飛んでくるであろう物を想像してしまい、プルは慌ててそう言葉を濁し、手紙の文字を追った。そこにはこう書かれていた。

『プルアロータス へ
 綴りが違ってたらすまない。何せ名前を正しく綴るのが苦手なんでな。
 それはともかく、私は少し出掛けることになった。
 王国のショウルオ騎士団が来ている。理由は不明だ。が、何かしら大きな事件があるようではあるな。こんな山の中の町に、第四部隊隊長が来てるんだからよ。
 丁度昨日の事もあるんで、話をしがてら少し会ってみようかと思う。この先、色々厄介な手続きも踏まなきゃならんかもしれねぇし、隊長から話を通してもらえれば多少は楽になるだろうからな。断っておくが、その隊長とは知り合いだ。
 その代わりとして、その事件の解決に尽力せよ、とのお達しだ。何も教えない代わりに人使いが荒いが、どうやら危険な事件だったらしい。まぁ、金稼ぎにはうってつけだな。言っておくが、その金は路銀にするんで期待はするなよ。
 そういう訳で、戻って来るのは早くても明日になるだろう。それまではゆっくり休んで、英気を養っておけよ。
                                トリュフォー・テューバー
 追伸
 シャンプは私と来る事にしたらしいが、ルスラは面倒だから嫌だと。なんで宿に残しておく。
 ルスラが昨日の事であれこれ五月蝿いだろうが、適当にあしらっといてくれ。
 皮袋にいくらかの金が入れてあるから、それで何か買ってやってくれないか。アイツにはまだ金勘定は無理だろうから、触らないように言っておいた。帰って来るまで、お前に預けておく。
 不足したり必要だったりするものがあったら買っておけよ。後で困ることが無いようにな。
 ただし、くれぐれも無駄遣いはするんじゃねぇぞ。少しぐらいの無駄は許すが、余裕が無いってことは覚えとけ。
                               ……………~…~~』

