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騎士道なり

2005年12月03日(土) 16時17分-皆既日食

 

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その頃、私は自由だった。
棲み処と定めた山々を毎日駆け巡り、腹が減れば動物を狩り、眠くなれば存分に寝た。
私を縛るものは何もなく――そう、カミサマが課した役割からも、私は自由だった。
その頃の私は一人だったが、寂しくもなんともなかった。

****************

「やあやあ、遠からん者は音に聞け、近き者は目にも見よ!わが名はカルヴィーテ・ド・クロワ!名誉あるレグブンテの騎士である――」
「落ち着け主殿、ここはただの街道だ。モウロクしたならとっとと引退しろこの老人」
「耄碌などしておらぬ!おぬしには見えんのかあの魔竜が!」
どう見ても平和そのものである田舎の街道を、一人の老騎士を乗せたやせ馬がかっぽかっぽと歩いている。ひひーん。
「ぬう・・・悪しき竜めが、幻術を使いおってからに」
「いや待て使ってないから。ただ主殿がまた夢でも見てただけだから」
「なにを言う!騎士が馬上にあってうたた寝をするとでも思うてかこのくず鉄!」
「じゃあ幻覚を見ていたわけだ。どっちにしても末期だな・・・引退しろ」
「サクルタキス!きさま剣の分際で主にもの申すか!?」
「事実だ。歳なんだよ主殿は。いくら王命だったからって、今回の話は断るべきだった」
あまりにのどかな街道だといえ馬上で居眠りするような男だが、カルヴィーテ・ド・クロワは真の騎士である。
数十年前他国に攻め入られて苦境に陥ったレグブンテの地に颯爽と現れ、その人間はずれの膂力と勇猛をもって敵軍を壊滅。今は亡き先王より騎士の叙勲を受けた。その後も東方に蛮族が暴れると聞けば単身乗り込み、北に巨人が棲み着いたと聞けばそれを討ちにいった。国の危機を救うこと数十回、人々の苦難を救うこと数百回。彼を豪傑と呼ばずして誰を呼ぼう。
だがそれも昔の話だ。人は老いる。今のカルヴィーテに往年の力はない。
「無理なんだよ。今の主殿に竜と戦う力なんてないだろう」
竜というのは主の教えにおける災いと悪の代表格である。
黙示録において世界を滅ぼすのは七つ首の竜だし、聖ジョージも竜殺しの誉れをもって英雄の一人に名を連ねている。自然ならざる存在の竜は、世界に対する悪の象徴なのだ。
「無理ということはない。陛下は儂を信頼してくださったのだ。臣下としてそれに応えるのは当然というもの」
老騎士は気を引き締めて姿勢を正す。
先王から賜った白銀の鎧。その鎧の下には老いた身体が収まり、その兜からは真っ白な髭がのぞいている。悲しいかな、人は生まれたときより時の病に蝕まれているのだ。この男とてそれは例外ではない。
「ほれ、きりきり進むぞい。おぬしは今のうちに鞘の中で眠りこけるがよかろうよ」
「わかったわかった。落馬はするなよ?」
まだ言うかこの鉄板、という声が聞こえるが無視。こちらの話を聞かんのならこっちも相手にしてやらん。

本音を言えば、此度の戦ばかりは避けてほしかった。

***************

ある日のこと、私は一人の子供に出会った。
ニンゲンの子だった。
その子は寝そべる私に近づいてきて、おそるおそる触れてきた。
べろりと顔をなめてやったら泣きながら逃げていった。
失敬な。私は子供を食べたりしない。子持ちの雌を狩ったりもしない。それは本能が教えてくれた狩の鉄則である。

それから、その子は寝そべる私にしょっちゅう近づくようになった。
きっかけはいつのことだったか・・・まあいい。とにかく私が人語を解するとわかってから、子供は物語を語るようになった。

