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吸血鬼と銀の弾丸の村

2011年03月16日 (水) 17時38分 - ikakas.rights

 

 空腹で目が覚めた。夜明け前の、まだ暗い森の中。
 頬に柔らかな土の温もりを感じる。昨日は確か……歩き疲れて、森の茂みの奥で寝たんだっけ。
 眠る、か。
 大分慣れてきたけど、やっぱり目が覚めたすぐ後は変な感じがする。頭がはっきり働かない、この感じ。
 論理村を出るまで、夜とか、眠るとか、そういうことは全然知らなかったから、初めはどうして夜になると動けなくなるのかすごく不思議だったけど。まぁ、こういうものなのかな、って最近は思う。
 起き上がり、とりあえず空腹を満たそうと近くの雑草を食べた。あんまりおいしくない。
「拓堵?」
 私が名前を呼ぶと、
「あぁ」
 茂みの向こうから拓堵がゆらりと顔を出す。
 真っ黒なジャケットには袖が無く、肩が出ていて寒そうだ。そのくせきっちりと前を閉じた襟はマフラーのように高くて、拓堵の口元を覆い隠している。そのせいで表情がよく見えず、眠そうな目がこちらを見ている。頭の上には黒い毛に覆われた耳。
 狼の耳だ。

 私と拓堵は次の村を目指して未明の森を歩いていた。というか、拓堵が次の村を目指して歩いていて、私はそれについていく。
 拓堵は次の村のことは知らないって言っていた。さっき看板があったから、この先に村があることは間違いない。
 その、村はある、っていうのはわかっているけど、それよりも気になることが。
「……そのー……ねぇ、拓堵?」
「何だ」
 私が話しかけても、拓堵は尻尾を揺らしながら歩き続けるだけで、こっちを見ようとしない。
「いやぁ、何か……調子、悪かったりする?」
「さぁな」
 投げやりだなぁ。
 返事が投げやりなのはいつもだけど、それでも何か、……いつもより安定感がないというか。
 さっきから歩くのもふらふらしてるし。
 私は歩調を速めて拓堵の隣に並び、彼の顔を見上げた。……あれ。昨日よりずっと顔色が悪くなってる。どうしたんだろ。何だか、力がない。
「もしかして、お腹空いてる?」
 ……キャベツは私が全部食べてしまった。拓堵は野菜を食べるのを嫌がるけど、無理にでも食べさせておいたほうがよかったかなぁ。
「空腹、というわけじゃ……」
 突然拓堵の膝ががくっと折れて、拓堵は私にもたれかかってきた。
「わわっ、ちょ、っ、ちょちょ、拓堵っ」
 狼の、荒い息が私の肌を撫でる。──鳥肌が立つ。拓堵は変な狼だけど、危なくはない。私を食べたりしない。それはわかっているんだけど。
 でも……私がいた村では、狼はヤギを食べる存在だった。私はまだそれを忘れてはいない。
「どうも」
「え?」
「どうも、悪いものを食べたらしい。肩を貸してくれ。頼む」
「ん、……いやぁ、まぁ……」
「悪い」
 明らかに弱ってるのに、何でもないような平たい口ぶりの拓堵。
 歩くにつれて拓堵の体力が擦り減っていくのが、肩を貸す私に伝わってくる。村の垣根が見えてくる頃には、私はほとんど拓堵の体を引きずるようにして歩いていた。
「癒、俺の上着の右ポケットに、草が入ってるの、わかるか」
 呂律がうまく回らないらしく、聞き取りにくい声で拓堵はそう言った。彼のポケットを調べると、見たことのない小さな草が入っていた。
「薬草だ。こいつを使えば、確実に治る」
 拓堵は薬草の効能をぼそぼそと説明した。
 拓堵によると、その薬草は狼にだけ効く特別なもので、満月の夜に煎じて飲ますと狼のあらゆる病気が治るらしい。
 満月。確か、明後日だ。

 私は拓堵を引きずったまま村の中へと入った。途端に私の空腹は消え去るけど、拓堵は快復しない。
 結構広い村だ。いっぱい家が並んでる。私の後ろで山の端から日が昇って、私の影が家と家の合間に長く伸びた。
 この村にも夜があるのなら、この村でしばらく拓堵を休ませてもらって、明後日の満月を待とう。それまでに拓堵が元に戻ってくれればいいけど、彼はいよいよ体から力が抜けて、もう何を言っているかほとんど聞き取れなかった。
「ごめんくださーい! あのーっ、病人がいるんですけどー、その……」
 拓堵の体を一度地面に寝かせて、垣根のすぐ近くにあった小屋の戸を叩く。
 いやぁ、それにしても何だろ、私の声が妙に村中に響きわたる。静かな村だ。って当たり前か。日が昇ったばっかりなんだから。
「……誰?」
 小屋の戸の覗き窓が開き、女の人の目が私と拓堵を睨みつける。
「あのっ、えとー……その、病人がいるので、よかったら、寝られるところとか、貸してもらえたら嬉しいっていう感じで……」
 覗き窓は閉まり、がちゃ、がちゃといくつもの錠前が外れるような音がして、小屋の扉は開かれた。
「入りなさい。早く」
「あっ、はい! あー、ありがとうございます」
 私たちに戸口を開いてくれたのは、鋭い目つきをした狐さんだった。

 さっきの音はやっぱり錠を開ける音だったみたいで、戸を閉めると狐さんはこれでもかというほど何重にも錠をかけた。
「あのー、ありがとうございました。えーと、私たち、怪しい者じゃなくて、ついさっきこの村に来て……」
「知っているわ。あなたたちが来るところはそこの窓で見ていたもの。あなたたちが外部者だと知らなければ、私はむざむざ自分から戸を開けたりはしないわ」
 狐さんは何だかとても冷たい声でそう言った。
 狐さんと二人がかりで拓堵を寝台に寝かせる。拓堵は相変わらずぐったりしていた。何か悪いものを食べたらしい、でも満月の夜になれば薬で治せる、と私は説明した。
「そう。それならちょうどいいわね」
「え? 何が……ですか?」
「明後日でしょう、満月の夜は。ここの最低滞在日数は二日だから、そうね、満月が沈む前にはここを出られるわ。そしたら薬をあげなさい」
「え、村を出るって、……あー、はい。この村は夜が来ないんですね?」
 狐さんは拓堵を見下ろしながら首を横に振る。
「来るには来るけど、まともな夜じゃないわ。きっとその薬は効かない」
「まともな、夜、じゃない……」
 私は彼女の言葉を繰り返し、狐さんはそんな私をちらっと見た。
「あなた、名前は?」
「え? あー、癒って言います。でー……その狼は拓堵です。一緒に旅をしてます」
「そう。私は敦子。この村唯一の『生存者』よ」