 よく考えれば、こんな置手紙を残すのはトリュフォーぐらいしかいないのだ。しかし、走り書きと思わしきこの文字があまりにも達筆だったので、名前を見るまで彼の荒っぽいイメージとは結びつかなかったのは事実だ。
「それで何と」
「えーっと、ねぇ・・・」
 言われて、プルは少し嫌な汗をかいた。読み書きは一通り習ったものの、一部分解読出来ない部分があったのだ。手紙の最後に描かれているミミズ文字はおそらくシャンプの悪戯だろうが、実のことを言うと初っ端からつまづいてしまったのだ。名前の下の文に、『綴り』が違っていたらすまないとあったが、その『綴り』が読めなかったのだ。ちなみに、プルアロータスの綴りがあっているのかどうかは、滅多に自分の名前を書くことがないプルには分からなかった。
 ともかく、言わないわけにはいくまい。難しい言い回しや知らない事柄は適当に誤魔化すことにして、プルは確認のためにも掻い摘んで説明することにした。
「これはトリューが僕宛に書いた手紙で――」
「それは知っておる。彼奴がこれをお主に渡しておけと申しておったでな」
 知ってたなら最初から言ってくれよと思いながらも、プルは続けた。
「――で、簡単に言うとこんな感じ。大きい事件があったらしくって、王国の騎士団が来てるんだって。隊長、って読むその人に会ってみて、その人とは知り合いで、色々やらなきゃならないらしい」
 どんな立場の人か、というのは分からなかった。何度も『隊長』という文字が出てくるが、意味を知らないのだ。かろうじて、『四』という『隊長』だということは分かった。
「で、その事件の解決を手伝えばお金が出るかもしれないんで、暫くは戻って来ないと。だからゆっくり休めって」
 ゆっくり休んでないけどね、と心の中で文句をたれながら、プルは手紙をくるくると丸めた。
「ま、そんな感じかな。あ、あとそれ、僕が預かるようにって」
 追伸部の細かい点はルスラに伝えないことにして、プルはルスラが握っていた皮袋を貰い受けた。
「それはともかく、理解し終えたならば早う行くぞ」
「何処へ?」
 袋をがっちりと握り締めて、プルは尋ねた。くきゅるきゅると、腹が鳴る。
「あ、ご飯か」
 ルスラは深呼吸をしてから、ふうぅっと大きくため息をつくと、
「そんなもの朝餉(あさげ)に間に合わなんだお主が悪い。違うであろ、昨日は誰のおかげで助かったと思うておる」
「昨日の――」
 思い出して、ぞっとした。火傷跡すら残らなかったことで、ついうっかりとそのことを忘れかけていたのだ。だがそれは思い出したくない、ということで記憶を封じていたのかもしれなかった。
 そう、プルは危うくさらわれるところだったのだ。
 人を問答無用で捕まえておいて自分のものだと主張するあたり、我侭極まりないと思うが、その横柄な態度相応の実力は持ち合わせていたに違いない。
 しかも可愛がるってどうやるのだというのだろうか。あの性格悪そうな少女――というのも、確認出来たのは、可愛らしい少女の声だけだったからこう思うのだが――の危険さは、一緒にいた少年の口調からも察することが出来る。傷ついても死なない、などとばれてしまった日にはどんな目に遭わされることか。そしてそんな連中に啖呵を切るトリュフォーは様々な意味で凄いとしか言いようがあるまい。
 あの魔衆の少女はある意味、ルスラと似ているかもしれないが、まだ彼女のほうが余程ましというものだろう。いや、だからといって、彼女の偉そうな態度がいいとは思わないのだが。
「思い出したか」
 心中を読むように、ルスラが黄玉の瞳を彼に向けていた。別に心を読まれたわけではないが、プルは慌てて礼を述べる。
「あ、うん、あんま思い出したくなかったかも・・・でもありがと、助けてくれて」
「礼には及ばぬがな・・・実力者としてすべき事を成したまでのことよ」
 悠然と彼女は頬杖を組み直した。
「だがまぁ確かに、お主を助けなくとも、戦力的には落ちんかったろうがな」
「そ、うかな・・・?」
「落ちるのか」
「・・・」
 確かに否定できないけど、言い切るところはすごいよ、とプルは肩を落とした。というか、術者の少女よりも役に立たない自分ってどんなものだろうか。遣る瀬無い。
「とはいえ、如何な理由があろうともこのわらわのお供を奪おうとは言語道断。さらに言わば、彼奴等めの態度が気に食わんかった」
「そ、そうなんだー」
「分相応をわきまえぬ輩は好かん」
 ふと、常闇の終末団が脳裏をよぎった。ルスラの振る舞いは非常に傲慢だが、その力を考えるとある程度の得心はいく。とはいえ一応、主従関係とまでには至っていないことを考えると、プル達は第一印象が良かったのだろうか。もちろん、この先どうなるかは分からないのだが。
「ともかく、恩を返さざるは無礼なり。トリュフォーは言っておったぞ。その礼はプル、お主から貰えとな」
「あーっと、ちょっと待ってて」
 手紙にあったのはこのことか、と一人で納得しながら、プルは皮袋の口を開けた。
 ルスラはそんなもの、と鼻を鳴らし、
「中に光る円盤があるだけじゃが」
と、皮袋の中身を確認するプルに訝しげに声をかけた。しかし、プルは言葉を返すどころではなかった。
 驚いた。
 彼がお金を残しておいたことからまず驚きだったが、それ以上に仰天した。
 トリュフォーの手紙には『余裕が無い』とあったが、それが何を意味しているのか一瞬分からなくなってしまった。
「どうした、プル。そんなもののどこが面白いというのじゃ」
 数え間違いかと思って、何度も数えてみる。だが、何度数えても同じだ。
 馴染みのあるスイ銅貨が23枚、それが十枚繋ぎになっているのスイ銅貨棒9本、見たこともないイラ銀貨が1枚(スイ銅貨棒10本分)、合計213スポア、入っている。パンが一つ1スポアを考えると、ショッピングには十分すぎる所持金だ。
 だが、とプルは思い留まった。ここに来て、『倹約家』の彼がぐぐっと頭をもたげてきた。
 確かに、ルーニーの町で自分の買い物をするときに持って来る10スポアに比べれば、このお金は十分にあると言える。
 しかし、これを全部使っていい、とまでは書いていなかったはずである。
 プルは手紙を広げ直して読み返し、少しぐらいの無駄は許すが、の部分を発見し、頷いた。
 やはり、いくらかは残しておくべきだろう。まず確実に、イラ銀貨は使えない。というか、もったいなくて使えないという貧乏性のためだ。残りのスイ銅貨棒も1本は残しておいたほうがいい。
 となると使えるのは――と思ったが、残りの103スポアでもまだ多いような気がしてきた――その半分の、50スポア+αである。
「よし!」
 プルはいきなり勢いよくそう叫んで立ち上がると、
「行こう! いざ、商店街へッ!」
部屋から飛び出し、階下へと消えた。
 そんな彼が、カバンと施錠を忘れて大慌てで部屋に戻って来て、ルスラに冷たい目で見られるのは3分後のことである。


