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晴れた日は柄の長い傘を持って・14~

2005年05月02日(月) 00時39分-木組

 

   ◆14(穂永)

 晴天同盟。運動部を中心とする天晴高校の第三にして最大の勢力。ただ数ばかりが多く足並みが揃わぬゆえに、ランベ・リューア及び雨衣の台頭を許してはいるが、そこは運動部、蜃楼遥の如き超人的な運動能力を備えた人材も少なくない。嵩宮蛟丸や雨衣首脳部すら、迂闊に手を出せない強敵なのだ。
 となればランベ・リューアと雨衣はなぜ提携して同盟を滅ぼしてしまわないのか。実は昨年、そういった動きがランベ・リューアの花月葉霧という学生を中心にあった。しかし雨衣との戦いという名目に隠された、真の目的が悟られることを怖れた蛟丸と紫電為右衛門によって妨害され、この提携は幻となり、花月葉霧は転校やむなきに至り、妹・花月葉露は雨衣に奔った。二者の対立とランベ・リューアの内紛に漬け込み、同盟は一年で勢力を拡大したのだ。
「誘拐か……まったく、漫画じゃあるまいし……」
 思わず水知はそうぼやいたが、ややあって言った。
「追撃あるのみだな」
 豪助はうなずいた。
「奴らが相手となれば、話し合いの余地はない」
「で、その連中はどこに」
 聞かれて豪助はぐっと詰まった。同盟の根拠地は運動場だが、当然隠れ場所には適切でない。となると二つの体育館か、柔剣道場となるが、この三箇所は高校構内の北東・南東・南西にあって互いに離れており、もし間違った場所へ踏み込めば、時間を浪費している間に光原が何をされるか分からない。
 そういったことを豪助は説明した。歯噛みをする水知だったが、そこへ救い手が現れた。
「彼らの居場所を知ってるわ」
 声に見上げれば、白衣に実験用ゴーグルの、ボサボサ頭の女が段上に立っていた。一見、教師かと思われたが、白衣の下の制服から高校生と知れる。
「何者だ、お主」と豪助が問う。
「私は春水もずく。紫電先生の下で諜報を担当しているランベ・リューア構成員よ」
 水知は豪助にちらと目配せする。「諜報員の氏名は仲間にも分からんのだ」と豪助は返事をする。
「雨衣のスパイじゃないの?」と水知。
「これが証拠よ」と女は手元の傘を見せる。雨衣の人間は傘を持たない。同盟の者は雨避けを軟弱として嫌い、常に濡れて歩くのが気風である。
 水知はもはやためらわなかった。豪助とともに春水のあとを追う。春水は二つの体育館にも柔剣道場にも向かわず、北西へ向かって駆けて行く。
「そうか、旧体育館! これは盲点だったな」と豪助。
 間もなく、三人は旧体育館に到着した。使われなくなり、カラスの巣窟となった旧体育館は、雨の校庭に不気味な姿をさらしていた。さながら遠く千年も昔に亡びた王国の、かつては隆盛を誇った宮殿の廃墟といった具合である。
「入り口、裏門には見張りがいるわ。天井の穴から侵入するのが得策ね」
「見張りを倒して突入する手もある」と豪助。
「騒ぎを起こすと、逃げられるかもしれないわよ」
「彼女の言に従おう」と水知。
 春水は身を翻した。来ないの、と水知が聞く。
「中に何人いるかわからないから、偉い人に助けを求めてくるわ」
「嵩宮先輩にか?」
 豪助の言葉に返事を返さず、春水は駆け去った。
「行こう」これは水知の言葉。今までになく断固たる調子だった。

   ◆

 天井の穴から中を覗くと、跳び箱・鉄棒などが無秩序に並んでいるとはいえ、埃などはたまっておらず思いのほか清潔である。これも同盟が秘密基地として使っている証左となろう。さらに見れば、ステージ上に大将格と思しき三人の男が、さるぐつわを噛まされた光原に何か喋っている。光原はしきりに首を横に振っている。
 ――光原っ!
 もう矢も盾もたまらなくなり、水知は様子を窺うのもそこそこにして、傘を手に中へ飛び降りた。空中でくるりと一回転、着地でややふらついたものの、まず八点という出来だ。ついで豪助が巨体を舞わせたが、着地の瞬間には建物が倒壊するかという揺れが発生し、同盟の三大将もやや怯んだ面持ちである。
 三大将の一人が、ややあって声をかける。
「名を名乗れ、侵入者!」
 雷電が一喝する。
「自分から名乗れ、礼儀を知るならばな!」
 その男はうなずく。
「ならば名乗ろう。われはバスケットボール部主将にして晴天同盟会計、青木!」
 バスケは体育館スポーツだから、晴れとか雨とか関係ないじゃん。
「それではこちらも名乗ろう。俺はもがもが」
 声を張り上げようとする雷電の口を抑え、水知が進み出た。
「光原を返せ」
 青木はせせら笑う。
「そうはいかん。なにしろ彼女は大事な――」
 他の二人が青木の服を引っ張り、青木さん、と声をかける。青木はそこではっとして、言いかけた言葉を口中に押し込む。
「いや、多言を労するのは無益――」
 青木はぱちんと指を鳴らす。すると跳び箱やボールの影からぞろぞろと、体操服とゼッケンをつけた学生が飛び出し、水知と豪助を包囲した。
「傘使いの軟弱者、蛟丸の手先よ、……死んでもらおう」
 その一言とともに、同盟の学生たちはおのおの剣、槍、斧、弓、薬草、三節棍、備中鍬、自動小銃、青竜堰月刀、鞭、ロウソクなどを手に一斉に襲い掛かってきた。その数はおよそ百。
 ――なんてこった。
 水知は怒りに任せて飛び込み、充分に様子を見、作戦を立てなかった自分の迂闊さを呪った。だがもはや、後悔しても遅かった。
 傘を舞わしてステージ上へ突進し、剣を持った巨漢の脳天を一撃し、三節棍を振りかざす美少年の顔面を斜めに打ち下げ、六人の弓道部員と二人のアーチェリー部員が放った十二本の矢を続けざまに打ち落とした。これでようやく三歩。ステージ上まではまだ二十歩もある。
「相手は二人だぞ、怯むなっ!」
 ステージ上から青木が構成員たちを鼓舞する。
「ぐおっ!」
 悲鳴が聞こえて水知が思わず振り返ると、豪助が背後から備中鍬の一撃を受けていた。顔を血まみれにしながらも、豪助はなお奮闘する。
「雷電!」
「俺に構うな、自分の敵だけを屠れ!」
 一人の部員が斧を手に水知に撃ちかかった。かわし得ないと悟った水知は、やむなく――。
「雨月、そして空をおおう積乱雲よ、もう一度頼む! 雨宮流、弐式乙――!」
 轟音とともに、水知の傘に雷が落ちる。
「雷迎傘・散輝ッ!」
「うわあ!」
 斧の男が倒れこみ、水知の前に立ちふさがるほかの大勢の生徒も、みな身体を抑えてかがみこんだ。蜃楼を破った技の応用で、雷撃の衝撃波により正面の多数の敵を薙ぎ払う雨宮流の秘技だ。
 だが青木は冷静だった。晴天同盟のナンバー3、会計にまで上りつめた男である。水知の体力が衰えていること、散輝の威力も損なわれていることに、はっきりと気づいていた。
 怪我をした豪助がついに倒れる。その震動で、病体の水知はふらつく。体力の限界だった。水知は朦朧とする視界の中、それでもなお二人、三人の敵を撃った。
「やれ!」
 青木の掛け声で、動ける敵はみな水知を襲う。
 そのとき、雷鳴とは別の、爆音が轟いた。