はしゃぐ子供を背に乗せて、まどろみの中で聴く物語。
それは、一人の騎士の伝説だった――

****************

かっぽかっぽと馬を進める。
「ぬう・・・・」
苦しげにうめく。やはり体調でも崩したのだろうか。やはりこの男も、本来ならのんきに引退しているはずの歳なのだ。
「どうした主殿」
カルヴィーテはいかにも深刻な面持ちでつぶやいた。
「退屈である」
「寝言は寝て言え」
心配して損した。我が優しさを返せ。
「なにを言う!戦いの場にわしのような一流の騎士が赴くときにはだな、その道の途中であっても何かしらこう・・・冒険というか、試練というか、あとそれからちょっとした出会いであるとか・・・」
「この歳になってまだ色ボケか。たいしたもんだよほんと」
「なぜか褒められた気がせんのう」
「いや褒めたつもりが無いから」
目の前に広がるのはまっすぐに続く街道。
脇には森。
以上。
「しかしこう何もないと、武勇伝を語るにもひと苦労になるのう」
「魔竜を倒しにいくんだろ?それだけで十分だと思うがね」
「どこかに盗賊に襲われる乙女の一人もおらぬものか・・・」
「女性を敬うべき騎士のセリフかよ」
「ぬう・・・・・・」
貧相な白髭をいじる。これはカルヴィーテが考える時の癖である。
「わしの記憶によれば、かつての冒険ではもっと波乱に満ちた旅をしたと思うのだが」
「その冒険を共にした我の記憶によれば、そんなことはめったに無かったはずなのだがな」
そのとき、彼はひらめいた。
「そうか!ぼけたのであるなサクルキタス!?」
「それは間違いなく主殿のほうだ!」
全身全霊で否定する苦労剣サクルキタス。思えばこんな主に引き抜かれたのが運のつきだった。
今はまだましなほうだ。若い頃は悲惨だった。
蛮族を討つといっては森の猿を追い、巨人を倒すと言っては夜襲をかけたつもりで巨木に切りつけた。まあ、その後に本来の使命は果たしたのではあるが。
そりゃあたしかに行く道々も冒険だったろうさ。しかしそれを武勇伝に入れるとなれば今の名誉はすべて捨てるハメになる。英雄譚は漫談に取って代わること間違いなし。
「おぬしもいらぬことばかりしゃべっとらんと、少しはこう・・・危険を察知して主に知らせるぐらいの能は持たんか。具体的に言えば乙女の危機とか」
「下心満載の素敵機能だなおい」
たとえそんな力を持ってても使うのはご免です。
ろくなことにならないことは分かってますから。
「だいたい主殿は緊張感というものが足りん。これから向かうサージェは竜に滅ぼされた街だぞ。怪しいやからが棲みついたとも聞いたろう?もっと気を引き締めろ」
「歳よりは小言が多いのう」
「あんたが言うか!」
この色ボケ高齢者より歳月を経ているのは確かである。この世とあの世を隔てる境界、レテ河のほとりにカタチを結ぶこと数百年。数多の英雄たちに引き抜かれ、されどその黄泉路の供をすること叶わず再びレテ河に取り残されてきた。
それでもこの男に年寄り呼ばわりされる筋合いはない。

「しっ――静かにせんか」
「なにを――」
がさり。
森の中からなにかが出てきた。
のっぺりとした黒い犬。どこか自然ならざるその姿は、魔女の使い魔たる証。
「ふん!」
馬上より飛び降りて一撃を放つ。しかしすでに時遅く、黒犬はいずこかへ消え去っていた。
「竜だけではないと思うておったが」
街道の先、はるかサージェを見据える。
「どうやら一筋縄ではいきそうもないのう――」

*****************

終わりのない物語はない。
私たちのささやかな楽しみも、唐突に終わりを告げた。
その日、私を訪ねてきたのは子供ではなく、手に槍を持った男たちだった。

「殺せ!」

その言葉だけが、いつまでも記憶に残っている。
ああそうだ。私はそういうモノだった。役割を与えられてこの世に生まれてきたんだっけ。
目をそらし続けてきたけれど、私は、生まれたときから、こうなることが決まっていたんだ
瞳に暗い灯が燈る。
来るがいい
もとよりそのような玩具で我が鱗を貫けはせぬ
我を恐れよ人の子ら
此の身は神が創り給いし邪悪なり
己が無力を知るがいい――!

