2005年07月16日(土) 03時30分-月組
皆既日食(19)
伏竜洞の中の空間はある種の威圧感を覚えるほどに広く、たしかに竜が棲んでいるといってもおかしくはない。伝説もあながち嘘ではないのかもしれない。だが。
「なあ、ダーマ」
「どうした、トリュフォー」
「やっぱ竜なんていないんじゃないのか?」
「いるに決まっているだろう。被害の状況は話したはずだ!」
「しかしなあ・・・」
もう伏竜洞に入っておよそ半日は経った。その間に一行が出会ったものといえば大蛇に巨大蝙蝠ぐらいなものだ。(当然追い払うなり倒すなりした)しかし肝心の竜は影も形も見当たらない。これだけ探して巨大な体躯を誇る竜が見つからないのは正直おかしい。
「もうそろそろ3週目だべ・・・」
「竜と見間違えたのはトカゲか何かで、火傷は混乱した味方の攻撃魔法だったりしたんじゃないのか?」
「そんなことは――」
「あら、竜なら別にいますわよ?」
振り返った先には、妖艶な美女と、強大なる伝説の魔獣が――――――
◆
結局あのあとヘソを曲げたルスラが「もう帰るぞ!」と言って二人は宿へ帰っていた。もっとも、予算がお茶とケーキのコンボで完全に消し飛んでしまったプルとしては正直ありがたい限りなのだが。
で、今は宿屋のフロント。
「おい、聞いたか、統治官様が伏竜洞の竜に片腕を食いちぎられたらしいぞ」
「あー、あのことか。おれが聞いた話じゃ、討伐隊のほとんどが全滅したらしいぜ」
他の宿泊客が、なぜかやたらとぶっそうな話をしている。
「・・・なんか今日は竜に縁があるなあ」
「なにかいったか?」
「い、いやなにも・・・」
ルスラの強烈な一瞥でプルは沈黙した。触らぬ神になんとやら。口は災いの元。これ以上ルスラの機嫌を損ねると冗談抜きで殺されかねない。この少女はこれでも魔衆を一瞬で倒す手練だ。
「ふむ・・・しかし竜、竜か」
なにやら考え出すルスラ。なぜかいやな予感がしてきたのは気のせいだろうか
「よし!行くぞ!!」
「へ?どこに」
「決まっておる。伏竜洞じゃ!」
「なんでさ!?」
「竜を狩って、竜骨の腕輪ぐらい自分で造ってくれるわ!」
今日は厄日だ。最近ひたすら厄日が続いている気もするけど。
伏竜洞の竜も、竜骨の腕輪と同じく鰐だったりしないんだろうか。
◆
6メルトルを超える巨大な体躯。猛り狂う炎よりもなお紅い鱗。皮膜の翼を背負ってそびえたつ姿はまさに幾多の伝説に描かれた竜そのもの。ただひとつ、首筋に突き刺さった『何か』を除けば。
「はじめまして。私の名はセレフォーラ。一応これでも魔衆の末席を汚す者でございますわ。そしてこちらは可愛いペットのプセウドコルス。どうぞよろしくお願い致しますね。」
美女は貴婦人のごとく優雅に一礼し、
「さて、あいさつも終わったことですし。とりあえず死んでいただけるとありがたいのですけれど」
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!!!!!」
声にならない叫びをあげて、大地を揺るがしながら火竜が疾走する。
「ドカゲが人間サマをなめれでねえべさ!」
風を切り裂くというよりも空間ごと叩き潰すような竜の爪を、聖魔剣を軋ませながらシャンプが受け止める。そのまま一合、二合―――
「なに突っ立ってやがる!俺たちも行くぞ!」
「あ、ああ」
◆
ありえない。
この洞窟に竜がいるであろうことは事前から知れされていて、竜と戦う覚悟は出来ていた。
伝説に語られる竜がどれほど強いのかも、幼いころから騎士を志していたダーマはよく教えられていた。
しかしそれでもなお、目の前にいる化け物の強さは常軌を逸しているとしか思えない。
敵は巨大な顎と両の爪を力任せに振り回しているだけ。技も型もあったものではない。しかしそんなものは所詮脆弱な人間が考え出したものにすぎないと思い知らされる。真に強い存在に、そんなものは必要ないのだ。力で劣る自分には、それが唯一の拠り所であったわけだが。
敵の一撃を受け止めることすら出来ない。強固な鱗は渾身の斬撃でも傷ひとつつかない。刃が立たないとはまさにこのことだ。
しかしただひとつ。あの首筋に突き立った『何か』。あれがこの竜の弱点に違いない。幾多の戦いを生き抜いてきた所以たる自分の直感がそう告げている。ならばとるべき手段はただ一つ。ダーマは常日頃から身上としている素早い動きで竜のうしろに回り込み、その『何か』に剣を
鞭のしなやかさと戦槌の破壊力を秘めた火竜の尾が、一撃でダーマを吹き飛ばした。
◆
「ダーマ!」
やっかいな相手だ。剣の通用しない相手に対して、自分がここまで無力だとは思わなかった。正直な話、今の自分はシャンプの足手まといに過ぎない。
「シャンプ!竜を頼む!」
あの女。むこうで微笑んでいるあの女こそがこの竜を操っているに違いない。女に剣を向けるのは不本意だがこの際しかたないだろう。
「うおおおおおおお!!」
トリュフォーはセレフォーラに向かって疾走する。
「あら、怖いですわ」
そのたおやかな指がトリュフォーを指すと、一条の稲妻が宙を走る。
バチィ!!!
(無詠唱の魔法だと!?こいつルスラと同じことを・・・・)
悲鳴をあげる間もなく、意識は闇に沈んでいった。
◆
右から振るわれた火竜の剛爪を、斜め下から聖魔剣を叩きつけて捌く。
自分の頭を喰らい千切らんとする巨大な顎を一歩飛びのいてかわし、そのまま隙が出来たところに切り込む。その一撃を左の爪で弾かれ、長い尾がうなりをあげて足を狙ってくる。それを下段から切り上げ、そのまま返す刃で頭部に切りつける。鱗に阻まれて致命傷を与えることは出来なかったが、確実にダメージは与えたはずだ。
(いける!)
敵は強い。これまでに戦った誰よりも。しかし決して勝てないことはない。だがこちらは既にトリュフォーとダーマが倒れてしまった。二人とも命に別状はなさそうだが、あの女の出方次第ではいつ殺されてもおかしくない。だから自分は一秒でも早くこの竜を倒さなければ。
「どりゃああああ!」
敵の右肩から斜めに切り下げ、そのまま再び頭部を狙う。浅くはない傷を負わせてさらに胸、腹、脚と息も止まらぬ連撃を浴びせかける。自分を近づけまいと強引に払われた左腕を、渾身の力で切飛ばす。
「――――――――――――!」
不利を悟った竜は強靭な両脚と逞しい翼で一気に8メルトルほど後退し、
轟!