   ◆

 ステージの真後ろ、青木の背後に大穴があき、二人の人物がそこに立っていた。一人は、もはや水知にも馴染みとなった黒合羽。そしていま一人は、なんたる悪趣味か、黄金の合羽をまとっている。
「標的――晴天同盟構成員八十二名、ロック完了」
 黒合羽のほうが、機械的な台詞を吐く。先ほど聞いた声である。
「発射だ、『禍炮』」とこれは金合羽。
「了解」と黒合羽が応じた。
 すると『禍炮』と呼ばれた黒合羽の背中から、いや正確には背負った箱様のものの中から、ミサイルが蜂のように飛び出し、次々に同盟の学生を撃った。青木、そして二人の副官も例外ではなかった。
「なぜ、雨衣がランベ・リューアの救援に……」
 青木はわけもわからぬまま、意識を失って倒れた。水知は傘を杖に倒れまいとしながら、二人の合羽を見つめた。敵か、味方か――。
 彼の視線と、地面に伏しながらも憎々しげな目でこちらを見つめる豪助とに気づき、金合羽は名乗りをあげた。玉を転がすような、まるく整ったメゾ・ソプラノ。
「紹介が遅れたが、私は雨衣総帥・水落衣織。そして彼女は……」
 それに応じたのは、黒合羽ではなく豪助だった。
「第三衣『禍炮』……秋水、雫……!」
「さっきは名前を偽って、申し訳なかったわね」と秋水。
「なぜ助けた……!」と豪助。
「お前を助けたわけではない」と衣織は切り捨てる。「私が助けたのはそっちだ――雨宮水知。それに光も」
 身体はふらつくが、耳ははっきりしていた。「なぜ僕を?」と水知が問う。
「私も少しは傘道の知識を備えている。雨宮流は実戦、それも危機に陥ったときに飛躍的な能力を引き出す流派だ……蜃楼と戦ったときのようにな」
 衣織は続けた。
「だから、水知。君には、下手に危機に陥ってもらっては困るのだよ。君の才能は蛟丸にも勝る……その力を得る前に、必ず私が君を殺す」
 息を切らせた閃電三十郎が、遅ればせながら体育館内に入ってきたのはこの時だった。館内の険悪な空気を悟り、見下ろせば累々たる戦士たちの山、見上げれば――総帥と第三衣の姿。
「遅かったわね、閃電さん」と秋水。「紫電先生の諜報能力も大したことがないわ」
 三十郎はごくりと唾を飲み込み、傘を構える。
「無駄な真似はよすんだな、三十郎」と衣織。「ここにいる君たち三人が束になったところで、私を――いや秋水すら、倒せるわけがなかろう」
「そんなに殺気立たないで。今ここでやる気はないのよ」と秋水。「窮兵追うべからずってね。半死の未熟者を相手にしても面白くないし」
 三十郎は傘を下ろす。なお警戒を怠らない表情であるが、その顔つきには安堵の色が窺われる。
「では蛟丸によろしく伝えておいてくれ」
 そう言って衣織は踵を返した。
 秋水もその後を追ったが、間もなく振り返って、こう言った。
「そうそう、第一衣・唐園緑(からそのみどり)と第二衣・花月葉露(かげつはつゆ)は近々戻ってくるわ。特に葉露からはあなたと紫電先生への伝言を預かってる。『兄のことは忘れてない』ってね」
 言葉を受けて震え上がった三十郎を尻目に、秋水も体育館を去った。
 気力を使い果たした水知と重傷を負った豪助は思わず気絶し、三十郎は震えを止められなかった。

 そして忘れ去られている人が一人。
 ――落着したんだから、誰か早く縄とさるぐつわを外してよ!

 ◆15(木塚百川)

 旧体育館は、いまや要救助者であふれた野戦病院となっていた。泣き声と呻き声の二重奏が、雨音をバックによどんだ空気をかき回している。ただでさえ電気系統が死んでいて薄暗い館内は、厚い雨雲のせいで、ほとんど夜中のように視界が利かなくなっていた。
 床を打つ雨音が、水知の意識を揺り起こした。
「……う。げほっ」
 片肘で体を支え、重い頭をゆっくりともたげる。頭が痛い。中でナマリダマでも転がってるみたいに、がんがんする。開けたはずの目には、ぼんやりした黒色以外に何も映らない。
「寝ていなさい。動ける状態じゃない。……敵はいませんから」
 聞き覚えのない声が聞こえた。いや、聞いたことはある。誰だかは思い出せない。
 ひどく寒い。それでいて、吐息は何より熱い。
 目を開けていられなくなって、水知はまぶたから力を抜いた。肘からも力が抜けて、背中が床につく。
 びちゃり。粘着質な音がした。それさえ耳に捉えず、雨宮水知は意識を失った。
 ……光が闇を真四角に切り取った。
 一拍遅れて、雷鳴。
 照らし出されたのは、立っているひょろ長い人影と、もう一つ。身を起こしかけた、幅の厚い人影。
「……気がついたのか、豪助」
「――うむ。単なる脳震盪だからな」
 分厚いシルエットの持ち主はそう答えると、そこが地獄の底でもあるかのように眉間にしわを寄せ、周囲を眺めた。途切れなく立ち上る苦痛の声やすすり泣きが、闇の奥から惨状を伝えてくる。彼に見える範囲にも、投げ出された脚やら腕やら、折れた剣やら鍬やらが散らばっている。
「同盟も意外ともろいものだな」
「奴らは数は多いが組織としては未熟もいいところだ。よくいって楽観主義者の集団でしかない。……少なくとも二年前まではね」
 手近に倒れていた男子生徒の衣服を剥いで、それを倒れた水知の上にかぶせながら、長身痩躯の男――閃電三十郎は言った。豪助の返事を待たずに、彼は続ける。
「二年前から奴らは変わった。組織力はともかく、人的・物的資源を調達することにかけては雨衣さえも及ばない。見ろよ」
 びしょぬれになった黒い金属塊を片手でつかみ、顔をしかめて両手で持ち上げる。
「自動小銃……コルトM16A2だ。アメリカ軍からの流出品だろ。いくらネット社会とはいえ、そこらの高校生風情が手に入れられる代物じゃあない」
 放り出す。壊れたオートライフルにはもう関心を払わず、三十郎は豪助に目をやった。
「取りあえず出るぞ。この場は雨宮のコンディションに悪い。保健室はあの有様だが、ここよりはマシだろうし」
「わかった。だが、こいつらはどうする?」
「ほっとけ……と言いたいとこだが」
 三十郎はその体躯同様に細い目をさらに細め、ステージの方向へ歩き出した。倒れ伏している男子生徒の横にひざまずき、転がっている円筒形の塊を拾い上げる。「弾頭はゴムか……まあ当然だな」低い声で呟いて、その生徒の頭を蹴飛ばした。
「う……げほっ、き、貴様」
 同盟会計の青木だった。失神は浅かったようで、すぐに意識を取り戻す。
 彼が状況を悟るまでの時間を十分に与えてから、三十郎は口を開いた。
「青木雄二君。見ての通り、君たち同盟の手勢は壊滅した。ですが、私はこうしてここに立っています。もう一人、雷電家の豪助もね。
 さて、以上を踏まえて質問したいことがあるのですが、答えてもらえますか?」
「きょ、脅迫か」
「質問します。光原ハルを何のつもりで誘拐したのです?」
 青木は口元を震わせたが、固く目を閉じて口を引き結んだ。三十郎は唇を吊り上げると、青木の耳元に口を近づけ、二言三言ささやいた。
「な……き、貴様、もうそれを……!」
 たちまち青木は目を見開き、息をあえがせた。三十郎は冷笑を向けると、立ち上がった。「せいぜい仲間と養生なさい」と言い捨てると、豪助に向かって言う。
「行くぜ豪助。こいつは小物だ。大したことは知らんらしい」
「あ、ああ」 
 豪助が答えた。背には衣服に包まって蓑虫のようになった水知を背負っている。二人の足が出口に向かいかけたそのとき、恨みがましい呻き声が二人の背をひっぱった。
「ふむー……! ふむー……!」
 二人の足が止まった。互いに横目を交差させる。そろって額に汗を浮かべていた。
 二人は同時に踵を返した。

