2005年02月11日(金) 11時25分-逢風
俺――朝丘テルマサ(19)下宿生、独身――のもとに、その小包が届いたのは、13日の金曜日……ではなかったが仏滅だった。
なになに……「透明人間になれる薬」……?! コレが?
ワープロ打ちの小さなメモ用紙を読んだ途端、俺の頭の中はミキサーでかきまわされたかのように、いろんな思いがぐるぐる飛び交い始めた。緑色の液体が入った手の平サイズのガラスびん1つと、そのメモ用紙を包んでいた茶色の包み紙はまっさらで、宛先も送り主の名も何も書かれてはいない。
一体誰がこんなものを? これを飲めば透明人間になれる、というのは本当なのか?! もし本当なら、昨日俺のカンニングをチクった橋田の野郎を真正面からぶん殴ることも、弱いくせに、いや、きっと弱いからこそよく怒るメドゥーサ吉村の講義中にポルターガイスト現象起こして休講にすることも……いやいや、そんなことより、まずは憧れの弓原さんちに潜入、だな。同じゼミで半年近く肩を並べた身でありながら、シャイな俺はなかなか話しかけることができず……そんな俺にこんなビッグチャンスをくれるなんて……! あぁ、神様仏様天皇陛下様イエス様アッラー様ヤハウェ様シヴァ様ヴィシュヌ様オーディン様ゼウス様……ありがとう! この薬さえあれば弓原さんのお部屋やナマ着替えや……(妄想中略)……とにかく彼女のことは何でも知れちゃうってワケだ。ムフフ。よ~し、早速いただきま~す……。
……いや、まてよ。本当にこんなもので透明人間になれるのか? 毒々しい緑色の液体はこころなしかドロッとしていて、びんの底からは小さな気泡が怪しげに湧き上がっている。コルコ栓を抜くと同時にあたりに漂った腐敗臭。一目見たときはメロンソーダのようなものかと思っていたが……これは人間が口にして大丈夫なものなのだろうか? 橋田か関口あたりに毒見させるか……いやいや、それで相手が本当に死んじまったら、俺は殺人犯になっちまう。それは困る。そもそもこの薬、誰がどーやって作ったんだ? なんで俺のところに届いたんだ? ……まさか生物実験担当の富永じゃないだろうな。アイツ、授業のないときでも常に実験室にこもって人体実験してるってウワサだからな。10年前うちの学校で起こった、全校舎を巻き込んでの大火災は、アイツがほれ薬を作るためにガマガエルを火あぶりにしてたのが大元だって聞いたことあるし、アイツの前髪がチリチリしてるのは、いつも実験に失敗してるからだってみんなが言ってる。富永なら、こんな薬作ってても、郵便局を介さず直接俺んちのポストへこいつを放り込んでいっても不思議はない。アイツんち、このあたりにあるらしいからな。アイツ、先期単位くれなかったし、俺に何か恨みでもあるのかな。……うげぇ、もし予想通りだとしたら、こんなの飲めっかー。第一、もしこれが完成品で、本当に透明人間になれる薬だったとしても、透明人間になるってことは人体の突然変異……というか、本来ならありえないことで、それなりのリスクは覚悟しなければなるまい。……やっぱり飲めない。
俺はメモとガラスびんを包み直すと、風が吹くたびにギシギシと悲鳴を上げる、たてつけの悪い窓を開けた。このおんぼろアパートの裏には、日の当たらないじめじめした細道を挟んで、とっくの昔につぶれた風呂屋の残骸があるだけだ。滅多に人の通らないここなら、薬を捨てても被害は大きくならないだろう。危険ゴミとして収集日に出すことも考えたけど、それまで自分の手元に置いておかなければならないことを考えると、はっきり言って恐ろしい。こんな得体の知れないもの、早く手放さなければ。そう思いながらも、包みを握り締めた右手は後ろに引かれた格好のまま、宙で止まっている。……もしもこの薬が本物だったら? 俺は弓原さんのことを知り、もしかしたらお近づきになれるチャンスまで棒に振ることになるかもしれない……。やはり俺の元に届いたものなんだ、こいつは俺が……捨ててやるっ!!!
俺は薬の入った包みを掴んだ右手を、思いっきり窓の外に投げ出した。茶色い包みは綺麗な放物線を描きながら、もとは駐車場だったであろう荒れ放題の草原に姿を消した。……これでよかったんだ。
次の日。俺は朝から高熱を出し、自主休講してアパートで大事をとっていた。「またサボリかよ」という悪友たちからのメールに、「いや、熱があって」と返せば、「また仮病かよ」と返ってくる。オオカミ少年の気持ちがよくわかった。しかし、健康だけがとりえのこの俺が熱出してくたばるなんてな。昨日、あの薬のことで久々に頭フル回転させたせいかもな。……どうなったんだろう、アレは。手放したら忘れられるかと思ったのに、かえって気になって仕方がない。一人ぼっちで熱を出して寝込んでいるのは心細い上に、妙に人恋しさを誘う。……弓原さんに会いたい。
“ピンポーン♪”
……誰だ? いくら人恋しいからって、セールスや課題の宅配便とかはお断りだぞ。
俺がゆっくりとベッドから上半身を起こした、その時だった。
「こんにちはぁっ。朝丘くん、大丈夫?」
! こ、この声は……弓原さん!? マジで!?
俺は反射的にバネ仕掛けの人形みたいに勢いよくベッドから飛び降りていた。倒れていたゴミ箱を元に戻し、雪崩を起こしていた本の山を綺麗に積み直し、床が見えないほどあちおちに散乱していたプリント類を一ヶ所にまとめる、これらのことを10秒で終わらせ玄関に走った。玄関のドアを恐る恐る開けると、そこに立っていたのは紛れもなく、夢にまで見た弓原さんだった。……うおお~!!(吠)
「朝丘くん、今日お休みしてたでしょ。熱? 大丈夫?」
全然ダイジョーブ、君に会えたがためにヒートアップしてるだけで、心は元気そのものさっ! それにしてもなんだ、俺のこと心配してわざわざ家にまで来てくれるなんて……もしかして彼女も俺のこと……!
「あのね、すっごくよく効く解熱剤拾っ……う、ううん、買ってきたんだ。ハイッ!」
彼女がにこやかに差し出したのは、見覚えのある小びんだった。
彼女のことが知りたい――俺の願いは一瞬で叶えられた。