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御戸代草紙・恋華 ネコはだれだ

2005年12月03日(土) 00時05分-鴉羽黒

 


 自分の性格要素を十個挙げろと言われて、真っ先に思いつくのは、ドライであるということだ。どういうことかって、要するに全米が泣いたとか一億三千万人が泣いたとか泣きながら一気に読んだとか、そういうモノで泣いたことがないというか、なんにしろ感動して涙を流したことがない、ということだ。別に感情がないというわけではないけれど、その触れ幅が小さいというか、基本的に何に対しても淡白であるということなのだろう。
 そんな人間であるから、人生十六年目にして急に彼女が出来たことには驚いた。おまけに、その彼女との関係について、こうも悩んでしまう自分というのにも、ひどく驚かされる。
 どのくらい悩んでいるのかって、まあ具体的には、信号無視の暴走車に気づかないくらいには、周囲が見えなくなっていた。そのせいで結局、ようやくたどり着いた結論を実行に移せないまま、
「まじスか」
 というひどく間抜けな言葉を残して、僕は宙を舞う破目になったのだ。



 喧嘩のきっかけは、ひどく些細なことだった。まあ個々人間での喧嘩なんてほとんどがそういう、終わってみれば何が原因だったか忘れているようなことで起こるものなのだが、当事者にとって見れば終わるまでは笑い事ではない深刻なことだ。
 僕の彼女は一見おとなしそうに見えて、実際基本的におとなしいわけだが、応用的な例を挙げるとひどく不安定で、それでもって頑固だ。リスのような見た目に反して理数系なせいもあって、妙に論理立っていて、口では勝てない。 そういうわけで、いったん喧嘩になるとなかなか許してくれない。原因はたいていの場合僕にあるので折れるのも僕のほうが早いわけだが、それからがいつも大変なのだ。もっとも、彼女のほうも別に許さないつもりでいるわけではなくて、理性では収まっても感情の方がなかなか落ち着かないのだそうだ。触れ幅が大きいんだろうなぁ、とは僕の感想だ。
「まあそういうわけで、仲直りできずに終わっちゃったってのが心残りっスかねぇ」
「それは大変だね」
 そう長くない僕の話のあと、その女の子は無関心なのか同情的なのかよくわからない調子で相槌を打った。
 ぼーっとしているというか何を考えているかわからないというか、目の焦点が合っていないように見える彼女は、しばらくなにやら考えたあと(もしかしたら寝ていただけかも知れないが)、ごそごそと肩にかけていたバッグを漁りだした。
 彼女は何なのかというと、いわく死神だそうだ。150センチは無さそうな体にボブカットの灰色髪、でもって野暮ったい紺のダッフル・コートという格好はどう考えても死神のそれではなかったけれど、本物を見たことがあるわけでもないし、まあ死んだだろうなぁと思っていたのでさして驚きはしなかった。それでその彼女は、心残りが合ったら聞くよーというので、僕は上に述べたようなことを語ったというわけだ。
 僕たち二人は、フィルタをかけたような白くぼやけた世界の中で、ふよふよ浮きながら向き合っている。いや正確には、死神子さん(仮名)の周りでなんか緑色の物体が浮遊しているのだけど、それがなんなのかはわからない。多分使い魔的な何かなんだろうなぁと思ってみていると、いつまで経っても目的のものを見つけられないらしい死神子さんに苛立ったのか、緑、彼女に攻撃を加えている。体当たり。結構反抗的だ。
「えーとー、要は、もいっかいその女の子と話が出来ればいいんだよね?」
 間をもたせるためなのか、話しかけてくる彼女。その間にもちくちく攻撃を加える緑の。