****************

「ぬうん!」
剛剣一閃。
群がる敵を微塵に潰す。
老いたりといえどもこの身は騎士。
雑兵の十や二十、なにするものぞ!

数ヶ月前、ひとつの街が滅んだ。
伝承によればそこの近くには竜の棲まう山があるとされたが、地理的に優れていたこともあってそこに人が集まり、街ができた。そして町に住む人々はそれなりに幸福な日常を送り、街もまたそれなりに栄えた。
もはや竜の伝説など、誰にとっても忘れられた過去になった。
その伝説の竜が、実際に現れるまでは。
そして今この街は――

最後の一体を切り伏せて、軽く息をつく。
「ふう・・・・手こずらせおってからに」
愛剣たるサクルタキスは鞘に納めない。ここは既に死の都――ただ一人の生者も在らぬ、魔女の城である。ゆえにどんな罠が隠されているかも皆目見当つかない。
「この程度の人形相手に息を切らすとはな。主殿、やはり老いたな」
「なにを言うかこのくず鉄。このわしがへたばるとでも思うてか」
「事実だ。いいかげん認めたらどうだ頑固爺。あの黒犬と人形は間違いなく例の魔女だぞ・・・・今のあんたには荷が重い」
「たわけ!わしに尻尾を巻いて逃げろとでも言うのか」
「勇気と無謀は違うだろう」
抜き身の剣を手に提げた老騎士がその手の剣と言い争いながら魔都を歩く。馬は街の外に置いてきた。この街の瘴気におびえて入ろうとしなかったのだ。
老騎士カルヴィーテ・ド・クロワには先の殺戮人形どもに見覚えがあった――あれは、宿敵たる魔女スカハサによって造られたモノだ。

魔女スカハサ
数十年前、カルヴィーテがレグブンテの騎士として戦い始めたころからの宿敵である。
あるときは呪いを、またあるときは計略を、さらにまたあるときには魔獣を率いてことあるごとに彼の邪魔をし、また世に混乱と災いを撒き散らした稀代の魔女である。

だがそれがどうしたというのだ。たしかにかの魔女には幾度も苦汁をなめさせられたが、いつも最後に勝利するのは自分だった。そんなことぐらい、常に我が傍らにあった愛剣ならわかっておるだろうに――
がさり、と、音がした。
「ぬ?」
カルヴィーテも足を止める。
「気をつけろよ主殿。アレは、人形とは違う」

目の前に現れたのは一人の騎士。青く輝く鋼の鎧に身を包み、その双手には、それぞれ一振りの剣を構えている。
「・・・・・・・お前は・・・・・・・」
しかれどその瞳に昔日の輝きは灯ることなく、その肌は土気色に曇り、まるでヒトガタのように、ただこちらだけを見据えて歩いてくる。
「おのれ、あの魔女!」
二人の騎士は、同時に駆けた。

双剣が翻る。
右の剣を防げば左の剣がその隙をつき、左の剣で斬撃を防げば右の剣で鋭い一撃を見舞う。
苛烈にして華麗なる剣の輪舞。強靭な膂力と研ぎ澄まされた技量を兼ねそろえて初めて可能となるこの太刀筋の持ち主を、カルヴィ-テは一人しか知らなかった。
「ガシス・・・」
数え切れないほどの戦場をともに戦い、幾度も肩を支えあった・・・・・この手で殺めた、最愛の友。
「・・・・・・・・・・・・・」
ガシスに言葉はなく、友愛はなく、憎悪もない。ただその双剣を振るうのみ。
胸、肩、頭。カルヴィーテが一息に放った剛剣三閃を双剣は巧みにかわし、受け流して雷光の突きを放つ。
「ぐっ――」
とっさに頭を傾けてよけるも、肩口を切り裂かれて思わずうめく。
その剣撃は在りし日のまま。老いた我が身とは比べようもない。