 敦子さんはこの村のことを簡単に説明してくれた。
 この村は、吸血鬼と銀の弾丸の村。
 この村のロジックは結構単純で、吸血鬼と村人が戦う、っていう形のものらしい。
 村民のうち、誰か一人は吸血鬼。
 吸血鬼に噛まれた人は眷族になる。眷族は吸血鬼の言うことを何でも聞く。
 吸血鬼の目的は、村人全員を眷族にすること。
 村人の目的は、吸血鬼を殺すこと。
 吸血鬼を殺せるのは銀の弾丸だけ。銀の弾丸が詰まった拳銃は十丁、それぞれ弾は十二発。
 これが、この村のロジックのほとんどらしい。
「そしてその拳銃というのが、あれ」
 敦子さんは机の上に並べられた十丁の拳銃を指示した。すべての拳銃がここにある、っていうことは。
「……村人は、もう敦子さん一人だけ、っていうこと……ですか?」
「そうね」
 敦子さんは拳銃を一丁手に取り、何だか怪しげな手つきで撫でた。
「もうみんな眷族にされてしまった。眷族と吸血鬼は、日の光の下に弱い。だから、昼の間は家の中に閉じこもっている」
 敦子さんは最後の村人として、必死に吸血鬼の勢力に対抗しようとしている。
 一人、こうして村のはずれの小屋に閉じこもって。
 つまり、この村はもう──終わりかけているんだ。
「う……ぐぐ……」
 寝台のほうで、拓堵がうめき声を上げる。
 ……今回は、拓堵を頼れない。私が頑張らないと。二日間、何とかやりすごして村を出るんだ。

 日が完全に昇ったのを確認してから、敦子さんは私を連れて家の外へと出た。
 昼間とはいえ、眷族が襲ってくる危険もなくはないけど、新しく村へ入るときは村のロジックを確認しないといけない。敦子さんから大筋は聞いているんだけど、自分の目で確かめるのが習わしだ。……拓堵はちょっと無理そうだから仕方ないけど。
「十分に気をつけなさい。特に、日陰には絶対に近寄らないように」
 敦子さんは拳銃を構え、私の前に立って物陰を改めながら進む。
 ……かなり、警戒してる。警戒し慣れてる。
「そのー……それ、その拳銃、銀の弾丸ですか?」
「えぇ、この村にはこれしか武器がないの」
 警戒の目を切らずに敦子さんは言う。
「もう、弾丸は残り少ない。できれば無駄遣いしたくないわ。急ぎましょう」
 敦子さんについて村の中心へと入っていく。敦子さんの家はかなり村の外れのほうにあったらしい。そのうち家は密集し始めて、だんだん街みたいな景色になってきた。
 石碑は、村の中心にある広場の真ん中にあった。私は屈んで文面に目を通す。
 吸血鬼と銀の弾丸の村……大体、敦子さんが話していたのと同じかなぁ。色々細かいことも書いてあるけど。
 村民の数は五十人。この五十人は決着がつくまで村から出られない。全ての村民は自らの生存の下目的を達成するために行動する。眷族は吸血鬼の命令に従う。眷族に噛まれた村人も眷族になる。吸血鬼を殺す他に眷族を村人に戻す方法はない。全ての家は内側からのみ鍵をかけることが出来る。十丁の拳銃は、最初村人にランダムに配られる……。
 私が読んでいる間、敦子さんは広場の周りの家々を睨むように監視していた。
「あのー……誰が吸血鬼か、わかってるんですか?」
「いいえ。気づいたときにはもう多くの村人が眷族に──」
 突然、敦子さんは振り向いて拳銃を構えた。
「誰っ!?」
 私にも見えた。家と家の間を人影が横切ったのが。
 敦子さんは拳銃を構えたまま走っていく。
「来て!」
 私は慌てて腰を上げ、彼女を追った。けど、さすがに狐の足には追いつけない。私はどんどん引き離されていく。
「まっ、……ちょっ、敦子、っさん……!」
 敦子さんは自分の家に戻ろうとしているようだった。さっきの人影は、敦子さんの家に……?
 不意に、私の足元に大きな影が覆った。
 空を見上げる。
 ──雲だ。
 綿のような雲が、日の光を覆っている。
 そのとき。
「危ないって!」
 聞いたことのない男の人の声がして、私の腕は強い力で後ろへ引かれた。
 悲鳴を上げる間も抵抗する間もなく、私は家の中に引きずり込まれた。

 家の中は真っ暗だったけど、数人が動く気配が感じられた。
「何だって昼間に外に出ていたんだ。危ないだろ?」
 さっき私の腕を引いた声が窘めるように言った。
 ……もしかして、これって。
 私は顔を腕で覆って俯く。
「おい、どうした。具合悪いのか?」
「ん、んぁ……」
 どうしよう。何か、声が出ない演技みたいなのできないかな。
「ぁ、あっ……の、喉が……」
「喉が痛むのか。よし、無理しなくていいからな。ここで休んでいけ」
「おーい、そっちの空いてるベッド、貸してやれ」
「ねぇ、大丈夫? 本当、どうしてこんなに明るいうちに外に出たの? あぁ、話さなくてもいいわよ。今は夜まで体を休めないと」
 おお。
 何とかごまかせるかもしれない。
 みんな、私のことを眷族だと思ってるんだ。
 誰かが私の手を引いて、私を寝台まで連れて行く。
「本当に、びっくりしたわ……窓の外を見たら、普通に歩いているんですもの」
「ん、んんー……」
「気をつけなさいよ。昼間はあの狐が外を歩いているかもしれないんだから。見つかったらただではすまないって話よ」
 できるだけ顔と、それと耳を隠しながら、私は手探りで布団に潜り込む。
 ……今更になって、自分の心臓が破裂しそうなほど鳴っているのに気づく。あわわわ。今、私、……ものすごく危ないことになってる。うわぁ。
「今何時だ?」
「さぁ、でも夜まではまだあるんじゃない?」
 何だか眠そうな声で会話が交わされる。
 私は頭を完全に布団で覆い隠し、体を小さくした。

