2005年05月20日(金) 23時00分-穂永秋琴
晴れ傘前伝
起:花月・秋水の入学。二人の友情。雨衣・ランベ・リューアの相克。
承:花月の台頭。
転:ランベ・リューアの内部抗争。花月の追放と叛乱。
結:秋水による花月の救出。花月の転校。花月(妹)の登場。
*
緩やかな雨が朝から降り続いて蒸し暑い。梅雨にはまだ一月もはやいのに、天候はひどく自然に見えた。天晴高校では、丁度二限の授業中だ。だが授業に出る生徒はいつもの半分ほどしかいない。
打撃の音が、廊下に運動場に、かしましく響く。
この時限に授業を持たない、科学教師の林は、ぼんやりと窓の外の風景を眺めていた。その林の前の机に、社会科教師の真鍋がコーヒーを手に腰掛け、話しかける。
「今年ももう、こんな時期ですか。林先生も慣れましたか、この高校の五月の風物詩に」
林は遠い目をして答える。
「今年度は、何人の生徒が死ぬんでしょうね」
真鍋は目を伏せる。
「さて……」
「真鍋先生、私は時々思うんですよ。生徒の半数が、授業を欠席して殺し合いをやっているのに、教師も生徒もPTAも、誰もなんとも思わない――そんな異常な状態がいつまで続くのかと……」
「人の在る所に争い在るのは、歴史の摂理ですからなあ……」
五月の連休明け。天晴高校の新一年生が、連休中に磨いた腕を頼りに、ようやく争いの表舞台に加わるのだ。才能ある新入生の顔見世を兼ねた初夏の決戦は、もはや定例行事となっていたのだった。
*
学校菜園へ至る途中の、杉林の中。
長身の閃電三十郎は、杉を背にし肩で息をしながら、敵の動きを追っていた。だが俊足の雨衣の動きは容易くは目に止まらない。こちらは既に数箇所に傷を負ったというのに、全く反撃できていないのだ。
――四電家の一員である俺が、ただの新入生に負けるわけにはいかない。ってか、負けたら死ぬ。
その敵は、実はただの新入生ではない。名は蜃楼遥。入学一ヵ月にして黒合羽第七衣を背負う男。
「どうした、来ないのか」
三十郎は歯噛みしたが、相手の場所が分からなくては手の出しようがない。声にしても、おそらく忍術を使っているのであろう、「どうした」は前方から、「来ないのか」は左方から聞こえたという始末で、場所を特定する手がかりにはなりそうもない。やむなく三十郎は傘を開いた。四電家共通の巨大番傘である。丈夫で大きなこの傘を開けば、後方から以外の攻撃はほとんど防御できるのだ。
「殺!」
声が右から飛び、手裏剣が左から飛んでくる。三十郎は惑わされず、手裏剣を傘で叩き落した。が、大振りした傘に鞭が巻きつき、強い力で引き寄せられる。隙ができた身体の左方から、音もなく蜃楼が迫った。
「うおっ!?」
蜃楼が匕首風の武器を突き出したが、三十郎は蜃楼の腕を捕らえ、その攻撃を止めた。蜃楼の左手と三十郎の右手が鞭と傘を、匕首風の武器を持つ蜃楼の右手を三十郎の左手がつかんで、力比べをしている図である。
「やるな、だが……」
と蜃楼は、三十郎のみぞおちに頭突きをくれた。息が詰まって、思わず手を緩める三十郎。
そのみぞおちに、今度は頭ではなく馬蹄(匕首風の武器はこれだったのだ)を突き刺そうとした蜃楼だが、危険な空気を感じ取り、三十郎にとどめを刺さずに、警戒の目を周囲に転じた。危険な空気を放った人物はすぐに見つかった。蜃楼はその男を知っていた。
中肉中背、傘にも風貌にもこれといった特徴はない。ただ一つ、ブレザーの胸に挿した一輪の白い花が目立つ。――かつて処刑役人は帽子に花を挿した。帽子を被らない学生として、代わりに胸に挿しているのだ。この少年の名は花月葉霧。新入生ながら早くもランベ・リューアのナンバー2と目される、妖傘使いである。
相手の力量は耳にしていたし、目にした瞬間悟ることもできた。だから蜃楼は、この時点で退くべきだったろう。彼の俊足をもってすれば、まだ逃げることができたはずだ。