レグブンテの騎士となって10年が経ったころ。突如ガシスは王に反旗を翻した。
その卓抜した用兵と双剣を前にして王の軍勢はことごとく敗れ、ついにカルヴィーテに声がかかる。
一騎打ちの場にあって、友に問うた。
「なぜだ!?なぜお前が!」
友は笑って答えた。
「譲れぬものがある。ただそれだけだ」


こちらの手負いを好機と見たか、双剣が同時に襲い掛かる。
攻守に隙無き双児の剣が、その守りを捨てて無数の刃を雪崩のごとく撃ちつける。決死の連撃――この剣の前に敗れたものは数知れず、かつて剣匠の名を得た所以たる、ガシスの秘剣。
が、
「おおおおおおおおおおおおおお!」
裂迫の気合をもって放たれた刺突が双剣を弾き飛ばし、そのままガシスの胸を貫いた。
守りを捨てたがゆえに、人並み外れたカルビーテの剛剣を防ぐことが出来なかったのだ。


真相は闇に埋もれたまま。
あの日、友は命と名誉とすべてを失い、戦場に散った。


「ガシス」
白銀の鎧を朱に染めて、茜色の空を見上げる。
「俺はお前に、何をしてやれた」


魔女は街の広場にいた。
「久しいな、スカハサ」
黒い髪、黒いドレス、そして輝く白い肌の魔女は、初めて出会ったあの日と変わることなき姿に闇を纏う。
「本当に久しぶりね。また会えてうれしいわカルヴィーテ」
愛剣たるサクルタキスを構える。
「わしはニ度と会いとうなかった。そもそもお前に出会ったことが過ちであった」
禁忌に触れ、その身を時に呪われた黒き魔女は、相も変わらず妖しくも美しい。
「悲しいことを言う人ね。でもいいわ、許してあげる。その口の悪さだけは昔と同じだもの」
「ガシスに何をした!」
「決まっているでしょう、私は魔女だもの。遺体を掘り起こして力を貸してもらっただけ」
「貴様・・・・!」
「あなたに私のことが言えて?彼を殺したのはあなただったでしょうに」
ぎり、と歯をくいしばる。
「・・・・・・竜や街のことも、お前の仕業か」
「まさか。逆よ。竜を倒しに来たあなたを止めるためだけに、私は今ここにいる」
「ならば、もはや言葉をかわす必要もあるまい」
「そうね・・・・・・・・私は、あなたとずっと語り合っていたいのだけど」
「ほざけ!」
素早い踏み込みで間合いを詰め、カルヴィーテの剛剣が唸りをあげる。しかしその刹那、魔女の姿は虚空に消えた。
「幻術か」
「そういうこと」
黄金の短剣を逆手に構え、スカハサは広場の隅にたたずんでいた。
その短剣を振りかざし、己が弓手に突き刺す。
「命ずる。我が血肉を贄に捧げん。しかればこの手に怒れる礫を」
短剣を引き抜き弓手を振るう。その掌よりほとばしる血潮は炎を纏い、緋色の魔弾と化してカルヴィーテに降り注ぐ。
「なめるでない!」
宝剣をもって魔弾を叩き落とす・・・・しかし、重い。

多少の手傷は無視して、急所に至る魔弾のみを防ぎながら魔女を追う。
スカハサはかすかに宙に浮かび、まるで滑るように広場を駆け巡りながら魔弾を放つ。
そして移動しながらも己が血を撒き散らし、そのことごとくを魔弾に変える。
上下左右全方位から縦横無尽に降り注ぐ魔弾の嵐。カルヴィーテにそれを防ぐすべは無い。

