2005年02月17日(木) 00時07分-水組
設定
キエ 54歳女
ヤヘエ 28歳男 キエの息子
ラン 18歳女 ヤヘエの妻
1500年代信濃の山奥貧しい3人暮らし。今年は飢饉で飢え死にしかけ。
(1)ため
腹減った…… 。ここはすまんが母さんを食べるしかないのか…… 。ヤヘエは空腹で極限状況に達していた。
(2)百川
「母さん。悪いがオラ達若人のためにエサに―― 」
言いかけて、ヤヘエは言葉を失った。母キエが赤さびの浮いた鉈を手に、ランにのしかかっていたのである。
(3)伊吹
「母さん!? 」
ヤヘエはとっさに母の鉈を奪いとった。キエはわずかに抵抗したものの、若者の力にはかなわない。
(4)頼堂
突如、キエの腕から鉈がすべり落ちた。
「やっぱり母さんにはできへんねん」
「そういうキエの目が大きく見開かれた。倒れるキエの背後でランが笑った。
(5)バーネット
「ラ、ラン? 」
ヤヘエは目の前で起こっていることについていけずぼう然とした。そこにいるランは間違いなくランであったが、ランではなかった。
(6)百川
「お、おめェ…… 」
倒れ伏した母の背と、笑みを浮かべる嫁の顔を見くらべ、ヤヘエはうめいた。ランは低くうなると、キエの脇へ、一歩足を進めた。ヤヘエは下がる。
「も、もう出てこねェはずじゃぁ……! 」
(7)伊吹
ランは笑う。ただ、笑っている。がさがさに乾いた唇をつり上げ、落ちくぼんだ目に異様な輝きを宿らせて。その手には小さな包丁が握られていた。赤い血にぬれた包丁が。
(8)頼堂
そろりそろりとランは迫る。逆手に握られた包丁を徐々に振り上げていく。ランは咆哮した。後ずさるヤヘエの背が壁に付いた。
―― もうだめだ。ヤヘエは目をつぶった。
(9)バーネット
1秒、2秒、3秒……
まだ何も起こらない。だが本当に何も起こっていないわけではない。ランが目の前に迫っているかもしれないし、今まさに刃をヤヘエに突き立てようとしているのかもしれない。
(10)百川
空腹感などで霧消していた。風を切る音。かすかな冷たさが頬にとどいた。そして…… 鈍い音。うめき声と悲鳴。
「お逃げ! 早く! 」
苦しげに叫んだのは、母のキエだった。半身を起こし、右手でランの足首をつかんでいる。ランは引きずり倒され、土に包丁を突き立ててもがいていた。
(11)伊吹
ヤヘエはぼう然とした。母さんが、オラがエサにしようとした母さんが、オラを助けようとしている……。
ふと、母の横に落ちた鉈が目に入る。はじめにキエが手にしていた鉈。ランを…… 違う。ランに巣くうモノを抹殺するために、老いた母が持ち出した重い武器。
…… ヤヘエは引かれるように、鉈に手を伸ばす。古びた鉈は妙に手になじんだ。ランはまだもがいている。必死にこちらを見上げる母の眼差し。
ヤヘエは鉈を振り上げた。重みを生かし、ランの頭上へ――
ヤヘエは目を覚ました。夕飯の匂いが台所からただよっていた。
―― 完 ――