2005年02月04日(金) 11時26分-木組
プルアロータスの出身村であるランプテロミス村は、まず地図に載らないであろう小規模な集落だ。原始的な狩猟と採集による自活と若干の畑作、そして祭具が転じた工芸品の輸出で、百人にも満たない人々が生計を立てている。王都の富豪なら、小遣い銭で村ごと買えるかもしれない――もっともこんな村を欲しがる富豪などいないだろうが。
今は夜だ。プルの両親も含むほとんどの村人たちが、眠りについているころである。
ところが。
鎧の男は不意に足を止めた。それにつれて、担がれているプルも「ルーニーは僕の心の中に」と言いさしたところで黙り込んだ。シャンプがつぶやいた。
「あんだ? 焦げ臭ぇど。それに風が騒ぎよる」
「え? それってどういう意味――ったった!」
「火事だ!」
叫ぶやいなや、鎧男がプルを肩に乗せたまま走り出した。驚くほど軽快な動きで、鎧を着込んだうえに人間を一人担いでいるとは思われない。石も木の根も軽々飛び越えるので、おかげでプルは散々に揺られ、彼が再び足を止めなければ意識を飛ばしているところだった。鎧男は叫んだ。
「おいガキ! 降りろ!」
「へはぁ?」
プルはうずまく星を目で追いかけていたところだった。意味のある言葉を口にする前に放り出されて、落ち葉の中に顔を埋める。追いついたシャンプが彼を抱き起こした。
「おめ、でえじょぶか。目ぇ白ぇど」
「あー……うー……何とか大ッ」
言葉が飛んだのは、鎧男が爪先でプルの頭をこづいたからだ。
「おいガキ、プルなんとかつったな。起きろ」
プルのほうは後頭部を抱えて悶絶していた。男のほうは加減したつもりでも、鋼鉄のブーツで蹴られれば痛いに決まっている。しかもそこは、レンチヌラ村で目を覚ましたときに椅子にぶつけたところだった。
「しっかりしやがれっての」
痺れを切らしたらしい。男はプルアロータスの襟髪を掴むと、引きずり上げた。
「あれだ。見えるか?」
男は右手で彼方を指した。その指まで鎧われていることにプルは驚いたが、一瞬後にはそれを忘れた。暗闇にいくつもの明かりが見える。それは炎だった。村が燃えているのだ。
「な……」
脳裏をよぎったのは、魔衆と呼ばれるものたちのことだった。彼らが先回りして、村を焼き討ちしたのではないか? 自分はもう関係者で、たぶん向こうにもそう思われているだろうし。いや、それとはまったく関係なく、待ち伏せついでに火を放ったのかもしれない――
「――だ。分かったかっつーか貴様、聞いてんのか!?」
「え?」
顔を横に向ける。男の瞳が火を受け、黒い鉄塊の奥で輝いた。
「聞け、ガキ。私は雑魚を始末してくるから、お前は村人の誘導だ。そこのぼさぼさ頭にも手伝ってもらえ」
「ざ、雑魚って。あれが誰の仕業か分かってるのか……ですか?」
「雑魚だよ」
男は言った。後ろから同意するシャンプの声が聞こえた。
「んだ。ケモノだな。さっきの奴とおんなじだ」
その言葉で、プルは悟ることができた。村の火事は、オオデースの襲撃によるものなのだ。これまでに何度か襲撃されたことがあり、プルも避難したことがある。自警団が火矢で追い払うのが通例なのだが、それが燃え移ったかなにかしたのだろう。
「急げ!」
男が手を離した。プルはしりもちをついて悲鳴を上げたが、すぐに立ち直って走り出した。後ろから二つの足音がついてくるのを聞きながら考える。
避難場所は決まっているし、避難訓練もやっている。不意を突かれた者以外はすぐに逃げ得たはずだ。必要なのは家の中に立てこもっている者の救助と、はぐれた者の捜索だ。前者は無理なので(食い殺されてしまう)、やるとすれば――
「急げ! 遅いぞ!」
顔を上げると、男とシャンプはもうずいぶん先のほうにいた。
途中から崖を滑り降りて、三人は村の中に突入した。いくつかの家が巨大な篝火と化していて、周囲は赤く照らされている。黒い影がそこかしこを疾駆しているが、人の姿はなかった。木々の焼ける音とオオデースの吼え声のせいで、人の声も聞こえない。
「シャンプ! いいい家の中をみ見て回ろう」