「そうスね。勝手に死んじゃったんで、怒られそうっスから」
「ふーん。彼女、同じ高校?」
「違うっス。俺はあんな頭のいいところに入れないっスよ」
「って言うと、彼女東皇?」
「いや、御戸高っスけど」
「ふふん」
「なんでそこはかとなく得意げなんスか?」
 鼻歌まで歌いだした死神子さんだったが、ようやく目的のものを見つけたらしい。
「ふう、あったあった。ちょうどよかったね」
「なんスか、それ?」
 彼女が取り出したのは、手のひらに収まるような丸い何かだった。でもそれをよく見ると、どこかで見覚えのある球体のような気がした。ていうか、
「あのそれ、百円入れて回すやつ・・・じゃないっスよね?」
「ううん、それだよ。こないだ先輩にもらったの。先輩、その筋では百円の女って有名なんだ」
「すごく安い女スね…」
「コレ、ホントは開けてみるまで中身わかんないんだけど、特別になんなのか教えてもらってるから。今回のケースにぴったり」
「はあ。そうスか」
 そういって、死神子さんは得意げにそれを宙にほうった。ちょうど最高点あたりではじけたそれから、まばゆい光が生まれた。玉のような光は僕の周りをくるくると旋回して、そして顔の前で止まった。光が徐々にある形に収束していき、そしてそれは、羽の生えた女の子のようになった。
「この子は転生の精霊って言って、望む姿で一時的に転生させてくれるんだよ」
「望む姿、っスか」
 なかなかすごい話だ。
『三択ですけどー』
「だって」
「いきなり範囲限定されたっスね」
 まあでも、とにかく彼女と話が出来ればいいのか。
『選択肢ですけどー、ネコか野良ネコか夏か、どれかです』
「いやすげえ偏ってるしそれ」
「わたしが猫好きだからかなぁ」
「知らないっスよあなたの嗜好なんて」
 ていうか、夏ってなんだろう。
『眩い夏の日差しになって彼女に降り注ぐんですよー?
「そんな牧歌的なものになりたくないスから」
『輝くー夏のー太陽にーなーるからー♪って、知らないですか?』
「知らないっス。ていうか、今は冬ッスよ」
 大体、話をするという当初の目的からだいぶ外れているし。
しかしなんでまた、こんな変な選択肢しかないんだろう。
「まー、その辺は諸事情ってやつ」
「不便っスね、なかなか」
 もうそもそもが僕の認識の範囲を超えているわけなので、いまさら常識とか正当さを求めるのは無謀な気がしてきた。仕方がないので、とりあえず一番まともそうなのを選ぶことにする。
「あ、そうそう」
 精霊はなにやら呪文詠唱に入ったが、することがないらしい死神子さんがのんきに話しかけてきた。
「なんスか?」
「キミの彼女って、御戸高の何組?」
「えーと、確か七組だったと思うスけど。一年七組。でも、なんでスか?」
「そか、じゃあ、やっぱり秋原さんのことか」
「…なんで知ってるんスか?」
 秋原というのは、まさに僕の彼女の名だった。秋原鈴。
「怒らないよ」
「は?」
 何のことなのかわからず、僕は戸惑う。
「リンリン、少し前から明るくなったって評判なんだよ。キミのおかげだったんだね、きっと」
 そう言うと、今までほとんど無表情だった彼女が、初めて表情を変えた。
「ちゃんと、支えてあげてね」
 そう言って、彼女は微笑んだ。暖かくもあり寂しくもある、不思議な笑みだ。
「そ──」
 その言葉に答えようとした僕は、不意に光に包まれて、言葉を逃した。急速に落下するような感覚を覚えた僕は、意識を失っていった。
 死神がなんで鈴のことを知っているのか、そんなことはもうどうでもよかった。ただ僕は、死んでしまった自分に、どうして鈴を支えられるっていうのか、どうしたらいいのか、それだけが聞きたかったのに。
 僕の意識は、そこで途絶えた。最後に思い浮かべたのは、鈴の泣き顔だった。