竜種の中でも最強と称される火竜の息吹を、シャンピニオンめがけて吐き出した。
「あめえべ!」
紅の濁流に対して聖魔剣を縦一文字に振るい、切り裂いた火炎の中をそのまま突き進む。
これで決まる。相手は火炎を吐いたばかりで隙だらけのはずだ。あの大きく開いた口の中に剣を叩き込めば勝負は決まる。
そして繰り出した必殺の一撃は、むなしく空を切り裂いた。
「どごいったが!?」
あわてて左右を見渡す。しかし魔竜の姿は見当たらない。
「あらあら。戦いの最中に余所見するなんて、はしたなくてよ?」
声のするのは遥か後方。振り返って見たものは、
火竜の足元に、まるで供物のように倒れ伏した二人の姿。
そして今にも炎を吐き出さんと大きく顎を開いた竜の姿。
「な、」
まずい。
走って行ったのでは間に合わない。
剣を投げつけたのでは止められない。
このままでは二人は
強く強く、聖魔剣を握り締める。
その腕には、呪いの紋様が輝く。
聖魔剣からおびただしいまでの光の粒子が舞い上がり、それはひとつの大きな極光と化し、
「Agaricus blazei Murill―!!!!」
洞窟の闇を一掃する光の奔流が、魔竜の姿を包み込んだ。
あとに残ったものは、毒々しいまでの紅い茸。
◆
「まあ、上出来ですわね」
最後まで立っていた女、セレフォーラはこの結果にことのほかご満悦だった。
「聖魔剣の勇者は殺しても死にませんものねぇ。本当に厄介ですわ。武装解除も出来ないからうかつに捕らえられないし、呪いも病も封印も利きませんから動きも抑えれませんし・・・」
聖魔剣の勇者を殺そうとするなら、その手段はただひとつ。聖魔剣に勇者を殺させることだ。
聖魔剣は勇者に加護を与えるが、同時に呪いも与える。その最たるものがこれ。強力な反動である。過ぎた力はその使い手に代償を求めるのだ。そこに倒れている少年は今回、聖魔剣最大の能力たる<封印>を使った。もっともこれは本来の<封印>ではありえない。本当の<封印>とはあらゆるものを文字通り封ずる無敵の力である。ゆえにあまりにも大きく、あまりにも残酷な代償を支払わねばならない。だからこれは<封印>の真似事。時間をかければ解くこともできよう。ただし、それでも彼は多くの代償を求められただろう。
「さて、こちらの二人はこのまま殺して差し上げても構わないのですけれども」
少し考えて、彼女はいい考えをひらめいた。
二人を並べ、両掌をそれぞれに向ける。
『悲しみよりも深き悲哀。怒りよりもなお激しき憤怒。其は絶望の虚無より生まれし黒き炎なり。これより我が憎しみは汝が憎しみとなり、汝が憎しみは荒れ狂う魔獣となる。憎め憎め憎め憎め。汝が心は魔獣の器。汝、憎悪の福音なす我が使徒となれ』
二人の身体が一瞬紅く輝いた。
「首尾は上々。忌々しいお姉さまの気配がこちらに向かってきているようですし、そろそろわたくしも帰らせて頂きましょう。」
セレフォーラの身体は、闇に溶けるように消えていった。
◆藤枝(20)
持って来た松明が煤けて消えそうになる寸前、プルとルスラはようやくにして大広間らしき空洞に出た。掲げた光が弱々しく周囲を照らし出す。むっとする熱気を感じ取り、プルは暗がりに目を凝らした。
――何か今、光った。
辺りを自分の出来る限りの慎重さで見渡し、恐る恐る近付いてみる。いざとなったら逃げる準備は万全だ。
――でもでも、どうか決してあの伝説の竜じゃありませんように。
「ルスラちゃん、火を――」
無言のまま、ルスラが手を差し出して真昼の世うな明かりを出現させる。
だがプルの警戒は、その光を反射しているのが何であるかがわかった瞬間、跡形も無く吹き飛んだ。手にした松明を放り投げて駆け出す。
「トリュー!? し、しっかり!!」
返事は無かった。完全に、気を失っている。ダーマとか名乗った騎士も同様だった。もう少し離れたところでは、シャンピニオンが剣に寄り掛かるようにしてぐったりとしている。
傷付き、倒れ伏して動かない仲間達。そんな仲間達に見舞うべき感動的な一言は、如何に非道なルスラとはいえ心得ていたようだった。彼女は光を空中に固定すると、小さな体でプルの後を駆け、同じようにトリュフォーの傍らに跪いた。そして言う。
「無事か!?」
口では色々言ってはいるけど、本当は優しい子なんだな――というプルの感動はそこまで。
彼女が続けて言うには、
「竜は何処におる!?」
力強い一言。
「ちっが~~う!!」
思わず叫ぶプル。前言撤回。やっぱりこの子は計り知れない。
「・・・ふん、冗談に決まっておろう。しかし、竜らしきものは何処にも見当たらぬな」
プルの突っ込みに頭を振りながら、しかし、彼女の瞳はマジだった。少なくとも、落胆の色については。
「そんなん見当たんなくて結構だよ! それより早く誰か呼ば――」
「あ、後ろ」
「ぎぃゃあああああああああああああああああああああ!!!! 出た出た出たぁああああああああああ!!」
ダダダっと30歩ほど猛スピードで離れて振り返ってから、巨大な竜の姿はどこにも無いことに気付いてまた叫ぶ。
「って! ルスラちゃ~~ん!!! 何にもいないじゃん! 俺のこといじってそんなに楽しい!?」
「割とな。それにしても意気地の無い奴よ」
ルスラが呆れ顔でプルを見ている。
――え? 悪いのは俺の方なの!?
理解不能だという理性の声を押しのけ、ひとまず目の前の怪我人救出に意識を向け直す。今ここでルスラと掛け合いを続けたところで、無駄に体力と気力を消費するだけだ。
「と、とにかくトリュー達を何とかしないと・・・」
「まぁ、そうであろ」
「けど俺、擦り傷に効く薬草ぐらいしか――」
「この二人に関して言えば、外傷は大した問題ではない」
「そっか、良かった・・・」
確かに、二人は深い傷を負っているというわけではなさそうだった。これだけ鎧を着込んでいれば当たり前かもしれないが、それでも少しほっとする。だが、まだ意識を回復していない以上、何とも言いがたい。
何であれ、ことは急を要する。
とはいえ、非力な自分では怪我人を引き摺って行くことしか出来そうに無い。いくらそういった事態の知識が足りない自分でも、そんなことをすれば怪我が悪化するだけだということぐらいはわかる。
「よし、じゃあ大急ぎで走って誰か呼んで来るから――」
――ルスラちゃんはここで待ってて、と言おうと口を開けた丁度その時、
「その必要は無かろ」
ルスラがそう呟いた。
「え?」
「何度も言わせるでないわ。これしきの傷、誰かの手を煩わせるまでも無く癒せるという意味よ」
これしきの傷ったって、身動き一つしてないよ――プルが素朴な疑問を口にする前に、ルスラはその小さな両手をトリュフォーとダーマに向けた。淡い光が彼女の両手から発せられたような気がする。
だが。
「これでこの二人は良し。プル、後は任せたぞ」
「へ? もう終わり?」
それだけだった。もっとこう、物凄い光景を予想していたプルは、あまりのあっけなさに拍子抜けしたが、それもルスラの一睨みで沈黙する。
「疑うか? このわらわを」
「いや、もっと凄いことが起こるかと・・・わかってる、わかってるって! 俺ってば何にも知らないからさ、回復魔法はもっと派手なものかと」
「魔法は総じて地味なものと決まっておる。その効果の程を知りたくば、いつまでも能天気に気絶しておる輩を蹴り起こして詳しい説明をだな――」
「はいはい、今からやるってば!」
プルはルスラの背中に口を尖らせてから、気絶しているトリュフォーを起こしにかかった。これでまた彼が起きないとかなれば、一緒に自分も蹴られかねない。
――まぁ、自分よりもずっと凄い子だから仕方ないかもしれないけどさ、とプルは改めて実感した。可愛い顔して人使いが粗いんだから、と。
プルが、「聞こえてるー? もしもーし、お二方~。もー怪我治ったってさー。早く起きないとルスラちゃんに蹴られ――いやいや」などとやっているのを尻目に、ルスラはシャンプに近寄った。
彼もあまり外傷が深いという風ではなかった。
だが一目見て、はっとする。
「これは――」
しまった、迂闊だった――彼女がそう感じ取って離れようとした途端、シャンプの体がビクンと跳ね上がった。先程まで力が抜けきっていた腕に恐ろしいまでの強靭さがこもり、ルスラのか細い腕を掴んで強引に捩じ上げる。
無意識のうちに、ルスラは悲鳴の代わりにこう叫んだ。
「逃げよ!!」
だが果たして最後まで聞こえたのかどうか。
次の瞬間、ルスラは勢い良く洞窟の壁に叩き付けられ、嫌になるほど背中を打った。
その轟音は地を揺らし、衝撃でバラバラと瓦礫が降って来る。
「ルスラちゃん、どぉし――」
驚いて振り返ったプルの目に飛び込んできたのは、化け物の姿だった。
表情が一気に凍りつく。
かつて自分を殺そうとしたものと、同類の姿――アマニタ。忌まわしき、呪われた存在。
「そ、そんな・・・そんな・・・ッ!」
嘘であって欲しかった。
竜を恐れるあまり、幻の化け物の姿を見ているのだと。あるいは、新たな敵が現れたのだと。そう願わずにはおれなかった。
「ト、トリュー、それとダーマさん・・・早く起きて、頼むから、早く!」
アマニタを凝視したまま、プルは必死に鎧を揺さぶった。自分だけではどうしようもないことぐらいわかりきっている。だが、彼らが目覚めたところで、事態が好転するわけは無いのだともわかっていた。
プルは願いを込めて、その姿を見つめ続けた。見間違いであって欲しい。いや、見間違いで無ければならないのだ。こうして見ている間にも、その姿は変わっていくように感じられた。