 んー……?
 何だか、騒がしい……。
 私はぼんやりと目を開け──って!
「うわぁっ!」
 思わず飛び起きた。っていうか、寝ちゃってたのか、私。
 え、今いつだろ。周りを見ると、数人の村人……違う、眷族たちが、全員私のほうを見て固まっている。
 電気がついていて、窓の外は暗くて、そして私は顔を隠すことを忘れていた。
「え、あー……えっと……」
 ……まずい。
 本当にまずい。
 何やってるんだ、私。油断してた。村に入ったから眠気は来ないものだと思ってたのに。この村はちゃんと夜も睡眠もあるんだ。
「……おはよう、ございます」
 何か言おうと思って出てきた言葉がそれだった。
「……おはよう」
 普通に返事が返ってくる。
 ……あれ?

 眷族の人に連れられて家の外に出てみて、初めて敦子さんの言っていた言葉の意味がわかった。
 まともな夜じゃない、って、こういう意味か。
 真っ白な月と星が浮かぶ、赤い空。確かに暗いけど、村はそれなりに明るかった。というか赤かった。全体的に。
「旅人さんならそうと言ってくれればよかったのに」
 私の隣を歩くネコさんが笑いながら言った。
「あのー……」
「ん? 何だい?」
 恐る恐る尋ねる。
「眷族、の方……ですよね?」
「あぁ、そうだよ」
「えとー……こう言うのもあれなんですけど、その、私を噛まないんですか?」
 そう聞くとネコさんは首をかしげた。
「どうして?」
「んー……いやぁ、どうして、って聞かれても……」
 聞かれても困るんだけど。うーん……。
 夜になって目が覚めた私を見た眷族の人たちは、私が村人だって知って驚いたみたいだったけど、でも特に私に危害を加えようとはしなかった。っていうか、かなり親切にしてくれた。
 誰も私のことを噛もうとはしない。
 何だ、これ。
 ネコさんに案内されて、私は赤く染まった村の中を歩いている。
 あんなに静かだった村は眷族の人たちで賑やかになっていた。何だろ、村の一日は夜になると始まるっていう感じなのかな。
「ここが村の中心部。石碑はもう読んだかい?」
 露店が立ち並んで買い物客で溢れる広場に着くと、ネコさんは私にそう聞いた。一応まだですと答えておいて、もう一度ロジックを読み返す。
 眷族は、吸血鬼の命令に必ず従う。
 ……あ、よく見たら、眷族の目的が書かれていない。
 ってことは、眷族は村人を必ずしも襲わなくてもいい、っていうことなんだ。吸血鬼が襲うように命令したらそうしなきゃいけないけど。
 えーっと、っていうことは、吸血鬼がそう命令を出してないってことだよね。……何で?
 吸血鬼は村人を全員眷族に変えるために行動するはずなのに。なら、吸血鬼はもうこの村にいない?
 死んでいるのなら眷族は村人に戻るはず。なら、……吸血鬼は、村の外に出たのかな。それなら一応筋が通る。
 そんなことを考えながら、私はネコさんと一緒に広場に現れた商店の軒先をめぐっていた。
「新しく村へ来られた方ですか?」
「昼間に出歩いたりして、あの娘に襲われたりしなかったかい?」
「見ての通り変わった村だけど、ゆっくりしていってよ」
 道を行く眷族たちにそう声をかけられる。
 敦子さんは……あんなにぴりぴりしてたから、もっと怖い村かと思ってたんだけどなぁ……。
 道端で、野菜を並べて売っている帽子を被った女の子が、
「お姉さん、お野菜いかがですか?」
 とキャベツを一玉私に差し出す。お腹は全然空いてないけど、何だか食べたくなってきた。
 って、駄目だ。お金は拓堵が持ってるんだった。
「いやぁ……ごめん、ちょっと持ち合わせがなくて、今……」
 そう言って、私は立ち去ろうとする。若干未練もあるけど……拓堵が快復したら、買ってもらおうかなぁ。
 私の背後で女の子はキャベツを店先に置き、足音も無く道のほうへと躍り出た。女の子は私に手を伸ばし、同時にその口を開いた。牙が──。
「わわっ!」
 私は振り向かずにその場から飛びのく。
 危な、かった……。
 周りの眷族たちが、何だ何だとこちらへ目を向ける。
 女の子は驚いた顔でこっちを見てる。……いやぁ、私のほうが驚いたって。
「……あのー、私ヤギだから……後ろも見えてるんです、けど」
 何か……言い訳をしてるような気分だ。女の子は何も言ってこない。
 妙な沈黙が流れる。女の子は渋い顔で私を見ている。周りの眷族は私たち二人に近寄ろうとしない。黙って成り行きを見守っている、という感じで。
 ──あ。
 もしかして。
「えー……君が、吸血鬼だったりする……?」

  ●

 敦子と名乗った狐は、帰ってきてからずっと十丁の拳銃の手入れをしていたが、そのうち疲れたのか机の上で寝息を立て始めた。
 ──あの子が捕まったわ。申し訳ない。私としたことが。もうこの戸は絶対に開けない。卑劣な吸血鬼め。
 確か、彼女はそんなことを言っていたように思う。意識が朦朧としていたためはっきりとは覚えていないが。
 今も、俺の体はしびれている。先ほどに比べれば意識ははっきりしているが、聴覚がかろうじて働いている程度で、目を開けることも出来なかった。思った以上に堪えているらしい。
 ……また、だんだんと意識がおぼろげになってきた。遠くから人の喧騒が聞こえてくるような気もするが、はっきりとはわからない。
 癒はまだ噛まれていないだろうか。

