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晴れた日は柄の長い傘を持って 26~

2005年09月21日(水) 16時26分-月組

 

◆26 穂永秋琴

 綺麗とつららがアクロバティックな戦いを繰り広げている間、香勝と氷衛はじっと相手の隙を窺っていた。氷衛はわざと構えを崩しているが、香勝は乗ってこない。あなた方お得意の、誘いの手でしょう。そう、彼の細い目が言っていた。
「打ち込んでこないのか」
「こっちには急いで決着をつけなければいけない理由はないんですよ。あの小柄な娘は、綺麗より技量が落ちます。彼女が倒れれば、こっちは二対一。急がなければならないのは貴方のほうですよ」
「一対一で私と戦うのが恐ろしいと?」
「安い挑発だ。恥ずかしくなりませんか」
「恐ろしい相手を、貴殿らは一度避けているだろう――虹刀」
 香勝の顔は微動だにしない。だがその眼の底に浮かんだ揺らぎを、氷衛は見逃さなかった。
「花月さまを恐れ、花月さまのいない隙を狙って同好会の部室を襲った――花月さま、『虹刀』と戦えば勝機はないから」
「花月、花月……」
 不意に香勝は、その名を連呼し始める。氷衛は香勝の暗い声音にぎょっとする。呪いの言葉のように、低く聞きづらい声で香勝はつぶやいていた。
「花月、花月、花月花月花月――」不意に声が大きくなる。「あいつなぞ名も聞きたくない! そうとも、あの兄は私たちより強く、妹はもっと腕が上です! だから私は――私たちはあの妹を恐れた! だが、貴方を恐れる理由なぞ微塵もありませんよ!」
 傘を開いたまま、香勝は間合いに飛び込んだ。
 本来、武器としての傘は閉じて使うのが基本である。だが美しさを追い求めた花月流には、開いた傘を操る技術もある。葉霧がこの高校にいたころ――香勝はその美しさに思わず見とれた。以来その技術を自分のものにすべく、常に技芸を磨いてきたのだ。そして彼は、嵩宮流とも花月流とも全く異なる、自らの傘術を体得していた。
 香勝が傘をくるりとまわす。その軌道上に、氷衛は透明な壁を作り、攻撃を防ぐ。氷の盾――氷衛の得意技だ。
「乗ってきたな!」
 香勝は返事もしないで、とんと地を蹴って天を舞う。『天女散花』――中天から舞い降りて相手の血を散らす技だ。だがその一撃も、氷の盾に防がれた。
「無駄だ。傘は布、氷よりも柔かく、氷を斬ることはできぬ。まして私の厚い氷に歯の立つはずもない。先の戦いでは、同好会の盟友たちを守るため、自分の防御が薄くなっただけのこと」
「貴方は正しいですよ――でも」
 そう言って傘を閉じる。他の者とは異なり、これは香勝にとっては戦闘終了を意味する。
「相手が悪かったですね――」
 最後まで聞き取れず、氷衛は激痛によって気を失った。香勝は彼の反応の及ばぬ速度で七十二回斬りつけた――氷衛が防ぎとめたのは、わずか十撃程度であった。
「先日貴方に負わせたその怪我は、一晩で治るようなものではありません。怪我の痛みで私の動きに集中できなかったでしょう。その状態で良く――と言いたいところですが、私は無謀なのを美しいとは思いません」
 細い目を氷衛の身体に向け、言い放った。
「愚昧なり雪守」
 もう一方の戦いも、決着がつきかけていた。つららは学年も下で経験が浅く、所詮は綺麗の相手ではない。ひらりと飛び、宙返りを打ち、白波蜂を紙一重でかわしながらも、それでもつららの口は止まらない。
「あん、もうイケズっ! 美少女は血まみれになったりしないのがお約束ですよっ!」
 綺麗も負けていない。
「あら、文学って旧套を打破することですのよ? ――もっとも、私のほうは血まみれになるつもりはありませんけど」
 大きな音が続けて聞こえた。加奈子と氷衛が相次いで倒れたのである。つららはつい、そっちを見てしまった。自分の戦いに集中できなかったのは、やはり未熟さゆえであろう。
 その隙を見逃すほど、綺麗は甘くなかった。衝撃波でつららの身体を吹き飛ばし、さらに踏み込んでその腹を突いた。つららは白目を剥いて倒れた。
「あらあら、美少女が台無しですこと」
 その言葉の瞬間、風を劈いて何かが飛来し綺麗の頬をかすめて去った。左頬にわずかな痛みと、やや遅れてむずがゆさを感じた。
「あらあら、美少女が台無しですこと」
 つららは舌を出し、搾り出すように悪態をついた。綺麗がはっとして頬に触れてみると、手にぬるぬるした赤いものがついた。さっと顔色を変えて傘を振り上げたが、香勝がその腕を取った。

 第三戦――豪姫(パラソレイユ)VS湖子(ヒール)
「オラオラ、どうしたァ! こんなんでハルカのライバルだってのかよ!?」
 この戦いだけは、終始万花が圧していた。もとより防御を重視する豪姫と、攻撃に特化した万花の、戦闘方法の違いによるものもあったが、秋水の設計した新式椅子と、保健室の敗北以来の修練の成果が大きかった。彼女の力量は、すでに上三衣に近くなっていたとすら言えよう。
 だがパラソレイユもさるもの、受身に回っているとはいえ、万花の一撃を的確に防ぎ、あるいはかわし、まだ身に寸毫の傷も負っていない。かえって反撃の傘で、万花の身体にいくつかの浅手を負わせていた。
「確かに君は腕を上げた、万花湖子!」
 打ち下ろした椅子が、どこからともなく現れたビニール傘に防がれる。かまわず傘を打ち破ったものの、その下にはもはや豪姫はいない。
「だがあくまで力任せの戦い振りにすぎない。それでは雷電豪助は倒せても、この僕を傷つけることなどかないはしないぞ!」
 さらに上のほうに三本の傘を出す。それが万花の頭上にむけて落ちていく。万花は椅子で三本全てを打ち払ったが、折れた傘の骨が一本、右肩に突き立った。
「ざけんなよ、パラソレイユ! こんなもんであたしを倒せるか!」
 お構いなしに骨を抜き取り、槍のように豪姫に投げつける。こんな乱暴な攻撃が通じるはずもない。が、右手で骨を抜き取りつつ、左手は椅子をしっかと掴んでいたのだ。
「らァ!」
 投げつけられた骨に気を取られ、豪姫は椅子の一撃を防ぎきれなかった。防御のために出した傘は砕かれ、腕にびりびりとした痺れが残った。
「椅子格闘ってのはなぁ、肉を割られ、筋を断たれ、骨を砕かれてなお相手を叩きのめすもんなんだよ! こんな骨がなんだってんだ!? あ!? なんだってんだ!?」
 そう言いながら、万花は左手で椅子を振り回しつつ、右手で散乱した傘の骨を拾っては投げつける。あまりと言えばあまりな蛮勇ぶりに、パラソレイユすらたじたじとなった。
 ――彼女のペースに乗せられてはだめだ。あの椅子をなんとかかいくぐらないと。
 並大抵のことでは倒せない相手だと、豪姫は判断した。ならば、こちらも並ではない技を見せるだけのこと。
 豪姫は、今までに無かったほど大量の傘を前面に出した。万花には豪姫の姿が見えず、豪姫には万花の姿が見えなくなるほどに。万花は構わずに突撃して、傘の壁を打ち破った。だがその後ろに、豪姫はいなかった。
 イリュージョンである。
 万花の背後に豪姫は迫った。万花はギリギリのタイミングで気配を察知し、振り向きざまに椅子で薙いだ。
 椅子の脚が豪姫をかすめた。その瞬間、豪姫の傘が滝のように万花を襲い、彼女を倒した。
「あはっ、あははははははっ!」
 脳天から地を滴らせ、片膝を突きながら万花はけたたましく笑った。
「触れた!」
 その声とともに、万花はゆらりと立ち上がり、椅子を振り上げた。豪姫は対処しようとして、腕が上がらないことに気づいた。
「ミドリが栽培し、シズクが調合した、特製の痺れ薬だぜ! 一滴でも身体に入れば、もう動けやしねえよ!」
 だが豪姫は、鉄の意志で腕を持ち上げた。傘がガクガクと震えた。万花のほうにも、先ほどまでの勢いはない。
 椅子と傘が、これで幾度目だろうか、交わろうとしたとき、万花は背中を切り裂かれてばったりと倒れた。倒したのは香勝だった。
「苦戦していたようですね、パラソレイユ」
 豪姫は激昂して、香勝を睨んだ。
「誰が! 人の戦いに手を出すなんて――!」
 険悪な雰囲気になりかけたのを、か細い声が破った。
「……仲、間割れ、か、よ……よ、余裕、じゃ、ねえか……」
 万花である。雨衣の戦闘服、黒の合羽は朱に染まり、あちこち破れてもはや合羽のていをなしていない。小柄な身体のあちこちから血が噴き出し、だがそれでも、彼女は椅子を手に立っていた。
「その根性、敵ながら見事」デミトリが称えた。「だがもう決着はついた。見るがいい、君の仲間はもう誰一人立ってな……」
「まだ――ハツユがいる」最後まで言わせずに、万花が答えた。「あたしだって、まだ戦える……。仲間? そいつらは……シズクとハツユが勝手に集めてきた連中だ。あ、あたしには関係ないし、期待もしてない。……あたしだって、ハツユと同じだ……一人ででも、シズクとミドリを助け出してみせる……」
「一対四ですよ」と香勝。
「まだ君たちに手を出せとは言ってない」と豪姫。
「知るか、そんなもん……あいにく計算は苦手なんだ……てめぇら、みんなぶっ殺して……」
「饒舌が過ぎますよ」
 万花の背中に香勝が蹴りを入れた。普段ならはしにもかけないような一撃だが、万花は無様に倒れた。