プルの声が上ずっているのは、むろん怖いからだろう。シャンプのほうはさほど恐怖の色も浮かべず、真剣な顔つきでうなずいている。
「ごほん、まずはアンブロスス様だ。祭祀堂――というか一番とんがってる屋根の家だよ」
「ん? おめ、お父やお母はいいのけ?」
「ああ。うちの両親、逃げ足は異常に速いからね。それより足を悪くされてる司祭様のほうが危ない」
「わかっただ!」
シャンプが走り出した。半ば以上その後ろに隠れるような形でプルも走り去る。
それを見届けて、鎧男は視線をめぐらした。幾頭かの四足肉食獣はこちらに気づいているようで、剣呑な視線を向けてきている。二人を追うものがないことを確認し、男は胸元の留め金をはずした。バチリと音がしてベルトが緩み、背のフックから槍が外れる。倒れる前に柄を掴んで、男はそれを軽く振り回した。三回転目で静止させ、穂先を四足獣どもに向ける。
「さて……このトリュフォー様に一番槍を付けようって勇者はどいつだ?」
四足獣たちは頭を低くして威嚇の唸りを上げている。そのままなかなか動こうとはしなかったが、うち一頭が仲間を鼓舞するように高く吠え、猛然と地を蹴った。
躍りかかった獣は、しかし跳躍の途中で急に角度を変え、地面に突っ込んだ。続いた二頭めも、甲高い悲鳴を残して背から地に落ちる。瞬速で回転した槍の穂先と石突が、彼らの脇腹を突いたのだ。手練の技だった。
三頭めは跳躍せず、正面から襲いかかった。突きにきた穂先を直前で見切れば、敵に後はない。獣なりにそう計算したのである。果たして敵は突きにきた。獣の優れた動体視力は、暗夜であってもそれを見切った。しなやかに身をひねり、刺突を回避する。
次の瞬間、獣の体は宙に舞っていた。
槍術の一手、巻き落としの応用だ。体勢を立て直す間も与えず、首筋を一撃する。三頭めは横倒しに地に叩きつけられ、動かなくなった。一歩後退し、左右から飛びかかってきた四頭めと五頭めにお見合いさせておいて、トリュフォーは容赦なく槍を振り下ろした。鈍い音が二つ続き、二頭とも沈黙。ほとんど木刀の使い方だ。
それで、あたりは静かになった。
「ちっ……鎧なんぞ着込んでるほうがバカみてぇだな。ったく、技を使うまでもない」
槍を下ろして、トリュフォーはぼやいた。
「行くか」
鎧の触れ合う金属音を響かせつつ、それでいて平衣をまとうかのように軽い足取りで、青年はいまだ吠え声の響くほうへと走り出した。
◆
ランプテロミスが唯一、その辺境の地で誇ることが出来るのが『祭祀殿』だった。だが今やその祭祀殿も、人々がキノコ神に祈りを捧げる場ではなく、紅蓮の炎に包まれ、夜明け前に残る闇を神々しく照らすものへと変貌を遂げていた。
あまりの火力に一瞬躊躇したものの、プルは思い切って祭祀殿の中へと飛び込んだ。以前ならば無理だっただろうが、あの剣の加護だか呪いだかの力があれば、少々の火傷ぐらいならばすぐに治るだろうと踏んでである。
が、
「うひゃぁ!」
情けない声を上げながら、プルは身を硬くした。凄まじい落下音がして、火の粉が散る。
熱い。
火が燃え盛っているだけあって、獣は見かけなかったのは至極当然のことだろう。
問題は、次の敵が火になってしまったということだ。ぼやぼやしていたら丸焼けになってしまう。
「アンブロスス様ぁー!! 何処ですか!? いたら返事してくださぁーい!」
「アンブロスーさまーあ!! 何処とぜー!? いんなば返事せーやな!!」
妙な掛け声をかけながら、シャンプも後をついて来てくれている。いくらか心強いことだった。
「焦げっとぉぜ!! はよいねーばぞよー!! ごーだらけー!!」
――言葉が通じるかどうかは、別としてだが。
「うわっと! じゃ、じゃあシャンプ!」
「むい?」
あっちこっちを、やたらめったら走り回っていたシャンプはキーッとブレーキをかけて踏み止まった。火の回りよりも早いその俊足ならば、とプルは叫ぶ。
「俺はいいから、とにかく、走り回って誰かいないか探してくれ!!」
頷いたのも見えないほど早く、シャンプはその場から消え去った。同時に、二階の扉がバタンと開いた音がした。
「頼んだぞ!」