だが蜃楼は、そうはしなかった。
唐園緑、秋水雫、万花湖子、雲原勇姫。過去最強といわれる雨衣新入生たちの中で頭角を現し、いずれは第一衣に、そして雨衣総帥になる。その野心と顕示欲のため、蜃楼は葉霧と戦うことを選んでしまったのだ。
三十郎に対してしたように、高速で葉霧のまわりをまわる蜃楼。隙あらば一撃で倒そうという構えである。
花月は目を左右に動かす。蜃楼の動きは、断続的にしか見ることが出来ない。
だが彼にはそれで充分だった。
無造作に傘を振り上げ、蜃楼のいる場所にあたりをつけると、口中でなにやらつぶやき、そして叫んだ。
「花月流、壱式――針水!」
すると、振り上げた傘先から無数の小さな傘が飛び、一部は杉の林をくぐって蜃楼に迫った。俊敏な動きを誇る蜃楼は、しかし密集して襲い掛かる小傘をかわしきれず、身に十数の創傷を負う。
戦えなくなるほどの傷ではなかった。だが蜃楼の頭を冷やすには充分だった。
「覚えていろよ、花月葉霧!」
思い切り悪役らしい台詞を残して、蜃楼遥は杉林の奥へ消えていく。
「閃電、大丈夫だったか」
蜃楼の気配が消えたのを見て、葉霧は三十郎に声をかける。
「助かったよ花月。来てくれなければ危なかった。でも、なぜ蜃楼を追わなかったんだ?」
葉霧は笑って、
「無茶言うなよ。あいつに追いつけやしないさ。傘はともかく、僕はね。今は先へ進むよ。傷を負ってるようだけど、君はここで引き返す?」
と言った。三十郎は首を振った。
「いや、俺も行こう。傷は大したことないし、呼吸も整えたからみぞおちへの頭突きも影響はない。本当はさぼりたいけど、あんた一人で行かせては外聞も悪い――ところで本部のほうは大丈夫なのか?」
「蛟丸先輩もいるし、紫電先生も震電加奈子も、雲原豪姫もいる。たとえ水落衣織だって防ぎきれるさ。それよりこっちだよ、閃電。菜園、ってことは唐園緑がいるだろうから」
「うーむ、やっぱ引き返すか……」
そうは言いつつも、三十郎は菜園へ向かって歩き出した葉霧の後に続く。
園芸部は手芸部、化学部と並び雨衣の主力を担う組織だ。こと、その菜園で栽培される植物兵器の恐ろしさは噂の的となっている。葉霧、三十郎の任務は菜園の植物を焼き払い、管理室の資料を盗むことだった。むろん、雨衣の準備にもぬかりはない。
学校菜園の管理小屋では、三人の雨衣が顔をつき合わせていた。この地区に雑兵は配備されていない。というのも、この三人、蜃楼も含めて四人の戦闘力が総帥・水落衣織に高く評価されているからだ。なにせ皆、新入生にして十二衣に名を連ねる者たちである。
一人は極めて小柄な女子高生で、第九衣の万花湖子。普段は笑顔の爽やかな少女であるが、椅子を持つと狂暴なサディストに変わる。
一人は実験用ゴーグルと白衣を身に付けた、インテリ風の女子高生である。これは第四衣・秋水雫。見てくれのとおり、天才的な化学者という一面を持つ。
そしてもう一人が菜園を預かる唐園緑で、名前に似合わぬ巨漢である。背丈は軽く二メートルを超え、体重も百キログラムを超える。もと柔道部に属していたが、練習相手に負傷者が続出したため追い出され、合気道部、相撲部、アマレス部、ボクシング部などを転々とするが、どの部にも安住できず、ついに園芸部にまで流れ着いたのだ。しかし彼はまた生物学についても明るかったため、ここに天授の地を見出したのだった。彼は、一年生としては雨衣史上初めて、第三衣を負っている。
戻ってきた血まみれの蜃楼を見て、秋水が言う。
「仕損じたの?」
「すまない」これが答えだった。
「で、敵は?」と万花。
「二人だ。一人は閃電三十郎で、こいつはさして問題にならないと思う。だが――奴が来てる」
その言葉に、一同に緊張が走る。
「花月葉霧」と唐園。
蜃楼はうなずいた。
