2005年07月30日(土) 02時42分-穂永秋琴
なんの因果だか知らないが、あたしの席は教室の入り口のところになることが多い。鴻の江中学に通っていたときは確か通算五回。三期制だったから、都合九分の五ってことになる。御雨堂高校に入ってからも三回、入り口に席を貰った。高校は二期制で今は二年の後期だから、四分の三。うわ、中学のときの記録を超えちゃいそうだ。
そんなことはどうでもいいのだ。普段は。隣の春原なんか、教室入ってから歩く距離が少なくて良いなんて言ってる。うん、それには賛成だ。教科書ってやつは結構重いし、だから鞄を少しでも早く手放せるこの席は、少なくともその点じゃ窓際の席より恵まれている。
ただこの日ばかりは、どうも複雑な気分にさせられる。
御雨堂高校の廊下は土足仕様だから、靴箱って手が使えない。だから大抵の女の子は、入り口のところでそわそわしてる。あ、野沢ちゃんが乙女な顔してるな。お目当ては誰だろ。春原……じゃないよね。
雪がちらちらしてる。校庭はうっすら白くなってる。うん、チョコレートにこれ使ってる子もいるだろうな。ビターっぽい渋い色の上に、ほんの少しだけ白いのがかかってると結構そそられるよね。あんまり真っ白なのは、あたしとしては好みじゃない。薄化粧が粋ってものでしょ。
話がそれたような、そうでないような。まあ察しの良い人はお気づきでしょう。今日は女の子のお祭り。通称バレンタイン。今年の千葉ロッテはいけてます。
あくびを一つ。
彼氏なんかいたためしがないし、絶対必要とも思えない、ついでに無精な性格で、義理チョコ作るのもめんどくさいから、あたしには無関係なイベント。後輩の女の子から貰ったことはあるけどね。残念ながら百合なイベントもないのさっ。
でもまあ、はしゃいでたり浮かれてたり、心配してたり沈んでたり、そんな連中が近くに十人もたむろしてる、それはちょっと複雑な気にさせられちゃうよね。
「ういーす」
あ、春原だ。せめてこいつくらいには義理チョコあげてもよかったかな。
「おはよ」
と返事をしてみる。ん、なにやら荷物が多いぞと思っていると、春原は袋の中から白い箱を出した。あたしにくれるらしい。袋には他にまだまだたくさん白い箱が詰まってる。
「なにこれ」
「バレンタインだから、チョコレート」
どう突っ込んだものだろう。
「ほら、どうせ誰もくれないから、いっそこっちから渡してしまえってわけ。水村さん、ホワイトデーをよろしく」それから春原は前の席の二人を呼んで、「はい、古河さんと老中の分」
「ありがとう、春原くん」と古河さんがにっこり笑う。この子は人間の鑑だ、ほんとに。
「まあ貰っとくよ」とこれは老中こと真鍋秋勝。幕末の老中・間部詮勝と名前の読みが一緒だからこのあだ名がある。「悪いけど白い日のお返しはしないぞ」
「ああ気持ち悪いからやめてくれ。あ、古河さんはよろしく。期待してるから」古河さんは笑いながらうなずく。
あの袋の中の白い箱はみんなチョコか。春原め、クラス全員に配る気だな。几帳面な奴。
「水村さん、ホワイトデーをよろしく」と春原が確認してきた。しつこいなあ。
「覚えてたら返すよ」正直な気持ちだ。「バレンタインに貰えないから、ホワイトデーに貰おうって魂胆なわけね」
「そ」春原はあっさりと下心を認めると、来ている連中にチョコを配り始めた。
その日の三限は体育で、野沢ちゃんが競技中に捻挫した。あたしは野沢ちゃんに付き添って保健室まで送っていくと、もう授業終了の五分前だ。これから授業に戻っても仕方が無い。そんなわけであたしは、皆よりさきに教室へ戻ってきた。
水筒のお茶を飲みながら、身体をあっためてたら、不意にお腹のほうが騒ぎ出した。あ、そういえば朝は食べてなかったっけ。でもお弁当には早いよね。
それで春原のチョコを思い出したわけだけど、これがまたとんでもない代物で、っていうのは悪い意味じゃなくて、とんでもなく美味しい代物だったってことだけど、美味しいだけじゃなくて手がこんでることこんでること。白い箱を開けたら普通のチョコが出てくると思いきや、なんとも立派なチョコケーキが。スポンジケーキの層やらコーヒークリームの層やらで、多分七層くらいあるんじゃないかな、とんでもなく丁寧に作ってある。味のほうもあたし好みのちょうどいいほろ苦さ。義理チョコでここまでやってのける春原の甲斐性には水村さん感激です。君を彼氏にするオンナは幸せだねえ。
とか感動に浸りながらチョコレートを食べ終わると、クラスの連中が帰ってきた。春原は空の箱を見て感想を聞いてきたから、あたしは何も言わずに親指を上に向けてにっと笑ってみせた。春原の顔の幸せそうだったこと。こりゃ白い日を無視できないなあ。
*
あたしは予言しておいた。的中した。白い日に春原が貰ったお返しの量は、どの女子よりも多かった。当然ながら、あたしもクッキー作って渡そうと思ったけど、あんまりにもあんまりな代物になっちゃったから、近所の駄菓子屋で買って済ませた。それでも春原は嬉しそうな顔をしていたから、まあよしとしよう。
当然ながらあたし自身はなにも貰ってないけど、野沢ちゃんや古河さんはわりと沢山戦利品を獲得していたらしい。まあそうよね。その日の放課後は二人の菓子をかじりつつ(あたしの頭脳に遠慮の二文字はないのだ)、春原のチョコのことを話した。
「来年は春原くんにはチョコあげようよ」と古河さん。「お返し期待できるもんね」
あんた、意外と悪女だったのね。
「それよりあたしは春原くんにお菓子の作り方を教わりたいな」と野沢ちゃんが答える。「来年は大熊くんにもっと美味しいチョコをあげたいし~」
やっぱこの子は乙女だ。
「確かに絶品だったよね」とあたしも賛同してみる。「でもそれより、あの丁寧さで全員分作ったって凄いと思わない?」
「そこは別に驚くとこじゃないんじゃない?」と野沢ちゃん。「全員に配ってた女子だっていたでしょ」
「え? 茅川さんは、だって、小さいのを沢山作っただけでしょ。本命には別のを作っただろうけど」
「味は茅ちゃんより上だったけど」と野沢ちゃん。「作ってるモノはそう違わないでしょ。小さな丸いチョコを幾つか、って」
あれ?