だがそれは現実ではなかった。そして、そこに変わらずに在るのが真実だった。
突如として現れたアマニタ。それは、その姿は。
「冗談キツイって・・・笑えないから、やめろよ・・・」
紛れも無く、そのアマニタは仲間の姿だった。
黄金色の髪の毛に、澄み切った青い瞳。そして否が応でも目に留まる、巨大な剣。
だがその少年の全身には不気味な紋様が走り、おどろおどろしい殺気を溢れさせていた。
シャンプが倒れていたところに、全く同じ姿をした少年が立っていたのだ。
ただし、もう一人、傍らに居たはずのルスラの姿は影も形も見えない。
「ルスラちゃんも、もう俺をからかうの、よせよ。こんなの・・・こんなの、つまらなすぎて笑えないって・・・なぁ!」
喜ぼうとしていた顔を歪ませて、プルが泣き出しそうな顔になる。
「嘘だろ・・・シャンプ・・・」
そのか細い呼びかけに答えるように、シャンプの姿をしたアマニタは、プルの方へ向き直った。
ふいに、二人の目と目が合った。
刹那、頚木が外れる。
悲鳴が轟いた。あるいは、咆哮。空気を切り裂き、鼓膜を破るような絶叫。
痛い。
痛い。痛い。痛い、痛い。痛
プルは突如として感じた耐え切れない感触に翻弄されていた。
誰かが叫んでいるのが嫌に鮮明に耳に入って来る。その喉を潰すような大声と、音にすらならない激しい息の流れが自身のものであると、気付くことはもう出来なかった。
体中が灼熱の業火に焼かれ、同時に凍てつく氷の刃で切り裂かれる。
頭が内側から破裂する。
骨の下で内臓がぶよぶよと胎動し、皮膚を突き破ろうとしている。
眼前で出鱈目な色をした花火が次々と爆発し、その破片が神経に突き刺さって粉々に砕ける。
苦しい。
苦しい。苦しい。苦しい、苦しい。苦し
肌に深く指が食い込めが食い込むほど、痛みが和らいだ。温かな赤い血潮が、この上なく優しく全身を包む安心感だけが欲しい。
そうだ。
血だ。
何故気付かなかったのだろう。これっぽっちではこの痛みは止まりはしない。もっと、血を。
血を流せ
血ヲ流セ
この地獄は もう 耐えられな
トリュフォーは何かの叫び声を聞いた。と同時に、自らの意識を叩き起こしていた。かっと目を開き、咄嗟に手近にあった盾を構える。そこに、鈍い衝撃が加わった。
「チィッ!」
勢いに押され、盾を弾かれそうになるのを何とかこらえて、トリュフォーは奇襲を仕掛けてきた敵を見据えた。
「な・・・」
戦場において、思考の空白は死に繋がる。だがいくらそのことを叩き込まれていても、信じられない、という気持ちだけはどうすることも出来なかった。その隙を突いて、相手は彼の盾に手をかけると常人離れした力で弾き飛ばしてみせた。真紅の盾がくるくると舞い、さくりと半分以上壁に埋まった。
トリュフォーと相手との間を隔てるものは何も無くなった。攻撃出来るかどうかのギリギリの距離を保ちつつ、トリュフォーはゆっくりと腰を上げた。
「おい、ダーマ、伸びてる場合じゃねぇ」
下がるついでとばかりに足元で伸びている騎士団第四部隊隊長を蹴り飛ばす。非常事態だから勘弁してもらおう。二度目の蹴りを強めに叩き起こす。
「ちょっとばかしヤベェぞ、これは」
ぼんやりする頭を抱えながら、紅蓮の騎士ダーマが立ち上がった。
「おい・・・トリュフォー、私の盾は・・・」
「あー、それか」
咄嗟に身を守ることを考えるのは立派だが、剣を離さないのは賞賛に値するだろう。だが、トリュフォーの口から出るのは当然ながらそんな言葉ではなく。
「すまねぇが飛ばされちまって。ちなみにあそこだ」
何気なく横を見たダーマは、自分の盾が深々と壁に突き刺さっている様を見て慌てて臨戦態勢をとった。そして自分と相対している人物を見てまた驚く。
「な、ちょっと待て! 一体何がどうなって――」
「私が聞きてぇよ」
二人の前に立っていたのは、プルだった。ただし、全身を血で赤く染め、うすら笑いを浮かべている。顔といわず腕といわず、あらゆるところが引き裂かれ、出血しているのだ。しかもその傷は全て、自らの手によるものだった。
「・・・なぁプル、命懸けの冗談なら笑ってやるから、もうその辺で――」
ヒュッという風を切る音がして、トリュフォーの頬に傷が入った。咄嗟に避けなければ、肉を抉られていただろう。薄々わかってはいたが、冗談などではないらしい。
とすればすることは一つ。
――気絶させるしかねぇな。
「悪ぃ」
トリュフォーは素早い身のこなしでプルの懐に潜り込むと、あっという間に両手を捻り上げた。そしてそのまま首筋に一撃を叩き込む。
プルはぐぅっと短く呻き声を上げると、ガクンと前のめりに倒れた。
だがトリュフォーがほっとした瞬間、彼は凄まじい怪力で吹き飛ばされて地面に叩きつけられた。
驚愕の表情で、ダーマがトリュフォーと、プルを交互に見た。
物憑きにでもあっているのだろうか、宿屋で顔を見ただけのプルとかいう青年は、明らかにその時とは別人だった。
――止めなければ。だがしかし、どうやって?
ダーマが躊躇している隙に、彼は先程のお返しとばかりにダーマの頭に蹴りを入れた。兜が外れ、銀髪をたなびかせながらダーマがトリュフォーの横まで飛ばされる。
だが当のプルはというと、彼らに追撃をするでもなく、頭を割らんばかりにして爪を突き立てながら呻き声を上げ続けていた。
「うあぅ・・・っが・・・」
引き裂かれた皮膚の下から、ドロドロと赤黒い血が滴り落ちている。
――苦しんでいるのか?
何とか体勢を立て直しながら、トリュフォーはクラクラする頭で考えた。もし、強力な何かに憑かれているのだとすれば、その原因を絶たない限り無駄にプルを傷付けるだけだ。
どうすりゃいいんだよ――彼が逡巡していると、ぱっと頭にひらめいた言葉があった。
――殺しちまえ!
はっと我に返る。
――今、何て恐ろしいことを考えたんだ、私は。クソッ。
嫌な考えを追い払うようにして盾に飛びつき、前面に構える。早く何とかしないと、プルの体がもたないのは火を見るよりも明らかだった。
動くものを追う本能が働いているのだろうか、プルはギロリとトリュフォーに目を向けると、骨が折れんばかりの無茶苦茶な攻撃を繰り出した。それを受け止めるトリュフォーの耳に、鈍い嫌な音が響く。
「プル、この野郎しっかりしやがれ!」
彼の言葉に耳を貸す風も無く、プルは盾に爪を立てた。ギ・ギ・ギィ、という耳障りな音を立てながら盾が赤く染まってゆく。
完全に指はあらぬ方向に曲がり、血が止め処無く流れているにもかかわらず、プルは動きを止めない。
だが何かしようにも、トリュフォーはプルの攻撃を止めるのに精一杯だ。何ともならなかった。
と、その瞬間、紅蓮の甲冑が目の端に入った。そして、その手には剣が――
「バッ! やめろぉ!!」
止める間も無く、ダーマが手にした剣はプルのわき腹に突き刺さった。
瓦礫に顔を埋めたまま、ルスラは何かの悲鳴を聞いた。
起き上がろうとするも、息が詰まり、身体が無理やり捻じ曲げられるあの感触が蘇る。だが、それ以上に彼女の思いが勝った。
――彼奴を止めねば!
それは彼女の欠落していた記憶だった。そうしなければならないと、ルスラを激励している。自分にしか止めることは出来ない、と。
周囲を見回す。アレがあるはずだ、と。
そして――あった。
ルスラはじりじりと、竜が封印された姿である赤い茸のところまで這って行った。震えが止まらない手でどうにかそれを手に取ると、
「こっちだ!」
叫んだ。
虚ろなままだったシャンプの瞳が、ギラつく殺意を宿し、そのままに彼女へと向けられた。同時に、濡れる洞窟の床に組み伏せられる。
「ぐぅ・・・」
咄嗟に魔法防御をしなければ、確実に首の骨が折れていた。ルスラは咳き込みながら、必死になって彼に呼びかけた。
「シャ、シャンプ、げほ、口を・・・開けよ」
シャンプは短く呻いたようだったが、それだけだった。何も聞こえていないらしい。
「莫迦者・・・目を、覚ませ!」
返事は無い。代わりに、腕にこもる力が強まる。
ルスラは迷うことなく、次の行動に出た。忘れ去っていた記憶が、考える前に彼女を動かす。
「!!」
何か嫌な気配を察知したのだろう、彼は慌てて後方へ飛び退ろうとした。だがそれよりもほんのわずかに早く、ルスラはシャンプの口を無理やりこじ開けると、歯の隙間に茸を押し込んだ。そのまま首にかじりつくようにして、その口を押さえつける。
「戻すな! 呑み込め!!」
憎々しげな眼差しをルスラに向けながら、シャンプは必死の抵抗を試みる。体を捩るように転げ回り、何とかしてこの少女を振り落とそうともがいた。そうはさせじとルスラが腕に力を込める。
と。
「―――――――――――――――――――――ッあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああ゛あ゛ア゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ア゛あがああアアあああああガああああアアアアアがあぁああああ゛ッ!!」
断末魔の悲鳴。
ルスラの気が逸れた。
その隙を、彼は見逃しはしなかった。渾身の力を込め、拳で彼女の脇腹を突く。柔らかな体に、その一撃は難無くめり込んだ。
仲間を仲間と思わぬ容赦無い攻撃に、まず魔法防御が崩れた。そして、ルスラの手が離れる。
驚く間もあればこそ。
彼女の小さな体は軽々と吹き飛び、地面を抉りながら壁に激突して止まった。今度は背中といわず頭といわず、全身くまなく捩れるような痛みが襲い来る。
――戦え! でなければ死ぬぞ!