 ルーニーの町から南、『伏竜洞(サーペント・ケイブ)』へと続く獣道の途中を、トリュフォーとシャンピニオン、そして紅蓮の甲冑をまとった騎士が、歩いていた。歩くといっても、常人ならば小走りしなければ追いつけないようなスピードではあるのだが。鎧をまとった二人は歴戦の戦士、大剣をくくった少年も並々ならぬ力の持ち主とあれば、得心のいく話だ。
 それはともかく、『大事件』をあまり感じさせないような口調で、鎧を着た二人の戦士は話し合っていた。
「213スポア、ね」
 赤い甲冑の青年がそうあきれたように口を開いた。
「いくら物価が安いとはいえ・・・それじゃあ短刀一つ買えやしないじゃないか」
「仕方ねぇだろ、金が無いんだから」
 黒光りする鎧を鳴らしながら、トリュフォーがそう返す。
「だからこうして、騎士団第四部隊隊長ダーマさまの手伝いを買って出てんじゃねぇか」
「はは、嫌味もだいぶサマになってきたんじゃないか、トリュフォー? 私からしてみれば、君には傭兵家業は天職だと思えるがね」
「はっ、冗談・・・無理に決まってんだろ」
「そうだね、もちろん冗談さ」
 今日は珍しく、トリュフォーは兜を外していた。北方民族特有の漆黒の髪が、照り返しの陽光を受けて時折輝いて見える。普段ならば隠れてしまうので分かりづらいが、髪は肩よりも下まで伸びている。ボサボサしているのは手入れを怠っているせいだろう。髪と同じ黒い瞳は自然と油断無く周囲を警戒している。
 もう片方の青年ダーマはというと、まだ傷の少ない紅の鎧をとは対照的な、白銀の髪の毛をしていた。トリュフォーとは異なり、しっかりと手入れをしているらしく、一つに編まれた三つ編みは真っ直ぐに鎧の背を伝って腰辺りまで垂れている。歩く度に左右に揺れるそれを、シャンプが猫のような目でうずうずしながら見ていた。
「それで、本当なのかい」
 ふと、ダーマが話を変えた。灰色の瞳がトリュフォーを見上げる格好になっている。というのも、彼は小柄な体躯をしており、それ故に、身長と戦力は無関係であると戦ってきた経緯があるのだ。だからこそトリュフォーと同じ24という若さで、騎士団第四部隊隊長を務めているのだ。
 それはともかくとして、金に困っている話をしていたところで話を変えられたトリュフォーは、怪訝そうにダーマを見た。
「何がだ」
「昨日の事件・・・と言えること。さっき言ってただろ」
「ああ、それか」
 その事件というのは言うまでも無く、昨夜のことである。ルスラが『新手の道化』と称した奇妙な三人組――正確には四人――のことだ。
「もう少し詳しく話してもらえないか。先程からまとめようとしてるんだが、いまいちよくわからなくて」
「私も同感だ、残念ながらな。ルーニーの町だと思って入った場所が、閉鎖空間だった。おそらくマジックアイテムの一種なんじゃねぇかとは思うんだが、周囲を風景と同化して獲物を誘い込む巨大な袋、だと思う。そうだよな」
「んだなや、そんな感じがしたぺよ。ルスラもそーゆってたが」
「あとは同じだ。ちっこい女の子供が二人と、少年が一人。うち一人がプルーアってヤツを捕まえてて、放すように言ったら――」
 トリュフォーは右手をぱっと開いて見せて、「これだ」と言った。
「いきなり光って、袋が破れて、全員帰った。私が見た限りではな」
「・・・信じられない、というのが正直な感想だけど」
 ダーマは優雅に整った顔に困惑の色を浮かべながら、
「でもきっと、本当のことなんだろうね」
と呟いた。分からないのは、すべて終わりがけのことだ。何故袋が破れて、何故人質は解放されて、何故何もせずに三人組は帰ったのか。
「・・・でも、何か隠してないか」