「春原が配ってたのって、チョコケーキじゃ……?」
「あたしは普通の粒チョコだったよ~」と野沢ちゃん。
「私も」と古河さん。
あれれ?
「あの甘さが良かったよね」と野沢ちゃん。
「とろけそうだったわ」と古河さん。
「結構、苦くなかった……?」とあたしが聞くと、二人はぶんぶんと首を振る。
あれれれれ?
「じゃ、水ちゃんだけスペシャル仕様なんだ。へー」と野沢ちゃん。
どうでもいいけど、へーってなんだ。
「でもなんでそんな苦いのを渡したの?」と古河さん。
「だってほら、水ちゃんていつも、甘いの苦手って言ってるじゃん」
うん言ってる。でも春原には言ったっけ?
「ほら、だいぶ前、家庭科の特別実習でショートケーキ作ったでしょ」と野沢ちゃんが言い始める。
「クリスマスだったっけ?」とあたし。
「ううんもっと前だよ。でその時、水ちゃんは食べられなかった」
「甘いもの苦手だもの。チーズケーキとかチョコケーキは食べられるけど」
「うんそう言ってた。春原くんもそこにいて聞いてた」
「じゃ、春原くんはそれを覚えてて、水村さんに苦めのチョコを贈ったわけね」と古河さん。
春原ってそんな記憶力良かったっけ?
「じゃなくて、もう、なんで分かんないかな……」
野沢ちゃんがイライラし始める。あたし、なにか見落としてる?
「春原くんはさ、水ちゃんのためだけに、水ちゃんの好みに合わせて、丁寧なケーキを作ってきてくれたんだよ……?」
……は、それってつまり?
え?
――っわ、やばい、あたし今、きっとはたから見てはっきり分かるくらい真っ赤になってる。心臓がバクバクいってる。息も、普段よりしてるみたい。
「どうするの、水村さん」と古河さん。
どうするって、何を?
「あー、もう、じれったいなあ」と野沢ちゃん。「春原くんのこと、どうするのよ?」
どうするって、どうすれば良いのよ。
「水村さん」と古河さんが真剣な声。ん、でもこの子はいつでも真剣かもしれない。あたしとはえらい違いだ。「春原くんのこと、どう思ってるの?」
知らないわよ、そんなもん! ああ、心臓どころかこめかみや指先までバクバクやってるのが分かる、どうしよ。
春原は、なぜか体育倉庫の前で黄昏ながら、クッキーをばりばりやってた。でも鞄の中のクッキーはなかなか減らない。
「おす、水村さん」とあたしに気づいて、春原は声をかけてきた。「一緒に食べてくんないかな。バレンタインのときに調子に乗りすぎたみたいだ。女子から十九個、ヤロウからは三個。とても食べられそうに無いよ」
「棄てちゃえば?」
「そりゃできないよ。折角作ってきてくれたのに」
義理堅いことで。
「ごめん」
「何が」
「あれだけ丁寧なものを作ってきてくれたのに、あたしったら菓子屋の安物で返しちゃって」
春原が首を振ってる。
「いやいやそんな、俺は嬉しかったし……」
「あたしの気がすまないから。ね、返してくれる?」
春原、目に見えてビックリしてる。
「返せって、どうして」
「もっとまともなもの作ってあげるから」
「くれるのは嬉しいけど、返せないよ」
「どうして」
「もう食べちゃったから」
どきん。うわ、やば。春原と目を合わせられない。
「じゃあさ、別のもので返してくれる?」と春原。こいつもあたしと目を合わせようとしない。なんかちょっとほっとした。
「あたしがあげられるものなら」
「それなら……」
春原はためらって、うつむいて、眼を泳がせて、それから決心して、言った。
――了
晴れ傘がまわってくるまでリレーの担当が無いので、代わりに季節はずれの短編ラブコメなどを。あんまり上手く書けた気はしないので(そりゃ三時間で書いた代物だから当然ではあるものの)、批判&改善策プリーズです。特に某ラブコメな人あたりの意見は聞きたいねえ。
最終更新:2013年06月12日 22:15