 葉露が姿を見せたのは、その時だった。
 愕然とした。四天王は雲原豪姫を除いてほとんど傷を負っていないのに、味方は全滅。たとえみなの力量が四天王にやや劣っていようとも、これほどの惨状を呈することになるとは思ってもみなかったのだ。
「ようハツユ……早かったじゃねえか……」
 万花がまたむくりと起き上がり、目を見開いている葉露に声をかけた。まだ万花の声も瞳も死んでいなかった。
「あんまり早えから……雲原豪姫しかなんとかできなかったぜ……ほら、ぼんやりしてんなよ……あたしら二人いれば、残りの連中なんて秒殺しちまえるだろ……」
 ――とても無理だ、と葉露は思った。
 実は蛟丸の読みは外れていた。最後の一撃――『砕傘』――これを散花血で防がなかったのは、散花血発動の準備が出来なかったためではない。体力が限界にきていて、発動できなかったのだ。彼女のキャパシティは兄より遥かに勝っていたが、大掛かりな散花血や針水で、それもほとんど使い果たしてしまっていた。外見は無傷でも、実は彼女は、立っているのがやっとだった。
 ――それでも、戦わなければ。
 みなを連れて脱出し、再び秋水救出の機会を狙わねばならないのだから。
 残る力を振り絞って、葉露は『雪梅』を掲げた。万花もふらつきながら、椅子を握り締めた。もう持ち上げることもできないが、手を放す気などさらさらなかった。
 だが四天王も葉露が姿を、ほとんど無傷の姿を現したとき、やはり大いに驚き恐れた。蛟丸は彼女を倒し損ねた――まさか逆にやられてしまったのだろうか。少なくとも蛟丸と本気で――彼らが知る程度の本気ではあるが――渡り合ってこの様子とあらば、戦っても勝機はない。
「ここまで――だな」
 デミトリが言った。その言葉は任務終了を意味していた。
「まあいいでしょう。充分、役目は果たしました」
 珍しくジャックが賛同した。それで決まりだった。

 四天王が去ると、万花は椅子から手を離して大の字になって倒れ、葉露も疲れ果てたか、膝を抱えて座り込んだ。
「ハツユ~、痛いよ~」
 万花が情けない声を上げた。だが声を上げられるだけ、彼女はましな部類だったろう。
「ごめん、万花さん……私、私……間に合わなかった……」
 声が震えた。万花が気力を出して身体を少し起こして見ると、葉露は泣いていた。
「ちょっ、ハツユ……泣かないでよ……! ほら、蛟丸だって倒したんでしょ……大金星じゃん」
 葉露は首を振る。
「倒せなかったの……? じゃ、シズクたちの居場所は……?」
「それは聞きました……。あいつ、引き分けにしようって言って。もっと勝利が確実な状況で勝負したいって」
「なら、目的は半分達成したよね」
 その言葉で、葉露は救われる思いがした。涙を拭いて、しっかりと地面を踏んで立ち上がる。万花も椅子につかまってよろよろと立ち上がった。
「さて、まずみんなをどこかに運ばないと」
「医術部、でしょうね。安道君なら、なんとかしてくれるでしょうから」
「でもどうしよ、あたしたちだけじゃ、三人も運べないよ」
 葉露は眼を閉じた。すると、この場にいないはずの連中の気配が、はっきりと感じられた。
「雲原さん――いるんでしょ?」
 雲原、という言葉に、万花はすわと身構えた。だがそれは豪姫ではなく、勇姫――二人のお供を連れた、あの『月針』だった。物陰からおずおずと姿を現す。
「衣織先輩の助けに行ってくださいと頼んだのに、無視したんですね」
「今更、どの面下げて水落さまのところに行けっていうのよ」
「でも、今度の頼みは無視しないで下さい」
 雲原は倒れている三人を見渡す。
「こいつら連れて、『仙医』安道然のところへ行けってわけね。いいの、私らなんか信用して」
 葉露が返答に窮していると、「こっちは人質とったも同然なんだよね」と万花が言い出した。
「豪姫に当てた毒って、ミドリかシズクじゃないと解毒できないの。だから協力してもらわなきゃ」
 雲原は怒りのまなざしで万花を睨んだあと、首を振って言った。「仕方ないわね」と。
「ところで、なぜ豪姫さんの戦いを手助けしなかったんですか?」
「あの人は、一対一の戦いに手出しするのを嫌うから。……結構、水落さまにも似てるわね」
 雲原と海公兄弟が一人ずつ背負って去っていくと、葉露は言った。
「私は――これから、衣織先輩を助けに行きます」
「あたしも行くよ」
 足手まといにしかならないのは分かっていたが、じっとしていられなかった。

    ◆

「そういえば」葉露が言った。「唐園さんの毒草って、そんな強烈なものでしたっけ?」
「あれ方便」万花は笑った。「痺れは三十分で抜けるから」

    ◆

 その衣織は、朝早くから雨衣の本部に来て、数少なくなった部下を待っていた。始業時刻が近づくと、一人、二人と構成員が、それに混じって十二衣がやって来る。十二衣といっても、もう四人しか残っていなかったけれど。
 始業時刻。集まる者たちは既に集まっていた。
「虹刀は――やはり、来ぬか」
「ヒールもです、水落さま」と嵯峨が言った。
 誰も何も言わないまま、十分が過ぎた。
「もういい、行動を開始する」
「待たないのですか?」
「待たぬ。作戦を変更するつもりはない。――良いか、私はこれより、大プール地下の通路を通り抜け、学校の中央にある地下風水盤を目指す。私に随伴する者は」とここで言葉を切って、「第九衣『文神』」
 緊張と恐れを眼鏡の奥ににじませながら、嵯峨は精一杯に答えた。
「は、はい。『文神』嵯峨清香、び、微力を尽くしますっ」
「第十一衣『カメレオン』」
 出目をぎょろつかせながら、吐合は応じた。
「はい。『カメレオン』吐合秦儀。勝利を確約いたします、水落さま」
「第十二衣『金毛犬』」
 ぐるる、という唸り声が命令に答えた。全身から黄金色の毛を生やし、青い顔に鋭い牙、神嶺の地怪か、地獄の鬼を思わせるこの男は、かつて天晴高校の猛犬と呼ばれた狗王丸北斗。かつては不敗を誇ったが、衣織に敗れてから忠誠を誓い、雨衣系部活に参加していないながらも黒合羽十二衣に列せられていた。
「以上三名に、部下を率い私を警護することを命ずる。……第十衣『仙医』」
「はい」と安道が応じた。
「この戦いで出る負傷者の数は計り知れぬ。おまえを連れて行きたいのは山々だが、今回は後衛にあって負傷者の治療にあたってくれ」
「かしこまりました、水落さま。『仙医』安道然、死者は決して出しません」
 この答えに衣織は満足して大きく頷き、さっと黄金の合羽をまとうと、立ち上がって部室を出ようとした。吐合と狗王丸があとに続く。ところが嵯峨は何を考えたか、部室の扉の前に立ちはだかり、衣織を通すまいとした。
「何の真似だ、文神」
 嵯峨は内心の恐怖を隠せない。震えながら、それでも決心して、うつむいた顔を上げて衣織を見据え、胸に手を当てて、言い始めた。
「水落さま、無礼を承知で申し上げます。ど、どうか、どうか今回の挙はおとりやめ下さい」
 衣織の表情は揺らがない。嵯峨は目をそらしてしまいたくなったが、恐れの心を圧し静め、続けた。
「私も……私も、やはり、花月さんや万花さんと同じ意見です。秋水さんが裏切るなんてあるはずがありません。今、蜃楼さんは重傷を負い、雲原さんと海公さんたちはランベ・リューアに従い、唐園さんと秋水さんは捕えられ、花月さんと万花さんは命令に背いて彼らの救出に向かっています。雨衣の戦力は地に落ちており、今のまま晴天同盟と矛を交えれば、たとえ勝ちを得たとしても多大な犠牲を強いるは必定。まずは唐園さんと秋水さんを救出し、戦力を整えたのち、風水盤の確保に臨むべきです」
 普段は訥弁な彼女だが、喋り始めたら止まらなくなり、それが止まると、また恐怖に押されてうつむいてしまった。吐合が答えようとしたが、衣織は彼を押し留め、しばし沈黙してから、答えた。
「秋水には――もう一度会わねばならぬ。会って真意を確かめねばならぬ」
 嵯峨はまた顔を上げて、衣織を見た。
「だが今は、風水盤の確保だ。(ここで嵯峨はまたうなだれた)唐園・秋水救出のためには、ランベ・リューアを打ち倒さねばならないが、今の戦力で蛟丸や四天王、四電家を相手にすることはできない。晴天同盟はまだしも組しやすい相手。……それに」とここで一旦言葉をおいた。「分かっていると思うが、風水盤の確保は百年前からの雨衣の悲願だ。今、それが手に届くところにあるというのに、取らないわけにはいかない」
「そうまでおっしゃるのなら、私にはもう何も申し上げることはありません」
 うつむいたまま答えて、嵯峨は衣織のあとに従った。もう止める者は誰も無かった。衣織が先頭、三人の黒合羽がそれに続き、構成員たちが従ってぞろぞろと歩いてゆく。部室からプールサイドまで、彼らはゆっくりと進撃していった。
 ――願わくば、皆さん無事でお帰りください。
 『仙医』安道然は、彼らの行進を見守りながら、これから出るであろう犠牲に心を痛めていた。