 ◇

 目を開けると、見慣れない天井があった。色からしてうちのではないし、そもそもうちの天井はこんなに高くない。どこの貴族の家だここはと思ったところで、自分の体の違和感に気づく。
 …ネコ、か。
 それを認識すると同時に、昨日までの記憶が蘇ってくる。鈴と喧嘩したこと、暴走車にはねられたこと、そのあとの不可思議としか言いようのない死神との対談。
 ああ夢だったのかと思いたいところだが、体を見下ろしてみるとどう見てもネコである。となると妙に高く思えた天井は、相対的に自分の体が小さいからかと変なところに納得してみるが、いやでも色までは変わったりしないだろうと気づく。自宅ではない。
(どこだ、ここ…?)
 そう思って首を回してみると(体が柔らかいのかぐにぐに動く)、どうもテレビで見るような新しい家のリビング・ルームといった感じだった。住民は留守のようで、人の気配は無い。僕が寝転んでいたのはソファで、ネコの毛がいくらか付いてしまっていた。…僕のせいか。
壁に掛けられた日めくりカレンダーによれば、僕がはねられた日から三日が過ぎていた。どういうことだろうと思ったが、たぶん転生とやらに時間がかかったのだろう。どうも頼りない死神だったし、そのくらい遅くなってもおかしくない気はする。いや、頼りがいのある死神というのも怖いが。
 昼下がりのリビング。誰の家かもわからないし、誰もいない。さてどうすればいいんだろうと思って、そこらにただよっていた小虫でも追っかけていると、どこかからか、何か、かすかな音が聞こえることに気づいた。猫って聴覚も優れているんだったかと思いながら耳を澄ますと、それはどうやら上のほうから聞こえてくる。それを頼りにして、僕は歩き出す。
そうするべき気がして忍び足で歩いているのだが、さすが猫というべきか、まったく足音がしない。いきなり猫になったわりには、うまく四足で歩けるものだと少し感心する。そういや、意識しなかったけど、尻尾って動かせてるのかな。ほれほれ。
 阿呆なことをやっている場合ではなかった。 
リビングの隣に階段を見つけたので、そこから上にのぼる。音は次第に大きくなってきていて、それはどうやらすすり泣くような声だと気づく。でもその音が近づくにしたがって、別の何かの音が大きくなってきて、それがとても邪魔だ。
 たどり着いた部屋は、ドアが少し開いていて、そこから中の様子が見えた。その中にいる人物を認めた瞬間、僕の心臓が大きく鼓動する。どこか冷静な部分で、ああさっきの音は僕の鼓動かと知る。
そこにいたのは、まぎれもなく、鈴だった。猫の目でも、見間違えるはずがない。
 鈴は、部屋の床にぺたんと座っていて、うつむいて泣いていた。その横顔は髪に隠れていて、どんな顔をしているかは窺えない。でも、こんな昼間に、私服のままいるということは、高校は休んでしまっているのだろう。
 すぐに駆け寄りたいという思いと、同じくらいの躊躇いがぶつかりあって、結果的に僕は動けず、ただ鈴を見つめ続けた。
 何をためらう必要があるのか。そのためにもらったチャンスなのに。
 でも、僕は猫で、それで死んでいる。いまさらどうなるというんだろう。
喧嘩の仲直りをしたい、でもそれは、僕の独りよがりじゃないのか。僕がただ満足したいだけで、鈴にとってすれば、喧嘩別れのまま終わったほうが、すぐに忘れられて、傷が小さく済んで、いいんじゃないか。
直前になってそんな考えが浮かんで、僕はこうも弱かっただろうかと生前の自分に問いただしたい気分に駆られる。けどそもそも、ドライだったはずの僕が、なんて感傷的な理由で猫になってるんだろう。
 不意にすべてが馬鹿らしくなって、僕はきびすを返そうとした。けれどそこでふと、鈴が泣き止んでいることに気づいた。見つかったのかと思って彼女のほうを見ると、鈴はなんとなく神妙そうな顔をしていて、それでその手の中に、
(──あの、ばっ)
 それを見たとたんに、
 いくらかの光景と言葉がフラッシュバックして、
 僕はなりふり構わず飛び出していた。