自分を叱咤するも、無駄だった――動けない。
止めなければ。
彼奴を止めなければ。
頭の中に自分の声だけが空しく響き続ける。
思い出してください――誰かがそう、呼んだ気がした。
だが、それと同時に激痛が襲い掛かった。水に深く沈んだ時の息苦しさと圧迫感、そしてそこに加わる割れるような痛みに耐えかね、彼女は意識を手放した。瞬間、全てが白く輝き、彼女はその中へと何処までも落ちていった。
脇腹からの出血は、すぐに止まった。
だが、プルの痛みは治まる気配を見せなかった。寧ろ、時が経てば経つほどに悪化していた。
彼よりも少し離れたところでトリュフォーとダーマが「何故刃の方で攻撃したのか」「殺す気か」という言い争いをしているのがぼんやりとわかった。そして、今、自分が倒れていて動けないことも。
それから、気配を感じ取った。向こうではシャンプが同じような、いや、それ以上の苦しみに悶絶しているのだと。
助けて欲しいと、叫んでいるのに。
――けど、誰も気付かないんだ。
悲痛な思いが、一瞬脳裏を掠めた。こんなにも苦しんでいても、誰も何も助けてくれない。
――ひどいよ・・・
プルが恨みめいた言葉を残して意識を手放すと同時に、僅かながらも彼のコントロール下にあったはずの身体が彼の縛りを解いた。
おそらく、トリュフォーもダーマも何が起こったかわからなかっただろう。
プルの体は本能の赴くままに動き始め、手始めに彼らに目をつけた。
防ぐ暇を与えぬ捨て身の攻撃で、二人はほぼ同時に洞窟の壁に叩き付けられ、意識を失った。全身血塗れのプルはそれをぼんやりと見届けると、耐え難い苦痛に声をからして叫んだ。
断末魔の悲鳴――そうともとれるその咆哮は、ガランとした空間に何度も何度も木霊した。
立ち上がった瞬間、血が凍った。
身動ぎした瞬間、体が細々と千切れ飛んだ。
何かを考えようとした瞬間、それらの痛みが降りかかって来た。
プルの苦しみなど、シャンプにとっては極楽のようなものだった。痛みを通り越し、苦しみをもっと突き詰めた何かが彼を蝕んでいた。
だが、それらを消す為の方法は知っていた。
全てを、破壊する。
何でもいい、全部。物体、命、世界、それらが全てなくなればこの苦しみから解放される。
だからシャンプは、戦わなければならない。だから、戦う。
どくん、と脈動を感じる。
いや、これが痛みなのだろうか。
深々と自身に食い込む何かが、シャンプには急にいとおしく思えた。そう、これは痛みではない。
そう理解した刹那、シャンプの中から新しい自分が再生するのがわかった。今までずっとシャンプという殻の深遠に押し込まれていたもの。それらが殻を裏返すように、表に出てきた。
同時に、地獄は天国へと変貌を遂げた。
耐え難いものだった何かが、快楽へと変わる。
シャンプは、いや、シャンプだった彼は、笑った。
逃げる必要なんて無かったのだ。最初から、受け入れればよかったのだ。こんなにも心地よいものならば。
だがそれを悟った彼の前に、忌々しい存在が現れた。
漆黒のローブから見える、禍々しい黒とは全く似つかわしくない金髪と碧眼の風貌の男性は、やれやれと溜め息を漏らした。
「いつ見ても、こればかりは・・・酷いことだ」
男は、苦悶の表情と殺意の眼差しで彼を睨んでいるプルに向かって何やら短く詠唱すると、プルは糸の切れた人形のようにガラガラッとその場に崩れ落ちた。
これが、聖魔剣リシーサの力のほんの一片なのだ。
こんなものが人間の手に渡ってしまったら――考えるだけで気が滅入る。そして、もう自分がルシダムと呼ばれることは無いのにもかかわらず、まだそのようなことを心配している自分が滑稽で、彼は少し笑った。
――誰も、何もわかっていない。
「セレフォーラ、少しやりすぎでは?」
魔衆の本拠地に帰ってきた彼女を待っていたのは、賛辞ではなかった。珍しくその顔に苦悩の表情を浮かべながら、彼女の主であるレイスその人はこう言った。
「何も彼を殺せとは言っていない」
「さようでございますか」
これでお褒めの言葉に預かれる、と思っていたセレフォーラにとって、レイスのそんな表情は邪魔でしかなかった。なぜ、そのような馬鹿げたことを言い出すのだ、と彼女は逆に彼に向き直る。
「彼は勇者だ」
彼は言った。その双眸は虚空を見つめたままだ。
「あの聖魔剣の力を浪費せず、かつ、時にはその力を高め得るのは彼だけだ」
「知っております」
じれったそうに、セレフォーラは瞬きを繰り返した。こうしている間にも、剣がその主を変えようとしているのかもしれないのに、何を悠長なことを言っているのだと。
だが、彼は言った。
「私が剣を手にしたら、君らの悲願は果たされないよ」
驚く副官を尻目に、レイスは闇へと掻き消えた。
そして彼は、今、その変わり果てた勇者と対面していた。
「アマニタの呪い、か」
リシーサが聖剣だけではなく、魔剣と称される所以がここにあった。
魔剣の呪いは時として人格を崩壊させ、主をただ殺戮のみを求める殺人鬼に変えてしまうのだ。
「慣れない封印の力を使うからだ。君にはまだ荷が重過ぎる・・・特に、竜なんかは」
ひらひらと紙一重のところでシャンプの攻撃をかわしながら、レイスは呟いた。
「ウ・・・ルサィ・・・」
「そう思うならば私を止めてみせろ。もっとも、君がその程度ではまだまだ力の差は歴然、とでも言っておこうか」
咆哮をあげて襲い掛かってくるシャンプを軽くあしらいながら、レイスは本当の『シャンプ』に向かって呼びかけた。
「恐れるな、シャンプ。君が成し遂げたいと思ったのは、仲間を傷付けることではないはずだ。違うか?」
次第にシャンプの動きが鈍くなってきた。頭を押さえるようにしては振り払い、時折激しく咳き込んだ。
「う・・・ぅう・・・」
「打ち勝つんだ」
一瞬の隙を突いて、レイスはシャンプの背に回って彼を羽交い絞めにした。必死にもがくシャンプに、レイスはもう一度耳元で呟いた。
「守りたいものが、あるんだろう」
急に、シャンプはおとなしくなった。ぶつぶつと何かを呟いていたが、再びはっとなってレイスを突き飛ばして離れた。剣を構える。
「・・・あ・・・?」
「そう、それでいい」
目覚めたばかりという風に頭を振る彼を、どこか微笑ましく思いながらも、レイスは複雑な気持ちで勇者の成長を見据えていた。
これはチャンスだったのだ。聖魔剣リシーサを手に入れる絶好の機会だったのに、それをみすみす見逃した――いや、同志を裏切り勇者に手を貸したのだ。
しかし、そうせざるを得なかった――レイスは言い訳をしながら軽く下がった。出来ればもう二度と、この剣を見たくは無かったのだが、それでも、もしここで自分が剣を手に入れれば。定められた運命のシナリオが狂ってしまうのだと。
ちらり、とレイスは周囲を見渡した。
セレフォーラの報告どおり、『彼女』がいた。また今回も、同志からしてみれば敵についたのだということだ。
シャンプの暴走があの程度で済んだのも、彼女が応急処置を施したからに違いない。封印を解除するには、封印したものを吸収するのが一番手っ取り早い。もっとも、傷口に酒をかけるような乱暴な治療であることには変わりないだろうが。
そして――人間達がいた。
うち二人は、魔衆で屈指の能力者であるあのセレフォーラの呪いを受けている。憎しみの呪い――
ふと、悪いことを思いつく。アレに使える。
「シャンプ、彼らは君の、大切な仲間かい?」
「へぁ・・・?」
「王都に着いたら、きっと面白いことになるよ」
自分の人間嫌いに辟易すると同時に、彼はこの恐ろしい仕打ちを考えてぞっとした。素直に仲間を罵倒するだけにとどまればどれほど良かっただろうかと、後々悔いることになるだろう結末を描いてみて、彼は満足そうに笑った。
もっとも、無関係にもかかわらず、この冒険譚に巻き込まれてしまったこのプルという少年に比べれば、それほどでもないのかもしれないが。そもそも、彼が暴走したのもシャンプの暴走の余波を受けてのことだ。
残酷ではあるが、それでもレイスは彼に一縷の希望を見出していた。もしかすると、自分の本当の望みどおりの結末になるやもという希望だ。
「希望、か・・・そんなものに再びお目にかかれるとは、ね」
「・・・あ、オメさ、どこな行くとよが!?」
まだ敵か見方が判別出来ていないシャンプに向かってレイスは笑いかけると、
「次からは、もう助けない。自分の力でどうにかするんだ」
いきなり手を掲げた。
「シャンプ、また会おう・・・生きてれば!」
目も眩むような閃光と共に、レイスの姿は消えた。
チカチカする光を追い払いながらシャンプが目を開くと、そこには倒れている仲間以外には誰もいなかった。
ただ、彼は気付かなかった。
竜と戦った以上の傷を受けたはずの仲間達が、全員無傷で倒れていることに。そしてこの惨劇の記憶が、彼らの記憶から抜け落ちてしまっていることに、気が付くはずも無かった。
◆
「・・・っつーこつでよめ、オラぁホントに見たんだよっぺ!」
「だからー、それはさー、見間違いだって絶対」
「いんね! そりゃ違ぇがと! あん時見たんは、あるみらよったっぺ!」
「けど、シャンプの彼女のアルミラちゃんは村にいるんでしょー? そんな、伏竜洞に来れるわけがないじゃんか」
「愛の力というやつではないのか」
思いがけない言葉に、プルはぶふっと盛大にお茶を吹き出した。慌てて口周りを拭う。
「ルスラちゃん、それ本気?」
「煩い。いい年して恋人もおらんような輩にどうこう言われる筋合いだけは無いわ」
「さり気に酷い台詞だよ、ルスラちゃん」
「んーけど、プルっちにもきっとよき人ま見つかっちょやー。心配せんとめ」
「ああ、あの帽子の――」
「それ、絶対違うから。あれさらわれかけてたから。危うく拉致だったから」
ふん、とそっぽを向いてルスラは『魔道具注文書』を眺めている。金欠と知ってから、彼女はひたすらそういったパンフレットを眺めるという地味な嫌がらせを始めている。
「それにしても、いろいろ大変だったねー。竜について」
ルスラが無反応なのを確かめてから、プルは呟いた。
「記憶がみんなごちゃごちゃだけどさ、とりあえず竜も倒せたし、被害も出なかったみたいだし、めでたしめでたし、だよね」
「んだなや」
これでひとまず、旅費の心配は無いはずだよな――暢気にそんなことを思いながら、プルはあくびを噛み殺した。もうすぐ日が沈む。
