2006年12月14日(木) 22時33分-鴉羽黒
*
十二月の凍えた風の吹く街の中、僕は人を待っていた。
午後一時少し前、昼休みを終えて仕事に戻るサラリーマンたちが、僕の視界を横切っていく。 彼らに未来の自分の姿を重ねてみると、少し鬱になる。もっとも、そうなるまでにはあと少し余裕があるけど。とりあえず今は、平日の昼間からこうして人と待ち合わせをしていられる身分だ。
時計を見る。時間は一時五分前。約束まであと五分だから、実質はあと三十分弱というところか。
人を待つのは得意である。得意というか、むしろ好きだ。
といっても、暇をつぶすのが得意なのではなくて、待ち合わせのときの、独特のそわそわした感じが好きなのだ。何をするでもなしに道行く人を眺めたり、辺りを見回してみたり。用もないのに時計を何度も見てみたりする。ま、大概はぼーっとしているのだが。
「水町」
「え?」
予想よりもずいぶん早く声をかけられて、まさかそんなはずはないと考えるのと、そもそも待ち人の声ではないと気づくのが同時だった。
顔を上げると、そこに高校の頃の友人の顔があった。
「…あれ、稲沢じゃないか」
「久しぶりだな。…しかし珍しいな、こんなところで」
稲沢がそう言ったのは、ここが僕らの地元とは電車で三十分ほど離れた街だからだろう。
「一応矢門市内の大学に通ってるんだから、まあたまには来るさ。稲沢は、こっちに下宿してるんだっけ? この辺?」
「まさか。もっと郊外の方だよ。まあでも、大学には近い」
「なによりだな」
稲沢は僕にならんで、噴水の縁に腰掛けた。
「ここにいるってことは、稲沢も待ち合わせなのか?」
「そういうことだ。一時にここでな」
僕らが腰掛けている噴水は、この都和木町で有名な待ち合わせスポットだ。
円形の泉の四方に十字架のオブジェが建てられ、中央の水が吹き出すところは塔になっていて、頂上に細長い八面体のオブジェが飾られている。その名を、『回復の泉』と呼ばれている。このあたりの美大の学生の作品らしいが、詳しくは知らない。
「…しかし水町、そのマフラーはまずいかもしれんな」
「ん、これ? なんで?」
稲沢は僕の巻いているマフラーを見て苦笑した。別にどうってことない普通のマフラーだ。強いて特徴を挙げるなら、手編みであるということと、編み主の「毛糸が余るのがもったいない」発言によりちょっとばかし長くなってしまったことくらいだと思うのだが。
「いや、長いだろそれ」
見事にそのうち一つにヒットしてしまった。
「ツミカズのやつがな、なんか長いマフラーがトラウマになったとか何とか」
「…意味わかんないぞ?」
「俺も知らん。アキトがなんか事情を知ってそうだが、名誉のためだとか言って話そうとしないしな」
「…まあ、なんかあったんだろね」
「ま、そうなんだろうな」
一拍置いて、僕らは同時にため息をついた。
ちなみに。ツミカズとアキト――黒須積和と末光観人の二人は、稲沢と同じ、高校の頃の友人である。
「あれ、じゃあ待ち合わせの相手はツミカズか?」
「そうだ。あとアキトもな」
「――なんだ、男ばっかだな。つまんねーやつらだ」
その声は、僕らの背後から聞こえた。
「あれ、――ああそだ、九里村先輩だ」
「…なにやってんスか? こんなことで」
「おまえら先輩を見る目が冷たいぞ」
現れたのは、高校時代の先輩だった。もう何年も会っていなかったので、名前を思い出すのに苦労してしまった。
「おまえらと同じ待ち合わせだ、待ち合わせ。そしておまえらと違って、デートだ。ふふん」
あら。強く望み・常に行動に移し続けつつも、僕の知る限り十八年は叶わなかった願いがついに叶ったのか。おめでとう、おめでとう先輩。
驚いた僕とは対極的に、稲沢の方は至極平然としていた。同じ大学らしいから、すでに知っていたのかもしれない。
その稲沢が口を開く。
「冬陽、結局どっち買うことにしたんスか?」
「PSPだ。あのヤロー、どうせなら高い方にするとか抜かしやがった。普段はぼうっとしてるくせになんでそんなとこで――」
言いかけた先輩、アイスコーヒーだと思って飲んだ液体が炭酸の抜けたコーラだったときのような顔をした。
ちなみに、冬陽というのは先輩の弟である。 中学生くらいのはずである。
「…まあ、そんなことはどうでもいい」
「あと十分待って冬陽が来なかったら俺がPSP買ってあげますよ」
「…なぜだ。俺の演技は完璧だったはずなのに」
「こないだ弟との賭けに負けてDSかPSP、半額出す羽目になったって愚痴ってたじゃないスか」
「おまえな、ほんの数分くらい先輩に花を持たせてくれてもいいだろ」
どうやら、先輩の待ち合わせ相手は本当は弟だったようだ。