「あいつの妖傘は初めて見たが、まるで魔法だ。下手をすると蛟丸より戦いにくいぞ。……すまないが、僕はこの怪我だ。加勢したところで足手まといになる」
「あなたが気に病む必要はないわ。これは私の失敗よ」と秋水。「花月葉霧が来るなら、あなた一人を先発させるなんて無茶だった。諜報が足りなかったわね」
「僕は本部に戻る。健闘を祈るよ」
蜃楼はそして音もなく消えた。それを見送ってから、秋水は二人の顔を順々に見比べて、言う。
「では、手はずどおりに」
立ちはだかったのは、背丈が3メートルを超える巨人だった。
葉霧たちの眼には瞬時、そう見えた。だが間もなく、その正体に気づいた。長身の唐園緑が、万花湖子を肩に乗せているのだ。
「名を名乗れ」上から声がかかる。
「花月流後継者、花月葉霧」と葉霧が答える。
「閃電家六男、閃電三十郎」と三十郎が答える。
「わしは園芸部副部長、黒合羽第三衣『菜鬼』こと唐園緑じゃ。そしてこいつが――」
次の言葉は日本語ではなかった。
「っらァァァァ!」
奇声と同時に椅子が降ってきて、葉霧と三十郎は思わず左右に飛びのいた。
「何が花月流だ、何が閃電家だ! 緑、やっちまえ!」
「まだ名乗りがすんでないじゃろ。順序を踏めよ、湖子。――そしてこいつが、第九衣『諭吉』」
唐園がそこまで言うと、万花は敵ではなく味方の頭に椅子を打ち下ろした。
「――ではのうて、『ヒール』こと万花湖子じゃ」
「おら、いくぜ傘連中ども!」
「ぬん!」
掛け声とともに振り上げられた唐園の大根をかいくぐり、三十郎は間合いに入った。ところが万花が椅子で薙ぎ払ったため、左頬を打たれて地面を転がる羽目になった。口から血を滴らせながら、三十郎はむくりと起き上がり、今一度番傘を構える。だが今度は安易には打ちかかっていかない。
――なるほど。
葉霧はこの一瞬の交戦で、相手のすべてを見抜いた。
――唐園の大根は、三十郎の巨大番傘よりさらに長くて間合いが広い。容易くは打ち込んでいけないわけだ。そしてうまく大根をかわしたところで、上から万花が椅子を降らせてくる――。
三十郎は目で、葉霧に言葉を送った。
――そうだ。この凸凹コンビは簡単には倒せないぞ。
――なら、作戦は一つだ。
葉霧の決断は早かった。
――奴らを、分断する。
三十郎の考えも同じだった。目による意思疎通を終わらせると、巨大番傘を手に、再び唐園に打ち込んでゆく。
「こりぬ奴め!」
大根と番傘が丁丁発止と打ち合い、爆雷のような轟音を周囲に轟かせる。二十合も渡り合ったが、勝負はつかない。万花は唐園の上でバランスをとりながら、三十郎に一撃を浴びせる隙を窺っている。
その間に、葉霧は音もなく三人の裏側にまわった。もちろん唐園も万花もそれに気づいていた。葉霧の傘では攻撃が届きそうもないため、放置していたのである。もし葉霧が打ちかかってこれば、万花が迎撃すればいい。
葉霧は、妖傘を使った。
「花月流、弐式、甲――杳鳴傘・縫影!」
傘を地面の、万花の影に突き立てる。途端に万花は身動きがとれなくなり、唐園が踏み込んで大根を打ち下ろしたその拍子に、菜園の上に転がり落ちた。
「つっ、てめえ、よくも!」
目をむいて葉霧に踊りかかった万花だが、正面からの攻撃が通じるはずもなかった。再び縫影を受け、身動きを封じられる。
「降参か?」
「ざけんな……」
「では、悪いがとどめを刺させてもらうよ。花月流、弐式乙――杳鳴傘・戮影!」
地面に、万花の影に突き立てた傘を擦り上げる。丁度万花の右胸から右肩のあたりの影だ。すると万花はその場所から血を噴き出し、ばったりと倒れた。
「万花!」
「おっと、隙有り!」
万花が倒れたのを見、唐園は思わず手元を狂わせた。それに乗じて三十郎は唐園のこめかみを打つ。勝負は決まったかに思われた。
唐園は倒れなかった。
顔を血に染めながら、大根を力いっぱい振りかぶり、振り下ろす。三十郎は番傘で受け止めた。
ぐしゃり、と音がして、番傘が曲がった。