 風水盤を祭る地下室への入り口のうち、最も有名なものの一つが、プールだ。だがこの入り口から入るには、まずプールの栓を抜いて水をおとした後、プールの床を破壊する必要がある。
 当然、晴天同盟はここに防衛線を敷いていた。水泳部を中心とする数百人の生徒たちがプールサイドに控えていた。
 雨衣は、衣織を先頭に、この群衆の中に突っ込んだ。
 衣織の手が一閃するや、百人の生徒が空中に釣り上げられた。捕えきれなかった同盟の部員たちが突貫してくるのを、狗王丸が薙ぎ払った。ついで嵯峨の筆が、吐合の舌が、次々に同盟の部員たちを打ち倒していく。
 最初にプールの栓に辿り着いた吐合が、水を抜いた。ついで狗王丸が中に飛び込み、床を剥がしてまわる。狗王丸を守るため、雨衣の構成員たちが同盟の部員たちと死闘を繰り広げる。
 狗王丸がついに入り口を見つけたとき、死闘は収束を迎えていた。衣織、嵯峨、吐合は無事だったが、平の構成員たちはみな負傷し、行動できなくなっていた。数に勝っていた同盟の状態もまた同じであった。衣織は怪我の軽い者たちに、重傷者を医術部へ運び込むよう命じると、三人の幹部を連れて地下へと入っていった。
 先ほどの激戦が嘘であるかのように静かな地下道をこつこつと音を立てて歩きながら、衣織は言った。
「今の戦いで、同盟の平部員たちはあらかた倒したはずだ」
 三人がうなずく。衣織は続けた。
「逆にいえば、ここから先は強敵しか出てこない。だが、私は風水盤を祭る儀式のため、あまり体力は使えない。狗王丸の力は、いざというときのために残しておきたい。だから、嵯峨、吐合。同盟幹部の相手はお前たちがするのだ」
 言葉を受けて、吐合はおべんちゃらを並べ始めた。だが嵯峨の顔は今にも泣き出しそうだ。
「二人だけで――?」
 衣織は破顔した。彼女の笑顔など見たことの無い嵯峨は、いささかたじろいだ。
「大丈夫だ、文神。お前の腕は万花や雲原にだって劣っていない。ただ心だけだ。自信を持て」
 嵯峨がごくりと唾を飲み込む。それは衣織の信頼の厚さを感じ取ったためと、敵の気配を感じ取ったためとであった。
「随分と数が少ないな、水落さん? 四人?」
 読者はこの男を知っていよう。そしてこの男に従う、三人の人物も知っていよう。かつて病み上がりの水知を襲った、あの四人である。相撲部の菊川は読者も名を知るところ、あとの三人の名をここで挙げよう。二人は生徒会書記の安斎明子(剣道部)と斎門晃(柔道部)、そして今一人、四人を率いる優男は、同盟の中でも大きな勢力を占める天晴武道部連盟の長、江戸輪道(えど・わみち、弓道部)である。
「いや、二人だ」
 その言葉を残すが早いか、衣織は狗王丸を連れて奥へ駆け込んでいく。二人の俊敏さにとても追いつけまいと判断した江戸は、まずは残りを倒すことに決めた。

    ◆

 目覚めれば、すでに日は天高く上っていた。
「のあああああああっ!」
 慌てて寝巻きを脱ぎ捨て、ささっと制服に着替える。鞄を抱えて部屋を飛び出したところで、氷雨静流と出くわした。
「あら、おはようございます、水知さん」
「なんでもっと早く起こしてくれなかったのさ!」
 お約束どおり理不尽な挨拶を残して、水知は階下に駆け下りていく。
「ご飯、冷めてますから!」
 思い切り興醒めな言葉が耳元を追ってきた。
 食堂に入っていくと、水知の席の隣になにやらでかいのが鎮座ましましていた。時代遅れの古風な制服と、頭をはじめ身体のあちこちに巻きつけられた包帯が目立っている。言うまでもなくこれは雷電豪助である。
「待ったぞ、後継者」
「……待たせたね」
 正面に水之進、左隣に豪助。この異様な圧迫感はなんだろうと思いながら、水知は冷たくなった味噌汁に手をつけた。空腹にとんでもないものが入ってきた。水知は思わず吐き出した。
「ぶはあ! な、何これ!」
「わし特製の滋養強化味噌汁じゃ」
 水之進は平然として言う。
「これも傘術と並ぶ雨宮家の秘伝でな。重大な戦いに臨むお前に、ちと気合を入れる意味で作ってやった」
 ――こんなもん腹に入れていったら負けるよ、と水知は心の中で返した。
「あの蛟丸も、幼い頃からこの味噌汁を飲み、強くなっていったのじゃよ」
 ――マジっすかひいじいちゃん。あ、そういえばひょっとして雷電の前に出されている空の器は。
「美味であったぞ、水知よ」
 ――マジっすか。
 お世辞ではないかと勘ぐったが、豪助が世辞など言うはずも無い。
 牛乳でご飯を飲み下し、朝食を胃袋に詰め終えると、水知は豪助に問うた。
「光原の行方は」
「分からぬ。光原を誘拐した唐園・秋水の行方もさっぱりだ。だが唐園・秋水の行動である以上、雨衣総帥・水落衣織の指示に疑いあるまい。衣織に聞けば分かるだろう」
 水落衣織。その名は重く響いた。旧体育館でわずかに対面したとき――あの時、すでに自分は意識朦朧としていたが、それでも――彼女の力量の程をびしびしと感じ取ったのだ。隣にいた秋水にしてすら、あの時の自分たちでは戦える相手ではなかった。現に自分はこの前、秋水と並ぶ上三衣の唐園緑に敗れてしまった。
 だが。今は違う。
「衣織は――手ごわい相手だ」
 豪助は、水知の内省などおかまいなしに、言った。
「……僕は、天晴高校に入ってから三回負けた」
 水知はこう言い始めた。豪助は何を言わんとしているのか察しかね、黙った。
「一度は蛟丸先輩に、二度は葉露先輩に、三度は唐園って人に……。で、初めの二度は悔しさなんてかけらもなく、三度目だけは腸が煮える思いだった――その理由が分かったよ。初めの二度の負けが悔しくなかったのは、蛟丸先輩や葉露先輩の力量が僕とかけ離れてるからなんかじゃない。真剣勝負じゃなかったからだ」
 水知はしばらく腕組みして瞑目し、やがておもむろに眼を開いて、言った。
「もう、負けるのはごめんだ。――お前はどうだ、雷電」
「俺も同じだ」
 豪助はうなずいた。
「保健室での勝利が、俺を止めてしまったのかもしれない。万花は前に倍する力で俺の前に現れたのに、俺は油断して勝負を急ぎ、情けない負け方をしてしまった」
「僕らはまだ強くなれる。昨日負けても、今日は勝つ。――衣織はどこに」
「地下風水盤」
「それはどこだ」
「案内する」
 水知と豪助が、がたりと立ち上がる。水之進が水知に『露草』を渡した。
「先ほどの言葉、偽りはなかろうな」
「はい」
「――『露草』、これを見るのは何十年ぶりになろうかのう。まさかお前が、これで戦う日が来ようとは、そして光のために戦う日が来ようとは、思いもせなんだわい」
 露草を手に取る。しっとりと穏やかな、しかし確かな高揚感が、身体中に広がる。
「雨の子よ」水之進が言った。「行け」
 その言葉を最後に、水知と豪助は振り返りもせず、まっすぐに高校に向かっていった。
「――いつの間に」いつの間にか隣に来ていた静流が言った。「背中、あんなに大きくなったんでしょうね」
「ふん」水之進は満更でもない様子で吐きすてた。「まだまだ小童じゃわい」
 食堂から下がろうとして、水之進はふと思った。
 ――しかし、雷電家の少年、気になることを言っていたな。……風水盤じゃと……?

 吐合はすでに倒れていた。
 むろん、ただで倒れたわけではない。安斎と斎門、生徒会の二人の書記が道連れだった。だが嵯峨は一人になってしまった。菊川はまだ倒れない。江戸はまだ無傷だ。
「ぬん!」
 掛け声を発して菊川が体当たりしてくる。嵯峨はひらりとかわしてその背後へ。菊川は素早く振り向いて、嵯峨の腰をつかみ、高々と放り投げた。空中でくるりと回転して、嵯峨が地面に降りる。
「菊川が高校横綱になれた理由は」と江戸が言う。「デカいからってだけじゃないぜ。投げ技、足技、そしてなにより柔軟で俊敏な動き。どんな格闘技をやっても頂点だよ、彼は」
 自分の四倍も体重のある相手に、ともすれば嵯峨は怯みそうになった。だがその度に、衣織の声が耳元に聞こえた。自信を持て。
 菊川はまた嵯峨の腰を取って引っ張り込み、猛烈な勢いで足を払う。「二枚蹴り」という大技だ。両足ともに払われて、嵯峨の視界が九十度回転した。
 ――私は、負けない!
 バランスを崩しながらも、渾身の力を以って手元の筆を繰り出した。すでに勝利を確信していた菊川の腹部に、思い切り筆が入った。嵯峨が倒れた次の瞬間、菊川もまたバランスを崩し、地に伏した。二人ともに倒れたが、立ち上がったのは嵯峨だけだった。
「お見事! 最初は四対二だったのに、これで一対一だ!」江戸が喝采を上げる。「でも――ここまでだよ、嵯峨ちゃん」
 嵯峨は息を飲んだ。この男だけは一筋縄で行くまいと思った。弓道部のみならず、剣道部・柔道部・相撲部の主将を兼ねるこの男は、その全ての技に通暁しているとの専らの評判だ。剣の腕で安斎に、柔術の腕で斎門に、相撲の力は菊川に勝るという。
 ――でも。
 自信はある。勝てる。衣織がそう言ってくれた。
 一撃を交わす。それで終わりだった。
「馬鹿な――」
 江戸は敗北したことを知り、愕然とした表情を浮かべ、ゆっくりと倒れ伏した。
 その時、水知と豪助が追いついてきた。
 黒い合羽をまとう相手を見て、水知が声をかけた。
「僕は雨宮流の水知だ。君は、僕の敵か?」
 ――来た!
 衣織は言った。水知はこれで終わるまい、必ず戻ってくると。嵯峨は思った。ついにこの時が来たのだと。
「私は――」
 気弱で、ひ弱で、何の取柄も無かった自分を引き立て、十二衣に列するほどにしてくれたのは誰だ。
「書道部部長、嵯峨清香――」
 今こそ、衣織の厚い信頼に答えるときだ。
「または第九衣『文神』です」
「敵だな、つまるところ」
 豪助が水知の袖を引っ張って、耳打ちした。
(ここは地下だ。雨の力は借りられないぞ)
(かまうものか)
 水知が傘を、嵯峨は筆を構える。
「行くよ」
 露草が閃き、筆が応じ、二人がすれ違った。
「水落さま! どうか目的をお達し下さい! ――衣織、先ぱ……」
 嵯峨ががくりとくずおれる。水知は嵯峨には目もくれず、言った。
「先を急ごう」