 ◇

 なかなか枯れないなあと思っていた涙だけれど、三日目ともなるとさすがに枯れてくれた。このままずっと前が見えなかったらどうしようかと、ちょっと心配になってたわたし。
 久しぶりのクリアな視界に、わたしはひとつ深呼吸をして、それから筆箱を探して必要なものを取り出した。
 学校に行けなくて、しばらく使っていなかった筆箱はどっかそっけなかったけれど、今から使うコレはちゃんと働いてくれるだろうか。うっかり失敗しちゃったりするととても悲しいので、ここは慎重に。はやる気持ちを抑えて、涙を枯れるのを待っていた意味がなくなってしまうのは嫌だ。
 と思って、ごく慎重にカッターナイフを右手に構えたのに、そのとたんにすごい鳴き声がして、びっくりしたわたしはカッターを落としてしまった。するとその声の主は、さっとそのカッターをくわえて、ぺっと窓の外にほうってしまった。あああ。
 なんてことするのよと抗議しようとしたら、逆にすごい剣幕でわめかれてしまった。
「にゃにゃーなーにゃーにゃー! にゃふー!?」
 ごめんわたしネコの言葉わかんない。ていうか、なんでどこの馬の骨とも知れないネコに説教されてるんだろう、わたし。困ったなぁと思って苦笑いを浮かべるわたし。
「…にゃー!?」
 すると、ネコは不意に何か重大な間違いを犯したようなそぶりで頭を抱えて、ひとしきりもだえた挙句にあさっての方向に向かって鳴いた。その様子はなんていうか、この日のために完璧に英語をマスターしたぜふふんと思ってスピーチに望んだのに、実は中国語のコンテストでしたみたいな、そんなはがゆさと言うか憤りが感じられた。
 頭を抱えるネコって初めて見たなぁ…。なんか人間みたい。

 ◇

 だーもーっ、ネコって日本語しゃべれねーじゃん! どうやって話せって言うスか、あののんびり死神!