「馬鹿な――」
「鬼の唐園をなめるでないぞ!」
唐園は三十郎の左の肩口に大根を突き刺した。もし葉霧が縫影で止めなかったら、三十郎は心臓を貫かれて絶命したであろう。
それでも重傷に違いなかった。三十郎は地に倒れ伏した。
縫影、それに続いて戮影を受けた唐園も、さすがに立っていられなかった。
管理小屋に入りかけた葉霧に、屋根の上から制止する声がかかった。
「葉霧君、そこまで」
見上げると、知った顔である。
「久しぶりじゃないか、雫さん」
*
四月二日のことである。
秋水雫は他の新入生たちより一足先に、田舎町の中を電車に揺られながら、新しい制服に身を包み、天晴高校に向かっていた。理由はわからないが、学校から呼びつけられたのである。電車が停止したので、手にした本から眼を離して大きく伸びをし、ついでにそこの駅の看板を眺めて見たが、降車駅まではまだかなり距離がある。秋水は本の残りのページを見ながら、
――この本、高校に着くまでに読み終えられるかしら。
などと考えていたが、ふと入り口を見やると、同じ制服の少年が乗車してきたところだ。
秋水は密かにその風貌を窺った。中肉中背、髪は肩に届かぬ程度、顔は丸顔でおおむね整っているが美男というほどではない。どうも動きがぎこちないのは、自分と同じ新入生だからだろうか。そしてどうにも解せないのは、手に握られた傘である。外の天気は清明である。降水確率も零パーセントだったはずだ。
それから少年は、秋水の斜め前の椅子に座った。しばらく秋水が本を読んでいると、何やら視線を感じるので頭を上げてみれば、少年がちらちらとこちらを見ているのだった。何か言いたいことがあるらしい。
「私の顔になにかついてます?」
少年、慌てて、「あ、いや……」と言葉を濁したが、やがて聞いた。
「天晴高校の女子制服、だよね」
「ええ」
「ひょっとして新入生?」
「そうよ」
「ひょっとして、や、ちがったらごめん、その……学校に電話で呼びつけられた?」
「あなたも?」
少年はうなずく。
「僕一人かと思ってヒヤヒヤしてたよ。いきなり『君の入学は取り消す!』とか言われたらどうしよう、とかさ」
秋水、思わず笑い出す。
「まさか。考えすぎじゃないの?」
「あ~、まあ、そうだろうけどさ。……あ、遅れたけど、僕は花月葉霧(かげつはぎり)だ」
「私は秋水雫。よろしくね」
二人はしばらくたわいもない話をしていたが、やがて秋水がこらえきれずに化学の話を向けると、意外にも葉霧は乗ってきた。秋水はかなり高等な話に移ったが、葉霧はどんな話をしても食らいついてきた。すっかり嬉しくなった秋水は、電車を降りるまで会話に夢中だった。
降車駅につき、二人は電車を降りたが、なおも高校までは五分ほどの距離がある。
「ところで、さっきから聞きたかったけど」
「あん?」
「その傘は一体何?」
「雨が降ったときに、使おうと思って」
――もっともそれだけではないけど。そう葉霧は口の中でつぶやいた。
「今日、晴れてるわよ」
すると葉霧は、確信を持って言い返した。
「晴れた日に雲が集まってきて、それで雨が降る」
秋水は空を仰いだ。さきほどまで雲一つなかったが、今では積雲が三つか四つ見える。しかし雨が降るとは思えない。
「あ、ひょっとして、雨男?」
「鋭いご指摘で」
とりあえず、昼近くになって天晴高校に到着するまでに雨は降らなかった。職員室へ入った二人に告げられたことは、「入学は取り消し」ということではなく、「入学式で新入生代表として挨拶をするように」とだった。聞けば、入学試験で最も優秀な成績を挙げた男女二人が、新入生の挨拶を行うことになっているそうだ。
聞いてほっとした葉霧は、秋水の挑戦的な目配せを見た。彼はすぐに秋水の意を察し、話をした教師に尋ねた。
「ところで、僕たちの入試の成績は何点だったんですか?」