  ○

 赤く照らされた夜の村。
 私は村の中心部を離れ、静かな道を彼女と歩いていた。
「さっきは本当にごめんなさい。後ろから襲おうだなんて、卑怯な手だとは思っていたんですけど、その……」
 野菜売りの女の子はさっきから心底申し訳なさそうにしている。
「んー、いやぁ……そういうロジックだったら、ねぇ……」
 彼女に対してどういう態度を取ればいいのか、私はまだ決められない。
 彼女は自分が吸血鬼であることを認めた。けど襲われそうになったのはあれっきりで、噛まれたりもせず、どういうわけか今私は彼女に連れられて村を歩いている。彼女は売り物にするのか、それかどこかに飾るのか、道先で時折花を摘みながら歩いている。
 ……もし吸血鬼がまだこの村にいるのなら、その吸血鬼は何らかの事情で眷族に村人を襲わせる命令を出していないことになる。眷族の目的はロジックにないのだから、私は特に襲われはしなかった。
 でも、吸血鬼の目的ははっきりと定められている。
 村人を全員眷族に変えること。
 だから、彼女だけは私を襲わなければならない。
「……んでも、そのー……こんなこと言うのも何だけど、何で今、私を襲おうとしないのかなぁ、とかって思っちゃうんだけど」
「ええと、……言ってしまえば、いつでも襲って眷族に出来るから、でしょうか」
「はぁ」
 まぁ、確かにそうだけど。
 今は二人で道を歩いてるけど、家の陰とか木の陰から、ちらほら眷族の人がこっちの様子を伺ってるのも見て取れる。彼女が私を襲えって命令したら、私はこの村の人全員に襲われてあっという間に眷族にされてしまうんだ。多分。
「そういえば、気になってたんだけど」
「はい?」
「えとー……」
 あ、名前聞いてないや。この子の。
「私の名前ですか? 木鉢屋っていいます」
「あっ、いやぁ……うん。木鉢屋さんね。私は癒っていいます。で、えとー……木鉢屋さんは、どうして眷族の人達に村人を襲うように命令してないの?」
 私がそう聞くと、彼女は押し黙った。あれ。聞いちゃいけなかったかな。
 答えの代わりに彼女は私を細い道へと連れて行った。その先にあったのは、小さな墓地だった。石碑をずっと粗くしたような墓石がいくつか芝生の上に佇んでいる。
「……以前は、眷族にあらゆる手段を用いて村人を襲うよう命令を出していました」
 木鉢屋さんは持ってきた花を一輪ずつ墓石に添えながら小さな声で言った。
「あぁ、うん」
「私はほとんど疑われることもなく、多くの人を眷族にすることが出来ました。気がつけば、あと村人は一人だけ」
 敦子さんのことだ。一応、今は私と拓堵も村人に含まれるんだろうけど。
 木鉢屋さんは花を添え終えると、帽子を取って胸に押し当てて沈黙する。黙祷を捧げているみたいだった。私も黙る。
 やがて、彼女はぽつりと言う。
「最後の村人は、村の外れの家に閉じこもり、そこから出てこなくなりました。彼女は自分が最後の村人だということを知っているから、事実上、もう決着してるんです」
「決着?」
「私は小屋へ近づかないから、彼女は私を殺せない。だから彼女は絶対に外へ出てこない。彼女が動かなければ私も彼女を眷族に出来ない。──引き分けなんです。ステイルメイトです。だから、私は村人を襲うという命令を取りやめたんです。意味ないですから」
「はぁ……でも、もしふらっと敦子さんがあなたの前に出てきたら?」
「その可能性は皆無です。そう判断してもいいほど、彼女は固い意志を持って篭城しているのです」
 木鉢屋さんは墓地に背を向けて歩き出した。
 が、ふと立ち止まって私のほうを見る。
「……敦子さん、って……」
 あ。
「んー、あー……あ、言ってなかった、ごめん。いやぁ……私、その人にもう会ってて、っていうか、その人に最初会ったんだ。で、家に入れてもらって、石碑を見に行って、で別れて、っていう感じで……」
 最初に言っておいたほうがよかったかな。
「……姉は、元気でしたか?」
「え? お姉さん?」
 最後の村人を気遣うようなことを、何の含みも無く木鉢屋さんは言った。
「んー、うん……まぁ、元気そうだったよ。結構」
 ……そういえば、この子も狐だった。敦子さんと同じ。