言いながらプルは、一階の祭壇の奥の扉を目指し、走った。
「外はもう大丈夫だ! 早く逃げろ!!」
ありがとうございます、と言葉を残しながら走る村人たちの姿の中に、まったく似つかわしくない鎧男がいた。
トリュフォーだ。
無論彼は、村人達と一緒に逃げる側ではなく、取り残された人々を逃がすべく駆けずり回る側である。
「お前らで最後か!?」
「ああ、戦士様!! 息子は!? プルはいらっしゃったのですか!? 貴方様がここに来てくださったということは、あの子は――」
「母さん、危ないってば! 早く逃げないと!!」
「あー、」
と、トリュフォーはガシガシと兜の上から頭をかいた。
村に訪れた時、周囲が押しとめるのも聞かず、息子は生きていると言い張っていたあの婦人だ。要するに、プルの母親だ。行方不明になった息子を探しに行くとか言い出したものだから、そんなところに女性が一人で行くのは危険極まりないからと思い、用事ついででよければ代わりに探してきてやると約束して、それでこっちの用事は結局まだ終わってないんだけれども、幸運なことにその息子のプルアロータスとかいう少年は危なっかしい森の中で本当に生きていて、ついでに一風変わった連れもいて、でも今はこの村の惨事を目の当たりにして、逃げ遅れた人々を探して奔走しているだろうけれど、急がないと今度は村の中で死ぬことにもなりかねないと。
そんなこと説明している暇は無い。
「とりあえず大丈夫だ、見付けたからよ」
「本当ですか!? よかった・・・神様・・・」
思わずへたり込みそうになるその母親を支えながら、娘――感じからするとプルの姉だろう――が母親を叱責する。
「ダメだってば母さん! プルが生きてるのにあたしらが死んじゃったらどうするの!? 早く逃げないと!」
それからトリュフォーの方を見て、
「プルのこと、本当でしょうね!?」
と睨む。この場から自分達二人を引き離すための嘘だと分かったら承知するものか、とその目が言っている。
「ったりめーだバカ。感動のご対面をさせてやりたいところだが、状況が状況なんでね――」
言うと同時にトリュフォーは二人を押し退けて彼女達の後ろに立った。ガキン、という金属音が響き、二人の女性は思わずうずくまった。
「立ち止まんじゃねぇ!! わぁったらさっさと逃げやがれ! これは私が片しとくからよ!!」
慌てて二人が駆け出してゆくのを気配で感じ取りながら、トリュフォーは笑った。庇う必要がある人間がいなくなれば、こんな雑魚など一度に十匹相手をしても余裕だった。槍を捻り、柄に食らいついていた獣を地面に叩き付ける。
「さーて、さっさと終わらせちまおうぜ!」
果たして、神官アンブロススはいた。いたのだが――
「おお、プルか」
「ですからぁ・・・僕はまだ死んでませんってば!! ほら! ほら! ほら!!」
「わしにもついにお迎えが・・・いや、長かった。妻が死に、そして息子が病に倒れ、生き残ったのはこの老いぼれだけじゃったからなぁ・・・」
指で祈りの模様をきりながら、アンブロススは何度も何度も頷いていた。
(ダメだこりゃ)
人選が悪かったかなとプルは自分で思った。下手をすれば死んでいると思われかねない自分がここに来たところで、しかもこの状況で、この高齢の神官様が簡単に助けが来たと思えないのは当然のことかもしれない。いや、だからといって死んでるだの云々思われるのはやはりいい気ではないのだけれども。
だが来たからにはきちんと外まで運び出さなければ、本当に焼け死んでしまう。こんなところで焼け死ぬのなんて真っ平ごめんだ。あれだけ大変な目にあったんだから、せめてまともな料理を口にするまでは死ねない。
「よし、じゃあシャンプ、アンブロスス様を頼む!」
「おーさ」
プルの頼みに嫌な顔ひとつせず、シャンプはアンブロススをその背に負った。
「おお、何処へ行くのかね? まだ熱い気がするのは――」
「外です、そーと!! もぉとにかくなんでもいいんで、しっかりつかまっててください!! 行くぞ、シャンプ!」
「うい」
「妻よ、息子よ、今逝くぞ・・・」
「逝きませんっ!!」