「・・・・・はあ、はあ」
全身が熱い。
焼かれているのではなく、魔弾の触れた場所自体が炎となったような感覚。
白銀の鎧も無惨に砕かれ、撃ち抜かれたこの身はもはや立つのがやっとの状態である。
「あら、もう終わりかしら」
「たわけ。まだまだ」
「そのありさまでよく言うこと。いいかげん諦めなさいな」
「そういうお前こそ此度は切羽詰っておるではないか。己が血を生贄にするなぞ初めて見るぞ」
「・・・・・相変わらずそういうところは目ざといんだから・・・まあいいわ。ご褒美をあげる」
スカハサが、指をぱちんと鳴らした。
「汝目覚めよ。私の網は世界を巣喰う」
瞬間、カルヴィーテの足元から木の枝が飛び出し、その身に巻きつき拘束した。
「月齢6日目に刈り取ったヤドリギの枝」
その性は天に属さず地に属さず、それゆえ人に許されし神秘の樹。
「今のあなたに破れるものではないわ」
次々と場に隠されたほかのヤドリギもカルヴィーテに襲い掛かり、拘束はより強固な封となった。
「これで詰みだな。今回は諦めろよ主殿」
「何を言う!お前ともあろうものが、何故そのようなことを」
これまで宝剣サクルタキスは幾度も自分を戒めてきた。その苦言には閉口したが、このような危機にあって泣き言を言うようなことはなかった。
「そこの魔女も主殿が退くならば去るだろう。だからおとなしく退け」
「情けを乞えとでも言うのか!」
「違う。そもそも――」
「いいかげんにしなさい」
スカハサが、軽くため息をつきながら二人の言い争いを遮った。
「たしかに私はあなたが退くなら去るわ。言ったでしょう?私はあなたを止めるためだけにここにいると」
「はっ!たとえ死すとも貴様の情けは受けんわい」

「いいかげんにしなさい!」
再び同じ言葉を繰り返す。ただし、強い想いを込めて。
「あなたは自分が何をしようとしてるか気づいているの!?だって、あの竜を滅ぼしたら、あなたは――」
「消えるのだろう」
ひどく冷めた声で、老騎士は、己が運命の末路を告げた。
「知って・・・いたの?」
「あたりまえであろう。自分のことは自分が一番わかっておる」
いわく、竜の夢はひとつの幻想である。
そもそも数十年前、どこからともなく現れて国の危機を救った風来坊はいったいどこから来たのか。
考えてみれば簡単なことだった。
どこでもない。
この身は、眠れる竜の生み出したウタカタのユメ。
「じゃあなんで!?自分が消えるとわかってて、なんであなたはそれを倒すというの!?」
スカハサの声には涙さえにじんでいた。
どうしても失いたくないものがあった。魔術にすべてを捧げ、死すらも失った彼女にはほとんど何も残されていない。それでいいと思っていた。
それでも――

「この身は、王に仕える騎士ゆえに」
そもそもありえない存在だった。
名も無く家族も無く、友も無く名誉も無く。その自分に与えられたひとつの栄誉。
それだけがみずからを世界に繋ぎ止める杭である以上、カルヴィーノは、たとえその身が滅ぶとしても、騎士たることを棄てることなど出来はしない。
もとより在らずの騎士。ただひとつの誉れだけが、たしかに自分を人にしていた。

「死なせない!あなたを絶対に死なせはしない!どんなことをしても、あなただけは――」
黒髪を振り乱し、魔女が新たに呪を紡ぐ。
「私が護る!」
場が凍る。張り詰めた弓のように世界が軋む。
そして、最大の魔術が老騎士の身を包まんとしたとき

ぎしり、と、カルヴィーテの身体が蠢いた。
枯れ枝のごとき身体に隆々とした筋肉が生える。
真白き髪は昔日の黄金を取り戻した。
強靭な身体と白銀の鎧は修復され、蒼い瞳に炎が宿る。
その身体は竜の夢。束の間の幻想。
されば人に非ずして、ひとつの神秘の結晶である。
力がより大きな力を前に折れるように、神秘はより強い神秘に打ち消されるもの。
たかが魔女の編んだ魔術ごとき、竜の力におよぶものか――!