 夜明けが近づく──つまり空の赤色が薄まり始めると、木鉢屋さんと眷族の人達はみんなそれぞれの寝床へと戻っていった。そしてまた村は静かな昼を迎える。……んー、この村的には、これから夜が始まるのかなぁ。眷族の人はみんな眠そうだったし。
 私はいつでも眷族に出来る状態に置いておく、っていうことで、木鉢屋さんの家で一日を過ごすことになった。
「んー……いいのかなぁ……」
 木鉢屋さんに整えてもらった寝台に腰を下ろして、私は呟いた。
 小さな家だった。昼のうちに私が寝てしまった家は何人かの人が共同生活してたみたいだったけど、ここには私と木鉢屋さんしかいない。
「いいのかな、って、何がですか?」
 木鉢屋さんは隣の寝台に腰を下ろしている。
「いやぁ……私、今はまだ一応村人だし、そのー……やっぱり吸血鬼の人は敵だしっていう感じで……」
「でもあなたにできることはありません。銀の弾丸は姉が全部持ってますし」
 そうなんだよね。
 木鉢屋さんはもうすぐ夜が明けるからと言ってカーテンを閉めて部屋の明かりを消し、布団の中に潜り込んだ。
「眠れますか?」
「ん? 大丈夫だと思う。ヤギっていつでも寝られるから」
 っていうか、ちょっと眠い。結局夜の間ずっと起きてたから。
 木鉢屋さんも眠そうな目をしている。私は布団に潜り込んで、そしてふと気づいた。
「……あのー」
「はい?」
「思ったんだけど、寝台が二つあるってことは……もしかして」
「……はい。ここ、姉と二人で暮らしていた家なんです」
 やっぱり、か。
 どういう気持ちなんだろう。
 お姉さんが最後の村人で、ずっと会えなくて、……。
「……ごめんなさい、巻き込んでしまって。こんな村のロジックに」
 木鉢屋さんの声はしおらしい。
「え? あー、いやぁ、別に……」
「癒さんは、……すぐまた旅に行かれるんですか?」
「えー……ん、多分、っていうかできたら、そう」
「あぁ、問題はないです、全然。申し訳ないんですけど、村を出る前に一回噛ませてもらわないといけません。でも、その後は自由です。村を出て行っていただいても。元々癒さんは最初の五十人に含まれていませんから」
「あー、そうなんだ。いや、ちょっと噛まれるくらいなら、別に気にしないけど」
「ちょっと血を吸うだけです。痛くもないらしいです。ただ一度噛んだら日の光に弱くなってしまいますが……それはこの村の中だけのことですから」
 そのくらいで済むなら、願ったりかなったりだ。
 何だか、本当によくしてもらっている。私は。敦子さんにも木鉢屋さんにも。……二人は敵同士だけど、どっちも悪い人じゃないんだ。きっと。
 それでも、私はこの村を出て行くべきだと思う。ここで暮らすこともできるかもしれないけど、少なくとも拓堵をあのままにしてはおけない。……そうだ。そのことをよく考えないと。
 いろいろなことが頭の中で渦を巻いていて、だんだんと私の意識はまどろみのなかに沈んでいく。

  □

 初めの展開は穏やかなものだった。
 吸血鬼は夜道ですれ違った一人の村人を噛み、眷族にした。
 眷族は次にすれ違った一人の村人を噛み、眷族にした。
 夜が明けるころには五人が眷属になり、吸血鬼は彼らを自由に操ることができることを知った。
 これならすぐにこの村の村民を全て従えることができると吸血鬼は胸を躍らせた。それほどに事の滑り出しは順調であり、また簡単だった。
 このロジックを達成するのに時間はかからない。彼女はそう確信して疑わなかった。

 こんこんと家の戸が外から叩かれる。吸血鬼は寝台から立ち上がり、戸を開けた。
「こんばんは。あぁ、二人ともいるんだね。よかった」
「こんばんは」
 吸血鬼は彼女の家を訪れた男を見上げた。男は焦燥の表情を浮かべ、額に汗をかいている。
「何かあったの?……さっきの銃声に関する話かしら」
 吸血鬼の後ろから、同じ家で暮らしている彼女の姉がこちらへやってくる。
「えぇ、それがですね。広場のほうで一悶着あったみたいで」
 姉は眉を顰め、少し背伸びをして家の外の様子を伺った。
「大方、吸血鬼を探そうとして焦った村人がいたんでしょう? 誰か怪我したの?」
「いや、そういうことはないんだがね。撃ったのは一発だけで、それも外れたし。ただちょっと……村の空気がすごくぴりぴりしてるから。二人とも、今夜は外に出ないほうがいいよ。それを言いに来たんだ」
「わかりました。わざわざありがとうございます」
 吸血鬼はそう言って頭を下げた。彼女の姉は、早く寝ましょう、と言って寝台の布団を整え始める。姉の目がこちらを見ていないことを確認すると、吸血鬼はそっと男に紙切れを手渡して戸を閉めた。
 その紙切れには眷族への指示が書かれていた。しばらく襲撃は控え、拳銃を持っている十人の村人を早く特定すること。どうしても昼に外へ出なければならない眷族は大きな家の地下室に隠れること。吸血鬼への接触は毎回人を変え、二日に一回程度に抑えること。何かあったら必ず文書を手渡す方法で連絡を取ること。
 紙切れを受け取った男──眷族は仲間の元へと戻り、その指示を仲間へと伝える。まだ眷族は十人にも満たない。今変な騒ぎを起こして村人に手を打たれるわけには行かない。当分の間は、この村には眷属などいない、そのように振舞いながらじわじわと攻めなければならない。吸血鬼はそのようなことを色々と思案しながら、姉が整えた寝台に横になった。
「……怖い?」
 隣の寝台から、姉がそう尋ねてきた。吸血鬼は、え、と思索から我に返って姉の顔を見る。姉は妹に優しく微笑みかけた。
「心配しないで。吸血鬼なんかの好きにはさせないわ。あなたは私が守ってあげる」
 吸血鬼はそれを聞いて、うん、と微笑んで頷いた。
 吸血鬼はほっとしていた。彼女の姉は彼女を微塵も疑っていない。今しばらくは彼女を隠れ蓑にすることができるだろう。布団の中で、彼女はそう算段をつけていた。

 拳銃の所在がわかるまで、しばらくの時間を要した。
 吸血鬼はそれまで眷族を全く増やさなかった。外出する必要のない者を中心として眷族にした彼女の策略が功を奏し、多くの村人は吸血鬼の所在を特定できず、打つ手を見出せないでいた。
 しかしそんな中、吸血鬼の姉は積極的に情報を集めて村人の安全を固め始めた。ある日帰宅した彼女が拳銃を吸血鬼に見せたとき、吸血鬼は驚いて悲鳴を上げそうになった。その後に眷族から得た情報によれば、彼女は拳銃の持ち主を言いくるめて拳銃を一丁譲り受けたということだった。
 吸血鬼は根気よく潜伏を続けた。やがて彼女の姉が全ての拳銃のありかを調べ上げたのを知ると、可能な限り自然にその所在を姉から聞き出した。それが契機だった。吸血鬼は眷族に命じ、一晩の間に次々と村人を襲わせた。