 どうも腑に落ちない。だがトリュフォーもその疑問が来ることは百も承知だったようで、
「・・・悪ぃが、こればっかりはな・・・その辺りは黙認してくれ」
冗談とも本気ともつかない返事を返すにとどまった。
 彼としてみれば、あの魔道を破ったのが年端もいかない少女だということを言い出せないでいたのだ。どんな事情があるにせよ、ルスラが魔術使いであることに疑いは無かった。だが、記憶を失ったのがそのことと関係があるのならば、無闇にそれを知らしめるのは良くないと判断したのだ。それに彼女は魔物を一人、殺している。あの生首は少女らとともに消えてしまったが、トリュフォーがそれを見逃すはずは無い。たとえ疑いを持たれようとも、暫くは静観することに決めたのだ。
 だがダーマはそれをからかいだと思ったようで、
「ふざけるなよ、トリュフォー!」
と思わず声を荒げた。
「私は本気でしん――真実を知ろうとだな」
 危うく『心配して』と言いかけて、ダーマは顔を赤らめた。
 トリュフォーが王の勅命を受けて秘密裏に動くことになった、というのは養父であるスクレロ卿から聞いた。
 騎士団入りもとある目的のためであり、他の者達のように名誉あるものではなかったダーマは、極力他者との交流を断っていた。そんな折、半ば強引に友好の場に引きずり込んだのが、騎士団長インディカム・ルベスケンスの義理の息子のトリュフォーだったのだ。今では、親友、と呼んでも差し支えない仲だとは思っている。
 だが、それだけのことだ。そうに決まっているのだ。
 任務を口実に彼の行方を追って、はるばるこんな西へ来たのも、彼に下された命令を知るためであり、決してトリュフォーが無事かどうかを確認しに来たわけではないのだ。
「だいたいお前は昔からそうだ。そうやって口を閉ざして――」
 無関係な他人を庇うんだ、と言いそうになっていることに気が付いて、再びダーマは口を閉じた。
 そう、ダーマが部隊長になれたのも、もとはというとトリュフォーが辞退したからだ。その時の悶着についても、彼は「私に隊長は似合わねぇよ」の一言で済ませてしまっている。誰を責めるでもなく、低い地位に甘んじている。
 だがそれらが全て、命を救われた恩義から来ているのだとすれば、それは――。
「――もういい」
 妙なことばかり考えてしまう。
「結局お前は・・・何も知らないんだな」
 トリュフォーが口を閉ざした時に、必ず自分がそう言う癖があることを、ダーマは知っていた。だがその真意は、ただの嫌味にとどまりはしない。自分でそれを知っててなお、彼にその言葉を浴びせる自分になおさら腹が立つ。
 ダーマはすっと顔を前に向けると、わき目を振らずにより歩を早めた。まともに彼の顔が見れない。
「お、おい、ちょっとダーマ」
 慌てたのはトリュフォーだ。何の前触れもなく、親友が不機嫌になってしまったからだ。彼は唐突に去って行く赤い甲冑の背にそう声をかけた。が、まるで彼の声が聞こえていないように、ずんずんとその姿は遠くなっていく。
「やれやれだぜ・・・」
 ふっとため息をついて、トリュフォーはがしがしと頭を掻いた。その少し前の方で、シャンプが二人の戦士の姿を交互に見比べながら首を傾げている。
「トリュさ、ダーマさとケンカでもしたかよ?」
「ん・・・いつものこった。何せマジメなヤツだから」
 何でもないようなことで、時々こうなってしまう。からかわれることが嫌いなのだろう、という程度の認識をしながら、トリュフォーは遠くなりかけている親友の背を追った。
 気まずい沈黙の中、早足で歩くダーマの後を、トリュフォーとシャンプは黙々とついて行く。