 ◆

 教室側の扉から漏れ聞こえてくる授業の声。
 外側の窓から漏れ聞こえてくる雨の音。
 その二つにはさまれた廊下を、二人の女子生徒が歩いていた。秋水雫と水落衣織である。二人とも天晴学園の制服に着替え、その手には何も持っていない。秋水のミサイルランチャーはどこかに仕舞われたものらしい。
 クラスの違う二人だが、共に出席簿には「体調不良につき欠課」と記されているはずである。もっとも、言いわけどおり保健室に行くつもりなどなかった。仲間の一人が大暴れしたばかりだろうから。
「……蜃楼と万花からの報告はないな。やはり仕損じたか」
「水知を討ちにいった片方――性格からして蜃楼でしょう――は、おそらく。紫電がどうなったかは不明ですが」
「連絡がないのだ。返り討ちか相討ちか――三十郎が水知らと行動をともにしていたところを見ると、前者だろうな。懐刀が無事で、所有者が無事でないわけがない」
「確認しますか?」
「無用。ここは動物園ではないのだ。狸など、好んで見にいくものでもあるまい。それよりも地下風水盤の解析こそが急務だ。――『針』の候補は絞れたのか?」
「雨宮水知の持つ雨月が、それに適しているかもしれません。唐園と花月の報告次第ですが」
「そうか……吉報であるといいな」
「はい」
 やや早足で歩きながら、雨衣の第三衣と統率者は会話を続けた。階段を上り、二階廊下を歩く。
 水落衣織は不意に話題を変えた。
「秋水。天文部部室を爆撃した件について、聞きたいことがある」
「なんでしょう?」
 素知らぬ風に応じつつ、秋水はひそかに息を呑んだ。水落の本来の指令は「嵩宮蛟丸のいる時刻を見計らってロケット砲を撃ちこみ、しかる後に暗殺部隊二名を派遣して確実にこれを殺害せよ」だったのだが、実際の雨衣の代わりに子飼いの部下を送り込んだのは秋水の独断であり、彼らに水知の身柄を拘束させようとしたのは明らかに違反行為である。知られれば無事ではいられない。
(やはり雲原から報告がいっているかしら……? つららの奴め、迂闊にも名を明かしたみたいだし)
 氷衛の報告では、雲原と相対したときに、彼自身もうっかり氷術を使ってしまったらしい。これでは下位雨衣を装った意味がない。彼らに対する不審は、現場指揮官の秋水に対する疑惑となるに違いない。そうなった場合は、最悪、雪守一族を切り捨てる覚悟を、秋水は持っていた。
(氷衛のやつ、直後に熱出して倒れたからねぇ……つららを心配してついてってあれじゃ、本末転倒だってのよ)
 秋水の内心の葛藤をよそに、水落はこころもち歩調を緩めた。視線は前に向けたままだ。
「指揮下には海公兄弟を入れたはずだな?」
「その予定でした」
 水落がいぶかしげな視線を向けてきた。
「予定? では、実際はどうだったのだ」
「おや、雲原からお聞きになってはおりませんか?」
「雲原が現場にいたのか?」
 この問い返しで、秋水は水落が雲原から報告を受けていないことを知った。もし「聞いたとも。それによれば、現れた雨衣二人はどうやら偽者だったようだが、どういうことだ」と返ってこれば、すでに事は破れている。雪守一族は謎のテロリストとして、秋水自身が葬らねばならなくなっただろう。
 だが、その事態は避けられたようだ。秋水は何食わぬ顔で続ける。
「現場確認の際に姿を見ました。てっきり監視役であると思っておりましたが」
 言いながら、雲原勇姫をどう口封じするかの算段を後で練ろうと心に決める。
「命じた覚えはないな。そもそも、昨日から雲原とは連絡がつかんのだ。
 まあそれは置くとして、では秋水、単独で狙撃したのか?」
「はい。本来のご命令は嵩宮蛟丸の暗殺でしたが、あの場には雨宮水知に加え四天王パラソレイユまで集まったことが確認できたため、暗殺部隊の派遣は独断で中止したのです。派遣したところで、海公兄弟を失うだけだったでしょう」
「そうか。あの兄弟、作戦開始時刻に手芸部で昼寝などしておったゆえ、ちと不思議に思ったのだ。
 しかし蛟丸も命冥加なことだな。あのカリスマと行動力は正直厄介なのだが」
「いずれ奴の潜伏先も暴いてごらんにいれましょう」
「心強いな。だが――」
 水落は足を止めた。秋水も立ち止まる。そこは廊下と渡り廊下が交差するT字路だった。
 目が細められる。
「そなた、二心はあるまいな」 
「無論」
 秋水は即答し、深々と一礼した。やや深すぎたのは、自分の表情を隠すためか、相手の表情を見ないためか、自分でも判然としなかった。顔を上げると、水落は普段の表情に戻っていた。
 告げる。
「それでは、私はこれより蜃楼遥を回収してまいります。御免!」
 窓を開け放ち、窓枠を蹴って、秋水雫は校庭へ身を躍らせた。

 ◆

 暑い。
 一年丙組の窓際の席。教師の英語と雨音に包まれつつ、霙沢つららは死にかけていた。
 いつもはサラサラなピンク色の髪も、額に張りつくわうなじにからまるわと、気持ち悪くてたまらない。机の上のハンカチはじっとりと水気を吸って重たくなっているし、ノートも汗を含んでしわしわになってしまっている。赤ペンもにじんで、うまく字がかけない。
 現在の気温は、16℃である。
 このころの気温としては、まあ平常どおりだ。つららのクラスメイトはみな長袖だし、教師もジャケットを羽織っている。ただつららだけが、ブレザーの上を脱いでリボンも外して、それでも顎から汗を滴らせつつ茹だっているのだ。名前の通り、日なたに置いたつららみたいに。
(ねえ、つららちゃん、大丈夫? 熱あるなら、保健室に行ったら?)
 後ろから親切にも友人が声をかけてくれた。しかしつららには聞こえない。「ぼえ~」とよく分からない返事を返すだけだ。教師が英文朗読をやめてつららの方を見たが、すぐにテキストに戻っていった。つららはうめく。
「し、死むるぅ……暑いぃぃ」
 それもそのはず。霙沢つららの体温は、15℃なのだ。彼女にとっての最適温度はマイナス1℃、現在の16℃という気温は、普通の人にしてみれば肌寒ささえ覚えようかというレベルだが、つららにとっては摂氏37℃の酷暑に匹敵する。彼女が溶けたプリンのようになるのも無理はなかった。
 雪守の一族、その身に氷を宿すものとしての宿命である。などと長兄の氷衛は言っていたが、迷惑な特異体質というべきだろう。つららは氷柱を生み出すことができるが、それがこのデメリット以上に役立った記憶などないのだから。寒中水泳の女子チャンピオンにはなれても、地元のローカルニュースにしかならないし。
 彼女ら雪守の一族がここ東京で暮らすには、秋水経由で送られてくる秘薬が不可欠である。
 その薬は今朝飲んだはずなのに、どうも効き目が鈍いようなのだった。

 三年甲組の教室では、同じように雪守氷衛が死にかけていた。
 こちらは古文の授業である。万葉集の和歌について教師が熱心に解説している。最前列の一席に端然と座し、真摯な瞳で黒板を見つめているのが、氷衛である。ただしその瞳は先ほどからまったく動かない。よく見れば、涼しげな表情なのに全身びっしょりと濡れていることが分かっただろう。伸びやかな髪もいく筋かにまとまっていて、つやつやと光っている。
(……暑い)
 意識はあった。
 氷衛の体温はつららよりもさらに低く、相対的に体感温度は高くなっている。熱中症でも起こしかねない状況だったが、氷衛は外面上は平静を保ち続けた。
 これは罰なのだ。
 天文部部室を襲撃する際に、自分は六つのミスを犯した。
 まず、標的を見失った。
 また、退き際を誤った。ターゲットをロストしたのなら、深追いせずに撤退すべきだった。
 それに、雨衣と戦闘してしまった。ハプニングとはいえ、雨衣の幹部である主の立場を危うくしてしまったことは否めない。
 しかも、氷術を使ってしまった。隠密のつもりが、身元が割れかねない失態だ。雨衣という偽装も無意味となった。
 さらに、つららに名乗らせてしまった。弁解しようのない失態である。何のために自分がついていったのだ。
 おまけに言えば、その雨衣を仕留めることができなかった。奴から上層部に報告がいけば、主は厳しい選択をしいられる。雪守の悲願もそこで潰えることだろう。
(オホーツクでは済まんな。到達不能極にでも埋まるしかないところだった)
 報告を受けた秋水は苦りきったが、「まあ、頑張るけど、そっちも覚悟しといて」と言い残して去っていった。氷衛は自責の念でいても立ってもいられず、秘薬を飲まずに酷熱に耐える事をささやかな罰として選んだのだ。自己満足でしかないが、そうでもしないことには気が治まらなかった。ちなみにつららの薬もビタミン剤に替えておいたので、今ごろ彼女も地獄の釜の中にいることだろう。
 秋水がどうなったのか、自分には知る術がない。ただ、最悪の結果となっても、自分が全てを甘受するつもりでいる。それが雪守の長兄としての務めだと、彼は信じていた。

 ◆

 雨は依然として降り注いでいる。 
 旧体育館から出た三十郎ら四人は、保健室に向かって歩いていた。意識不明の水知は豪助が背負い、三十郎が朱も鮮やかな唐傘を広げ、水知にかかる雨を避けている。ハルは水知の傘を借りて差していた。「使うがよい」と渡された豪助の番傘は、両手で支えても持ち上がらなかったので。
 雨音のほかには、足音しか聞こえない。雷雲は去ったようだった。
「ふむ……結局、何もされなかったのか」
「うん。『日光浴は好きか』とか『太陽の塔をどう思うか』とか、わけわかんないこと聞かれただけ」
 三十郎の問いに、ハルは答えた。豪助が太い首をかしげて聞いた。
「だがおぬし、猿ぐつわをかまされていたのでは?」
「あれはみんなが飛び込んできてからだよ」 
 豪助の背に負われた水知は、顔色が蒼白だ。豪助の首に回されている両腕も、だらりと力がない。ハルは心配になって、彼の額に手を当てた。
「熱ッ……」
 すぐに手を離す。「急がねば」と豪助が言って足を速めた。慌ててハルもついていく。
 小走りに豪助の背を追いながら、ハルは右手に視線を落とし、軽く眉をひそめた。
 熱かった。
 熱があったというより、静電気が弾けた時のような感覚だった。光も音もなかったが、ハルの手が確かに、衝撃で揺れた。
「そんなに熱があるのか?」
 心配そうな口調で三十郎が言い、傘を持ち替えて手を水知の額に伸ばした。撫でる。
「なるほど、38度はある。こいつは危険だ。急げ」
 手を引っ込めて、三十郎も足を速めた。上体を揺らさない走り方で、豪助も続く。
 三十郎の反応は別におかしくはなかった。さっきの灼熱感は錯覚だったのだろうか。
 解けない疑問を抱いたまま、その後ろにハルが続いた。 