 ◇

 どうやら開き直ったようで、ネコは再び説教を開始した。言葉が伝わらない分ジェスチャーで補おうというのか、なんだかネコらしからぬオーバーアクション。このこ、ホントにネコ?
 その努力もむなしくわたしにはその意図がさっぱり伝わってこなかったのだけれど、動きがかわいいのでずっとその子を見て楽しんでいると、だんだん変な気分になってきた。違和感というか、既視感。
「んー、なんだかキミは、どっかの誰かに似てるねぇ…」
 そのネコは、わたしのよく知るひとを、強く思い起こさせた。なんでだろう。あのひとをネコに似てると思ったことなんて、なかったのに。でも確かに、そのネコのなにかが、どうしようもなくあのひとに似ている。雰囲気、動作? わからない――
 …「なかったのに」、かぁ…。
 知らずに過去形を使ってしまったことに気づいて、枯れたはずの涙がまたにじんできた。なんでそんなことにばかり熱心なんだとわたしは涙腺に毒づいて、早く当初の目的をこなしてしまおうと思った。
「って言っても、カッター捨てられちゃったしなぁ…」
 恨めしい気持ちがまたわいてきて、いまだがんばっているネコくんをちょっとにらんでみる。あ、ひるんだ。
「あは、そんなところまで似てるんだねぇ」
 一見クールでドライに見えるあのひとは、自分でもそう思っているようだけど、わたしの知る限りでは情に弱いし、強く出られるとすぐ引っ込む、気の小さいお人好しだ。
「……ん、まずい」
 るいせんのかつどうがかっぱつになってきましたよ。
 うつむいてしまったわたしに驚いたのか、ネコくんの口調が穏やかになって、何だか慰めるような調子になる。さめざめと泣き始めてしまったわたしに、動揺してあわてふためいて、どうしていいかわからないで、ただやさしい声で鳴いてわたしの周りをぐるぐる回る。やがて何か決心したように、ネコくんはわたしの肩によじ登って、首を伸ばしてわたしの顔をなめた。こぼれる涙をすくうように、ネコくんはわたしの目じりをなめる。
 む。くふ。くすぐったい、って、ば。あは。ふふふ。
 でもそのおかげで、わたしはちょっと元気が出て、再びミッションに向かう気になれた。
「今度は、邪魔しちゃだめだよ?」
 ネコくんはまた目を見開いて威嚇してきたけれど、わたしは構わずそれを手に取った。
「これは、わたしの大切な人からの手紙なんだから。邪魔しないで読ませて、ね?」
 それ――一通の茶封筒をネコくんの鼻先に突きつけて、
「きれいに開けるためにカッター用意したのに、キミがほうっちゃうんだもん。はさみは見つからないし、仕方ないから破って開けるけど、これでなかの手紙がぐちゃぐちゃになったら君のせいだからね」
というと、ネコくんはショックを受けたように変な声で鳴いて硬直していたが、やがて気の抜けたような安心したような、ひどく形容しづらいスローな動きでぱたんと倒れ、にゃふぅとため息のような鳴き声をもらした。
「?…どしたの?」
 返事が無いただの屍のようなネコくんはとりあえず放っておいて、わたしは封筒に向かう。そこには、見慣れた字で「鈴へ」と書かれている。事故で逝ってしまったはずのあのひとが、どうしてこんなものを遺しておけたのかはわからない。こういう事態を予測していたのかもしれないけれど、でも、もしかしたら、そうじゃなくても、あのひとならこういうものを遺しておいたのかもしれない。その意味を考えると、あまり信じたくないことではあるけれど。
 どちらにしろ、ここにはこれがある。だからわたしは、これを読む。
 意を決して封を破って、わたしは入っていた手紙を取り出した。そこに書かれた字は確かにあのひとのものだったけれど、その文面は予想に反してとても短くて、そして、不思議だった。
 そこに書かれていたのはただ一言、
『ネコは、だれ?』
「……え…?」
 猫? それ、この、ネコくんのこと? …どう、いう…?
 わたしは、まだ寝転んでぐったりしているネコくんを見る。あのひとに似ているネコ。あのひとに似ている、でも、あくまでも、ネコだ。
「まあ、まさか、だよね…」
 わたしの視線に気づいたのか、ネコくんは起き上がって、どことなく疲れたような目で、わたしのほうに寄ってきた。わたしの様子がおかしいのに気づいたのか、その足がちょっと早足になって、
「わぁっ!?」
 そのまま勢いよく跳びかかってきて、ネコくんはわたしに頭突きをした。星が見えた。
 頭を抑えてうずくまるわたしに、ネコくんはふらふらしながらまた近づいてきて、その右前脚を伸ばして、
「あ…」
 ぽんぽんと、軽くわたしの額を叩いた。
 そのときに、ぜんぶ、わかってしまった。
 止まっていた涙が、もうどうしようもないくらいにあふれて、わたしは声をあげて泣き出した。ネコくんはやっぱりびっくりして慌てふためいている。
 それは本当に、わたしの知っている、わたしの知っていた、あのひとそのものだった。
「…そういうときは、ね」
 震える声をわたしは絞り出して、情けない顔をしているネコくんに話しかける。
 本当はきっと、最初から全部わかっていた。わたしからカッターを取り上げてしまった、そのときから。ただ、信じられなかっただけ。わたしの勝手な思い込みなんじゃないかと、怖かっただけ。
 でももう、怖がらない。
「ただ、静かにわたしのそばにいて」
 ネコくんが、はっとしたように顔をあげる。そして、おずおずと、わたしのひざに乗る。わたしのほうが抱いているような格好なのに、どうしてか、わたしはあたたかいものに包まれているような心地になる。
「ほんとに、もう…。かわらないんだから、」
 その仕草も、怒ったような声も、内側にあるあたたかい何かも、すべてが変わらない。
「ね、冬馬…」
 わたしはそのいとしいひとを、抱きしめた。