「にしても、トリュー遅いな・・・ひょっとして――」
「帰ってきたらすぐ出発となるやもな」
ルスラの一言に、「やだなぁ、ルスラちゃん冗談きついよー」と、プルは乾いた笑いを返した。
だがしかし。
冗談だとは言い切れないのが悲しい、そんな探求の終わりの夕暮れである。
その頃、トリュフォーはどうしていたかというと、ダーマのところへお金を貰いに行っていたのである。
「――はい、これで報告書は終わり」
「質問。何で私がこんなことに付き合わなきゃなんねぇんだ」
書類に埋もれながら、トリュフォーが愚痴った。その隣では、同じような状況でダーマが一言、「ご苦労様」で終わらせた。
「そう文句を言うな。本来ならばあと二・三日とどまってもらうところを、こうして一日で終わらせたんだから、感謝の一つぐらいしてもらいたいものだよ」
「へーへー、お手数をお掛けしてすいませんねぇダーマ様」
「どういたしまして、トリュフォー殿」
「ケッ、嫌味ぐらい付き合え」
椅子を乱暴に倒して立ち上がると、トリュフォーはひらひらの紙を一枚手にとって伸びをした。
「あーあ。お前ら毎日こんなことしてんのか? 私なら一日で死ねる」
「本来ならば、君の仕事だ」
「・・・冗談じゃねぇ」
ふん、と鼻を鳴らして、トリュフォーは紙を丸めた。
「似合わねぇよ」
「・・・どうかな」
冗談めかして帰るつもりが、ダーマの言葉は嫌に冷たかった。
「どういう意味だ」
「もし――君なら、」
ダーマはトリュフォーに背を向けたまま淡々と続ける。
「竜が出ると噂される洞窟に、新人を送るかい? 訓練と称して、そんな程度で済ませるか?」
「まさか」
トリュフォーは呟いた。もし自分なら、万が一を考慮して、熟練の騎士や魔術師を向かわせる。伝説だからといって、もしそれが伝説などではなく現実であった場合を考えずに行動するのは愚かしいことだ。
「なら!」
バァンと机を叩いて、いきなりダーマが立ち上がった。驚いて振り返ったトリュフォーの目に、凄まじい形相のダーマの姿が飛び込んできた。
「君が指揮を執っていれば、死なずに済んだ人間が死んだということだ!!」
「・・・そうかよ」
どういう意味か、とは尋ねなかった。
「指揮を執ったのは、フラヴィダム・ルベスケンス殿、なんだな・・・」
「ああ、そうだ」
歯を噛み締めながら、ダーマははたはたと涙をこぼした。
「君が指揮官だったならば、こんなことには・・・」
「・・・いや、同じだ。きっと私でも・・・同じ結果になったろうよ」
そう言い捨てると、トリュフォーは大きく深呼吸をした。
「終わったことを、気に病むなよ」
「うるさいッ! 何も知らないくせに、君に何がわかるって言うんだ!」
思わず口にしてしまって、ダーマがはっとしたのが見て取れた。
「あ、す、すまない、そんなつもりじゃ・・・」
「いいっていいって。気にしちゃいねぇよ」
トリュフォーは精一杯、笑いを取り繕ってみせた。
「らしくねぇな」
「え・・・?」
「急に叫ぶなんてよ。精神的にダメージがあるんだったら、早く王都に帰って診てもらえ。竜を退治してから、ちょっとイライラしてる気がすんだけどよ」
それは無論、気のせいなどではなく、セレフォーラの呪いだ。もちろん、これは上級治療魔法使いでもない限り、わかるはずもないのだが。
「・・・わかった」
だが、ダーマは素直に親友の言葉を受け入れることにした。どの道、王都には急いで帰らなければならないのだ。それに、トリュフォーに心配してもらえて少し嬉しかったのもある。
「君も診てもらった方がいいかもな」
「あ? 嫌味か?」
「そうだ」
「ご忠告痛み入る。けど私は無理っぽい」
二人して笑った。
トリュフォーの笑っている顔を見るのは久しぶりだ、とダーマは改めて思った。
少し、ほんのわずかではあるが、心のささくれが取れたような気がした。だが、王都に戻ればもう、きっと――
「トリュフォー」
「ん?」
「出発は明日か」
「ああ、南の森を抜けて、ヌメーガ方面の黄金街道に出る。後は、水路で王都だな。馬があればすぐなんだが・・・いいよな、馬がある奴は」
「仲間を置いてはいけないだろう」
「当ったりめぇだ」
敵と戦うよりも疲れた、といった感じで宿に帰ろうとするトリュフォーの背中に、ダーマはいつもと同じように呼びかけた。
「王都で待ってる」
手を振りながら夕闇に消えていくトリュフォーを見送ってから、ダーマは軽く目を閉じた。
おそらく、もう二度と、トリュフォーの笑顔を見ることは無いのだろうと。
「すまない・・・」
だが、侘びの言葉は言い訳と同じで、虚しく風に乗って消えてしまった。
<おまけ>
宿屋にて。
「あ、トリュー、ちょっと聞きたいんだけど・・・」
「何だ」
「ダーマさんとの関係って、何?」
「恋人じゃろ」
「んだ」
「だぁー! 何でそうなるんだ何で!!」
「・・・と、いうころらしいぞ。残念じゃったなシャンプ」
「っかしーべやな~。ぜってーそーだと思っとっために・・・」
「しかも首謀者はテメェか! ちょっとそこ直れ!」
◆(まだまだ藤枝)
傷が完治しているとはいえ、疲れていることにはかわりがない。そういう時はすぐに眠ってしまうに限る。
のだが。
「あーったく! るっせぇぞテメェら!! 明日何時にここを出ると思ってやがる!」
修練合宿一日目の夜さながらに騒いでいる三人を、トリュフォーが一喝した。
「ガキじゃあるめぇし、さっさと寝ろ! 寝ちまえ!!」
「俺のせいじゃないです・・・」
「ふん。ガキで悪かったの」
「んにゃ? ガキってぬんだぺ? うめぇのんけ?」
「だぁ~からいい加減に静かにしろっての!」
明らかに疲弊しているプルを巻き添えに、再びトリュフォーの怒声が飛んだ。
彼らの気がほんのわずかに逸れたその一瞬を逃さず、プルはシャンプの手から何かを引っ手繰った。
「あやー。取られっちまったがら」
「何をやっておる、シャンプ。奴に遅れをとるようではこの先が心配だわ」
「俺を実験台にしないでよね!」
「ははー、プルっち、なかなかやっぺなーや」
朗らかに笑っているシャンプを一睨みしてから、プルは「んっとにもぉ油断も隙もあったもんじゃ・・・」とブツブツ呟きながら、シャンプから奪い返したそれをカバンに突っ込んだ。
「何だそれは」
改めて彼らのガキっぽさに溜息をつきながら、トリュフォーが尋ねた。状況を察するに、その何かをルスラの命令で奪ったシャンプがそれを返すまいとプルと取り合いをしていたというところだろう。つくづく、低次元な争いだった。
だがプルは少し頬を染めながら、
「・・・もらいもの、です」
と、もごもごと呟いた。
「べっ、別にいいじゃないすか! 俺が何もらったって!!」
「私は何も言ってねぇだろう」
バタバタと慌ててカバンの口を閉めると、プルはいっそう顔を赤くした。
「花よ。花をもらったのだ」
「ルスラちゃん!」
それは言わないでよ!、とばかりに悲痛な叫び声をあげながらプルがふくれる。
「わらわは事実を言ったまでのことよ」
「~~~~~~~~~」
身も蓋も無い返し方をされ、プルは耳まで真っ赤になると、ギュウギュウ詰めのカバンを放り投げてベッドシーツに潜り込んだ。
「おやすみ! 俺もう寝るからほっといて!!」
プルは火照った顔を必死に擦りながら、ギュッと固く目を閉じた。明日も早いということでそれ以上花について言及されることは無かったのが、まだ彼にとっては救いだった。
何故、彼が花などという似つかわしくないモノを貰ったのか、ということには訳があった。
その日の午前中、トリュフォーがダーマのところへ出かけ、シャンプが疲労困憊で目覚めないのをルスラがそれとなく気遣っている間、プルは町でやり残していた重大な任務を遂行していた。
つまり、ケーキコンボで吹っ飛んでしまったお金の残り半分を、いかにうまく利用して必要物資を買い込むのか、ということである。
旅慣れていないので何を買えばいいのかわからない、ということもあったが、それはなんとかすることにした。それ以上に、今回の買い物を逃せば次に物資を買えるのがいつになるのかの方が不安だったのだ。
ここで、彼が身につけた『値切り』の能力が後々彼らの旅に大変役に立つことになるだとか、それを習得するまでとある露天の店主と延々戦って粘り勝っただとか、そのお陰でお釣りが出たがトリュフォーに「別に使い切ってくれて構わなかったんだがな」と言われてしまっただとか、結局短刀以外の武器も防具も購入していなかったことに出発してから気付いてしまっただとか、そういった諸々のことは今回は置いておくとして。
それは彼の買い物がほぼ終わった頃のことだった。
時は昼下がり。プルが壮大な溜め息をつきながら、石階段に腰を下ろしている時だった。というのも、表通りの巨大看板の薬屋に入ったところ、「そんなはした金で買える薬なんて無いね! 帰った帰った!」と、けんもほろろに追い返されてしまったからなのだが、ちょうど彼が恨めしくその薬屋を睨んでいると、凄まじい音がした。
「帰れッ!」
ガッチャーンという音と共に怒声が降って来る。あまりのことに買い物を楽しんでいた人々がそちらに注意を向け始めるのとほぼ同時に、プルは野次馬根性でその薬屋に近付いた。
見れば、年が同じぐらいの修道女らしき少女が、店から叩き出されてうずくまっていた。
「お願いです、薬をください! お金ならここに――」
「化け物に売る薬なんか無い!! 消えろこのアマニタ野郎!!」
ドキリとして彼女を見ると――当然、プルと同じく野次馬も彼女を一斉に見たのだが――彼女の頭から、人間でも獣人でもない者の証でもある、二本の角が生えていた。彼女は視線に気付いてか、慌てて落ちていた小型帽を頭に載せた。
だが、時すでに遅し。
普段ならば、角の飾りのついた帽子を被っているのかと思われようが、そうではないことがここに居たほぼ全ての人間にわかってしまっていた。
「・・・化け物!」
誰かがそう叫んだ。別の誰かが短く悲鳴を上げてその場を離れる。
その目に耐えかね、少女は顔を上げずに立ち上がると、脱兎のごとく駆け出した。どん、と偶然プルにぶつかるが、彼女は「ごめんなさい」と呟くと、そのまま人ごみの向こうへと姿を消した。
口々に、「こんなところにまでアマニタが来るなんて」「塩まいとけ、塩を」などと騒いでいる野次馬を尻目に、プルは少しむっとした。
――何もしてないじゃないか!