◆16(藤枝)

 雨が、降っている。
「雨なんて大嫌いだ」
 ぼそっと、誰にも漏れ聞こえないように、ランベ・リューア四天王パラソレイユこと雲原豪姫は呟いた。四天王の誰かに聞かれでもしたら、叱責だけでかなりの時間をとられることは間違いなかった。何を言うかパラソレイユ、雨の力、すなわち水の力は我らランベ・リューアの――云々。
 豪姫は、叶わぬ恋に身を焦がす悩める美少年風(言ってしまえば宝塚風)に、ため息をついた。
「どうかしましたか、パラソレイユ」
 見逃さずにそう声をかけるのは、蛇之目香勝(じゃのめ かがち)。ランベ・リューアの四天王イグニスファテュース、通称、(何故か)ジャック。古風な蛇の目傘を使う男で、名は体を現すということを体現しているような、蛇のような男だ。開かれたことがない細い目やその痩せた体躯は言うまでもなく、特に、そのどこかいやらしい性格が蛇そのものだ。
「僕は君とは違うからね」
 皮肉っぽくそう返してみたが、どれだけ通じたことやら。
 雨になると力が激減するから、と言う理由だけではない。大切な奇術道具一式が濡れるのだけは、いくら水の力が云々言われようとも避けねばならぬ事態なのだ。それが分からないから、凡人は大嫌いだ。観客は大人しく座って見てろ――と、豪姫がむかっ腹を立てているその隣では、二人の険悪な様子など気付かずに、黒傘使いと日傘使いが歓談している。漆黒の貴公子デミトリこと黒野井翼(くろのい つばさ)、そして妖精の羽シロフリルこと白木東綺麗(しらきど あやり)だ。
 豪勢な顔ぶれだ。一堂にランベ・リューア四天王が会することは珍しくはないが、1年間戦い抜き、戦士となった今では、そのオーラが昔とは異なっていることであろう。彼らが昔の戦いを語ったり思い出したりしていたちょうどその時、ガチャリと天文研究会の部室が開いた。皆、一斉に傘に手をやってランベ・リューア式の敬礼のポーズをとる。
 四天王の視線を独り占めにしながらにこやかに部室へと足を踏み入れるのは、彼らの主(マスター)である、嵩宮蛟丸(かさみや みずちまる)だった。
「皆、忙しい仲良く集まってくれた」
 人の良さそうな、それでいて周囲を引き付ける魔性の笑みで、彼はそう四天王をねぎらった。
「もったいなきお言葉」
 間髪入れずにそう返すのは、四天王リーダーのデミトリだ。雄々しく力強い風貌をしているが、その毅然とした立ち振る舞いがその荒々しさに美しさを添えている。学ランの前を開け、詰襟の代わりにシャツを着込んでいるというラフな出で立ちにもかかわらず、公の場でも通用するだろうと思えてくるのだから不思議だ。
「あー、堅苦しいですねぇホント。これだからバットは・・・」
「デミトリ、だ。ジャック、主の前で何ということを――」
「やめないか、二人とも」
 つまらぬ茶々を入れるジャックにむきになるデミトリを、主は難なくなだめながら言葉を続ける。
「今日、態々諸君にご足労いただいたのは他でもない」
 さっと全員の顔が引き締まった。主の一言一句を逃さぬようにと、逸る気持ちを抑えながら次なる言葉を待つ。やや間をおいてから、主は重々しく口を開いた。
「我らランベ・リューアの希望――『雨宮水知』様についてのこと、そして、昨日に起きた『襲撃事件』のこと、だ」



 雨は、一向にやむ気配を見せない。
「いつまで降るつもりかしら?」
 イライラを隠しきれない様子で、雲原勇姫はトントンと指先で机を叩いている。
「天気予報によりますと、まだまだ雨はやまずに降り続き」
「このままやまずに降り続き、今日夜半に向けてますます強くなるそうですよ」
 そっくりな顔をした双子の兄弟が、そう返してくれる。
「先輩、もしかして合羽を」
「合羽を忘れてしまったのですか、先輩」
「そんなわけないでしょ」
 片方が喋った語尾をもう片方が継ぐという変わった喋り方をする双子にぴしゃりとそう返して、勇姫は頭を振った。
「水落サマに殺されちゃうわ」
「成る程、確かにその通り。ですが心配は無用、ここは手芸部ですぞ?」
「そう、手芸部です先輩。一つ二つ完成品を持っていっても誰も気にも留めませんとも」
「それはそれで問題でしょ。例えば――」
 言いかけて、勇姫は口をつぐんだ。海公兄弟がどこまで知っているのだろうか、あるいは巻き込むことになるのだろうか。
 だが、ボールを投げてくれるのを待っている仔犬のような瞳で、じっと自分を期待して見つめる二人に折れた。
「――誰かが、盗るかもしれない」
 『誰かが』――例えば、秋水とか。
 よくよく考えてみれば、あの男の着ていた方は自分が作った合羽だったのだ。ボタンとファスナー両方がついている手作り合羽など、自分以外に誰が作るというのだ。だが、勇姫の胸中など露知らず、双子は全く同じ動きで数回頷くと、
「そうですか、残念といえば残念」
「残念、残念、ちょっと残念」
と呟いた。
「何でよ」
「先輩の分も作ろうと思ったのに」
「先輩の分も作ろうと思ったので」
 語尾の一文字だけ違う台詞を同じ声で言われ、さすがの勇姫も大きなため息をついた。この双子の声に、ハモリという状態は無い。
「この前直したばっかり」
「「そう言われてみれば、そうでした」」
 今度は、全く同じ言葉が返ってくる。自分も双子なのだが、彼らほど息の合った双子のことはいまいちよく理解出来ない。
「ただでさえ数が足らないんだから、これ以上余計に編むのは、イ・ヤ!」
 某TV番組『愛のデリデリ☆キッチン』の収録を終え、手芸部に顔を出すと同時に、彼女はまたいつもの日常に戻されていた。少し様子を見に来ただけだ、という彼女に強引に針と糸を渡すと、副部長でもある海公兄弟は嬉々として世間話に花を咲かせている。
「そういえば今日の特番でマジックやりませんでしたっけ? 『MMM(ミラクル・マジック・ミレニアム)』、だっけ?」
「そうそう、『MMM』。確か有名マジシャンが何人か出るとか」
「有名マジシャンが出るとなれば、先輩は見ますよね? 今夜7:00から」
「7:00から3時間スペシャル23チャンネルです」
「23チャンだっけか?」
「確か23チャンだったぞ。出演者は、Mr.ITUMIとか外国人とか若手とか」
「ああ、先輩一押しの『逸美豪(いつみ ごう)』も出る、ん、ですよね、勇姫先輩」
「んー」
 生返事を返しながら、勇姫は別なことを考えていた。無論、兄(姉。ちなみに逸美豪というのは芸名)が出演する特番は録画するつもりだし見逃すつもりも無いが、問題はそんなことではない。
 画策――だ。
 知りたくて知ってしまったわけではないが、確実にこの雨衣内部で何らかの画策が行われている。そしてどうやらそれは、第三衣である秋水がかんでいるようなのだ。対する自分はたかだか第六衣。実力の差ははっきりしている。
 ならばトップに直談判を、とも考えたが、それもどうだろうか。立場としては上である秋水の目をかいくぐって、秘密裏に水落と会うことが果たして出来るのか。逆に自信が怪しまれてしまえば、秋水の証拠隠滅の格好の口実になってしまう。
 今、ここで学校を去るわけには行かないのだ。他の学校では、授業をある程度休んでも単位が取れればそれで卒業できる、という方式ではないのだから。
 そう、豪姫のようにプロマジシャンへ就職がほぼ確定しているのとは違い、自分はアイドルデビューしたてだ。夢は女優とは思っているが、その前に勉強もしておきたい。演技の勉強は言うまでも無いが、大学進学だ。今のような不思議天然キャラでTVに出続けるのは、正直言ってちょっとつらい。
 それに、だ。
 学校が変われば、豪姫に妙な追っかけが出来ないとも限らない。本人は全く気にしていないようだが、ラブレターや手作り弁当、果ては部室へ押しかけての差し入れなど、いわゆる御姉様として彼女を慕っている女学生は少なくは無いのだ。妹的にも、豪姫を誰かに取られるのは許しがたい。
 ともかく、学校を変わることなくこの状況を打破できないものか、とは思っているのだが、解決の糸口すら見えてこないのだ。
 何度目かのため息をつきながら、勇姫は電源を切りっぱなしにしてある学校用のケータイを見た。
 ここ数日のうちで、メールが何件舞い込んだことだろう。天文研究会襲撃事件の詳しい説明を、と言われてもどうすればいいのだろうか。ロケを口実に電源は入れてないし、今日も学校は休みを取ってある。だがそんな言い訳ももうすぐに尽きてしまう。
「・・・ごめん。やっぱ今日はもう帰る」
 唐突にそう海公兄弟に告げると、彼女は部室を出た。
 雨はまだまだ、降り続いている。