 ◇

 なんでだろう。
 猫の姿のまま鈴に抱かれながら、僕の脳裏には疑問が浮かんでいた。
なんで、鈴にはわかったんだろう。僕はネコの姿で、言葉もしゃべれなくて、ただもがいていただけなのに。
 鈴は僕が何も変わらないといった。確かに、鈴が手を差し伸べてくれないと結局どうにもならなくなってしまっていたあたり、僕は全然変わっていないのかもしれない。
 でもまあとにかく、これでよかったのだろう。僕が戻ってきた意味はあった。
 だから。
 安心して、もういつでも逝ってもいいはずなのに。心残りなことはもう無くなったはずなのに、どうしてか、ひどく胸が苦しい。ああ、ネコの体でもこんな風に苦しくなるんだなと、的外れなことを思う。
 締め付けられるような痛みを感じる。この半年の間、何度この痛みを感じたのだろう。その度に何もかもが嫌になったはずなのに、それでも僕はその痛みを放さなかった。それがすごく不思議だ。なんで、だろう。
 痛みは徐々に強さを増していて、なんだか熱を帯びているような気すらしてきた。
 ──いや、気がする、じゃない。
 ほんとに熱い。なんだろこれ。今まで、こんな風に痛んだことは無いぞ。
 体の中心が燃えているかのように、何かがこみ上げ来るように、熱が広がっていく。
 熱い。あついあつい。やばい、これこのまま死ぬってことかな。
 あれ、でももう死んでるんだっけ俺。えーと。
 ああそうか、もう時間切れって、そういうことかな。成仏しろってことか。
 熱い。苦しい。これでおわり? 鈴は? 火傷しないよな、じゃない、そんなことじゃなくて。
 まだなにも。
「――嫌だ!」
 熱が全身に回ったそのとき、僕は光に包まれて、それで次に目を開けたときには、目の前にあの死神がいた。緑色のも相変わらず漂っている。彼女も相変わらずのぼけっとした顔かと思いきや、なんと微笑んでいた。
「おめでとう、トーマ君」
「は? 何がめでたいって――」
 言いかけて、違和感に気づく。いや、違和感というか、逆にしっくりきすぎているのだ。
 …そうか、ちゃんと喋れてるのか。じゃあやっぱり、もう終わってしまったってことで。めでたくない。
「…ん?」
 ため息をつきかけて、あれ、と思い直す。世界にフィルタがかかっていなくて、色のくっきりした、まるで現実そのままの世界だ。
「おや?」
 浮かんでいる感覚が無くて、むしろ、地に足が着いているような感覚がある。でもその地面は、なんだかひどくやわらかい。
「あれ?」
振り向いたそのさきで、鈴と目が合う。
「重いよ」
「あ、わりい」
 ごく普通に言葉をかわして、鈴のひざの上から降りて、
「…まじスか?」
 やっぱり間抜けな声を僕は出した。
「おめでとうって言ったよー、ちゃんと」
 死神子さんがそう言って、僕の頭はようやく現状に適応した。このパターンだともしかして俺って裸じゃないのかと思って慌てて股間を隠す動作をしてみるが、見るとあのときのままの制服を着ていた。ふう、あぶねえ。
「なに、トイレ? 今大事シーンなんだからあとにしたほうが」
「いや、気にしないでいいっスから」
 不満そうな顔をした死神子さんに、わけを説明するのも面倒なので先を促す。
「えーと。おめでとう、トーマ君」
「それさっき聞いたっス」
「祝福の言葉は何度聴いても気持ちのいいものなんだよ」
 と、鈴がまた普通にそう言った。なんだこの適応力と思って鈴のほうを見ると、しかし彼女の顔はこれ以上ないくらいに混乱していた。そういえばさっきのことばもどことなく棒読みだったし、どう対処していいかわかんないから、とりあえず普通に喋ってみた、という感じだろうか。
「トーマ君は見事リンリンにわかってもらえたので、みごとふっかつにせいこうしましたー!」
「あの意味わかんないんスけど。後半棒読みだし」
「わたし、新米だからよくわかんないの。ごめんね」
 舌をぴっと出して照れ隠しのポーズをしたようだが、表情がもとの『焦点合わず』に戻っているため、はっきり言って不気味だ。
「まあとにかく、よかったね生き返ってって話なんだよ?」
「それはうれしいっスけど」
「うんうんよかったよかったねー。それじゃ、わたしはこれで」
 なぜだか焦ったような様子で、そそくさと死神子さんは帰ろうとした、が、
「あの、三ツ瀬川さん?」
 不意にそう口を挟んだのは、鈴だった。
「ん、呼んだ?」
 そしてあっさり振り返る死神子さん。
「あ、やっぱり三ツ瀬川さんなんだ。あのさ、わたし、全然さっぱり状況がわかんないんだけど、説明してくれないかなー、とか思うんですが」