 思っていたよりも早く、目的地でもある『伏竜洞』へとついてしまった。
「つーいたついたーついついたー♪」
 珍しいものを見る目で洞窟の中を覗き込んでいるシャンプに苦笑をもらしながら、トリュフォーはようやく口を開いた。
「ここが目的地か?」
「・・・」
「じゃそろそろ、事件のこと話してもらえるんだろうな。報酬も含めて」
 怒った口調ではなく、むしろ彼がよくやるからかいの口調だった。だがダーマはどうしても、それを素直に受け止められなかった。
「ちゃんと説明はするよ・・・」
「そうしてくれよ。何をすりゃあいいのかも把握したいんでな」
 道中、自分が来た理由でもある例の大事件のことを話そうと思っていたダーマは、何をやっているんだと自分を叱咤した。妙な感情に振り回されるとは、なんて馬鹿なのだと。トリュフォーとは親しい、が、それ以上でもそれ以下でもない。
 軽く息を吸い込んで気持ちを落ち着けてから、ダーマは説明を始めた。
「ともかく、ここは『伏竜洞』。伝説では竜の住むという場所だ。地理的には『黄金街道』から外れた人知れぬ場所さ」
「ふくりゅーどー? おーごんかいどー? ぬんだべすりゃ?」
 シャンプの疑問に、ダーマが明らかに驚いた顔をしてみせる。『伏竜洞』はともかく、『黄金街道』を知らない者がいるとは思いもしなかったのだ。出鼻を挫かれたダーマの代わりに、トリュフォーが簡単な説明をすることにした。
「『黄金街道』ってのはな――」
 ルーニーの町から王都までは、『黄金街道』と呼ばれる整備された道が続いている。言うまでもなく、ルーニーの町は街道の末端で、西方に伸びる街道の終着点とされている。無論、ルーニーの町以外にも西方の街道の終着点はあるので、そのうちの一つ、といった扱いだ。この街道が敷かれたのは、マッタンゴー王国が建国された時代――もう千年以上も昔――だということだ。黄金の力で全国にあまねく街道をはしらせたこの大事業ゆえに、その名前がついているのだという。迷ったならば金の道に出よ、さすれば王都へと辿り着かん――という文が示すとおり、この道がもたらした恩恵は計り知れないものがある。
 歴史的な講釈をもう少し続けると、『伏竜洞』は『黄金街道』が敷かれる以前、かつて聖剣の勇者が竜を封じた、という伝説が残る場所である。
「――なんで、『伏竜洞』には今なお竜が潜んでいる、とされてるな」
「へぁ~、竜が住みよる場所け」
「嘘みたいな話だろう?」
 ようやく本題に入れると見て取ったダーマがすかさず口を挟む。
「ほぇ? ウソなん?」
「言いてぇことは分かるぜ、これはただの伝承だ、だろ? ったくロマンがねぇヤツというか・・・」
「そう、確かにそんなものは昔話でしかない。それは事実だ」
 そんなつまんねぇこと言うなよ、とトリュフォーが口を尖らせるたが、ダーマは「しかし」と言葉を続けた。
「間違い無く、ここには竜がいる」
「ホントめ? いっぺんの!?」
「オメェがそんなこと言うなんて・・・こりゃ雪でも降るか?」
「冗談で言っているわけではない」
 ぴしゃり、とダーマはそう言い切る。
「ここ最近で何件も何件も目撃情報が寄せられた。そしてあの事件が――そしてそれは私がここへ派遣されてきた理由でもあるが――起きたのだ」
 シャンプとトリュフォーの顔つきがすっと引き締まった。まだ明るい日差しが届く洞穴の入り口に、暗い影が広がったように思われた。