「……凄いよ。秋水君はこの学校始まって以来の500点満点。花月君は社会で一問ミスったね、でも498点だ」
話が終わって廊下に出ると、秋水がにやっと笑って口火を切った。
「私の勝ち」
葉霧も笑いながら、
「ちぇっ、次の定期試験で抜いてやるさ」
と答えた。だが二人が定期試験で対決することはついになかった。
「ところで、腹減ってない?」
「ん、少し。もうお昼時ね。どっかで食べてく?」
「正門の近くにカレー屋があっただろ? あそこの前を通ったとき、ちょっとカレー食べたくなってさ」
「良いんじゃない?」
「じゃ、決まりだ」
カレーを食べ終わると、店のマスターが話しかけてきた。聞けばこの人は写真が趣味で、代表として挨拶をする新入生の写真を撮るのが毎年の習慣になっているという。二人に否やのあろうはずもなく、水を飲んで代金を払うと揃って出たのだが、なんと雨が降っている。
「ほら、言っただろ」
なぜか得意げな葉霧に対し、秋水は困惑して、マスターに傘を借りようと言ったが、マスターは相合傘のほうが見栄えが良いからと言って、無理矢理秋水を葉霧の傘に押し込めて、写真を撮ったのだった。
結局二人は、相合傘のまま駅まで行った。
「ところで、僕のほうが先に電車を降りるわけだけど、大丈夫?」
「駅の売店で傘なり合羽なり買うから、問題ないわ」
そうして二人は電車に乗り、化学について談義したのだが、やがて葉霧の降車駅が近づいた。
「――ところで、君はやっぱり化学部に入るつもり?」
「ええ。あなたは、違うの?」
「ん、多分無理」
「どうして」
駅だった。葉霧は質問に答えずに、「それじゃ、また」とだけ言って電車を降りた。その笑顔に映った寂しげな影を、秋水は忘れることが出来なかった。
*
「あの時、無理だって言ったのは、こういうわけね」
秋水の言葉に、葉霧は軽く笑う。
「そうさ、本当は僕だって化学をやりたいんだ。だが花月流の後継者ともなると、雨衣に属する部活に加わることはできなくてね」
「異端といっても、傘使いの家柄ってわけ……」
葉霧はうなずいて、傘を構えた。
「君とは戦いたくない」
「やっぱり気が合うわね、私もよ」
「では、退いてくれないか」
秋水は、顎に手をやって、少し考えるふうをした。だが考え込んだ時間は短かった。その口から出た言葉は、葉霧の誘いへの返事ではなかった。
「伏せて!」
言葉と同時に、菜園を囲む林から、あられのように矢が飛んできた。矢の嵐が収まると、林の中から五十人もの学生が現れた。その全員が、手に鋭利な武器を携えている。
秋水は思わず、驚きの声を上げる。
「晴天同盟……!」
声に応じて、首領格と思しき男子学生が進み出た。
「ランベ・リューア構成員にして花月流後継者、花月葉霧どのとお見受けいたす」
――私は無視? というツッコミを、秋水は入れそこなう。
「そうだけど」
「お命、頂戴つかまつる!」
この男子学生が手を振ると、後ろに控えた同盟構成員たちが一斉に打って出た。葉霧はたちまち、先頭の者たちを打ち倒す。同盟構成員の一人が葉霧の後ろにまわった。葉霧が振り向こうとした瞬間、構成員は悲鳴を上げて倒れた。
倒したのは秋水だ。小屋の屋上から狙撃したのである。それから秋水は屋根から飛び降りて、葉霧と背中合わせに立つ。同盟構成員たちとことを構えるつもりらしい。
「慣れてるから大丈夫だよ。雫さん、君は逃げたほうがいい」
「嘘ばっかり。妖傘を何度も使って疲弊した状態で、大勢の刺客を迎え撃つのは、さすがに初めてでしょう」
言って秋水は二丁の拳銃を構える。実は水鉄砲であるが、ただの水鉄砲ではない。鉄板に穴をあける高圧の噴出力は言わずもがなだが、弾は水ではなく、液体窒素なのだ。弾が足りなくなると、自動で空気を取り込んで液化し、無制限の射撃を可能にするスグレモノである。
「どうやら、君にはかなわないらしいね。じゃ、よろしく頼むよ」