 地下の最深部、風水盤の祭壇前は、まさしく異様な光景が広がっていた。
 光ゴケがぼんやりと階段を照らし、階段の上には祭壇が、そして風水盤が祭ってあった。風水盤の上には傘が、見まがうはずもない『雨月』が、高く高く突き刺さっていた。風水盤の前に立って呪文を唱えているのは、黄金の合羽、雨衣総帥の水落衣織。傍らには狗王丸北斗が、あたかも忠犬のように控えている。天井には不思議な色合いのツタが生い茂り、その間を縫って銀色の糸が走り、二人の学生が糸に吊り下げられている。その二人は水知でも知っている。入学式の日、生徒代表として挨拶していた、生徒会長の志藤元気と、副会長の美田原陽子だ。
「来たな、雨宮水知。なぜだか分からないが、追ってくるのは君だろうと思っていた」
 くるりと振り向いて、水落衣織が言った。地下なのになぜか、風が吹いたように思われた。衣織のフードがはらりと外れ、その中から整った、どこか中性的な顔が現れた。
「旧体育館で言ったことを覚えているか」
「衣織――先輩、あんたは、僕を殺すと」
「当初の思惑とは違う形になったが、それも一興。ここでその予言を的中させてみせよう」
 言葉が終わらぬうちに、狗王丸が咆哮を上げて巨体を躍らせた。豪助が落雷丸を頼りにこれに応戦する。これに一歩遅れて、衣織が階段を駆け下り、水知は階段を駆け上がる。
 水知の露草と、衣織の玉葉針が激しくぶつかった。
 ――くっ。
 衝撃が手元に伝わる。確かに巨大な針ではあるが、針は針、重量でも強度でも露草が勝っているはずだ。なのに、この威力はどうだ。
 続いて第二撃。休むことなく第三撃。
 ――力も速さも、あるいは葉露先輩より上かもしれない。あの不気味さはないけど。
 そう思った。だが、それについていくことができていた。
 階下では、二人の巨人が、人間離れした戦いを繰り広げている。
 階段の二人もまた、互いに一歩も退かぬ戦いぶりを見せていた。
「腕を上げたな、途方もなく」
 衣織が思わず称えた。
「雨衣の総帥にそうまで言われるのは、大変な光栄だね」
「どうやら、針だけでは倒せそうに無いな」
 言葉とともに、衣織の左手から、細い細い銀の光の筋が放たれた。危険を悟った水知はさっと頭をひねってこれをかわす。ついで右手の玉葉針が飛び、一直線に水知に向かった。露草で払おうとすると、玉葉針はあさっての方へ向きを変え、それからまた百八十度転じて水知を襲った。
 変幻自在な攻撃に水知はたじろいで、思わず一歩後退した。その拍子に、背中に焼けつくような痛みが走った。
「雨衣糸術第二十七――毒焔糸」
 水知は膝をついてまわりをよく見渡すと、紫色に発光する糸が縦横に張り巡らされていた。
「戦いとは先の先を読むもの。目前の敵を手中の武器で防ぎつつ、前後左右に罠を張る」
 意識がかすかに揺らいだ。
「ここまでだな、雨宮水知。私の勝因を教えようか。――一つの武器に頼らなかったからだ」
 衣織の右手には玉葉針が、左手には糸の束が握られていた。
「二つのものの交わりを理解してこそ真の奥義に達することができる。私の場合は、針と糸だ。だが君は、傘一本だけに頼った――」
 いや、違う。
 身体はおそらく、悲鳴を上げているのだろう。だがそれを全く感じ取ることができない。水知の心中に代わりにあるもの、それはふつふつと、後から後から湧き上がる、深い喜悦と高揚だった。
 遠雷が轟いた。祭壇が揺れた。
「――時は来た」衣織は振り返って風水盤を仰ぎ見、言った。「天よ、我が声が届くか。我が声を聞け、我が命に応じよ」
 爆音が響いて、この空間の天井が弾けとんだ。そして、夜のように深い、昏い昏い雲がおおう天が、風水盤の上に現れた。ついで閃光。だが、雷はまだ落ちない。
 ばらばらと、強い雨がこの空間に降り注いだ。
 衣織と同様に、水知は天を仰いでいた。昏い昏い空。生まれて初めて、この暗黒の天を、心底美しいと思った。
 ――来い。
 願っただけで、かなった。
 雷が落ちた。ただし雨月の上にではなく、露草の上に。
「天に選ばれたのは僕のようだよ、衣織先輩」
 水知は立ち上がる。恐怖も痛みも、何も感じない。
「雨宮流弐式――『雷迎傘・輝耀』!」
 渾身の力をこめて振り下ろした電撃の傘だった。衣織はこれを受け止めることはできぬと悟り、とっさに糸を編んで布をつくり、これを盾とした。露草は布の盾を跡形もなく焼き尽くしたが、衣織に傷は負わせられなかった。
 次の瞬間、『雨月』にも、雷が落ちた。
「天はまだ私を見放していない! それに仮に見放されたとしても、戦ってみせる!」
 衣織は糸を、そして針を飛ばす。雷に裏打ちされたその糸は、雷迎傘にも劣らぬ破壊力を秘めている。
「まだだ――雨宮流参式『閃竜』!」
 水知の呼んだ数条の稲妻が、衣織の糸を焼き払う。技の余波ですらこれだ。技の本筋、衣織を狙った一撃の重さは、比較のしようもない。
「侮るな、後継者!」
 衣織は絶縁性の強い糸で瞬時に布を織り上げ、何層にも重ねた。閃竜はこの盾を破ることができなかった。逆に防ぎきったこの盾が、今度は数百条の糸に分裂し、水知を襲った。衣織の針と、糸と、布。この三つを組み合わせた技は、すでに手芸の神域に入っている。
 ――そうか。
 唐突に理解した。
 ――二つのものの交わり。
 雷が天から地に落ちていく。
 雨が落ちて傘を打つ。
 ――雨と傘の。天と、人の。
 そう悟ると、天の全てが自分の味方のような気がしてきた。
 雨や雷だけではない、天の全てが自分の味方であると。
「吹き荒べ――雨宮流肆式『洪風壁』」
 呼べばやって来た。風が水知を守り、その身に迫る無数の糸を切り裂いた。
 幼い日、父や祖父に隠れてこっそりと覗き見た雨宮の奥義書。
 その全てが思い出され、理解された気がした。
「雨宮流伍式・『誅聖雪』」
 露草が天を指す。凍りつくように清冽な、冷たい空気が流れ始めた。四月であるのが嘘であるかのように。
「まさか――」
 天を仰いだ衣織が見たもの、まぎれもない、雪だった。
 ひたり、とそれが皮膚に付着する。
「うああああああああっ!」
 ”それ”は、炎のように熱かった。
 炎のような雪は、お構いなしに降り注ぐ。
「殺す気か……!」
「おかしなことを言うね」水知は言った。「僕を殺すって言ってたくせに、僕に殺されるのは嫌ってわけだ」
 ゆっくりと、しかし次々に襲う雪に、衣織はついに倒れた。とどめを刺すべく、水知はその側へ寄る。
「ぐうっ、ああああああ!」
 水知をはっとさせたのは、豪助の悲鳴だった。この空間全てに雪は降り注いでおり――したがって、豪助ともちろん狗王丸も、あちこちに火傷を負っていた。
 慌てて雪を止める。豪助も狗王丸も、もう立てもせずに倒れこむ。
「そこまでにしていただけませんか」
 声とともに新たな闖入者が現れた。花月と万花だ。
「ここまで来て、引き分けにしろと?」
「そうです、雨宮さん。この戦いはフェアなものじゃありませんでした。衣織先輩は同盟との戦いや、風水盤解放のための儀式で、ほとんど力を使い果たしてたはずですから。あくまで決着をつけるおつもりなら」葉露は凛として言った。「私が、お相手します」
「――やめておこう。君とは――もっと違う形で再戦したい」
「私もですよ」
 言って、水知は露草を、葉露は雪梅を引く。と同時に、水知の身体はぐらりと揺れ、ばったりと倒れた。階段一段の幅が広かったから良かったものの、でなければ転げ落ちていたろう。
 葉露のほうも、膝をついた。
「ほら、やっぱり立ってるのがやっとじゃん! よくあんなハッタリをかませたね!」と言いながら、万花が肩を支える。
「火事場の、ですよ」と葉露。「雨宮さんも、戦いが終わって、気が抜けたんでしょう。それに、使い慣れない大技を続け様に使ったんですから、倒れるのは当然です」
「どうしよっか」と万花。「嵯峨ちゃんに吐合、狗王丸、それに誰より水落さま。あと後継者に雷電のデカブツ、生徒会のトップ二人。こんな怪我人、一度に運べないよ」
「安道くんに、部員と一緒に来てもらいましょう」

    ◆

 夜のように暗い空から、弱い弱い太陽の光が不気味に注いでいた。天文部部室で蛟丸は、その天候を眺めやり、一人でほくそえんでいた。
 ――目覚めたか、後継者。それでいい。
 雨衣も同盟ももはや壊滅したと言っていい。もう自分を止め得る勢力は、この高校に存在しない。あとは雨宮・光原・花月の三人を始末するだけだ。
 天は乱れた。
 衣織が半端な知識で風水盤を解放したのと、ために発生した歪んだ空を、水知が自らの能力を使ってさらに無理矢理変えてしまったためだ。
 地は昏くなった。
 太陽はもう、地上を照らす力を失った。天の闇はもう晴れない。世界が終わるまで。

    ◆おまけ(こっちでもやる気か)

 成田空港。一人の西洋人の少女が、知り合いを探しているのだろうか、きょときょととあたりを見回している。
 空は暗い。少女の明るい金髪が曇ってしまうほどに。
 ――それにしても。少女はつぶやいた。今年の連盟の会合が、韓国で開催されていて良かったわ。何かあったらこうして、すぐに飛んでこれる。
「おおい、カタリナさん」
 呼ばれて少女は振り向いた。半白の髪に整った鬚をもつ、アジア系の男性が声をかけてきていたのだ。
「あなたは――姚崇老師の、お弟子の方でしょうか?」
 初老の男はかかと笑った。
「わしが姚崇じゃよ。ほれ、鬚をそってかつらを被れば五十に見えると言ったじゃろう」
 その実、この人物の年齢はすでに百を越えているのである。
 二人は中国の姚崇とルーマニアのカタリナ・ナロートフスカ。ともに国際傘道連盟の議員を務めている。この翌日から、姚崇は教師として、カタリナは留学生として、天晴高校に転入予定となっていた。