背中で何やら祈りの言葉を呟いているお爺さんを無視して、二人の少年は出口を目指し、走った。
早くしなければ、この建物自体が倒壊しかねない。
ジュウウ、という嫌な音と同時に肉の焼ける匂いがして、獣が甲高い悲鳴をあげながら飛び退った。
「バーカ」
焼ける鎧に触ったんだから自業自得だぜ、と軽く鼻を鳴らす。と同時に彼の槍の鋭い追撃を受け、背後からの急襲に失敗したオオデースは、地面に叩き付けられ動かなくなった。
「あーあ・・・ったく、うっとぉしいぜ」
トリュフォーは、性懲りも無く隙をついて襲って来るオオデースを片手であしらいながら、何度目かの嘆きをもらした。
襲い来る雑魚共は言うまでもなく、次第に熱せられているこの鎧も、だ。
「たく・・・無駄な精神は使いたくねぇんだよ私は」
言いながら彼は、手の平に浮かんだ地図のようなものを見た。
基礎魔法の一つ、チェスバンズ――戦局を表示する地図を描く魔法だ。見知らぬ土地での戦闘や、布陣の立て直し、また人探しにも使える優れものだ。難点は、表示中は片手が使えなくなることと、注意力が散漫になってしまうということぐらいか。
彼は目の前に浮かんだ、半透明の地図状の上に光る点々を見ながら思った。
(おおかた片付いたらしいな)
赤い点が敵、白い点が一般人を表しており、村から少し離れた高台にその白い点が集まりつつある。燃え盛る炎まで示してくれるその地図の上では、残っている点はあと七個程度。白い色が一つと、自分を表す黄色い点、後は赤い点がバラバラと。
(ひとつ?)
トリュフォーは軽く首をひねった。先ほど駆け出していったあの少年二人組みはいったい何処へ行ったのだろうか?
あまりのことで身の危険を感じ、避難したのだろうか? それならばそれはそれでいいのだが――自信は無かった。
(チッ、こんなことならもっと魔法をやっときゃよかったぜ)
魔法というものは、術者によって効果が異なってくる。トリュフォーのチェスバンズが必ずしも真実を映し出せるほど精巧でないことは、己が一番よく知っていた。
ともあれ、敵をあらかた掃討した今となっては、いるかどうかも分からない少年二人に村人の捜索を任せっきりにして、自分だけ避難するわけにはいかない。
それに、この炎の中にとどまっているとは考えにくいが、ひょっとするとまだ敵が潜んでいるかもしれない。そうなった時、戦闘能力が期待できない二人はどうなるか――答えは火を見るよりも明らかだ。
というか火が。
黒い鎧を赤く染めるその炎の中、鎧男ことトリュフォーは、積み重なったオオデースの屍を前にして悪態をついた。
それは、「手間取らせんじゃねぇよ」でも、「弱すぎんだよ」でもなく、
「あっちぃ・・・」
という、悲痛なものだった。
そりゃあそうだろう全身鎧なんだからよ、と自分で頷いてみて、指先で目の上に垂れてくる汗を振り払った。
わけあってこんな格好をしているのだが――無論、辺鄙な地に来るから万が一に備えて、というのもあるのだが――それにしても熱過ぎた。
この辺りの獣ははっきり言って、討伐の必要も無いほど弱い。だからといって警戒しなくていいというわけでも、田舎の村は襲わせておけばいいというわけではないのだが。とはいえ、鎧着ている方がバカみたいではないか。
熱い。
ただ熱い。
『鎧』が。
火に熱せられた金属製の鎧は当然の如く熱を帯び、卵を落とせば焼けるほどに熱い。といっても、かつて戦った竜の類が発する息(ブレス)に比べれば何と言うことは無い――のだが。
熱いのには変わりが無い。
だが幸い、まだ辺りは薄暗い。むしろ、日が昇る前に不気味にはびこる暗闇のおかげで、この火の中においても、少し離れれば驚くほど視界が悪い。普段ならば舌打ちの一つでもくれてやるところだったが、今回の場合は勝手が違った。
(これならば・・・いけるかもな)
トリュフォーは軽く息を漏らすと、己の頭に覆いかぶさっている兜に、手をかけた。
一生のうちの幸運が一度にやって来るのはいい。まぁ、後は不幸しか残っていないからがっかりするかもしれないが、それでも、一生のうちの不幸が一度にやって来るのは絶対に嫌だ。