*
三十郎に肩を貸して部室棟に戻った葉霧に、味方の視線は冷たかった。ただ雲原豪姫一人が「お疲れ様」とねぎらいの言葉をかけたのみである。天文部部室へ入ると、蛟丸はじめ、紫電為右衛門や震電加奈子ら、主だった顔ぶれはみな揃っていた。
「失敗とは、意外だわ」
加奈子の非難は、ことに露骨だ。
「先の戦いのとき、水落衣織とさえ互角に渡り合ったあなたが、新入生の守る菜園を攻めきれないなんて」
「ことの経過を述べてくれ、花月君」とこれは蛟丸。
「はい」と葉霧はうなずき、話し始めた。「先発した三十郎が第七衣・蜃楼と交戦していましたので、彼を援護して蜃楼を追い払ったのち、菜園へ向かいました。菜園では第三衣・唐園、第九衣・万花と戦いましたが、三十郎は重傷を負い、僕も疲弊してしまったのです。さらに、同盟の刺客にも襲われました――」
蛟丸はここまで聞いて、ぴくんと眉を動かす。葉霧は続ける。
「刺客は倒しましたが、なお管理室には第四衣・秋水がいました。僕に彼女を倒す力はもうありませんでした。彼女のほうも、負傷した唐園・万花の治療を優先したい旨でしたので、争わずに身を退きました」ここまで言って、葉霧は問う。「僕の判断は間違っていましたか?」
蛟丸は肩をすくめる。
「いや、間違ってはいないだろう」
加奈子が、意地悪くつけたす。
「勝てそうにない敵からは、逃げるのが賢明よね」
葉霧は聞かないふりをして、踵を返す。その背中に、蛟丸は声をかける。
「ところで、君は秋水雫とはどういう関係なのだ?」
質問の真意を察することは出来なかったが、葉霧はとりあえず、正直に答えた。
「入学式で、代表として共に挨拶した――それだけです。あとはまあ、そうですね、彼女の学識には常々感服していますが」
「では」と紫電為右衛門が口を開く。「同盟の刺客に襲われた際、なぜ秋水と共闘したのかね」
――見ていたなら、なぜ助けない。
葉霧は心中憤ったが、顔には出さずに、これだけ答えた。
「雨衣にとっても、同盟は敵だからじゃないですか?」
そしてもう何も言わずに、葉霧は部室をあとにした。
学校を出ると、校門の柱を背にして、秋水が立っていた。一瞬の間をおいて、二人の目がかちりと合う。
「誰か待ってるの、雫さん?」
「あなたを待ってたのよ、葉霧君」
「じゃ、行こうか」
しばらく無言で歩いた二人だったが、やがて秋水が口火を切った。
「そうそう、例のカレー屋の店主から、写真を預かってるわよ」
「ああ、入学のときのやつね……」
秋水から渡された写真を、葉霧は見つめる。いささかはにかんだ表情で、少年と少女が一つ傘の下に写っている。葉霧はふっと笑って、それを鞄に入れた。それから言った。
「ランベ・リューアの人間と歩いていていいのかい?」
秋水は涼しい顔で答える。
「校門を出たらプライベートの領域よ。文句を言われる筋合いはないわ」
そこで再び会話が途切れた。話したいことは山ほどあるのに。やがて秋水は気まずい空気を払って、口を開く。
「聞いてもいい?」
「何を」
「葉霧君のことよ」
花月葉霧。六月六日生まれ、十五歳。身長169センチ、体重61キロ。AB型。特徴、雨男。『妖傘』花月流の第三十二代後継者。
これだけ言ったのは、葉霧ではなく秋水だ。
「ストーカー?」
「雨衣の軍師だもの。基本的な情報は知ってるのよ。私が聞きたいのは、もっと個人的なこと」
「その質問、いよいよストーカーじみてきたね。で、具体的には?」
「同盟の刺客に襲われたとき、慣れてるとか言ってたでしょう。その辺の事情とか」
葉霧はうなずく。
「うん、それを話すためには、傘術の歴史から話さないといけないけど、いいかな?」
「どうぞ」
「そもそも傘術には、正統派と異端派がある。正統派には雨宮流、およびその分派である嵩宮流や天雷流などがあり、異端派には奇・変・難・邪の四流派がある。少数派である異端四流派が、正統派に対抗するため、それぞれの奥義を合わせて新たに創り出した傘術が花月流だ。俗に妖傘術とも呼ばれている。――ここまでは知ってるね。