◆(穂永秋琴)

 ダーマは語った。
 三週間前、新任の統治官がムーランへ赴任することが決まり、第四隊所属の騎士四人、兵士三十人が彼を護衛することになった。道中ほとんど何の問題もなく進んできたが、あと少しで街というところ――ちょうど、先ほど黄金街道からそれたあたり――で、ちょっと騒動になっているのを見かけた。
 新任の統治官が事情を尋ねてみると、薬草採りに出かけた薬屋の娘が行方不明になってしまったらしい。市民の信頼を得る好機と見た統治官は、護衛の兵士たちに捜索を命じ、自らもその場に残って兵士たちを監督した。やがて兵士たちの一人が、女物の靴を見つけた。その場所は伏竜洞。伏竜洞では薬用になる茸も生じるのだが、毒蛇・百足の類もたくさん出るので、普通の人は近づかないはずだった。
 ともあれ、統治官は自ら騎士や兵士たち、それに案内のため一人の市民を連れて、内部の探索に向かったが――。
「出たのか」
「出たんだよ」
 逃げるのが精一杯で、とても娘の捜索などできなかった。それどころか、騎士二人、兵士十七人が竜に喰われ、残る二人の騎士、十三人の兵士もみな傷を負い、統治官さえもが左腕の肘から先を噛み千切られ、担架で運ばれるという憂き目に遭った。
「うひゃあ~、そいつはひっでぇなあ」
 とシャンプは少し顔を顰める。
「騎士四人に兵士三十人……それでもかなわないなら、竜でなくとも大変な害獣だな。早めに始末しちまったほうが良さそうだ」
 トリュフォーも思案顔になる。
「まだ疑ってるのか? 私の部下が見たんだぞ」
「洞窟の中だからな。大きな蛇か、トカゲ、山椒魚、鰐、――でなきゃ、<翼ある蛇>の類だろ」
「火を吐く蛇がいるか」
「火も吐いたんけ?」とこれはシャンプ。
「毒を吐く蛇ならいるが」とトリュフォーはまだ懐疑的である。
「それだけじゃない」いい加減に苛立ってきたダーマは、聞いて驚けとばかりに言葉を続ける。「占天官コプリナス師も、この地の封印が解放され、竜が出現したと予言しておられた」
 沈黙。恐れ入ったかとほくそえむダーマ。
「誰だ?」
 シャンプとトリュフォーが、全く同時に言葉を発した。ダーマは頭を抱え込む。
「そっちの若い君はともかく……トリュフォー、お前までマクロセファラス・コプリナス師を知らないのか?」
「知らんな」とトリュフォーは答える。「どういう人物なんだ?」
 コプリナス師は、つまるところ王室の占い師だが、もともとは宮廷魔術師団の出身で、かつては魔術師団長も務めたことがある。世事の煩雑に倦んで、自ら閑職たる占天官の職を望み、王都から北に離れた占天塔にこもった。七十年前の、先々代の王のときである。以来、占いの結果を時折通信するのみで、王都には全く顔を出さなかった。
「そういう人物なら、知らんのは当然だろう。私は占いになど興味は無い」とトリュフォーは言う。「その老人の寝言を、お前は大層な証拠のように言う」
「大層な証拠なのさ」
 師が突然、王都へやって来たのは四週間も前のこと。ちょうど都では、魔術師団の術師たちによる腕の競い合いが行われていたが、師はこれに飛び入りで参加し、今の魔術師団長・ラクタリウスをひとひねりにひねってしまった。加えて、何より人を驚かせたのは、師の容貌がまるで老けておらず、二十代後半か、せいぜい三十歳くらいにしか見えなかったことだ。
「師の年齢は百二十歳とも百五十歳とも言われていて」とダーマ。「アマニタじゃないかって噂もある」
 さらに師は、この地の封印のことを王に報告し、注意を求めたという。だがさすがに、その突拍子もない話は、王の放置するところとなった。
「ところがそこに、統治官の事件が起こったわけだよ」とダーマ。「調べてみれば、七十年間の師の占いはほとんど外れていたが、神・魔のことに関しては一度も外していない。聖剣が抜かれることさえ、師は予言していたのさ。誰も取り合わなかっただけでね」
 トリュフォーはごくりと息をのむ。シャンプは目を輝かせる。ダーマは勝ったと思った。
「それで私が来たんだよ。師は自分でも行きたがっていたけど、占天官にこういった事件を解決されちゃ、騎士団の名折れだからさ」
「その人は今どこに」
「占天塔に帰ったんじゃないのかな」