 そして夜は明けた。
 吸血鬼のところへ来る仲間はおらず、急襲がどれほど成功したのか吸血鬼には知ることが出来なかった。
 家の戸を叩く者があり、吸血鬼の姉は拳銃を片手に戸を開けた。朝日が家に差込み、吸血鬼は頭から布団を被る。数人の村人が小さな声で何かを彼女に伝えており、彼女の顔が凍りついた。
「……姉さん? 何かあったの?」
 吸血鬼はのそのそと布団から抜け出した。姉は彼女のほうをゆっくりと振り向き、低い声で言う。
「木鉢屋。こっちへ来なさい」
「え……」
 吸血鬼は日の光に当たらないように姉に近寄った。しかし姉は半歩家の外へ出、日の光の下から吸血鬼を呼んだ。
「もっとこっちへ。さぁ」
 それまでに吸血鬼が聞いたことのないような冷淡な声だった。
 吸血鬼は姉に近寄ろうとするも、どうしても日の光の下へ足を踏み出すことが出来なかった。
「ね、……姉さん……」
 吸血鬼は懇願するような視線を姉に送る。しかし姉は深い息をついてその顔に悔恨の情を浮かばせた。
「──迂闊だったわ」
 そう言い、彼女は吸血鬼の前で戸を閉めた。
 後に眷族から、彼女の姉は自らの妹が実は眷族であり、そこから情報が洩らされたと思っているという話を吸血鬼は聞いた。
 その日を境に村は混戦の段階へと突入する。

 吸血鬼の姉は村人として高い指導力と明晰な頭脳を発揮し、吸血鬼勢力に果敢に対抗した。眷族は次々と特定されていき、吸血鬼の捜索が吸血鬼の姉を中心として行われた。
 追い詰められた眷族は捨て身に打って出、自らの体を日の光に晒してまで村人に襲い掛かる者も現れた。
 昼は村人による吸血鬼の捜索が行われ、眷族たちは日の当たらない場所に身を隠す。夜は眷族による逆襲が行われ、村人たちは村中を逃げ惑い、あるいは拳銃で反撃した。
 吸血鬼の指揮系統は混乱を極めた。彼女が特定されれば陣営が負けてしまうため、彼女の姉のように大々的に指示を出すことが出来なかった。地下に身を隠し、あるいは屋根裏に身を隠し、彼女は銀の弾丸から逃れ続けた。

 そっと戸を叩くと、しばらく間があってから覗き窓が開き、懐かしい姉の目がその向こうに現れた。吸血鬼は日傘を後ろ手に隠しつつ、姉に向けて笑顔を浮かべた。
「久しぶり。……ねぇ、お願いがあるの。助けて。今、眷族の人達に追われていて──」
 ぱたん、と覗き窓が閉じられ、戸の向こうで話し声がした。姉が小屋の中にいる仲間に、眷族が来た、何を言われても気にしないように、と伝えている。
 村の情勢は徐々に吸血鬼勢力が村人勢力を押し始め、村人たちは村の外れのいくつかの小屋に立てこもるようになった。姉は彼らと連携を強め、作戦を練っている様子だった。
「姉さん、お願いだから……」
 吸血鬼は日差しに耐え切れずにまた日傘を差す。しかし時宜を見計らったかのように覗き窓が再び開いて姉が顔を見せる。吸血鬼は慌てて日傘を放った。
 じりじりと焼け付くような日差しが吸血鬼の背後から彼女を蝕む。彼女はそれでも顔に笑顔を貼り付けたまま言う。
「私、姉さんの味方だよ。ほら、日の光だって怖くないし──」
「帰って」
 姉は冷たい声でそう言い捨てた。
「あなたの親玉に伝えなさい。私たちはお前を決して許さないと」
 また覗き窓が閉じられる。吸血鬼は日差しに耐えかねてよろめき、近くの茂みに隠れていた、全身を黒い布で覆った眷族が飛び出してきて彼女を支えた。

 吸血鬼は姉の説得を諦めなかった。自らの潔白を証明するため、可能な限り日差しの強い日を選んで彼女の前へと姿を晒した。
「お願いだから、姉さん……もう、みんな噛まれてる。もうすぐ私もやられるかもしれないの」
「生憎だけど」
 吸血鬼に応対する姉の口調は、次第に熱気を失い始め、そのうちにどこまでも冷淡で無情なものへと変化していった。
「あなたたちが把握しているより村人は多く残っているわ。せいぜい用心することね」
「姉さん……!」
「木鉢屋」
 久しぶりに名前を呼ばれ、吸血鬼ははっとする。
「あなたはきっと、家からここまでまっすぐに歩いてきたのでしょう。日の光が怖いのよね、寄り道する余裕はなかったでしょう?」
「え……何言って……」
「今日の帰り……夜でもいいわ。頭を冷やして村の中心部を見てきなさい。そこにどれだけの死体が転がっているか、その目でしっかりと確認しなさい」
 拳銃を手にした村人は、吸血鬼の可能性のある眷族をそれぞれの判断で銃撃した。ある拳銃所持者は集団で襲われ、数人を殺したものの拳銃を奪われて銃殺された。その拳銃を村人が奪還するために攻勢を仕掛け、また数名の死者を出した。
 吸血鬼はそのことを情報としては知っていた。しかし自らの目で見たわけではなかった。村の中心部はそれほどに危険な地区になっていた。
「何度でも言うわ。吸血鬼に伝えなさい。私はお前を絶対に許しはしない。例えそれがロジックに従った行動であろうと、村人側が出した死者が何人あろうと、この村を壊したその罪は必ず償わせると」
 姉は最後に、そう伝えなさい、とだけ言って会話を打ち切った。

 その夜、吸血鬼は数人の護衛とともに村を歩き回った。
 道端で最初の死体に出くわしたとき、吸血鬼は悲鳴を上げて後ずさった。護衛たちにその死体を埋葬するよう命じ、数人がかりで死体を運ばせた。死体を村の外れへ運ぶ間、眷族たちは数人の村人に襲撃された。拳銃で撃たれても棍棒で殴られても、眷族たちは死体の埋葬を優先した。真っ先に逃げ出した吸血鬼だけが生き延びた。
 逃げた先で彼女は路上に転々と転がるいくつもの死体を目にした。吸血鬼は足が竦み動けなくなった。