「――というわけで、主を襲ったのは雨衣ではない可能性があることはお分かりいただけただろうか?」
 パラソレイユこと豪姫は整った顔に諦めの色を浮かべながら、そう言って着席した。明らかに嫌疑の目を向けているのはジャックだ。もともと、内通容疑で身分が下がらなければ実力はパラソレイユの方が上なのだ。仲が悪いのは仕方が無いことなのだろう。だが他の二人も信じがたいといった面持ちで彼女を見ている。
「それで?」
 口を開いたのはジャックだ。冷笑を交えた皮肉な口調で、言葉を続ける。
「そのニューカマー情報はいったいどこから来たんでしょうねぇ? そもそも、雨衣の構成すら正しい情報を掴みかねているのに、それが別の組織のものだとどうして分かるんです?」
「・・・」
 口を開けば不利になるばかりだ。ランベ・リューアのために良かれと思ってしたことがこう返されると、何も言う気力が起こらない。
「だいたい君の妹は――」
「もういい、黙れジャック」
 調子に乗ってさらに何かを言おうとする彼を止めたのは、デミトリだった。
「言い分は分からんでもないが、もし別の組織が独自に動き始めたとなれば事は深刻だ。晴天同盟の動きも気になる。ここは早急に水知様と組むべきではないのか!?」
 疑問形を取りながらも、反論は許さない。ジャックは軽く鼻を鳴らすと、そっぽを向いてしまった。
「とにかく、みんな」
 険悪なムードが漂う中、光明のように主の声が響く。
「私もパラソレイユの意見には賛成だ。聞けば相手は氷を使ったという。ならばそこから組織を割り出せるかもしれない」
「しかしそれが本当かどうかは――」
「信じるしかないだろう? 『仲間』を」
 暫く、沈黙が続く。ややあって、再び主は口を開いた。
「互いに信じることが、何よりも大切だ。私が言うのもなんだが――そもそも私がもっとしっかりしてればランベ・リューアは雨衣ごときに引けは取らなかっただろうし、四電家に加勢を頼むことも無かっただろうに――今の我々には、情報が少なすぎる。だからこそ、仲間を信頼しあい、内々で疑ったり争ったりすること無く、一致団結することが、必要なのだよ。そう、」
 言って、主は悲しげに目を伏せた。
「葉霧君のようなことは、もう、二度と・・・」
 重苦しい沈黙。
「いや、すまなかった。終わってしまったことをどうこう言っても仕方が無い、これから二度と無いようにと決めたのだからね。とにかく、皆には気後れすることなく戦ってほしいんだよ。裏で何が行われていようと、決して傘が屈してはならない。そして、望みを奪われても、ならないんだ。だからそこ、頼む。どうかこの嵩宮蛟丸に、力を預けて欲しい」
 彼は深々と頭を下げる。それをデミトリが押しとどめ、敬礼のポーズをとって言う。
「いえ、我らもご期待に添えるよう、全力で望むつもりです」
 四天王は全員、中には完全には納得出来てない者もいるだろうが、それでも目的のために尽力すると口々に言った。それだけで、ここに来た意味はあるだろう。自分の口から言うまでも無く、彼らならば立派に部活の勧誘も行ってくれるだろうし、今後の対応もとってくれることだろう。
「ありがとう」
 蛟丸は思った。心のそこから、こう思ったのだ。
 自分はいい部下を持って、幸せだと。



 そう、『いい部下』だ。
 誰もいなくなった部室で、蛟丸は笑っていた。声こそ上げなかったが、もし許されるのならば大声を上げて笑い出したい。
 なんとうまくいくのだろうか! と。
 あの襲撃事件以降、パラソレイユこと雲原豪姫の疑いはますます高まっていた。彼女が雨衣を手引きし、蛟丸と水知を罠にはめたのではないか、という疑いだ。こればかりは面倒ではあったが、自分の口から説明する必要があった。彼女は無実であり、むしろこの蛟丸を庇ってくれたのだと。そんな程度で疑いが払拭出来るとは思っていないが、それでも暫くのうちは彼女を四天王から外すことはあるまい。今の状況において、戦力ダウンはあってはならないのだ。
 一人でそう思いを巡らせ、蛟丸は思わずニヤリとした。
 『状況』、そう『状況』だ。
 誰がどこの組織に身を置き、何を考えて動き、そしてその結果どうなるのか。
 ランベ・リューアは何も知らない。少なくともそういうことになっているし、どこの組織もそう思っていることだろう。雨衣はランベ・リューアを無知なる敵として対応し、四電家は己の家のためにランベ・リューアに取り入って傘下のものを利用し、晴天同盟はランベ・リューアと雨衣を争わせて漁夫の利を得ようとしている。
 誰も、
 何も、
 気付いていない。
 あまりの出来すぎさに拍子抜けしてしまうほどだ。邪魔者の葉霧を葬ってから、自信の道を塞ぐものは何も無くなった。
 注意すべきは雨衣第三衣の秋水だが、放って置いても支障は無い。自身の計画を悟られていないと信じきっているものの動きなど、おそるるに足らず。仮に予想外の出来事が起きようとも、被害をこうむるのは『たかが』ランベ・リューアだ。

 嵩宮蛟丸ではない。

 自身がランベ・リューアの主である限り、嵩宮蛟丸への復讐はすなわちランベ・リューアという組織に向けられる。そしてこの蛟丸も、組織の主としての対応を求められる。
 だがそれがどうした。
 自分ではないもののためになぜこの蛟丸が尽力せねばならないのか。
 自身の目的のために全てを利用しようとも、この蛟丸を利用することは許さない。