昨日もそうだった。赤髪に金の瞳という容姿だけで、ルスラがどれほど好奇と疑いの目で見られたことか。一緒にいたプルにも、その眼差しは向けられた。中には「あんた、そんな化け物となんで一緒にいるの」とまで言う人も居た。
無論、こう返した。「彼女はれっきとした人間です!」と。
――もっと開放的なところだと思ってたんだけどな。
田舎の上に『ド』が付くほどの辺境に住んでいて、茶髪で緑目の人間以外ほとんど見たことも無い自分よりも、色々な人間を見ているはずの人々の方が何故こうも異質な者を嫌うのだろう。
――そりゃあ、行商人の怪しい人が来たら俺だってそう思うけど・・・それと同じなのかな。
けど、見た目だけで化け物呼ばわりはひどすぎるよな――プルがしかめっ面をしていると、足元に何か落ちているのに気が付いた。
拾い上げてみる。
親指と人差し指で丸を作ったぐらいの割と大きなガラス玉の中に、『聖茸教(マイコティナ)』のキノコを象った輝石が輝いていた。
「ペンダント・・・あ、さっきの!」
思い当たるのは彼女しかいなかった。
プルは思うよりも早く、駆け出していた。
すれ違っただけの彼女が本当に見つかるのだろうか、という不安は杞憂だったようだ。
キョロキョロと周囲を見渡しながら小走りで移動していると、二度目のドカンがあった。ぶつかってきた相手は「あ、ごめんなさい」と頭を下げて駆けて行く。
黒い修道女服に、角の付いた帽子――彼女だった。
「あッ! 君、待って! ちょっと!!」
人を避けるように走っていく彼女の背を、プルは必死に追いかけた。逃げられるかもしれない、とプルが思った瞬間、彼女は木の根につまずいて派手に転んだ。その拍子に、手にしていた袋が落ちて中身がバラバラと散らばる。
偶然にも自分の足元に転がって来た黒い粒をつまみ上げると、あちこちに似たような粒が散在していた。手早くそれを拾い上げると、いい口実が出来たと彼女に近付いた。
「はい、これ。さっきの袋の中身。ほら、さっき転んだ時に――」
言いかけて、プルは言葉に詰まった。
ペタリと腰を落としたままの状態で、彼女がポロポロと涙をこぼしていたからだ。
「そんな・・・」
そう呟くのが、プルの耳に入る。ひょっとして、とプルがその黒い粒に目をやると、それは乾かしたモチの実だった。パンに入れて焼くとおいしいが、確か彼女は薬を買おうとしていたはずでは――まさかと思い、もう一度少女に声をかける。
「ねぇ、君」
「きゃっ」
短く叫び声を上げて、少女が立ち上がった。グイッと目をこすると、泣き顔を払拭してプルににっこりと笑いかけた。
「何でしょうか?」
「ちょっとその袋見せて」
有無を言わさず、彼女の手から袋を奪い取って確認する。間違い無く、そこには「心臓の薬」の表記があった。
「これ・・・何処で買わされたの?」
暫く少女は黙っていたが、一言、
「もらったんです」
と呟いた。
「ボクがあんまりにもしつこいから、お店の迷惑だ、って、これ持ってさっさと帰れって・・・その時に、もらったんです」
消え入りそうな声でそう言うと、くっと唇をかみ締めた。
「やっぱり、こんな角のある奴なんかに薬なんて、売れないよね・・・シスターが病気だ何だとか言うのなんて、怪しすぎるもん・・・しょうが、ないか・・・あはは」
涙をこらえながら、少女は笑った。
プルは、決意した。
「ちょっと、待っててね。すぐだから! お願いだから、絶対に待っててよ!」
言うが早いか、プルは再び駆け出していた。
それからまた暫くして。プルは本物の薬を手に、彼女のところへ戻って来た。裏小路の小さな店の主人が気前良く売ってくれたものだ。その主人も、獣人だったのだが。
果たして待っていてくれているだろうか、とプルは不安になったが、彼女はぼんやりとそこに膝を抱えて座っていた。待っててくれて良かった、と思う反面、そのつらそうな顔が嫌でも目に入った。
――こんなときこそ、笑顔が大事だよな。
プルはニーッと口元を広げると、それから「お待たせ!」と彼女に声をかけた。
「はい、これ」
「え・・・? これって・・・」
「薬。薬草だけど、薬にはかわりないよ。多分」
戸惑う少女に、プルは薬草の袋を押し付けた。
「店のおじさんが言うには、ああいった液体の薬は自然の摂理に反するからいかん! だってさ。草の効き目をなめると治るものも治らんわ! って。だから効果はある、と思う」
「ありがとう・・・でも・・・でも、どうして?」
袋を握り締めたまま、少女はうつむいた。
「ボクが、こんなだから・・・同情してくれたの?」
「違う」
「じゃあ・・・何で、ですか?」
少女の問いかけに、プルは少し考えてみたが、答えは簡単だった。
「困ってる人を助けるのは当たり前だから、かな。君だって、そうするでしょ」
少なくとも、自分が生きてきた村ではそうだった。少女は浅葱色の瞳をパチクリと丸くすると、ぷっと短く吹き出した。
「・・・変なの」
「え?」
「だって・・・ボクのことこんなだってわかってて優しくしてもらったの、初めてだから。ありがとう」
「そんな・・・それほどのことじゃ・・・僕は別に、ねぇ・・・」
「それじゃ、さよなら。このご恩は決して忘れません、本当にありがとう」
にっこりと笑いながら頭を下げる少女に、プルは当初の目的を思い出していきなり慌てた。
「あーーーーッ!! そうだ! 待って待って!」
「きゃっ! え、な、ど、どうしたんですか?」
「ゴメン! これ!!」
危うく渡しそびれるところだったあのペンダントを、プルは少女の手に押し付けた。
「これ君のだよね?」
はっと少女が息を呑むのがわかった。
「もう・・・誰かにとられてしまったとばかり・・・良かった、本当に・・・神よ、感謝します」
祈りのしぐさを取り、少女は目を閉じる。やはり信心深い――自分とは大違いだな、とプルは思った。アンブロスス様の説法で眠ってしまうような信仰だからこんな目にあっているのだろうか。
暗くなりそうな思いを払拭し、プルは笑った。
「よかった。大事なものでしょー。うっかりもらっちゃうとこだったよー」
明るく笑いかけるプルに、少女はコクリと頷いたが、
「それ、差し上げます」
顔を上げるときっぱり、そう言い切った。
「え? でも大切なものじゃ――」
「はい・・・ボクが捨てられてた時に身に着けていたものです」
「え、ちょ、そんなもの受け取れないよ!」
「だからこそ、です。本当に良くして頂いたから」
「ダメだって! こんなものもらえないって!」
「それじゃあボクの気がすまないんです!」
「僕の気もすまないから!」
押し問答になりそうだ、と悟ったプルは思いついた。
「じゃあこうしない? このペンダントは君に返す、その代わり、僕にその花をもらえないかな?」
「花、ですか?」
少女は頭上に『?』を浮かべて首をかしげた。プルは「それだよ」と、彼女の胸元を飾っている白い花を指差した。
「・・・いいんですか? こんなもので」
「もっちろんさ!」
少女は少し頬を赤く染めると、その花――どうやら造花らしい――をプルに手渡した。
「キレイだね、本物かと思った」
「花なら、まだあります」
おや、と思う前に、プルの手に色とりどりの花束がドサッと渡されていた。
「あ、ぼ、ボク、花や草を自在に咲かせられるんです。けど、お、おかしいですよね、そんな能力なんて・・・だ、だけど、他に今お礼に出来るものなんて無くって、その、だから・・・気味悪かったら、捨てちゃってください」
「何で?」
「・・・そんな力なんて、アマニタぐらいだ、って・・・」
「あぁ・・・それで――」
自分で墓穴を掘ってしまい、少女は今にも泣き出しそうな顔をしてしきりに頭上の角を触った。よく見れば、その下に牛のような耳が飛び出している。そう、彼女はアマニタなどではなく、人間と獣人のハーフなのだ。しかし、人間でも獣人でもない存在はどちらにも完全に受け入れられることは無い。その点では、アマニタと同じなのかもしれない。だから、両親も彼女を捨てたのだろう。
ああ、ボクってバカだ――少女は顔を赤くしたままそう痛烈に思った。恩人にこんなことを言うなんて、何て自分は愚かなのだろう。きっと、この人もそんなことを聞かされたら気味悪く思って逃げていってしまうだろうに、と。
だが、プルは違った。
「気にすること、無いと思う」
「え・・・?」