 やがて、団結した村人による最後の攻勢が始まった。
 村中で銃声が響き渡り、怒号と悲鳴が昼間の村に響き渡った。
 吸血鬼は村の外れの家の屋根裏に身を潜め、耳をふさいで震えていた。
 突然屋根裏の戸が開けられ、その激しい音とは対照的にのそのそと誰かが屋根裏へとよじ登ってきた。護衛と吸血鬼の間に一瞬の緊張が張り詰める。
 しかし。
「……え……?」
 その場に現れたのは、誰も見たことがない男だった。
 男は吸血鬼に視線を送り、落ち着いた声で言う。
「お前が吸血鬼か」
「あなた……誰?」
 男は真っ黒なジャケットのポケットから紙切れを取り出す。
「ついさっきこの村に来た者だ。ロジックを読み、村人側として色々と調べていた。ある遺体の懐からこのメモを見つけた。恐らく吸血鬼が眷族に指示を出すときに使っていた物だろう。この中に何度も私の姉という単語が登場する。村人に聞いたところ、この村に姉を持つ村民は一人しかいないとのことだった」
 男は淡々とそう述べると、紙切れを放って今度は拳銃を取り出し、銃口を吸血鬼へと向けた。
「その村民の種族は狐らしい」
 呟くようにそう言い、口元を襟で覆い隠した狼は銃の引き金に指をかけた。

  ●

「──私の力が足りなかったのよ」
 今は──いつだろう。入村してからどれほどの時間が経ったのだろう。とりあえず体は動かないままだ。痛みは感じないがひどく気だるい。
 半覚醒の状態のまま、俺は隣で何か独白めいたことを喋っている狐の声に耳を傾けていた。
「私がもっと早く気づいていれば、あれほどの犠牲は出なかったかもしれない。それなのに、私は……妹が眷族である可能性を頭から排除していた。迂闊だった」
 彼女は、……そうか。
 あのときの吸血鬼が言っていた姉、というのがこいつなのか。
「病人に聞かせる話ではないわね。──聞こえてるかはわからないけど」
 顔は見えないが、自嘲めいた笑みを浮かべているようだ。
「あの子がここへ来るたびに、私は自らの浅はかさを呪ったわ。日の光に耐えて笑顔を浮かべようとするあの子を見るのが辛かった。……同時に、どうしようもないくらい、吸血鬼に対する憎悪は膨れ上がっていった。肉親だから説得できるかもしれない。奴はそう考えて妹を寄越したのよ」
 あれほど冷徹だった彼女が、その声を怒りに震わせている。
 ……今もし声だけでも出せたのなら。
 俺は、彼女に真実を教えてやるだろうか。
「例えロジックに従った行動だったとしても、村人側が出した犠牲者が何人あろうとも……全ての元凶である吸血鬼を、私は絶対に、この手で……」
 かちゃり、と拳銃を握る音がする。
「……あら?」
 彼女は何かに気づいたらしく、俺の上着のポケットに手を入れて探った。薬草を取り出したらしい。
「これ、痺れ薬の解毒薬よね……。これなら、満月の夜じゃなくてもいいじゃない」

  ○

 木鉢屋さんの──木鉢屋さんと敦子さんの家の中。
 吸血鬼や眷族は昼の間はずっと寝てるのかと思ったら、そうでもないみたい。まだ明るいうちに私も起きて、それから何となく木鉢屋さんの話を聞いていた。
 この村では思っていた以上に苛酷な戦いがあったらしい。昨日木鉢屋さんが立ち寄った墓地は、みんなそのときに亡くなった村民のお墓らしい。
「……敦子さんは……」
「ん?」
 寝台に腰を下ろして、私と木鉢屋さんは向かい合っている。
「敦子さんは、今も……そのー……すごく、眷族の人のこととか、吸血鬼の──ん、吸血鬼のことを警戒してたよ」
「そうでしょうね」
 そう言う木鉢屋さんはとても寂しそうだった。
「……和解はでき……ないんだよね、多分」
「無理だと思います。ロジックの結果としての引き分けは認められていないので、どちらかが目的を達成するまでは、私たちは手を取り合うことはできません」
 あまり意味のないことですし、と木鉢屋さんは小声で付け加える。
「えとー……私は、ね」
「何ですか?」
「ん、……敦子さんに村のことを聞いたときは、眷族の人とか吸血鬼とか、すごく怖い存在だと思っていたんだけど。でも……何かこう、木鉢屋さんや他の眷族の人は、昼夜が逆転してるっていうだけで、どこも怖くなんかなかったんだ。だから、……私の考えだけど、敦子さんが眷族になったら、きっと敦子さんも木鉢屋さんも幸せになれるんじゃないかって……思うんだけどなぁ」
 敦子さんは悲しげな微笑を浮かべて首を横に振った。
「ロジックは勝敗がつくまで村民を決して解放しません。……どちらかが目的を達成するまでは、彼女は決して小屋から出てこないんです。それに……」
 木鉢屋さんは不意に立ち上がってカーテンを開けた。いつの間にか日が沈んでいたみたいで、空は赤く染まっていた。
「例え姉が眷族になったところで、この村で起こったことが無に帰すわけではありません。あの墓地は残り、……私の犯した罪は消えはしない……」
 ……どんな言葉を返せばいいのかわからなかった。
 窓の外では、起きだした眷族たちが一日の活動を始めていた。村は目が覚めたらしい。
「一度だけ、私の罪を裁こうとした──いえ、裁くことが出来た村人が私の前に現れたことがありました」
 ふと思い出したかのように木鉢屋さんは口を開いて、かつてこの村に来た旅人の話をしてくれた。その人は少ない手がかりで彼女が吸血鬼であることを突き止めて彼女に銃を向けたのだそうだ。
「びっくりしました。すごく平然とした顔で、何の怒りも使命感も無く、私に銃口を向けた。狼の方って、みんなあんな風なんでしょうか」
「狼……?」
 ふと、思い当たる節が。
「……その狼さんの名前って覚えてる?」
「名前ですか? あぁ、確か拓堵さんって名乗ってました。前宮拓堵って」
 拓堵が……ここへ来たことがある……?
「もしかして、お知り合いですか……?」
「いやぁ、そのー……」
 私は、拓堵は私の同伴者であり、この村に入る直前で悪いものを食べて動けなくなってしまった顛末を話した。
「それで今休んでるんです。次の満月……って今夜か。それまで」
「そうだったんですか……」
 木鉢屋さんは何か考え込むように手を口に当てた。
 ……できれば、早く拓堵を治したいんだけど……そのくらいなら、敦子さんも戸を開けてくれるんじゃないかなぁ……そしたら、私は彼女に木鉢屋さんのことを伝えて、それで……って、そんなにうまくは行かないか。
「やっぱり、優しい方だったんですね」
 木鉢屋さんがぽつりと呟いた。
「え、……拓堵が?」
「はい。多分、拓堵さんは癒さんを庇おうとしたんです。あなたが眷族にならないように」
「へ……? んとー……話が飲み込めないんだけど」
「あなたを噛みたくなかったのです。拓堵さんは、眷族なんです。だからこの村にいる二日間だけは自らの行動を封じようとしたのでしょう」
 そうか。
 そうだったんだ。拓堵は私のために、何も言わず……。
「私に銃を向けたとき、……何故あの人がすぐに引き金を引かなかったのか、ずっと疑問でした。すぐに私の護衛ともみくちゃになって、結局噛まれましたけど、今思えば、あのとき彼は……いえ、勝手に推量するのは失礼かもしれませんね」
 だから拓堵は、敦子さんの家があるところから村に入ろうとして……。
 あれ。
 拓堵は今、敦子さんの家にいるんだっけ。
 ──あっ……。
「あ……」
 敦子さんの家に、絶対に眷族を寄せ付けなかった敦子さんの家の中に、拓堵が──。
「それで、拓堵さんは今どちらの家でお休みになってるんですか?」
「あ、のっ……」
 杞憂であってほしい。
 だって、拓堵は動けない、はずで……。だから、……。
「たっ、大変ですっ!」
 突然家の戸が激しく叩かれ、眷族の男が慌てた顔を見せた。
「敦子さんの家がっ、戸が開いて、敦子さんが……!」
 木鉢屋さんははっとして立ち上がり、家の外へと駆け出していった。

