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奇術師

2006年01月02日(月) 02時09分-穂永秋琴

 


 目深にかぶった帽子。男とも女ともつかない声音。すらりと伸びた白い指に、点々と残る傷跡。祭りの市場の端の屋台に座っているその人物は、「奇術師」と聞いて我々が思い浮かべるそのままの姿をしていた。
 奇術師はカードやハトを使ったありきたりの手品を一通り見せると、おもむろにガラスケースを取り出した。続いて、怪しげな雰囲気を台無しにするペットボトル。しかしペットボトルの中身はどろりと濁った赤い液体で、観衆に期待を持たせた。
「トマトジュースです」
 奇術師は言って、観客を失望させた。奇術師は自らその液体を嘗め、見物人の一人にも飲ませて、失望を確固たるものにした。
 それから奇術師はガラスケースを取って、観客の最前列にいた二人組の――一人は眼鏡をかけ、一人は帽子を被っている――少年に見せた。
「これが何かわかりますか?」
 眼鏡の少年が答えた。
「ハマダラカです」
 奇術師はうなずくと、おもむろにケースのふたを開けた。蚊がケースの中から飛び出すと、奇術師は口をあんぐりと開けて、蚊を飲み込んでしまった。奇術師はさらに、トマトジュースを一口飲んだ。
 観客は緊張してことの成り行きを見守った。奇術師は十秒ばかり待って、また口を大きく開いた。小さな蚊が飛びだして逃げた。観衆は喝采した。
 奇術師は続けて同じようなガラスケースを取り出した。今度は誰かに注意して見せなくても、観客には中に何が入っているかはっきり見えた。メタリックな緑色の大きな蝿。
 奇術師が蝿を飲み込む。ジュースを飲む。待つ。口を開ける。羽音を立てながら蝿が逃げていった。喝采。
 続いて奇術師が取り出したものに、観衆は騒然とした。親指ほどもある金色の蜂。刺されれば――想像したくもない。だが奇術師は色を変えることなく、先ほどまでと同様に蜂を飲み込み、ジュースを飲み込み、蜂を吐き出した。危険な昆虫であるから、今度は奇術師は虫が逃げるままにせず、すぐにガラスケースで捕まえ、手元に置いた。奇術師が一礼した。喝采が沸いた。

    ◆

 帽子の少年は自宅に帰ると、奇術師の驚くべき技を試してみようと思った。
 試みに蚊を捕まえ、口に入れてみたが、口中で暴れてうまく飲み下せない。うっかり舌で潰してしまった。血の味がした。
 奇術師は最初に蚊を飲み込んだが、実は蚊のように貧弱な昆虫のほうがかえって難しいのではないか、そう考えた少年は蜻蛉を捕まえてきて飲み込もうとしたが、これは大きすぎて上手くいかない。悪戦苦闘するうちにぐしゃぐしゃに噛み潰してしまった。
 蝿は不潔感があってさすがに嫌だったので、代わりにてんとう虫を飲み込んでみた。今度は上手く生きているうちに飲み込めたので、急いで(トマトジュースはなかったので)牛乳を飲んでみた。口を大きく開けて待っていても生きて出てくることはなかった。
 ジュースを飲んでなお昆虫を生きて逃がすのは難しいのかも、と思い至った少年はジュースなしでてんとう虫を飲み込んでみた。今度は上手くいった。てんとう虫は生きて少年の口から出てきた。
 この成功に意を良くした少年は、雀蜂を捕まえてきて飲み込んだ。一分後、腹部を抑えて暴れまわっている少年を母親が病院へ連れて行った。

 オチが微妙。新年早々こんなものを投稿してどうするつもりだ。
ムロージェックという人の「蝿の呪い」という掌編を読んでいて思いついたもの(しかし内容的には何の関連もなかったりする)。「蝿の呪い」は死にかけの蝿のニヒルな語りがカッコイイ佳作。『象』という作品集に収録されているので良かったら。

最終更新:2013年06月13日 00:13