    ◆

 ピンチだ。
 プルは懐を押さえ、ビクビクしながら歩いていた。彼には一瞥もくれず、ルスラはずんずんと前を歩いていく。
 事の起こりはこうだ。まわりに人がいるにも関わらず、プルの胃袋は、シャンプやトリュフォーにすら負けぬ強靭な胃袋は、朝食を抜かれたことに反抗し、大声を上げて泣き喚いていた。肉体の要求はいかなる自制心を以ってしても抵抗できない。抵抗すれば必ずひずみが生じるものである。
 さすがに哀れに思ったか、はたまた情けなく思ったのか、それとも自分が食べたかっただけなのか、ルスラが突然、こう言ったのだ。
「アレなら、つきあってやってもよいぞ」
 プルがルスラの視線の先を追うと、そこはケーキ屋だった。
 もちろん、拒む理由はない。
 早速その店に入り、ケーキと茶を注文した。ケーキ一つでは足りないのは明らかだったが、倹約心が頭をもたげたのだ。どちらにしろ、食べないより十倍もいい。
 それに、プルにとっても、ケーキを食べるのは初めてだった。
 空腹も手伝って、至高の味を存分に堪能したプルはしかし、金を払う段になって愕然とした。
 ケーキ二つ、お茶二杯。54スポア。
「えっと……もうちょっと、安くなりません?」
「なりません」と満面の笑顔で店員が答えた。
「随分とケチじゃな、菓子の代金なぞ値切るなよ、恥ずかしい」とケーキに大満足のルスラが言った。「さあ、さっさと金を払って次へ行こうではないか。ぐだぐだすると置いて行くぞ」とそれだけ言うと、プルを後に残して店を出てしまった。
 ルスラを一人で歩かせるわけにはいかないので、プルは値切るのを諦め、54スポアを置いて、後を追ったのだった。「ありがとうございました!」という明るい声がその背中を襲う。
 こうしてプルは、予算をいきなり使い果たしてしまったのだ。
 ルスラは歩きながら、左右の店を目で物色している。プルはルスラの目が、ひょっと高級な品の上に留まりはしないかと戦々恐々である。
 プルのこういう予感は、外れたことがない。
 ルスラが突然、一つの店の前に立ち止まると、つと身をかがめた。そしておもむろに、一つの腕輪を取り上げる。プルはその店の屋号を確かめた。『パキシラス魔術具店』。嫌な予感がさらに増す。
 黒のマントを羽織り、宝石でごてごてと飾り立てた店の親父が、しきりにゴマをすっていた。
「いやあ、お嬢様はお目が高い。この『竜骨の腕輪』を手にとられるとは」
「ほう、竜の骨の腕輪か」ルスラが答える。「それはなかなかの珍品じゃのう。して、いかなる効果がある」
「炎の魔術の威力を高めます。また逆に、炎を受けても傷つくことがありません」
「では少し火を出してみても良いか?」
「店のものに燃え移らないようにしてくださいね」
 ルスラが左腕に腕輪をつけ、人差し指をぴんと伸ばすと、一条の炎が空に向かって奔った。通りすがりの人々が立ち止まって歓声を上げる。ルスラは悪い気がせず、二、三度炎を出してみる。
 プルは背筋が寒くなった。
「これがいい。買ってくれ」
 腕輪についた値札を見る。竜骨の腕輪。7200スポア。
 ルスラは、プルが断るとは思ってもいない様子だ。
 店の親父が、プルに向かって手を擦り合わせている。
 ルスラの技量に感嘆した野次馬が、みなプルに注目している。
 冷や汗が浮かんだ。
「えーっと、ルスラ、あのさ、ほら、こっちのが良いんじゃないか」
 そう言ってプルは、思い切り安そうな、小さな指輪を手に取った。それから値札に目をやると、400スポアと書いてある。プルは頭が痛くなった。
「嫌じゃ、これがいい。このような名品が手に入る機会など、そうはないぞ」
 もちろん、その答えをプルは予想していた。
 脅迫するかのように、ルスラは何度も炎を噴き上げる。
 ところが、思いもかけない事態が起こった。十回ほどルスラが炎を出すと、腕輪は二つに砕けて地面に落ちてしまったのだ。
「ちょっ、何てことを! 貴重な品なのに!」店の親父が突然、表情を変える。「弁償してくださいよ! 7200スポア!」
 迫られても、プルにはどうにもできない。冷や汗が止まらなくなった。