    27(バーネット)
 天文部部室とそこへ至る廊下で死闘が繰り広げられ、プール下の地下でもやっぱり死闘が繰り広げられている頃、また別の場所で戦っている少女がいた。光原ハルである。
 彼女の敵は強大であり、ハルは防戦一方だった。さらに悪いことに、敵は時間とともに勢力を拡大しつつあった。しかもハルには反撃の手段が残されていない。このままでは決着がついてしまうのも時間の問題であろう。
 そして、最後の守りが突破されたその瞬間、ハルは畳の上に寝転がって手足をじたばたさせながらこう叫んだ。
「ひまひまヒマひま暇~~~~~~!!」
 ――つまりそういうことである。
 今日でまだ二日目。あと何日ここに居なければいけないのかは分からないが、明日明後日ということは無いだろう。そう考えると気が重くなる。
 意味も無く暴れるのを止め上半身だけ起こすと、ハルは周囲を見回した。今ハルが居るのは最初に連れてこられた個室だ。どうやら使われていなかった部屋のようで、そのままハルの仮住まいとなった。ほとんどの家財道具も昨日のうちに運び込まれており、今までの自分の部屋とそれほど変わりはない――部屋が大きくなったこと以外は。
 机の上には教科書やノートが散乱している。あまりの暇さに耐えかねて勉強でもしようと思ったのだが、普段自主勉などしないハルがこんなときだけ出来るはずも無く、家庭教師の人が来るんだからそのときやればいいじゃん、という結論に彼女が達したためにそこに放置されていた。ちなみにその家庭教師が来るのは昼過ぎだと朝食を持ってきてくれたお手伝いの人っぽい人が教えてくれた。
 漫画でもあればいいのだが、生憎漫画は人から借りるのがほとんどでありハル自身が持っている数はそれほど多くない。そしてそれらは全て昨日のうちに読みつくしている。残念ながらテレビも無い。流石に配線だけはどうにもならなかったようである。居間のほうに行けばテレビ――しかもやたらと大きいやつ――があるのだが、人のうちに居候させてもらっている人間が自分一人でテレビを見ているのもどうかと思ったので却下。
 とまあこんな具合だった。無論、外出も不可。これだったら学校に行くほうがはるかにいい。ていうか学校に行きたい。期せずして学校というものの大切さをちょっとだけ理解したハルは、これからはもっと真面目な生徒になろうと思った。まあ、多分思うだけで終わるのだろうが。
 と、そこでハルはひらめいた。
(そーだ、一人で暇なら誰かのところに――って誰のところに……)
 お手伝いの人たちはみんな仕事で忙しいだろうし、蛟丸先輩はもう学校だろう。となると残るは――
(――蛟丸先輩のお父様! うん、お父様のところへ行こう)
 ひょっとしたら忙しいのかもしれないがそのときはそのときだ。また別の方法を考えよう。そう自分に言い聞かせるとハルは勢いよく立ち上がった。

 無駄なほどに広い嵩宮家ではあったが、昨日のうちに一通り見て回っていたため大体の間取りは分かっていた。蛟丸の父親――雨水の部屋と思われる場所も。昼ごろにお手伝いの人っぽい人が食事を運んでいたのでまず間違いないだろう。
 そういうわけで、特に迷うことも無くハルはそこへとたどり着いた。
 雨水の部屋は縁側に面した角に位置している。目の前の障子を開けようとしたところでハルは動きを止めた。
(ひょっとしたらお仕事中なのでは。だったら邪魔したらいけないし……)
 しばらく考え込んでいた後、ハルは障子に手をかけ無駄なほど慎重にちょっとだけ――ぎりぎりで見える程度に開くとそっと覗き込んだ。
 雨水の部屋はなんというか純和風だった。ほんのわずかに開いただけなので全体を見通すことは出来ないのだが、敷き詰められた畳やらやたらと達筆な掛け軸やらなんだかそれっぽい壷やらさらに壁にかけられている刀などを見る限りおおよそ間違ってはいないだろう。
 ハルに見える範囲では雨水はいないようだった。部屋全体を見渡そうと障子の隙間を大きくしようとしたそのとき――掛け軸が大きく動いた。
 反射的に障子を閉じ、なんだかよくわからないまま――覗き見していたのが後ろめたかったのかもしれない――ハルは足音を立てないように気をつけながら角を曲がると壁に張り付いた。
 障子が開くかすかな音、そして閉まる音。こっちへ来たらどうしようとハルはびくびくしながら息を潜めていた。ついでに耳も澄ましているのだがなぜか足音は全く聞こえてこない。
 そのまましばらくたったが何も起こらない。ハルは恐る恐る角から顔を出してみる。部屋の前の廊下には誰もいない――いや廊下の先に人影が見えた。恐らく雨水であろう。人影はそのまま廊下の先へと消えていった。足音は全く聞こえなかった。
(えーと……どうしよっか)
 残されたハルは迷っていた。当初の目的を果たすのなら追いかけて声をかければいい。しかし、ハルは雨水の部屋が気になっていた。動いた掛け軸、そして誰もいなかったはずの部屋から出てきた雨水。この二つから考えるにあの部屋にはアレがあるはずだ。密かに時代劇好きのハルとしては見逃せない。
 悪いこととは知りつつも結局誘惑に負け、ハルはそーっと部屋の中に忍び込んだ。雨水に許可を貰ってからみれば問題は無いのだが、浮かれ気味のハルがそれに気付くはずもなく。
 入ってみた雨水の部屋はやはり純和風だった。が、今のハルには関係ない。忍び足で掛け軸のある奥へと向かう。そして注意深く掛け軸を動かした。
 ――それは確かにそこにあった。見通せないほどの深い闇とその先へと伸びる梯子が。

28 皆既日食

途方もないほど深い穴へ、梯子をつたって下りていく。
「うわあ・・・意味無く長いよ・・・」
ハルは正直引き返そうかと思った。暗いところは好きではない。むしろ嫌いだきっぱりと。
そういえば昔は暗所恐怖症だったなあ、と思う。度胸がついたものだ。まあ、あんな高校に通っていればついて当然だが・・・恐怖症が治ったのはそれよりもっと昔の話である。
「そういえばなんで恐くなくなったんだっけ?」
何故か思い出せない。まあいっか。
そうこうしているうちに地下に到着した。
「うっわー、なにも見えないし」
本格的に迷子にならないうちに帰ろう。もう一度梯子に手を掛けようとして

ずるっ

こけた。
「あいたー。何なのさーもう」
壁に手をついて立ち上がろうとしたとき、がちゃっと何かに手が触れた。
ばんっと音がしてライトがついた。
「!」

◆藤枝りあん(29)

 そこに鎮座していたのは、傘だった。
 真っ白な、青空によく映えるであろう、日傘。
「う、っわぁ・・・」
 思わず、感嘆の溜息が漏れる。取り立てて日傘が好きだというわけでも何でもないのに、それに惹かれるように近付くハル。
 ふら、ふら。
 間近でじっと見つめる。
 浮かび上がるイメージ――真っ青に突き抜ける空、太陽が照り輝く晴天、そしてこの真っ白な日傘の似合う女性――

「ここで何をしている」

 ハルがはっとして我に返ると同時に、無意識のうちに伸ばされていた手がビクッと引っ込む。
「ああわわあああ、すすすすす、すいませんすいませんすいませんんんんッ!!!」
 しどろもどろになりながら、ハルはぐるぐると回転していた。
「いやあのその、ここに入ってしまったのは全くの偶然で、というのもヒマだな~なぁんて思ってふらふらと歩いていたらここの入り口を見つけて好奇心のあまり入ってしまったらスイッチがカチッてそいで・・・」
「いやいや、まず、落ち着きたまえ」
 別段慌てる風も無く、雨水はそう声をかける。
「そのことで君を責めるつもりは無い・・・まぁ、勝手に見知らぬ場所を捜索するのはあまり良い趣味ではないので、謹んでもらいたいなとは思うがね」
「すす、すいませんすいません!!」
「だから、必要以上に謝る必要は無いと」
「いやでもそのあの・・・」
 なだめること数十分。
「ほんっと~に! すいませんでした!!」
「いやいや、あまり気にしすぎてはいけないよ。君が悪いわけではないのだから」
 ひたすら平謝りを続けるハルに苦笑しながら、雨水は告げた。
「それに、もうここにいる必要も無くなるだろうからね・・・おそらく、二・三日のうちに。そうだな、週末までは準備があるからいてもらうとして、来週の月曜日からはもう元通りの生活だ」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ、息子が言っていた。一段落が着いたので、暫くの間は大丈夫だろうと」
「そっ、そ、ですか・・・いえ、あの」
 思わず「それで水っちは大丈夫なんですよね!?」と叫びそうになって、慌ててハルは首を振った。
「いろいろと、ご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありませんでした・・・」
「なに、無理を頼み込んだのはこちらの方だ。むしろ、謝るべきは私の方だろう。本当に、つらい思いをさせてすまなかった」
「いえ、自分は全然、平気ですから! それじゃあ!」
 深々と頭を下げるハル。そうか、来週からまた学校か・・・懐かしいが、また宿題がなぁ――などと感慨深く部屋に戻っていくそんな彼女の後姿を自室から(なだめながらここへ素早く連れて帰ったからだ)見送りながら、雨水は。
「共鳴、か」
 呟いた。
 まさか、まだ早いはずだ。だが、しかし――
 そこまで考えてから、自嘲する。自分はすでに、身を引いているのだと。
「血は、争えん、か」
 かつて『晴れ女』と呼ばれていた彼女を思い出しながら、雨水はそう呟いた。そして彼女と共にいる自分と、そして、弟の姿――全ては、過去の遺物だった。

 それから週末にかけて、あまり事件という事件は無かった。
 そう、『事件』は。
 ――『事件』は会議室で起きているんじゃない。学校で起きているんだ!(爆)

 そんなこんなで、月曜日の朝。
「おっはよう! 水っち~!!」
「あ、おはよう、ハル!」
 恋愛アドベンチャーさながらにして朝の挨拶を交わし、「ひさしぶりだね~!」「いやほんと何日ぶりだっけ~あはははは」という日常会話にあるまじき台詞が続いた後から、天晴高校生徒の波乱に満ち満ちた一週間が、幕を開けるのである。