「そんなこと、気にするなって! いや、俺が言えた義理なんかじゃないことはわかってるけどさ、偉そうにと思うに決まってるけどさ、それでも。君よりも化け物じみた人だっているんだし――あ、これ俺の仲間には内緒ね。後が怖いから」
「ぷっ・・・怖いんですか?」
「あー滅茶苦茶怖いよー、頼りになるけど。起こると本当に雷が落ちるから」
クスクス、と少女が笑った。やっぱり、笑った顔はとても可愛い。
大変なことばかりだけど、今日みたいな日もいいか――プルはそう感じて、少し嬉しくなった。
「あの・・・っ」
それじゃあ、と手を振るプルを、少女が呼び止めた。
「ボク、ヴェルティナ、って言います。もし、もし・・・ですけど、また会った時は――」
「うん、そのときは本物の怖い人見せたげるよ」
「はい! 楽しみにしてますね、えっと・・・」
「あ、俺の名前言い忘れたっけ・・・偉そうに言ってたけど、俺はフツーの田舎村出身の一般人です。プルアロータス、って名前だけど、みんなはプルって呼んでる」
「プルさん、今日は本当にありがとう」
「こちらこそー。花、ありがとね」
少し心を温かくしながら、プルは宿に戻った。
ただ一つ、今日の彼にとって非常に残念だったことは、せっかくヴェルティナにもらった花が全部、まだこちらの料理に慣れていないシャンピニオンに全部食べられてしまったという、ロマンの欠片もあったものでは無い状態で無くなってしまったことであった。
ともかく、プルが花を持っていたのはそういった理由である。
無論、その時の彼には、そのヴェルティナという角のあるハーフの少女と本当に、意外な場所で再会するということは全く思いもよらなかったのではあるが。
それはまた、次の機会のお話。
安全な黄金街道ではなく、危険ながらも近道を選びながら王都へと進む彼らの旅は、まだまだ続く。
◆21(穂永)
無音の森が地平線まで広がっていた。黄金の道が森の中に吸い込まれるように消えていた。森の前には番小屋がぽつんと建っている。森の中には、木とその影のほか、いかなるものも見ることができない。
ひきつった笑いを浮かべるプルの背中を、トリュフォーはばんと叩いた。
「怖えのか」
「う……少し」
トリュフォーは肩をすくめて笑う。
「まあ怖いのも道理でな、<フォレスト・シロシーブ>、通称<幻影の森>と言えば、西街道一の難所だ。この森で消息を絶つ人間は、年に百人を数える」
プルは答えない。代わりにルスラが言う。
「何やら、変な魔力が漂っておるの」
「ああ、何でも<蜃気楼の魔王>スバエルギナスがこの森を根拠にしていると聞くぜ。森に入った人間は、蜃気楼の魔王の力にあてられて、半日のうちに幻影と化し、この世のあらゆるものと接触できなくなるとか」
シャンプが首をかしげる。
「まぼろし? って、奇天烈な術だべなあ」
「この森に住まう獣も鳥もみな幻影、あるいは森そのものが幻とも言われてんな。――なに、心配はいらんさ。この<封印の札>を持っていれば魔王の力にあてられることはないし、街道は一本道で迷う心配もない。一日半もあれば通過できる」
「それじゃあ、まあ、大丈夫、かな……」と、青ざめた顔のままプルが言う。
トリュフォーはにやりと笑って言う。
「甘く見んほうがいいぜ、プルよ。幻影の森はあらゆる手を使って旅人を中へ引き込もうとする。封印の札だって、効くのは三日がせいぜいだ。迷ったら――出られない。(ここでまたプルがびくっと身体を震わせた)絶対に脇を見るなよ、何もないからな。森の中にいる奴らは、みんな幻だ」
プルがごくりと唾を飲む。
「さて、説明も終わったなら、そろそろ行こうかの」
トリュフォーが先頭、ルスラがその次、シャンプが三番目になって、一行は歩き出した。プルは緊張の面持ちで、シャンプの後をついていく。森に入る前に、トリュフォーが番小屋の窓を叩いた。髭の生えた初老の男が窓から顔を出す。
「おう、トリュフォーさん、帰りかい」
「そうだ。連れができたんでな、<封印の札>、三枚頼む」
初老の男の顔が引っ込み、ややあって左手が出てきた。その手は三枚の札を掴んでいる。
「ほいさ」
投げられた札をキャッチすると、トリュフォーは三人に札を渡した。
「確かに受け取ったぜ」
「気をつけてな、まあ、あんたは慣れてるだろうが、お連れさんのほう。特に、そっちの子供」
プルは最初、ルスラのことを言っているのだと思ったが、初老の男やトリュフォーの視線が自分に向いているのに気づき、そうではないと悟った。
朝だというのに森の中は暗く、うだるように蒸し暑かった。奇鳥の甲高い鳴き声だけが、沈黙を破っていた。見たこともない巨大な蛾がひらひらと舞い、ひょろながくて黒っぽい植物が道の両脇から顔を出していた。
たちまち一頭の巨獣が、唸り声を上げ牙を剥いて、森の右手から突進してきた。やや身構えるプルを、トリュフォーが制した。巨獣は一行をすり抜け、左側の闇の奥へと姿を消した。
「あいつも魔王にやられた、哀れな生贄ってわけだ」とトリュフォーは言った。
半日あまりは、こともなく過ぎた。
昼ごろ――といっても、それを知らせたのは太陽ではなく、腹の虫だ――、一行は旅人が休憩した跡を見つけた。テントを張っていたと思しき石や土の跡と、火を焚いた跡が残っている。
「まだ新しいみでえだな」とシャンプが言った。
「ふうん、行商人かな」とプル。
トリュフォーが首をかしげていた。
「おらたちもこの辺で飯にしねか」とシャンプ。
プルは一も二もなく賛成した。他の二人にも異論はない。そこで簡単な食事と二十分あまりの休憩をしてから、進発した。
それからさらに一時間ほど歩いた。
突然、左後方から悲鳴が響いた。見れば、商人の風体をした男が、大蛇に絞められていた。大蛇の顎はすでに男の腕を飲み込んでいる。男の生命は風前の灯と見えた。
トリュフォーが制止する間もなく、プルが駆け出した。シャンプも後を追おうとしたが、ルスラが止めた。
「止まれ、馬鹿野郎、幻だ!」
耳に飛び込んできたトリュフォーの声に、はっとしてプルは止まりかけた。がすでに遅かった。脚は坂道に気づかずに宙を踏み、バランスを崩して転げ落ちていった。男の顔に笑みが浮かび、それから消えた。
街道を一歩離れれば、森の地形は複雑で、あちこちに急坂や穴、底なし沼がある。プルの姿は、あっという間に見えなくなってしまった。
トリュフォーが地団駄を踏む。
「あの馬鹿、人の話も聞いてなかったのか――だいたい本物だったとしても、あいつが助けに行ったところで、状況が悪くなるだけだってのに」
シャンプがトリュフォーを見る。トリュフォーは首を振る。
「やめとけやめとけ、共倒れだぞ」
「だども、見捨てるわけには」
「あー、分かってる。俺が探しに行ってみるさ、一応な」
トリュフォーはふう、とため息をつく。
「ルスラ、シャンプを連れて先に行って待ってな。私が残り二日半、ぎりぎりまで使って探してみるから」
ルスラの眼が険しくなる。
「見つかると思うておるのか」
「思わん、だがやってみないと分からん」
「二日半たってお主も来なければ、わらわとシャンプとだけで進ませてもらうぞ」
「ああ、そん時は私も絶望だ。放っておいてくれればいい」
ルスラはトリュフォーを険しい表情で睨んだが、たちまちシャンプに合図すると、道を急いだ。シャンプはやや逡巡の体であったが、この森に不慣れな自分がいても足手まといと思い、ルスラに続いた。トリュフォーはもう一度嘆息してから、森の中に飛び込んだ。
目を覚ましたとき、プルのまわりでは異獣が跳梁し奇鳥が叫び、変花が乱れ咲いて奇怪な香りを漂わせていた。大した怪我は負っていない。やや安堵しかけたプルだが、やがてあるべきものがないことに慄然とした。
――封印の札。
まわりを見回したが、どこにも落ちていない。
右に一歩踏み出してみる。恐れのあまり、また戻る。左に二歩、そして戻る。前にも後ろにも進みかねた。プルは生まれてから一番の恐怖を感じた。
身体も頭もがくがくと震えた。大声を上げたい、走り出したいという欲求を辛うじて抑えた。
――冷静になれ、冷静になれ、冷静になれ。
しきりに、それだけを自分に言い聞かせた。その効き目があったのか、なんとか気分が落ち着いてきた。この度胸は、冒険で幾度か危険をくぐってきたたまものかもしれない。
――どうすれば、助かるのか。進むのか、戻るのか。