村祭りのために森で遭難して死に掛けること然り。
妙な村について介抱と言えない介抱を受けること然り。
聖魔剣とかいう妙なものの愛を受けること然り。
魔衆とかいう妙な連中に目をつけられること然り。
要するに、妙な英雄譚に巻き込まれること然り。
でもって、村が火事になって死に掛けること然り。
つまり、この先に幸運しか待っていないからといって不幸が一度に押し寄せてくるととんでもないことになってしまうのだと、プルは否が応でも理解せざるを得なかった。
というかどうすれば生き延びられると?
「あわわあわわ・・・ど、どうしよう?」
情けない声を上げながら、プルはジタバタと無駄に足を動かしていた。
入り口だったところが、すっかり塞がれてしまっている。しかもかなり長い距離を。
蹴破ったりどかしたりして動かせるようなものではないし、他の退路も同じようなものだ。
「プルよぉ、ま、ちーつけ・・・じゃね、落ち着けいな」
「落ち着けないってば!! どどどどうすれば出られるんだ!?」
「死ぬ前に渡るのは川だとばかり思っておったが、まさか火の川だとは――」
「アンブロスス様は黙ってて!!」
そうこうしている間にも、炎は勢いを弱めない。本当に焼き死にしかねない勢いだ。というか蒸し焼きだ。
「うー・・・せめて火が消えれば・・・もう無理だけどさぁ、消えれば・・・」
「プル、いっか?」
「何?」
いらいらとせわしなく動き続けるプルとは対照的に、シャンプは落ち着き払ってこう言った。
「そら・・・オラなら出来っかもべ」
トリュフォーは、不慣れな田舎道を走っていた。炎で辺りが赤く染まり、様々な物が燃え盛り、たとえ村の住民であっても迷いかねない状況ではあるのだが。
とにかく、彼は尖った屋根をした、村の一番奥まったところにある建物を目指した。茶髪の少年が言うのが確かならば、二人はそこに向かったはずだ。
それにしても、やはり視界が広いというのはいいものだな、とトリュフォーはちらと思った。
先程まで彼の顔から頭を全て覆い隠していた金属製の防具は、今は彼の背に括られていた。
ただひとつ問題なのは、顔を見られると非常にまずいことになりかねないということだ。辺鄙な田舎村で自分の顔を晒すのでも抵抗がある。出来れば薄暗いうちにけりをつけて、火を消してしまいたい。そうすれば、気兼ね無く兜をかぶれる。
「・・・チッ」
彼はふと足を止め、何度目かの舌打ちをした。
燃え盛る炎に負けじと、目を爛々と輝かせながら彼の行く手を阻む獣がいた。オオデースの生き残りだ。仲間があらかたやられてしまったというのに、何故留まっているのだろうか。
だが彼が考えるよりも早く、敵は捨て身の一撃を狙って飛び掛ってきた。慌ててしゃがみ、振り返りつつ体勢を整える。これが生死を賭けた戦いでなければ、抜群のコンビネーションで彼の頭を獣が飛び越えたことになる。
見世物にしたらうけるかもな、思いながらトリュフォーは二撃目を捻ってかわした。逃げ遅れた黒髪が少々、獣の爪にやられたらしく、ひらひらと宙を舞った。
(これだから長髪は・・・)
自分の髪型に突っ込みを入れつつ、トリュフォーは三撃目をかわすと見せかけて、そのまま獣の首根っこを槍で突いた。鈍い手ごたえがして、獣は地にどうと落ちた。口から泡を吹いている。
(意外と時間をとっちまったな)
急がねぇと、と手負いの獣にとどめを刺さずに走り出そうとした彼の目に、信じられない光景が飛び込んできた。
「んなッ!?」
首をあり得ない角度に曲げたまま、手負いの獣が立ち上がったのである。その口からはだらしなくよだれが、ただし赤い色をしたよだれが、ダラダラと垂れている。
「有り得ねぇ・・・」
言いながら、トリュフォーは槍を構えた。通常、獣というものは本能が強く、生き残るために傷を負えば尻尾を巻いて逃げ出すものが多数だ。だから敢えて追うこともしない。一度酷い目に遭った獣は、もう二度と民家を襲おうとは思わないからだ。この田舎村の自警団が、火を使って追い払えるぐらいの獣でなければ、こんな地図にも載らないような村などあっという間に全滅していることだろう。
だとしたらこれは何事だ?