    ◆30 穂永秋琴

 ほんの少しだけ、雲が薄くなった。
 ほんの少しだけ、明るくなった。
 そんな空を見上げて、光原は笑った。
「今日は、雨、降らないかもね」
「どうだろ。五分五分、かな。――降るか降らないか。うん、二分の一だ」
「や、そんな計算、成り立たないって」
 また笑った。水知は、また彼女の笑顔が見られて良かったと思った。そのために仲間も敵も自分さえも、血と泥に塗れ、ボロボロにして戦ったのだから。
 といっても、彼が光原を助け出したわけではなかったが。
「ところで、光原さ」
「ん?」
「この間に雨衣にさらわれた後、どこにいたの?」
「嵩宮先輩のとこ」
 秋水たちに襲撃されてからのことをかいつまんで話す。いや、無論、自分の失敗、――例えば、嵩宮蛟丸と結婚させられるんじゃないかと勘違いしていたこととか――については巧妙に隠して語らなかったが。
「ふうん、蛟丸先輩、ね」
 水知はあごに手をやり、不審げにつぶやく。
「――? あ、あ~、別に、疑われるようなことはなかったんだからね!」
 顔を真っ赤にして、光原が言った。水知ははっと驚いた表情で光原を見て、答えた。
「ん? 光原さんの何を疑うの?」
 疑う相手が違っている。

 土日の間、確かに『事件』は起こらなかった。
 がそれはただ、パチパチと飛び散る火花が、布や紙に移って燃え上がることがなかった、ということ。火花自体が飛ばなかったわけではない。

 あの日、衣織を倒し、自らも力尽きて倒れた水知は、目を覚ましたとき、まさに野戦病院と化した医術部部室にいた。怪我人の数は百を以って数え、水知自身をはじめ名の知られた大物も多い。もちろん、医術部部室だけではスペースが足りない。この惨状であるから、さすがにランベ・リューア所属の部活も、晴天同盟に組する部活も、中立を保つ部活さえも、自分たちの部室を提供して怪我人の収容と手当てにあたっていた。
「お目覚めですか、雨宮君」
 医術部の部員の一人であろうか、医者らしく聴診器をかけ、医者らしからぬ黒衣をまとった少年が声をかけてきた。二、三の問診をすますと、彼は針を取り出し――水知は一瞬怯んだが、医療にも針を使うということを思い出した――数箇所のツボに刺し、抜いて、それからマッサージを施すと、睡眠導入剤を処方してくれた。針とマッサージのおかげで、また目が覚めたとき――土曜の昼――には、すっかり体調が回復していた。
 黒衣の医師が黒合羽第十衣『仙医』であり、そして敵味方かまわず熱心に治療することから『黒衣の天使』とも呼ばれる、同学年の安道然であることは、あとで知った。
 目が覚めてぼんやりしていると、花月葉露が見舞いに来た。
「雨宮さん、調子はいかがですか?」
「もう大丈夫、どこも悪くないよ。て言うか、そもそもそんなに重傷じゃなかったしね」
「倒れたのは疲労のせいでしょうね。『散水』などの基本傘術と違って、参式以降の技は各流派の秘技。身体への負担は相当なものになります。それを続けざまに打っては、まして、まだそんな大技に慣れていないとなれば……」
 葉露がぽすんと、ベッドの端に座る。
「それに、衣織先輩の毒糸に触れた影響もあるでしょう。そんなに強い毒ではありませんが――」
「水落、…先輩の怪我はどう?」
 葉露はしばし瞑目して、首を振った。
「衣織先輩、それに志藤生徒会長、美田原生徒副会長の容態は、私たちには伝わっていません。医術部の部員の多くも、安道君ですら知らないようです。治療には医術部部長があたっていますが……」
「……雷電豪助とかは?」
「雷電君は目を覚ますなり、『敵の情けは受けぬ!』と叫んで、そのまま帰ってしまいましたよ」
「あー、なんか、目に見えて想像できるね。それに――」
 質問を遮って、葉露は立ち上がった。
「長話になりそうですし、身体の調子が問題ないなら、一緒に食事でもどうです?」

 それには異存はなかった。
 だがなぜこんな。
「お帰りなさいませー」
 なぜこんな、メイド蕎麦屋などという怪しげな店に、葉露先輩は入っていくんだ。おまけにメニューがやたらに多い。ついでにそのメニューの真中には、我こそ看板料理なりと言わんばかりに、甘口うどんなる異形の料理たちが自己主張を繰り広げている。
「ご注文はお決まりですか?」
「じゃ、私は小倉抹茶うどんで。雨宮さんは何にします?」
 ――えーとね。
 なんで蕎麦屋でメイド? ――いや、これはまだいい。メイドといいつつ、ウェイトレスはみな和風な女中の格好である。メイドと名乗っているのは――要は、俗受けというか、一部の層を狙っているのだろう。そして天晴高校はああいう高校だから、そういう『一部の層』はかなり厚いのだろう。
 では、なんで蕎麦屋でうどん?
 でもってなんでうどんが甘口?
「じゃ、じゃあ……この、イチゴフルーツパフェうどんを……」
 ――うわしまった、何で一番危なそうなものを選んでるんだ。
「少々お待ちくださいませ」
 言い直しはききそうにない。いや、意外とまともな味かもしれないし――と現実から逃げていると、やけに小さな、しかもミイラの如く包帯まみれな二人組が入ってきた。こんな異様な骨格の人間は、あの連中しかいない。
「や、ハツユ♪ 妙なところで会うね」
「よう、後継者。ここで会ったが……」
 ふところに手を入れて暗器を探る蜃楼の後頭部に、万花が手刀で一撃を加えた。
「ご飯が先。バトルは後。――ハツユ、同席していい?」
「ええ、どうぞ」
 葉露が承知してしまったので、水知としては断れない。席につくと、蜃楼が早速つっかけてくる。
「ふっ――後継者。僕ももう、かなり動けるまでに回復したんでね――いずれ近いうちに、リターンマッチといこう。今度は負けないよ」
「や、もうハルカじゃ勝てないと思うなー」と万花が火に油を注ぐ。
「僕もまあ、そう思うね」水知も負けていない。
「今のうちに吼えておけばいいさ。強くなったのは自分だけと思うなよ。僕もこのところ、ゲームやる時間も削って、リハビリとトレーニングに励んでるからな」
「蜃楼さんは最近、どんなゲームやってるんですか?」と葉露が妙なところに質問を加える。
「あー、まあ、『キノコ勇者』とか……」
「まだクリアしてないの!?」「まだクリアしてないんですか!?」葉露と万花が同時に突っ込む。君たち、男の子をいじめるのはやめたまえ。
「黙れ。僕は完璧主義なんでね。クリアするのはアイテムをコンプリートしてからだ。それも、もうあと少しだし」と蜃楼は怯まない。
「あー、あの」と水知がおずおずと言う。「僕も、まだ、クリアしてない……」
 味方ができて、蜃楼が眼を輝かせる。葉露と万花が眼を見合わせる。
「ちなみに、どの辺?」と万花が聞く。
「蜃気楼の森のとこ。スバエルギナスが倒せないんだけど。……ほら、主人公は例によって役に立たないし、新キャラのミセナも攻撃力は高いけどHP低くてすぐやられちゃうし」
「あー、あそこはさ」と万花。「主人公とミセナだけじゃスバエルギナスを倒せないから、戦闘始まったときは二人とも防御させとくんだよ。6ターンくらいでトリュフォーとセファラスが来るから、それまで耐えきれば大丈夫」
「まあ僕は二人でスバエルギナスを倒して、レアアイテムを入手したけど」とまだゲームをクリアしていない蜃楼がむやみに威張る。
「でも本当に難易度が鬼なのは、そのあとだけどね」万花が蜃楼を無視して続ける。
「鬼だな」と蜃楼。
「鬼ですね」と葉露。
「ふーん、まあ、やってみるよ」と水知。彼の心は感動で溢れていた。なにせ、高校に入ってから初めて、まともな高校生らしい(?)会話ができていたからである。
 だがいつまでもそんな話をしてはいられない。ややあって生クリームや果物がたっぷりと乗った太い太いうどんが食卓に運ばれてくると、じきに場の話題は深刻なものに移っていった。
「――君たちが僕を狙うのはいいけど、いや迷惑なのは確かだけどそれは措くとして、――光原を拉致するってのはちょっと卑怯じゃない?」
「まあ、あれだ、隠された事情ってのがあってな」
「で光原はどこなのさ。僕は君たちの首領を倒したんだから、もう兜を脱ぎなよ」
「光原さんの居場所?」三人の雨衣が一斉に顔を見合わせる。「こっちが教えて欲しいよ」と万花。
「ていうか、『主(マスター)』のところだろう、どう考えても」と蜃楼。
「マスター?」
「――嵩宮蛟丸ですよ」と葉露。
 そういえば雲原豪姫が蛟丸をそう呼んでいたっけ、でもどうして、と聞きかけた水知を制して、葉露が万花に話をうながす。万花は気が乗らなさそうだったが、光原を誘拐した直後に蛟丸の襲撃を受けたこと、唐園と秋水が今なお捕えられていること、自分が命がけで逃げてきたことなどを語って聞かせた。
「水落さまはというと、秋水さんが蛟丸に光原を売ったと考えてるみたいだな」と蜃楼が補足した。「秋水さんが裏切ったかどうかは僕には分からないが、いずれにしても光原・唐園・秋水は蛟丸のところに違いないぜ」
 蜃楼のこの言葉は、ずっと水知の心に引っかかっていた。
 三人の言葉は本当なのか。本当だとしたら、なぜ蛟丸はそれを隠すのか。いや、隠しているのではなく、連絡していないだけかもしれない。だがそれなら、豪助が『衣織に聞けば分かる』と言ったのはなぜか。彼は光原たちが衣織ではなく蛟丸の手中にあったことを知らなかったのか。彼を雨宮宅に迎えにやらせたのは蛟丸だという、ならばなぜ、豪助は水知を衣織のもとへ――。