呪いを弾き飛ばしヤドリギを引き千切り、凍った世界を蹴散らして、一瞬にして間合いを詰める。
神速の斬撃は魔女の肩から胸を、袈裟切りにした。

「あ――」
ごぼりと紅い唇から血を流す。
「いや・・・・わたし、あなたを」
サカハサは抱きしめるように腕をまわし、刹那の間視線を交わし、
いつものように、虚空へ消えた。

不器用な二人だと、心底思う。
レテ河のほとりでカルヴィーテに引き抜かれ、現世に降りてかの騎士に付き従うこと数十年。
これまでずっとこの二人は、こんなカタチでしか触れ合うことも出来なかったのだ。

****************

気がつけば一人。
気がついてみれば簡単なことだった。
そもそも我が身は竜である。
神が人に課した罪にして試練、そして害悪。
一人でいるのは当然だ。
滅ぶべき悪は、誰からも拒絶されるに決まっているのだから――

****************

そうして、そこにたどり着く。
此処は月にも近く、下界より隔絶されし竜の棲み家。
煌々と輝く満月の下には、赤く輝く鱗の竜が立ちはだかっている。
その巨体は見るものすべてに恐怖をもたらし、狂気の毒をもたらす世界のひずみ。
対するは一人の若者。
黄金色の髪をたなびかせ、鋼の肉体に白銀の鎧を纏い、その手に宝剣サクルタキスを提げたルグブンテ最強の騎士カルヴィーテ・ド・クロワ。

「―――――――――!」
天空引き裂く竜の咆哮を合図に、戦いは始まった。

神速の運びで間合いを詰めて、岩をも溶かす竜の吐息をやり過ごす。
さらに懐に入ったまま宝剣を振りかざし、人並み外れた怪力より生み出される剛剣を魔竜に叩きつける。
「はっ!」
しかれども赤き竜鱗はたやすく斬り砕くことあたわず。その身をに至るにはまだ足りない。
竜も負けじと爪を振るう。
その連撃は技すらも必要としない暴力の極地。その一振りがことごとく必殺の一撃である。
カルヴィーノも渾身の力でそれを弾く。
繰り出す剣のすべてに全力を尽くし、これまで培った技量のすべてを注ぎ込む。
互角などではありえない。ただ両爪を振り回すだけの竜に対して、カルヴィーテは全神経を集中させた剣の奥義を舞わせている。わずかな油断、わずかな狂いで、その身は微塵に砕かれるだろう。
――離れれば死ぬ。
巨体の構造上、懐に入ってしまえば竜はその力を十全に振るえない。勝機はただひとつ。そのときが来るまで、絶対に離されるわけにはいかない。
決死の覚悟で剣を振るい、竜の懐に喰らいつく。

転瞬、身体が浮いた。
自分が吹き飛ばされていると気づいたのは、地面に叩きつけられる寸前。
「ぐっ・・・・」
全身をしたたかに打って激しく咳き込む。おそらくは剣撃の最中、死角よりあの尾で打ち据えられたに違いない。
魔竜を見れば、その顎には赤く輝く灼熱の炎。

「ちい・・・・!」
すんでのところで炎をかわす。
竜の吐息はすべてを溶かす煉獄の炎だ。まともに喰らえば灰も残らない。
しかも己が獲物が剣である以上、どうにかして懐にもぐり込まねば戦いにならない。
必死に炎を避けながら隙をうかがう。しかし少しでも近づこうとすれば灼熱の洗礼が待っている。

ごおう!