瀕死の重傷を負い――まさかもう死んでいるのに動いているのか――それでもまだ敵に向かってくることなど、あり得はしない。せいぜい、残り少ない命を惜しみ、敵から逃走を計ることしかしないはずなのだ。
獣が、土を蹴った。
折れた足にもかかわらず、驚くべき跳躍力で、トリュフォーの頭を狙う。
だが、
「何度も同じ手を使ってんじゃねぇぞ!」
今、己の何処が弱点となり得るのかを既に知っていた彼にとって、獣の動きを読むのはわけ無いことだった。無論、この点にまだ獣らしさが残っていたから出来た芸当ではあるのだが。
「・・・・・・」
ピクリとも動かなくなった獣の死骸を見つめながら、トリュフォーは押し黙った。
(何か起こってんのか? だとしたら、何が?)
だが、考えている暇は無かった。彼は顔をしかめると、再び駆け出した。今にも崩れそうな、祭祀殿へと。
力は誰かを助けるためにある。
少なくとも、自分はそう信じてきたし、きっとこれからもそう思い続けるだろう。
そのための、力なのだと。
自分が選ばれたのであれば、それは宿命であれ偶然であれ、成すことに変わりは無い。
シャンピニオンは目を閉じ、剣の声を聞いた。音でも光でもない、口にすることが出来ない妙な感覚が自分に語りかけてくるのを感じる。
シャンピニオンは己の周囲にまとわりつく熱に向かって心の中で叫んだ。
消えろ、と。
水で消すイメージではない。
風で吹き飛ばされるイメージでもない。
火が勢いを弱め、薪をくべなければ燃えないような状態になるイメージ。そして、炭の中に逃げ込み、空を燃やすことが出来なくなってしまう火のイメージ。
もっと強く思え。
もっと、もっと。
そうなることが当たり前であるかのように、もっともっと強く念じろ。
全部、消えろ。
「なな、何だ!?」
プルは己の両手が赤く光るのを感じた。剣を握り締めて瞑想にふけっているようにも見えるシャンピニオンの腕に、彼の村で見たときのような刻印が浮かび上がってきている。燃え盛る炎よりも紅く、それでいてあの時よりもよりはっきりとした刻印が。
だが、プルが驚いている時間はそう無かった。
剣の先に組み込まれている宝珠が赤く輝いたかと思うと、その赤い光に押されるかのごとく、炎が見る見るうちに勢いを弱め、ふっと消えてしまったのだ。
まるで、今しがた自分が見たものが幻であるかのように。
「! シャンプ!!」
ゆるゆると、彼の内に炎が吸い込まれていくような、そんな感じがした。見えた、とまでは言えないが、何かそんな感じがした。だが思うよりも早く、シャンプはガクッと膝をついた。慌てて駆け寄る。
「んあ・・・火ぃ・・・消え・・・とぉ?」
虚ろな瞳で、シャンプはプルを見た。
「え、ああうん、消えたよ。何か・・・こう、ふっと」
今にも倒れそうな彼の体に触って、思わずプルは手を引っ込めた。
熱い。
炎よりも、ずっと。
清々しい気と、禍々しい気が同時に押し寄せてくるような、不気味で神聖な感じを受けながら、プルはシャンプの手に握られた聖魔剣リシーサを見た。それはまるで生きているかのように見える。胎動し、今にも剣という名の殻を押し破りそうな気配がする。そして同時に、それが決して無い抜け殻のような、死の気配もあった。
ただ分かるのは、さっきの奇跡はこの剣の力だということ。
剣の先に組み込まれた宝珠が、まだその透明な身の内に、炎の赤をゆらゆらと蠢かしている。
「よし、じゃあ逃げよう! ここにいたら崩れちゃうかもだしさ」
意を決して、プルはシャンプの両肩を支えて立ち上がらせた。腕の真を焼くような感触に涙が出そうになったが、歯を食いしばって耐える。自分が感じた以上の何かが、彼に圧しかかっているのは間違い無かった。
「でぇ・・・じょぶ・・・だぁ・・・」
「あああ、アンブロスス様、た、立てますよね!?」
「おお、奇跡じゃ・・・」
「てなわけで、はは、早く出ましょう、ほら危ないし!」
アンブロススのボケを無視して、プルはとりあえず蹴破ってでも出られそうな場所を探した。シャンプがこの状態だし、爺さんは当てに出来ないし、だとすると自分がやるしかない。
でも、どこから?