    ◆

 光原の無事な姿を見てまずは安堵した。だが蛟丸への疑念が晴れたわけではない。
 それはそうと。
「……やったぜ」
 水知は、小さくガッツポーズをした。
「どしたの、水っち」
「光原、僕は、僕は――! 僕は、ついに――、教室に辿り着いたよ!」
 ――なるほど。光原は、水知の感動の理由に深く深く納得した。でも。
「まだ、安心できないんじゃないかな。始業まで間があるし、何か事件があるかも――それと」
 光原がまだ言わないうちに、水知の顔が青ざめる。その表情を見て光原はややためらったが、言いかけてやめるのもどうかと思い、続けた。
「厳罰、は……?」
「――ふっ」
 固まった表情を和らげると、水知は笑った。それは、いわゆるジャパニーズ・スマイル。普通なら笑うところではない。
「……どうやら、厳罰からは逃れられそうだよ」
 言葉が終わらないうちに、やたらでかいのに襟首をつかまれた。
「水知よ、蛟丸先輩がお呼びだ。――光原よ、少しばかり、こやつを借りてゆくぞ」
「えーと、授業はどうするの?」
「先輩の依頼のためならば命を捨てる。まして単位を捨てることにいかほどのためらいがあろう」
「いや、僕は命も単位も捨てたくないんだが」
 言葉を無視して、豪助は水知を肩にかつぎ、風のように去っていった。

 ――天文部部室。
 どこよりも暗いその部屋で、二人の人物が話をしている。一人は蛟。そしていま一人は、その腹心の部下――。
「――へえ。姚崇老師が来るんだ」
「カタリナさんだけだと思ってたの?」
「いや。でもこれだけの大物が釣れるとは思わなかった」
「大物過ぎて、逆にやられたりしない?」
「ふん……、カタリナさんだけじゃ花月葉露や雨宮水知の相手は難しいかもしれないから、丁度良かったさ。――雨衣と同盟はもう終わりだ。あとは雨宮と花月を倒し、連盟の力を削ぎ取り、渚の研究完了を待つだけ。……君は今まで通り、手はずどおりに動いてくれ」
 小柄な少女は頷いて、背を向けて部室を出て行く。出たところで、豪助・水知と鉢合わせ。
「お役目ご苦労様、お兄ちゃん」
「おまえもな、蕾」
 雷電蕾は水知にもぺこりと会釈をして、その場を立ち去った。入れ替わりに豪助が、「雷電豪助、ただいま参上しました」と言うと、部室へ入っていく。蛟丸の前に立つと、豪助はかついでいた水知を下ろし、立たせた。
「こんな乱暴なことさせなくても、呼ばれれば来ますよ、先輩」と水知が不平を言う。
「はは、豪助君だから仕方がないさ。――ご苦労様、君はもう授業に向かっていいよ」
「はっ」と挨拶をして豪助が出て行く。畜生、僕はまた一人だけ授業に出られないぞ。
 豪助の背中を恨めしそうに見送って、それから水知は蛟丸を見ると、言った。
「えーと、光原さんを守ってくれたとかで――ありがとうございました」
「なんで君が礼を言うんだい?」
 しばらく言われた意味が分からなかった。やがてその意味に気づく。顔が赤くなる。蛟丸ははははと笑う。
「そんなに赤くなることはないさ。似合ってるよ、君たちは」
「からかわないでくださいよ」
 ますます水知が顔を赤くする。ややあって、蛟丸が言い始める。
「ところで、君は国際傘道連盟のことを聞いたことがあるかい?」
「世界中の傘使いたちが、平時は互いの芸を磨きあい、また困難の際には助け合うために結成した組織だと聞いてますけど」
「うん、――で、僕たちのひいおじいさん、つまり水之進が、連盟結成時のメンバーだったことは知ってるかな?」
「や、それは初耳です」
 そうだったのか、と水知は思わず感嘆する。そういえば子供の頃、雨宮家にはやたらと外国から手紙が来ていた。最近それを見なくなったのは、大方電子メールに切り替わっていたのだろう。そういえば、ひいじいちゃんはパソコンいじりが好きだったっけ。
「その傘道連盟から、このランベ・リューアに助っ人が来るんで、君に出迎えをしてきて欲しいんだ。ひいおじいさんのことから考えて、君以上に相応しい人物はいないだろうからね」
 ただの出迎えなら、たいした事はない。授業にも二限からは出られるだろう。実に甘い考えを抱いて、水知はそれを承知した。

 ――聞きたいことがあったのに、はぐらかされちゃったな。
 水知は反省した。光原保護の一件について、詳しく蛟丸に尋ねたかったのだが。
 ――しかしどうしてだろう、今ごろ。
 水知はふと疑問に思う。
 ――雨衣も同盟も、かなり力を落としてる。どうして今になって、助っ人が必要になったんだ?
 うつむいて考えても答えは出ない。出迎えに指定された場所が近くなって、水知はふと頭を上げた。口をあんぐりと開けた。そこでは、水之進が、もう一人の老人と戦っていた。
「腕が落ちたのう、姚崇!」
「お主はその歳になっても、まるで若武者のようじゃ、天晴れなり雨宮水之進!」
 会話や二人の表情――水知には彼らの表情をはっきり見定めることは難しかったが――から察するに、真剣勝負ではないようだが、その打ち合いのスピードは常軌を逸したものだった。水知は曽祖父の本当の技量がどれほどのものだったか、初めて目の当たりにしたと感じた。もし自分なら、おそらく、二、三撃も防ぐことはできまい。
 ふと目を転じると、もう一組、洋装・金髪の少女と和装・黒髪の少女が打ち合っていた。二人とも老人たちには劣っているが、かなりの力量だ。ただ、どうやら和装の少女が圧され気味のようである。
 ――あれ。静流さん?
 よく見れば、和装の少女は氷雨静流ではないか。曽祖父のみならずこの人まで高校に出てきて打ち合っているとは、いったいどうしたことだろう。
 やがて静流の傘が飛ばされた。
「……やりますね。私も在学中は、蛟丸さんの副官として鳴らしたものですが」
「いえ、確かに見事な腕でしたわ」
 金髪の美人はふいに水知を見た。つられて静流も水知に視線を送る。
「あ、水知さん」
「どうも」とりあえずぺこりと頭を下げてみる。
「後継者――?」金髪が少し驚いた表情を見せる。
 水知は油断なく露草を握り締め、頭を下げつつも眼は金髪から離さない。それは正解だった。
「ちょうどいいですわ――」金髪が傘を水知に向けた。「私はルーマニアのカタリナ。後継者・雨宮水知さま、どうか一手、ご指南くださいませ」
 ――僕の命と単位は大丈夫なんだろうか?

  31(バーネット)

 先ほどまで出鱈目な乱舞が行われていた場所は一転、静かなそれでいて危険な戦場へと変化する。対峙するはカタリナと水知。両者ともその手に傘を持ち、視線で牽制しあっている。いつの間にやら老人と水之進も打ち合いをやめ、二人を見守っていた。水知はカタリナに注意を払いつつ、助けを求めるように水之進に視線を送る、が帰ってきたのは無情ともいえる言葉だった。
「ちょうどよい、我が曾孫の戦いぶりをじっくりと見ていただこう。……水知よ、お前も雨宮の名を持つ者ならばよもや勝負から逃げ出したりはしまいな」
「なるほど、彼が新たなる雨宮か。ふむ、まだ若いがなかなかの使い手と見た。それではその力存分に見せてもらおうではないか。カタリナ、手加減など不要だ。全力を持って戦いたまえ」
「当たり前ですわ。かの高名な雨宮家の者に対して手加減など侮辱でしかありませんもの」
 おまけに妙崇の援護射撃まで飛んでくる。金髪の少女も闘る気満々のようだ。もうどうにもならないよな……と身の安全とか単位とかその他もろもろを諦めてというかやけくそになって投げ捨てるような心地で、水知は露草をカタリナへと向けた。カタリナもそれに応じるように構えをとる。二人の間の空気が一気に張り詰める。
 と、それまでうっすらとかかっているだけだった雲が急激にその量を増していき、あっという間に空を黒く覆いつくした。唐突に変化した空を見上げてうめくように妙崇が呟く。
「なるほど、これが彼の力か。後継者の名は伊達ではないようだな」
 雲は黒に染まった空をさらに黒く塗りつぶすべく、どこからともなく湧き続ける。誰の目から見てもこの後に起こることは明白だろう。ちなみに本日の降水確率は10パーセント。天晴高校の生徒たちは口々に天気予報士をおもいっきりなじっているに違いない。
 そして、ザァァァァァァという音が鳴り響く。誰もがあーあ、という気持ちで外を見たに違い無い。だが――
「痛てててててて!?」
「な、何ですのこれは!? これも雨宮の力とでもいうのですか!?」
「いや、違う。これは水知の力ではない。しかしこれはいったい……?」
 黒き天空より降り注いだのは水滴ではなく氷の粒。季節はずれもいいところの雹がこれでもかというほどに大地と水知たちを叩いたのであった。

32 皆既日食

季節外れの雹が降り注ぐ校庭で睨み合う水知とカタリナを、茶道部の部室から覗く女がひとり。裏千家茶道部部長にして蛟丸の腹心・木枯渚である。その顔に、いつものふざけた様子は見られない。
「来た・・・・・!」
ついに来た。待ち望んできたこのときが来た。ずっと待ち焦がれたこの瞬間がついに来た!
普段は膨大な蔵書にうずもれている金庫を手探りで発掘する。キーコードは「1224」――神の生誕する前日だ。がちゃりという音とともに金庫を開く。
中に入っているのは、一見何の変哲もない風水盤だった。
いや、高校の茶道部部室にこんなものがあるのはおかしい感じもするが、この程度なら通販で簡単に手に入るだろうというものである。だが木枯渚の秘密兵器がただの風水盤であるはずがない。
「地下の巨大風水盤と同じ素材で造られた120分の1サイズの完璧に精巧なミニチュア・・・」
風水盤を机の上に置き、パソコンと接続。同時にすさまじい勢いでキーボードの上に指を躍らせる。
「言わばコイツは巨大風水盤の分身。共感作用による制御装置・・・!」
今、眠り続けていた巨大風水盤は後継者の力によって活性化している。先日とは違いある程度安定した状態でだ。リンクを張るなら今しかない。蛟丸から指示を受けている例のアレはすでに自分の手を離れた。こちらに全身全霊を注いでも何の不都合はない。だいたいアレは嵩宮の家に伝わる古文書の解読さえ済めばあとはマニュアルどうりに進めればできてしまうものだ。
そう、別に誰がやってもいっしょ。そもそも私が造ったものじゃないんだから、何ができても所詮それは私の力じゃない。
思わずぎりっと歯を食いしばる。