目の前に広がる火竜の吐息をぶざまに転がってかわす。
しかし振り向いたとき、すでにそこには竜はおらず――
闇夜を照らす月のあるべき場所に、竜の巨体が鎮座していた。
羽ばたきとともに滑空する。それは一直線にカルヴィーテを目指し、その身体を踏み抜いた。
「が・・・・・・・・・・は―――」
鎧が砕け、べきばきと体中が悲鳴を上げる。さらに振るった竜爪は瞬く間にカルヴィーテをずたずたに引き裂いた。

動かなくなった男を口に運ぶ。筋張っていそうだがかまうものか。ふもとの群れをつぶして以来、久方ぶりの食餌だ。

ついにその牙にかからんとしたそのとき、カルヴィーテが目を見開いた。
「せやあああああああああ!」
たとえ命が尽きようとも、騎士は剣を離しはしない。
好機は今。
最後の力を振り絞り、カルヴィーテは宝剣を竜の口に叩き込んだ。


霞と消えた魔竜の背が守っていたのは、ひとつの小さな洞窟。
壊れた身体を引きずって、騎士は足を運ぶ。


「なあ主殿、ここで引き返す気はないんだな?」
「くどい。何度も言ったろうが」
月の光さえも入ってこない暗闇の中、しかしまるで住み慣れた我が家のようにカルヴィーテは進む。
「まったく。では主殿ともこれでお別れか」
「そうなるのう。・・・長く、付き合わせたものだな」
長い長い小道。その先にあるのは暗闇だけで、一筋の光もありはしない。
「なに、人の一生など我にとっては寸劇だ。だが此度の主は苦労した。ここまで頑固で馬鹿で扱いの悪い主はいなかったぞ」
「ふん。悪かったの」
「・・・・・・いやに素直だな」
「最後だからのう。まあ、その、なんだ、――苦労をかけた」

数十年前の記憶が去来する。群がる死者と幾多の試練を潜り抜け、朽ちたこの身を光満ちる現世に引きあげた白銀の騎士。
共に戦ってほしいと、彼は言った。

「やれやれ、今さら遅いぞ」

細い道を出たところに、少し大きな空間が広がっていた。
だいたい人の住まう一部屋分の大きさ。そこには枯葉が敷き詰められ、一匹の、竜が眠っていた。
先ほどの竜とは違う、馬くらいの大きさの小さな竜。
この竜が、先の魔竜を生み出し――カルヴィーテを生んだ、夢見る竜。
あまりに無防備なその姿。
その様は生贄に似て、神聖にも映る。
それも当然。竜は世界の生贄である。
悪魔と同様、生まれながらにして悪と災いのレッテルを貼られ、それらを背負って死んでいく。
殺されるための生。それを生贄と呼ばずして何と言おう。

すらりと剣を抜く。
騎士となってから、自分は剣を幾度振るってきただろうか。
望む戦いもあれば、望まぬ戦いもあった。
しかしそのすべての戦いの中にあって、自分は確かに騎士であった。
――譲れぬものがある。
理由はただそれだけ。
たとえその先に何が待っていようとも、その誇りだけは譲れない。
煌く白刃を振り上げた。

****************

たった一人になって、立ち尽くす。
あの頃は平気だった孤独が、今は耐え難い。
一度ぬくもりを知ったから。そのせいで、もはや冷たい寝床には帰れない。

そうして私は夢を見る。
思い描くのはあの日の風景。子供を背に乗せ、のどかに過ごす幸せな時間。そこで聞いた、一人の騎士の物語。
ああ、私は災いと邪悪を振りまく竜だけれど。
どうか叶うならば、この夢が、誰かの笑顔になりますように。

********************


伝承に伝わるレグブンテの騎士、カルヴィーテ・ド・クロワの話はこれで終わる。
一説によればその後に倒した竜となったとか、竜の血を浴びたがゆえに完全なる人になったとか言われてはいるが、それは我が知るところではない。

ちなみに我は剣であるがゆえに、今も一人の騎士の腰にぶらさがっている。
主殿は今日ちょうど遠征から領地に帰ってきたところだ。
季節は秋。実りの季節。麦穂は豊かに実り、青空の下、すべてがやさしく色づいている。

そしてあでやかな黒髪の貴婦人が、金髪に白銀の鎧を纏った騎士を出迎えに来た。


その騎士の名は―――


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 もともとサークル賞として書いたモノに加筆・訂正を加えました。誤字脱字があったら報告して欲しいっす。

最終更新:2013年06月13日 00:05