「えーと・・・」
燃えて脆くなっていそうだとはいえ、やはり木材は硬い。
(蹴ったら痛そうだな、いや、それで穴でも開けばいいんだけれど開かなかったら無駄蹴りだよな・・・でも何とかして穴を開けないことには逃げられないわけで――)
プルがブツブツと考え込んでいると、
バギイィ!
「うわぎゃああ!!」
プルの目の前の壁が爆発した。
(ああもう終わりだもうこの祭祀殿も崩れちゃって自分は生き埋めになって死ぬんだというか死ぬ前にもう一度まともなご飯が食べたかったな――)
「――ってオメェなぁ、聞いてねぇだろ人の話!!」
「え?」
恐る恐る目を開いてみると、そこにはあの鎧男がいた。
「ひ――」
「叫ぶなわめくな、うっとおしい!」
プルが叫ぶよりも早く、男が後頭部を小突いた。目の前に星が飛ぶ。くどいようだが、そこは椅子をぶつけた上にこの鎧男のブーツで蹴られたところなのだ。しかもこの人、手甲もしているから痛いの何の。
だが青年は自分のせいでプルがうずくまってしまったのだということには全く気付かずに、
「男ならそのぐらいの痛みは耐えやがれ! たく、軟弱だな」
(誰のせいだよ誰の!?)
プルは無論、心の中でそう突っ込んでおいてから、頭を押さえて立ち上がった。後頭部は手でしっかりとガードしてある。これ以上ぶつけたら頭が悪くなりそうだ。
「とにかく、私があけた穴からさっさと出やがれ!」
「ふぁい・・・」
プルは彼に決して背後を見せないようにしながら、ずりずりと穴を出た。
トリュフォーは、見た。
金髪の方の少年が、その背丈ほどの剣を持っているのを。そしてそれは、あの『聖魔剣リシーサ』と同じ特徴だった。彼の目は節穴ではないのだ。
(まさかこんなとこにあったとはな・・・)
そう考えれば、大体の説明はつく。何故獣が凶暴化したのかも、何故炎が一瞬で消えてしまったのかも。
だが、彼が説明を求めようとする前に、金髪は爺さんを負ぶって避難所へと駆けて行ってしまった。
と、その時目にはいったのが、あの、茶髪の少年プルア何とかだった。
ご両親には悪いが、感動の再開はもう少し先延ばしだ。その前に聞きたいことと、言わなければならないことがある。
「おい、ちょっとお前」
「・・・」
無視する気だ。そうはいかない。名前でも呼んでやろう、確か――
「おい、プルアロータス」
「・・・はい?」
ぎこちなく、彼は振り向いた。いつでもそうだが、こういう田舎のほうに来れば来るほど、自分のこの格好のせいだろうか、やたらと警戒される。そりゃあ、全身鎧で顔が見えないから仕方が無い。そんな奴を信じろというほうが馬鹿というものだ。まぁ、警戒されようとされまいとどうだっていいのは確かなのだが。
ともかく、トリュフォーは言った。
「ちょっとつきあえ」
相手が硬直したのが手に取るように分かった。
(しゃーねぇ、兜無しで喋るか)
こんな場所で、自分の素性を知ってるヤツなんかいないだろう、とトリュフォーは彼なりに、相手を思い遣ることにした。もちろん、相手のプルはそんな気遣いなど、全く気付いてはいないのだが。
「――で?」
「・・・」
あらゆる所から妙な汗を噴き出しながら、プルは黙っていた。きっと運が悪かったのだろう、あんなことがあって無事に逃げ出せると思いきや、自分で脱出することが出来ずに、鎧男が助けに来てくれたのはいいのだが、その彼に説明しろと捕まってしまったのだから。ちなみに、無事だったシャンプの方は、アンブロスス様を村の避難所まで連れて行ってしまっている。多分彼の方が大変だと言うプルの言葉を無視するように、彼は大丈夫だを連発してついでに腰を抜かした爺さんを負ぶって行ってしまったのだ。あの足を活かして一刻も早く戻って来てくれることを願うしかない。
