2007年03月01日(木) 08時39分-川口
白井は夢を見る。そのいくつかを、白井はずっと覚えている。例えば、喧嘩の夢。目前の見知らぬ男が、白井に向かって何かを言い、その言葉に対して白井は無造作に、しかし素早くその男の左目を指で突く。うずくまる男を見下ろして白井は言う。男の言ったことは記憶にないが、自分の口にしたことはよく記憶にしている。「口に気を付けろよ。でねえと右も危ねえぞ」と。その後4対1でボコれらた。目が覚めてしばらくしてもなお、白井の体は行き場の無い怒りに震えていたし、いまだに白井はその怒りをその身に思い起こすことが出来た。
白井はたまに春画を描いた。スーパーマーケットのレシートの裏に鉛筆で描いた。しかしそれはいつも体の一部だけで、一枚仕上げるのに10分もかからない。その上、ものすごく下手だった。見ようによっては、トカゲにも、ガスコンロにも、「落石注意」の標識にも見えるような代物だった。
三つ上のいとこは工務店に就職していた。いとこはよく笑う奴だった。よく笑うが、その全ては人に見せることを大きな目的とした笑顔だった。「笑っている」というアピール。白井はいつもこれを看破した。そんなとき、白井もいとこに笑ってやった。
白井はこのいとこから青いカジノを買い取った。ボディの中に何かが入っていて、振ると妙な音がした。たぶんいとこが誤ってピックでも入れてしまったのだろう。
白井は、何通かの手紙を書いた。便せんに1枚か2枚の短い文章を書き、いつも末尾を「I LOVE
LOVE」で結んだ。なんの意味も無かった。白井はどの一通も投函せず、一通一通封筒に入れて口を閉じ、それ専用にした菓子箱の中にしまった。宛名はどの手紙にも無く、他愛ない内容からも想定された受取人を読み取ることは出来ない。3月29日、白井は電車に乗って行った事のない海岸に出向き、防波堤の上からその手紙を菓子箱ごと海に捨てた。それから土産物屋で菓子折りを買い、帰り道、電車の中で一人中身を食べる。帰りつく頃には空き箱ができあがった。そうしてまたその箱に手紙を書いてはしまった。来年のことはまた来年考えるのだろう。
眠くなるまで寝ないでおこうと白井は思った。そう心を決めてから、ちょうど6時間後に眠気がやってきた。白井は親しみと懐かしさに溢れた気持ちでこの眠気に応じた。夢も見なかった。
ガードレールの上に腰掛けて雲を見ていた。たぶんあそこ月がある。緩やかなカーブ、生ぬるい光色の街灯がこれに沿って続く。ガードレールを下りる。犬が死んでいる。石を蹴る。黒い血をはねながら転がり、背中に当たって止まる。
カーブを曲がったら、最後のチョコレートを食べる。
こんな程度では全く足りない。白井についての無限の情報に比べたら、こんなのは無意味的といってしまうのが正しい。
ただ、何の足しにならなくとも、敢えてもう一つだけ、白井についての情報を加えよう。
おれもおまえも、白井について何にも知っちゃいない。きっとこれからもそれは変わらない。そして、おれの判断する限り、白井は絶対にこのことに気付いている。