「冬陽、中学はテスト期間か何かですか?」
「今日が最終日だと」
ガラス張りの嘘がバレた先輩は、半ばやけになって大げさに空を仰いだ。
「ったくよー、男三人集まって、さらに待ってるのが男男男って、なんだよそのむさくるしい絵は。この寒いなかに」
「知りませんよ。勝手に先輩が入ってきただけじゃないスか」
先輩と稲沢が話している横で、僕は苦笑いをしていた。するしかない。
「そろそろ時間だな。…お、あっちから来るでかいの、あれ黒須だろ?」
「みたいですね」
積和はいつも時間ぴったりに来る。観人も時間に遅れる方ではないから、すぐにやってくるだろう。冬陽がいつ頃来るからわからないが、先輩が待ち合わせよりそう早く来るとも思えない。
僕の待ち人は、遅刻常習犯である。だから、みんなと鉢合わせる確率は低い。
(………大丈夫、バレない。問題ない)
冬だというのに、僕の背中はじっとりと汗を吹き出ている。
そうしているうちに、積和がやってくる。
「…ん、待たせた」
「時間ぴったりだ、問題ない」
「…? 想太と、九里村先輩?」
「相変わらずだな、黒須」
「…想太、趣味悪くなった」
「ああ。やっぱり駄目だったか、そのマフラー」
「――うわ、なにごとだよ、ぞろぞろと」
「末光か。お前もきっと、灰色の青春を続けているんだろうな…」
「ちょ、会うなりなんですか夏雪サン。しつれーな」
「間違ってはいない」
「そうだな」
「朴念仁二人に言われたかねーよ!」
「…稲沢さん?と、…この人たち、誰?」
「ん、トーヨー。迷わずに来れたか?」
「あのさ、僕もう中学生だよ。子供扱いすんなって」
「もうなにがなんだか…」
「――やった、一時四分! 奇跡の新記録じゃないのこれ?」
バスとテノールの飛び交うなかに、不意に甲高いソプラノが割り込んだ。
悪夢である。
「よ、そーた。惚れ直した?」
そして、そのソプラノの声の主は真っ直ぐに僕の元へやってくる。初めて十分以上遅刻しなかったことがうれしいのか、満面の笑顔の千石佳衣――僕の待ち人、でもって彼女。
男ばかりが六人も群がった場に、ぴょこんと女の子が一人。水を打ったように皆が静まりかえり、視線がケイに注がれる。ケイはそれに全く気づかずに、にこにこしている。
これがいわゆる、嵐の前の静けさというやつか。
「やあケイ早かったねさあ行こう今すぐマッハでとにかくここから離れよう!」
「え、なに、どしたん?」
困惑するケイの腕をとり、全速力でその場を離れようとする僕。
「や、もうすぐ台風がだな――」
「まあ待て水町君、せっかく久しぶりに会えたって言うのに冷たいじゃないか」
「そうだよ想太君。俺ちょっと君と話したいことがあってさぁ」
努力もむなしく、僕の両脇は九里村先輩とアキトにがっちりと固められてしまっていた。
「ん、なに? この人たち、そーたの知り合い?」
「いや、赤の他人だ。襲われる。助けてくれ」
真顔で僕は言うが、九里村先輩とアキトは笑顔でそれを否定する。悪魔の笑顔である。
「えーと、ケイちゃん? ごめん、ちょっと水町借りてくよ」
「なに、すぐ済むさ」
「ああ、はい。えーと、どうぞ?」
よく状況を飲み込めないままで、とりあえず申し出を受け入れるケイ。ああケイ、素直なのはいいことだけれど、もうちょっとこう恋人の危機を感じ取ってくれてもいいんじゃないかな。
「そーたー、わたし、待つのは苦手だから早く戻ってこないとちょっとひどいよ?」
あ、台風追加。…四面楚歌?
「よかったなぁ水町、優しい彼女で」
「うらやましいじゃねえかこのやろー」
「おい、ちょっと…! 稲沢! ぼうっと見てないで止めてくれよ!」
「知ってるか、水町。俺の周りには、少しばかり変わった女しかいないんだ…」
遠い目の稲沢。いや、知らんよそんなの。
「え、あ、ちょっと…! 僕がなにをしたって言うんだー!?」
わめく僕に、ついに九里村先輩は仮面の笑顔を捨て去り、
「うるせえだってお前幸せだろうが!」
と叫んだ。
――その悲しい咆哮は、『回復の泉』を中心に都和木町全体に広がり、多くの人々の心を哀しみの渦へと巻き込んだ――とかなんとか。知らんけど。
少なくとも、兄の切ない姿を間近で見た弟が、
「…兄ちゃん、やっぱりDSにしといてやるから…」
と、哀れみを含んだ目で情けをかけたりはした。
そしてそんな状況下にあっても、にこにこしながら僕を待っているケイ。その邪気のない様子を見ると、多分彼女は全く状況を理解してなくて、その頭の中は今日の予定のことで一杯なんだろう。そしてその予定の要素には、ふんだんに僕が含まれているはずなわけだ。
ふむ。
そんなケイを見ていると、まあ確かに、僕は幸せなんだろうとは思った。
時計は一時十五分を指していた。
*