 敦子さんの家の周りには大勢の人だかりが出来ていた。みんな言葉を失っている様子だった。
 木鉢屋さんが来ると、みんな彼女に道を開けた。私もその後に続く。
 確かに、敦子さんの家の戸は開いていて、敦子さんが……大勢の眷族たちの前にその姿を晒していた。何の警戒も敵意も見せず、ただその場に立っていた。
 憑き物が落ちたような、ぼんやりとした表情を浮かべて。
「姉さん……」
 木鉢屋さんがぽつりと呟いて、敦子さんが木鉢屋さんのほうを向く。そして、地面に跪いた。
「ごめんなさい。あなたが吸血鬼だったのね。思えば、私は今まであなたに散々酷いことを言ってきたわ。許してくれなんて言わない。けど、もう私は抵抗しないと誓います。煮るなり焼くなり、あなたの好きにして構わないわ」
「……姉、さ……」
 ……木鉢屋さんはどんな顔をしているんだろう。私は真後ろも見えるけど、私に背を向けて立っている人の顔までは見えない。
 こんなにも大勢の人がいるというのに、木鉢屋さんが次に動くまでは、口をきく人は一人もいなかった。
 木鉢屋さんはゆっくりと振り返ると、周囲の眷族たちに目配せをし、そして私のほうを見、言う。
「……あなたの血を吸わせてもらいます」
 唐突な、けれど吸血鬼としては何ら不自然でないその言葉に、何故か私は悪寒を覚えた。
 ……なんだろう。
 嫌だ。この感じ。
 その場を逃げ出そうとした私の腕を眷族の人達が掴む。抵抗しようにもヤギの力ではどうすることもできない。
「痛くはないそうですよ」
 木鉢屋さんがこちらへ近づいてくる。
 何だ、何かわからないけど……。
 すごく、嫌な感じがっ──!
 木鉢屋さんの牙が私の首筋に触れて、微かにちくっという痛みが走って……。
 ……あれ?
 私、何でこんな……みんなに羽交い絞めにされてるの?
「命令します。私の邪魔をしないでください」
「あー、うん。……わかった」
 彼女がそう言うなら、私は大人しくしていよう。吸血鬼のいうことは聞かなくちゃ。
 木鉢屋さんはまた敦子さんの前に立ち、屈んで視線の高さを合わせた。
「姉さん。これでこの村から村人はいなくなったよ。随分と遅くなったけど……でも、ようやくこの村は、本当の意味で……決着がついたんだよ」
「はい」
 木鉢屋さんは右手を敦子さんの前に差し出す。
「銃をください」
「はい」
 敦子さんは躊躇いも無く拳銃を差し出し、木鉢屋さんはそれを受け取った。そして立ち上がる。
「あぁっ……」
 赤い空に向けて両腕を広げ、喉から搾り出すようなか細い声で歓声を上げる。
「やっと、解放された。ロジックから──吸血鬼のロジックから、私は自由になったんだ」
 吸血鬼は、私を見、眷族たちを見、そして姉を見て、
「ごめんね」
 自らのこめかみに銃口を押し当てると、引き金を引いた。

 狐が地に倒れる軽い音を境に、村人たちは一人、また一人とその場から歩き去っていく。
 どた、と今度は重い音がする。いつの間にか敦子さんの家の戸口に出てきていた拓堵が、地面に膝をつく音だった。
 私は彼に駆け寄ってその体を支える。……拓堵の体が、驚くほど冷たくなっていた。
「……っ……」
 拓堵は浅い息を繰り返しながら、じっと戸外を見据えていた。私も彼の視線を追う。
 そこには一人の狐の遺体と、その前に座って呆然としているもう一人の狐の姿があった。

最終更新:2012年09月20日 20:07