 じっと、鏡を見る。そこには、人の良さそうな、穏やかな顔をした青年の姿があった。
「(嵩宮蛟丸、か・・・)」
 そう、蛟丸。少なくともそう他人は呼ぶ姿だ。
 他者を魅了するような不思議な双眸をひた隠す眼鏡をした、平凡な顔つきの青年。どこに特徴があるでもなく、空気のように周囲に溶け込むことが出来る姿。
 ランベ・リューアの主であり、他の組織やそこに属する者達にいいように利用されながらも、そのカリスマ性と行動力には一目置かれている、侮れない存在ではあるが、たかが駒にすぎない、哀れな虚構。
「(せいぜい、利用するがいい)」
 何も知らず、己の理想を掲げて戦っている、手駒。
 嘲笑がこぼれる。
 いくら自身の目的のためとはいえ、ここまでやってやる必要があるのかと思えてくる。
 だが感づかれてもいけないのだ。葉霧のようなゴミ虫に、己の片鱗を垣間見られたことですらあの有様だ。その結果どうなったか――またゴミが増え、取るに足りない争いが増えただけではないか! そんなことにかまってやっているほど、時間も無ければ心も広くないのだ。素知らぬふりをすることが出来ぬからと下らない茶番劇に付き合ってやっているこの身が恨めしい。
 鏡を睨み付けるようにして、蛟丸は眼鏡をもぎ取った。
 もうそこには、優しげな笑顔も、寛大な心を持つ指導者の姿も、消え失せていた。
 そこにいたのは、嵩宮蛟(かさみや みずち)。名を偽り、聖人君主の皮を被った、おぞましい存在。
 そこに誰かの目があったとすれば、その変わり様に驚愕しただろう。あるいは、同一人物とみなすことが出来なかっただろう。それほどまでに、彼の本性を隠す仮面の出来が素晴らしいのだ。まるでその仮面こそが、彼の本当の姿であると錯覚させるほどに。
 しかし残念ながら、蛟がまだ『蛟丸』を演じ終えるのはまだ先の事のようだった。事件は水知とハルが入学してから様々な進展はあったものの、何一つ終わっていないのだから。少なくとも、今日、試しに仕掛けてみた晴天同盟が噛ませ犬で終わってしまったことぐらいしか収穫は無い。
「(さて、どうするものか・・・)」
 もう一度、晴天同盟に発破をかけてみるのもいいかもしれない。あのハルという女さえ抑えておけば、それも不可能ではないだろう。それにまだ晴天同盟の幹部クラスは無傷のはずだ。だがそれでもまだ手数は足りない。
 かといって、ここで四電家に頼むことは避けたい。何も知らない豪助ならば問題無いが、為右衛門に行動を起こされると厄介だ。蛟丸が加奈子の動向を知らないと思っているうちに、もう少し秋水の化けの皮を剥がしておく必要がある。内部分裂は望めないまでも、事が明るみに出れば雨衣も水知に構っている時間がなくなるはずだ。さらに、今、第四衣の蜃楼遥は反撃にあってかなりの間戦線復帰は見込めない、というまさに好機なのだ。
 だがそれには証拠が要る。秋水が秘密裏に組織を擁しているという、確固たる証拠が。
 鍵を握っているのは、あの氷使いの刺客二人と、雲原姉妹である。
 しかし、その証拠は今のところ秋水側にある。
 雪守一族はおそらく秋水に忠誠を誓っているはずで、口を割るくらいならば自決を選ぶだろう。証拠にはならない。
 一方で、敵である豪姫の言葉を雨衣が信じるはずも無く、唯一の希望でもある妹の勇姫は風前の灯。姉に働きかけることも出来ようが、出来る限り蛟丸本人が動いたという痕跡は残したくない。あくまでも、蛟丸は無知な手駒でなければならないのだから。だがそうなると、間違いなく勇姫は闇に葬られる。彼女がどうなろうと知ったことではないが、その情報は惜しむべきものではある。
 この襲撃事件の件は諦めたほうがいいのだろうかという結論に、蛟が達しようとしていたまさにその時。
「失礼いたします」
 馴染みのある声が、扉から聞こえてきた。何事も無かったかのように蛟は眼鏡をかけ、一瞬にして温和な蛟丸の姿に戻って声をかける。
「豪姫君か、どうかしたのかい?」
 振り返って、いつものような柔らかな笑みを返す。
「あの、そのことですが・・・」
 彼女はたとえ今、蛟丸が蛟に戻ったとしても気付かないほど動揺しきって、ある人物を背に庇ったまませわしなく周囲を見渡している。
「大丈夫、誰もいないよ」
「・・・誰にも聞かれるわけにはかないのです」
 いれば息抜き代わりに蛟に戻ることも無い、と蛟丸は心の中で呟いた。葉霧の一件以来、周囲には並々ならぬ神経を尖らせているのだから。もっとも、ある程度の隙をわざと残しておいてやるという配慮も忘れてはいないのだが。
「心配は要らないと思うが・・・どうしたんだい?」
 ともかく、豪姫は彼の言葉を信じたのか、意を決して一歩脇に退いた。そこには、一人の少女が立っている。
「君は・・・」
 驚きと疑問がない交ぜになった言葉を、わざと返す。答えを聞く前から、蛟には彼女が誰であるかなど分かりきっていた。
「妹の・・・勇姫です」
「どうも・・・です」
「えッ、まさか・・・!? 」
 ごくごく自然に驚いて見せながら、蛟は心の中で喜びに叫んだ。そして次に発せられるだろう言葉を待つ。
「実は、主・・・蛟丸様、お願いします」
 彼の顔は、驚きからようやく覚めたばかりといった顔付きだ。豪姫は続ける。
「妹が、奴らに・・・雨衣から、守っていただきたいのです」
 私は本当にいい部下を持った――蛟は表に出さずにそう呟くと、二人の少女に席を勧めた。

    ◆(穂永)

 夕暮れの体育館裏。待ちぼうけをしている少女がいる。
 特に目立った風采をしているわけではない。制服の着こなし、身の装飾、髪の手入れ、いずれもまるで行き届いておらず、いかにも垢抜けない、地味な少女といった印象だ。彼女の表情は憂いを帯びている。
 少女はため息を一つついた。
 ――来ないのかしら。
 相手に送った手紙のことを思い出してみる。
「放課後の五時半、南西体育館の裏へ来なさい」
 どこをどう読んでも、危険を想起させるような文句は、一つもないはずだ。
 少女は、最悪の事態を想定する。
 ――何か事故があって来られないなら……それならまだ良い。衣織先輩のところへ行ったとしても、私はなんとか自分を弁護してみせよう。でももし、姉を頼って行ったなら……そして万が一、あの子の身柄が蛟丸に渡ったなら。
 どう利用されるか分かったものではない。
 不測の事態が起こった時は、どうするか。
 雨衣内部で内乱となった場合、十二衣で味方と頼めるのは花月葉露だけだ。まず彼女の帰還まで身を守らなければならない。彼女が戻ってくれば、自分と二人で水落衣織を倒すことは可能だ。しかしもし、残る十二衣を敵に回すことになれば、こちらの身も危うい。平素から親しくしている第一衣・唐園緑や、現体制に不満を持つ第十一衣・吐合秦儀は味方に取り込むことができるかもしれないが、他のメンバーは一筋縄ではいかないだろう。
 もとより水落衣織を倒すことが目的ではないし、内紛で雨衣の戦力を落とせば、蛟丸に利するだけだ。
 ――返す返すも。
 雲原勇姫を奔らせたとすれば大失策だ。彼女を取り込めば、彼女の副官である海公兄弟、ひいては雨衣の主力である手芸部、加えてランベ・リューアのパラソレイユさえ味方にできたかもしれないのに。
 約束の時間を七分も過ぎていた。時間にうるさい雲原がこれほど遅れるとは考えられない。諦めて帰りかけた少女だったが、こちらへ向かってくる人影に気づいて、立ち止まった。
「雲原さん?」
 確かにそれは雲原だった。だが、勇姫ではなく。

    ◆

 待ちぼうけしている少女がいれば、待ち伏せされている主人公もいた。
 玄関の戸口をふさいでいたのは、紫電為右衛門にも劣らぬ堂々たる体格をした男と、それほどではないがやはり強健そうな筋骨の二人の男女、そして小柄で女性的な風貌の――と言っても制服から男と知れる――雲原豪姫のように男装しているのでなければ――人物だった。
「待っていたよ、雨宮水知」と小柄な男が声をかける。意外にもこの男が頭らしい。
「青木会計の仇は討たせてもらうぞ」と太った男。「俺は相撲部副将、菊川だ」
 そう言うと、菊川という男はしこを踏み始める。水知がふと下を向くと、チョークか何かで仕切り線が書いてある。どうやらこの菊川、自分と相撲を取るつもりらしい。
「さあ、お前もしこを踏め!」と一喝する菊川。
「気をつけなよ、菊川は去年の高校横綱だ」と小柄な男。
 ――あー、こんなことなら、豪助の護衛を承知しておけばよかったな。
 ぼんやりとそう思った。豪助なら、この菊川相手に相撲を取れるかもしれない。
 半日に渡って熟睡し、いくらか体調が回復したとはいえ、まだ足はふらつき、顔はほてっている。熱で鈍った頭が、水知にようやく最善手を告げた。
「手をつけ」と準備万端の菊川が言う。
 だが水知はそれを無視し、相手に背を向けて逃げ去った。
「卑怯者!」という菊川の罵声が響いた。

    ◆

 待ちぼうけをしていた少女は、実のところ待ち伏せされていたのだった。
「四天王が揃ってお出ましとは、随分なお祭り騒ぎね」
「こうでもしなければ、あなたを仕留められまい。そうだろう、『禍炮』……いや、秋水雫さん」
 余裕を装って放った声に、余裕に満ちた声が答える。声の主は四天王筆頭、デミトリだ。
「機略縦横の奸策家、裏切り者同士の約束とやらも、これで終わりですねぇ」
 毛を逆さに撫でるような、不愉快な言葉と声音を投げたのは、蛇のようなジャックで。
「妹に手を出す者、危害を加える者は、僕が決して許さんぞ!」
 と大声を上げたのは、もちろんパラソレイユだ。
 ただシロフリル一人が、貴公女然とした微笑を浮かべたまま、押し黙っている。だがそのしなやかな身体から放たれている殺気の量はデミトリやジャックにも劣っていない。
「誤解しないで欲しいけど」と秋水は、雲原豪姫にだけ答える。「雲原さん……というか、勇姫さんに危害を加えようなんてつもりは、あまり無かったのよ。そのつもりなら、部下も連れずに人気の無い場所へ誘ったりしないわ」
「では、愛の営みでもなさるつもりだったんですかね」と茶々を入れるジャック。「秋水さん、百合の花がお好きだという噂、時折耳にしますよ」
 かっと顔に血の気を上らせるパラソレイユ。秋水はかえって、希望を見出した。
 もともと、四天王はそれぞれの仲が良くなく、連携が取れていない。蛟丸のカリスマでまとまっているだけの話だ。ことジャックとパラソレイユの間が険悪なのは、もはや公然の秘密となっている。ましてパラソレイユは現在、冷静な判断ができる状態にない。秋水の力量は、もちろん四天王全員を相手にできるほどではないが、四天王の個々人は軽く凌駕しているから、連携の乱れをつけば、四人相手からも逃げられるかもしれない。
 ――まずシロフリルに攻撃を仕掛け、応援に来るであろうデミトリを牽制し、急転してパラソレイユとジャックの間を突破する。
 作戦は決まった。頼りになるのは身に携えた、二丁の自動補填式高圧液体窒素銃だけである。
 ――やれるかな?
 とは言え、やらねばやられることを、秋水は理解していた。