――そうだ、戻れば助かるぞ。
トリュフォーは、半日で身体が幻影と化してしまうと言っていた。すると半日以内に森から出ればいい。森に入ってから半日ほど歩いたのだから、急いで戻れば、なんとか間に合うかもしれない。そしてあの森番の小父さんにもう一度札を貰って、みんなの後を追おう。
考えが定まると勇気も出てきた。
――前のめりに倒れたから、脚があるほうが来た道だな。
坂道を転がる途中で身体の向きが変わった可能性については、考えないことにした。
ずんずんと歩いた。異獣も奇鳥も幻だ。恐れる必要はない。
歩いた。不安になってきた。
――まだ一時間だって歩いてないぞ。大丈夫だ、きっと戻れる。
歩いた。
歩いた。
歩いた。
息が切れた。
――まだか。
額の汗を拭う。拭った左手が、眼に飛び込んできた。
左手は、透けていた。
「あ」
心臓が跳ね上がる。
背中を汗が滝のように流れ落ちる。
目の前が真っ暗になる。暑いはずなのに、身体の底から悪寒が襲ってくる。
息づかいが激しくなる。
「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
思わず、方角も見ずに駆け出していた。
全く錯乱していた。異獣の顔は、プルをあざ笑う人間の顔に見え、奇鳥の声は、けたけたと笑う、残酷な子供の声に似ていた。おいで、おいでという声が、森の奥から聞こえた気がした。涙が出た。笑った。怒った。その辺りの木を蹴飛ばそうとしたが、すり抜けた。恐怖が増した。
息を切らして駆けた。
「止まれ!」
駆けた。
「止まらなければ!」
声は耳に入っていたが、理解できなかった。
左脚に鋭い痛みが走った。プルは思わずつんのめる。人が近寄ってきた。
「寄るなよ、どうせ僕ももうすぐ、お前と同じ幻になるんだ! 放っておいてくれ!」
「何を言っている、貴様、スバエルギナスのしもべではないのか?」
「そんな奴は知らない、もういいだろ、俺は……」
「――もしや、人間か?」
「ああ人間様さ、聖も魔も関係ない、田舎の百姓だよ!」
「僕を見ろ」
「幻なんか見たくない」
「見ろ、幻かどうか」
答えも待たず、その人はプルの首筋を掴んで無理矢理自分のほうへ顔を向けた。
プルの目に飛び込んできたのは、思いのほか柔らかな面立ちの少女の顔だった。一旦安堵の息。ところが改めて少女の顔を眺めると、またしても失神せんばかりに恐ろしくなった。
淡い、ほとんど銀に近い金髪に、白玉の肌。森の住民と言うよりは山岳の住民に相応しいいでたちで、長弓と箙を背負っている。だが異様なのは血のように紅い瞳と、耳があるべき位置からとび出た、羽毛におおわれた突起である。
「きっ……君は……ま、魔……」
少女は一息ついて、首を振る。
「ああ僕は魔の眷属だ。――逃げなくてもいいよ、別に取って喰おうってわけじゃないから」
それでもプルは背中を向けて脚をばたつかせる。少女は言葉で逃げ足を断った。
「それとも、一人で森から出られるのか?」
プルの脚がぴたりと止まる。振り向いた顔は涙に濡れている。
「あー、泣かなくていいよ、……泣くな、助けてやるから。ほら、傷口を見せてみろ。間違って射てしまって、すまなかったな」
少女はプルの答えを待たず、彼の左脚に突き刺さった矢を引き抜いた。プルはあう、と悲鳴を上げる。少女はハンカチを裂いて傷口に巻いた。痛みにプルが我に返ると、消えかかっていた左手と脚が、現実感を取り戻している。
「ん、封印の札を持ってないのか? 命知らずだな」
「持ってたけど、なくした」
「では、誤射とはいえ、君を救うことになったわけだ」
少女は傷口の応急処置を済ますと、矢を見せた。
「これは<封印の矢>。封印の札と同じ材質だが、研ぎ澄まされている分、威力は高い。これは射た者にかかっているほとんどの魔法を打ち消すことができる。――まあ、あまり強力な呪いなどは無理だが」少女は続ける。「蜃気楼の魔王の影響くらいは問題にならない」
少女は矢を置くと、プルの右手を取った。
「そっちの手にも、怪我をしているようだが」
「これはたいしたことないよ、転んだときにすりむいただけだから」
「ちゃんと処置しておかないと、破傷風になるぞ」
聞いてプルは青くなった。少女はいきなりプルの手に口をつけて傷を吸い、血を吐き棄てた。
「気休めにしかならんから、森を出たら、まともな医者にかかっておけよ。――青くなったり赤くなったり、忙しいことだな」
少女は膝の土を払って立ち上がると、真っ赤になっているプルに腕を貸して立ち上がらせた。
「肩を貸そう」少女はもう一方の手で、プルに矢を渡した。「持ってろ、札の代わりになる。行き先は王都のほうか?(プルがうなずく)なら、まあ、一日の行程だな。怪我をしてるから、もう少しかかるかもしれないが」
プルは少女に肩を預けた。二人の身体がぴたりとくっつく。
「――重いな」
「ご、ごめん」
「気にするな、もとはといえば、僕のせいだ」
少女はプルの目を見て、少し笑った。プルはどきりとした。
「名前を聞いてなかったな」
「ん、ああ、――俺は、ランプテロミス村のプルアロータス」
「ミセナ・クロカータ、または<碧空の魔王>だ。プルアロータス、しばらくの間、よろしく頼む」
「や、こっちこそ」
プルはそう言って、ぎこちなく笑い返した。
少し休もう、とプルは言った。ミセナの息が上がってきたのに気づいたからだ。
「気遣ってもらってすまないな、どうも僕は体力のほうには自信がなくて」
「いや、俺のせいだし」
プルはミセナの肩を離して、切り株に腰掛け――ようとして、見事に転倒した。
「まだ慣れないのか。ここから見えるもの、僕と君以外はみんな幻だ」
尻をさすりながら、プルは座りなおし、照れ笑いを浮かべた。それから鞄から水筒を取り出して、一口。
「飲む?」
「いただこうか」
ミセナは水筒を受け取ると、浴びるように飲み乾した。ややあって眼をぱちくりさせると、口から水筒を離し、耳元で振ってみる。
「――すまない」
「全部飲んじゃったの!?」
プルは驚いた。2リルトルは残っていたはずだが。
「いや、いいけどさ。咽喉が渇いた原因は俺だろうし」
「ホントにすまん」
それからミセナは、プルに向かい合って、座った。しばらくの間、二人とも何も喋らない。次第に気まずくなってきた。気まずい空気を破ろうと、プルが声を出した。
「あのさ」
「ん?」
「ミセナは何で、この森をうろついていたの?」
途端に、ミセナの顔が険しくなった。
「蜃気楼の魔王スバエルギナス」
プルが怪訝な表情を浮かべる。ミセナは言った。
「彼を――殺すためだ」
(おまけ)
幻影の森に入って、一日ほどの距離の場所。
蒼い衣をまとった長身の青年が黄金街道の上に立っていた。幻影の森の奥の、闇のまた闇を見据え、青年はつぶやいた。
「蜃気楼の魔王スバエルギナス……貴方との仲もこれまでだ。あなたは強くなりすぎた、全てを飲み込み、幻に変えてしまうほどに……私は、貴方を倒さねばならない」
「何をブツブツ言っておるのじゃ。伏竜洞で出番が無かった悔しさに、頭をやられたか」
青年はふり返った。あの少女が、金髪の少年を連れて立っていた。
「おお、これはこれは……。ふむ、今日は聖魔剣の勇者もご一緒ですか」
「マクロセファラスとやら、お主ほどの者が幻にあてられたわけでもあるまい。森の奥に、何があるのじゃ?」
青年は微笑んだ。
「魔王の館があります。スバエルギナスがいます。――ふふ、出番はいただきますよ。今回、あなたの出る幕はないでしょう」
そう言い残し、ぽかんとした勇者と、憮然とした賢者を置き去りにして、青年は森の闇へと消えた。
22(バーネット)
偶然という言葉がある。特に示し合わせたわけでもないのに、様々な事象が絡み合い予想もできないことが起きることを表す言葉である。その程度は世界の危機を救うようなたいそうなものから街で古い友人にばったり出くわすといったたいしたことのないものまで様々だ。しかし、程度に関わらず多くの場合はただの『偶然』として片付けられてしまうのがオチである。だが、偶然と見せかけて実は必然だったり神の見えざる手が発動していたりとなかなか侮れないものでもある。
故に人はこう呟くのだ。
「……偶然とは怖いものだな」
「ん? 何か言った?」
最終更新:2013年06月12日 22:13