「うーん。まあ、それはそうかもね」
「そうだよ」
 状況がわからないのは僕も同じなんだけど、というか、三ツ瀬川さんって誰だ。
「えと、クラスメート。三ツ瀬川よみさん。背の順だとわたしよりひとつ前」
 高校生にもなって背の順はないだろうと思ったが、とりあえずこれで死神子さん――じゃない、三ツ瀬川さんが鈴のことを知っていた理由がわかった。御戸高が頭いいといわれて得意げだった理由も。
「それで、その三ツ瀬川さんが、どうして死神なんてやってんスか?」
 鈴と同級生ということは僕とも同級生ということで、敬語を使う理由もなくなったわけだが、いまさら止めるのも変な感じなので、僕は敬語で三ツ瀬川さんに尋ねた。
「わたしもよくわかんないけど、家業らしくて」
 嫌な家業である。
 というか、それも死神が高校に通っている理由にはならないような気がしたが、三ツ瀬川さんは鈴に事情を説明し始めてしまったので、その疑問はとりあえず聞かずにおいた。
「――じゃあみっちーは、冬馬の命の恩人なんだね」
「んーん。仕事だから」
「でも、やっぱりそうだよー。死神って、そういうこともするんだね。知らなかったなぁ」
「んー、今回は特例っていうか、先輩がうっかりひいちゃったのが原因だし」
「待てそれ聞いてない」
 軽く笑いながらとんでもないことを、のたまってくれた三ツ瀬川よみ(死神)。
「……あれ?」
「どういうことでスかね三ツ瀬川さん」
「しまったうっかり…」
 かつてないくらい凶悪な顔で舌打ちする死神三ツ瀬川。けれどその一瞬後にはまたもとの表情に戻って、彼女はなんでもなかったかのように言葉を続けた。
「まあ、生き返れたからおっけー」
「そうだね」
「よくないぞ」
「けち」
「ひどいよ冬馬」
「なんで俺が責められる…?」
 思わずため息をもらす。三ツ瀬川さんは肩をすくめ、仕方ないなぁとのんきに口を開いた。彼女の説明を要約すると、つまりこういうことだ。
 まず、三ツ瀬川さんの先輩とやらが、うっかり人違いで僕をはねた。普通、死神が間違って人を死なせてしまった場合は、無条件で生き返らせなければならないらしいのだが、今回は僕の過失つまり不注意があったことが認められ、復活は条件付のものになった。
 その条件というのが、転生した姿で、誰かに本人だとわかってもらうこと、だったらしい。そのことを事前に教えてもらえなかったのは、それが転生の精霊の能力条件だそうで、まあそのへんは僕にはよくわからない。
 気になるのはあのとき夏を選んだらどうしようもなかったんじゃということだが、それに関して死神三ツ瀬川よみのいわく、「選ばなくてよかったねー」。……ホントによかった。
 本来なら、この一連の僕とのやり取りはその先輩がやらなければならないのだが、あろうことかその仕事を先輩は三ツ瀬川さんに押し付けたらしい。精霊をもらっていたのはそのためだ。
 そこまで聞き終わって、僕は一言こういった。
「ていうか、結局悪いのはその先輩なんじゃ…」
 賭けてもいいが、そのヒトは絶対ほかにも間違って人をひいているに違いない。
「でも一応、先輩も悪いことしたなぁって思ったみたいで、色々と手伝ってくれたんだよ?」
「例えば?」
「その手紙、たぶん、先輩が用意したんじゃないかな」
 言って三ツ瀬川さんが指差したのは、鈴が持っている手紙だった。僕の勘違いの原因。
「でもこれ、冬馬の字だよ? すっごい下手なの」
 うるさいほっとけ。
「先輩すごいから、それくらいどうとでもできるよ、きっと。火葬されるはずのトーマ君の身体を修復して、こっそりニワトリにすりかえておいたって言ってたし。すごいね」
「なんでニワトリなんスか」
 火葬場からすごくいい匂いがしてしまうじゃないか、じゃなくて、わかるだろ骨で。
「そこは何でもよかったと思うけど、どうせ偽装死式使ったんだろうし」
「…専門用語はすっ飛ばしていいっスか?」
「いいっすよー」
 よくわからないが、知らないうちにすごく大掛かりなことになっていたようだ。
 ふと、鈴が何かに気づいたような声を上げた。
「ねえ、よく考えたら、冬馬のお葬式、終わっちゃってるんだけど」
「焼かれたのはチキンらしいけどな」
「じゃなくて、冬馬、世間的に死んじゃってるんじゃ?」
「あ」
 考えてみれば、当たり前のことだ。
「だいじょぶ、そのへんは偉いヒトが何とかしてくれるよ」
 三ツ瀬川さんは気楽にそうのたまった。でもって実際、その日帰宅した僕は、何事もなかったように家族に迎えられ、翌日からはごく普通の高校生活が再開されることになったのだ。