雨宮流と花月流、その基となった異端四流派との相克は平安時代から続いたけど、江戸時代に御前試合で雨宮流が勝利し、花月流の門徒は雌伏を余儀なくされ、以後大規模な闘争は起こっていない。
今は雨衣という共通の敵に対して動いているけど、正統派と異端派の桎梏がなくなったわけじゃない。異端派の後継者として、ランベ・リューアでの風当たりも強かったさ。
それに、手前味噌に聞こえるだろうけど、一撃必殺・変幻自在の花月流を恐れる連中は多い。雨衣しかり、同盟しかり、で、まあ正統派傘術使いもしかりなわけさ」
最後の言葉に、秋水は少し眉を持ち上げる。
「ランベ・リューアの刺客にも、狙われたことがあるの?」
葉霧は平然としてのたまう。
「これまで一番多かった。数えたわけじゃないけど、多分」
秋水は絶句する。葉霧は続ける。
「傘にも合羽にも、小学生のころから狙われていたよ。もちろん、全部返り討ちにしたけどね。前は、刺客を倒せば倒すほど有名になって、襲ってくる連中が増えるって悪循環の繰り返しだったけど、幸い最近じゃ、一人二人で襲ってくる奴はいなくなったよ。その分、ストーカーが多くなったけどね」
さらに声を高くして、聞こえよがしに言う。
「今だって、つけてきてる奴がいるでしょ。震電加奈子とかだろうけどさ、気配を消したからって気づかないとでも思ってんのかな」
電柱の影で、ごそごそと小さな音がする。
「まあ、ストーカーなんかどうでも良いけど、あなた、なんでランベ・リューアになんかいるのよ?」
「それでも傘使いだからね、一応。異端といえど一流派の後継者としての立場もある」
「それだけ?」
足が止まる。
「雫さんは?」
「私? 雨衣の資金力が欲しいだけよ」
秋水はしゃあしゃあと答える。
「天晴高校化学部の設備は、一流大学のそれにも勝っているし、足りない物は水落衣織に頼めば手配してもらえる。あの人の家は代々の富豪だからね」
*
翌日、放課になって、葉霧が部室棟を歩いていると、天文部部室のほうで激しく言い争う声が聞こえた。何事かと思って耳を澄ましていると、「とにかく、僕はこの作戦からは外してもらいます!」という言葉が聞き取れ、同時に雲原豪姫が勢いよく扉を開けて、部室から出てきた。
「何かあった?」
葉霧の問いかけに、豪姫はこれだけ答えた。
「気をつけろ、葉霧君」
そして眉間に皺を寄せたまま、憤然としてその場を立ち去った。
葉霧が首をかしげながら部室へ入ると、それまで入り乱れていた部屋の空気が一瞬にして硬直した。加奈子にいたっては妙にそわそわして落ち着きがない。ややあって、三十郎が葉霧に椅子を勧めて、言った。
「花月、丁度いいところに来たな。同盟への対策について、話し合っていたんだよ」
――同盟への対処作戦の何に、豪姫さんはあれほど怒っていたのだろう。
疑問もなくはなかったが、それは胸に押し込んで、葉霧は蛟丸を見た。
「同盟の戦力は」と蛟丸は語り始めた。「着実に増しつつある。どうやら新たに盟主となった陽原ナツという娘が、相当な辣腕の持ち主らしい。今まで、同盟の単発的な活動など黙殺しても差し支えなかったが、どうやらそうもいかなくなってきた」蛟丸は続ける。「同盟が今以上の力を持つ前に攻勢に出たいが……さすがにこちらも大きな損害を蒙るだろう。そうなると、雨衣が動くだろうからな」
「でしょうね」と葉霧がうなずく。
ダメだどうにも面白くならない。
でも書いたものは未完成でもとりあえず上げろと命令している手前、自分も出さないと。
今見直してみると、本編の設定を色々無視してるなー。蜃楼と閃電の戦いなんか、身長差のことが意識されてないし。
最終更新:2013年06月12日 21:40