その鎧男ことトリュフォーは、舌打ちをしながら、棒のように立ち尽くしているプル頭を槍の石突で小突いた。
「だから黙ってたら分かんねぇだろーが。言え。ありゃ何だ」
しばらくの沈黙。
「・・・燃えカス?」
「物体は見りゃあ分かる。いいか、私が聞きたいのは“何が起こったのか”だ」
夜明けの陽光に照らされ、村は悲惨なその状況をあらわにしていた。ぽつぽつと、巨大な炭と化してしまった建物が、以前の面影も無く立っていた。
だが、村が全焼しなかっただけ幸運だった。何よりも、人の被害が無い。家は立て直すだけだし、その間は少々不便になるが、復興にはそう時間はかからないだろう。燃えたのは村の一部だけだった。
それもこれも、あのリシーサとかいう聖魔剣の力のおかげなのだろう、とプルはひっそりと思った。
もうダメかと思ったあの時、シャンプが見せたあの力。
剣の先端に据えられた宝珠が赤い光を放ったかと思うと、同時に火の勢いが弱まり、あれよあれよという間に消えてしまったのだ。
そう、まるで剣に炎が吸い込まれてしまったかのように。
だが言っても信じてもらえるのだろうか。
おずおずと、プルは青年を見た。顔も煤で黒かったが、髪の毛も瞳も真っ黒だ。この辺りでは全く見ない特徴だ。旅をしているのは見れば分かるが、異国の人か。煤で黒くなってしまってよく分からないが、あまり、その、怖い顔というわけではなかった。それもまだ若く見える。想像していたのよりはずっとまともな顔だ。いや、想像した顔がまともじゃないのは分かっていた。だがこの顔はどちらかというと、荒くれ者というよりは一匹狼の傭兵、といった感じだった。いや、両方とも見たことは無いのだけれど、感じとして。
だとすれば、喋れば分かってくれる――かも。
「あの・・・戦士様?」
と、青年は口を開き、
「様は余計だ」
と言った。
案外気さくな人かもしれないぞ、いやだがまだそう決め付けるのには早い。“戦士様”と呼ばれるのが嫌なだけかもしれないのだから。
プルはもう一度声をかけようとして、どうかければいいのか困った。“様”は要らないと言われたが、だとすればどう呼べばいいのだろうか。思い切って――
「・・・戦士?」
「――それも妙だな」
(あ? 怒らなかった)
プルはひっそりと笑った。いきなり怒鳴り散らす人というわけではなさそうだ。口は悪いが、話せばきっと、分かってくれる――と願いたい。また小突かれるのはゴメンだ。だがあれを信じてくれるのか?
その彼は、煤だらけになった真っ黒な顔でしばし考えていたが、
「まぁ、私の呼び方なんざどうだっていい。それより何だ? 言いたいことでもあるのか?」
結論は先延ばしにしたようだ。プルは一呼吸置いてから返す。
「あの、あれは――」
グゥゥウウ
凄まじい音が自分の腹からして、プルは思わず腹を押さえた。そういえば最近口にしたものはリンゴだけだったとプルが思っていると、彼は苦笑いを浮かべながら、こう言った。
「ま、ひとまずはメシが先か」
だがプルが助かったと思ったのもつかの間、彼はこう続けた。
「それに、食いながらでも話は出来るだろうしな」
◆