「やあぁっ!」
 緊迫を破り、掛け声を上げてパラソレイユが突進してくる。
 秋水はふり返りもせずに、左手の銃を後ろへ向けて乱射しつつ、ジャックのほうへちらと視線を送ってから、シロフリルとデミトリの間へ向かって駆けた。
 パラソレイユは、傘に液体窒素をかけるわけにはいかないので、乱射をかわすのに精一杯である。ジャックは視線を受けて、防衛の構えに入ってしまった。
 ――これで二対一、血路を開いて逃げる気か!
 デミトリとシロフリルは、そうはさせじと秋水のほうへ向かった。四人の陣形はなお崩れず、包囲は解けない。
 ――さすがね、でも。
 秋水は左手の銃も前面にまわし、二丁ともにシロフリルに狙いをつけた。
 ――個別の戦力は、やっぱり未熟!
 二丁の銃が、凍った炎を吐く。シロフリルといえど、かわしきれるものではない。
「つっ!」
 シロフリルは傘で地面を衝いた。絶妙な力加減で地面を衝けば、その反動で大幅に跳び上がることができる。彼女の跳躍を見た者は、翼なくとも人は飛べると思い込むという。
 ――空中じゃ、逃げ場はないわよ!
 秋水の銃が続け様に轟く。絶妙な身体バランスで、空中にありながらシロフリルは五発をかわした。だが六発目は、かわしえない体勢のところへ来た。
「くそっ!」
 デミトリが傘を投げつけ、シロフリルをまさに襲おうとした六発目の弾丸を防いだ。だがデミトリは武器を持ち替えねばならなくなった。そんな隙を、秋水が逃すはずもない。
 ――今こそ。
 逃れるチャンスだ。秋水は体勢を崩したシロフリルと、死を覚悟したデミトリを差し置いて、ステップを踏んで反転した。あとは不意をうたれたジャックとパラソレイユの間を突っ切れば、逃げ切ることができる。
 できなかった。
 予想以上に、パラソレイユが肉迫していた。
 間合いに踏み込まれれば、銃で傘の相手をするのは難しい。それでも秋水は、水落衣織直伝の武術を使い、パラソレイユに対抗した。だが相手は、パラソレイユ一人ではないのだ。
 背後から音も無く、ジャックが迫った。
 鋭く突き出した蛇の目傘が、秋水の右手を撃った。
 ――しまっ……!
「覚悟!」
 パラソレイユの傘が、秋水を袈裟懸けに切りつけた。
 薄れる感覚を支えながら、秋水はなお立ち続けた。
 ――葉霧君。
 涙を飲んで高校を去らねばならなかった親友との約束を、秋水はまだ果たせていなかった。

    ◆

 さすがに菊川は追ってこなかったが、小柄な男と頑丈そうな男女は追撃してきた。三人とも足はそれほど速くないようだったが、水知とてまだ病身であり、走れるような状態ではなかった。
 いずれ追いつかれるのは間違いなかった。
 ――保健室だ。
 保健室へ行けば、豪助や為右衛門、それに三十郎だったか、彼らが助けてくれるだろう。戦うのも逃げるのも無理なのだから、恥を忍んで誰かに助けを請うしかない。
 だが相手にも読まれていた。
 保健室へ続く廊下に、やはり三人の男が立ちはだかっていた。
「バスケット部副キャプテン、緑木。青木キャプテンの仇、討たせてもらうぞ!」
 後ろからは例の小柄な男たちが追ってきていた。水知は渡り廊下へそれ、部室棟へ向かって逃げ出した。
 蛟丸の助けは、できれば借りたくなかった。だがその心配は無用で、当然のごとく天文部部室近くにも同盟の伏兵が潜んでいたのである。
 ――あー、ヤバいかな。
 朦朧とする意識の中、水知は階段を駆け上がった。何段上ったか、何階に来たか分からない。だが水知は、その場所で、傘を持った少女を見出した。
 ――味方。
 傘はその印だ。
「追われてるんだ、かくまって!」
 少女は部室のドアを開け、水知を中へ入れた。少女が中にいた部員たちを指揮し、水知の身体を奥へ運ばせる。
 すぐに追っ手がやってきた。
「中くらいの背丈の、傘を持った一年生が、こっちへ来ませんでしたかね」あの小柄な男の声である。
「四階に上っていきましたよ」これが少女の答えであった。
 男たちが階段を駆け上がっていく音が耳に響いて、それを最後に、水知はまた意識の深層へ沈んでいった。

    ◆

 一丁の銃で、四人を防ぎ切れるわけもなかった。
 秋水は身に十数の傷を受け、それでも鉄の意志で立ち続け、戦い続けた。だが時間の問題であるのは明らかだった。
「似合いませんねぇ、秋水さん。もっと頭の良い人だと思ってましたよ。いい加減、楽になったらどうなんですか?」
 と言いつつ、楽になれないような攻撃を続けるのはジャックとパラソレイユだ。デミトリとシロフリルは、すでに戦いをやめている。
「よせ、ジャック、パラソレイユ。もう勝負はついている」
 デミトリがたしなめるが、聞き入れる二人ではない。パラソレイユは妹を傷つけられそうになった恨みから、ジャックは生来の嗜虐趣味から、気絶できない程度の攻撃をやめない。
 それにも飽きたのか、やがてジャックはパラソレイユの攻撃を制すると、嫌らしい笑みを浮かべながら、秋水の背中ににじりよる。
「膝をついたらどうなんですか? え、秋水さん?」
 秋水を背中から抱きすくめる。
「お肌が荒れてますね。女性ならちゃんと手入れをしないと。いや、今時男だってしてますよ。……あなた、彼氏はいるんですか?」
 そしてジャックは秋水の首筋を嘗めた。
 途端に、ジャックの身体がバネのようにはじけ飛んだ。
「あびゃああああっ! 舌が、舌がぁ……!」
 ジャックは口を押さえて地面をのたうちまわった。舌先が紫色に変色している。秋水の口元は、ジャックのそれより陰険な薄ら笑いを浮かべていた。
「馬鹿が……っ!」
 デミトリが苦り切った表情で、ジャックを罵る。秋水が毒物の扱いに長けていることは周知の事実である。油断してそれを忘れたジャックの行動は、軽はずみの極だ。
「彼氏はいないわ。私の肌に触って、生きている男もね」
 秋水の瞳が、急に生気を取り戻す。勝機を見出したからである。
「もっとも、男の友達は割といるけど」
 もはや秋水は、勝利を確信していた。
 秋水の視線を、ジャックを除く三人が追う。
 視線の先にいたのは、三人もよく知っている男である。
「秋水どん、こんなところで何してるべ?」
「見れば分かるでしょ。随分早く戻ったのね、唐園君」
 上目遣いで、甘えるような声で、秋水は続けた。
「助けて……くれるよね?」
 お茶目を気取る余裕すら、取り戻していたのだ。
 唐園は答えるかわりに、腰に帯びた人参を抜き、構えた。この短い得物から繰り出される必殺技「回転根舞」は、多くのランベ・リューア構成員を再起不能にした瞬速の絶技である。
 これに力を得て、秋水も銃を握りなおした。デミトリ、シロフリル、パラソレイユに、順々に銃口を向ける。
 ジャックはもう戦えない。三人で唐園・秋水の二人を相手にするのは難しいと、デミトリは判断した。
「――撤退だ。作戦は失敗した」
 納得しかねる表情のパラソレイユの背中を、シロフリルがぽんと叩く。デミトリはジャックを抱え上げる。そして四天王は夕闇の中へ消えた。