「あんたじゃ私に勝てないよ」

もうずっと前、あの女に言われたセリフ。忘れたことなんて一度もない・・・!
「これは私の子。私だけがつくった最高傑作。今度こそ勝ってみせる!」
用意していたプログラムを起動させる。あまりにも大きな負荷に渚自作のパソコンも悲鳴をあげる。
「完全同機の成功確率は60パーセント前後、か」
もう後は運を天に任せて祈るしかない。立ち上がって窓の外の空を見上げる。
「季節外れの雹・・・雪だったら雰囲気も出ただろうに」
さて、成功したらこの子で何をしようか。蛟丸にもこのことは知らせていない――自分にも多少のお楽しみはあってしかるべきだろう。

◆33(藤枝りあん)

 窓にバチバチと弾丸がぶつかるような音がして、直後、教室はパニックになった――と言っても、偶然開いた窓から虫が一匹入って来て大騒動が、というのと同程度のものでしかないのだが。
「みなさん、落ち着いて窓を閉めてカーテンをしなさい」
 先生も、さすがに冷静一徹ではいられないようではあったが、それでも的確な指示を出しながら教室の前の窓を閉めていった。
 それからギャアギャアと騒がしい教室に向かって「静かになさい」とだけはっきり言うと、カーテンの隙間からちらと外を窺い見た。
「・・・残念ながら、勢いがいいのは最初のうちだけのようですよ。つまり、授業は続行いたします・・・みなさん、妙な期待は止めときなさい」
 今度はブーブーという不満の声。
「もしそういうことがあるならば、放送が入るはずです。では36ページの続きからですが――」
 皆がしぶしぶといった様子で教科書に目を戻すのとほぼ同時に、ハルは一世一大の決心で手を上げた。
「先生ッ!」
「何ですか、光原さん」
「腹痛いです! 今ので冷えました!」
 教室中の視線と含み笑いを頂き、ついでに先生の不審顔も頂戴してしまったのだが、それでもハルは怯まなかった。窓側の席に座っているので、窓を閉めようとした時に見えてしまったのだ――校庭に水っちがいると! しかもなんだかまた戦ってるっぽい。最近の彼はずっと何かの陰謀に巻き込まれているとしか思えない――いや、ハル自身も人のことは全く言えないのだが、にしてもビー玉大の雹が降りしきる中でなんて無茶だ。せめて屋根の下じゃないと――少し突っ込みどころがあるような気もするのだが、それがハルの考えだった。
「保健室、行って来ます!」
 先生の了承無しで行く気か――さすがのクラスメイトも思わず唖然である。
「光原さん――」
 次の瞬間には雷が落ちるだろうと思われたのだが、しかし、当の先生はというと、ふっと表情を和らげてこう言った。
「女性にとってお腹の冷えは天敵です。今後、しっかり対策するように」
「じゃあ、腹巻して来ます!」
 うっす、と拳を握り締めると、ハルは教壇の前を通り過ぎて(彼女の席は前から二列目だからだ)外へ駆けて行ってしまった。
 次の瞬間、やはり、教室中は挙手の嵐だった。光原ばっかりずるい――そんなことを口や目で訴えている。先生はにっこりと笑ってから、口を開いた。
「それでは、今から抜き打ちテストをしますので、それが満点でしたら、光原さんと同じように出て行っても構いません」
 全員がヒッとして顔を見合わせる中、先生はさらに笑った。
「何、簡単な問題ですよ。20ページから40ページまでの重要問題しか出ていませんから」
 それってまだやってません、という誰かの問いに、先生はこう答えた。
「ええ、そうですが? ですが光原さんは学校に家庭の事情で来られなかった時、授業に遅れまいとしっかり勉強してくれてたらしく、全部スラスラ解いてましたよ?」
 無論それはハルの実力ではなく、嵩宮家でみっちり教え込まれたからであるのと彼女の山勘によるものではあるが、先生にとってはどちらだっていいことであった。要は、授業を受けた分、もしくはそれ以上の実力を示せばいいという学校だからである。
 結果、勇んでテストに挑んだ者達がどうなったかはここで語るまでも無いだろう。

 そんなとある教室での一幕はさておき、水知とカタリナの死闘は物凄いことになっていた。
「――むう、あの腕でまだ傘術歴が一年足らずとは・・・」
「何、恥ずべきことでもある。孫の雨情があやつに手解きするのを嫌がってな」
 死等に弾き飛ばされて銃弾のように降り注ぐ雹の欠片を小雨と同じく傘で弾きながら、二人の老翁は語り合っていた。
「いや、しかし水知君はもう一人の後継者候補に、幼くして勝利したと聞いたのじゃが」
「相手方にせがまれてな。まだ基本も習得せぬうちにと断ったのだが、どうしてもということで勝敗の関係無いエキシビションを執り行っただけのことよ。偶然の勝利やも知れぬし、それ以来、雨情のやつが『二度と傘には触れさせん』と頑なになりおって――」
 じわ、と水之進の瞳に涙が盛り上がった。姚崇老師はそれを見て見ぬ振りをして続ける。
「じゃが、血は争えぬのう。鍛錬すればどれほどの強者になるものか、どうじゃね、ぜひわしに預けて――」
   !
「――なぁに、年寄りのお茶目な悪気の無いジョークというやつじゃ」
「何年、強敵(とも)だと思っておる。この水之進、おぬしの言が真実かどうか見抜けぬほど老いたと思うてか!」
「そういうおぬしこそ、すぐに傘に訴えるところは昔から何ら変わっておらんの、ん? このムッツリめが!」
「何を言うかこのヒヒ爺が!」
 刹那のうちに百の攻撃が走る――それは言い過ぎとしても、もはやそこにあるのは人外の技であった。
 そんな恐ろしい爺様どもが戯れているのを見守る冷たい視線が一つ――

「邪魔だな、あれは」
 蛟丸は、そう呟いた。
 自らの計画において、彼らは関わられてはならない存在でしかない。後継者と戦っている女程度ならば、いざとなれば自分でもどうとでもなるが、酸いも甘いも知り尽くした爺を敵に回せばどうなるか――自らの思考を用いるまでも無く、結果は目に見えている。
 彼は眼鏡を外した。その、仮面の無い状態で、素早く謀略を巡らせる。
 ――手はいくらでもある。
 少し笑って、窓に打ち付ける雹を見た。まだまだ威力は下の下といったところか。やはり、今のうちに事を進めるのが吉であろう。
 蛟は渚に作らせた傘を手に取った。まるで最初から自分のために拵えられていたかのような感触。これならば。
「皆、私の手の内で踊るがいい」
 今の所、計画に何ら支障は無い。あの光原の共鳴も、部下である渚のささやかな楽しみも、傘道同盟の介入も――予想外のこともあったが、ならば計画の起動を修正するのみだ。単純なことではないか。
 もう一度、外を見る。
 まだ、後継者は戦っている。あの程度の女ごときに、てこずっている。しかし、いずれは――
「舞台は整いつつある」
 蛟はそう笑った。
「上り詰めてみせろ、ここまで、な――後継者・雨宮水知!」
 どこかで雷鳴が轟いた。
 気象庁の報告によれば、異常気象ここに極まれり、との事だった。これからどのような天候になるのか、雲行きが全く読めないという、何とも芳しくない天気予報――そう、これから先の、天晴高校の未来と同じだ。何がどうなるのか、わからない。ただ一人、ある男を除いては。
 しかし、天が必ずしも人々の思う通りにならないように、その男の思惑もまた、確かなものではないのである。

(おまけ)
 保健室にて。
   ガラガラ
「おや、どうしたかな――と、君は」
「はい、光原です、紫電先生・・・」
「無事だったんだな、よかった・・・それよりも、どうしたのかね?」
「実はですね・・・」
「うむ」
「校庭で誰か戦ってるみたいだったので仮病を使って授業を抜け出して来たんですが・・・」
「おやおや」
「・・・本当にお腹が痛く・・・」
「冷やしたのかね?」
「いえ・・・多分・・・」
「多分?」
「・・・・・・運動不足による横っ腹の痛みでふ」
「・・・」
「・・・」
「・・・ベッドで横になっていなさい。あとで診断書を渡すから」
「あう・・・すいません・・・」
 頑張れ、ヒロイン。もうすぐ、決着のついた主人公達がここにやってくるから、それまでの辛抱だ。無論、彼らにはこう答えよう――朝から気分が優れなくて、と。

 とんでもない長さ。水知VS衣織まで終わらせようとしたらこうなってしまいました。
ごめんなさい、インフレの原因はどうやら私だったようです(今ごろ気づいたか)。調子に乗って水知をパワーアップさせていたら、異常な強さになってしまいました。水知VS衣織は引き分けにするつもりだったんですけどねえ。
さてとりあえず一段落。しかし事態はますます混迷の度を深めております。この状態を回復できるのは「光」だけということにすれば、ヒロインの重要性も出てくるんじゃないでしょうか。穂永。

というわけでヒロイン再登場です。彼女は恐らく蛟の計画を狂わせる数少ない人物の一人になるのではないかと。
しかし、嵩宮家はどうやってお金を稼いでいるんでしょうか。傘術の名門とはいえそれだけで維持するのは難しそうな気が……(バーネット)

パソがこわれた・・・ウイルスでもないっぽい。学校で書いてるので短くてすいません。
(皆既日食)

短いからって責めないでください。家庭の事情が色々色々ありすぎて破裂寸前なんです。ま、ガス抜きしながらぼつぼつと頑張っているっぽいのでそっとしといてください。(R)

サブタイトルは「レポート提出期限直前、または現実逃避」。
えーと、後半戦突入ですね。役者も揃ってきたし、そろそろ蛟丸戦及びエンディングへ向けたシナリオを考えても良さそうです。まずは水之進・氷雨静流・姚崇・カタリナを戦線投入。蛟の側は雷電蕾で補強。や、バランス崩しそうだったら老人たちは適当なところで退場させてください(それでも眼鏡なし状態の蛟よりは弱いですが)。穂永。
追記。この作品はフィクションであり、実在の人物・団体等は一切関係ありませんてことで、改悪版ローカルネタにはご海容を。

水知の雨男+風水盤の力で天候が大変なことに。人間離れした人たちでも流石に雹は痛いでしょう。全く動じない人もいるようですが
(バーネット)

災難だろうなあギャラリーの人たち。(日食)
自分の勘違いしていたところを修正させていただきました。申し訳ないです。(日食)

( ゜∇ ゜)ノ (R)

最終更新:2013年06月17日 18:45