 一秒がまるで百年のように、プルは感じていた。だからプルの感覚では三千年ほど後に、救いの舟が出た。
「何の騒ぎですか?」
 見ると、群衆の中から長身の青年が現れた。ゆったりとしたマントとフードには、店の親父と違って宝石など飾られていないが、代わりに文字・数字・陣などが細かく書き込まれている。絵に描いたような、といって語弊があれば、普通、人が想像するような、魔術師の風体だ。
「こっちのお嬢さんが、竜骨の腕輪を壊しちまったんで」と店の親父が言う。
「なんと」と青年は驚き、つかつかと店主・プル・ルスラの近くへ歩み寄った。
 それから青年は、ルスラの足元に転がっている腕輪の破片を拾い上げた。破片を仔細に観察してから、微笑をたたえて言う。
「これは本当に竜骨の腕輪ですか?」
「なんてことを言うんです」と店主は色めきたつ。
「だっておかしいじゃないですか。竜骨の腕輪だとしたら、どうしてこのお嬢さんが何回か火を出しただけで、簡単に壊れたんです? 竜骨の腕輪は王国の歴代の魔術師団長も使用していますが、壊れた試しなどありませんよ?」
 言われて店主はぐっと詰まる。青年は続ける。
「見たところ、これは鰐の骨の腕輪でしょう。違いますか?」
 店主のうろたえようを見れば、青年の言葉が図星であることは誰の目にも明らかだった。
「鰐の骨の腕輪なら、せいぜい800スポアというところですね。私がこのお嬢さんと若い方の代わりに、弁償をいたしましょう」といって、財布をからイラ銀貨八枚を取り出すと、惜しげも無く店主の前に出した。悔しげな表情を浮かべる店主に、青年はさらに毒を投げかけた。「あなたにとっては大変な僥倖ですよ? 鰐の骨の腕輪のぶんの代金は、少なくとも手に入ったのですからね。役所へ出れば、商品は没収、あなた自身は牢獄の中……」
 顔色をなくした店主。群衆はやんやと喝采した。
 青年はすれ違いざまに、ルスラにこう耳打ちした。
「あなたの力量なら、腕輪など必要ないでしょうに。もし必要とあらば、こんな露店で買おうとなさらず、王都から北にある占天塔をお訪ねなさい」
 去ろうとした青年に、プルが声をかけた。
「ありがとうございます!」
 青年はふり返って、笑う。
「どういたしまして」
「名前を聞かせていただけませんか」と言いかけたプルの前に、ルスラがずいと進み出る。
「おんし、何者じゃ?」
 青年の答えはこうだった。
「マクロセファラス。きっとまたお会いしますよ」
 そして二人に背を向けると、飄然と立ち去っていった。


    <おまけ>

「そういえばさ」
「なんじゃ」
「鰐の骨の腕輪がめったにない名品って……」
 ルスラは、それこそ燃え上がるような目でプルを睨んだが、何も言い返さず、くるりと前に向き直り、ずんずんと足を速めて進んでいった。
 プルは初めて、ルスラに勝ったと思った。
 まあ、実際には、勝ったのはプルアロータスではないわけであるが。
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 (15点配分)
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( )「気になった部分への指摘」
( )「興味深い(面白い)と感じた部分の報告」
( )「技術的な長所と短所の指摘」
( )「読後に連想したものの報告」
( )「酷評(とても厳しい指摘)」
( )「好きなタイプの作品なのかどうか」

・特に重点的にチェック(指摘)してもらいたい部分。
(                 )

・読んで楽しんでもらいたいと考えている部分。
(                 )

・この作品で、いちばん書きたかった「もの/こと」
(                 )



またパスワードエラーになったんで、やたら短いですが新規です。(黒)

結局まだ王城に向かってません(秋琴)

12話です。数字があってるかどうかわかりませんけど。

十三話です。
複線張ったら長さが三倍に――黒さん、いつもご迷惑をおかけいたします。(R)


黒ですごめんなさい遅れまくった割りに短いです。町の描写も全然やってないし。微妙にエルドレイクとかぶってるし。がんばれ穗永さん(待て)。

消えた仲間を探せ!(秋琴)

勝手に終わらせてしまいました。だめだこりゃ。By百川

パーティ二分割。
シャンプとトリュフォーの洞穴探検組に課せられた任務とは? そしてダーマさんとトリュフォーの微妙な関係はどうなんだ!?
一方のプル&ルスラのショッピング組は無駄遣いをせずにすむのか!?
 こうご期待! 黒さんに(え (R)

要するに新キャラを出したいだけなのかもしれない。とりあえず只者ではなさそうな人を出してみました。穂永。

最終更新:2013年06月17日 18:38