 ◇

「でも、よくわかったよな」
 僕が死んで、ネコになって、そして復活してから最初の土曜。いつもの喫茶店で待ち合わせた僕と鈴の会話の内容は、自然とその不可思議な体験のことになった。
 改めて驚いている僕に、鈴は得意げに笑って見せた。
「なにしろ、ネコだろ。まあ確かにネコらしからぬ動きをした気はするけど、それでもなぁ」
「ふふ、ネコになってたって、かもし出す雰囲気は冬馬のままだったよ。もちろん、手紙のおかげもあるけど」
 言って鈴はミルクティをすする。
「でも実を言えば、ちょっとズルはしたかな」
「ズル?」
 鈴はいたずらっぽく笑うと、おしぼりをもてあそんでいた僕の右手を取った。指を開かせて、手相を見せるみたいに僕に向ける。
「キズが、あったから。右手に。ネコだったから、前足の肉球に、かな」
「…ああ、なるほど」
「二回目、だね」
「?」
「このキズが、わたしたちをつないだの」
「…そうなるのかな」
 僕の右の手のひらに走る切り傷のあとは、半年前に付いたものだった。部活の練習試合で御戸高を訪れた僕は、トイレに行こうと迷っているうちに、ある教室のドアが開いていることに気づいた。
 何の気なしに覗いてみると、そこにあった光景は、誰もいない教室で一人カッター・ナイフを構えている、鈴の姿だった。そのときも僕は、後先を考えずに飛び込んで、結果的に、そのカッターで僕が手を怪我してしまった。
「あのときも、すごい勘違いっぷりだったよねー」
「…そうだな」
「わたし遅れてた技術の課題やってただけなのに、いきなり跳びかかってこられてー」
「…勘違いって悲劇だよな」
「痴漢かと思って抵抗してるうちにばっさり手を切っちゃったんだけど、まあ正当防衛だよねー」
「…痛かったぞ」
「それでも勘違い継続中の冬馬に、とりあえず死なないほうがいいぞというようなことを延々諭されたしねー」
「…ううう」
「勘違いだってわかると冬馬は赤くなって逃げちゃったけど、あとで手を怪我した他校の生徒の話を聞いたらすぐに冬馬ってわかってさー」
「…探さないでくれ」
「それで冬馬の高校まで押しかけてって、出会い頭にわたしが告白したんだったね」
「……、そう、だったな」
 多分そのときくらいに赤くなっている顔をうつぶせていると、額にコン、とげんこつを当てられた。僕は鈴を見上げる。
「ねぇ、冬馬」
「…なんだ?」
「戻ってきてくれて、ありがとうね」
「…当然だろ」
 俺は鈴の恋人なんだからと言おうとして、恥ずかしくて止めた。
 
 自分の性格、ドライっていうのは撤回するべきなのかもしれない、そんなことを思った。


                                 (了)

 木組お題、ネコ・野良猫・夏。…、いや、ごめんなさい(汗)

あと、意外と長くなったのでサークル賞投稿作品でもあります(遅い)

最終更新:2013年06月13日 00:05