    ◆

 目を覚ますと、見慣れない光景が目に飛び込んできた。教室のようで教室ではない。水知はやがて、部室棟にいるのだということを思い出した。
 起き上がろうとして、強い頭痛を感じた。
 諦めてまた目を閉じると、なにやらひどく心地よいことに気づいた。どうやらベッドの上に寝かされているらしい。身体には良質な毛布がかけられている。ふと気づいて身体を触ってみると、カッターシャツのボタンが二つ目まで外してある。ブレザーは着ていない。
 目を開けて室内を見渡す。水知のベッドのまわりは白いカーテンで囲ってあって、まるで病室だ。外はもう暗い。時計は七時五十分を指していた。ブレザーはハンガーにかけてあった。
 ――雨月は。
 急に思い出し、慌てて周りを見回したが、見つからない。
 焦っていると、カーテンを開けて、少女が入ってきた。
「あ、目が覚めたんですね」
 身体を起こそうとする水知。
「無理しちゃダメですよ。ここへ駆け込んできたとき、凄い熱でしたから」
 そう言って少女は、つと枕もとへ近寄り、額に手を当てた。
「ん~、多少は下がったかな……。寒気とかします?」
「少し」
「じゃ、もう一枚、蒲団をかぶせましょう」
 少女はカーテンを開けて出て行くと、すぐに厚めの蒲団を持って戻ってきた。
「ちょっと重いかもしれないですけど、我慢してください」
 少女が蒲団を水知にかぶせた。水知は少女の様子を窺った。背は少し低めで、痩せてはいない。髪は肩にかかっている。そしてその髪に挿した、白い花が目立っている。
 ようやく意識がはっきりしてきた水知は、まず言わねばならない言葉があるのを悟った。
「あのさ」
「え? どうしました?」
「ありがとう……助けてくれて」
 少女は笑った。
「どういたしまして」
「他の部員はどうしたの?」
「もう帰りましたよ。だってもうすぐ八時じゃないですか」
「君は帰らなくて良いわけ?」
「病人を一人置いて帰れませんよ」
 蒲団の乱れなどを甲斐甲斐しく直しながら、少女は言った。
「こうしてると懐かしいです。兄が、病気がちだったものですから、昔よく看病したものですよ」
「ブレザーは、君が脱がしてくれたの?」
 少女は赤面する。
「だって、そのままじゃ息もしにくいし、寝かせられないじゃないですか。いいでしょ、別に……その……裸を見たわけじゃないんですから」
 水知も、少しだけ余計に赤面して、目をそらした。
「何か、欲しいものとかありますか?」
「そうだ、傘――どこにある?」
 言葉が同時に発せられて、二人は思わず笑った。
「まず傘ですか。心配するのも分かりますけどね。――素晴らしい業物です」
 少女はベッドの下にもぐりこんで、床を剥がした。中に雨月が隠してあった。
「もし盗まれたら大変ですもんね。銘はなんて言うんです?」
「雨月」
「良いですね、素敵な銘です」
「君も、傘、持ってたよね」
「ええ、私のは『露草』です」
「良いな」
「良いでしょう?」
 そう言って、少女は再び傘を隠し、床をはめた。
「さて、傘はちゃんとありました。他になにか欲しいものはありますか?」
「水が飲みたい」
「分かりました」
 また少女はさっと出て行き、コップに水を入れて戻ってきた。水知は蒲団から手を出してコップを受け取る。が、手が震えて、危うくこぼしそうになった。少女はコップを引き取り、その手で水知の口元に持っていったが、やはり水知はうまく飲めず、咳き込むはめになってしまった。
 少女は暫時思案のていであったが、やがておもむろにコップの水を口に含むと、そのまま水知の口に持っていった。
「わ、ちょっと……んぐ」
 水知に口移しすると、少女は真っ赤になって、消えそうな声で言った。
「ごめんなさい……ほかに方法も思いつかなかったから」
「いや、むしろ嬉しいけどさ」
 咽喉の痛みが癒えると、水知は安心して、再び眠気が頭をもたげてきた。
「あー、眠い」
「安心して眠ってください。ちゃんと看てますから」

    ◆

 男女二人の生徒が、下校の道についていた。時刻は、すでに夜。
「それにしても、随分早い帰りだったのね」
「んだ。飛行機があんまり遅えから、飛び降りて泳いで来ただよ」
「さすがに……冗談よね?」
 二人はふふふと笑う。この二人はもちろん、天晴高校に雷名轟く、園芸部部長の唐園緑と、化学部部長の秋水雫である。
「蜃楼どんが怪我したと聞いただ」
「うん、”後継者”にね……」
 唐園はその答えに、ちょっと驚いた風情を見せた。
「もう蜃楼どんを倒すほど強くなっでんのけえ?」
「大丈夫よ、まだ蜃楼君を倒す”程度”だから。花月葉霧君なんて、入学早々に衣織先輩と渡り合ってたじゃないの」
「ま、そだげんど」
 と唐園、やや似合わぬ思案顔である。
「でも大丈夫よ。今年は第十衣に『仙医』安道君がいるから、蜃楼君の復帰にはそう時間はかからないだろうし、何よりあなたが戻ってきたものね。あとは露ちゃんが帰ってこれば……」
 聞いて、唐園はあきれた表情をする。
「知らんのけ?」
「何を?」
「花月葉露どんなら、もう帰ってきてるべや」
 今度は秋水が驚いた。
「本当に?」
「会ったべよ」
「あの子、私や衣織先輩に連絡せず、何を遊んでるのかしら」
 口では少し怒ったようにそう言ったが、暗闇の中でも見えるほど、喜びが顔に浮かんでいた。
「これで上三衣も勢揃い、蛟丸・後継者なにするものぞ、だべ」
「そうよね」
「んだ。雨衣の勝利に、疑念なし!」
 ――そして私の勝利も。秋水は内心で、そう付け加えるのを忘れなかった。
 妖傘使い、花月葉露。彼女さえそばにいてくれれば、蛟丸を恐れる必要も、衣織にへつらう必要もない。あとは雨宮水知を引き込めば、目的達成は一挙に近づく。
「どうしたべ、秋水どん。考え事?」
「ん、少しね。……明日には、露ちゃんに会いに行くわ」
「花月どんも、会いたがってるべ」
 ――葉霧君、約束は果たすわよ。あなたの妹と一緒にね。
 遠方にいる親友に向かって、秋水は誓いを新たにした。

    ◆

 晴れた朝の光を感じて、水知は目を覚ました。一晩の間に汗をぐっしょりとかいていたが、身体の調子は快調そのものだ。近ごろずっと眠っていなかったのも、体調不良に響いていたのかもしれない。
 ――あの娘は。
 そう思って部屋を見回すと、枕もと近くの椅子で寝息を立てていた。看病疲れで眠ったらしい。
「んっ、んんんんっ!」
 大きく伸びをして、水知はベッドから飛び起きた。時刻を確認。
 始業まで、あと二分しかなかった。
「うわ! ちょっと、君、起きて!」
「はう……何です? あ、もう元気になりました……?」
「いや、そんな場合じゃなくて、早く教室へ行かないと遅刻するよ?」
 少女も時計に目をやって、それから水知と全く同じ反応をした。水知はちょっと可笑しかったが、笑っている場合ではなかった。
「じゃ、お先に失礼しますっ! お大事に!」
 そう言うと、少女は慌てて部室を飛び出した。
「……おっと、僕も行かなきゃ」
 水知はブレザーをひっかけると、少女のあとを追って駆け出した。廊下には既に少女の姿はない。
 ――速いな。
 水知は感嘆しつつ、部室棟の階段を駆け下りていった。
 ――あ、名前を聞くの忘れた。
 部室棟を出たところで、ふと思い出した水知。まあいいかと思いながら、初めての授業になんとか出ようと足を速めた。

 たまに早起きしたので、勢いに任せて書いてしまった。
しかも長い。書き急ぎすぎ。
……水落衣織、こんなキャラでよろしいでしょうか。穂永。

 風水盤とかいうのを出しました。実際だと天候操作とは無縁かもしれませんが、あっちのはきっと何かが違うのでしょう。By百川

 蛟丸極悪人化計画発動。
 やはり悪役は微塵の同情も引けない存在に作らなければ。というかそれってただの誤魔化しなんですけどねー。偽善的☆(R)
<追加>
 シロフリルの本名を修正しました。

 あれだけ詳しく設定した花月葉露を登場させないうちには、『晴れ傘』から手を引けません!
 ……というわけで、わがままで申し訳ないけど、順番を無視して続きを書かせていただきました。許して。(穂永)
 ※改行ミスの修正とかいろいろ。っていうかルール破っている以上、私が書いた部分は無視されても文句を言えないんですけどねー。書かずにおくと未練が残りそうだったし。

最終更新:2013年06月12日 21:38